第62話
『時をかけるタイガ』
(挿絵:クリーム隊員)
──愛はいつも時をかける。それが悲しい愛であったとしても……
その日は休日だったが日差しが強く、夏が近づいているのが感じられた。
暑さを少しでも防ぐ為にこの公園の木々の下や噴水の周りは人で賑わっていた。
人気の無い木陰はその賑わっている木々よりも後ろに引っ込んでいた。
静かで、雑踏は遠く、木々の葉がかすれあう音と似ている。
こんな所で横になったら最高だとタイガは思った。
寝っ転がって上を見上げると風に揺れる葉の隙間から見える光が星空のように瞬いて見えた。
「……気持ちいい…な……」
なんだか懐かしい気分がタイガの中を一陣の風のように通り抜けた。
だがそれが何かと言うことまではタイガは思い出せなかった。
気がつけばタイガの瞳は木々の星空を眺めながら閉じていった。
「タイガ様、タイガ様。起きてください」
オオカミに起こされ、オオカミ軍団ボス代理、タイガは目を覚ました。
「ん?どうしたんだ?朝飯か?」
「違います!今日はアジトの大掃除の日ではありませんかっ!早く起きてください」
「むー…そうか」
のそのそとタイガが起き上がるとオオカミは急いでタイガのベッドのシーツを取り払い、
汚れを払うと洗濯カゴに入れた。枕やかけ布団はくるくると束にして肩に乗せて部屋を出て行く。
「……忙しい奴らだなぁ……」
まだ眠い目をこすりながらタイガはクローゼットを開け、鏡を見る。
相変わらずのカッコよさに自分で感心しながら蝶ネクタイを手に取り首元に当てる。
「んー。今日はやっぱりこれかなぁ♪クールな感じでいいかも♪」
ネクタイ選びも決定した辺りでタイガの部屋をノックする音が聞こえる。
「あの、入ってもいいかな……?」
「あ、リリーか?いいよいいよ。入れよ」
ドアを開けてリリーが入ってくる。彼女は、タイガが連れて来て同棲のような形を取っている。
タイガも彼女に優しくし、彼女もタイガに好意を持っている。
リリーはいつもの格好と違って今日はエプロンのような大掃除っぽい格好をしている。
「タイガくん。今日、大掃除だからオオカミのみなさんが呼んで来いって……」
「えーめんどくせー!!なんでボス代理のオレ様が掃除なんか!」
「そんな事言わないで、やりましょ……ね?」
タイガの手を取ってニコッと笑ったリリーの顔にしぶしぶタイガは部屋を後にし、
オオカミの集まる広間へと向かっていった。
自慢の毛並みがホコリまみれになるのは嫌だったがあの笑顔を見ると嫌とはいえない。
「おぉ!タイガ様!いらっしゃいませ!良く来てくださいましたね」
広間に来るとオオカミたちから褒められて何だかタイガは複雑な気分だった。
「で?オレは何処を掃除すればいいんだ?」
「あ、タイガ様はボス代理ですからね。えーと……トイレはどうです?」
「何でこのカッコイイオレ様がトイレなんか掃除しなきゃいけねーんだよっ!!」

「うーん…そ、そうですね……では……あ、研究室はどうですか?」
「研究室……?」
タイガの脳裏には研究員たちが狭い部屋で風呂も入らずに研究に明け暮れる、むさ苦しいイメージが過ぎった。
「……あそこは結構汚れてないんですよ。メカはホコリに弱いですから」
「お、そうなのか?じゃぁ、そこにするかな」
「じゃぁ、リリーと一緒にお願いしますよ。我々が汚いところをやっておきますから」
「おー」
タイガとリリーはその足で地下の研究室へと向かっていった。
途中リリーが掃除用具を忘れて引き返してしまったため一人でタイガは研究室へと向かった。
「おーい、オオカミ!このオレ様がわざわざここを掃除しに来てやったぞ」
「あ、ご苦労様です。タイガ様」
「じゃぁ俺たちは倉庫の方を整理しますからタイガ様は実験室の方をお願いします」
研究員たちは助かったという顔をしてタイガに実験室の鍵の束を渡した。
「その実験室ってのは汚いのか?」
「まさか、タイガ様にそんなところ掃除させたら後でどうなるか…ホウキでゴミを掃くぐらいでいいですよ」
「そっかそっか♪じゃぁ、いってくる」
「あ、危険な薬品もありますから棚には触れないようにお願いしますよ」
「わーってるよ……」
研究室の中でも一番奥の方にある実験室は有機物関連の物を作るための部屋である。
タイガやホランの原型はここで生まれた。いわば生まれ故郷と言っても過言ではない場所だ。
