第73話

『川崎食堂物語』

(挿絵:クリーム隊員)

春のぽかぽかした陽気が街中を包み、新たな息吹に春を告げる風が吹く。
そんな春のうららかな午後、公園の隅の芝生で日向ぼっこをしているタイガとエコがいた。

「せんぱぁい。春っていいですねー」
「だなー……」

二人は特に何をするでも無く、太陽に向って大きく手足を広げて春の陽を全身に浴びていた。
鼻には草の香りが香り、ゆっくりと体の中へと浸透していく。
このままじっとしているとまるで地面の芝生と一体になったかのように感じた。

「せんぱぁい……気持ち良いですねぇー……」
「…………」

ちら、とエコが横目でタイガを見れば、まるで猫のように顔をこすっていた。
その幸せそうな顔といったらとても文字と言う媒体では表現する事ができないほどだった。

「せんぱぁい…………せんぱぁい……?」
「むー……にゃんだぁ……?」
「OFFレンに何か頼まれてるんじゃなかったんでしたっけー?」
「んー……そうだったかにゃぁ……」

半分、猫化しているタイガの脳はエコの話をさほど重要だと判断しなかった様ですぐさま記憶の引き出しへと閉じ込めた。
ただ、ただ、タイガはこうして陽の光を浴びて至福の時を少しでも長く味わっていたかったのだ。

「あ……せんぱぁい……」
「うるさいぞぉー……オレはもう少しこのままでいたいんだぁ~……」
「あのですねー……確かぁ……お寿司貰いにいくんじゃなかったでしたっけー……」
「そうかぁ……ふーん……ふーん……」

徐々にタイガの意識は深い眠りの中へと落ちて行っていた。
芝生の揺りかご、陽の子守唄。タイガにはもう、エコの言葉は届く事ができないはずだった。
しかし、何かもやもやとした物がタイガの意識をこれ以上深みにはまらないように強く押し上げていた。

「……にゃ……うぅ……ガァ……」

タイガの意識はその何かに眠りの沼の底から押し上げられだんだん沼から上がって行く。
あるところまで来ると、背伸びをしているかのように急激にそれは意識を押し上げた。
その急激な力はタイガの意識を軽く吹っ飛ばし、その先の引き出しを壊すには十分すぎていた。

「にゃぁっ!!」

脳裏に過ぎったバチバチとした火花の様な物がタイガの瞼の裏に映った。
それと同時に引き出しから飛び出した意識は鳥かごから出た小鳥のように自由にタイガの脳内を飛びまわった。
それにより、日向ぼっこをするまでに至った経緯を事細かく、フラッシュバックするように思い出した。

「先輩、どうしたんですか? だ、大丈夫ですかぁ!?」

思わず飛び上がったタイガの目に飛び込んできたのは不安げにタイガを見つめるエコだった。

「……ヤバイ……お花見用に注文した寿司を取りに行くって……オレ……引き受けて……」
「?」
「お、オイ、エコ! 今何時だ!?」
「えーとえーと……何時ですか?」

タイガは埒が明かないと悟り、虎縞の携帯を開いた。時間は1時25分。

「ヤベッ!! 3時間も経ってる……」

タイガはOFFレンたちの罵詈雑言が飛び交う様子が意識せずともアリアリと想像できた。
まさか、日向ぼっこしていたとは言えない。

「先輩、今何時なんですかねー?」
「んな事、どーでも良いんだよ! 今すぐ寿司屋に!……ってどこの寿司屋だ?」

タイガは飛び回っている記憶を捕まえてみた。確か朝起きて、リビングに入った辺りだったはずだ。



「ふーん……じゃがいもって芽が出るのかぁ」
「そうらしいですよ」



タイガは頭をぶんぶん振った。

「違う違う……これはもっと前だったよな……」



「今日、12時からお花見いくんですよねー」
「ホントかー? リーダーには辛いよなぁ」
「あ、だからレッドに戻ってください」
「にゃはーw オレも寿司食いたい♪」
「ダメですよ。戻ってください」



「あ、ここだここ!」

エコは不思議な目でタイガを見ている。早く続きを思い出さなくては。



「グリーン、じゃぁ、あれタイガに頼みません?」
「あぁ、お寿司取りに行くあれですか? そうですね。じゃぁ、お寿司とってきてください」
「オレのか!?」
「違います。取ってきたら少し分けてあげますからね」
「よし!任せとけ!」
「先輩、オレもついていっていいですかー?」
「おー来い!」
「『#@%&★』って所ですから。よろしくお願いしますね」
「OKOK」



「……あれ?」

一番肝心な部分だけが抜け落ちている事にタイガが気づくのに時間は掛からなかった。
しかし、グリーンの口の動きは何となく覚えているはずだった。

「た、確か……ス……いや、オ?……ケ?……ミ?」
「先輩先輩!」

エコがタイガの肩を叩いた。

「ど、どうした? 思い出したのか?」
「先輩、ホラ、こんな所にバッタがいますよー」

エコは長く延びた草の先に止まっている小さなバッタを嬉しそうに指差した。
何気ないエコの一言のせいで思い出せそうだったグリーンの口の動きがもはや「バッタ」としか動かなくなっていた。
そうなるともう、脳内でグリーンの声でバッタと再生始められて固定化されてしまう。

「お、お前……」
「……ふぇ?」

エコの頭を殴ろうとしたが、彼がサイボーグだと言う事を思い出してタイガは手を引っ込めた。
とにかく、怒っているのはこの際最善ではない。そうタイガの脳は瞬時に判断した。

「……そうだ! 前、オオカミと寿司屋に行った事があったな」
「えぇ!オレ、行ってないです。いつ行ったんですかー?」
「お前はまだいなかっただろーがっ! 確か、電話番号オレが最初かけてー……埒が明かないからオオカミが変わって……」

タイガは記憶との間に挟まれたベールのせいでぼんやりとしている番号を一つずつ思い出していた。
それが見事、全て揃った時点でタイガの指はその番号をプッシュした。

「ふー! やったぜー! にゃはw 実はオレって頭良い?」
「わー先輩凄いです! ………………えーっとぉ……何かあったんですか?」

タイガはOFFレンが注文した寿司屋がそこであってほしい事だけを考えて呼び出し音を聞いていた。

「……ハイ、川崎食堂です」

タイガは電話を切った。それと同時に舌打ちをしている様だった。
もう一度タイガが電話をかけるがまたすぐに切った。それを何度か繰り返すと、

「やめた。もうめんどくせ」

タイガは携帯を放り投げて再び寝転んだ。

「せんぱぁい、どうしたんですか……?」
「…………」

理解できない状況を少しでも理解して何とかしてあげようとエコは思っていた。
しかし、タイガが何故不機嫌なのか理解できなければ行動に移すことは出来ない。
タイガの肩を遠慮がちに揺さぶった。

「せんぱぁーい」
「……あーもーうるせぇなぁー! 何度かけても変な所に繋がるんだよっ!!」
「変な所……ですかぁ?」
「見てろよ?」

タイガは携帯電話を拾い上げて目を閉じた。
すると指を一本だけたててボタンを押すと、エコにそれを差し出した。

「……お前が出ろ」
「は、はぁい……」

エコが耳にぴったりと携帯をくっつけるとしばしの呼び出し音の後相手が電話に出た。

『ハイ、川崎食堂です』
「…………」
『何か御用でしょうか?』
「…………あ、あのぉ……えーとぉ……そのぉ……ご、ごめんなさいっ!」

エコが電話を切るとすぐにタイガは携帯を取り上げた。

「オレがなぁ、決まって電話をかけるといっつもいっつもこのカワサキショクドーにかかるんだよっ!
女子隊員たちに電話かけようとしたり、ナンパして貰った電話番号にかけてみたりするといつもコイツだ」

大きな舌打ちをすると、タイガはエコの方に背を向けて再び日向ぼっこを続けようとしていた。
エコも同じように目を閉じて押してみるが川崎食堂どころが電話番号が存在しないナレーションが流れただけだった。

