小さな檻の中に黒い人影があった。その人影はただこちらを見つめてじっとこちらを見ていた。
何をすると言うわけでもなくただ座っていた。怪しい笑みと形容するべき表情が視界に入る。
『貴方達は目に見えるだけの暗闇しか知らないのではないでしょうか?
目に見える暗闇は明かりをつければ消せる事ができます。しかし、目に見えない暗闇。
これは厄介です。明かりをつけてもその闇は決して消える事はないのですから……』
その人影はそう呟くと、手を膝に置きこちらの方向へ身を乗り出した。
『今回は、そんな見えない暗闇の世界の物語……』
『THE DARKNESS SHOW』
モニターの中の女は、ようやく目を覚ました。死んでいなくて安心した。
彼女は半ばまどろんでいるような目で、周りを見回していた。
段々と頭が冴えてくると、彼女の表情もそれに伴なって強張っていくのが分かった。
恐る恐る身体を起こすと、また首をひねっている。不安そうな様子で。
今自分の置かれている状況を知りたいのだろう。知らないことは恐怖だから。
「執筆 -WRITING-」
彼女のいる部屋は四角い密室だ。唯一の出入り口も、表から閂で閉じられている。
壁はコンクリートでできている。かなりの厚さなので、女性の力などでは到底壊せるはずがない。
そういう危機的状況に、強制的に置かれた人間はどういう行動をとるのだろうか──
彼女を注意深く観察していると、出入り口を発見したようで、そこに駆けていった。
最初に押してみて、今度は引いてみる。最終的には左右に開こうとしていた。
それでも開かないことが分かると、再び周りに視線を巡らせた。
当然それ以外に出入り口は無い。それに気付くと、彼女はその場に腰を下ろしてしまった。
多分深い落胆、もしくは絶望にでも囚われたのだろう。
しばらく彼女を見ていると、小さな嗚咽を漏らしていることに気が付いた。
どうやら泣いてしまったみたいだ。極度のストレスを与えると、人間は結構脆いらしい。
きっと彼女は今の状況を憎らしく思っていることだろう。だが、私の知ったことではない。
それにしても長い。いつまで泣いているつもりだろうか。
いつ終わるか分からないので、暇になった私はコーヒーを淹れるために席を立った。
──カップを片手に帰ってくると、彼女は部屋の隅に移動していた。
もう泣いてはいなかった。小さく蹲って、まるでふてくされているように見えた。
コーヒーを啜りながら観察を続けていたが、どうも進展がなさそうに感じた。
そろそろ音声でも送ってみようかと思い、マイクのスイッチを入れる。
『お目覚めですね』
マイクに向ってそう言うと、彼女は驚いたように天井を見た。音はそこのスピーカーから出る。
彼女は得体の知れない声の主──つまり私だ──が喋るのを待っているようだ。ならば喋ろう。
『あなたは今、私に拉致および監禁されています』
私はなるべく感情を表さず、淡々と喋るように心がけた。
変に情を交えて話せば、所々に隙が出来る。それだけは避けたかった。
状況を宣告された彼女は、やはり何がなんだか分からないというような感じだった。
少し面倒くさかったので、これ以上説明するのはやめた。本題に早く移りたい。
『これからいくつか質問をします。音声はこちらに届くので、あなたはそれに答えてください』
彼女からの返事は無かったが、了承したものとみなした。
『あなたは今、私のある目的のために監禁さています。気分は如何ですか』
困惑気味だった彼女の目が、次の瞬間には怒りの色を露わにした。
「良いわけない! 私を早くここから出してよ!」
やはりこの質問に、彼女の感情は怒りを選択した。一般的な反応だ。
『それはできません。私の目的が、まだ果たされていませんから』
そう言うと、彼女は悔しそうに下唇を噛んだ。「狂ってる」と小さく呟く。
『そんなに落ち込まないでください。目的を果たしたら、ちゃんと解放してあげます』
そう声をかけてみたが、モニターの中の彼女は俯いたままだった。
これ以上質問しても無駄だろう。そう見切りをつけて、マイクの隣のスイッチを押す。
すると彼女のいる部屋に、金属音とともに仕込んでおいたそれが天井から降ってきた。
包丁だ。今のスイッチは、これを部屋に投入するために、あらかじめ用意しておいたものなのだ。
急に刃物が天井から降ってきたので、彼女はひどく驚いている。
『差し上げます。死にたくなったらそれを使ってください』
それだけ言うと、マイクのスイッチを切る。彼女はあらゆる罵詈雑言を私に浴びせてきた。
人非人だとか、殺してやるだとか、人間の屑だとか。それはもう色々と。
彼女の生殺与奪を握っている私にとって、それは痛くもかゆくも無かったが、ひどくうるさかった。
