第67話

『大阪ラブストーリー』

(挿絵:クリーム隊員)

──出会いは突然に。それはまるでスローモーション。

「なーにやってるの?オレも一緒に座っていいかな?」

彼女の前に突然現れた一人の青年。彼の明るさにおもわず彼女の悩みも消し飛んでしまった。

「あ、今日はありがと♪また会えるかなぁ?」
「あ……ごめんなさい。私、明日、日本を発つの」
「えー……残念だなぁ。じゃぁさ。帰ってきたらオレたち付き合おうよ♪絶対だよ!約束ね!」
「うん……」

それはもう1年以上も前の出来事───。













──それから1年以上経った頃。



「それでさ~オレはもうムカついたからそいつの頭をぶん殴ったんだよ。ね?変な奴でしょ?」
「面白いですー」
「(笑い所が解りにくいわね……)」

朝からタイガの舌は絶好調。ペラペラと女子相手に色んな話を喋っていた。
それもそのはず。今週はもう5日以上表に出てこれなかったのだから。

「えーと次はね次はね! 腹筋しすぎてお腹が70に割れちゃった時の話なんだけどー」
「面白そうですー」
「(なんかうそ臭いわねー……)」

マシンガントークのタイガの話が勢いだけで中身は意外とつまらないと言う事に気がついてくると、
女子たちは偽の理由をつけてどこかへ行き始めた。唯一楽しんでいたシェンナもクリームに連れられて行っちゃった。
結局タイガは一人ぼっち。

「ちぇ。みーんなどっか行っちゃったぜ。つまんねーなぁー」

タイガはタイガーカラーの携帯電話でエコに電話をかける。
しかし、電源を切っているのか電波が届かないところにいるのか全く繋がらない
やっぱりタイガは一人ぼっち。

「オイ、グリーン。お前でも許してやるからオレの話聞けよ」
「えーそんな仕方なくなんて嫌ですよ。ちょっと私も今日は用事がありますので」

結局リビングにタイガは一人取り残されてしまった。
こうなるとタイガはナンパでもしに行くしかなかった。金もないからそうするしかない。

「ふぃー……でもさみーなー……」

すっかり冬も本格的になってくる12月。みんな足早に早く暖かい場所へ行こうと急いでいる。
これじゃどう考えても話しかける前に目標は過ぎ去ってしまっている。
タイガは力なくその場に座り込んだ。ひんやりする壁に思わず鳥肌が立つ。

「……はぁ。オレって孤独……こんなに女の子がいるのにHもできない……寂しい」

ため息の数もどんどん多くなりもうタイガの肺には空気が無くなるかもしれなかった。
そんなタイガを誰も気にせず皆、暖かさを求めて前を過ぎていく。

「………………」

そんな前を過ぎていく人ごみの中で一人と目があった。女の子だ。
しかもそこそこ良い感じの子で。年も若そう。同い年ぐらいだろうか。
こっちへ近づいてくる。近くで見るとますます可愛い。しめしめと思わずタイガの口が緩んだ。
なんて言って来るんだろう。カッコイイねとか名前何?とかは言われ慣れてるからその辺だろう。





「タイガっち!」

挿絵


彼女の口から予想だにしない言葉はタイガの右耳から脳、そして左耳へと貫かれた。

「…………え?」
「私、私!覚えてる?一年くらい前にまた会おうねって約束したじゃない?帰ってきたの!日本に!」

どこかで会った女の子は大体覚えているが一年前だとほぼ覚えてない。
だが、彼女も同じトラネコ……タイガはそれに気が付くと芋づる式にあの時の記憶が蘇って来た。

「……ま、まさか……ま……マオラ……ちゃん?」
「そ!」

ニッコリと彼女は微笑んだ。それはまるで懐かしい恋人に会った時の様な──。
















「紹介するね。オレが以前デートした事があるマオラちゃん」

本部に帰ってきたタイガは知らない女性を連れてきていた。
タイガが女性を連れてくるのは珍しい事だったが、隊員はあまり気にかけなかった。

「マオラです。タイガっちとは恋人同士です♪」
「えぇ!?」
「ちょ、ちょっとマオラちゃん。そんな急に」
「だって、タイガっち。帰ってきたら付き合おうねって言ってたじゃない?だから恋人よね♪」

タイガはいつも同じような事を色んな女性に言う調子の良い奴だとは知らないのか……。
女子からのタイガへ向けられる視線が冷たい。

「……ねータイガっち。この人たちタイガっちのお友達?」
「え、あ、えーとね……男の方は子分かな?」

今度は男子隊員の視線が冷たくなる。だが、こちらはあまり苦痛に想わない。

「……女の子は?」
「オレの大事な子たちかなー♪にゃはーw」
「ふーん……」

マオラは女子の方を向いた。穏やかそうな目のどこかに見えない敵意の様な物を感じた。

「ね。タイガっち♪久々に日本に帰ってきたんだからどこかいこうよ」
「え、で、でも……」
「いいからいいから♪ 行こうよ! ね? 私、タイガっちと色んな所行きたいの」
「え、ちょ、ま、またねみんなー!」

