第37話

『タイガくんの災難!」

(挿絵:ブルー隊員)


第1話『記憶喪失タイガ様』



苦しい夏も大分落ち着いてきた10月の下旬。
事の始まりは何の前触れも無く、OFFレンジャーの面々を襲った。

ピンポーン……

不意にロビー内に、本部の入り口に備え付けてあるインターホンの呼び出し音が響き渡る。
“秘密”基地なのに何故インターホンが、という野暮な質問は控えるとして。
ロビー内で寛いでいた隊員たちはその音を聞くと、面倒くさそうに顔をしかめた。のそのそっと動く者はいても、決して訪問者を招きに行くわけではない。

ピンポーン……2度目の呼び出し音。さすがに、無視し続けるのが苦しくなってきた。
ロビーの中では、“誰が立つか”という静かなで壮絶な対決が繰り広げられようとしていた。

「ブルー、お客さんみたいだけど?」
「人の頭に乗っかって言う台詞とは思えないね」
「イエロー、頼まれてくれないかな?」
「ごめんなさい。今、シルバーの観察してるから手が離せなくて」
「……今度はワタシになに植え込んだんですか、イエロー?」

そうこうしている間にも、訪問者は3度目の呼び出し音を鳴らす。
いや、4度目か。怒りの前兆か、だんだんと鳴らす間隔が短くなっている気がする。
ピンポーン……ピンポーンピンポーン――。

「こういうときは隊長ですねー」

シェンナの発言に、一同は大きく頷いた。そして見事に、行かざるを得ない雰囲気を作り上げた。

「さっさと行きなさい、緑」

今までの彼女からは聞いたことの無いような口調で、言い訳するグリーンをシェンナが一喝した。

「わわ、わかりました」

グリーンは急いで立ち上がり、編みかけのマフラーを机に置く。そして玄関へと、その姿を消した。

やがてしつこいほどに鳴っていた呼び出し音が、ぱったりと止んだ。しかし、一向にグリーンが戻ってくる気配は無い。

「……ねぇ、シェンナ? さっきのアレってさ――」

オレンジがそういった瞬間、それに被るようにしてグリーンの悲鳴が響き渡った。
隊員たちは身構える。やがて、慌てふためいた様子のグリーンがロビーに走りこんできた。

「どうした!」
「た……たたたたたたたたt」
「落ち着かんかい、ボケ!」

関西出身のグレーが、どもりまくるグリーンの頭をベシッと叩いた。
グリーンは落ち着くために、すうはあすうはあ と深呼吸をした。

「タイガが――」
「何かあったのね」

勘が鋭いクリームだけが、大体察しのついたような口調でそう言った。はい、とグリーンは言う。

「タイガが、ドアを開けたら倒れ込んでいて……」
「それにどうやら……記憶喪失になってるみたいなんです」











ここは本部内の医務室。薬品の匂いが、ツンと鼻をつく。

「……残念ですが、本当に記憶喪失のようです」

カルテを片手に持ちながら回転椅子をくるりと回転させて、イエローは隊員たちに振り向いた。

あの後タイガは隊員たちによって、この医務室に運び込まれた。そして30分ばかりイエローがタイガを診察したのだった。

「あのぉ……彼は今……?」

難しい顔をしてカルテに向き合っているイエローに、控え気味にパープルが訊いた。

「今はそこで静かに眠ってるわ」

イエローは、カーテンで遮られたベッドを指差しながら言った。
心なしか、パープルの強ばっていた表情が緩んだように見えた。

「ただ本人の意思で起きるまで、起こしちゃダメよ」

イエローは素早く釘を刺した。

「それにしても、どうして記憶喪失なんかに……」
「確かに、あまりにも突飛な展開……」と、イエローが冷静に状況分析をした。「てか、本人が目を覚ませば万事解決なんじゃないの?」

楽観的な意見のブルー。そんなブルーに非難の声が浴びせられる。

「わかってないなぁ、ブルーは。記憶喪失なんだよ?」
「そうそう。それに至った経緯なんて覚えてるわけ無いでしょ」
「それにそんなに簡単に解決したら、小説にならないじゃない」

しょんぼりブルー。外見だけでなく、気分までブルーになってしまったようだ。

「そういえば、どうしてタイガが記憶をなくしてるって思ったの?」

ブラックがグリーンの方を見ながら訊ねた。

「それがですねぇ……」

グリーンの話だと、扉を開けた途端にタイガが倒れ込み、なにやらブツブツと呟いていたらしい。
「ここはダレ……わたしはドコ……?」と――。

「――ですからてっきり私は、タイガが記憶喪失になったものだと……」
「……嘘クサー。と、オレンジが溜息混じりに呟く。もしかしたら、また何か罠を仕掛けてるかもよ」
「記憶喪失って言うのも、実はレッドな……いや、真っ赤な嘘だったり……?」

隊員たちの間でそんなことが囁かれはじめた。しかし、

「私の診断が、そんなに信用できませんかぁあ?」

というイエローの一言で、隊員たちは異口同音に「できます!」と答えた。
満場一致でタイガは晴れて「記憶喪失」となったのだった。
それからしばしの沈黙。イエローが動かすペンの音だけが唯一聞こえるだけ。
タイガが目を覚ますまで、こうしているのが一番無難かもしれない。しかし、その沈黙を破るものがいた。シェンナだ。

「タイガ君の眠ってるとこ見てもいいですかー?」

シェンナはそういうと、了解を得ずにカーテンを潜ってタイガの寝ているベッドの方へ行こうとした。

「あ、コラ!」

クリームが慌ててシェンナを止めようとするものの、時すでに遅し。

「へぇ、これがタイガ君の寝顔ですかー」

カーテンの向こうからシェンナののんびりした声が聞こえた。

「意外と可愛いですー」

クリームが勢いよくカーテンをめくった。

「シェンナ、駄目でしょう?」

寝ているタイガの瞼を、無理やりこじ開けているシェンナをクリームがたしなめる。シェンナは「だってー」と駄々をこねた。

「寝ているタイガ君なんて、滅多に見れませんよー?」
「そうかもしれないけど、今は駄目なの」
「なんでー?」
「なんででも」
「またそうやって。いつもシェンナには、真実の隠蔽をー!」
「いいから!」

このままでは埒が明かないと思ったクリームは、シェンナを引っ張って隅っこに引っ込もうとした。

しかし、それをシェンナは許さなかった。

「いやだー。シェンナはもっと、タイガ君を見ていたいですー!」

そう言うが早いか、シェンナはクリームの手を振り払った。

「ベッドインですー♪」

そして素早くタイガの寝ているベッドに潜りこんだ。

「ホカホカですー♪」
「シェンナ!」

クリームは慌てたように怒鳴る。隊員たちは、呆然とそれを見ているしかなかった。
ベッドのうえのシェンナとタイガ。こんなシチュエーション、前代未聞だ。あぁ……どうしよう。

クリームは急いでシェンナをベッドから下ろそうとする。当然だ。こんなこと、いつまでもさせている訳にはいかない。
しかし、シェンナは絶対に下りまいとしてタイガに抱きつく。「あぁ!」と、男子隊員からどよめきの声が上がる。クリームも負けじと、更に力を入れる。

「はーなーしーなーさーいー!」
「いーやーでーすー!」
「医務室ではお静かにお願いしますよ」
その騒ぎを横目に、迷惑そうな顔をしてイエローが言った。
やがて力尽きたクリームは、床に手をついて息を整えだした。
シェンナは相変わらずタイガの隣に寝転んで、満足そうに笑顔を浮かべていた。

「近くで見るとますます、虎というよりホントに猫ですねー」

シェンナがそう言って更に顔を近づけた瞬間、虎は目覚めた。

「ふわぁー……。あれ?……オレどうして――」

タイガとシェンナは、しっかりと目を合わせてしまった。

「グッモーニングですー♪」

最初に口を開いたのはシェンナだった。そのままの体勢で、元気よく挨拶をする。

「……あぁ。 お、おは……よう?」

ぎこちなく返事を返すタイガ。慌てて視線を逸らす。

(これは……どういうことだ?)