怯える自分を励ますための虚勢。それがいつまで続くのか。当座の私の興味はそこに注がれるだろう。
私はモニターの電源を切ると、自分の寝室へと向った。
翌日には、やはり彼女が失踪したことが朝刊に載っていた。とても小さな記事だったが。
それを読み終え、私は本部へと向かった。今日は休日で、休日はいつもそこに行っていたから。
彼女を監禁したとはいえ、普段どおりの生活を送ることは欠かせない。下手を打てば私に疑いがかかる。
本部へ着くと、なにやら騒がしかった。大体察しはつく。彼女が失踪したからだ。
我々は普段互いのことを、入隊当時に自己で選択した色で呼び合っているが、同時に本名も把握している。
朝刊には彼女の名前も載っていた。多分、誰かがそれを見つけてしまったのだろう。
案の定、ロビーに行ってみると新聞を片手に持ったブルーがいた。彼が見つけたようだ。
彼は私に気付くと、足早に駆け寄ってきた。そして新聞を開きながら言った。
「これ見てください」
彼が指差した記事は、今朝見たものと同じだった。載っている名前は、当然彼女のもの。
私はあらかじめ用意しておいたシナリオ通りに演技を開始した。
「──これがどうかしましたか」
シナリオその1 先ずは首を傾げて不思議がれ。
予想通り、ブルーはその記事について説明を始めた。
同姓同名の人物が、何者かに誘拐された。そして彼女は、未だに本部に来ていない。
一通りの説明を聞き終え、納得したように頷いてみせる。
シナリオその2 真摯に受け止める必要はない。あくまで楽観視せよ。
「同姓同名だと言うだけで、少し考えすぎでは」
そう言ってもまだ食って掛かろうとするブルー。もう一言。
「大丈夫ですよ。きっと彼女ももうじきやって来るでしょう」
そう言って笑顔を浮かべてあげると、ブルーも少しだけ安心したようだった。
いつの間にか集まっていたほかの隊員も、これで緊張が解れただろう。
そんな中でただ一人だけ、皆からは少し離れた場所で肩を落としている男がいた。
彼と、私が監禁している彼女との間には、他の隊員にはない何かがあった。
それが彼をこうして苛んでいることも、私は把握していた。
暖房で少し暑くなったので、巻いていたマフラーを一旦外す。
私はなるべく人に気付かれないようにして、自室へと向った。
今日はなるべく目立たないように行動をして、早々に立ち去るべきだろう。
当然のことながら、彼女はいつまで経っても本部を訪れることは無かった。
彼女を監禁してから3日が経過した。
流石に隊員たちも心配になってきたようで、日に日に本部は火が消えたように活気が薄れていった。
だが、興味の対象が彼女にある私にとって、それは大した変化ではなかった。
今日もいつものように、あのモニター室へと向う。
暖房のきいたこの部屋で、マフラーは再び邪魔となる。なので外して、そばに備え付けてあるデスクへと置く。
電源を入れると、また彼女は蹲っていた。食料を与えていないため、衰弱しているようだ。
包丁は床に転がっていた。血がはねた形跡は、部屋のどこにも見当たらなかった。
彼女はまだ、死ぬほど追い詰められてはいないらしい。
マイクのスイッチを入れる。
『大丈夫ですか。すっかり元気がありませんね』
彼女は虚ろな、しかし怒りを灯した目でモニターを睨んできた。
まだそんな気力があるのかと、少しだけ感心した。
『そんな目をしないでください。今日はいいことありますよ』
「うるさい!」
私の言葉をそう叫んで遮ると、彼女は泣き出してしまった。
このままでは初日と同じパターンになってしまう。どうしたものだろう。
しばらく言葉に詰まった。彼女は泣き続けるばかり。
こうなったら少々早いが、私の目的を彼女に明かしてしまおう。
もう彼女は、私の目的遂行のための材料として成立していない。
僅かだが、今日までの間に彼女から情報はいただいた。もう、いい。
マイクに手を伸ばす。
『私があなたを監禁した目的。それを今からお話します』
そう言うと彼女は泣き止んだ。頬を涙で濡らしながら、モニターに怪訝そうな顔を向ける。
『あなたには、小説の執筆に当たってのモデルを演じてもらっていたのです』
彼女はいまいちぴんと来ないような表情をしていた。
なるほど。今の彼女の反応も、一応メモしておこう。
そう思い、近くに置いておいたメモ帳を取り、簡潔に今の反応の様子を書き留めた。
つまり私はこうして彼女を監禁し、極限状態に置かれた人間の行動パターンを記録し続けていたのだ。
全ては小説執筆のため。そのためならば、私はどんな手段も厭わない。
彼女は未だに答えへとたどり着いていないような様子だったが、そんなことはどうでもよかった。