「……あ、あのぉ……せんぱぁい。お花見いかないんですかぁ……?」
「寿司持ってこなけりゃなぁ、いけるわけねーだろ!お花見ってのはなぁ、部下が楽しんで、
リーダーは指くわえて見てねーといけねーんだぞ? オレはレッドでもあるんだからただでさえ参加できねーのによー。
寿司も持ってこねーんじゃアイツら絶対参加させてくれねー……ホワイトちゃんたちにも嫌われる……はぁ……」

哀愁漂うタイガの背中を見つめエコは自分に何か出来ないか考えた。
学の無いエコの偏差値ではどうする事だって出来なかった。

「あーあ……いくらオレが世界で一番カッコよくて強い虎でも……こう言う時、ホントダメだなぁ……」

エコはその言葉を聞いて焦り始めていた。そんな事ないですよ、と大きな声で叫びたかった。
だが、ただの励ましの言葉は今のタイガにとって何の解決策にもならない事だけはエコは解っていた。

「……えーと……えーとぉ……」

エコは辺りを見回してみた。昼下がりの公園の芝生の周りにはたいして人はいない。
そこで、さっきから360度見回している最中に何度も目に入ったタイガーカラーの携帯にようやく気が付いた。
その携帯の黄色と黒の鮮やかなコントラストがエコの眠っている小さな脳に少しだけ働きかけた。

「あっ、そうだ! 先輩先輩!」
「うるせぇ……昼寝のジャマだぞ」
「オレ、考えたんですけどぉ、さっきのカワサキショクドーに寿司を作ってもらえばいいんですよー」
「……?」

少しタイガの顔がエコのほうを向いた。エコは内心ホッとした。

「先輩、電話かけてくださいよ。オレが、先輩の代わりにお願いしてあげますから」
「…………大丈夫なんだろうな……? オレ、花見行けるんだろうなぁ……?」
「オレは、先輩の為なら何だってします! 任せてください!」

エコの目はキラキラしていた。タイガも少しだけ嬉しそうに笑うと体を起こした。

「よし、そこまで言うならお前を信用してやる」

その言葉を聞けてエコは嬉しかった。初めて尊敬する先輩に喜んでもらえたのだから。
エコはそっとタイガに携帯を渡すとタイガは適当に電話番号を押して再びエコに返した。
ちょうど受け取るとすぐに相手が出た様だった。タイガの期待の目。長い沈黙。高まる鼓動……。

「……あっ、あのですねぇ……さっきは、ハイ、ごめんなさい、えっとですねぇ……」
















「えーと……この辺のはずですけどぉ……」

エコとタイガは尾布市との境界線に近い隣の市のとある商店街のアーケード街にやってきていた。
商店街の不景気はここでも例外ではないようで平日の昼間だと言うのにシャッターが閉まった店がいくつか見られる。
そのままずっと歩いていくと、国道が横切っていていた。それから先は民家ばかりだった。

「オイ、ホントにここなのか? 大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫ですよ。オレ、電話で5回も聞いて警察に15回も道順教えてもらったんですから」

エコの電話により寿司を作ってもらえることになっていた。
一回目のお願いですんなりと了承してくれて拍子抜けしてしまったが。

「オイ、地図見せろ……何だコレ。逆さまじゃねーか」
「あれ、そうなんですか……?」
「どこまでお前馬鹿なんだよ。もう良い、オレが地図見る」

地図を奪い取られるとエコは少しだけ自分のふがいなさにしょんぼりとしていた。
だが、タイガがナビゲート役になっても対して変わらず1時間ほどウロウロしていると、気が付いたら見知らぬ道に入っていた。
さきほど歩いていた商店街よりも少し道が細いが店がポツポツと立ち並んでいる。

「先輩、ここ地図と同じじゃないですか? ホラ、八百屋さんがありますよ」
「お、ホントだ。やっぱり地図はオレが見ねーとダメなんだよな」

しばらく歩いていると地図に書いてある通り小さな駐車場が右側にあった。
向かい側にも小さなレコード店がある。これも地図のまんまだ。
そのまままっすぐ行けば川崎食堂がある。何だかいざとなるとドキドキしてしまう。

「あ、先輩先輩! ここですよ」

エコが指差した先には一見食堂には見えない小汚い感じの小さな建物が確かにあった。
曇りガラスの引き戸がついた入り口には薄汚れた葵色の「川崎食堂」のれんが掛かっている。
左横にはこれまた砂埃でくもり始めているガラスのケースにメニューサンプルが5品程度だけ飾られていた。

「何だか汚ねぇなぁ……」
「ホントですねぇー。あ、先輩これなんでしょうねー」
「変な顔だな」

ガラスケースの下部にはボンカレーやオロナミンといった昔懐かしいホーロー看板。
よく見れば玄関の上に掲げられた大きな看板も随分古く「堂」の部分が錆びてすっかり読みづらくなっている。

「……オイ、早く入れよ」
「えぇ、オレが先ですか?」
「ったりめーだろ! 早く入れよ。お前大丈夫だって言っただろ!」

タイガに押されながらエコは扉に手をかけた。扉も古い為かエコが触れただけでガタンとガラスの揺れた。

「こ、こんにちはぁ~……」

中は外の印象とは違って少し昔のラーメン屋みたいにシンプルな物だった。
右にある調理場が見えるカウンターの前に並べられた丸イス。
その反対側のテーブルと座布団が置かれた2組の畳敷きの座席。いかにも大衆食堂といった配置だ。

「いらっしゃい」

調理場の奥から割烹着姿の高校生くらいの女の子が出てきた。

挿絵

エコの後ろにいたタイガがエコを突き飛ばして前に出る。

「オレ、タイガ! キミの名前教えてよ♪」
「……小百合です。……あ! もしかして、貴方たちさっきの電話の……」
「そう、寿司頼んだのオレ! こうして小百合ちゃんに会えたのも運命かもしれないねー♪」
「お寿司ですね。持ってきます」

タイガのお世辞を無視して小百合は調理場の奥へと入っていった。
エコもよろよろと立ち上がって側の丸イスにもたれかかっていた。

「……イタタ……せんぱぁい。何するんですかぁ……」
「お前ジャマだったから」
「そんなぁ……」

タイガは丸イスによじ登ってカウンターを見た。うっすらとホコリが積もっていた。上の棚にあるテレビにはクモの巣が張ってある。
日に焼けた壁のメニュー表、カウンターの隅の10年前のコミック雑誌、割り箸の無い割り箸入れ……。
よくよく見れば客の入りが全く無い事が感じられた。

「……ごめんなさいね。お待たせしちゃって。ハイお寿司です」
「にゃはw ありがとー♪」
「お代金は……」

しかし、席にタイガはいなかった。寿司を持って急いで本部へと帰っていったのだった。
エコもしばらくして状況に気が付いてそろそろとカウンターの下に隠れて逃げようとした。

「……悪いけど、当分タダ働きしてもらうわよ」

目の前には2本の足が行く手をさえぎっていた。エコはぺたんとその場に座り込んだ。

「……………………せんぱぁぃ……」














翌日、タイガはにゃはにゃは笑いながら女子と昨日のお花見の話で盛り上がっていた。
すっかりエコの事を忘れて、いや、もうタイガの脳内にはエコと言う存在がいなくなっていた。

「あんまり遅いんだもんねー。電話したらまだ来てないって言われて」
「しかも寿司は寿司でもタイガくんちらし寿司持ってくるんだもんねぇ」
「にゃはw ゴメーン。でも、ちょっとだけ美味かったよねー♪」
「うんまぁね。アレどこで買ってきたの?」
「え?あれ……ドコだっけー? にゃはw みんなとのお花見が楽しかったから忘れちゃったぜー」

和気藹々としている女子とタイガ。つまらなさそうに見つめる男子たち。
そんな中、リビング内に六甲おろしが颯爽と流れ始めた。携帯からだった。

「オレもレッドじゃなきゃもっとお花見楽しめるのになぁーボスは損だぜ。みんなもその方がいいよねー♪」
「……ねぇ、タイガくんさっきから携帯鳴ってるよ」
「ったく……誰だよもう……あ、女子のみんなは待っててね♪」