まだ霧がかかったように朦朧とする意識の中で、タイガの思考は目まぐるしく動いた。




先ほどから目の前にいる女性の名前、そして自分の名前すら見当がつかない。
どういうことだと、自分のことをもう一度考えてみた。周りの状況を整理してみた。

オレの名前は――大河……いや、タイガだ。更にどうやら虎のようだ。腕の虎柄の毛並みを見ればそれは明からだ。
そしてオレは男だ。うん、そう。 ――自分については、この位でよさそうだな。
さて。次は、身の回りの状況を整理してみよう。
どうやらここは病院のようだ。この白くて少し固いベッド、それにこの部屋に漂っている薬品の匂いからしてそうだろう。
目の前には相変わらず、あの茶色い女の子。片方の目だけにぐるぐる模様の眼鏡をかけてる。誰だろう……。思い出せない。見舞いに来てくれたのかな?
ん? そもそも俺は、なんでこんなところに入院なんかしてるんだ? 駄目だ、それすら思い出せない……!
もしかして――記憶喪失ってやつか? あれ? でも今すんなりと「記憶喪失」って言う言葉は浮かんできたよな……

タイガが延々と続きそうな記憶の追いかけっこをしていると、ふと視線が目の前にシェンナに行った。
タイガに見られていることを悟ったシェンナは、愛想笑いをタイガに返した。
その瞬間、タイガはある一つの答えを見出した――現実とは全く違う、本人の勝手な思い込みなのだが。
――そうか。彼女はオレの……!

「ごめんよ、心配かけちゃって……」

そういうや否や、タイガはシェンナの手を取ると、自分のもとへと引き寄せた。
シェンナを除いたOFFレンジャーの面々は、声に鳴らない叫びを上げることとなった。



危うしシェンナ――

がしかし、タイガは寸前のところで吹っ飛んだ。自らの意思とは関係なく。彼を空高く吹っ飛ばしたのは、どうやらクリームのようだった。
それは実に見事なコークスクリューパンチだった。鋭い音と共に、タイガが宙をくるくる舞っていた。

床に勢いよく落ちた息絶え絶えのタイガに、間髪いれずクリームは飛び掛った。
シェンナの友達兼監視係として目を光らせていたからか、いつしかクリームの中でシェンナは娘の様な存在になっていた。
シェンナに――我が子に危機が迫っている その危機を、今すぐ排除しなくては!そう思い、クリームは行動を起こしているのだった。
そんなクリームを誰も止めようとする者はいない。触らぬ神に崇りなし だ。医務室に響くのはタイガの叫びと、クリームが繰り出す拳の音だけだった。

「医務室ではお静かに――って、無駄ですね……」






ところ変わってここはロビー。全てが始まった場所。
タイガとシェンナが隣り合って座り、その向いにOFFレンが座るという形で一同はそこにいた。

「……ムスッ」

先ほどの奇襲によって全身ズタズタボロボロのタイガは、先ほどからムスッとしていた。まぁ、当然だろう。

「タイガ君、機嫌直してくださいよ~」

ブルーが猫撫で声でタイガの機嫌を取ろうとする。

「気持ちわりぃ」とタイガは一蹴り。再びブルーなブルー。

「その女が謝るまで、俺は絶対機嫌を直さないからな」

タイガはクリームを指差しながら言い放つ。フェミニストの彼からは、想像しにくい発言だ。これも記憶喪失のせいか。
「女」呼ばわりされたクリームは、当然気分の良いわけが無い。タイガに食って掛かる。



「あなたが悪いんでしょう!
シェンナに何しようとしたか分かってるの!?」
「あれー、クリーム泣いてるんですかー?」

全ての原因を作り出しているシェンナがのんびりと、涙を浮かべているクリームに訊く。



クリームは一瞬途方に暮れたような目をした。やがて、思い出したようにキッとシェンナを睨むと、

「……シェンナなんか、もう知らない!」

挿絵

そう言い、自分の部屋に走りこんでしまった。扉を閉める音の後に、鍵をかける音も聞こえた。

「……自室に鍵をつけるのは禁止してるんですけどぉ~」

グリーンが別に聞こえるように言うわけでもなく、小さく言った。

「で? タイガは何をトチ狂ってあんな行動に出たんでしょうか?」

イエローがカルテを片手に、ご機嫌斜めのタイガを問い詰めだした。

「……なんで答えなきゃいけないんだ?」

「私は貴方を一度診た以上、完治するまで見届ける義務があります」

間髪いれずにイエローが答える。が、タイガは納得がいかない。

「もうオレのことは、放っておいてくれよ。大体何者だ!?お前らは!」
「我々のことは追々話すとして――」

イエローはソファに座りなおすと、タイガの目を真正面から見つめる。
「放っておく訳にはいきません。そんなことをしたら、仮にもOFFレン医師としての私のプライドが許しません」
頑なに譲らないイエロー。さすがのタイガも降参したようで、ふざける様に両手を挙げて舌をぺロッと出した。

「はいはい、分かりました。責任感の強いお嬢さんだこと」
「(記憶喪失をしたタイガは扱い難いですね……)」

イエローは心の中で、その言葉を噛んでみた。それはとても苦かった。

「まず、タイガ。あなたは記憶喪失になっています」
「そうらしいな」
「自覚しているようなら宜しい」

イエローが次の質問に移ろうとしたとき、ブルーが元気よく手を挙げた。

「……なんですか? ブルー君」
「はい! どうして記憶喪失になっているのに、タイガは普通に喋ったりできるのですか?」

あぁたしかに、と、密かにイエローを除いた面々は思うのだった。

「面倒くさいですねぇ……」と、イエロー。だが、面倒見の良い彼女はすぐに語りだした。

「人間の記憶には主に“陳述的記憶”と“手続的記憶”の2つに分けられるんです」
「陳述的って言うのはいわゆる「知識」
「事実」
「思い出」とか、そういう類のものなんです」
「手続的っていうのは――なんていうんでしょう、「身体で覚える」っていうタイプの記憶かしら」
「例えば、自転車。あれなんか、一度乗れるようになれば一生乗れるでしょう?」
「記憶喪失の人間って言うのは、それ以前にやっていたことなら基本的にみんなできるんです」
「ただ、それを誰に教えてもらったのか、どうやって覚えたのかは忘れてしまう――今のタイガもそれと同じですよ」