執筆材料として扱えない彼女など、すでに興味の対象外となっていたので。
『短い間でしたが、ご協力ありがとうございました』
私はそれだけ言うと、こちらから一方的に会話を切った。
モニターに移る彼女は、途方にくれたような顔をしている。
自分がこれからどうなるのか、きっと見当もついていないに違いない。
モニター室の電圧供給装置を破壊する。もうこの部屋は使わないだろうから。
その刹那、室内は暗闇へとその身を潜めた。耳鳴りがするほど静かな空間。
手探りでマフラーを探し当てると、いつもの具合に首へと巻いた。
暖房が切れて間もないのに、もう室内は肌寒かった。マフラーの温もりが心地よい。
ポケットに先程のメモ帳を滑り込ませるように入れ、私は彼女の部屋へと向った。
扉の閂を開け、奥に押す。開いた隙間から流れ出てきた空気は妙に濁っていた。
換気装置でも付けるべきだったかな、と反省した。
身体を滑り込ませるようにして中に入り、すぐに扉を閉めた。
彼女は先程モニターで見たときと同じ場所で、しかし表情だけは驚愕のそれを表しながら
座っていた。
自分を監禁した人物の正体に驚いたのか、それとも──
いずれにせよ関係ない。素早くあたりを見回して「あれ」の落ちている場所を探した。
「あれ」は彼女の数メートル手前に落ちていた。
一瞬だけひやりとしたが、彼女に悟られないように努めた。
何食わぬ顔を装いながら、彼女に近づいていく。あと少し。
瞬間、彼女と目が合った。咄嗟に「あれ」へと視線を飛ばしてしまった。
彼女がそれを辿る。そして、彼女もそれに存在に気が付いた。
急いで拾い上げようとしたが、距離的に近い彼女の方がやはり速かった。
彼女はそれを拾い上げると、立ち上がり、その切っ先をこちらに突き出した。
内心で舌打ちを打った。同時に、自分の愚かさを深く呪った。
彼女が握っている包丁。それは自分で最初の夜、彼女に渡したものだったのだから。
包丁を突き出す彼女の目は怯えと怒り、それから憂いとが混じったような色をしていた。
完全にとは言えないが、これで彼女の方が有利になってしまった。
不意に逃げ出したい衝動に駆られたが、それだけは絶対にしてはいけない。
背中を向けでもしたら、彼女は躊躇うことなく包丁を深く突き刺してくるだろうから。
こうなったら一か八かの賭けだ。退いて刺されるのなら、いっそ進んでみてはどうだろう
か。
そう思い、彼女に向って一歩踏み出す。驚いた様子で彼女は、同じように一歩退いた。
それで確信した。彼女は人を刺すような勇気を持ち合わせていないことを。
何か大きなきっかけでもない限り、彼女の持つ包丁が襲い掛かってくるということはない。
さらに一歩踏み出すと、やはり彼女も一歩退いた。先程より表情が歪んでいた。
もう一歩、さらに一歩──。繰り返しているうちに、彼女は壁際に追い詰められていた。
こうなってしまえばもうこちらの物だ。真正面から彼女の眼を見て、動きを封じさせた。
彼女は落ち着かない様子で震えていた。今ならば、包丁を取ることも容易だろう。
いまだ、と思ったそのとき、静まり返っていた部屋へ唐突に荒々しい足音が響き渡った。
彼女がそれに驚いた隙に、包丁を叩き落した。落ちたそれを急いで拾い、彼女に突きつけた。
足音はこちらに近づいてくる。その持ち主は必ずこの部屋にやってくるだろう。
閂の抜かれる音。次いで扉が乱暴に開かれた。
現れた人物は紫色のマフラーを巻いていた。やはり、グリーンだ。
彼はこちらの様子を見て、愕然とした様子で立ち尽くしていた。
包丁を突きつける者に、突きつけられる者。
そんなシチュエーションを見せ付けられれば、当然の反応と言えるだろう。
「グリーン!」
ほんの微かにだが、そう叫ぶ彼女の顔に明るさが宿ったような気がした。
こんな状況に置かれても、希望的観測で物事を見ることができるとは。
黙らせるために、彼女の喉元に包丁を宛がった。小さな悲鳴を上げると静かになった。
先程グリーンを呼んでおいた。
現在書いている小説には被害者と、その人物に親しい異性の友人の2人が登場する。
それらのモデルを担ってもらうには、彼女だけでは足りない。
そこで比較的彼女に親しく、しかも異性であるグリーンにも、こうして協力してもらったというわけだ。
言うなれば、これは執筆材料採集の最終段階だ。これでやっと全てが終わる。
さあ、彼は一体どんな反応を示すのだろうか。僕は彼へと視線を向けた。
「レッド──。ピンクを離してください」
彼は僕の名前を呼びながら近づこうとした。
彼女に宛がっていた包丁に少しだけ力を込める。彼女の短い悲鳴が響いた。
それを聞くと、グリーンは踏み出した足を元の位置に戻した。なるほど。