そんな事をタイガは忘れていて、今はただ早く終わらせる事だけを考えている。
最近は、機械を作っている為にここは使われておらずノブの上にうっすらとホコリが溜まっている。
「……ホントに汚くないんだろうな……」
恐る恐るタイガが鍵を開け中に入るとじめっとした空気がタイガの頬を触った。
薬品特有の匂いがかすかにし、薄暗く少しホコリっぽい。
だが、それなりに綺麗にはしてあるようで机や椅子にホコリが溜まっているぐらいだった。
「……ま。これくらいなら簡単かな」
リリーが掃除道具を持ってくるまで椅子に座って待とうとした時だった。
ガチャン!と何かガラスが割れる音が部屋の奥から聞こえた。
「!?……だ、だれかいるのか?オオカミか?」
薄暗い部屋のために奥はよく見えず恐る恐るタイガは奥へと進んでいった。
すると部屋の奥には第2実験室と言うプレートの張られたドアが少しだけ開いた状態であったのを見つけた。
どうやら誰かが居るのは間違いないらしい……。
「誰だ!?誰なんだ!?お、オレを見張るつもりなのか?」
中からは返事が聞こえない。タイガはグッとノブを握って思い切りドアを開けた。
「……………」
中には誰も居なかった。この部屋はわりと狭く薬品棚ばかりが置かれている部屋だった。
その棚の中央に学校の理科室にあるような机とその上の小さな電気スタンド。
床には割れたフラスコから白い煙が立ち上っておりどうやらあの音の原因はこれだったようだ。
「お……おい!そ、そこに隠れてるのは解っているんだぞ……ぞ!!」
憶測でタイガはそう叫ぶと机の下を除いてみるが折りたたみ式の椅子が一つ収納されているだけ。
他に隠れられそうな所は無い。まさかあれは幽霊だったのかとタイガの背筋は冷たくなる。
と、その時タイガは部屋に甘い香りが立ち込めているのに気がついた。
「(……なんだこの匂い……どっかで……)」
気分が悪くなるほどではない心地よい甘い香り。タイガはその匂いに覚えがあった。
だが、どこでその匂いと出会ったのか。タイガは思い出せなかった。
いや、思い出そうとする事ができなかった。タイガの意識が薄らいでいったのだ。
その甘い匂いに包まれタイガはふらっとよろめき床に倒れてしまい、そこで意識は無くなったのだ。
「ん………あ、あれ?………お、オレ……」
「お目覚めですか?タイガ様」
ベッドの上でタイガが目覚めるとこちらの顔を覗き込むようにしてオオカミたちが立っていた。
横を向くとリリーが心配そうにこちらを見つめている。
「……多分、貧血ですね。第2実験室で倒れていたんですよ」
「貧血?ち、違う…オレ、その部屋で……」
タイガはあの部屋での出来事をオオカミたちに話した。
「まさか。我々研究員は全員、倉庫に居ましたよ」
「じゃぁ、他のオオカミは……」
「第一、鍵が掛かっているんですよ?どうやって入るんですか?あの部屋を使ったのは、
今から半年以上前です。半年以上前からオオカミが入っていたなんて事はありえませんよ」
研究員たちは笑っていた。
「で、でもオレ見たんだぞ!あのガラスの奴だってそいつが割ったんだ」
「しかし、我々がタイガ様を見つけたときはそんな物ありませんでしたよ?」
「え……?」
「私も、オオカミと一緒にタイガくんを発見したけど……何もなかったよ」
「……そ、そんなぁ……」
タイガはあの出来事が夢だったのかと思った。だが、あの甘い匂いは今でも覚えている。
ベッドから起き上がると、タイガはよろよろと歩き出した。
「タイガ様!まだふらふらしてるじゃないですか!」
「我々がもう一度実験室を調べてみますから、今は安静にしていてください」
研究員たちがタイガをベッドに戻そうと腕をつかむ。タイガは腕を掴んでいる研究員をぶん殴った。
「オレは……トイレに行くんだよっ!!」
「はぁ~……」
朝からすっかりトイレに行くのを忘れていたせいかずいぶんと気持ちがよかった。
用を足し終え、水を流そうとしたときだった。タイガの鼻にあの甘い匂いがかすった。
「!」
辺りを見回してみるがあのフラスコなどはなく、煙も立ち込めていない。
恐る恐る、辺りを匂ってみるとどうやらそれは手洗い場の鏡の前に置かれている芳香剤からだった。
「……ラベンダー?」
芳香剤のパッケージには、そう書かれていた。
タイガはいつもこのトイレでこの匂いを嗅いだ事があったのだった。
それがラベンダーとは知らずに。