「あぁ。だから日常生活には困らないってわけですか」
「そういうことですね。無くなっているのは、陳述的記憶の一部ですから」

理解できましたか、とでも言わんばかりの目でイエローは隊員たちを眺めた。
しかし、できたようなできないような、な状態の隊員がほとんどだった。

「まぁ、タイガがなくしているものは「思い出」だと思ってください」
するとその瞬間、隊員たちの顔がパァっと晴れた。イエローはどっと疲れてしまった。



「……じゃあ、次いきますよ」

「タイガ。あなたの記憶喪失のレベルを知っておきたいのですが」
「どこまで自分のことを思い出せるか、教えてくれませんか?」
「どこまでっていわれても……」

タイガが困惑したような顔になったので、イエローは質問を加えた。

「例えば、名前とか思い出せますか? それから年齢とか」
「あぁ、それなら全部覚えてるよ」

どうやらタイガは、自分の事に関しての記憶はほとんど無事のようだった。その後イエローがいくつか質問してみたが、全て相違なく答えれていた。

「じゃあ次は、あなたの身の回りの記憶に付いて聞きます」

一通り質問を終えたイエローがタイガに言った。

「何で記憶喪失になったのか、覚えていませんか?」
「覚えてるわけ無いだろ。気が付いたらベッドの上だったよ」

だんだん質問に答えるという行為が煩わしくなったのか、タイガは不機嫌そうにそう答えた。

「私たちが誰なのか、わかりますか?」
「さあ」
「けど、この娘のことは知りたいなぁ」

タイガは隣に座っているシェンナを見つめながらそう呟いた。
そこでイエローは、思いついたように質問を変えた。

「さっきも訊きましたけど、何をトチ狂ってあんな行動に出たんです?」
「あんな行動って? 何のことだ?」

悪びれる様子もなく、逆にふんぞり返ってタイガは問い返した。

「シェンナに抱きつこうとしたでしょう?」ずばりと核心を突いた。「ふーん。この娘、シェンナちゃんて言うんだ♪」

そう言うとイエローから視線を外し、シェンナの方を向いて
「よろしくね~♪シェンナちゃん♪」
「よろしくですー♪」

微笑んだタイガに、シェンナも微笑み返す。傍から見るとよい雰囲気だ。シェンナ自身はよく分かっていないが。
すると、ドスンッという響くような音と共に本部全体が大きく揺れた。多分クリームの仕業だ。

「余計な発言は慎んでくださいよ。修理代だってばかにならないんですから」

シルバーがタイガにそう注意した。

「……なるほど。とんでもない勘違いをしてるってわけですね」
「なんだよ、勘違いって?」まだ分かっていないタイガ。
「なんですかー?」……+シェンナ
「なんかもう、面倒くさいので単刀直入に訊きます」

さっきからタイガにペースを乱されていることが気に入らないイエローは、本当に面倒くさそうにそう言った。

「あなたは、シェンナとどういう関係だと思ったんですか?」
「オーソドックスな表現だと……“恋人”……かなー♪」
「それはつまり――」
「つまりもカカシもないだろ。そういうことだよ」

タイガは“当たり前だろ”とでも言わんばかりに自信たっぷりにそう言った。
どうやら彼は、シェンナと恋人同士であるという誤解を相当深く信じているようだ。
イエローは大きく息を吸い込んで一気に言った。

「『オレとシェンナちゃんは相思相愛だー!』とか、馬鹿なこと考えてますね?」
「ち、違うのか!?」

何度も同じ質問をされたせいで、苛立った口調でタイガは返す。

「違うどころの話じゃないです。なに夢見てるんですか、あんたは」

イエローも明らかに苛立ってきていた。頭にくるほど、タイガが都合良く記憶をでっち上げていたからだ。

「大体、どこをどうやったらシェンナとそんな関係にあるなんて勘違いを起こすんですかね?」

イエローが皮肉たっぷりに、正面に座っているタイガに訊いた。

「入院したオレを見舞いに来てくれたんだぞ。こりゃどう考えても恋人だろ」

目を覚ましたときに見たシェンナを、タイガはこう受け取ったようだ。なんて安易な……。しかしイエローはそんなタイガを、なおも責める。

「ホント、煩悩の塊ですね。記憶喪失になったのなら、性欲も忘れちゃえばよかったのに」
「この女……」

さすがのタイガもたび重なるイエローの罵倒に、そろそろ我慢の限界が来ていた。
牙をむき出しにして、ウーッと低い唸り声を発しだした。目が野獣のように、ギラギラ輝いている。

「……。今日のタイガ君は、女性に優しくないですねー」

そんなタイガを見て、シェンナがぽそりとどことなく寂しそうに呟いた。

「だから、記憶をなくしてるんですってば……」イエローがそう呟く。「え……! そ、そんなことないよ、シェンナちゃん!」

慌ててタイガは、「優しい虎」を作り上げる。しかし、どうも違和感がある。

「そんなことあるんですー。今日のタイガ君は、なんか違うんですー」
「いつもはもっと―――もっと優しいんですー」

明らかに残念そうなシェンナ。

「いつものタイガ君がいいですー……」
「……この際、シェンナに全て任せましょうか」

イエローが思いついたかのように、みんなにそう提案した。

「どうやら今のタイガは、シェンナの言うことしか聞かないみたいですから」

正直面倒くさくなってきていた隊員たちは、我先にそれに賛成した。「おっと」と、弾かれたようにイエローが何かを思い出した。

「クリームもそれでいいですか?」

部屋に篭っているクリームに聞こえる程度の声で、イエローがそう訊ねる。
返事は無い。が、きっと了解してくれたのだとイエローは解釈した。

「じゃあシェンナ、そこの記憶喪失@煩悩虎猫はあなたに任せます」
「はいですー♪」
「じゃあ、私たちは通常業務に戻りましょうねー。検討する問題は山積みなんですから」




と、グリーンがシェンナ以外の隊員に呼びかける。みんなは渋々と自分の持ち場に戻っていった。
広いロビーにはタイガとシェンナ、そしてイエローだけが残った。

「何でお前が残るんだよ」

タイガが不服そうに顔をしかめた。

「医師としての義務です」
「おまえ、さっきからそればっかりだな」
「“義務”という言葉を持ち出せば、大抵の日本人は大人しくなりますからね」
「……発想が怖いぞ」
「日本人ですから♪」

まあいいやと、タイガはイエローから視線を外す。

「シェンナ、お出かけしたいですー。ゴートゥーザウォーキングですー♪」

空気を全く読んでいないシェンナは、陽気な声でそう言った。

「そっかー。じゃあ、オレとどっかいかない!?」
「はいですー。いつものタイガ君ですねー♪」
「でしょでしょ? じゃあ、早速出発ー!」



そうしてやって来たのは、尾布市で最も大きなデパート。
なんでも、品揃えは日本一。入っている店舗数も日本一。店員のスマイルは1000円なんだとか。

「だから……なんでお前もついて来るんだよ?」

食料品売り場を回りながら、タイガが残念そうに嘆く。
そして彼の半歩後ろを歩く人物を睨んだ。イエローだった。

「シェンナとあなたを一緒にしたまま外に出すと、何するか分かりませんからね」

要するに、イエローは2人の監視係としてついてきたのだった。

「どういう意味だよ、何するか分からないって」
「今までの行いを改めて見直してみなさい。もっとも何も覚えてないでしょうけど」

イエローは皮肉っぽくそう言った。

「そういう訳なんで、いたずらに変な真似はしないことですね」
「はいはい」

タイガは内心舌打ちをした。

「っていうか、なんで食料品売り場なの~?」

タイガが素朴な疑問を投げかける。食料品売り場に来たのは、シェンナの提案なのだ。




「それは――」
「タイガ君タイガ君! これおいしいですよー!」

イエローが説明しようとしたその時、シェンナの声が割り込んで聞こえてきた。

「――こういうことですね」
「なるほど」納得タイガ。
シェンナに呼ばれたタイガはそっちに走っていく。

「今行くよ、シェンナちゃ~ん♪」

それを後から追うような形で、イエローも走っていく。

「何食べてるのかなー……って、わぁ!?」
「ほうしはんれすはー?」

口一杯に食べ物を入れたまま、シェンナは驚くタイガにそう尋ねた。念のために書いておくと、「どうしたんですかー?」と言っているのだ。

「シェ、シェンナちゃん……それ何?」
「こえふぇふふぁー?」(これですかー?)

