第74話

『危険な虎猫』

(挿絵:ブルー隊員)

その日は朝から雨だった。
そして、本部にもグリーンとシェンナだけと言う奇妙なメンツが揃っていた。

「……シェンナのど渇きませんか?」
「今、ジェンガ壊してて忙しいんですー」
「……………………」
「……………………」

本部にシェンナと二人きりと言うのにどうもグリーンは慣れなかった。

「お腹空いてませんか?何か食べましょうか?」
「シェンナ、看護婦さんですよー」
「……………………」
「……………………」

それどころかろくに意思疎通も出来ていないような気がしてグリーンの気まずさにはさらに拍車が掛かっていた。
気にしなければいいとも思うのだが、なかなかそうはいかない。

「……みんな来ませんねぇ……」

そんな事を呟いてみたがシェンナはもう何も言わなかった。
グリーンは何か本でも読ないかと机に乱雑に置かれた雑誌や新聞を片付け始めた。

「ん……?」

右端に積み上げられていた漫画雑誌の束を持ち上げたとき、下に大きな封筒があるのに気づいた。
外国から届いたらしく英語で書かれていたが、グリーンと書かれていることは理解できた。
消印から見ると2ヶ月ほど前に届いていたらしい。

「……誰からでしょうかねー……」

封筒を手に取り裏面を見た。「HORAN」と書かれていた。

「……あれ……ほらんって誰でしたっけ……?ほらんほらん……」

中を開けて見るとDVDが一枚入っていた。どうやらDVDレターらしい。
差出人の事を思い出しながらグリーンはそのDVDをレコーダーに入れた。

「あ、何かの企業のサンプルDVDですね。きっと……いえ、絶対!ぜっっっったい!そうです!」

何故、サンプルビデオだとここまで確信しなければならないのか我ながらグリーンは不思議だった。
だが、その疑問はDVDの映像がTVに映し出されたときに簡単に解決した。

『やぁ……グリーン』

TVには顔を真っ赤にしたホランの姿が映っていた

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!ホランってコイツだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」

脳が爆発した様な、過去の恥ずかしい体験が全て脳裏に蘇った様なそんな気持ちがグリーンを包んだ。
勢い余ってグリーンはソファごと後ろへ倒れた。目には赤や黄色の変な模様がチラついて何も見えない。

『……最近、メールや手紙すらくれないね……オレがどれだけ寂しかった事か……』
「ぜぇぜぇ……記憶を消去していたのに……くぅ……」

よろよろとグリーンは立ち上がってリモコンに手をかけた。
電源ボタンを直接押したがDVDは切れなかった。

「あ、あれ?」
『オレは今まで一度もグリーンの事を忘れた事はなかった……キミもそうだったろう?』

試しにレコーダーに直接付いている電源ボタンを押したがやはり切れなかった

「変ですねぇ……」
『ちなみに、このDVDは最後まで見終わらないとデッキから出てこない。さて……』
「(………………読んでる)」

ホランはカメラから少し身を右に寄せた。
そこには数え切れないほどのグリーンのぬいぐるみが部屋中に置かれていた様子が映し出されていた。
特にベッドらしき物の上には山の様にぬいぐるみが積み上げられていた。

『……グリーンに会えない寂しさにこんなにぬいぐるみが増えてしまったよ……。どれも寝ないで作ったんだ』
「………可愛いですー」
「シェンナは見ちゃいけません」

ホランはそばにあったぬいぐるみを掴んでカメラに寄せた。驚くほど細かく作ってあるのが解った。

『これが、お風呂用。それで、こっちが一緒にご飯を食べる用だよ。口の中にビニール袋があってね……』

気持ち悪いと言われても仕方が無いほどホランは赤い顔でぬいぐるみを紹介していた。
だが、グリーンは怖いものみたさと言う心理が働いて恐々とそれを見てしまうのだった。

『そして、この穴が空いているのは……フフ……これはちょっと言えないな……』
「…………いや、言ってくださいよ! 私の恐ろしい予想をぶち壊してくださいよ!!」
『さてと……そろそろ時間が無いから……用件を言わないといけないね……』

グリーンは赤い顔をさらに赤くして恥ずかしそうに上目づかいにカメラを見ていた。

『……今度の春休み……き……キミに……会いに行くよ……10日ほどしか……ないけどね……』
「ゲッ!!!!!」
『……もう我慢が出来ない……早くグリーンに会いたい……あぁ、グリーン……』
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 来るな来るなぁぁぁぁぁ!!!!」