「ラベンダーですか?えぇ、確か棚の中に数種類の花の香料を入れていましたが」
トイレから出るとタイガは研究員の腕を掴んで実験室へと連れて行き、あの匂いのことを話した。
「しかし、タイガ様を見つけたときラベンダーのにおいなんてしませんでしたよ?」
「ここだ!ここにあったんだ!ガラスの奴が!あの振る奴!」
「フラスコですか?ですからなかったですよ。全く」
床に這いつくばって目を凝らして見ても確かにガラスの破片すら見つからなかった。
タイガはなんだか頭が混乱してまた倒れてしまいそうになっていた。
「……きっと掃除をやった事が無いタイガ様が掃除をやったから体が拒否反応を起こしたんでしょう」
「し、失礼な事を言うなっ!」
「幻覚、幻嗅も多分掃除をするという物凄いストレスによって引き起こされたんですよ」
「……ぜ、絶対あったんだ……オレ見たんだ……」
タイガの消え入りそうな声での反論は研究員には聞こえなかった。
そのままオオカミたちは自分たちの活動へと戻っていった。
「タイガ君……。さ、行こう」
リリーがタイガの手を掴んで実験室を後にした。
あれから数日経ってもまだタイガはあの出来事を不思議に思っていた。
それに、なんだか体が宙に浮いたようなふわふわした感覚があれ以来ずっとあった。
あの変なラベンダーの匂いの変な薬のせいでこんな事になったんだとタイガは確信していた。
「……えぇと、オレがドアを開けたら誰も居なくて……そんで…にゃ……にゃぁ??」
一体、誰があそこに居たのか考えてみるが、タイガの少ない脳みそで結論が出るはずも無かった。
タイガはのイライラは頂点に達し、気晴らしにOFFレン本部に行こうと思い立った。
いつまで考えていても仕方が無い。この変な感覚もじきに治っていくだろうとタイガは思った。
「おーっす!」
「まーた来ましたね……」
OFFレン本部に来るなりげんなりした顔のグリーンがタイガを出迎える。
「今日は何やってるんだ?オレも混ぜろ」
「部屋の整理です」
何だか嫌な気分になった。こうも偶然が重なると自分のタイミングが嫌になりそうだった。

「手伝ってくれるんならいてもいいですが…どうしますか?」
グリーンが冷たい目でタイガに言う。タイガは、なんとか回避する方法を考えた。
ハッとタイガの少ない脳みそがフル回転し1つの良い答えがひらめいた
タイガはソファに座ってTVを付けた。
「よし!オレはお前の代わりにテレビを見ててやるぜ」
「…………」
グリーンはためいき1つもせずに黙々と部屋の整理を始めた。
一通り不用品をダンボールに詰め、脚立に乗り、棚の上にダンボールを置き始めた。
他の隊員は辺りには全く見えず自分の部屋を整理しているか、サボっているかなのだろう。
「ふぅ……あと一個ですねー」
グリーンが最期のダンボールを持って脚立を昇ったときだった。
ガタガタと何かが揺れる音がした。それは次第に大きくなっていくのが解る。
「じ、地震だぁーー!!」
タイガは慌てて、ソファにあった小さなまくらを頭に被りながら机の下へと逃げ込んだ。
怖くて震えていたタイガだったが、じきに揺れは収まった。大した事はなかった様だ。
おそるおそるタイガは机から出て辺りを見回すとグリーンが居ない。
「あっ!」
脚立から落ちてグリーンは気を失っていた。何故解ったかと言うと
目がうずまきになっているから気を失っているに違いないとタイガは思ったのだ。
「すごい音がしましたけど大丈夫ですか!?」
「あぁっ!隊長が!!」
トランプで遊んでいたのかトランプを持ったままぞろぞろと隊員たちが部屋に駆け込む。
グリーンは脚立から落ちた後上に置いたダンボールが次々と頭に直撃したらしかった。
「ぐ、グリーン!しっかりしてくださいっ!」
「う、うーん……」
ぐるぐる目玉のグリーンを隊員たちがゆさぶるとグリーンはふらふらと立ち上がり、いきなりタイガに抱きついた
「愛してるよタイガ~」
「ぎゃー!やめろっ!!」
タイガがグリーンを突き飛ばすとグリーンはソファの向こうへと吹っ飛んだ。
再びグリーンは立ち上がりTVに向かって怒鳴り始めた。
「コラッ!そんな無愛想な顔して……表に出ろこの野郎!!」
隊長の様子がおかしい事に気づかない者は誰も居なかった。
あきらかに頭を打ったショックでおかしくなっているのだ。
「た、隊長!しっかり!気を確かに持ってください」