タイガは部屋から出て廊下の壁にもたれかかりながら携帯を見た。
電話はエコからだった。せっかくの時間を邪魔されてタイガは心底うっとうしそうにボタンを押した。

「なんだ? 今、オレはなぁ……」
『グスッ……グスッ……せ、せん……せんぱぁ……せんぱぁい……』

エコはあからさまに泣いていたようだった。

「何だよも~! 泣いてんじゃねぇよ」
『だ、だっ……だって……せ、せん……せんぱいがぁ……グス……グス……』
「早く用事を言えよ。オレはなぁ、今お前の泣き言に付き合ってる暇はねーんだよ」
『せ、せんぱいが……いなくなっちゃった……から……お……オレ……タダ働きさせられて……うぅー……』
「だから何だ?」
『お、オレ……昨日からずっと……掃除させられて……お客呼びにいかされて……寒くて……寂しくて……グス……グス
昨日から……ず、ずっと……電話……しても……せんぱい出ないし……メールも……い、いっぱい……打った……の、に……うぅぅー……』
「そんなの知らねーよ」

短気なタイガは既に限界に達していた。しかし、エコが大人しくなるどころか急に大声で泣き始めた。

『うわあああああああああああん。せんぱぁああああああああい』
「だから泣くなよー!! 」
『先輩来てくださあああい! うわああああああん。うわああああああん』

既にエコにどんな言葉も通用しなかった。タイガは頭をぐしゃぐしゃと苛立ちながら掻いた。

「……解った解った。今、どこだ?」
『グス……グス……と、隣駅……で、です……』
「ったく……一年間オレに飯おごれよ。いいな」
『ぜ、絶対、来て……く、下さいよ……せんぱぁい……充電が……もう……うぅ……』
「解ったから泣くなよー!」
「だ、だって……だってぇ……」

ガチンと電話を切ると何度も舌打ちしながらタイガはリビングの戸をそっと開けた。
女子たちがタイガの帰りを待っているのかと思ったが既に女子の集団はバラバラになっていた。

「(オレの幸せな時間を……エコの奴……絶対後でぶん殴ってやる)」












タイガが隣駅についた時は午後3時を回っていて人の数が少し落ち着いてきた頃だった。
どこにいるのかと探す必要はなかった。エコは駅の入り口の側にしゃがみ込んで泣いていた。
その横を通る人々が怪訝な顔でそれを見ており、知り合いだと思われたくない気持ちがした。

「お、オイ……え、エコ……ぉーぃ……」

エコから少し離れてタイガは小さく声をかけた。

「グスン…………グスン…………」
「おーぃ……オレだぞ……タイガだぞぉ……」

エコの耳がピクピク動いた。しばらくすると赤い顔をしたエコがゆっくり顔を上げた。
タイガはどうしていいか解らずに「よっ!」とたどたどしく言った。
エコはしばらくタイガを見つめ目が潤んで来たと同時に立ち上がっった。

「せんぱ……せんぱぁい……うぅ……うぅー……たいがせんぱぁ~い!!」

大声をあげながらエコはタイガに抱きついてまたワンワン泣き出した。

「お、オイ!くっつくなよー!」
「せんぱあい! タイガせんぱぁい! うわぁぁぁぁぁぁん」
「だから泣くなってー!」

エコを無理やり引っぺがし、地べたの上でしばらくエコが泣き止むまで放っておくと、
次第に落ち着いてきたらしくひくひく言いながら大人しくなった。

「……お前なぁ……男のくせにビービー泣いてんじゃねーよ。ったく」
「す、すいませ……ヒック……タイ……タイガ……ヒック……せんぱぁぃ……」
「……で? お前今何してるんだ?」
「お、お店……の……せ、せん、宣伝……に……き、来て……」

エコのしゃがんでいた場所には汚い看板が置かれていた。

「店の奴は?」
「と、時々……見に……く、る……んです」
「で?……何でお前逃げねーんだよ」
「……?」

赤くなった大きな目でエコは不思議そうにタイガを見つめた。

「店の奴が来ないウチにお前逃げれるだろ?」
「あっ……ほ、ホント……だぁ……」
「お前って本当にバカだなぁ~。ちょっと考えれば解る事だろ?」
「や、やっぱりタイガ先輩は……凄いやぁ……」

エコの尊敬の眼差しがタイガに気持ちよく当たって行く。
しばらくそれを満足行くほど浴びると、タイガはエコをそっと立たせた。

「っよし! じゃぁ今から飯でも食いに行こうーぜ」
「は……ハイ! じゃぁ、オレおごりますねー」
「当たり前だろ、早く行くぞっ!」

タイガがクルッと向きを変えて歩き出すとドンと顔が何かにぶつかった。
それは同じく顔だった。綺麗だった。女性だとタイガは直ぐに解った。見覚えまであった。
川崎食堂に居たあの少女だった。

「あっ! 思い出した小百合ちゃんだよねー? にゃはw こんな所で会うなんて運命だねー♪」
「……見つけたわよ親玉」

小百合はタイガとエコの首根っこをひょいと掴んで軽々と持ち上げた。

「よかったわね。親玉と一緒にお仕事出来て」
「エコ……てめぇ……まさかオレを呼び出したのは……」
「ふぇ……ち、違いますよぉ! 」
「静かに!!」

小百合の一喝でエコとタイガはびっくりした顔をしたまま大人しくなった。

「公共の場では騒がない。これ常識ね」
「は、はぁーい……」

タイガとエコは掴まれたまま地面から足を離したまま強制的に移動させられ始めた。
細身の彼女のどこにそんな力があるのかとタイガは不思議でならなかった。
しかし、まだあの一喝が妙に効いているのかあまり動く気になれない。

「あ、あのぉ……ご、ごめんなさぁい……」
「お、オレ……も……」

エコが先に口火を切ってくれてタイガも少しだけ喋る事ができた。

「私のお店見たでしょ、ちょっとのお金も無駄には出来ないの。だから食べ物もお金も粗末に扱う人は嫌いよ」
「あ、それは大丈夫! みんな美味しいって言ってくれてたよ!」
「だからって。 お金を払わずに持って行くのは関心できないでしょ」
「あれは、お花見だったから急いで持っていかなきゃってー……エコ! お前金持ってろよー!」
「ふぇ……ご、ごめんなさぁい……」
「第一……イテテテテ!」
「イタタタタタ!」

急に二人の首に激痛が走った。掴まれた部分を強く握られたからだった。

「どっちもどっち。とりあえずお金が無いなら当分ウチで働いてもらわなきゃね」
「な、何でオレまで……」
「じゃぁ、お寿司返せる?」
「………………」

一番ちらし寿司をたくさん食べたタイガはその言葉の前では何も言えなかった。
しかし、こうしてみると小百合は可愛い部類に入る子で一緒にいられるのは悪くは無いなと思い始めていた。
仕事が終わって、ご苦労様のキスを貰えたり一緒に食事に行ったり。上手く行けばその先だってー……。

「仕方ねーな。エコ、小百合ちゃんの為に頑張ろうぜ」
「えぇ……せ、せんぱぁい……」
「偉い! 世の中の仕組みを親玉は良く解ってるみたいね。下っ端も頑張りなさいよ」

そこへ来て、二人は急に足元に地面を感じた。川崎食堂の前に到着していたのだった。
相変わらず見る古臭い外装。戸を開けなくても客の入りが無い事が良く解った。人のいる気配すら感じないのだから。
中を開けて見るとやっぱり誰もいなかった。

「……さて、二人にはとりあえず床の雑巾がけをしてもらおうか」
「ぞ、ぞーきん……? 何だそれ?」
「えぇ! せんぱい雑巾知らないんですかぁ……?」

エコの言葉でタイガはすぐさま「しまった!」と思った。
あのエコが知っているのに自分が知らないのは先輩として恥ずかしい。

「お、オレが言ってるのはあっちのぞーきんの事だよ。お、お前が言ってるのは、あ、あのぞーきんだろ?」

そう言うときには知ったかぶりを貫き通すしかないと言うのは万国共通の解決策だ。
タイガもう当然上手く誤魔化してみる。あのバカなエコなら気づかないと信じて。

「へぇー。そうなんですかぁー。さっすがタイガ先輩は物知りですねー」
「あ、辺り前だろ! にゃははw お前もちょっとは勉強した方がいいぞ」
「はーい。精進しまーす」
「ハイハイ、早く雑巾しぼる」

