第52話
『タイガ覚醒...』
(挿絵:ブルー隊員)
──辺りは騒然としていた。
「ぼ、ボス……冗談キツイっすよー」
「そうっすよー……。大体タイガ様は研究員が作って……なぁ?」
研究員達はサングラスをカチャッと上げたまま黙っていた。
「……ちょ、ちょっと待てよ……研究員たちまで……」
「そ、そうっすよ……第一……な、なぁ?」
ボスは手に持っていたグラスに注がれたウィスキーをぐいっと飲み干し、話し始めた。
「……あれは、田舎での療養が決まり代役をどうするか研究員と話していたときだった」
「……いかがです?」
研究員達の説明は代わりのボス代理をオオカミの中から選ぶのではなく、新たな者の中から選ぼうとした。
新しく、ボスに適したオオカミを作り上げる……しかし、そんな費用があるはずも無く、技術力から言っても不可能に近かった
となると残された道は一つだった……。
「……一般人を適当に改造してしまえばいいのです。ザコオオカミと同じですよ」
「……何……?そんなことが可能なのか?」
「えぇ、ですからボス。ここはどうか療養を……」
俺は半信半疑だった。いくら改造するとは言え、向き不向きというものがある。
だが、研究員たちは絶対の自信を持ていたらしかった。
「わかった。だが、それを見てからだ……いいな」
「了解しました。しかし問題が……」
「解ってる。俺がなんとかしよう」
問題とは……俺が選んだ一般人を適当に連れてくるという事だった。
俺が選んだ者ならば研究員たちも喜んで改造すると言った。
俺は適当に外へ出た。町外れの所まで来た時、一人の少年が壁にもたれていた。そいつのそばには荷物がまとめられていた。
「(……家出だな)」

俺はそう思った。それならば都合がいいと思った。居なくなっても簡単には騒がれないだろうと思っていた。
しかし、実際は、隊長の座を交代した後のレッドだったとわかったのはヤツを気絶させてアジトにつれてきたときだった。
アジトに帰ると早速改造に取り掛かかった。肉体改造を行い力も強くさせた。
そしていよいよ洗脳に取り掛かろうとしたときだった。
「……ぼ、ボスオオカミ……」
ビクッときた。何故コイツが名前を知っているのか。簡単な事だった。そいつはOFFレンジャーのレッドだったのだから……。
「な、何故、お前が俺を知っている?」
「……何を言ってるんだ……僕はOFFレッドだ……」
「!?」
あの時は俺も研究員も驚いた。まさかつれてきたのはレッドだったとは。そしてこんな好都合な事が起こったとは……。
「……僕を……どうする気だ」
「…………ボス。どうなさいますか?」
研究員が俺に聞いてきた。研究員の表情から読み取れる思いは俺のものと同じらしかった。
「……コイツを……ボス代理に決めよう」
「……ば、馬鹿な事……僕は……悪の組織なんて……」
「……オイ、オオカミのDNAを持ってこい」
もはや手加減は無用だった。敵の隊長をこちらに引きずり込めるだけでなく、代理まで果たしてくれるのだ。
しかし、研究員はオオカミのDNAではなく虎のDNAを持って来てしまったのだ。それに気づいたのはレッドの体が虎柄に染まっていった時だった。
「……も、申し訳ありません。いますぐ再注入を……」
「待て……このままでいい……」
ヤツの顔つきがみるみるうちに変わっていた。だが、これならば誰もレッドだとは思わないだろうと思った。
嫌がるレッドの頭に大きな機械を取り付けスイッチを入れた。
「……な、何をするんだ……」
「……お前の名前は?」
「……何を企んでるんだ……」
「……タイガ、自分の名前もいえないのか?」
「タイガ……ぼ、僕はレッドだ……」
「いいや、お前の名前はタイガ……オオカミ軍団のボス代理だろう?」
レッドに取り付けたスイッチは洗脳装置……。
いままでこの装置を使って洗脳されなかったヤツは居なかった。俺もその操作には手馴れていた。
案の定、レッドもだんだん俺の暗示に面白いようにかかっていった。
「……タイガ……僕は……タイガ……」
「そう、お前は俺に次ぐオオカミ軍団のボス代理、タイガだろ?」
「タイガ……ボス代理……オオカミ軍団」
「そう……ちゃんと思いだしているな……偉いぞ」