しばらくそういった状態が続いた。やはり進展は難しいようだ。
仕方ない。僕の小説の中の被害者同様、彼女にも亡くなっていただこう。
そうすれば、何かしらの進展が望めるかもしれない。
それにどうせ彼女には、頚部を切り裂かれた人間のモデルにもなってもらう予定だったのだから。
無造作に、彼女の喉に宛がっていた包丁を横に振った。
まるでレモンか何かを切るかのような感触がしたかと思うと、赤い粘着質の液体がそこから噴き出した。
正面にいた僕は、それをまともに被ってしまった。全身が真っ赤に染まる。

しばらく赤い液体を噴出させていた彼女は、次の瞬間には床に倒れてしまった。
血液の流出は止まるところを知らず、床全体をゆっくりと湿らせていく。異様に鉄臭かった。
やがて、致死量以上の血液を流し切った彼女は、床の上であっけなく死んだ。
血色が良かった桃色の頬も、今では不健康そうに真っ白だった。
包丁についた血を振り払い、胸ポケットへと押し込んだ。グリーンはどうしただろう。
彼は焦点を失ったような目で、彼女の元へと歩み寄っていた。
彼女の元まで来ると、その場にしゃがみ込み、もう動くことのない彼女を見つめていた。
しばらくすると彼女の手を両手で握り、必死に何かを訴えかけ始めた。
僕はポケットからメモ帳を取り出すと、その行動を事細かに書き綴っていった。
手が血で濡れていたので、非常に書き難かった。
「気分はいかがですか」
これは小説を書くためには、どうしても聞いておかなければいけない質問だった。
激しい喪失感にとらわれた友人。その心境を描くことで、より良い作品に仕上がる。
しかしグリーンは質問には答えず、相変わらず彼女の手を握るばかりだった。
全く、どいつもこいつも役に立たないな。
そう思った瞬間、グリーンも殺してしまおうという思考が巡った。
彼を生かしておくことは非常に危険だからだ。生き証人はいないほうが絶対いい。
それに人を殺す瞬間の加害者の心境にも、僕は大いに興味があった。
メモを書き終え、胸ポケットにしまった包丁を取り出そうとした。
刹那、後ろから押されるような感覚を感じた。背後に人の気配。グリーンに違いない。
一体何のつもりかと思ったが、激しい痛みを感じて戸惑った。
まだ背中にしがみついている彼を、急いで振り払った。背中がイタイ。
突き飛ばされたグリーンは床に転がった。泣いているようだった。
彼の手を見たとき、心臓が止まる思いがした。赤かったのだ。
彼の手に血がついている。誰の血なのか。考えられるのは、僕しかいない。
彼は僕を刺した。背中の痛みがその証拠だ。唐突にそう理解した。
急いで胸ポケットを探ってみた。包丁らしき感触は何処にもなかった。
してやられた。彼は僕を突き飛ばす瞬間に、ポケットから包丁を抜き取ったのだ。
そしてそのまま、僕の背中にそれを突き刺した。背中が痛むと言うことは、まだ刺さっているのだろうか。
窮鼠猫を噛む、などと下らない事を考えた。追い詰められた人間は、なるほど、怖いものだ。
彼のこの反応もメモに残そうと思ったが、どうやら無理らしかった。腕が動かない。
視野が急に狭まったような気がした。やけに目の前が暗い。
膝から力が抜けてゆく。僕はだらしなく、その場に倒れこんでしまった。
首を曲げてグリーンを見る。彼もまた、床に倒れこむ瞬間だった。
彼の隣にはピンク色の頭髪をした彼女。僕が殺した女が転がっている。
身体が妙に温かく、べたつく様な感触を感じた。
それの原因が彼女の血液だと悟ったときには、もう指一本動かすことも不可能になっていた。
ここまで書いて、さすがに手が震えてきた。止めようとしても止まらない。
あと少しなのだから、何とか持ちこたえてくれ。そう自身に頼みながら、再びペンを握る。
だが、どうやら無理なようだ。ペンを持ち上げることが出来ない。
全く笑ってやりたくなった。自分はなんて情けないのだろう、と。
彼をとっとと殺してしまえばよかった。そうすれば、こんなことにはならなかっただろう。
笑おうとしたが、声が全く出なかった。空気が口からどんどん漏れていき、上手く喋れない。
どうやら背中を刺されたときに、肺まで切り裂かれてしまったようだった。
身体が熱くなってきた。人間は死ぬ直前、体温が上昇するらしい。
必要ないとは思ったが、それでも暑いので巻いていたマフラーを外す。
それを放り投げると、三度ペンを持とうと試みた。だが、やはり無理だった。
目の前が霞んできたので、途中まで書き上げた原稿を束ねた。
それを抱えて、這うようにして彼の元へと向う。もう立ち上がることも出来ないらしい。
彼は放心状態で、床に腰を落としていた。私を刺したことがよほどショックだったのだろう。