シェンナが新たに、口にそれを放り込む。それは……昆虫だった。

「……蝗の甘露煮ですね」

イエローが、相変わらず冷静に分析をする。

「イナゴ……? それって食えるの?」
「ええ。別に害はありませんし、なにより美味しいですよ」

そう言うイエローの口も、いつのまにか何かを噛み砕くような動きをしていた。多分蝗だろう。

「モグモグ…… 都会の人って世間知らずですねー」

タイガの反応を見て、逆にシェンナが驚いたと言うような声を上げた。

「はいタイガ君。あーんしてください♪」

いつの間にかシェンナは、数匹の蝗をつまんでタイガの口元に持ってきていた。

「…… お、オレが食べるの……?」
「そうですよー♪」と、相変わらずニコニコシェンナ。
タイガは助けを求めるかのように、先ほどまでいがみ合っていたイエローの方を向く。



しかし彼女も、蝗の甘露煮を美味しそうに口に運んでいるところだった。

「おじさん。これ、二袋下さい」と、仕舞いにはお持ち帰り用まで包んでもらっている始末。




「どうしたんですかー? とっても美味しいんですよー」

愛しい人からのお願い。断るわけには行かない。断れば、それはタイガにとって“死”を意味する。

「あーんしてくださいですー」
「あ……。あーん♪」

こうなればもう選択の余地は無い。タイガは思い切って、その口を開けてみせた。
シェンナは満足そうに微笑むと、開かれたタイガの口内へ蝗の甘露煮を放り込んだ。

「……?……??……!」

しばらくの間、その味をじっくり味わってみるタイガ。やがて、一つの答えに辿りつく。




「……結構いける……かも?」

――噛んだときの蝗特有の歯ごたえ、甘露煮ならではの程よい甘さと酸味。
その心地よいハーモニーは噛めば噛むほど滲み出てくるのだった。要するにタイガは“旨い”と思ったわけだ。

「でしょー? こんなに美味しいのに、みんな見た目だけで嫌うんですよー」
「こんな美味しいのに? それはもったいないねー」

さっきまで自分もその一人だったことなど、とうに忘れているタイガだった。
味を占めたタイガは、蝗を片っ端から口へと運びだした。
「シェンナは良い子だから、好き嫌いせず食べるですー」
「そっかー。えらいね、シェンナちゃんは」

タイガはそう言って、シェンナの頭をポンポンと撫でた。
(傍から見ると、まるで兄弟ですね)イエローはふと、そんな衝動に駆られて笑みをこぼした。

「タイガ君。次行きましょー、次ー」
「そうだね。行こうか♪」

あらかた蝗を食べつくした2人は、満足そうにその場をあとにする。
イエローも急いで追いかけようとしたが、その腕を何者かにつかまれた。

「お客さん、ちゃんとお金払っていってくださいね」

それはその店の主人だった。屈強そうな体格で、無愛想な表情をイエローに向けながら腕を掴んでいた。
どうやら先ほどあの2人が食べていた蝗は、試食品ではなく商品だったらしい
「お金ですか。お金のかわりといってはなんですが――」

そう言ってイエローは、白衣の中から何かを取り出した。

「こちらの、濃度100%の硫酸なんて如何ですか?」

それは天下の“液体銃”だった。







イエローが店の主人と激戦を繰り広げんとする最中、タイガとシェンナは。

「もぐもぐ……美味しいですねー」
「パクパク……そうだね。まさかこんなに美味しいなんて、思っても無かったよ」

タイガとシェンナが食べているのは“ナマコの活け造り” 勿論、試食品ではなく商品だ。

「あれー?
そういえばイエローさんはどこいったんですー?」
「放っといても大丈夫でしょ。かなり強そうだったし」

“正露丸乗せコカコーラあえご飯”をかきこみながら、タイガは意外にあっさりと言った。

「それもそうですねー。イエローさん、OFFレンの中ではかなりの使い手ですから」

“イ(自主規制)”にかぶりつきながら、シェンナも笑顔でそれに納得した。
一方イエローは。

「は、はなしなさいー……」
「まるでサイヤ人のようなお客様ですね」

ご主人に唯一の弱点である後ろ髪を掴まれてしまい、結構ピンチに陥っていた。

「……帰ったら後ろ髪を切っておこう……」

ご主人に後ろ髪を持ち上げられて、力なくぶら下がりながらもイエローは、相変わらず冷静に判断を下すのだった。

そんな事とはつゆ知らず、タイガとシェンナの二人は食料品コーナーを壊滅に追いやっていた。
あらかたの食料品は、もうすでに食べつくされていた。残っているものと言えば缶詰ばかり。

「もう食べられないですー」

シェンナが満足そうに声を上げる。かなり食べているのに、体格は全く変わっていない。



“食べて太る”という体質ではないのかもしれない。――そういう問題ではない気もするが。

「ゲフ……。お、オレももうお腹いっぱいだよ……」

タイガはシェンナほどの余裕があるような口調ではなかった。お腹もすっかり膨らんでいる。

「(あぁ……。この満腹感、妙に懐かしく感じるなぁ……)」


タイガの頭をそんな思考がよぎった。失われた記憶の断片が、不意に目の裏で瞬いた。



(思い出せるのは異常なほどの満腹感と、シェンナちゃん。オレたち2人は外に出て―――)



(何をした? 大体何処から外に出た? 一体何を食べた?)
(疑問は山ほどあるのに、答えは何も語ってくれない……。あぁ、メンドクサイぜ!)



(愛しいシェンナちゃんの記憶すら、オレは思い出せないのか)と、タイガが嘆いたときシェンナが口を開いた。

「タイガ君と食事をしたのは、あの時以来ですねー」

はたしてこれが、“食事”と言えるものなのだろうか。 と言う疑問は置いといて。
(あの時――?)先ほどタイガの目の裏で瞬いた記憶の断片が、徐々に像をつくりあげた。

「シェンナちゃん……あの時って?」
(新しい景色―― ぐるぐる巻の貝殻をつかむオレが見える)「忘れちゃったんですかー? ほら、カタツムリの件ですよー?」
(ぐるぐる貝殻……そっか。カタツムリ……!)
タイガの中の切れていたネットワークのうちの一本が、この瞬間に元通り繋がった。

(オレたち2人はカタツムリを探して―― けど、それは何でだっけ?)「美味しかったですよねー。あのときのカタツムリさん♪」
(――美味しかった?)
タイガの目の裏に、また新たな景色が浮かぶ。シェンナとタイガが何かを頬張っている姿――。

「……オレたちはその――」急にしずんだ声で、タイガが恐る恐るシェンナに訊いた。

「カタツムリですねー。牛鍋とかいて、カタツムリ♪」(……ギューナベ? あぁ、“蝸牛”のことか)
「そうそう。そのギューナベをもしかして、オレたち……?」(もしかして、シェンナちゃんとオレは……!)。

「えぇ。いっぱい食べましたよー♪」

タイガの予想は見事的中。彼の考えていたことを、そっくりそのままシェンナの口が発した。
――お、オレが、ギューナベちゃんを食べた……!?――そんな……嘘だろ!