レッドはぼーっと天井を見つめていた。完全にマシンも作動している証拠だ。
俺は一気にレッドを畳み掛けた。ボスらしくするということは骨が折れるが山を越えれば後は楽なもの。
「……お前はこの世界で最強だ。誰もお前にはかなわない。お前は強い……」
「僕は……強い……最強……」
「お前は悪い事が好きだったな……?そして正義が大嫌い……悪者だもんな」
「そうだ……オレは……悪者……強い……正義嫌い……」
ぐんぐんこちらの思いのままになるレッドは可愛いものだった。
「……お前はOFFレンジャーを倒す為に生まれたんだ。いいな……倒すんだ」
「……OFFレン……倒す……」
洗脳装置を外し、俺は言った。
「それでは、もう一度聞く……お前は誰だ?」
「オレは……」
するとタイガはゆっくり起き上がって言った。
「オレはタイガ!オオカミ軍団のボス代理、タイガだ!」

ボスはもう一度グラスに酒を注ぎ、ぐっと飲み込んだ。
「……では、レッドのやつが現れないのは……」
「ま、こちらの仲間になっているんだからな……間違いない」
「では、ホラン様も……」
「いや、ホランは正真正銘、一から作った。そうだろ?失敗した物の改良版だからなぁ」
オオカミ達はざわざわと小声で騒いでいた。驚きを隠せないといった感じだろう。
しかし、誰よりも驚きを隠せなかったのは当の本人だった。
「(……お、オレが……レッド……)」
バクバクと今まで以上にないほど心臓の鼓動が高まった。ボスに代わって今度は研究員の声が聞こえる。
「……しかし、この装置による洗脳は長期間洗脳状態が続かない」
「だから、俺達は自分に関連した物を見させることによってその状態を続けるようにした」
「その為には虎好きにさせて、自然と虎関係の物を好むように細工したというわけさ」
研究員は口々に語っていた。その口調から以前とは違う真剣なものに違いなかった。
「じゃぁ、タイガ様のあの女好きも……」
「いや、あれは想定の範囲外だ」
タイガは自分の体を見た。確かに自分は虎が好きだし、見ることによって癒されていたような気がした。
しかし、それは「タイガ」という偽の自分を繋ぎとめるだけの蝶つがいだと思うととても哀しかった。
「まぁ……アイツは自分を虎だと思い込んでいるようだが実際は猫だしな」
「!」
タイガにとって何よりもつらい言葉がボスの口から飛び出した。
本人が居ないだけに容赦なく、何気なく言ったのだろう。口調に悪びれた様子は無かった
「……ぼ、ボス……」
オオカミとは違う声に一同は心臓が飛び出る思いがした。一斉にオオカミ達が振り返ると入り口の所で呆然とした目のタイガが立っていた。
心なしか青い顔をしている……。
「た、タイガ……様……」
「あ、あの……今のはですね……」
オオカミ達が誤魔化そうと大きな声で騒ぎ始める。だがタイガは顔を背けて無言で走り去って行った。
「タイガ様!」
「待ってください!」
オオカミ達が後を追うとするのをボスが止めるが、オオカミは後を追いかけていった。
「(……オレは……オレは……)」
やみくもにタイガは走っていた。夜の景色が自分を追い抜いてずっと向こうへ飛んでいっているようだった。
もう何もかも忘れたいと思った。そんな時、ふと足を止めたのは、通天閣の近くだった。
誰もいないのは解っていたが一人本部で気を落ち着かせようと思った。
カンカンカンと階段を降りる音が響いてなんだかタイガの心にも響いていたかった。
「……タイガですか。またどうしました?」
玄関に鍵を掛けていたグリーン隊長にバッタリ出くわした。
さっきよりもなんだか落ち込んでいるタイガが気になったが早く帰りたい気分も手伝って聞くのを辞めた。
「……オレ、やっぱり今日はここで寝る」
「はぁ……?オバケでますよ?」
「別に良い……」
「女子隊員も居ませんよ?」
「良い……悪いことしないから……泊らせてくれ」
恐る恐るタイガにカギを渡すと不思議に思いながらもグリーンは転送装置で帰っていった。
タイガはうつむき加減のまま、タイガは一人本部の方へと入っていった。
「……」
本部内を進んでいくとじわじわと視界が潤んできていた。そのまま早足で歩いていくとバッタリ角の所で、