「フフフ……そうですかここがあのアンコールワットなんですね」
「あわわ……こりゃ重症っすねー」
「よし!オレに任せろ!」
タイガはグリーンの頭に思い切りゲンコツを食らわせた。
「むにゅ」
変な声をあげてグリーンはバタリと倒れた。
変な感触があったが、まさか頭蓋骨を陥没させてないだろうか心配になった。
「た、たいちょ~~!!!!」
「タイガくん!あなたねぇ、一般人の何十倍も力が強いんですから手加減してくださいよ」
「ショックを与えたらまた直るかなって思って……」
グリーンはぽかんとだらしなく口を開けて焦点の会ってない目で天井を見ていた。
「こりゃどっかの骨砕いちゃったんじゃないの?」
「かもね♪」
「かもねじゃないだろ!!どうするんだよ!!」
タイガを見る隊員の顔が強張って行く。隊員はどうやら本気で怒っているようである。
「捕まえろー!!」
わっと隊員がタイガに飛びつき毛を引っ張るわ顔を殴るは酷い目に合わせられる、
タイガは抵抗しようにもさすがに人海戦術には勝てるはずもなかった。
「(あぁ…おとなしく寝とけばよかったな……)」
ふと、タイガの脳裏にそんな思いがよぎった瞬間。なんだか視界が一気にぼやけた。
意識が飛んだのだとタイガは思った。ついに気絶したのか、それとも覚醒したのか……。
『ジリリリリリリリリリリリ!!!!!』
突然のベルの音にタイガは目を覚ました。
気がつくとタイガはベッドにいた。さっきまで寝ていたかのようだった。
「夢……なのか?」
体にはまだあの変な感覚がまだ残っていた。
タイガはベッドから降りると、蝶ネクタイをセットし、部屋を飛び出した。
ちょうど、部屋に出てすぐオオカミに会った。タイガはオオカミのお腹を思い切り殴った。
「グェッ!!な……なにを急に……」
「(うん…現実だな)」
タイガにはこれが殴られた為に気絶した時に見ている夢ではないと言う事が解った。
ということはやけにリアルな夢を見てしまったものだとタイガはゾッとした。
「あ、タイガくん。おはよう」
「あ、おはよ」
リリーもいつも通りだった。だが、タイガが少し不思議に思ったのはこれからだった。
「朝ごはん食べる?今日はタイガくんの好きなマグロの刺身買ってきてるらしいよ」
「!!」
タイガは夢の中でも同じマグロの刺身を食べていたのだ。
貧乏なオオカミ軍団はめったに刺身を買えないのだが……偶然か正夢なのか。
「どしたの?嬉しくないの?」
「う、嬉しいよ!!とっても!! じゃ、行こうか!」
タイガはリリーの手を握った。
リリーの少し照れたような顔にタイガはなんだか胸がチクチクした。
彼女が捨てられていた所を拾って育てたと言うのもあり、タイガはリリーを密かに想っていた。
「……ゲプ」
いっぱい朝ごはんを食べてタイガは一服していた。
だが、既に時間は昼の2時。タイガにとっては遊ぶ時間だ。しかし、相手が居ない。
「よし、OFFレンのところにでも行くかな」
ハッとタイガはそう言い終えた所で気がついた。なんだか夢のままになっている気がする。
しかし、夢だ。きっと夢だと思いながらそれを自分で確認する為にタイガは本部へ行った。
「おーっす!」
「まーた来ましたね……」
夢の通りの返答をするグリーン。だが、これくらいは同じでも不思議ではない。
しかし、グリーンは足元に置かれている多数の本や書類をダンボールに詰めていた。
「……な、何やってるんだ?」
「部屋の整理です」
ここまで来てもタイガはまだこれが夢の中で体験した状況だと考えようとしなかった。
そんな馬鹿なことが怒るもんかと半分、意地になっていた。
「手伝ってくれるんならいてもいいですが…どうしますか?」
脚立を出しながらグリーンはタイガを冷たい目で見る。
ここまで来るとタイガの心にもやっぱり疑いの目が出始めた。
もし、夢どおりのままになったら…タイガは……。
「お、オレ、用事思い出したからか、帰る!」
タイガは慌てて出ようとしたときに段ボール箱を2つ蹴飛ばしてしまった。
「あぁっ!やってくれましたね!」
「わ、悪い!!と、とにかくオレ帰る!!」
脱兎の勢いで逃げるタイガ。
慌ててアジトに帰り自分の部屋に逃げ込み、ベッドの上に飛び乗った。
静かだった。夢どおりなら地震が起こるはずだ。
「タイガくん……?」
ドアの向こうからリリーの声が聞こえる。
「凄い音がしたから帰ってきたのかなと思って……入っていい?」
「あ、うん。入れよ」