半ば強引に腕を引っ張られながらタイガはロビーを後にした。
残された隊員たちは静かに台風が過ぎ去った後のような気分だった。

「なんでしょうあの子……急に来て急に帰って……」
「日本に帰るって帰国子女って奴なんですかねー?」
「確かに、性格も日本人っぽくなさそうだよねー」

でも、女子たちは何だか嫌なしこりみたいな物が残っていた。
なんだかチヤホヤされていたのに急に他の子に乗り換えられたときの女のプライドが傷ついた様な──。











二人は傍の通天閣へとやってきていた。どうしても上へ行きたいマオラのお願いでやってきたのだが、

「あ、タイガっち! 見てみて! 街よ街!」

マオラは望遠鏡を覗き込みながらはしゃいでいた。これが100円で済むなら可愛い物だが、
もう1000円以上使っているのでタイガにとっては結構痛手だ。

「あ、ホラ、タイガっち!あの屋上にいる人寝てるー!」
「ねぇ、マオラちゃん。そのタイガっちって呼び方辞めない?」
「何で? タイガっちはタイガっちでしょ? うん、絶対タイガっちの方が良い」

振り返り際にニッコリ笑うマオラにタイガもつい黙ってしまう。

「マオラちゃんそろそろもう望遠鏡やめない?つまらないし……」
「……そんなにつまんない?」

寂しそうな顔で振り返るマオラの顔にタイガはちょっと罪悪感を感じてしまった。
急いでフォローしようとするがなんと言ったら良いか思い浮かばず「いや、えーと、その」と言うばかり。
そんなタイガを見てマオラは笑ってツンとタイガのおでこを指で突いた。

「いいよ、他の所行こタイガっち! 次はどこ連れて行ってくれるの?」
「あ、うん。 えーとね……ご飯でも食べない?」
「ランチか……じゃぁ、私日本食が食べたいな!タイガっちのオススメのお店連れてって」
「え、うん。いいよ。じゃぁ、行こう行こう♪」

エレベーターから降りると来るとき同様長い列が出来ていた。
どれくらいの長さのか確かめ終わる前にマオラはタイガの腕を掴んで階段を下りていく。
外に出るといつもと変わらぬいつもの光景。

「……ね。タイガっち。どこ連れてってくれるの?お寿司?」
「そうだな……ラーメンどう?」
「ヤダータイガっちってば!ラーメンは中華じゃない」
「え、そ、そうなの……?」
「麺だったら私、ソバがいいな。ね、すご~く美味しいおそば屋さん!ね?」
「んーじゃぁ……公園の近くにそば屋あったからそこにしよっか」
「やった♪ タイガっち、早く行こー♪」

タイガはマオラが引っ張る前に引っ張ってやろうと早足でそば屋へ向った。
だが、そんなタイガの思惑を阻止するかのように二人の前に現れた一人の男。

「……あ、あの……」

どうやら前を横切りたいわけではないらしく目はタイガを見ていた。
全く見かけない顔で、服装が中国人っぽいが日本語は話せるらしい。
特に強そうでも無いし、絡むつもりも無いらしかった。でもそれっきり何も言わずただ目を見ていた。

「…………行きましょタイガっち」

マオラがタイガの腕を引っ張ってその場から連れ出した。
男はじっとしていて二人の行く方向を見ていた。タイガは変な奴だなと一瞬思ったがすぐ忘れた。
マオラはマオラで黙々とタイガの腕を引っ張って前へ進んでいた。

「……あ、見えたよ。あそこあそこ」

公園の裏にあるひっそりとした所にそのソバ屋はあった。
古びた感じの黒い木の看板には達筆な字で「おそば」と書いてある。
中に入るとサラリーマンらしき中年の二人組がソバを食べながら何やら愚痴をこぼしていた。

「何名様で?」

これまた中年の女性が中に入ってきたタイガを見て声をかけた。
タイガは初めて入った為かなんだか緊張しておどおどと指で2を作った。
そのまま二人は奥の席に案内された。少々薄暗いがなんとも日本的で落ち着いていて良い。

「ご注文は?」

席に着くとすぐさま水の入ったコップを持ってきた。
タイガは最初、カレーライスにしようと思ったがよく考えればここはソバ屋だ。あるわけない。

「おそば2つ下さい」

自分にツッコミを入れていた間にマオラが応えてくれた。
店員が注文を書き、そのまま席を離れていった。
マオラはコップの水を一口飲むと、ニコッと笑った。

「はー!私、こう言う落ち着いた雰囲気って大好き♪ 中国は賑やか過ぎて時々嫌になるし」
「え、マオラちゃんって中国に住んでたの?」
「あれ?言ってなかったっけ?私のお母さんは日本人だけどお父さんは中国人なの。ハーフって言うの?
お父さんの仕事とかで長い間中国に住んでたけど時々日本に来るの。でも、私は日本の方が好き。だって、タイガっちがいるもん」
「じゃぁ、さっきのあの男知り合いなの?中国っぽい服着てたけど」
「……ううん。知らない」