「……た、タイガくん?」
突然の事にビックリしているパープルが立っていた。
潤んだ瞳をゴシゴシこすって、パープルに悟られないように明るく笑ってみた。
「ちょ、ちょっとオオカミと喧嘩しちゃったから。今日はここに泊るんだ♪」
「そうなんだ……」
「パープルちゃんは?今日やっぱ泊るの?」
「ううんちょっと忘れ物しただけ。財布置いてきたままだったから」
「そう……」
しゅんとしたタイガを見てパープルも悪い気がしたのか財布を振ってなにやら考えていた。
小銭のジャラジャラした音が止まった頃、パープルはニコッと笑っていった。
「……泊ってあげようか?」
「え!ホント!?」
「タイガくん一人で泊らせたら何するか解らないから見張りってことで」
「そ、そんなぁ~……」
パープルは笑って部屋の方へと歩き始めた。
「さ、行こっか」
タイガも嬉しさを押し隠した顔をしてそのまま続いた。
パープルはそのままタイガをレッドの部屋へと通した。思わずタイガも固まる。
「……どしたの?」
不思議そうな顔をするパープル。そうだ。パープルはタイガの正体を知らないのだ……。
かと言って言うわけにも行かない。タイガは明るく顔だけで笑ってみた。
「う、ううん。何でもない♪」
「……あ、そう」

パープルは特に気にした感じもなく先に部屋の中へと入っていった。
タイガも続いて中に入る。まだタイガが使っていた様子が壁紙に薄く残る黄色から感じ取れる。
「ちょっと掃除してないからホコってると思うけどいいよね?」
「うん。泊れればいいから」
タイガはベッドの上に座ってみる。ここは定期的に干してくれていたのか余り汚くは無い。
「……レッドも早く帰ってくれればいいのに。敵に部屋取られてるなんて知ったらねー」
「そ…………そうだね」
ドキッとした瞬間に出た言葉がそれだけだった。なんだか心の中を見透かされたような気分になる。でも、パープルは本当のことを知らない……。
「……ねー。ぱ、パープルちゃん。今日ここで一緒に寝ようよ♪」
慌てて何か話題を見つけようと思い。タイガは自分の願望をポンと口に出してみた。
パープルが不審な目で見ているがとにかく自分に集中して真実から遠ざかりたかった。
「……」
「やらしいことしないからさー。お願いだよー。ね?」
「……12時までなら一緒に居てあげてもいいけど寝るのはダメ」
「ぅー」
それだけでもタイガにとっては十分だった。とりあえず悔しがったふりをしてみる。
でも、なんだか自分のはずなのに自分を偽っている感じがした。これが本当の自分なのだろうか。
「まぁまぁ、一緒に居てあげるって言うだけでもいい事だって思わなきゃ」
適当にパープルはクッションに座ってベッドに座ったタイガと向い合わせになった。
「……ど、ドキドキするね♪ 二人きりなんて」
「……」
「へ、変な事しないってばぁ~……」
「フフ。その顔はホントにしないっぽいね。うんうん。じゃぁ話そうか」
タイガもホッとしてベッドにも深く腰掛けていた。レッドだったからなのだろうか……やっぱりなんだか落ち着く。
「そうだ、タイガくん面白いのやってあげようか?」
「何々?」
一瞬アダルトな妄想を期待してしまうタイガ。
だがパープルの表情、場の雰囲気からそんなわけ無いかと自分で静かに突っ込みを入れた。
「○○度チェック!みたいな奴。ちょうどここに本あるから……えーと」
ベッドの下からうっすらとほこりのかぶった本の中からをパープルはそれを引っ張り出した。
パンパンと軽く叩いて開いてみると目次には様々なチェックが書かれていた。
「何にしようかなぁ……じゃぁ、ナルシスト度チェックにしよう」
「えー。オレ、ナルシストじゃないもん」
「とりあえずやってみようよ。まだ時間たっぷりあるし。暇つぶし暇つぶし」
タイガもだんだん哀しさが薄れてきたように感じた。
何でもいいから今は忘れて好きな人と楽しもうとタイガは思った。
「じゃぁ、今から質問にYESか、NOか、そんなやつおらんやろーで答えてね」
「OK♪」
パープルはページをめくると苦笑いをしながら質問を読み上げ始めた。
「1、自分は誰よりもカッコイイと思っている」