リリーはタイガの横に座った。タイガは彼女にあの出来事を言うべきかどうか迷った。
だが、もし今すぐにでも地震が起こったらこのありえない出来事を信じてもらえるかもしれない。
タイガは決心した。
「オレが今から言う事……変だと思うなよ……?」
「?」
リリーは不思議そうな顔をしてタイガを見ていた。
「お、オレ……時間移動が出来るらしい」
「時間移動?」
「うん……」
リリーの顔は困惑もしていれば驚きもしていなかった。
「……なんとも思わないのか?」
「だって、そんなのホントかどうかなんて私には解らないじゃない?」
「……オレ、今日が2回目なんだ。今は既にオレが経験しているんだ」
「まさか」
「ホント……だと思う。もし、ホントならこの後地震が起こるはずだ」
リリーが苦笑いを浮かべている。当然だ。タイガだって簡単には信じない。
だがそのときだった。部屋が徐々に揺れ始めた。
「キャ!」
突然の地震に慌てて非難しようとしたリリーは足元がふらつき床に転んだ。
タイガは既に解っていた為か思ったより冷静になって、彼女の手を掴んで机の下へと隠れた。
ちょうど、男が女を抱き寄せるような体制になっていた。
「もうじき……やむと思うぞ」
「う、うん……。………ホントだったんだね」
「信じてくれるか?」
「う、うん……」
地震も止み、二人は無言で机の下から出てきた。
「……不思議」
「オレだってずっとそう思ってるよ……」
「どうしたら……」
「オオカミに相談してみようかな。でもアイツら馬鹿だから研究員に」
リリーが頷くのを見ると、タイガはリリーの手を取って急いで部屋を出た。
「ふむ、それが本当だとしたらタイガ様はテレポートとタイムリープを併用したと…」
さすが研究員だけあってタイガらの話にはすんなりと信じてくれた。
「た、たいむ……??……へんな言葉使うなっ!簡単に言え!!」
「つまり、時間を移動できる能力と体を別な場所に移動させる能力の事です」
「……よ、良くわかんねぇな……」
「しかし、タイガ様に何故急にそんな能力が……」
「……オレ、あの日からなんか変なんだ。アレじゃないかと思う」
「あれ?」
「実験室の。ラベンダーの香りのやつだよ」
タイガはこの推理に自信を持っていた。
あの日あの場所であの時、タイガはあの薬のせいで何かがおかしくなったのだ。
「しかし、タイガ様は凄い能力を持っているのですよ。これを作戦に使うとか……」
「でもさ、同じ日繰り返すとかなんかめんどくさいじゃん。オレ、毎日好きなように過ごしてるけど……なんかやり直すとか先に行くってうーん…」
「ま、言いたい事はなんとなくですが解りますよ」
「あの変な薬を作ったアイツさえいればこの変な能力を消す方法も知ってると思うんだけどな…」
「ならば……。タイムリープを使うしかないですね」
「たい、たい……なんだ?それは」
タイガの舌は上手く発音できないのか絡まってしまっていた。
「…ようするにその実験室の日に戻るんです。そしてその目で確かめるんです」
「……あ!なるほどなそういうことか……」
「で、でもどうやって?」
「簡単です。タイガ様があの日に戻りたいと心から思えば多分上手くいくでしょう」
「うーん……でもそんな事言ったってどうやるんだ?」
オオカミは机の上に積み上げられた書類の束の中から一冊のアダルト雑誌を取り出した。
「これをご覧ください」
「あ?なんだ?」
オオカミが雑誌の中のプレゼントコーナーのページを開いてタイガに見せた。
そこには『全員プレゼント!過去の傑作AV名場面ビデオvol.1~5セット』と書かれている。
「あっ!!これオレが欲しかった奴だ」
「通常価格の3分の1で購入できるんですよ。この専用ハガキを使うと」
「おぉ、そ、それよこせ!」
「残念ですが締め切りは終わっちゃってます」
「何~!!」
「しか~し……」
オオカミは人差し指を立ててそれをタイガの目の前に持ってきた。
「あの日に戻って急いでハガキを書けば間に合いますよ」
その瞬間。タイガは心の奥底、いや体があの日に戻る事を望み始めた。
もはやタイガの中にはあの日に戻る事、そしてAVをゲットする事。この2つだけが渦巻いていた。
タイガの体は徐々に黄色い光を放ち始め、そのままスーッと消えていった。
「意外と早く解決するんだ……」
「……タイガ様ほど単純なお方も居ないからな」