「嘘じゃありませんよー」

いつの間にか頭の中で考えていたことを、声に出して言っていたらしい。シェンナがキョトンとした表情で、困惑しているタイガの顔を覗き込む。

「タイガ君だって、美味しいって言ってたじゃないですかー」
「ピリッと辛味が効いていてたまらない! みたいなこと言ってたですよー」

その瞬間、タイガの口内に懐かしい“その味”が蘇った。口内には何も無いのに、それをあるかのように鮮明味わえる。なんだこれは――
――そうか。また一つ、記憶が戻ったんだ。そうか、食べたってそういうことか!
また何かを勘違いしているタイガ。とりあえず、記憶が戻ってよかったね。

挿絵

「あぁ! 思い出したよシェンナちゃん!」

そういってタイガは、シェンナの手を握ってぶんぶん振り出した。

「よかったですねー」と、笑顔で返すシェンナ。「うん! オレ、覚えてるよ! シェンナちゃんと“エスカルゴ”を食べたこと!」
「えすかるご……?」

シェンナの表情が、一転して曇った。どうやらタイガは、シェンナとエスカルゴを共に食べたのだと勘違いしたらしい。
きっとタイガの頭には、ディナーをシェンナと仲良く食べる自分が映っているに違いない。
思い出すんだ虎猫よ。おまえは道端で慎ましく生きていた蝸牛夫婦を、残酷にもその口で噛み砕いたことを。

「えすかるご……えすかるごぉ?」

“エスカルゴ”というワードにぴんと来ないシェンナは、ずっとそれで悩んでいた。

「あれ? どうしたんだい、シェンナちゃん?」

タイガがそうシェンナに聞いたときだった。突然シェンナがタイガの視界から消えた。



勿論タイガは狼狽した。今の今まで一緒にいた彼女が、目の前で忽然と姿を消したのだから。

「えぇ……!
しぇ、シェンナちゃん! 一体どこに!?」
「ここです」

不意にタイガの頭上で、低く響くような声が聞こえた。
「誰だ!?」そう叫びながら、その声の主との距離をとるタイガ。虎の戦闘本能。声の主は蝗の甘露煮を作っている店のご主人さんだった。

ご主人は左手にイエローの後ろ髪、右手にシェンナの左腕を掴んで立っていた。

「てめぇ! なんの真似だ!?」

その状況を見たタイガが、ご主人に向ってそう怒鳴った。

「お客様がお金を払ってくださらないからですよ」

ご主人さんは、低く穏やかにそう言い放った。「何の金だ!?」
「……覚えていらっしゃらないのですか?
蝗の甘露煮のお金です」
「イナゴの甘露煮ぃ……? ――ゲゲ!」

思い出すような格好をしていたタイガが、バツの悪そうな顔をしながらそうこぼした。




「支払ってくだされば、こちらの方々はお放ししますよ」

そういうと店のご主人は、両手に持っていたイエローとシェンナをタイガのほうに突き出す。

「い、イエローまで、どうしたんだ?」

あんなに強かったイエローが、一般人のおっさんに為す術も無く捕まっている。タイガはそれが、とても信じられなかった。

「……うるさぃ」

イエローは小さくそう呟いた。目を瞑りながら、眠たそうな顔をして。

「……助けてやんないぞ」

カチンときたタイガは、意地悪くそういってみた。が、イエローからの反応は無かった。




「こちらのお客様は、どうやら後ろ髪が弱点のようで」

それまで黙っていたご主人が、静かにタイガにそう告げた。

「へー。そっかそっか、後ろ髪ね」

ニタニタしながら、すかさずメモを取るタイガ。

「……あとで切り裂いてやる」
「いいのかな? 後ろ髪を引っ張っちゃうよ」

更にニタニタ顔をエスカレートさせるタイガ。イエローの目が一瞬、鋭く光った。

「(……人間って、どのくらいの熱で気体になるのかな)」

イエローの脳内には、タイガがドロドロに溶けて気化していく様が生々しく描写されているのだった。

「まぁ、とにかく」

小さく咳払いをすると、ご主人は改まった様子で口を開いた。

「お客様がお金を払ってくだされば万事解決です。払っていただけませんか?」
「金額によるけどな」

タイガが冷淡にそう言い放った。ていうか、払うのが当然だと思うのだが。

「金額でしたら、既に清算済みです」

用意周到なご主人は、ポケットからなにやら紙を取り出すとタイガに渡した。

「そちらに合計金額が書いてあります」
「どれどれ……」タイガはその紙を覗いてみる。
が、次の瞬間彼の目が大きく見開かれた。

「……な、なんだってー!?」

タイガはあらん限りの大声で、紙を握り締めながらそう叫んだ。

「どうしたんですかー?」

シェンナがのんびりとした口調でそう訊いた。自分のおかれている状況が、まだよく認識できていないらしい。

「こんな金、払えるわけ無いだろ!?」

タイガは握っていた紙をクシャクシャに丸めると、乱暴にご主人に向って投げた。

「無茶苦茶だ! 日本の国家予算の1/3にも匹敵する金額じゃないか!」

タイガが両手を天に向って伸ばし、嘆きのポーズをしながら怒鳴った。

「なんで蝗の甘露煮がこんなに高いんだよ!
っていうか、絶対ありえねえ!」
「お言葉ですが……お客様」

覚醒しかねないタイガを哀れむような口調で、ご主人は話し出した。

「当店は“本格派蝗之甘露煮”をお出ししていまして。蝗はわざわざ未開拓の地“南極”から取り寄せたものなんです」
「……ですから、どうしてもこのような金額になってしまうのですー♪」

店員に続けてシェンナが明るく答える。

「バカか手前! 南極に蝗なんているわけ無いだろ!」
「いいえ、ちゃんといますよ。“ナンノコレシキ”という驚異的な適応能力を持った蝗でして――」
「あーもぅ! うっさいうっさいうっさい!」

タイガは面倒くさくなったのか、説明を続けるご主人を遮った。

「とにかく、金は払わない!
死んでも払うか!」正しくは、払“えない”のだが。

「そうですか」

ご主人は小さく呟くと「でしたらお客様たちには、蝗になっていただきます」
「はあ?」

あまりに意味に分からない発言をしたご主人に、タイガがあからさまに問い返した。

「ですから――」

「お客様たちには、蝗の代わりに食材になっていただくということです」

あくまで冷徹に徹した表情で、ご主人はとんでもないことを口にした。

「人間の甘露煮―― 成功すれば富も名誉も私の思うがままです」

あさっての方向を見つめながら、半ば狂ったようなことを口走るご主人。

「ふざけるな!」

当然タイガはそれに歯向かった。当然だ、こんなオヤジに調理なんて誰もされたくない。



――まぁ彼の場合、調理するのが可愛い女性だったのならまた少し話は変わってくるが。




「そんなふざけた要求、オレたちが呑みこむとでも思うか!?」
「あなたたちには、その道しか残されておりません」
「……もしそれに逆らったら、どうなる?」

タイガとご主人はほぼ同時に、邪悪にニヤッと笑った。

「逆らった場合は当店のマニュアルに乗っ取り、死んでいただきます」

そういうとご主人は、手に持っていたイエローとシェンナをその場に降ろす。
そして、イエローとシェンナを繋ぐようにして2人の片腕に手錠をかけた。……いつもそんなもの携帯してるんですか。

「死ぬって言葉はオレじゃなくて、お前に似合ってるぜ!」

タイガは言うが早いか、物凄い跳躍力でご主人に一気に詰め寄った。
「死ねぇ!」力任せに爪のむき出しになった右手を、縦に下ろした。しかしそれはご主人を切り裂くわけではなく、かわりに空を鋭く裂いた。
「なっ!?」先ほどまで視界に入っていた店長の姿が、見事に消えていた。

「どこを狙っているんです?」

一瞬怯んだタイガの背後から、低く押し殺したような声が聞こえた。
それに気付いて彼が振り返ろうとした瞬間、タイガの後頭部に強い痛みが走った。
ご主人の拳から繰り出された一発が、彼の後頭部にクリティカルヒットをしたのである。



タイガはそのあまりの衝撃によって、そこから5メートルばかり吹っ飛んだ。床に倒れこむ。

「……わかりましたね。お客様には一つの道しかないことが」

ご主人が、床でその痛みに悶えているタイガに向ってそう吐き捨てた。
恐ろしい男だ。仮にも虎のDNAを持ち合わせたタイガに、圧勝しているのだから。

「けっ!
クリームちゃんの方がもっと強い拳を繰り出すぜ……?」

タイガは頭をさすりながら、ご主人をそう罵った。ご主人は顔色一つ変えない。
――ん? クリーム“ちゃん”……?