「YESかな」
やっぱりなぁと込上げる笑いを我慢しながら次々とパープルは読み続けた。
「2、ヘアースタイルのチェクは欠かさない」
「YES!」
「3、異性に声をかけられると自分に気があると思う」
「YES!」
「4、自分は写真写りがいいほうだ」
「YES!」
「5、一月にファッションに使う金額は万単位だ」
「YES!」
答えが全部、YESでほぼ100%確実なのにタイガは平然でいる。
「馬鹿な子ほど可愛い」と言うが、本当にこういう所が可愛い。
「ねー。結果どうなの?」
「100%だよ。典型的なナルシストです。うぬぼれすぎないように注意だって」
タイガはおかしいなぁーと首を傾げている。
首を傾げなくても大体わかりそうな物なのだが、そういう所が憎めないなぁとパープルは思った。
「じゃぁ、次は何にしようかな……あ、タイガくんにピッタリのあるよ」
「何?イケメンチェックとかー?」
「男のスケベ度チェック。一度自覚した方がいいんじゃないかな?」
「えー。オレそんなスケベじゃないのに~……」
むすーとした顔でタイガは呟く。
「じゃぁ、やってみようよ。結果が低かったら私謝ってあげるから」
「よ、よーし!パープルちゃんの男に対する偏見をここでなくしてやるぜー!」
結果が見えているのだが、タイガは頑なに自分が普通の少年と変わらないと思っている。
そんなちょっと抜けている所を見るのがやはり楽しみになるのだ。
小さな子供をちょっとからかって、その怒ったような不機嫌な仕草が母性本能をくすぐるような感じに似ている。
「じゃぁ、またYESか、NOか、あぁ……逆に?で答えてね」
「わかったー!」
「1、一日に見るHなビデオや写真集の鑑賞時間は合計10時間以上だ」
「YES!」
ワザとなのか恥かしげも無く即答するタイガ。
「2、女の子の裸などアダルトな妄想を連続1時間以上したことがある」
「YES!」
「3、女の子がもし裸で立っていたら何をするかわからないと思う」
「YES!」
「4、三度の飯よりアダルト物が好きだ」
「YES!YES!」
「5、っていうか一日中Hなことを何でもしていいと言われたら寝る間も惜しんでやると思う」
「もちろんYES!」
書かれた文字をなぞったようにタイガは笑顔で答える。笑いを通りこして変なため息をついてしまう。タイガは結果を待っている。
つい顔に笑いが出てしまった
「なんだよパープルちゃん。オレ、別に普通でしょー?」
「全然。スケベ度200% あなたはHな事ばかり考えているからバカです。だって」
「……パープルちゃん。いっちゃ悪いけどその本信用しない方がいいよ。明らかに結果がおかしいもん」
タイガが迷惑そうな顔で本を指差す。
「そうかなー?結構ピッタリあっていると思うけど」
「もういいよ。次の話しようよ」
ページをめくって他の面白そうなチェックを探していたパープルの手から本をパッと取って、
タイガはベッドの上に放り投げてパンパンと手を叩いた。
「さ、次次♪」
「次って言われても何はなせばいいか……」
タイガは少し腕を組んで考え始める。その様子を見ているだけでもなんだかパープルは飽きなかった。
というよりどこかでこんな仕草をする人を見たような気がして懐かしい気分になった
「んじゃぁねー。パープルちゃんってさー。虎って好きかなー?」
「虎?まぁ……カッコイイとは思うけど」
「だよねだよねーw虎ってカッコイイよねー!パープルちゃんもそうでしょー?」
すっかりタイガもパープルとの語り合いの中でさっきまでの落ち込んだ態度が吹っ飛んでしまった。
パープルもだんだん明るさを取り戻していくタイガに一安心。明日には元気にアジトへと帰っていくだろう。
「オレ虎大好きなんだー。オレ自分が虎でよかったなーって思って……」
さっきまで明るかったタイガの表情が急にパタッと消え失せた。
『自分は虎じゃない』一番思い出したくなかった事をつい自分で思い出してしまった。
「……どうかした?私なんか気に障る事した……?」
パープルが急に心配そうにタイガの顔を覗き込む。
「ううん!平気!なんでもないよ!」
タイガが作り笑いを浮かべたことはパープルにもわかっていた。