研究員はリリーに向かってウィンクした。
気がつくとタイガは研究室に立っていた。
目の前にはAVを見ながらワイワイ盛り上がっている研究員。その一人がタイガに気づく。
「わっ!た、タイガ様!!どこからやって来たんですか!?」
「こ、このビデオはたまたま見つけたものです!!これぐらいしか楽しみが無いんです!」
「ぼぼぼぼぼぼ……没収だけはご勘弁を!!」
ちょっとムッとしたがどうせビデオが手に入るんだから無視してタイガは実験室へと入っていった。
研究員たちは『???』といった様子でタイガを見つめていた。
「あ、そこは何年も前から使ってなくて……危険な薬品がありますから行かない方が」
「いいから入らせろ。むー?鍵かかってるなぁ………」
「入ってどうするんですか!そこには他のAVなんてないですよ!」
「そそそ、そうです!!そんなところにあるわけが!!」
研究員たちがタイガの足にしがみ付いて、少しでも実験室から離れさせようとする。
「ウガー!!オレはこの中に入らなきゃいけねーんだよー!!」
「わかりました!AVならあげますから!このAVあげますからぁぁぁ!!!」
「はなせぇぇぇ!!!」
タイガとオオカミのバトルが続いている最中に研究室にザコオオカミたちがゾロゾロと駆け込んできた。
「タイガ様!こんな所にいたんですか!」
「急に消えちゃったからビックリしましたよ」
「早くお給料ください!」
オオカミたちの手がいっせいにタイガに伸びてくる。
そう言えば給料の支払いはあの出来事があった前の日の晩だった。
と言うことは一日前にタイムスリップした事になる。
「あー!!うるせーーー!!!」
タイガが叫んだ後、急にあたりが静かになった。
オオカミが黙ったわけではない。周りにオオカミがいないのだ。
いつの間にかタイガは自分の部屋でパソコンを開いてアダルトサイトにアクセスしていた。
「にゃ……ぁ………?」
どうやらまた時間移動してしまったらしい。
辺りがしんとしていることからだいぶ深夜なのだろう。
となると、あれから何時間移動した事になるのか。それともさらに戻ったのか……
コンコン。
何だか頭がこんがらがってきたタイガの耳にドアをノックする音が聞こえた。
お、おぅと戸惑った返事をするとそっとドアを開けてリリーが入ってきた。
「どうしたんだ?」
「うん。オオカミの給料が少ないって騒いでいたらタイガ君消えちゃったから……」
そういえばあの日の給料の支払い後オオカミに散々言われていたのを思い出した。
となると、タイガが時間移動すると元からその時間に居るタイガは消えると言う事なのか。
「お、オレ……どうしたんだろうな?にゃははーw」
「うん、いるって解ったならいいんだけど……じゃぁ……」
「も、もう帰るのか?せっかくだからゆっくりして行けよ」
「う、うん……」
リリーをベッドに座らせてタイガは床に散らばっているアダルト雑誌をどけた。
どけた時、ちょっと前にオオカミから取り上げたクッキー缶を見つけた。
「お、これでも食えよ。この真ん中が赤いのがオレ一番好き♪」
「ありがと。タイガくん優しいね」
「にゃはーw だってお前の育ての親みたいなもんだからな。おいしいか?」
「…………うん。とっても」

リリーのニコッとした顔にちょっと恥ずかしくなってタイガは頬をポリポリとかいた。
ホランじゃあるまいし変に照れるのがこれまたタイガには恥ずかしかった。
「オレはお前が好きだぞ。可愛いし性格も優しいし……その……」
「それってプロポーズ?」
「にゃ、にゃははーwなんでも無い!オレ、寝るな……」
「うん、わかったおやすみー」
リリーが出て行ったのを見届けてタイガはパソコンを切ってベッドに入った。
そしてトラッキーの目覚まし時計を朝の6時にセットした。
朝早く実験室に入って待ち伏せしようと言う作戦だ。
「じゃ寝るかなー」
電気を消す前にタイガはクッキー缶から好きなクッキーを1つつまんで食べた。
だが、そのクッキーはしけっていて全然おいしくなかった。
「………アイツめ」
「タイガ様、タイガ様。起きてください」
オオカミに起こされ、オオカミ軍団ボス代理、タイガは目を覚ました。
「むー………どうしたんだ?朝飯か?」
「違います!今日はアジトの大掃除の日ではありませんかっ!早く起きてください」
「むー…そうか…………ってなにーーーーー!!!!!」
タイガは慌てて飛び起きた。