小百合が水の入った青いバケツをドンと二人の前に置いた。
とりあえず雑巾の話題から少しでも離れたかったタイガは一安心。
エコもすっかりその話題を忘れてバケツの中に雑巾を入れて手で絞った。
タイガも見よう見真似で絞った。冷たかった。

「せんぱーい。なんだか小学校の頃思い出しますねー」
「お? そ、そーだな……」

挿絵

「先輩は、学校好きでしたか?」
「オレは学校なんて行った事ねーよ」
「えっ!?」

エコが驚いた顔でタイガを見た。その瞬間本日二回目の「しまった!」がやって来た。
遂に先輩の威厳を損なう機会がやってきてしまったのか。タイガは自分のバカさ加減に辟易し始めていた。

「あ、あのな……エコ、オレはだなぁ……」
「さ……さすがオレのタイガ先輩……! 学校なんて物に縛られないんですね。カッコイイやー」

エコは相変わらず尊敬の目でタイガを見ている。
やっぱりエコが馬鹿で助かったとタイガは改めて思った。

「ま、まーな! にゃははーw 悪者は学校に行かないことから始めるからな! よく覚えとけよ」
「オレは小学校4年生までしか行ってませんねー。あ、でもオレ、中学校は一度も行ってませんよ」
4年生になってすぐくらいに、中学校の不良グループに入って買物係になってたんですよー。楽しかったなぁー」
「(それってパシリじゃねーのか……?)」
「それで、グループの先輩の知り合いの笹山さんって人がオレを可愛がってくれてー。
笹山さんは、族の25代目のボスで、是非入ってくれって言われて入ったのがぁ……12歳でしたねー。
笹山さんって変わってるんですよー。集会の時いつもオレを膝の上に乗せて頭をなでてるんです」

エコの妙な経歴を聞かされてタイガは変な気分になった。
ふと、ホランが浮かんだ気がしたがすぐさま振り払った。

「あ、族と言えばタイガ先輩は暴走族2万人相手に一人で立ち向かったんですよねー」
「にゃ!?」
「相手は武器を持っているのに先輩は生身……怪我ひとつしないで朝には全滅! カッコイイですよねぇー」

タイガはエコが何を言っているのか解らなかった。
でも、尊敬されている訳だから否定する訳にも行かない。
誰が吹き込んだのか、それともエコが勘違いしたのか知らないがここも上手く誤魔化しておこうと決めた。

「あ、あの時かぁ~……あ、あれはお前に見せてやりたかったぜ~!」
「うわぁー。どうすれば先輩みたいに強くてカッコ良くなれるんですかー?」
「ま、まぁあれだ虎の道を極めればだなぁ~……」
「……ちょっと親玉」

タイガの体が宙に浮かんだ。首に違和感がする。小百合が持ち上げているのだった。
タイガは動こうにもなぜかこうされると身動きが取れなかった。

「下っ端はさっきから雑巾で床拭いてるって言うのになんでずっと雑巾絞ってるわけ?」
「え、ゆ、床?」
「ははーん。親玉は雑巾がけを知らないんでしょ。ゆとり世代の到来?」
「えぇ、先輩そうなんですかー?」
「ち、ちげーよ! オレは綺麗好きなだけだっ! ホ、ホラ、こうだろ?こう!」

タイガはゴシゴシと床を拭き始める。エコと小百合の変な目を振り切って。

「……ちゃんとやってよね。とりあえずそれが終わったらまたお客を呼びに行ってちょうだいね」
「は、ハーイ」
「親玉は?」

タイガはじっと雑巾と床を見ながらゴシゴシと音が聞こえそうなほど床を磨いていた。

「ホラ、これがぞーきんがけだろっ! オレは知ってるんだぞ! 知ってるんだぞー!」















「うにゃ~……疲れたぜぇ~……」

日も暮れて既に時計が8時を回った頃。
数時間前に乾拭きしたばかりの座敷の上にタイガは大の字になって倒れこんだ。

「掃除ってこんなに大変なんだなぁ……オオカミの奴らも良くやるぜ」
「でも、お客さん来なくてやり損でしたねー」
「ば、バカ!」
「?」

タイガは小百合の方を見た。奥の調理場に入っていてどうやら聞こえてないようだった。
タイガはホッとすると同時にエコの頭をガンと殴った。

「うぇ……な、なんですかぁ……?」
「小百合ちゃんが傷つくだろっ。ちょっとは口を慎めよな」
「あ、ご、ごめんなさぁい……」
「ったく。お前ってどうして何でもかんでも喋るんだ? そんなんじゃ彼女なんて一生できねーぞ」
「次から気をつけまーす……」

コンと指でエコの額をはじいてタイガは先ほどまでホコリを払っていたカウンター席に移動した。
身を乗り出して調理場のほうを覗き込んでみるとほのかに良い匂いがして来る。何か料理を作っているみたいだ。

「小百合ちゃーん。何作ってるのー?」
「もうすぐだからちょっと待ってて」

フライパンに水気のある物を流し込んだ様なじゅうじゅうとした音の向こうから小百合が応えた

「せんぱぁい。良い匂いですねー。何作ってるんでしょー」

タイガの横の席によじ登ってエコがやって来た。
タイガより控えめに調理場の方を見てワクワクしている顔をしていた。
すると調理場がフッと静かになりようやく紺色の暖簾をくぐって小百合が現れた。

「ハイ、お待たせ! 川崎食堂名物 卵いっぱいオムライス~」

右手で抱えた大きなお盆から眩しいくらい黄色いオムライスを載せた皿が二人の前に置かれた。
白い湯気が鼻を霞めてお腹の芯を刺激する。そうすれば後は簡単で唾液がじわじわと口に広がる。

「あれ? 親玉はオムライス嫌い?」
「そんな事ないよ。小百合ちゃんが作ってくれたから食べるのが勿体無くって♪」
「下っ端は卵アレルギーでしょ? そんな顔してる」
「えぇー違うよぉー」
「…………よ、よーし!オレ、ケチャップかけるかなー」

お世辞をスルーされてタイガは小さなケチャップのボトルを持つと、
卵色のキャンバスに赤い縞模様を描いていく。虎縞のつもりの様だ。

「にゃはw かんせ~♪」
「あ、これはスイカだね」
「先輩良いなぁ。オレもやらせてくださいよー」

タイガの手からケチャップを取るとエコは丸っこいヘタクソな猫の絵を描いた。
目のバランスも取れていないし口もぐにゃぐにゃして良く解らない表情をしている。

「フン、かわいくねー猫だなぁ。なんだこれ」
「えっとぉ……タイガ先輩ですけど……」
「ん?何か言ったか?」
「ぃ、ぃぇ……」
「早く食べよーぜ。小百合ちゃんが作ったのに冷めちゃうだろ」
「さ、召し上がれ」

タイガとエコはほぼ同時にオムライスを口に運んだ。

「!」

ケチャップの味が濃くも薄くも無く、均等にご飯に絡み合っていた。
それらを包む卵もほど良い甘さ、やわらかさ。俗に言う『美味しい』と言う表現がピッタリだった。

「……小百合ちゃん。これ美味しいよー!」
「うん、美味しいよー」
「当たり前だよ。これがお父ちゃんの代から続く川崎食堂の味だからね」
「パパがいるんですかー?」

エコの質問に少し寂しげな色を見せながら小百合は首を縦に振った。

「……長い事入院してるけどね」
「じゃぁ、お金いーっぱい掛かるでしょー」
「んーリアルな話……生活保護?」
「あぁ……」
「でも、きっと大丈夫。お父ちゃんが治るまでは私一人で川崎食堂を守らなくちゃ」
「へぇーがんばってねー」
「小百合ちゃん……」