マオラは再び水を飲んだ。
タイガは何気なく聞いたつもりだったがマオラの様子を見るともう聞かない方がよさそうだと思った。
しばらく何を言えば良いか悩んでいたタイガだったが、ちょうど良いタイミングでソバがやってきた

「あ、美味しそう。おソバなんて何年ぶりだろ!」

ザルの上に乗ったソバはつやつやしていて本当に美味しそうだった。
横の漆塗りの器に入ったツユに、葱だの生姜といった薬味の小皿。
見事に配置されていてそれだけでも見とれてしまう……空腹も手伝って。

「あぁー!ワサビー!これこれ!寿司のとは違った辛さよねー!食べるの久々」

マオラは懐かしそうに小皿の中のワサビを眺め丸ごとツユの中へと放り込んでかき回した。

「ま、マオラちゃん。それじゃちょっと辛いんじゃ……?」
「いいのいいの! 私、辛党だから」

マオラは薬味を全部入れてよーく掻き混ぜていた。薬味で水面がずいぶんにごっている。
ソバだけはさすがに少しずつ入れていたみたいだったが口をつける前に上目遣いにタイガを見た。

「……ね、タイガっち美味しい?」
「うん、美味いよ♪ マオラちゃんと食べてると一段と美味しいよ♪」
「そっか。じゃぁ、食べよ食べよ」

せっかく上手い事を言ったのにマオラにスルーされてしまってタイガはちょっと悔しい気分。
でも、間違ってないわけだからと自分に言い聞かせてみる。

「く~っ!美味しいっ!日本食ってやっぱ良い!」

全然辛そうな素振りも見せずマオラはソバの美味しさに酔いしれていた。

「はー。こんな美味しいのになんでラーメンにはソバ入れないのかな」
「ホントおかしいよねー」
「決めた。私、タイガっちの子供産んだらおそば屋さんになってもらお。
それで、毎日美味しいおそばつくってもらうの。ね、タイガっちは素敵だと思わない?」
「でも、毎日ソバじゃ飽きない?」
「そんな事ない。ラーメンは飽きたけどソバは平気!平気ったら平気!」

そう言いながらマオラはずるずるとソバを飲み込んでいった。
橋をザルに向けるがマオラのソバは既に無くなっていた。

「……あ、もうなくなっちゃった……」
「オレのあげるよ」
「ホント?タイガっち大好きー♪」

タイガの食べていたソバを全部持って行ったマオラにちょっと驚いた物のタイガは文句を言うわけには行かない。
それに、マオラの嬉しそうな顔。それを見るだけでも幸せだと思わなくては。

「ねー次は何処行きたい?マオラちゃんの好きなところでいいよ」
「え? 私の好きな所……?好きな所……」
「あ、そっか。マオラちゃん日本にあんまいないから言われても解んないよね」
「じゃぁ、代わりにタイガっちの好きな所連れて行って!」

マオラは立ち上がっていた。既にソバは無い。
タイガはお金を払うとワクワクしながら先に外へ出て行ったマオラの後を追った。
薄暗い店の中から明るい外を覗くとまるで彼女が輝いて見える。

「さ、タイガっち。どこに連れてってくれるの?」
「そうだなー。じゃぁ、裏通りの商店街にしようよ」
「なんで商店街……?」
「地味だけど裏通りの方はきっとマオラちゃんも気に入ると思うよ」

マオラの手を掴むとタイガは急ぐわけでもなく今度はゆっくりと歩いていった。
ソバ屋を出て右に曲がれば公園のフェンスの前に並んだ木々が通りの向こうまで延びている。
余り通らない道だったせいもあり、マオラがいるからでもありなんだかいつもと違って新鮮に見える。

「おなかいっぱいになったら眠くなっちゃうね」
「うん……」
「何時までいられるの?晩御飯も一緒に食べようよ」
「わかんない……でも、今日はきっと大丈夫」

並木道が途切れる所でまた角を曲がればそこは大通りの奥に引っ込んだ古い店の並んだ小さな商店街。
木造の建物がチラホラと見える中に小さなコンビニが見え裏通りといえど時代の流れを感じる。

「どう?賑やかじゃなくてひっそりしてて良いでしょ?」
「うん、なんか日本って感………………あ、タイガっち!ハトー!」

マオラは小さな鳥居が入り口の神社へ駆け込んでいく。
追いかけると、マオラは石段の下で地面に落ちているエサを食べているハトの群れに突っ込んでいった。
バサバサバサッ!と飛び上がるハト。そんなハトの中でくるくると舞うマオラ。