「どうした。まだ終わってねぇぞ!」
そういうとタイガはすっくと立ち上がった。一瞬彼と虎が、重なって見えた気がした。




「ほぉ。まだ立ち向かってくる気ですか」

ご主人がそんなタイガを見て、感心したような口調でそういった。
ご主人は同時に、そんなタイガの行動に少し疑問を感じた。それを声に出してタイガに訊く。

「何故そこまでして立ち向かってくるのです?」

自分に言っているのだと理解したタイガは、少々考え込むような素振りをした。

「……んー。そうだなぁ」

「強いて言うなら、やっぱり女の子のため♪」

一瞬デレーッと笑って、タイガは答えた。その顔にご主人の拳が繰り出される。
彼は慌ててそれを避けると叫んだ。「あ、危ないじゃねぇか!」
「くだらない……」

ご主人はそう呟くと、再びタイガに向って飛び掛った。

「なんだと! 手前、今なんていった!?」

―女の子はくだらなくなんてないぞぉ!―とか何とか言いながら彼もまた、ご主人に飛び掛った。






「(……どうもおかしいですね)」

手錠と言う簡単な拘束しかされていないので、逃げようと思えばいくらでも逃げれるイエローがふとそう思った。
イエローが逃げないのは、彼女の意思ではない。シェンナの意思なのである。
と言うのも、彼女は当然の如くこの場はタイガに任せて逃げようとしたのである。しかし、それをシェンナが反対した。
「タイガ君を置いていくのは可哀想ですー」と、泣いてすがってきたのだ。
流石にイエローも、それを振り切ってまで逃げようとまでは思えなかった。だから仕方なく、今もここにいる。
当のシェンナはと言うと、さっきからしきりとご主人とタイガの攻防戦に感動している。





「シェンナこんな戦いを見たのは、ドラゴンボール以来ですー」
「あっそぅ……」


屈託の無い笑顔で語るシェンナに、イエローは詰まらなそうに呟く。彼女としては、早くこの場を去りたいのだ。
そんな感じで何気なくタイガの戦いを見ていたのだが、途中から何か違和感を感じた。



(おや?)と。最初は何がなんだか分からなかったが、次第にその姿がハッキリしてきた。

「(……彼、性格が少し変わってきてない?)」



そう思い始めたのは、タイガがご主人の一撃を後頭部に食らったときからだった。まず最初の違和感は『クリームちゃん』
普段の彼からならいくらでも飛び出しそうな言葉だが、忘れてはならないのは彼は今記憶喪失と言うことである。
しかもそのせいで、優しく接する女性はシェンナだけに限定されているのだ。更にタイガは、クリームに吹っ飛ばされたことをとても不愉快に思っていた。
そんな状態の彼が、よりにもよって「クリームちゃん」などという発言をするだろうか。



答えはNOだ。
どういう視点から見ても、彼がそんなことを口走ると言うことは考え難い。(じゃあ、一体何故……?)
そんなことを考えているとふと、イエローはある結論に達した。――まさか……記憶が戻った?
だが、彼女にはまだ疑問があった。何故こんなにも急に彼の記憶が戻ったのか。だが彼女は、思い当たるような出来事を知っていることに気付いた。
――あの店長に後頭部を殴られたショックで……
そう。タイガはご主人に殴られたショックで記憶を取り戻していたのだ。
そうとしか考えられない。そう考えれば、全てのつじつまが合うのだから。しかしそれならば何故、クリームに吹っ飛ばされたときに戻らなかったのだろう。
――多分、衝撃が強すぎたのだ……。
だったらこうしてはいられない。タイガの記憶も戻ったことだ。
今すぐこの無駄な戦いをやめさせなければならない。そう思い、イエローは立ち上がった。手錠をしているせいで、少し手間取ってしまった。




「すいませーん。ちょっといいですかー?」

タイガにまたがり、彼の首を絞めていたご主人に向ってイエローは呼びかける。

「どうされました?」

ゴキュッという嫌な音をタイガの首が立てると、ご主人は丁寧に立ち上がった。
さっきまで苦しみ叫んでいたタイガの声は、その嫌な音と共に一切聞こえなくなった。死んだのか?

「蝗の代金の件なんですけど、払えば文句無いわけですよね?」
「無論です」

何をいまさら、と言うように目を細めながらご主人は答える。

「だったら、ちょっと待っていただけますか?」

そういうとイエローは、白衣のポケットから携帯電話を出そうとした。が、手錠があることに気付くとそれを止め、苦笑混じりにご主人に。

「あのぉ、いい加減この手錠外してもらえませんか?」











「――で。オレを呼び出して一体何のようだ?」

イエローが携帯で呼んだのは彼、ホランだった。明らかに迷惑そうな顔をして、眉間にしわを寄せている。

「オレは忙しいんだけどな……!」
「今日お呼びしたのはですね――」

“すいません”の一言も言わず、イエローは話を切り出した。


だが、イエローが話し出す前にホランが足元に転がっている奇妙な物体に気付いた。

「……なんだこれは?」

足元に転がっているそれを指差しながら、ホランはイエローに訊く。体中の関節がありえない方に曲がった虎柄の、黄色が眩しい物体――。

「あぁ。それ、死にかけてますけど一応タイガです」
「なんだ……タイガだったのか。スライムか何かかと思ったよ」

ホランは興味をなくしたらしく、サッと視線をイエローに戻した。

「――で、何の話だったかな?」


足元でのびているタイガを蹴飛ばしてどかしてから、ホランは話を再開した。

「えーとですね。今回は、お金を貸していただこうと思いまして」
「なに?」

いきなり何を言い出すのかと、ホランは目を丸くして訊きかえした。

「いや、ですからお金を」
「そういうことじゃなくてだな……」

埒が明かないと思ったホランは、イエローに順を追って説明するように指示した。

「じゃあ、張本人であるシェンナに説明してもらいましょうか」

そういうとイエローは、シェンナをホランの前に連れてきた。

「シェンナ。このおじさんにさっきまでのことを説明してあげて」
「はいですー♪」

“おじさん”と言うワードを苦い顔で呑み込みながら、ホランはシェンナに耳を傾けた。




「タイガ君とシェンナがワーってやったら、店長さんがガオーッて来て、そしたらイエローさんがキャーッってなって――」
身振り手振りを交えて説明するシェンナを、苦笑しながら見つめるホラン。

「……さっぱりわからないが」
「ごめんなさい。翻訳します」
「タイガとシェンナがこのデパートの食料品を食べ尽くしまして。それで、お金が必要なんです」
「……そんなことで俺が金を出すとでも思ってるのか?」

両手をわなわなと震わせるホラン。こんな理不尽な要求をされれば当然だろう。
しかし、イエローはお構いなしにお金を催促する。

「まぁまぁ。借りるって言っても、国家予算のたった1/3強ですよ?」
「貴様……金銭感覚が麻痺してないか?」
「大体、こんなくだらないことで呼び出して……」

「男子がいればまだ良いものの、いるのは貴様ともう一人の女子だけ――帰らせてもらおう」

そう言ってホランが踵を返そうとした瞬間、イエローが呟いた。(どうでもよいが、タイガは数に入ってない模様)。

「折角、男子隊員の私生活を盗撮した写真を差し上げようと思ったのに……」

ホランの耳がピクリと動いて、その言葉に反応を示した。
イエローは勝ち誇ったようにニヤッと笑う。そしてダメ押しにかかる。

「タダで――無料で差し上げようと思ったんですけどねー……?」


ホランの中では、男子隊員に対する欲望と金銭に対する理性が葛藤していた。微妙な差で、欲望のほうが半歩リードしている形だった。
(男子隊員の私生活を撮った写真……)ホランはそれだけで、どんどんどんどん妄想が広がってゆく。
抑えきれない欲望――それを押さえつけようとする理性。そんな煮え切らないホランに痺れを切らしたのか、イエローは最終手段に出る。