タイガはオムライスを平らげた綺麗な皿にスプーンを放り投げて椅子の上に立ち上がった。

「オレが小百合ちゃんの為にこのお店繁盛させてあげるよ!」
「親玉……」
「エコもやるよな。うん、そうだ! よく言ったぜ!」
「ふぇ…?」
「下っ端……」
「だから、オレたちに任せてよ!」

ドンを胸を叩いてむせつつタイガは自信満々に言った。

「……さ、小百合ちゃんの為ならオレ、なんだってしてあげるんだから!だってオレ小百合ちゃんの事……」

タイガはニコッとした笑顔を小百合に向けた。
だが、既に小百合はタイガらの食べた食器を洗いに行っていた。











「いただきます!」
「いただきまーす」

翌朝、タイガたちは朝6時に起こされて掃除をさせられた後ようやく朝ごはんにありつけた。
色んな具が入っている味噌汁、ツヤツヤした白米、白いたくあん、香ばしい匂いの焼きシャケ、パリパリの海苔。
どれも豪華なのだが、少し量が少なかった。2人分増えたのだから当たり前なのだが。

「にゃはw 小百合ちゃんの作ってくれたご飯美味しいなぁw お昼ごはんも楽しみだね」
「働かざる物食うべからず。しっかり働いてね」
「せんぱぁい、いっぱいお客さん連れてくる方法考えましたー?」

ノリをそのままモグモグと食べながらエコは聞いた。
タイガは飲みかけていた味噌汁のお椀を置くと自信ありげに応える。

「当たり前だろ。昨日、夢の中でまで考えてたんだからな」
「先輩凄いなぁ。オレなんてタンスに何度もタックルする夢でしたよー」
「とにかく! ここはオレに任せてよ小百合ちゃん。今日はお客さんいっぱい来るからね!」

タイガはここぞとばかりに「頼れる男」な思い切りのスマイルとピースサインを小百合にぶつけた。
小百合の顔はエコの方を向いていた。

「ねぇ、そのタンスってもしかして桐タンスじゃない?」
「えーとえーと……多分そうだと思うー」
「やっぱり。あなた好きな人の前ではもう少し大胆になりたいんじゃない?」
「ふぇ……?」

タイガは自分のテクがこうも滑りまくりだと自分が寂しい人間に思えてきた。
そっとピースサインをしまうと、タイガはエコの耳を引っ張り玄関へと歩いていった。

「オイ、行くぞっ! 」
「イタイイタイ! 先輩痛いですー!」
「小百合ちゃん待っててねー!」

ガラス戸を閉めるとすぐさまエコの頭に先輩からの鉄拳が落とされた。
徐々に溢れ出す涙に覆われた視界をエコはタイガの方に向けた。
タイガは誰でも判断できるほど解り易く怒っていた顔をしていた。

「せ、せんぱぁい……ど、どうかしたんですかぁ……?」
「小百合ちゃんと気安く話してんじゃねーよっ!」
「す、すいませーん……」

タイガはしょんぼりとしたエコを見てもまだ怒りが収まらなかった様でエコの膝を軽く蹴った。
そして、ゴソゴソとタイガはスーパー袋を取り出し、中からラップに覆われた丸い物を取るとエコに投げた。

「ホイ、これはお前の分な」
「こ、これ何ですかぁ……?」

拳大ほどのラップからは黄色い物が見え隠れしていていた。
エコが触るとそれは少し暖かく、良い匂いがした。この匂いにエコは覚えがあった。
まさしく、それは昨日食べたオムライスだった。

「あ、お昼ごはんですかー? 先輩優しいなぁー」
「バカ! 違うっつーの。これはなぁ。オレの作戦に必要なんだよ」
「さ、く、せ、ん?」

フフンと鼻で笑いながらタイガはスーパー袋を広げて中身を見せた。
中には同じようにラップで包まれたオムライスボールがたくさん入っていた。

「せんぱぁーい。オレこんなに食べられませんよー?」
「だからちげーよ馬鹿。これを色んな奴に食わせるんだ」
「えぇーあげちゃうんですか?」
「そーだ!」

タイガは袋からいくつかオムライスボールを取り出しエコに持たせられるだけ持たせた。

「これを、一個だけだぞ? 一個だけ食わせんだぞ?」
「あ、ハイ」
「んで、食ったら川崎食堂のオムライスって事をしっかりアピールしろよ」
「???」

エコはここまで聞かされてもまだタイガの作戦が何なのか理解出来ないようだったが、
オムライスに顔を隠されている為か気づかれなかった。

「小百合ちゃんの美味いオムライスを食えばみんな店にいーっぱいやってくるぜ!」
「あ、なるほどぉ、さっすがタイガ先輩! 尊敬しちゃいます」
「にゃははーw オレって世界一の完璧タイガーだからなー♪」
「一生付いていきまーす。タイガせんぱぁーい」

タイガに掛け声をかけながらポロポロとオムライスを落としていた。

「落とすなよバカ! ……とにかく急いで食わせてくるか! ちゃんとやれよ!」
「あ、は、ハイ!」

タイガは早速カモを探しに駅に向って走り出した。
エコも追おうとするがヨロヨロと落とさないように歩かなければならない為に見失ってしまった。
しばらくその徐行歩行を続けていると少し開けた道に入り人通りも少しは賑やかだった。

「あ、ここにしよーっと。誰か食べてくれるかなぁー」

エコはわずかに見える隙間から人を見つけることに専念し始めた。
すると向こうから紺色のジャンパーを来た人たちが数人歩いてきているのに気が付いた。

「あ、あ、すいませーん」
「はい?」
「これよかったら食べてくださーい。タダでーす。美味しいでーす」

エコは少しだけオムライスボールの山を小さく上げ下げしてアピールを始めた。

「ははぁ、じゃぁ一個いただきましょうか。どれ……もぐもぐ……」
「美味しいですよねー?美味しいんですよー」
「うーん。これは美味しいねぇ。卵のやわらかさと程良い甘さ」
「えー私も食べていいですかー?」

別の方向から若い女性の声が聞こえてきた。
エコは上手い具合に言ってくれた事に安堵し、またオムライスボールの上げ下げを繰り返した。

「ホンっトだー! 超美味しいー」
「そうでーす。美味しいんでーす」

エコがもう少し人を寄せようと一歩踏み出すとその足に細長い紐が当たる感触を受けた。
するとドミノが倒れるが如く重心がガクッと傾いて思い切り転倒してしまった。

「あっ、あっ、ボク大丈夫?」
「怪我してない~?」
「だ、大丈夫で、です……」

何度も強打して慣れている顔をあげるとキラッと眩しい光がエコの目に入った。
それはカメラレンズだった。そしてそのバックには人が数名揃ってこっちを見ていた。

「ふぇ……?」











「この時間面白い物やってないなぁ~」

同じ頃、OFFレン本部のリビングではTVを見ながら相変わらず隊員らは怠惰な日常を送っていた。
眠気と退屈の混じった目だったが、適当にザッピングしているとふと、目に留まる人物を捕らえた。

「あれ……これ……誰かに似てない?」
「え~?」

オレンジの声に隊員たちの目は画面に集中した。

「…………エコ……だよね?」
「ですねぇ……」

そこには、マイクを向けられてオロオロしているエコが映っていた。
この動揺っぷりだと、多分自分がテレビに出ていると言う事も気づいてないだろうと隊員たちは思った。

『今ねぇ。テレビの撮影やってるの。大阪隠れグルメスポットのレポートなんだけど』
『れぽーと……?』
『夕方のニュースでやってるでしょ?『グルメスポット探検隊』ってコーナー』
『えーっと……えーっと……うぅ……』

エコはどうすればいいのか解らずに、辺りを困った風に見回していた。
ただえーとえーとを繰り返しているとレポーターも困ったのかすぐさま話題を切り替えた。

『……所で、このオムライスはキミのお家で作ってるのかな?』
『えーっと……えーっとぉ……オレは、お手伝いで。これは、カワサキショクドーのオムライスです!』
『川崎食堂? じゃーこれはお店の宣伝なのかな?』
『せ、宣伝……? えーと……多分、そうです!』
『じゃぁ、ちょっとその川崎食堂に連れてってくれるかな?』
『は、はーい。こ、こっちですよぉー』