「アハ、みーんな逃げちゃった!」

挿絵

風圧で少し乱れた毛並みを整えながらマオラは笑った。

「もーマオラちゃんびっくりしたよー」
「あ、タイガっち!ハト、向こうの方に降りて来てる!」
「待って!」

再び走り出そうとしたマオラの腕をタイガは掴んだ。
止めるつもりだったがマオラに引っ張られてタイガの足はもつれ、そのまま二人はハトの群れにダイブした。
飛び回るハトの中で地面に仰向けになった二人はその不思議な視界を見た。

「…………あーあ。ハトいなくなっちゃった」

しばらくしてマオラの言葉にタイガははっとわれに返った。

「……変な感じ。タイガっちと一緒に突っ込んじゃったらすっごく綺麗だったねー」
「うん。オレもそうだった」

パンパンと汚れを払いながらタイガが立ち上がるとマオラはいつの間にか鳥居の下で手を振っていた。
砂埃の向こうに見えるマオラはさっきと違って見える。鳥居の下まで来るとマオラははタイガの腕を掴んだ。

「私ここ気に入っちゃった」
「そう?もっと良い所あるよ?」
「フタを開けただけじゃ見えない宝石箱の奥の宝石にも綺麗な物はいっぱいあるんだよ」
「にゃ……それってどういう意味?」

マオラはニコッと笑ってタイガの腕を引っ張って行った。
いつものように駆け足になりながらマオラは闇雲にタイガを先導していく。

「あ、待って!ここ、ここ!」

タイガの足は小さなお店の前でブレーキをかけた。
それは一軒のペットショップ。ペットと言っても正面から見えるのは魚だけ。
切れ掛かった電灯が照らす薄暗い店内には、水槽の薄明かりがポツポツとキャンドルの様に規則正しく並んでいる。

「また一個宝石見つけたね」
「ん?さっきの話?」
「いいからいいから、タイガっち。案内して♪」

タイガの肩に手を置き押していくマオラはますますイキイキしているようにも思えた。
宝石ってのはマオラの事じゃないかとタイガはふと思った。

「ね、タイガっち。綺麗だね。ガラスと電球だけでこんな綺麗な物が出来るんだよ」
「うん、そうだねー」
「お魚が羨ましい。こんな綺麗な水槽で自由に住めて……」
「うん。だねー」

急にタイガの腕が重くなった。マオラがタイガの腕をしっかり掴んでいた。
ふと見たマオラの横顔にはどこか寂しげな様子が感じられた。

「あれ……先輩じゃないですか?」

薄暗い店の奥から聞き覚えのある声が聞こえた。
ぽてぽてとした足音が近づくにつれその声の主はタイガの予想通りになった。

「……やっぱりタイガ先輩だ! どーしたんですか? 珍しいですねぇー」
「エコか……ちょっとデートしてるんだ。で、何でお前はこんな所にいるんだよ。電話も出ないで!」
「えへへー。実はミドリガメ見てたんです。よくここに来るんですよ」

エコはそう言うと、さっきから気になっていたのかひょいと首を伸ばしてマオラを見た。

「……は、はじめましてー。タイガ先輩にはお世話になってますー」
「………………」

マオラはエコに背を向けて横に高く積まれたエサの袋や缶詰の方を見ていた。
タイガはそんなマオラに気づかずエコに説明を始めた。

「……あ、この子はマオラちゃんって言ってな!」

その時、ガラガラと隣のエサの山が崩れてエコの姿が消えた。

「逃げろーー!!」

マオラが叫んだ。動揺するタイガにマオラは手を差し出した。
タイガは手を掴むとマオラに引っ張られるままに走っていった。










商店街の外れのバス停の辺りでマオラは立ち止まった

「よし、誰も付いて来てない」
「はぁ……はぁ……マオラちゃん……ど、どうしたの……急に……」
「……なーんかタイガっちと仲良さそうだったから……嫉妬しちゃったかな?」
「はぁ……ふぅ………でも、あ、アイツ男だよ?」
「ふーん。目がくりくりしてて女の子かと思っちゃった」

マオラはクルっとタイガに背を向けてバス停の土台をコツコツとつま先で小突き始めた。
タイガは何を言えば良いのか解らずただ、夕日に照らされたその光景を見ていた。

「……もう、お日様お家に帰っちゃってるね……」

マオラは夕日を眺めていた。

「うん、そうだねぇ……オレたちも帰る?」
「……帰りたくない……」
「え?」

マオラはニコッと笑ってタイガの方を振り返った。

「……なーんちゃって♪ 私、暇だからもうちょっとタイガっちの相手してあげよっかなー」
「にゃはw 何だそっかぁ」
「夜景のすっごーく綺麗な場所連れてって!……お願いばっかでゴメンね」
「いいよいいよ! オレは女の子にはすごーく優しいんだからさ♪」
「ありがと。タイガっち♪」

だんだん暗くなる向こう側へ二人は近づいていく。
もう、完全に近づいた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
さっきまで走ったばかりの体に心地よい風が、ただじーんと体を冷たくするだけの風になっていた。