「なんでしたら男子の部屋を盗聴なんかもしちゃって構わないんですけどぉ?」

その瞬間ホランの中の欲望は、理性と捻じ伏せた。

哀れホラン――





「もしもしオレだが……そうだ、ありったけの金をこれから指定する口座に振り込んでくれ」

ホランは携帯電話に向かいながら、ご主人に指定された口座に金を振り込むよう部下に伝える。
その様子を見ていたイエローは、可笑しくて可笑しくて笑い出しそうになってしまった。



なんて単純な白猫だろう――と。
ホランがこちらを見てきたので、慌ててイエローは「邪悪な笑」から「無邪気な微笑み」に切り替えた。

「なるほどぉー……」

そんなイエローを見ながら、シェンナは「女」と言う生き物の生きる術を学んでいくのであった。

「じゃあ例のもの、頼んだぞ」

頬を紅潮させながらイエローにそう言うと、ホランはそこから去ってしまった。無一文になってしまったにも関わらず、彼はどこか嬉しそうだった。

「さて。一件落着ですね」

イエローがホッとしたような感じでそう言った。

「そろそろ私たちも帰りますか」

ホランを見送っていたイエローがシェンナにそう言う。

「タイガ君はどうしますー?」

床にぼろきれの様に転がっているタイガを指差して、シェンナが言う。

「そうですね……。どうしましょう」

イエローが困ったように考え込んでしまった。

「でしたら、うちで引き取らせていただきますが?」

突如背後から、先程のご主人さんがそう言った。

「お二人にはご迷惑をかけましたし、色々活用できそうですし」

ご主人のその提案に、イエローは迷わず即答した。

「はい。是非引き取ってください!」





それから1週間くらいたったある日。OFFレンジャーの面々は、全員総出で買出しに来ていた。

「最近誰かに監視されてる気がするんですよねー……」

グリーンがふと、必要な食材を選びながらそう言う。

「ああ、僕も僕も。なんか部屋の壁からモーター音がするんだよ」
「オイラも。それになんか、携帯の音が遠いんですよね」

男子達がそんな話題をしているのを、つまらそうに聞いているイエロー。かなりの演技派だ。

「あ。なんかいい匂いがしますね」

ピンクがそう言って、その匂いの元へと向いだした。

「蝗の甘露煮みたいですね」
「なんか匂いを嗅いでたら、急に食べたくなってきたね」
「うんうん」
「じゃあ買ってく?」

ホワイトがそう訊くと、みんな首を縦に振った。イエローを除いて。

「なんだろ? これ」

蝗の甘露煮を買おうと店に寄ったホワイトが、妙な看板に気付く。

『限定! 猛虎甘露煮 1箱1000円!』

「何か面白そう。買ってってみようかな」

ホワイトはそう呟くと、その店のご主人らしき人に注文した。

「すいません!この猛虎甘露煮1つください」








第2話『タイガ様、ペットを買う』



タイガから重大発表がある。しかも何やらすごいことらしい──。
まだ朝ご飯さえ食べていない時刻に、オオカミたちはホールに呼びつけられていた。

「よ~し!集まったな?」

オオカミたちが勢揃いした頃、ようやくタイガがキャスター付きの台を押しながら現れた。
台の上には真っ赤な布が掛けられた大きな箱らしきもの。噂通りの『すごい何か』を予感させるには十分すぎる焦らしっぷりだ。

「よ~し!じゃぁ、発表するぞ!驚くなよ~?」

バッ!と布を取り払うと、それは大きな水槽だった。
その中には、なにやら大きなものがうようよと泳いでいる。

「あの、タイガ様……それは?」

まったく意味のわからない状況に、オオカミの1人が恐る恐る尋ねた。
するとタイガはその言葉を待っていたかのように、ニヤリと笑う。

「聞いて驚け! これは『ふぐ』だ!」

その途端オオカミたちの中からどよめきが聞こえてくる。中には呆れる物や落胆する者まで出てくる始末だ。

「黙れ黙れ!これはなぁ。ただのふぐじゃないんだぜ!」
「じゃぁ、なんなんですか?」
「トラフグだ♪」

オオカミたちは、自信満々に胸を張るタイガを前に呆然とするしかなかった。
なぜなら、彼らの目に映るトラフグはどう見ても皆の知っているトラフグではなかったからだ。

確かにフグではあるのだろうが、とにかくペンキを塗ったかのような鮮やかな黄色と黒の縞模様なのだ。
これは変な業者に騙されたな……。オオカミたちは瞬時に悟るが、タイガに進言できる者は当然いない。

「どうだ、凄いだろ~♪ オレは魚も好きだし♪ 虎のオレ様が持つにぴったりのペットだと思わなないか?」
「ぇ、ぁ、はぁ……そうですねぇ」
「だろだろ♪ これ結構高かったんだぜ♪ まんまるで、食べたら美味いのかもな」
「え!」

『食べる』というキーワードで、オオカミたちの顔が急に明るくなる。

「タイガ様!やっぱりお優しい所もあるんですね……たまには!」
「感激っすよ……うぅ……」
「ちょっと見た目に難ありですけどお、オレ達気にしません!」
「早速厨房に運びましょう!」

急に喜んだり泣いたりするオオカミを見て、タイガは怪訝そうな目を彼らに向けた。

「ば、バカ!誰が食べるなんていった!?」

ピタリとオオカミの反応が止まった。

「ぇ、でも……食べたら美味いって……」
「『かもな』って言ったんだよ! それに、ペットって言っただろ」

数分前のような、ざわめきが再びオオカミたちの間に巻き起こる。
そんな訳ないよな。ペットを自慢しようとするために集められたなんてこと、まさか。
「よし、もうお前らは帰れ。オレはこいつを自慢したかっただけだからな」

──そのまさかだった。
石のように固まってしまったオオカミたちをよそに、タイガは再び水槽に布をかけ直すとあっけらかんとトドメのヒトコトを言い放った。

「あ、そうだ。購入代金はお前らの給料から引いとくからな!」








数日後、OFFレンジャーの郵便受けに一枚の手紙が入っていた。
手紙といっても広告の裏に筆ペンで書いたものでお世辞にも綺麗な字とはいえない代物だ。

『OFFレンジャー様へ、本日ふぐ料理をご馳走しますので是非お越しください』

たったこれだけのシンプルな文面である。

「……どう思います?」

グリーンの問いに、ほとんどの隊員は「怪しい」と口をそろえた。

「シェンナはふぐふぐ食べたいですー♪」
「ふぐには毒があるんですよ。どう考えても罠でしょう」

隊員らはイエローの発言に一様に頷いた。
悪の組織が正義の味方に料理を振る舞うなんて聞いたことがない。
これは誰がどう見ても『OFFレン毒殺計画』の第一歩目だ。

「えぇー。食べたくないですー」
「まあ、結構美味しいらしいよね」
「なら、食べたいですー♪」

シェンナだけは能天気な返答に釣られ、隊員たちも、なんとなく行ってもいいような感覚に陥ってくる。
すると、タイガに毒見させてから判断してもいいんじゃないかといった意見まで出始めて──。






潜入捜査という建前を胸に、隊員たちはオオカミ軍団のアジトにやってきていた。
しかし、アジト内にはいつも大量に溢れかえっているオオカミたちの姿は無い。人を招待しておきながらこの出迎えのなさは一体……。