グリーンの投げたクッションはTVに当たって無常にも跳ね返って下に落ちた。

『……4月の10日頃にはそっちにいけると思う……た、たの……楽しみ……に、しててく、くれ……』

ホランは顔を手で覆い隠して物凄く恥ずかしそうに、そしてワクワクしているようにスイッチを切って、画面は真っ暗になった。
そしていとも簡単にレコーダーの電源は切れた。同じくしてグリーンの緊張の糸も切れた。

「……あぁ、おぞましい物を見ましたね……4月の10日頃ですかーさてどこに逃げ……」

グリーンは壁に掛かっている日めくりカレンダーが目に入った。
普段、誰がめくっているのも知らない忘れられた存在のカレンダーだが何故、簡単にグリーンが見つけられたか。
それは、日めくりがちょうど10日になっていたからだった。

「う、嘘だ……嘘だ……これは……幻だ……いかさまだ……私を誰かが、お、お、陥れようと……」

グリーンはふらついた足取りで部屋へと向った。
そして部屋の前に『グリーンは死にました』と言う張り紙を貼ったきり、グリーンが部屋から出てくることは無かった。














ちょうどその頃、ホランはトランクを引きながら尾布駅の改札から出てきた。
そして期待に胸を躍らせた清清しい顔で雨の尾布市を見た。

「……変わってないな……と言っても1年くらいしか経ってないか」

ホランはそばにあったタクシーに乗ることにした。
懐かしいものの、少しでも早くグリーンのいる場所へ行きたかったのだ。

「どこまで行きます?」
「……通天か……あ、待てよ……やっぱり5丁目で止めてくれ」

ホランはグリーンにせっかく久々に会うのだから花の一つでも買っておこうと思っていた。
タクシーに揺られながらホランの妄想はどんどん加速する。



「グリーン!ただいま!」
「ほ、ホラン……馬鹿!! どうしてもっと早く帰って来なかったんですかぁ!」
「ごめんよ、グリーン……寂しくさせてごめんよ……」
「ホランのバカバカ! とっても寂しかったんだからぁ!」
「グリーン……もう寂しくないよ……この瞬間、オレはキミだけの物じゃないか」
「ホラン…………大好き」



「お客さん、大丈夫ですか?」
「な、なんだ?」
「顔赤いですよ。風邪ですか?」
「ぬ、ぐ、ゲホゲホ……そ、そうかもしれないな……」

ホランは窓の外を見た。外では雨がさっきよりも強くなっていた。
傘を忘れたのかびしょ濡れになった恋人が寄り添って外を歩いていた。
その光景を羨ましげに見つめていると意識せずホランの妄想は再び始まる。



「グリーン、今帰ったよ」
「ホラン……何なんですか……今頃帰ってくるなんて……」
「え、ご、ごめんよ。グリーン」
「私がどれだけ寂しい思いをしたかも知らないで……なんでそんな明るく……」
「グリーン?」
「ホランの……ホランのバカぁぁ!!!」
「あぁっ!グリーン!外は土砂降りの雨だ! 風邪を引いてしまう!!」

「……はぁはぁ……寒い……」
「グリーン……」
「ほ、ホラン!? ほ、放っておいてください!」
「ホラ、こうして抱きしめてあげていれば……暖かいだろう?」
「……ホラン……そ、そんなの全然暖かくないんだからっ! そんなのでっ……!」
「……愛してるよ……グリーン」
「ば、バカッ…………大好き」



「お、お客さん! ほ、ホントに大丈夫ですか?」
「……ん?」
「なんか顔が異常なくらい赤いですよ!?……大丈夫ですか!? まさか相当な病気なんじゃ……!」
「あ、う、えーと……だ、大丈夫なんだ……うん。心配いらない」

タクシーの運転手はうろたえながら、時折バックミラーでホランの様子を見ていた。
しかし、三度目の妄想の世界に入り込んだホランにはそんな事を気づくはずは無かった。

「ぎゃ!」

物凄い衝突音と短い悲鳴がしてホランは前の座席に顔をぶつけてしまった。
運転手が対照的な青い顔をしながらホランのほうを見ていた。

「ど、どうしたんだ?」
「こ、こ、こ……」

運転手はガクガクと震えていてまるでお化けでも見た様な顔をしていた。

「理由を説明しろ」
「こ、子供轢いちゃいました……」
「何!?」

ホランは前方を見た。雨に濡れたボンネットの中央には何かが擦れて白くなった跡が残っている。
すると、泥にまみれた少年がスクッと立ち上がったのが見えた。

「ギャァァ!! お化けだぁぁ!!!」

少年は頭をさすりながら困った顔をしてこっちを見ていた。

「ごめんなさい! AKB48のメンバー全員フルネームで覚えるから許してくださいぃぃぃ!!」
「待て、一応、大丈夫みたいだ。とりあえず、病院へ連れて行ってやってくれ」
「で、でも……」
「オレは大丈夫だ」