「レッド。途中ですが、依頼された小説、たしかに──お届けしましたよ」
そう言いながら彼に原稿を手渡した。もう上手く呂律が回らなかった。
「今回は事実を基にした──ノンフィクションですから───自信作です」
そう言って笑ってやった。彼は視線をこちらに投げかけるだけで何も言わない。
「配役は少々──変更されていますけどね」
そう言い終えるとどっと疲れた。横になって、まどろむ。
きっと目を瞑ったら私は死ぬだろう。悔やまれることは無い、と言えば嘘になる。
小説を書き上げられなかったことが、そのもっとも大きな理由だ。
それからもう一つ。小説どおりに事が進めば、私は死ななかったのに、と。
横になった私の頬に、粘っこい液体が触れた。とても鉄臭かった。
液体が流れてくる方に首を向けると、彼女が横たわっていた。
紫色の頭髪が艶やかな彼女は、私に殺されたときのままの格好で静かに眠っていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
本来ならば、死ぬのは私ではなく、目の前で放心しているレッドだったのに。
だが、それもこれも私の計画力の無さに原因があったのだろう。
そもそも、これから殺す人間に包丁を与えていた事が大きな欠点だったのだ。
監禁していた彼女がそれを手にした瞬間に、私の計画は破綻していた。
まったく、自分という人間にほとほと嫌気が差してくる。
だが、まあこんな形での終わり方も良いかもしれないと思う。
お姫様を拉致監禁した悪者が、救いにやってきた勇者に倒される。ハッピーエンド。王道だ。
そんな馬鹿げた事を考えていると、今度こそ力を使い果たしたようで、一気に睡魔が押し寄せてきた。
あっという間に、私はそれに呑み込まれてしまった。
意識が遠のき、暗闇に覆い隠されるような感じがした。
闇に抱かれながら、私の短い一生は幕を閉じた───
アメリカで再出発をすることにした。今日は旅立ちの第一歩だ。
グリーンに会えないのが辛いが……これも仕方が無い事だ。
しかし、飛行機に乗るのは慣れているがやはりどこか新鮮な気分がするな……。
「乗客 -PASSENGER-」
C-25が座席のナンバーだった。既にオレの隣の座席には若い男が座っていた。
ウォークマンを聞きながらファッション雑誌を読んでいた。あまりこういう最近の若者なやつは好きになれない。
「……あ、すいません」
座席の前に置いた荷物にオレが困っているのを見つけて荷物をどける男。
──謝る時ぐらいイヤホンを外したらどうだ。
「……留学ですか?」
オレの思いが通じたわけではないだろうがイヤホンを外して男はオレに聞いてきた。
突然の事に驚いたが最近の若者には珍しく丁寧な物の言い方に少し親近感を持った。
「……いえ、ちょっと用事がありまして」
「へぇ、お若いのに大変ですね」
「いえ、慣れていますから。……貴方は何をしに?」
オレの質問に思いのほか男は嬉しそうに答えた
「語学留学ですよ。ずっとバイトして金貯めてて」
嬉しそうに弾んだ声で話す男。
「僕、英語少しできるんですよ。だから向こうでもっと勉強しようかなって」
すぐ、こういうヤツは現地へ行けば英語が喋られると思っている。
オレもまだ悪者の性分が抜けてないのだろうか。つい、意地悪をしてみたくなった。
「……でも大変ですよ? いざ言ってみれば通じないなんてザラです」
「でも、僕は」
「向こうの人が日本人英語を真面目に聞いてくれるかどうかも解らない。発音は完璧なのですか?」
「………………」
「下手したら異国の地で喧嘩沙汰になるかもしれない。甘くないのですよ外国と言うのは」
青年は苦い顔をする。どこか思い当たる節でもあるのだろうか。
まぁ、良い今のうちに少しでも世界は厳しいのだという事を教えてやらなくてはいけないのだから。
「Excuse me?」
そこへ機内サービスの女性がやってくる。青年は思わずドキッとした顔をしてを彼女の方を向いた。
何を飲むか聞かれているだけだというのに、何だかずいぶんと困惑した顔をしている。
「えっと……あの……」
「Coffee please」
オレが青年の声を遮ってそう言うと、彼女はすぐさまコーヒーを渡してくれた。
思わずニヤリと笑ってしまった。大丈夫、青年には見られてはいない。
「How about you?」
「え、っと……こ、この人と同じ物で」
オレのカップに指を指して目で合図をする青年。こんなことも言えないのかと思うとまた口元が緩みそうになる。
「Will the coffee use coffee beans of what country?」(そのコーヒーはどこの国の豆を使っているんでしょうかね?)