「おー!矢印があるよ」

と、オレンジが壁に貼られた張り紙を指差す。
誘導のための矢印の上に『こっち』の文字。これも広告の裏に書かれたものだ。

「なんか罠くさいけど……」
「まあ、あえて乗ってみましょう」

次から次へと現れる矢印に従って進むと、一同はタイガの部屋の前に辿り着く。

『ご馳走は中です。中へ入ってお待ちください』

恐る恐る扉を開けてみるが、室内には誰もいない。

「どうする?」
「中で待てって言われてるんですから、そうするしかないでしょう」

隊員たちは、開かれたままのエロ本、スナック菓子の袋、丸まったティッシュなどを踏み分けなから部屋の中へと進み、かろうじて小綺麗なベッド脇へとたどり着いた。

「タイガくんのお部屋汚いですー」
「それに、なんか変な匂いしない?」
「うん……なんか磯臭いというか」

隊員たちは改めて乱雑なタイガの部屋を見渡した。
壁にはタイガース関係のポスターや、動物園か何かで買ったと思われるの虎の写真のピンナップで彩られている。
本棚にあるのは野球関係の本か、エロ本。たまに『いい上司になるには』という意外な本もあるのだが、まったく読んでないであろう綺麗な状態だった。オオカミがこっそり置いたのかもしれない。

「お腹すいたですー」

1時間か、30分か、はたまた5分しか経っていないのかもしれないが、タイガの部屋で待っていても何も面白くない。
と、ブルーが部屋の隅に置かれている水槽に気づいた。

「あれ、これってフグってじゃないっすか?」

誰しも『馬鹿なことを』と考えた物の。空腹感による物かなんだかそうかも知れないと言う気になってきた。
お世辞にも『ふぐ』といえる代物ではないが、黄色と黒の縞々模様は実に怪しい。
ひょっとすれば物凄く珍しい魚なのかもしれない。この際ふぐなんてどうでもいい。

「うにゃー!」

いきなり水槽へと飛び掛ったのはオレンジだった。
何が彼を猫の如く魚へ向わせたかは本人にしか解らない。しかし、すでに周りが気が付いたときは魚はいなくなっていた。

「ハッ! ぼ、ボクは何を!?」

無言の叫びを上げつつオレンジの胃の中へと消えていったトラフグ。大層無念だっただろう……。
しかし、オレンジがふぐの恨みを受けるのはそう時間はかからなかった。急にプクッとオレンジのお腹が膨れ上がったのだ。

「オレンジ、ポチャってますよ」
「え、何が……?」

再びオレンジのお腹が膨れあがる。1.5割増しだ。

「昔の童話でこんなのありましたよね……」
「カエルのお母さんのヤツですねー♪」

しかし、童話と違っているのはこのお腹のふくらみが本人の意思に反していることだった。


どうすればこんなにお腹が膨らむ物なのか不思議でならなかったがそんな事を考える前にさらなる驚異が隊員を襲った
オレンジの体がフワッと浮き上がって風船のように天井めがけてぶつかった。

「どうなってんだよぉ~……」
「シッ!静かに……」

突然のホワイトの一言に一同は静かになる。耳を澄ますと遠くから誰かが歩いてくる音がする。
慌てて天井で停止しているオレンジの足を掴んで引き摺り下ろし周りに隊員を配置させ事なきを得ようとした。
グリーンのこういう点でのとっさの判断能力は認めたい。

「ん、誰かいるのか~?」

ドアの向こうから声がする。この疑問形の時にやや声が高くなるのはタイガの特徴だ。
ドアが開いてタイガが現れる。すると、瞬時に視界に飛び込んだ女子隊員に、彼の表情は一変する。

「なんだ~♪ホワイトちゃんたちか~♪何々?オレの部屋まで着ちゃってさ~♪」
「いや、あの……」

とっさにグリーンが応答するとタイガは不満そうな顔をする。

「お前には聞いてねぇよ!」
「あ、は。すいません」
「それで、オレの部屋に何の用~?あ、そだそだ。その前に……」

タイガは持っていた紙袋から小さな煮干を取り出すと、ウキウキしながら水槽の方へと歩み寄っていく。
……が、突如タイガは空になった水槽に気づき、ぽとりと煮干しを床に落とした。

「えっ?」

水槽にしがみつき、必死のふぐの姿を探すタイガ。何度見たところで、ただの水溜め箱であるのは変わらない。

「ど、ど……どこいったんだ!? オレのふぐっ太は!?」
「ふぐっ太……?」
「オレのペットのトラフグだっ! 逃げたのか!? 高かったのに!!」

タイガは水槽の下や、積まれた本の山を蹴飛ばしてふぐの行方を探す。
ただでさえ乱雑な部屋がよりいっそう乱雑と化した頃、タイガの動きがピタリと止まる。

「ま、まさか……お前ら……」
「え、な、なんでしょうか?」

タイガの手からゆっくり爪が伸びだした。覚醒間近のサインである。

「お前らまさか……オレのふぐっ太を……」
「変なネーミングですねぇ。ふぐ太にすればいいのに」
「フッフッフ。オレのネーミングセンスは一筋縄じゃ行かないぜ」
「あはは、ホントですねぇ! よっ、大統領!」
「……って違ぁぁぁう!!! そんなことよりも! オレの! オレの! ふぐっ太はどこ行った!?」

タイガが壁をバンバン殴って怒りを露わにする。
……こうなっては仕方がない。諸悪の根源を彼の前に差し出すしかない。

「えーと飛ばないように荒縄で縛って~っと」
「何やってるんだ!?」

オレンジの周りを囲んでいた隊員の中から、グリーンが一歩前に踏み出し、手にした縄の先っぽをタイガに手渡す。
意味がわからないタイガは、縄のある方を目で追っていく……
と、なにやらでっかいオレンジ色の塊が部屋の天井ギリギリに浮かんでいた。

「な、なんだこれ!」
「ふぐっ太くんを食べたオレンジの成れの果てです。多分毒か何かが作用して……」
「こ、これがオレの……!?」

タイガがよろよろとその場に座り込んだ。数十万円とともに手に入れた魚がいまではオレンジ色の風船に……。
だんだん腹が立ってきたタイガは、オレンジ風船を引っ張りおろし、その大きな腹に鋭い爪を突きつけた。

「フフ……腹を裂いたらふぐっ太が出てくるかもな……フフフフフフ」
「タイガくん!?ちょっと落ち着きましょうよ!?」

オレンジのお腹にタイガの爪が突き刺さる。
……すると、ポォン!という音と共に、空気が漏れ出したオレンジが風船の如く部屋中をを縦横無尽に飛び回る。

「な、なんだ? どうなってんだ!?」
「風船なんですから、そりゃこうなりますよ!」

オレンジ風船はなおも無軌道に暴れまわり、部屋の観葉植物や電気スタンドまでをもなぎ倒していく。

「いや、だからってそんなバカなことが……」
「おこってるじゃないですか、現に目の前で」
「そ、そりゃそうかもしれねーけど……」
そしてとうとう……風船はタイガの後頭部に激突した。

「ふぎゃっ!!」

ぐわんと脳みそが揺さぶられ、タイガの体はゆっくり地面に向かって倒れていく。

「ふ、ふぐ……った……」

薄れゆく意識の中、タイガが最後に見たものは……慌てて部屋を飛び出していく隊員らの後ろ姿であった。










「……こ、ここは一体?」

しばらくして目を覚ましたタイガは、なぜ自分がここにいるのかわからなかった。

いや、場所だけではない。彼は名前も年齢も誕生日も……自分に関することが何一つわからなくなってしまっていたのだ。




第1話『記憶喪失タイガ様」へ続く。