「寒い?」

小高い丘のてっぺんのベンチの前でタイガは冷たくなったマオラの手をさすってあげた。
マオラは首を横に振り先にベンチへ座ろうとした時、

「あぁ、待って!冷たくなってるだろうし……」

タイガは取り出したタイガーカラーのハンカチをそっとマオラの座る場所へ広げた。
マオラはタイガをしばらく見つめてるとその上に腰を下ろし、タイガ続けて座った。

「綺麗だね。宝石ばらまいたみたいだね」

タイガは夜景を見つめながらマオラに言った。しかし、マオラは夜景を見てなかった。
タイガの腕を掴んだままマオラはそっとタイガの肩にもたれかかった。

「……夜景なんてどうでも良いの。私、タイガっちと二人きりになりたかっただけだから」

昼間の時と違って放っておけば消えてしまいそうな声だった。

「タイガっち……私の事好き……?」
「好きだよ」
「どれくらい好き?」
「んーと世界で一番!」
「ホントに……? 世界から私がいなくなっても? ずーっと一番?」
「う、うーん……」
「じゃぁ、ダメ。タイガっち浮気もんだ」
「ウソウソ! やっぱりマオラちゃんが一番だよ♪」

マオラは静かにタイガを見上げた。瞳に星空が写って瞬いて、何だか泣いているみたい。
でも、しばらくしてマオラはニコッと微笑んだ。

「アハッ、タイガっち上手いんだから! そーやって他の女の子も口説いてきたんでしょ?」
「ち、違うよ! オレはマオラちゃん一筋だよ!」
「ふーん。その言葉も何回目かなー?」
「ま、マオラちゃぁ~ん……」
「フフ」

マオラはタイガの腕をぎゅっと掴んでタイガの方へぐーっと寄りかかった。
マオラはしばらく目を閉じて、黙っていた。

「ねー……タイガっち?」


「ん?」


「セックスしよっか!」


タイガの脳天にずがーんと巨大な鉄の塊が落ちてきた。

「にゃ……な……にゃぁ……ぁ……!?」
「ね、やろっ♪」
「………………………………う、うん!」

タイガの顔は真っ赤になっていた。
いつも考えている事でも、こうやって立場を逆転されると衝撃的に感じるものだと思った。













近くのラブホテルに入るとマオラはピンク色のベッドに座って横になった。
タイガはオロオロしながら自分の本能と理性のどんちゃん騒ぎの収拾をつけようとしていた。

「……どうしたの?タイガっち」
「あ、え、えーと……しゃ、シャワーどっちからあ、炙る。いや、浴びるか、なーって!」
「……一緒に浴びようか?」
「にゃっ!?」

タイガの中では本能が理性を押さえつけてタコ殴りされている。
ガクリと理性が気絶した瞬間、タイガはベッドの上に飛び乗った。

「……も、こ、このままで良い! ま、マオラちゃん!……オレ……」
「…………タイガっち……」




それからどれだけ時間が経ったのか解らなかったが、ふとタイガが目覚めるとマオラが横に寝ていた。
『……ついにオレも男になったんだなぁ……』なんてしみじみ考えていたが、
タイガはそんな事をした記憶が全く無い。まさか夢中になり過ぎていたのだろうか……?

「おはよ、タイガっち♪」
「にゃ、ま、マオラちゃん!お、おはよっ♪」
「タイガっち、昨日の事覚えてるー? もー凄かったんだからね」
「え、そ、そう?」

タイガは全く覚えがなかったがどうやらAVで覚えた見たいに上手くしていたんだと思った。

「私、あーんなに凄いの初めて。もう、タイガっち尊敬しちゃった」
「う、うん……オレがんばったよ!」

マオラはベッドから飛び起きてシャワー室へと向った。
シャワー室の扉を開けるとクルッとこっちを向いてまたあの笑顔を見せた

「アハ、ウソだよー!」
「え…………?」
「タイガっち何もしないまま気絶しちゃったの。せーっかく私、覚悟してあげてたのに♪」
「………………」
「もしかして興奮しちゃったのかなー? タイガっち可愛いんだから」

バタンとシャワー室の扉が閉まるとタイガは何だかホッとしたような気分になった。
ホントならずーっとAVみたいな事に憧れていたけれど、何だかマオラとの件を考えるとホッとした。

タイガは机の上の蝶ネクタイを付けるとベッドに座って向かい合って置かれていたテレビを見る事にした。
朝の9時。ニュース番組ばかりでアダルトチャンネルに変えようとした時だった。

テレビにマオラの写真が映った。ぼんやりとした頭で何を言っているのか解らなかったが、
中国で行方不明になったといったような事が言われていた。

「タイガっちもシャワー浴びれば……?」

シャワー室からマオラが出てきた。タイガは黙ってTV画面を指差した。
マオラは画面を見ると顔色ひとつ変えずにまだ雫の付いた頭をタオルで拭いていた。

「マオラちゃん家出してきたの……?」
「…………」
「何でマオラちゃんが家出したくらいでニュースになるの?」
「…………」
「ねぇ、マオラ……」

マオラはタイガの胸に飛び込んだ。まだ湿っている髪がひんやりとタイガを感じさせる。

「タイガっち……私、タイガっちの事好き……誰の所にも行かないで……」
「ど、どうしたの……?」
「タイガっちと離れたくない……このまま誰もいない所へ連れて行って……お願いタイガっち……お願い」