「そう。タイガくん虎凄い好きだもんねー。私も虎になったらタイガくんもっと好きになってくれるのかな」
「……?」
「確かこの辺に……」
パープルはそばの机の中をゴソゴソとかき回しながらマジックを取り出して、キャップを外した。
そしてペン先を自分の顔に当てて簡単にキュッキュッと虎柄を描いた顔をこちらに向けた。
「……変かな?」
「う、ううん……可愛いよ♪ でもマジックで書いちゃって平気なのー?」
「大丈夫大丈夫!水性だから」
パープルは再びクッションに腰を下ろす。タイガの鼓動が少しだけ高まる。
「……やっぱり可愛いなぁパープルちゃん♪そんな大胆な所も♪」
「元気になったね」
「え?」
「タイガくんにいつまでも暗いままここにいられても困るだけだし。元気になってくれないと」
パープルの顔を何故か見つめていられなくなって、ついタイガは視線を下げてしまった。
「にゃはーwパープルちゃんキツイなー♪」
何かが出そうな目をごしごしとこすってタイガは今出来る限りの笑顔をパープルに見せた。
「オレ虎だもん!パープルちゃんの優しさには参っちゃうな!可愛い子がみんな虎になったらいいのにな♪」
「それはちょっと難しいかもねぇ^^;」
「でもさー。オレやみんなが完全な虎になったら凄い嬉しいんだけどなー」
「虎になれば嬉しいとは限らないよ。タイガくん山月記って話知ってる?」
「さん……げつき?」
聞いたことの無い話だ。タイガの知っている物と言えば大半は後半が18禁になる物ばかり。
今まで見たAVにも、同人誌にも、そんな堅い名前が付いている物は無かった。
「……何それ?新しいAVのタイトルじゃない……よね」
「昔の小説。高校の教科書に良く使われているから隊員の中にも知ってる人がいると思うけど知らない?」
「……うん」
李徴という男の人がいてね。
李徴は若くして科挙っていう物凄く難しいの試験に合格した秀才だったの。でも、李徴自負心の強い男で、平凡な官吏の仕事を好まず退職して、
自分は詩人として名をあげようとしたの。だけど、結局失敗して、ある夜発狂して出勤の宿から逃げ出してついに行方不明になったの。
それからどれくらいか経って、李徴の親友は高官っていう偉い地位の人になってたの。
その親友が用事で人食い虎が出るって言う道を家来たちと歩いていたらその人食い虎にあって。
所が、その虎は茂みに隠れてね。その茂みから声が聞こえて、その声が李徴のものと解った訳。
「君は私の親友の李徴じゃないか?」と親友が聞くと茂みの中から「いかにも私は李徴である」と返事が帰って来たの。
そして李徴の話を聞いていると、李徴は走っているうちにいつの間にか毛が生えて、
四つんばいで走っていて……虎になってしまっていたらしいことが解ったの。
李徴は時々自分がなくなるときがあるの。つまり自分が虎の意識になっている時間ね。
だんだん自分の意識を持っている時間がなくなってきていて、李徴は自分が無くなることを恐れ始めたの。
「……羨ましいなぁ」
タイガが本当に羨ましそうに話を聞いていた。
「まだ先があるから」
パープルは再び話し始めた。
そして、李徴は虎になってやっと自分がいままでやってきた事を後悔し、悔やむの。
李徴は詩に対する自意識が心中の虎となり、次いで身体も虎に変わったと思ったの。だけどもう元の人間には戻る事ができないことがわかっている李徴は、
自分の作った詩を後世に残す事と、家族に「自分は死んだ」と伝えてほしい事を頼むの。
そして、もし親友が帰りにこの道を通った時、自分は完全な虎になっていて、
親友を襲うかもしれないから先にある丘の上で自分の醜い姿を見てほしい。そうすれば二度とこの道に通ろうとは思いたくなくなるだろうとお願いするの。
涙ながらに親友は丘の上に辿り着くと茂みの中から一匹の虎が飛び出して、何回か吠えて再び茂みに戻ってそれ以来李徴は姿を現さなくなったの。
「ね。虎になっても良い事ばかりじゃない時があるわけ」
話し終えてタイガを見てみるがどうもタイガはこの話を
「完全な虎になった羨ましい人がいる話」としか捕らえていないようで、しきりに「いいなぁ。いいなぁ」と呟いていた。