隊員らは、エコがリポーターらを連れて歩くのをTVで見るのはやはりどこか変な感じがしていた。
何度も似たような事があった物の簡単には慣れない物だ。

「……最近、見ないと思ったらバイトやってたんですねー」
「多分、タイガも一緒ですよ……全く、最近レッドに会いましたっけ……?」
「シェンナもオムライス食べたいですー」
「グリーン、我々も行きませんか? ホラ、明日、日曜日ですし」
「……そーしましょうか」















そしてさらに同じ頃、タイガはほぼ強制的に集めた人々をほぼ強制的に連れ川崎食堂を目指していた。
少しでも逃げる素振りを見せよう物ならば鋭い爪をチラつかせ、これから待ち受けるであろう幸せに期待していた。

「にゃはw 結構いっぱい集まったなぁ~♪ これだけ連れて行けば小百合ちゃんもオレを見直すに違いないぜ!」

川崎食堂に近づくにつれ、タイガの足取りも思わず軽くなる。
頭の中にあるのはただただ小百合との妄想だけだけ。

「……ん?……何だ……?」

川崎食堂の前にたくさんの人だかりが集まっていた。老若男女が多数揃って中を覗き込んでいる。
タイガが一瞬、それが川崎食堂だと認識できなかったほどだった。

「あ、せんぱぁーい」

人ごみをかき分けて何とか中に入るとエコがタイガに気がつき、
ひょこひょことタイガに走り寄ると自信満々に来客者たちを指差した。

「凄いでしょうー! これ、ぜーんぶオレが連れてきたんですよー!
テレビの人を呼んでー。宣伝って言うのをしてもらったんです!」

エコはニコニコしながらタイガを見た。タイガに褒めてもらえるのを待っているらしかった。

「……お前……なぁぁ……」
「?」

エコが貰えた物はタイガからのゲンコツ一発だった。
てっきり褒めてもらえるとばかり思っていたエコにとって痛みも1.5割増しだ。

「……フン!!」
「せ、せんぱぁ~い。なんで怒ってるんですかぁ……」
「知らねーよっ!!」

タイガは小百合を探したが突然の来客に忙しいのか調理場から中々出てこなかった。
あんなにガランとしていた物寂しいカウンターも座敷席もいっぱいになっていた。

「すいませーん。会計お願いしまーす」
「親子丼まだー?」
「ビールもう一本ちょうだい」

客の回転も目まぐるしく、アチコチから声がする。

「あ、そうだ。オレたちだけじゃ大変ですから先輩も手伝ってくださいよ」
「めんどくせーなぁ」

タイガは悪態を付きながら地面を蹴っていた。
しかし、ますます声は大きくなってまさしく、猫の手も借りたい店になっていた。

「先輩! オレ、洗い物しないといけないんでー。後は色々お願いしますねー!」
「あ、オイ! 勝手に決めるな」

タイガは困った風に辺りを見回し、エコの後を付いていこうとしたが、
並んでいる人らにもみくちゃにされていると、レジの前に押し出された

「お会計早くね」
「お、おかいけー……って何だ!? オレはそんなの知らねーぞ!」
「金だよ金!! カツカレーな」
「お、おぅ……えーと……」

レジの場所は少し床が高く、ちょうど正面の壁にあるメニュー表がよく見える位置にあた。
そこからカレーを探すと「カツカレー480円」の文字が目に入った。

「よ、480円……だぞっ!」
「ハイ、ご馳走さん」

ジャラっと小銭を出して男の客は人ごみを掻き分けて店を出て行った。
すると次次に、人がやって来てメニューを言い、金を貰い、を繰り返した。
レジ打ちをしなかった(使えなかった)ので、お釣りは客に怒られながら計算してもらった。

「う、うにゃ……うにゃぁ……」

頭は混乱しつつも体は勝手に動き始めていた。
既に、どれくらいのお金を貰ったか解らなくなっていた。

「親玉、お疲れ様!」

ポンと肩を叩かれて、タイガはやっと我に返った。
前にはもう誰も立ってはおらず、昨日の様にガラーンとした店内がそこにあるだけだった。

「あ、あれ?オレは一体……」
「あっと言う間に食材が底を尽きちゃって閉店。片付け終わって出てきたら親玉レジの前でフラフラしてるから」
「……あ、あぁ、そうなんだ」
「下っ端がテレビの人連れて来てくれたお陰だよ。ありがと」
「えへへー」

エコの頭を撫でている小百合を見てタイガの中に嫉妬心が芽生えた。

「あ、で、でも、先輩も良い作戦立てましたよねー!あれがなきゃテレビの人達呼べませんでしたよー!」

さすがのエコもようやくタイガの様子に気づいて慌ててフォローを入れだした。

「あ、そうだね。親玉も偉いね」

同じように頭を撫でられてタイガは喉元を触られている子猫の様な顔になった。

「……にゃ、にゃははーw まぁ、オレに掛かればこんな物だぜー!」

至福の時を味わっていると、隅に置かれた黒電話がけたたましく鳴り響いた。

「あ、珍しい。電話だ。もしかして予約注文かな?」

小百合が期待を膨らませながら電話に近づいていった。
タイガは少し物足りなさそうな表情をしていた。

「ハイ、川崎食堂です。え、お父ちゃん? テレビ? あ、見てくれたの!」

どうやら父親からの物の様で小百合の顔は綻んでいた。
向こうも向こうで興奮しているのか大声が受話器から漏れてタイガ達にも聞こえていた。

「うん、バイトの子。そう。売り上げが先月の300倍。本当だよ本当。やっとウチにも新一万円札が来たのよ。
これでお父ちゃんの手術も出来るよ。うん、解ってる。無理はしてないから。うん、早く寝てね。それじゃね」

受話器を置く音が軽くなっていた。
小百合はまだ表情に嬉しさを留めたまま、側にあった台拭きでカウンターを拭き始めた。

「小百合ちゃん。良かったねー!」
「これも親玉と下っ端のお陰だよ。ホントにありがとう。何かお礼でもしてあげたいな」
「にゃははw 小百合ちゃんの笑顔がオレの一番のプレゼントだよ♪」
「下っ端は、何か欲しい物ある?」
「えーとえーとぉ……」

またも、外してしまったタイガの笑顔の明るさとは対照的に内面は寂しく荒れ果てていた。
ここまで来るとわざとやっているのでは無いのかと言う疑問がタイガの中に芽生えた。が、すぐ取り払った。

「あ、そうだ。明日でもう家に帰っていいよ。親御さんも心配してるだろうから」
「え! ホントー? せんぱぁい、やりましたねー」
「バカ」

嬉しそうなエコのおでこをタイガはパチンと指ではじいた。

「オレ、小百合ちゃんと離れるの寂しいなぁー……」
「さてと、明日の準備しとかないと。二人とも今日は早く寝たほうがいいよ」

小百合はそのまま調理場の奥に入ってしまった。
タイガはもう慣れてしまったのかため息一つでそれを忘れる事が出来ていた。
無言で座敷に上がっているとエコが手をパタパタさせながらタイガに話しかけて来た。
能天気な顔に苛立ちを覚えそうだった。

「せんぱぁい、やっとオレ達自由になれますねー。明日、遊びにいきましょうよ」
「……オレもう寝る。座布団貸せ」

4枚の座布団全てを敷いてタイガは横になった。
エコは電気を消し、何も無い冷えた畳の上で目を閉じた。
しばらくウトウトしていると、ふいに目が覚めた。突然、眠気が吹き飛んだ状態だった。

「……先輩、寝ちゃいましたー?」
「ZZZZ……」

エコは上体を少しだけ起こして部屋の中を見た。まだ外は日の出を待っていた。
調理場の奥から少しだけ薄明かりがこぼれていた。エコは座敷を降りるとゆっくり調理場へと近づいた。
中を覗くと、グツグツと煮えた2つの鍋をイスを真後ろ逆に座って眺めている小百合がいた。