ホランはドアを開けて少年に手招きをした。

「来なさい。病院へ行かないといけない」
「え、えーと……お、オレ大丈夫ですから……」
「いいから、念のためだ。さ、早く来なさい」

少年は恐る恐るドアへと近づいてきた。

「運転手さん、タオルありますか?」
「えーとハンカチなら」
「ではそれで」

少年がタクシーに乗り込むとホランはハンカチで泥を拭いてやった。
さっきのショックでびくびくしている運転手と同様におどおどとしながら少年はホランを見ていた。

「……何か?」
「あ、いえ、先輩にちょっと似てるなぁって思ってー」
「そうか、オレに似てるって事はよほどカッコイイんだろうな」
「ハイ!凄く強くて、優しくて、男らしくて、オレの憧れの先輩なんです!」

ちょうど少年の泥を拭きながらホランはその少年が可愛い事に気づき始めていた。
くりくりとした澄んだ目でこっちを見られているとなんだか心の奥まで見透かされているような気がする。
素直そうな少年。ホランの好みと言う線にストレートにぶつかってくる。

「キミは……」
「あ、そこで止めてください!」

少年が突然叫び、運転手は車を止めた。

「……どうしたんだい?」
「えーと……えーと……こっちにも病院が……あ、あるから……」
「こんな所にはなかったはずだが……?」

この辺りはオオカミ軍団のアジトがある場所の為、ホランはこの周辺の土地勘があった。

「あります! えーと……昨日出来たらしくてー……えーと……ありがとうございましたぁ!」

少年はペコっと頭を下げると車を降りて雨の中を走っていった。

「お客さん、どうします?」
「……行って下さい」

名前だけでも聞いておけばよかったと思いつつ、ホランを乗せたタクシーは走り出した。















翌日、雨は上がり眩いほど晴れていた。グリーンはまだ出てこなかった。
しかし、大した話題にもならずいつもと変わらず本部の一日は過ぎていた。

「ふーん。車に轢かれたのかぁ」
「そうですよ。痛かったんですからー。サイボーグじゃなかったら大怪我でしたよ」

いつもの様に、隊員は思い思い過ごし、タイガとエコは他愛も無い話を語り合っている。

「でも、先輩に似ているお兄さんに色々優しくしてもらいましたぁー」
「ふーん……じゃぁ、イケメンだったんだな」
「カッコイイ人でした。でも、オレはタイガ先輩がイチバンカッコイイと思います」
「にゃはw そうだろそうだろ~オレのカッコよさに叶うやつはいないからな!」

タイガは機嫌良くエコを小突いた。

「……で、それからどうしたんだ?」
「病院連れて行かれそうになって、アジトの近くで降りてオオカミに診てもらいました」
「ふーん。そうかー」
「部品が壊れててー今その部品が無いらしいんです。だから当分激しい運動が出来ないです」
「ふーん」

タイガは既にエコの話に興味が無いと言う素振りでTVをザッピングしていた。
結局、この時間は何もしていないので適当にニュースにチャンネルを合わせた。

『……バームクーヘン割り選手権は京都府の21歳の女子大生が優勝を手にしました』

特に、面白みの無いニュースが流れているだけでタイガはソファの上で横になった。

「オイ、エコ、なんか面白い話しろ」
「えーと……面白い話ですかぁ?」
「すっげー面白くて、爆笑できて、何度聞いても笑える話な」
「えーとえーと……えーとえーと……えーとぉ……」

エコが面白い話を知っているわけが無い事は薄々感じていたが、困り果てるエコを見てタイガは気分が少しスッとした。
エコはエコで面白いほど動揺しながらオロオロと宙を見ている。

「何だよつまんねーな。もう、良いよ」
「す、すいませーん」

タイガは落ち込むエコを気にも留めず再びTVに目を移した。

『次は、今、変わったホストクラブが受けています。まず最初はホストクラブ「薔薇の園」……』

タイガはそのニュースを見るなり目に見えて不機嫌になった。
他人が女の子にキャーキャー言われているのを見せ付けられるのはタイガにとっては拷問にも同じ。
しかし、TVに移った画面はタイガが予想していたのとは違っていた。