タイガを見上げるマオラの顔は今まで見た事が無い、哀しい顔をしていた。

「…………マオラちゃん…………」

タイガはどうしていいか解らず黙って何度も何度もマオラの頭を撫でてあげた。
時々、髪の奥から顔を出す雫がタイガの指に当たって冷たかった。

「……私ね、許婚がいるの……」

もう何度撫でたか解らない頃、マオラが呟くように声を出した。

「いいなずけ?」
「親に結婚相手を決められてるの。お父さんの会社に有利だからって、私好きでもない人と結婚させられるの」
「そ、そんなのおかしいじゃん」
「タイガっちには解らないかもしれないけど……世界にはそう言う結婚もあるの。でも……」

マオラは哀しそうな、怒っているような瞳でタイガを見つめた。

「私、そんなの絶対イヤ……私はお父さんの便利な道具じゃない……」
「………………」
「私、タイガっちが好き。タイガっちしか好きになれない。タイガっち以外の人なんてイヤ!」

マオラはタイガの胸に顔をうずめた。泣いているのか解らない。

「……他の子にタイガっち渡したくない……だからこんなトコ……我侭って解ってるけど……けど……。
キモチは二つないんだよタイガっち……2個はないんだよ……タイガっちの心全部で好きって言ってて……お願い」
「……………………お、オレはマオラちゃん好きだよ!だからもうそんな哀しそうなマオラちゃんとはバイバイしようよ」

こんなときに、いつもの調子を出して良いのかタイガは不安だった。

「……ご、ごめんね。タイガっち……私まだ寝ぼけてるのかな……」
「眠気覚ましに何か買ってきてあげよっか?」
「……私お腹が空いたな。タイガっち、ハンバーガー食べたい」

マオラはいつものあの笑顔だった。

「じゃぁ、買ってくるね」
「早く帰ってきてね。タイガっち。じゃないと私溶けちゃってるかもしれないよ」
「……うん」


ラブホテルを一旦出ると、タイガはラブホテル街をちょうど外れたあたりにあるコンビニへと向っていた。
タイガの頭の中ではあんな弱気なマオラの顔がぐるぐると渦巻いていた。
これからどうしよう。あんな顔を見せられたら。そんな事を考えていると向い側に一人の男性が立っていた。

「あの……すいません」

その男にタイガは見覚えがあった。通天閣の下で声をかけた彼に間違いなかった。
一瞬マオラの顔が頭をよぎりどう対応するか迷っていると続けて彼は言った。

「……ちょっと、お話があります。一緒に来てください……お願いします」

タイガの返事を聞く前に彼は歩き出した。時折立ち止まってこちらの方を振り替えって、
付いて来いと言っているようだった。タイガも恐る恐る後を付いて行くと喫茶店の中へと入っていった。

「で、話って何だ?」

既に男が座っていた席を見つけて座った途端。ぶっきらぼうにタイガは言った。

「……お手数かけて申し訳ありません。僕はワンと言います」

ちょうど、水が運ばれてきた。
ワンは注文を聞こうとするウエイトレスを席から外させ、続けた。

「……僕はマオラの許婚です。マオラを探しに日本へ来て一ヶ月になりました」
「……で?」
「マオラは僕の大事な人です。決して家が繁栄するからとかそう言う理由で言ってるのではないのです」
「だから結局何なんだよ?」

ワンはメガネのフレームを上げると言いずらそうにタイガを見た。
タイガがキッと睨むとワンは目を逸らして氷の解け始めたコップに口を付けた。

「……マオラが言っていたタイガさんとは貴方だったんですね。マオラの好きそうなタイプですよ。
気も強そうで、マオラを守ってくれそうで……彼女は意図せずに肩肘を張って生きてしまう人間ですから」
「だから、結局何が言いたいんだ! こそこそマオラにストーカーみたいな事してるくせに!」
「違います!!!」

店内に響く大声で立ち上がってワンは叫んだ。
周囲の状況の中で一人取り乱した自分を恥ずかしく思ったのか俯き加減に頭を下げると席に座った。

「……大声を出してごめんなさい。でも、僕は……」
「あーもー!だからオレに何を言いたいのかハッキリしろよ!!」

クワッとタイガの口に光る牙を見て、怯えたような顔でワンは再び水を飲んだ。

「……落ち着いたか?」
「は、はい……」
「じゃぁ言え。簡単に言え」

再び水を飲んでワンは俯きながら言った。

「……マオラは僕の事を嫌っているんです。僕が内向的である事が一番の理由なのでしょうが。
マオラは本当は弱い人間です。でもそんな自分を嫌がっています。だから弱い僕が嫌いなんです……」