「あ、あのー……」

エコが恐る恐る声をかけると、小百合はゆっくり振り返った。

「何だ下っ端か。起きてたの?」
「えーとえーと……途中で目が覚めちゃって……えーとぉ……何してるんですか?」
「んー? これ? ダシ作ってんの。明日もいっぱい来るからね」

小百合は背もたれに載せている腕に顎を乗せていた。
エコが小百合の側に歩み寄ると少しだけ顔の向きをエコに向けた。

「……テレビに紹介されたからって舞い上がっちゃダメなんだからね。これからなんだから。
ボロッちいけど、爺ちゃんの代から続く川崎食堂の味には自信があるの」
「うん、美味しいからねー」
「テレビの力だけでお客さんが来るのは最初のうちだけ。後は来てくれた人を味で引き止めんの。
ここじゃなきゃこの味食べられないって。この美味しさが川崎食堂の味なんだって思わせなきゃ」

エコはいうの間にか鍋の下の炎を見ていた。
ダシの良い匂いが鼻に触れて眠っていた空腹感を少しだけ揺り起こした。

「お腹空いて来ちゃったなぁ」
「明日は朝ごはんいっぱい食べさせてあげるからね。それまで待ちなよ」
「は、はーい」
「よしよし。期待は裏切らないからね」

小百合はポンとエコの頭を叩くと立ち上がりコンロの火を消した。
両方の鍋から真っ白な湯気が生物の如く浮かんでいた。

「下っ端はまだ寝ない?」
「ぇ、えーとぉ……もう眠くないかなぁ」

人参がポンとエコに向って投げられ、とっさにエコはそれを掴んだ。
突然の事で綺麗にキャッチ出来なかった。

「じゃ、朝まで手伝ってもらおっか」











翌朝、ひときわ空きっ腹に響く味噌汁の良い香りでタイガは目覚めた。

「ふぁ……良く寝たぜぇ……」
「せんぱぁい、おはようございまーす」
「おー」

カウンターの上には見ているだけでも美味しそうな湯気がタイガを誘っていた。
ちょうど向って左側の窓からの朝日がそれを照らしていた。
暗闇の中でその光に頼って歩いているかのようにタイガはふらふらとまだ起ききっていない体でカウンターに近づいていった。
イスに登り、そっと獲物を捕まえる虎の如くタイガは盆の上のご馳走を捕らえた。

「おぉー美味そうだぜー!」

尻尾を振りながらタイガの目はキラキラと輝いていた。
その目は少しだけだが平皿の上に置かれていた刺身に集中していた。

「とびきり美味しい朝ごはん作ったから最後の仕事がんばんなさいよ」
「うん! ねーねー早く食べようよー♪」
「はいはい」

小百合は3つの湯のみにお茶を入れ終えると着席し、すぐさま手を合わせた

「それじゃ……いただきます」
「いただきまーす!」

タイガはすぐさま刺身に箸を付けた。朝日と一緒に透き通っている綺麗な白身魚だった。

「にゃはw オレ、刺身大好きなんだー♪」
「あ、せんぱぁい。 オレにも一つくださーい」
「お前にやらねーよーだ!」

平皿を腕で囲ってタイガは数切れしかない刺身をがっついた。
物欲しそうに羨ましそうにそれを見ていると小百合はそんなエコの前にもう一つ平皿を置いた。

「下っ端のはこっちね」

皿の上にはタイガの物よりも多く刺身が置かれていた。
よく見るとタイガが食べているのと違う種類の魚も数個混じっていた。

「わー。ありがとございまーす」
「な、なんでこいつの方が多いんだよー!」

訳がわからずに困惑しているタイガをよそに小百合はパチッとウィンクした。

「下っ端がんばってくれたもんね」
「えへへー……」

照れくさそうにしていると、ふとエコはタイガが嫉妬心丸出しの目で刺身を口に運びながらこっちを見ているのに気づいた。

「えーとえーと……オレの分も食べてくださーい」
「にゃはw 戴いておくぜ」

タイガが刺身を奪い取るとすぐさまガツガツと食べ始めた。
エコはグッと我慢して、汁が透き通り始めている味噌汁を飲んだ。














後片付けを終え、時計を見ながら小百合は呟いた。

「……もうそろそろお客が着始める頃かな」

入り口の方を見るといくつかの人影がじっとそこにあるのが見えた。
いろんな色がぼんやりと見えていて10数名いるらしい事だけは解った。

「親玉、割り箸は?」
「あるよー♪」
「下っ端、掃除は?」
「大丈夫でーす」
「それじゃ、開店ー!」

戸を開けると、そこには色とりどりの少年少女が入ってきた。
もちろん、それがOFFレンジャー一同である事は間違いなかった。

「わわ、先輩! OFFレンジャー達ですよ」
「ピンクちゃん達来てくれたんだ~♪ こっちこっち! こっちが空いてるよー♪」

女子隊員を見るなりにこやかな笑顔をしたタイガは一番奥の座敷席に案内した。
一つしかない座敷席はすぐにいっぱいになってしまい、男子たちはカウンターに座るしかなかった。
これでもうカウンター席も埋まり川崎食堂はOFFレンジャーの貸し切り状態になってしまった。
外はまだ昼前の為か6名程度の客が次の順番を待っていた。

「お前らちょっとは自分の家で食えよな! 女子はいいけど!」
「何ですかせっかく来てあげたって言うのに」
「そうだよ親玉。食い逃げするんじゃなかったらウチは誰でも歓迎するよ」

小百合の声にそうだそうだと男子達は囃し立てる。小百合がいる手前、タイガは変な事が出来ない。

「……は、早く頼めよなっ!
「言われなくても解ってますよ」
「女子達はずっといても良いからねー♪」

タイガは、座敷席に向かいテーブル上に腕を組んでニコニコと女子達を見ていた。
しばらくタイガと目を合わせないように女子達の目線の置き場所が定まらない状況だった。
だが、シェンナのおかげでようやく、落ち着くことになった。

「注文早く取って欲しいですー」
「あ、そうだねそうだね♪ オレが注文とってあげるよー♪」
「じゃぁ……私天丼」
「カツ丼2つ」
「エビフライカレー」
「普通のカレー」
「シェンナはオムライスですー」
「私もそれちょうだい」
「ちょ、ちょっと待って! メモするからねー」

タイガがメモを取り始めると、エコがよろよろとグラスを載せたお盆を持ってやって来た。
目線はグラスに集中して見ているだけでハラハラする有様だった。

「お、お待ちどぉ……」

盆をテーブルの上に載せるとエコはふぅと大きく息を吐いた。女子達も同じく息を吐いた。

「よし、天丼、カツ丼2つ、カレー、エビカレー、オムライス2つ……だね」
「OK、OK」
「すぐ出来るから待っててねー♪」

メモを持って調理場へ向う浮かれ気分のタイガを見下ろしながら男子隊員は睨んでいた。

「……こっちの注文も取ってくださいよ」
「あ?うるせーな! 勝手にしろよ!」
「じゃぁ、エコで良いです。早く注文取ってください」
「いいよー」

エコがメモとペンを持ってそれらしく注文を取る格好をした。

「……俺、チャーハン」
「ちゃ……チャーハン……っと……あれ……チャーハンってこんな字だったっけ……?」
「ボクはカツカレー」
「えーとえーと……ちょっと待って。せんぱぁーい!」

エコは調理場の方へと叫ぶ。
困惑の色で多い尽くされたエコの顔に男子達の中に不安が過ぎった。

「チャーハンってどんなんでしたっけー?」
「チャ、チャーハンは……チャーハンだろ?」

タイガの返答にも困惑の色が伺えた。

「あ、そっか……あれ、でもどんな字だったのか解んないぞ?……あれ?」
「……次の注文良いですか」
「ちょっと待って、もっかい最初からやるから」
「まだ2つしか言ってないじゃないですか」