「え……」
「どうしました?英語ですよ?」
また青年は苦い顔をする。
「これから夢のある人には失礼でしょうが行ってもすぐ帰ったほうが良いんじゃないでしょうかね。
まだ、そんな事では到底アメリカでなんて生活できるわけが無いと思いませんか?。
良く日本人の青年が何をするでもなくぶらぶらと歩いているのを見たことがありますがあなたもそうなる前にもっと勉強した方が良い
アメリカは色んな人種の人がいて、色んな事が起こる国ですよ。英語が堪能な私でも苦労する事だってある。
これは、おせっかいかもしれませんが、大事な忠告ですよ」
青年は残っていたコーヒーを一気に飲み干して前の台に置こうとしたが手が滑って床へ落ちて転がった。
苦い顔を顔に貼り付けたまま青年は隣の席の男性の足元へ転がったカップを取りに行った。
「Excuse me. He is farst flight for him.」(失礼。彼は飛行機に乗るのは初めてなんですよ)
オレは隣の座席の同じく会社員らしいアメリカ人男性に声をかけた。
「Just now "You can't open the window"」(たった今、彼に飛行機の窓が開かないことを教えていたんですよ)
その乗客は笑っていた。海外で生活するならジョークの一つくらいやはり言えければいけない。
ヤツの慌てふためく所を見るとつい言ってしまった。
「…………」
ヤツは紙コップをぐしゃっと握りつぶして肩を震わせていた。
まだ少しだけ残っていたコーヒーが男の手を伝っていく。
「だ、大丈夫。謝っておきましたよ。彼ら別に気にしてないそうで……」
振り返った男の顔はギロッとオレを睨んでいた。鋭くて痛いくらいだった。
「……さっき言いましたよね……僕少し英語解るんですよ……」
オレは返す言葉が無かった。軽い優越感に浸った余り、調子に乗ってしまったのだ。
しかし……確かにオレも言いすぎた。反省しよう……。
青年は席に着くとタバコを吸い始めた。煙たい。
だが、さっきあんな事をしてしまった手前何もいえない。
それから数時間が経った。青年は黙ったままだ。気が重い。
ちょうどトイレに行きたくなった。少しは気晴らしが出来るだろう……。
「すいません。ちょっとトイレに……」
青年はジロとこちらを見てめんどくさそうに足を退けた。
オレは何度か頭を下げてトイレへ行った。やっと安心だ。なんて気まずい時間だっただろう。
用も足して再び席に戻ると青年は眠っていた。これで少しは気まずい気分がなくなるだろう。
オレはこの際に相手方に出す書類に再び目を通しておこうとカバンを開けた。
「………My company gives your company many merits………」
と、そこ読み始めてふとある事に気がついた。いくつか書類に茶色い染みが出来ていた。
印刷のミスかと思ったが全てモノクロコピーだ。カラーのはずがない。
それにオレは日本を発つ前にも一度書類に簡単に目を通しておいた時はこんな染みはなかった。
「………………」
オレはふと、さっきまで飲んでいたコーヒーの紙コップに気がついた。
まだ中にはわずかだがコーヒーが残っている。書類についたのはこの飛沫だろうか。
だがカバンに入れていた書類がどうして……。
オレは青年の方を見た。まさかコイツがやったのだろうか。
トイレに行っていた間に出来ない事ではない。さっきの嫌がらせか……?
「い、いや……いくらなんでもそれはないはずだ……ちゃんと謝ったんだから」
思わず口に出していた。自分に言い聞かせようとしていたのかもしれない。
「……どうされました?」
思わず横を向くと青年が笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「い、いや……」
「あぁ、さっきの事でしたらご心配なく。僕は全然気にしていませんからね」
それだけ言うと毛布に包まって青年は眠り始めた。オレは書類をカバンの中へとしまった。
食事を終え、ずいぶんと落ち着いてきた。仕事の為とは言え旅行中の食事は楽しい。
以前、タイガと長野へ旅行に行った時もヤツの五月蝿さの中で食事が救いだった。
しかし、食事を終えると少し眠気が出てくる。今寝ては後が辛い。
確か眠気覚まし用にガムがあったはずだ。カバンを探ってみるが見当たらない。
「……おかしいな。入れてなかったのか……?」
横からはクチャクチャとガムを噛む音がしていた。こんなに音がする物かと思うほどだ。
青年がガムを噛んでいた。一つ口に入れて2,3回噛むと再びガムを口内に入れていた。
手元を見るとオレがいつも買っているガムと同じものだ。やっぱりコイツが……?