ワンはまた水を飲んだ。

「……それに、僕の父は貿易商をしています。マオラの会社とは許婚が決まった幼少の頃から付き合いがありました。
僕らもその頃から知り合っていました……マオラはその頃から既にマオラでした」
「…………」
「ご存知ありませんか?ダイヤスポーツって」
「…………野球のユニフォームとかで聞いたことある」
「マオラはそこの一人娘で、忙しい両親のせいで昔から一人でいる事が多かったんです。
でも、決して辛い顔はしません。多分、表面を明るく取り繕う彼女の性格もそう言う家庭環境から来ているのでしょう」

ワンがコップを持つと、水は既に無くなっていた。

「……彼女は家の繁栄の為と言う結婚理由にも大変嫌がっていました。僕が結婚したがるのはそれが理由だと思っているのかもしれません。
彼女はそう言う偽りの恋愛感情が一番嫌いなんです。嘘が……嫌いなんです」
「……お前、ホント結論言わねーな」
「結論……結論ですか……結論と言うより今から言う事はお願いです」

ワンはさらに目線を下げた。

「……マオラに言って欲しいんです。あなたと別れて僕と付き合うように。
僕が言うよりもマオラが好きなあなたに言ってもらえる方が……」
「………………は?」
「もう、マオラに何て言えばいいのか解らないんです。あの、お礼ならばなんとか……」
「ふざけんな!!」

タイガは机の上に身を乗り出してワンの首元を掴んだ。
ガチャンとコップの割れる音がした。彼のメガネがずれても構わずにタイガは揺さぶった。

「……お前、そんな事でマオラちゃん手に入れて嬉しいのかよ!」
「………………で、でも!僕は彼女に嫌われてて……」
「馬鹿野郎!」

タイガは思い切りワンを殴った。奥の席まで飛んでいったが空席だったのが救いだった。
ワンは奥の席の机の上に背を打ちながら怯えていた。

「……オレは男が大っ嫌いだけどよー。お前みたいな奴が一番嫌いなんだっ!
好きな女の子くらい、自分で手に入れる事くらいしてみろよ。甘ったれるんじゃねー!!」

タイガはワンの傍へ歩み寄るとワンは手で弱弱しく防御の体制をとっていた。震えていた。

「……じゃーな。とっとと帰れ」


タイガは喫茶店を出た。
中が少し騒がしいようだったがそんなに強く殴っていないから大丈夫だと思った。
その足でコンビにへ向かい、サンドイッチを2つ買ってホテルに帰った。











「おかえり。タイガっち」

ベッドの上で大の字になったままマオラは言った。

「サンドイッチ買ってあげたよ。卵とハムとどっちが良い?」
「タイガっち選んで。私、タイガっちが選んだ物なら何でも食べる」
「じゃぁ、2つあげる。マオラちゃんいっぱい食べて元気つけてよ。ハイ!」

マオラはニコッと笑うとサンドイッチを受け取った。

「じゃぁ、二人で半分ずつ食べよ。そしたら二人で二つの味が楽しめるよタイガっち。
ね?」
「んーじゃぁそうしよっか!」

半分に契ったサンドイッチをマオラから受け取るとタイガは一口でそれを食べた。
マオラはチビチビとサンドイッチを口に運んでいた。何だか元気が無い様に見える。でも、口元は笑っていた。

「ねーこれから……」
『PPPPPPPP!!』

タイガの、正式にはレッドの腕時計型PCが鳴った。通信が入ったのだ。
舌打ちをしてタイガはボタンを押した

「……ったくー。何だ?」
『タイガですか?あの、例の子、TVに出てるんですけど一緒にいるなら返してあげてくださいよ』
「うっせーな!マオラちゃんは色々悩んでんだよ」
『もしもし?タイガくん?イエローです』
「あ、イエローちゃん?」
『今日は良いですから明日には返してあげてくださいよ?』
「え、でも……」
『もしもし?パープルだけど、親御さん心配しているみたいだから』

応えようとしたタイガの腕をマオラは掴んだ。

「切って……タイガっち……切って……」
「…………パープルちゃん……ゴメン!!」

電源ボタンを押してタイガはPCごと切るとマオラの頭を撫でてあげた。

「タイガっち私だけ見てて……お願いだから……」
「……マオラちゃん」
「ワンと会ったんでしょ?……私、窓から見てたの」
「会ったけど、オレがぶっ飛ばしてやったよ!だから大丈夫だって!」
「タイガっち!!」

マオラは泣いていた。でも顔は怒っていた。

「……ワンに会う前と今のタイガっち違ってる!」
「お、オレは違ってなんかないよ!オレはオレだよ!」
「……タイガっち、私可哀相って思ってる。優しくなりすぎてる!」
「違うよ!違うって!マオラちゃん!」
「何で!何でワンなんかに会うの!何で私に同情するの!何でタイガっち!!……私だけ好きになってくれないの……」