『……ここは、男性による男性の為のホストクラブで……』

画面にはモザイクの掛かった客と掛かっていないホストたちが楽しげにお酒を飲んでいるシーンが映った。
全て男性だ。しかも、タイガよりカッコイイ人もいたりするのにタイガはさらに嫌悪感を示した。

「ゲー……気持ち悪ぃ~。おぇおぇ」
「カッコいいなぁー」

TVはホストにインタビューを取る場面に代わっていた。

『こう言うクラブに入ったのは何故ですか?』
『えー。だってこう言うのを求めている層がいるわけでしょう?だから必要じゃないかなぁ?』
『なるほど、ではお客さんに伺ってみましょう』

カメラが切り替わって客の映像になった、顔にモザイクが掛かっているがタイガはどこかで見た様な気がしていた。

『こういうクラブが存在するのはどうですか?』
『……良いと思うな。うん……オレは……必要だと……思う……な……うん……フッ』

タイガは目を細めて遠目にTV画面を見た。
モザイクが良い感じにぼやけて知っている顔が浮かび上がってきた。

「……ホ……ホラン……」
「あーこの人ですよ。タクシーに居た人ー。あの首飾り見覚えあります」

エコもホランの事を気づいたようだった。

「……アイツ帰ってきてたのか……フン、面白い事思いついたぜ」
「?」
「エコ、ちょっとオレと付き合え」
「それってコクハクってヤツですか?」
「バカ、違げーよ! いいから来い!」

エコの手を掴んでタイガはニヤニヤしながら本部を飛び出した。
しかし、タイガらがいなくなった後も隊員は何事も無く過ごし、グリーンの部屋の扉も閉ざされたままだった。













「飲んで!飲んで!飲んで!飲んで!」

タイガとエコが入ると、クラブの中は騒がしかった。
中央の大きなミラーボールと、シャンパングラスのタワーの輝きが部屋中を照らし、
うるさいほどのディスコナンバーがホストたちの声と共に響いていた。

「せんぱぁい、凄いですねー」
「あぁ、そうだな」

内装の凄さに興味津々でいると若いホストらしき男がタイガたちに声をかける。

「いらっしゃいませー」
「ホランいるか?」
「あ、ホラン様のお連れの方ですね。それでしたら奥のVIPルームに……」

ホストが言い終わらないうちにタイガは奥へと進んでいった。慌ててホストとエコが後を追う。
奥に行けば行くほどさっきよりも内装が豪華になっていた。
入り口付近では、ガラスだったテーブルが今は辺りの席は全て銀、金とその輝きを増していた。

「せんぱぁーい。待ってくださぁーい」

エコがようやくタイガに追いついた頃には既にタイガは大きな金色の扉の前にやってきていた。
ドアノブに光る白い宝石はダイヤモンドなのだろうか。このドアを盗んだだけでも相当金になりそうだ。

「わぁー大きいですねー。 中に王様でもいるんですか?」
「いえいえ、ここでは当店でも最高級の調度品ばかりを取り揃えたVIP専用ルームでございます」
「……おぇ」

なんだか中に待ち構えているであろう胸焼けするほどの豪華さと悪夢の光景にタイガは吐き気を催した。
だが、エコがいる手前あまり無様な醜態は見せられない。タイガはノブに手をかけた。

「ほらぁん……」

中には、タイガが想像できないほどのキンキラした光景が広がっていた。
先ほどまでとは比べ物にもならない大きな部屋の中に置かれた大きく長い紫色のソファ。
そして、それらを囲むように置かれた美しい絵画や彫刻、そのすぐ後ろには中央に大きな水晶が置かれた巨大噴水。
天井からはトラックほどある眩しいくらいのシャンデリアの光が部屋の中に美化フィルターをかけている。