いやいや、そんな訳がない。ガムの種類なんて限られている。
同じガムを持っている人にオレは何度も会った事がある。別に珍しい事じゃない。
しかし、この眠気をどうにかしなければいけない。オレは恐る恐る青年に尋ねた
「……あの、ガムを一つ分けていただけませんか。私の分を買い忘れてしまったみたいで」
青年はまたあの妙な笑みを浮かべてオレの方を向いた。
「あぁ、すいません。僕のガムもなくなったみたいで。すみませんね」
「はぁ……そ、そうですか」
「違う物でよければもう一つガムがありますけれど」
「あ、ではそれを……」
青年は大きな塊となったガムを銀紙に吐き出した。
「…………後でね」
眠気もおさまって来た。あとまだ6時間ある。こんな気まずい場所にまだ6時間いなければいけない。
もう外は真っ暗だった。青年は再び眠りについている。呑気な物だ。
オレは仕事の事を色々と考えたがどれも十分オレに暇を持て余してくれるほどの物ではなかった。
確か、読みかけの小説があったはずだとオレはカバンを開けた。………本はちゃんとあった。
「ふー……」
思わず安堵の息を漏らす。さすがにオレは疑心暗鬼になっていたのかもしれない。
いくらなんでもそんな事がある訳がない。オレも長旅で疲れているんだろう。
「っ!…………」
だが、オレは栞を挟んでおいたページを開いて驚愕した。
しおりを挟んでおいたページの次から3ページほどが破かれていた。
オレは思わず本を閉じた。その音に目が覚めたのか青年がふとこちらを向いた。
「……どうしました?」
「えっ……」
オレは青年の顔を向いていても一瞬青年の顔を捉えることができなかった。
「……顔色悪いですよ」
「い、いや……何でもないんです……」
「そうですか…………ならいいんですよ」
青年はまたあの笑みをチラと覗かせた。オレは愛想笑いさえ作れなくなっていた。
確かにオレが悪かった。ちょっとした暇つぶしのつもりと軽い優越感で確かにキミを馬鹿にした結果になった。
だが、オレはちゃんと謝った。キミも気にしていないといったじゃないか。
文句があるならオレに言ってくれれば良いじゃないか。そんなに腹が立ったのなら面と向かって言って貰った方がすっきりする。
「……どうしたらいいんですかねぇ」
その声はさっきまで寝ていたものだと思っていた青年だった。
体にかけられた毛布から光るものを出した。刃物だ。オレは直感的にそう思った。
「……さっき食事のときに返しそびれたみたいで」
銀色が眩しいフォークだった。
「スチュワーデスに言えば……いいんじゃないでしょうか」
「怒られませんかね……今頃になって言ってくるなんて」
「だ、大丈夫……ですよ……」
「どうしました。声が震えていますよ」
青年は愛しい物でも見るようにフォークを眺めながら言った。
オレはずいぶん変な声をあげたみたいだった。
「……あぁ。僕がこれであなたをグサッ……と刺すなんて事……ないですよ。ねぇ。
だって僕は全然……怒ってないんですから。安心してください。ハハ……ハハハハ」
狂ったように笑う狂気の人間。どの乗客も幸せな眠りについている。
オレはこいつの横にいる限りもう眠れないだろう。早く。早く開放してくれ。到着までまだ4時間ある───。
オレは眠っていた。かすかな意識だけは残ってある物の眠っていた。
静かだった。何年も投獄されていた囚人がやっと外に出られた時の様に。幸せだった。
「…………落ちましたよ」
残していた意識がオレの瞼をこじ開けた。目の前には黒い物があった。
ようやく焦点が合ってくるとそれはパスポートだった。
「あっ……」
オレはパスポートをほとんど奪い取る用にパスポートを取った。
「あと、これも……」
オレの名刺だ。
「これも……」
オレの携帯電話。
「これも……」
愛する人の写真。
「……ホランさんとおしゃるんですねぇ。若くして社長ですか」
「ご…………ごらんになったんですか……?」
「えぇ、誰のか解らないですからね……失礼だと思いましたがしっかり見させてもらいました」
青年の目はこの世ではない場所を見ていたようだった。
「……ご迷惑ばかりかけて……ホントに申し訳ありません……住所も電話もをメモしておきました。
日本に帰ったら会社の方やお友達にもご挨拶しないといけませんね。そして……ホランさんにも」
オレはサイフに手を出し中を見もせずあるだけの札を抜き取った
「こ、これ……!」
「…………なんですかこれは」
札に落とした目はまだこの世を見ていないように見えた。
「差し上げますから……もう差し上げますから……」
「……10ドルほどありますねぇ」
「もう受け取ってください」
「そうですか……すいませんねぇ……こんな事までしていただいて……」
ほぼ強引にオレは青年の手に札をねじ込んだ。青年はくしゃくしゃになった札を見て満足そうだった。
初めからこうすればよかった。これで少しは大人しくなるはずだ。大人しく……。
「……一度やってみたかったんですよねぇ……」
青年は札束をライターで炙っていた。だんだん焦げていくドル紙幣。
青年の口が開いたままになっている。笑っているのだろうか。オレは聞こえなかった。