マオラはタイガの背中に顔をうずめて何度も拳で叩いた。

「タイガっちの優しい目……私を見ていても私の奥に居る人を見てるみたい……私、解るの」

挿絵

タイガはマオラに何も応えずただ俯いてマオラの拳を受けていた。

「タイガっちの今までとこれからの一番になりたい……」
「……マオラちゃん。オレ、マオラちゃんも好きなんだよ。でも、今までの一番にはなれないよ。うぅん。
一番って言うのも間違ってるくらい。アイツは……」

突然、マオラは背を叩くのを辞め、ぎゅっとタイガの体を抱きしめた。
痛いくらい抱きしめていた。

「……私より可愛い?」
「うん」

タイガはマオラの手を握った。

「……私よりしっかりしてる?」
「うん」
「……私より素敵で、明るくて、強い人……?」
「うん」
「……その子が私と別れてって言ったらタイガっちどうする……?」
「アイツはそんな事言わないよ」

マオラの力が弱まったのをタイガは感じた

「……素敵な人だね。タイガっち……私、そんな事絶対言っちゃうもん……」

タイガの背中を冷たい雫が滑り落ちていった

「ずるいよタイガっち……大事な人……私より先に見つけて……ワガママな私なんか……誰も相手になんか……」
「……マオラちゃん……オレ」
「謝らないで!」

マオラは震えているみたいだった。

「せめて最後まで……私の好きなタイガっちのままでいて……お願い」
「マオラちゃん…………」





















翌日、朝早くから空港のロビーにタイガとマオラは居た。
お迎えの人らしきSPっぽい人たちが向こうの方で待機していて改めてマオラの凄さをタイガは思い知った。

「……あーあ。また当分おソバ食べられないな」
「また、帰ってきたら一緒に食べに行こうーよ」
「約束ね」
「うん、オレ、ずーっと暇だからいつ食べたくなっても大丈夫だよ」
「他の女の子連れて食べにいかないでね……あ、日本の子はオソバなんて食べたがらないか」
「……マオラ」

ロビーの向こうからやってきたのはワンだった。
タイガが殴ったために壊れたのか右側のフレームをテープで巻かれていた。

「タイガさん。僕、決心しました」
「……ふーん」
「僕、マオラが僕を好きになるまで頑張ってみようと思います。僕が、マオラを少しでも守れるように強くなってみます」

ワンの目はしっかりタイガを見つめていた。

「それじゃぁ、これで……」

ワンが去っていってもマオラは背を向けたまま何も言わなかった。
しばらくして小さなため息を吐くとまたあの笑顔をマオラは見せた

「……あんな奴、絶対好きになんてならない。見ててねタイガっち。あんな奴フッてやるんだから!
タイガっちよりもーっとカッコよくてもーっと素敵で優しい男の子探すんだ。でも、その前にもう少しワガママ治さなきゃね」
「そうだね」
「ねぇ、タイガっち……頑張れて言って」
「?」
「言ったら元気でるからさ。ね、お願い」
「…………頑張れ!マオラちゃん」

マオラはニコっと笑うと、後ろに歩きながらエスカレーターの方へと歩き出した。

「ねぇ、タイガっち、私、ちゃんと笑えてる?」
「うん。いつもの元気なマオラちゃんだよ」
「もし……今度会ったとき泣いてたらどーする?」
「マオラちゃんが元気出るまで何でもしてあげるよ」

マオラは足を止めて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「…………エベレストのてっぺんに迎えに来てって言ったら?」
「行ってあげるよ!」
「……じゃぁーディズニーランド欲しいって言ったら?」
「買ってあげるよ!」
「魔法使って時間止めてって言ったら?」
「にゃ……そ、それは無理かもしれないケド……」

マオラはニコッと笑ってタイガの方へ歩き出してきた。

「じゃーダメだっ!」
「オレ、魔法なんて使えないもん……」
「そぉ? 私は使えるよっ!」
「……どんな?」

マオラはタイガの前まで来るとすっと背伸びした。
軽くタイガの唇に何かが触れた。一瞬の事だった。

「これで、タイガっちは私をずーーっと忘れなくなったからね!」

マオラの顔がタイガの顔から遠ざかって行ったのがスローモーションのように感じた。

「じゃね!タイガっちー!げーんきでねー!!」

マオラは大きく手を振るとそのまま背を向け、一度もタイガの方を振り返らずに走り出した。
エスカレーターに飲み込まれていくようなマオラの頭のてっぺんが見えなくなるまでタイガは見送った。













それから10分後、マオラとワンとSPさん、その他もろもろを載せた中国行きの飛行機は飛び立った。
柵に前のめりにもたれかかりながら見る飛行機の窓からマオラが手を振っているように思えた。
多分、思いっきり元気にふっている事だろう。


「あーあ……どーせならエッチしとけばよかったなぁ~」


飛行機が雲の中に吸い込まれていってもタイガは空の向こうを見つめ続けていた。

挿絵