「もぉ……せっかく話してあげたのに。自分が自分じゃなくなるって怖いんだから」
「……オレは……自分じゃなくなっても良いから完全な虎になってみたいな……」
タイガの顔は、妙に真実味を帯びていた。なんだか嫌な予感がしてパープルは別な話題を降ることにした。
「次、何はなす?もっと突っ込んだ話でもいいから」
パープルの言葉にタイガはパッと態度が変わってニヤニヤし始めた。
「……じゃぁねー♪パープルちゃん好きな人とかいたりするー?」
「タイガくんかな」
すぐさまパープルは答えた。
「えー!?ホントー!?」
「嘘」
思わずタイガはずっこけてしまった。
「……でも、あんまり好みの子いないし……やっぱタイガくんでいいかも」
「やっぱー?ホントは他に好きな子いるんじゃないのー?れ、レッドとかさー」
冗談交じりに、つい言ってしまった。自分もドキドキしていってしまった。
しかし、パープルは黙ったまま右下の何もない空間を見ていた。
「……まさか」
「ううん。好きとか嫌いとかじゃなくて……心配なだけ」
「心配?」
「……全然連絡よこさないで……何やってるんだろうねホント」
タイガは何も返す言葉が無かった。もしかしたらパープルは……。
「……ね。レッドってどんな奴?オレよりカッコイイ?」
「タイガくんより?全然。むしろ普通かな」
「オレちょっと似てる?」
「……んーとね。背丈は同じくらいかな。あとちょっとワガママな所とかも」
「…………ふーん」
パープルは懐かしそうな顔をしてベッドの脇に置かれてあった帽子を見た。その瞳はタイガ自身も辛いからなのか潤んでいるように見えた。
「……ホント。何処行ってんだろ……心配してやってんのになぁ」
「……」
タイガは帽子とペンダントを掴んでそれを付けてみた。
「オレが……レッドだったらどうする……?」
「え……?」
自分でもこんな危ない事をするのが不思議だった。でも、『アイツ』の事を一番知っているパープルに……聞いてみたかった。
「……許せないなぁ。敵になってたら」
パープルは笑って言う。でもタイガは真剣な顔をしていた。
「他の女の子の事ばっかり追い回してそんなチャラチャラした奴だったんだって軽蔑する」
「……そう」
「嘘嘘(笑)元気でやってくれてたらそれでいいよ」
何度も見たパープルの微笑。やっぱり辛かった。
さっきから変な方向にばかり考えている。確かめたかったり忘れたかったり。もし、あの話を聞かなければどんなに今の状況を自分は喜んだだろう……。
「……オレ、レッドだよ。ぱ、パープル……」
自分でもどうすればいいのかわからなくなって、タイガはそう言った。
……でも、やっぱりパープルの表情は変わらなかった。
「……ありがとタイガくん。元気出るよ。そう言ってくれるとレッドに言われたみたいで」
「……うん」
タイガのほうもやっぱりこれ以上いえなかった。これ以上言うともう自分が自分でなくなってしまいそうだった。
「……パープルちゃん。もう寝てもいいかな?」
「え、でも……まだ10時も来てないし……」
「……ごめん。オレやっぱり気分が優れなくて……」
「そう。じゃぁ、何かあったら私部屋にいるから呼んでね」
「うん。ありがと……」
パープルが部屋から出て行くところまでを見ずタイガは布団に潜り込んだ。
泣きたかったのに涙は出なかった。
『自分を虎だと思い込んでいるようだが実際は猫だしな』
───言葉の針が再びタイガの心の中に顔を出した。
自分が持っていたプライドはもう『すべて嘘だった』という言葉以外は戻らない。
ほんとは猫。ほんとはレッド。ほんとはパープルの心はタイガではなく──。
「……違う……違う……」
タイガの頭の中で黒い雲がぐるぐると渦巻いている。その雲をかき消そうと思えば思うほどさらに雲は多くなってくる……。
その雲からは哀しい雨が降り注ぐ。
『こちらの仲間になっているんだからな』
『長期間は洗脳状態が続かない』
『自然と虎関係の物を好むように細工したというわけさ』
『タイガはレッドだ……』
「違う!!オレはレッドじゃない!!オレは……オレはタイガだ!!」
布団の中で頭を抱えてタイガは叫んだ。何度も叫んだ。