メモを千切ると、エコは再び注文をとるポーズを決めた。

「ハイ、注文言って!」
「チャーハン1つ」
「えーとえーと……ちゃー……ハン?」
「………………もう良いです。私が全部書きますから」

グリーンが半ば強引にエコからメモとペンを奪い取り『チャーハン』と書いた。
そして、次々に男子隊員らの注文を素早く書いてエコの手に押し込むように返した。

「これで注文全部です」
「……わかったー」

やや不満そうにエコは調理場へと向っていった。
それと入れ違いにタイガが女子隊員のメニューを持って出てきた。片手で盆を持ってウェイターの様だ。

「お待たせー♪」

湯気が男子らのいるカウンター席を通り過ぎ、空腹感を再び呼び戻しながら、女子らの元へと運ばれた。

「わー美味しそー」
「そんなの食べるまで解りませんよ……」
「シェンナ、これ昨日テレビで見たんですよー!」
「みんな見てたでしょ……」

女子たちは早速料理を口にし始めていた。男子隊員らも思わずその様子を見てしまっていた。

「あ、美味しいー」
「うん、さすが古いだけあるね」
「シェンナ、シェンナ、昨日これテレビで見たんですよー!」
「……解ったから黙って食べなさい」

女子達の和気藹々とした食事風景に男子隊員らは我慢できなくなっていた。
すると、ようやくエコがまたもよろよろと歩きながらご飯も持ってきた。

「お、お、お待ちどぉ……」

側にいた隊員らは、すぐさまお盆を取り上げて早速食事を始めた。
女子と違って何だか落ち着いて食事できない男子隊員だった。

「あ、ホントだ。これ美味いっすねー」
「だな」
「これは、私も泣いて悔しがる美味さですね……うーむ」

早速料理を食べると女子達同様、男子らもその美味しさに唸っていた。
エコもタイガも嬉しかったが、一番嬉しかったのは調理場の奥にいた小百合だったのは言うまでもなかった。














「……お疲れ様でした」

閉店のカードを掛けたばかりの戸を閉めて小百合は言った。
嬉しそうなエコとどこか寂しそうなタイガが、その言葉を聞いた。

「小百合ちゃん、オレたちいなくなって大変じゃない?」
「明日から新しいバイト雇うつもりだから。親玉も安心して良いよ」
「うん……」

タイガは指を絡めながら俯き加減に応えた。

「それじゃ、さようならぁー」
「ハイ、さようなら」

エコが頭を下げるとタイガはそれを突き飛ばして小百合の手を掴んだ。

「あ、あのさ……まだオレのお願い聞いてもらってないよね……?」
「そうだっけ? じゃぁ、最後に聞いてあげようか。何が良い?」

柄にも無くもじもじしながらタイガは小百合の手を左右に振っていた。

「オレ、まだ小百合ちゃんに名前で呼んでもらってないんだよねー……」
「あれ、そうだっけ……えーと……寅吉?」
「タイガ!」
「あ、そうそう」

小百合はしゃがんでタイガの顔と同じ目線に落とた。
こんなに近くに小百合の顔があると思うとタイガは少しドキッとした。

「ありがと。タイガ」

ニコッと笑うとタイガの頬に軽く唇を触れさせた。
タイガは、少し顔を赤くして猫の様に笑った。

挿絵

「にゃ、にゃ、にゃ……にゃはー……w」

ふらっと体が倒れそうになってエコが慌ててそれを支えた。
小百合は立ち上がると小さく手を振った。

「それじゃ、バイバイ。いつでもウチのご飯食べに来てね」
「はぁーい」
「にゃは……にゃははー……w」

ふにゃふにゃになったタイガをエコが支えながら二人は店を出た。
外は薄暗くなっていた。ふと、振り返ると小百合はまだ手を振っていた。エコは少し寂しくなった。

「せんぱぁい、お別れって寂しい物なんですねー……」
「にゃは……にゃはは……にゃは……」
「また今度、来ましょうねー。タイガ先輩」

エコは、食堂が見えなくなる曲がり角に来るまで時折、後ろを振り返っていた。
小百合は最後まで二人を見送っていた。何だかもう会えない様な気がしてエコは涙が少し出てきた。



















──1ヵ月後。

二人はまた、公園で日向ぼっこをしていた。
今度は何か頼まれごとをしている訳でもなく、ごく純粋な日向ぼっこだった。

「せんぱぁい……気持ち良いですねぇー……」
「…………だにゃー……」

うつらうつら、とし始めた頃、雲が太陽を隠したせいでエコは目が覚めてしまった。
同時に、朝から何も食べてないエコのお腹も目を覚ましたのかぐるぐるとお腹を鳴らした。
すっかり眠ってしまったタイガをエコは揺さぶり始めた。

「せんぱぁい、起きて下さーい」
「うーん……何だぁ……?」
「お腹空きましたよー。ご飯食べに行きましょうよー」
「んー……そうだなぁ……」

起き上がったタイガは大きな欠伸をすると、猫の様に伸びをした。
それを見てどう言う経緯をエコの頭が通ったのが解らなかったがエコはふと、川崎食堂の事を思い出した。

「あ、そうだ。タイガ先輩、カワサキショクドーに行きましょうよー」
「おぉ、そうだなー。小百合ちゃんのご飯また食いたいもんな。行くか!」
「はーい!」

タイガとエコは隣町へと歩いていった。
最近、滅多に行ってなかったが道に迷うことなく隣町の駅に付いた。
後はこの前の通りをまっすぐ進んで路地を曲がればすぐ川崎食堂が見えるはずだった。

「あれ? 変だなぁ……」

川崎食堂があったはずの場所にはたくさんの木材が置かれていた。
中央に立てられた看板には『○○ビル資材置場』と書かれていた。

「あ、あれ?小百合ちゃんは? カワサキショクドーは何処だ?」
「…………」
「そうだ、携帯!」

タイガは携帯を取り出して適当にボタンを押した。
しかし、「おかけになった電話番号は現在使われていません」のアナウンスが流れるだけだった。
何度やっても同じような結果だった。念のためエコにやってもらったが、島根の飯島さんに繋がっただけだった。

「な何でだ……? おかしいぞ……?」

タイガは頭が混乱して何度も頭を掻いて頭部の毛がボサボサになり始めていた
それを他所にエコは自分の中に生まれたある『疑惑』を確信へと変貌させていた。

「そ、そうだ。 こ、この下にあるのかもしれないぞ! エコ、早く掘れ!」
「……先輩」
「?」

エコの資材置き場を見つめる目はいつもと違う雰囲気をしていたのにタイガが気づいた。

「オレ、この前テレビで見た事があるんですけど……綺麗な花畑とか洞窟とかを見つけて
また後で行ってみたら二度とそこには行けなかったって言う話があったんですよぉ……」
「?」
「もしかしたら、オレ達もそう言う不思議な所にいたんじゃないかって思うんですよねー」

タイガは資材置き場を見た。小百合の物悲しそうな顔を思い出した。

「もしかしたら、小百合ちゃん……オレにもう会え無い事が解ってて……」
「ずっとオレ達の事見送ってくれましたからねー……多分……」

二人は川崎食堂に来たこと、小百合に出会ったこと、ここで食べたご飯のこと、
頭をなでてくれたこと、一緒にお手伝いしたこと……色々な事を思い出していた。

夢や幻なんかじゃなく、確かにあの時、二人は川崎食堂と小百合と一緒にいたのだ。

「タイガ先輩……この事はオレ達だけの秘密にしませんか?」
「そ、そうだな……小百合ちゃんにもう会えないのは寂しいけど……良い思い出にするぜ」

タイガは悲しみを堪えながら応え、資材置場に背を向けた。

「……よし、帰ってハンバーガーでも食いに行こうぜ!」
「はい! お供します」

タイガはニヤッと笑うと、突然エコを置いて走り出した。

「先についた方が金払わなくて良いぞー!」
「えぇー! 待ってくださいよー!」

タイガを追いかけながらふと、エコは立ち止まって後ろを振り返った。
エコの目にはあの時の川崎食堂と小百合の姿が見えた気がした。

「……バイバイ!」

エコはもう振り返ることなく、タイガの元へ走っていった。
何故かエコの表情はイキイキとしていた。








なお、川崎食堂が小百合の父の全快を期に一つ向こうの通りで新装開店している事を二人は知らない。