「ん……タイガ……か?」

ソファのど真ん中でイケメンホストに囲まれているホランがこちらに気がついた。
少し顔が赤く酔っている様だ。

挿絵

「……ちょ、ちょっと待てよ…………おぇおぇ……ぉぇぇ……」
「せ、せんぱぁい。大丈夫ですか?」

吐き気を全て出し切るとタイガは勢い良く仕切りなおした

「…………久しぶりだなホラン!」

ホランは何度か目をしばたくと、目を押さえながら小さく首を振った。

「ちょっと飲みすぎたか……タイガとあの少年の幻覚が見えるとは……」
「ちっがーーーーーう!! オレは本物だーーー!!」
「……本物か?」
「おぅ! そうだ!」

ホランは酔った為の幻覚だと言う疑惑が拭い切れない様で首をかしげてタイガらを見ていた。
だが、どうやら本物の様だと言う結論が出たようで小刻みに首を縦に振った。

「……すまない。外してもらえるかな?」
「ハイ、またお待ちしていますよ」
「フフ……オレも待たせてばかりにはさせないさ……」

ホランは、グラスを持ち上げてホストたちを見送った。
全員が部屋を出たところでホランはテーブルにグラスを置いた。

「こっちに来い……座るところはいっぱいあるぞ」
「どーでもいいけどお前、ホント趣味悪いままなのな」

タイガがホランと少し距離を置いて座った。
そして、エコがどこに座ろうかとオロオロしているのにホランは気づいた。

「こっちに座ると良い」

トントンと、自分のすぐ横の席を指で叩いた。
エコはおどおどしながらホランの横へとやってきた。

「……お、お邪魔しまーす」
「あぁ……どんどんお邪魔すると良い……」
「わっ!」

ホランは腕をエコの肩に回してグイと自分の側へと引き寄せた。
するとエコの顔の前にまだほとんど口を付けていないグラスを持ってきた。
お酒の香りがエコの鼻を突く。

「見てごらん……このグラスの中にキミを閉じ込めたよ……フフ」
「ケッ! ホモが! キモチ悪ぃーんだよ!」

エコは言葉の意味を良く解っていなかった様でホランの腕を振りほどき、ペコっと頭を下げた

「あ、あのっ、オレ、エコって言います! えーと……昨日はありがとーございましたぁー」
「……礼には及ばないよ……オレは」
「生ゴミ!」

タイガが馬鹿笑いをしながら叫んだ。

「あのバカは放っておいて良い。オレは、ホラン……どうぞよろしく」

ホランは名乗り終えるとグイとグラスの酒を飲み干した。さっきよりも少し顔が赤くなっている。
どうやらそうとう酔っているらしい。

「……所で、タイガは野生に帰ったと聞いたが……」
「まぁ、色々あってな」
「それはどうでも良いとして……」
「オイ!!」

ホランはエコのあごを掴んで自分の顔が見えるように上にあげた。
しかし、エコはぽかんとしているだけで状況がわかっていない。

「……オレは、キミの事がもう少し知りたいな……」
「ふぇ?」
「おぇ! おぇおぇ~! キモチわりぃーのー! エコ、ソイツは生ゴミ食うんだぜー!」

ホランはタイガが遠くからはやし立てるのが邪魔に感じた。

「……タイガ」
「何だ白猫」
「……小耳に挟んだんだが……この店の前の通りをずーっと行った所でヌードコンテストをやっているそうだ」

タイガの耳はピンと垂直に立った。

「ほ、ホントか!?」
「あぁ、急がないと終わってしまうぞ」
「ヤベー! 早く行かねーと!!」

タイガは物凄い勢いで部屋を出て行った。その後も外からガラスの割る音等が聞こえたがすぐ静かになった。

「……あ、タイガせんぱーい……」
「先輩……? タイガがかい?」
「ハイ。オオカミ軍団の先輩だから先輩です」

ニコッと笑った無邪気な笑顔がホランの心をくすぐった。

「ほぅ……キミもオオカミ軍団だったのか……オレも、実はオオカミ軍団でね……」
「えぇー! ホントですかー!」
「あぁ……タイガより後だがボス代理に付いたことがある……」
「じゃぁ、ホラン先輩ですねー。よろしくお願いしまーす」

エコが下げた頭を戻したとき、ホランはまた腕を廻してエコの肩に手をかけた。

「……タイガなんかより……オレの方がもっと良いぞ……フフ」
「えータイガ先輩の方が凄いですよー」
「アイツは馬鹿だ。オレは3ヶ国語も堪能な会社の社長……」

エコはどうも、ホランよりもタイガの方が優れている事を疑っておらず困った顔をしていた。

「タイガ先輩の方がもっと凄いですよー」
「タイガは止めておいた方が良い。キミはもっと良い人を見つけるべきだ……オレみたいなね……」
「お、オレは、ホラン先輩よりタイガ先輩の方が好きですけどね~」
「……タイガが好き? それはつまりLIKEではなくて……LOVEと言う事かい?」
「えーとえーと……らぶって何ですか?」
「そうだな……つまりその人を大事に思う気持ち……と言うべきかな」
「あ、じゃぁオレ、それです」