時計を見ると朝の11時。予定より5時間も寝過ごしてしまった。
「な、なんでおこさなかったんだ!このバカオオカミ!!」
「そ、そんな事言われましても、入ってくるまで目覚まし時計鳴りっぱなしでしたよ?」
「ったくー!!早く急がねーと間に合わねーだろー!!」
「????」
タイガは急いで蝶ネクタイを付け、研究室へと走っていった。
「あれ?タイガ様掃除する場所知ってたのか……?」
研究室の中に入ると研究員たちは掃除場所決めで集まっているのか誰も居なかった。
奥の実験室には鍵が掛かっていた。10分くらい念じてみたがテレポートすらしない。
聞き耳を立てると、中で誰かが居る気配がした。
「仕方ねぇな……今逃したら……」
タイガは思い切り腕に力をこめてノブを引っ張り、ドアを壊して中に入った。
すると………中には誰も居なかった。さっきまで誰かいた気がしたのに……。
「出て来い!!オイ!わかってるんだぞ!!」
机の上には器具が並んでいる。だが、あのフラスコだけが見つからない。
奴が持って出て行ったのだろうか……。
「………オレを変なことにしやがって……。出て来い!!」
コツンとタイガの背後で物音がした。
後ろを恐る恐る振り返るとそこにいたのはリリーだった。
安心したタイガを裏切ったのはリリーの手の白い湯気の出ているフラスコだった。

「お、お前……」
「……ちょっと待って。オオカミが来ないうちにタイムバリヤを張るから」
リリーはパチンを指を鳴らし、実験器具の机に腰掛けた。
「さ、これで今動いているのは私たちだけ……何から話しましょうか?」
「……お前は一体何なんだ?」
「私はリリーよ。でも、私は2500年から来た未来人なの」
「未来人?」
リリーの話は以下のような物だった。
西暦2500年、世界の科学は今までの何百倍にも発展し、月や火星にまで人間が移住していた。
さらに学習システムは大幅に変更され確実な学習を出来るようなシステムが組まれた。
だが、専門職に就くには30代後半にならなければならず少子化が進んでしまった。
そこで政府はより確実な学習をと『睡眠学習システム』を導入した。
これは、潜在意識に直接情報を送り込む物で、必要なとき何時でも使用できるようになった。
このシステムのおかげで子供は3歳で小学校へ、10歳で大学の課程を全て修了する様になり、
ほぼ全員が現在の何倍もの偏差値を持っていると言う状況にまでなったのだった。
「そして……私はとある研究所に入りそこで薬品の研究担当になったの」
「じゃぁ、お前は凄く頭がいいって事か?」
「そう、ちなみに私は12歳。今の時代で言うと小学校6年生」
タイガはこの言葉には驚かざるを得なかった。
どう見てもリリーの姿は高校生のようだったのだ。
多分、未来では栄養等が違い発育状況が今よりもっといいものなのだろう。
「じゃ、じゃぁ、お前の作ってる薬ってもしかして……」
「そう、私が今研究している薬品は『人間の超能力を引き出す薬』なの。数ある超能力の中で薬品の力で引き出すことの出来る『テレポート』と『タイムリープ』この2つを同時に行う事のできる薬品の開発が私の使命。だけど、超能力による身体移動を引き起こす為の刺激剤の材料が1つどうしても入手できなかった」
リリーは机の上に置かれた小さなビンをタイガに放り投げた。
そのビンを受け取ったタイガはラベルを読む。
「……ラベンダー」
「そう、ラベンダーの香料がどうしても必要だった。でも2500年ではラベンダーなんて大昔の植物。とりあえずわずかながらのラベンダーを入手し薬を作り上げた……。でも、実験しない事にはどうにもならないから私が薬を飲んでこの世界へやって来たの。ここはいろんな植物や薬品があるから都合も良かったし。ここに潜伏させてもらったの。だけど、帰りの分を持ってくるのを忘れちゃってたから……ここでこっそり作ってたの」
タイガはいくら秀才でも未来人でも抜けている所があるんだと妙に人間臭さを感じた。
「それで、オレが入って……」
「ここを掃除するって言うから作ってた薬を隠そうとしたら、つい割っちゃって……で、タイガ君が超能力を持っちゃって時間移動するから私も慌ててこっちに戻ってきたの」
リリーはあっけない顔でスラスラと語るだけ語った。
「いつから来ていたんだ?」
「一週間前くらいかな?」
そんなわけない!とタイガは叫びそうになった。