もう半分までがこげている。楽しそうに笑っている。オレを笑っているのだ。
オレを追い詰めて楽しんでいる……オレを……オレを笑っている……笑って…………
スチュワーデスが入ってきていたらしい。窓にかかったブラインドを開けて行っている。
徐々に光が前の方から差し込んできている。もうすぐ付く。もうここから離れる事ができる。
外にはオレの心を照らしてくれる美しい朝日が輝いている事だろう。
早く外を見せてくれ───。
塗れた腕で口を拭くと、オレはまだ口の中に残っていた肉片を飲み込んだ。

レッドが事故を起こしたらしい。困った事になった。打ち所が悪かったみたいだ。
いつ目覚めるか解らないかもしれないと医者に言われた。でも、私はレッドの目覚めを信じている。
「安息 -REPOSE-」
あの事故から一週間後。我々はお見舞いに出かけた。
機械から出ている点滴みたいな管を一本腕につけているだけで思ったよりレッドは大丈夫そうだった。
普通に寝ていると言えば良いのか。そう見える。
「レッド。OFFレンの方は大丈夫ですからしっかり休んでまた活動しましょうね」
「…………」
レッドはうなづいたように思えた。
「……いつ目覚めるかは解りませんが希望をもってくださいね」
レッドにつけた機械の調子を見に来たらしき看護婦が私たちに声をかけた。
「こういうので目覚めた例は世界中にあります。大丈夫ですよ」
「ハイ……ありがとうございます」
「見てください」
看護婦の目線の先にはレッドの指。かすかに本当にかすかに動いている
「彼はとても苦しんでいます。生きたいとその苦しみを耐えて頑張っているんです」
「…………レッド」
「だから必ず元気になりますよ。では」
我々もその言葉にどこか勇気付けられたような気がした。
──5年後。レッドはまだ目覚めなかった。
「レッド。元気そうで何よりですね。今日はですね。新隊員が入ったんですよ」
レッドの顔は微笑んでいるように思えた。私には解る。
「じゃぁ、また明日も来ますね。がんばってください」
──10年後。まだだ。でも、レッドは元気そうだ。
「……レッドはもう起きないんじゃないかなぁ……いっそこれ外してやった方が」
「信じましょうよ。ホラ、やっぱり動いている。手が」
このかすかな動きはレッドが頑張っている証拠だ。生きたい!と訴えている手だ。
「……待ちましょ。我々はそうするのが一番なんです」
──30年後。みんなすっかりオトナだ。でも、まだ……。
「レッド……結婚した隊員も結構いるんですよ。でも、レッドの事みんな忘れてませんからね」
レッドはやっぱり嬉しそうな顔だ。きっと目覚める。きっと……。

──50年後。僕は初めて初代隊長へと会いに行った。優しそうな人だ。
「……始めまして。5代目に隊長になりました者です。お元気そうでなによりです」
手がかすかに僕のほうへと動いていた。僕は優しく握った。生命の力が伝わってくるようだ。
とても苦しいらしい。でもこうして頑張っている隊長を見ると僕も勇気付けられた。
「……では、また来ます。がんばってください」
力なく手の動きが止まった。レッドの頬を何かの一筋が走った。
それは誰にも知られる事も無いまま頬の上で乾いていった──。
男は小さく息を吐いた。真っ暗な部屋の緊張がたった一息だけで張り詰めた。
『……いかがでしたか今回の物語は。でも、貴方にも見えない暗闇はある事をお忘れなく……』
男はそういい終わったと思うと、まるで初めから男はそこにいなかったかのように消えていた。
──帰ろう。そう思った矢先僕は気がついた。僕はどうやってここに来たのだろうか。
紫のかかった薄明かりの中、僕は辺りを探った。だが人が出入り出来るような場所は無かった。
そして僕はようやく気づいた。この暗闇は僕そのものだという事を───。
☆ THE DARKNESS SHOW ☆
Story-teller:Red
No.1『執筆 -WRITING-』
Written:Green
Director:Green
Super Vision:Red
Illustration:Pink
No.2『乗客 -PASSENGER-』
Written:Red
Director:Red
Original:Naoya Takayama
Illustration:Pink
No.3『安息 -REPOSE-』
Written:Red
Director:Red
Original:Katsuhide Suzuki
Illustration:Pink
- STAFF -
Planning:Red
Planning Cooperation:Green
Producer:Red
★Production Cooperation★
RED-STUDIO
★Special Thanks★
Melma!
★Production & Copyright★
ぐるぐる戦隊OFFレンジャー製作委員会
OFFレンジャー通信編集部
This story is fiction.
But darkness exists....