しかし、叫べば叫ぶほど……『こう思い込んでいるだけなのだ』なんて深層心理がタイガに語りかけてくる。
そんな時、フッとタイガはさっきのパープルの話を聞いたときを思いだした。
自分が完全な虎になれば……自分が自分でなくなってしまえば……そんなことだけがタイガの頭を埋め尽くした。
「……オレは……」
タイガはそっと立ち上がって部屋を出た。正しく言うと自然と足が動いた。
何度も考えているうちに何かいつもとは違った感情がタイガの中にふっと現れたようだった。
「……オレは虎だ……オレは猫なんかじゃない……」
ブツブツと自分でも何を言っているのかが解らなかった。
だんだん意識が遠のいていく……。自分が無くなるとはこんな感じなのか……。
「オレは……虎だ……虎……オレはタイガ……倒す……」
「……ボス……タイガ様はみつかりませんでした……」
ボスの制止を振り切ってタイガを追ったオオカミ達がこの時間になってぽつぽつと戻り始めた。
ボスは腰に深く腰を降ろして黙って彼らの帰りを待っていた。
「……まずいな……このままでは……」
「そうですね……。タイガ様プライドが高いから……きっといじけてますよ」
「……いや、そういう意味じゃない。ヤツの生死に関わる問題だ」
「せ、生死……!?そんな、いくらなんでもタイガ様が自殺するわけが……」
「……違うといっているだろう……研究員。こいつ等に話してやってくれ」
事態を良く飲み込めてないオオカミ達の前に研究員はホワイトボードを用意した。そこにはなにやら変な図形がたくさん描かれている。
「……タイガ様には虎のDNAを注入したが……その影響が強い為に感情が高ぶると覚醒してしまう」
「……あぁ、それは知ってるが……」
「だが、影響が強い為にタイガ様の中のDNAは次第に別な自我を持つようになることが解ったんだ」
「???」
研究員はサングラスをカチャっと上げて続けた。
「……つまり、タイガ様の覚醒状態と通常の状態が二つに、二重人格のようになるわけだ」
「そしてそのどちらかの自我はやはり片方の自我よりも自分が前に出ようとする……今は覚醒状態の自我が強くなってきている」
「ここ最近のタイガ様の模様の変化や覚醒の乱発も覚醒を繰り返す事によってDNAの影響力が強大になった為だ」
「しかし、元々タイガ様の体は1から作ったホラン様と違ってあまり虎のDNAに対応していない」
「覚醒して完全な野生が目覚めてしまえばタイガ様にとって大きな負担となり……終いには……」
研究員の声が小さく消えていく。続きは聞かなくても良い。
「……その為に早くタイガ様を見つけて虎のDNAを摘出しなければならない」
「タイガ様が帰ってきたら上手いことを言って摘出するつもりだったのだが……」
ボスはザコオオカミ達に小さな探知機を手渡し始めた。小さな液晶画面には黄色い点が点滅しているが時々消えたりと少々不安定。
「……次に覚醒してしまえば危険だ。その探知機でタイガが見つかるはずだ」
「……もしタイガ様が覚醒してしまっていればどうなるのですか……?」
「解らん。だが、どう猛な虎を何百匹も街に放したらどうなるか……と言えば大体は解るはずだ」
「!」
「…………急げ。俺もすぐここを出る」
タイガは複雑に入り組んだ路地の中を歩いていた。
だんだん体中が熱くなってきたことだけタイガには解った。
こんな胸が熱いような気持ちになったのは初めてだった。覚醒する時はもっとスイッチが急に入ったようなのに……。
「……オレ……は……」
ガクッとタイガは地面に手を付いてしまった。舗装された小汚い地面はひやりとしていた。
──立てない。四つん這いの姿勢になったままタイガの動きは止まってしまった。
何か頭の中がぐるぐる回る。そこへ急にパッと何かが細い糸が切れたような気がした。
……その瞬間タイガの意識は途切れてしまった。
「ガァァ……」
だが、タイガは顔をあげて空を見上げた。
その顔にはタイガの面影は無くただ怒り狂った猛獣のような表情がそこにあった。
「ガァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
再びタイガが吠えた。その咆哮はまさに怒り狂う獣のようだった。