タイガはあの日、リリーを拾った事も大事に育てたことも十分覚えていた。
だが、タイガの心を見透かしたのかリリーは話を付け加えた
「ちょっとみんなの記憶をいじらせてもらったわ。タイガ君の私に関する記憶は、全部元からタイガ君の中にあった別の人の記憶。私はそれを拝借しただけ」
「そんな………」
「その人、とても良い人みたいね。私のこととても大事にしてくれて………」
タイガはいくら思い出そうとしても記憶の中にいる少女はリリーだった。
「大丈夫、帰るときに全部元に戻しておくから」
「戻す?」
「うん、未来の法律ではやっぱりなんだけど現代人と接触する場合その痕跡を消さないといけないの」
「じゃ、じゃぁ、記憶とか全部消えちゃうのか!?リリーのこと忘れちゃうのか!?」
「まぁ……そうなるかな」
「じゃぁ、なんでオレにこんな事言うんだ?」
「……さぁね。タイガ君ちょっと、好きになったのかも」
一瞬ドキとしたものの、タイガは何故彼女が急にこんな事を言うのだろうという気持ちが先にたっていた。
「だからね。どうせ忘れるなら全部言っちゃおうって思って」
「や、ヤダ!オレだってリリーが好きだぞ!!」
リリーは真剣な顔で首を振るだけだった。
「私が処罰されてしまうわ。私は帰って研究を続けなければならないの」
「そ、そんなに薬を作りたいのか…?」
「うん。みんなが私を待っているの。裏切れないわ」
「頼むから……消さないでよ。オレだって……その……リリー好きなんだし」
「それは違うわタイガくん。あなたが好きなのは私じゃなくて記憶の中の人。私がその記憶を借りているからちょっと勘違いしちゃっているだけ………」
タイガはリリーの瞳に何か光る物が見えた気がした。
「で、でも……恋愛とかじゃなくてもオレはリリーが単純に好きだ。それは間違いないぞ!」
「………ありがと。私も好きよタイガくん…………でも、もうお別れね」
「も、もう行っちゃうのか!?」
リリーは頷き、青い湯気が出ているフラスコを手に取り、タイガの前に立った。
その青い湯気はハッカのように鼻にツンと来る匂いで思い切り吸い込んだらくらくらしそうだった。
「も、もう二度と会えないのか……?」
「さぁ……でもまたいつかこの時代に来る日は必ず来るわ。研究って先が見えないものだから」
「いつだ?」
「さぁ……明日かあさってか……それとも100年後か」
リリーはフラスコをタイガの顔の前に持っていった。
次々と出てくる青い湯気を吸い込みタイガは意識が朦朧としてきた。
「………か、必ず会いに来いよ……ぜ、絶対……だぞ」
「……会いに行くわ。この時代で一番最初に私に優しくしてくれた人だもの」
タイガはリリーの言葉を全て聞き終わらないうちに静かに床に倒れた。
その後、タイガはオオカミに発見されたがタイガはいつの間にここに来たのか覚えてなかった。
結局最終的には、一人で掃除するのが面倒くさくなったから寝ていたと言う結論に至った。
しかし、タイガはその後トイレに入るとなんだか不思議な気分がする様になった。
何か忘れているような……何かがあったような……。
しかし、いつしかタイガもラベンダーの香りを嗅いだときのあの不思議な感覚は無くなっていった。
タイガはふと、目を覚ました。
やはりまだ目の前には木漏れ日の星空が輝いていた。
すっかり眠ってしまっていたようだ。何か夢を見ていたような気がするが覚えていない。
でも、なんだか懐かしいような不思議な感じだ。
「………あの」
突然、女性の声がした。どうやらいつの間にか横に立っていた女性の物のようだ。
20代だろうかずいぶんと大人な感じの女性だった。

「な、何か……用か?」
「………お元気ですか?」
急に変な事を言うやつだなとタイガは思った。
「あぁ、まぁ、うん……」とはっきりしない返事をすると女性はニコッと笑った。
「そう………私も、元気ですよ」
女性はそう言ってゆっくりとタイガの前を横切り歩いていった。
タイガは彼女にどこかで会ったような気がしていた。
しかし、いくら思い出そうとしても思い出せない。
タイガは再び寝転がって木漏れ日の空を眺めた。
また、あの人に会えるだろうか。また会えるような気がする。
そう、いつかまた自分に会いに来てくれそうな気がするのだ。
きっとまたいつか会えるだろう。今度会ったら必ず元気だとハッキリ言ってやろう。
あのラベンダーの香りの人に────。