ホランはエコの顔を見た。彼はタイガを愛している。何故タイガみたいなヤツを好きなのか。
そう考えると酒の勢いも手伝ってタイガが腹立たしかった。

「……タイガはどうなんだい」
「えーとえーと……先輩もらぶですよ。 らぶ」
「まさか、だってアイツは……」

再びホランはエコを見た。目がくりくりとしていてどちらかと言えば可愛い部類に入る。
いわゆる中性的な少年だ。これなら女として見れなくも無い。

「……なるほど……そう言う訳か……じゃぁ、オレとキミは同じ趣味を持つ者同士って事だな」
「はぁ……そですか」

二人の間に長い沈黙が訪れた。何とかして場を持たせなければと考えるが酔いのせいで上手く頭が回らない。
つい、突っ込んだ話の方向に走ってしまう。

「キミは、その、いつ頃……目覚めたんだい?」
「えーとえーとぉ……今日の朝です」
「……ずいぶん急だな」

ホランは予想外の返答に内心驚いていた。

「キッカケは何だったんだい?」
「えーと……ボスに」
「ボスに!?」
「それで、オレはあと5分って言ったんですけどぉ……ボスに無理やり……」
「無理やり!?」
「は、ハイ……」

まさか、ボスまでそう言う趣味の持ち主だったとは。とホランは驚愕した。
灯台下暗しとは良く言うがまさかボスがそうだったとはさすがのホランも気づかなかった。
エコも、起床風景を語っているだけでこんなに大きなリアクションをしてくれるホランを不思議に思った。

「……可愛そうに……もっと愛がなければ……いくらなんでも無理やりは……」
「ですよねー。オレも、もう少し優しくされたいですよ」
「……優しく……か……」

ホランはエコの手を包むように握った。

「……オレに任せろ」
「ふぇ?」

ホランの黄色い目はまっすぐエコを見つめていた。

「オレなら……優しくしてあげられる……無理やりなんて酷い真似は決してしない……安心して良い」
「ホントですかぁ! ありがとうございますホラン先輩」

心底嬉しそうにエコは笑った。その笑顔とさっきの話がリンクしてますますホランは燃え上がる

「今すぐここを出よう」
「え、でも……タイガ先輩がまだ帰ってきて……」
「タイガなんて放っておけばいいじゃないか」
「でも、タイガ先輩がいないと……」

エコはしょんぼりしていた。何故、タイガなんかを好きになるのか。自分はタイガよりもっと優れているのに。
ホランはタイガへのキモチが嫉妬から憎しみへと変わった。そして思った。エコをタイガに渡してなるものかと。

「良いんだ……さ、出よう………………な?」
「は、はぃ…………」

ホランの真剣な目を見てエコは逆らえないと判断しそれに黙って従うしかなかった。













市内を一望できる尾布ホテルの最上階の部屋にホランとエコはやってきていた。
カーテンの締め切られた部屋は昼間だと言うのに薄暗く、ベッドの横に置かれた淡色のスタンドが怪しく室内を照らす。

「……そこのソファに座ると良い」
「あ、はぁーい。わっ、凄いふかふかですねー」
「……フフ。一番良い部屋だからね」

まだ顔の赤いホランは少し足元がおぼつかなかったがエコと向かい合わせになるように、
ソファの右隣にあるベッドの上へと座った。エコは、ホランがずっとこっちを見ているのに気づいた。

「あ、あのぉ……オレの顔に何かついてますか?」
「いや」
「ホラン先輩、オレの顔ばっかり見ているんですケド……」
「それはキミが素敵だからさ。キミの可愛らしさは長い間見ていても飽きないのさ……」

ホランは怪しげな笑みをするが、エコはそれよりもソファの弾力具合が気になっていた。
だが、ホランの特殊な瞳はそれを「恥じらい」と判断して脳へと送り込む。

「……恥ずかしがらなくても良い……キミはオレの好みだ。悪いようにはしない」
「(中に何が入ってるのかなぁ……ゼリーかなぁ……オレはプリンの方がいいなぁ……)」
「さぁ、顔を上げてごらん……今日はキミの好きにして良い」
「(プリンの黒いのは一体なんなのかなぁ……あ、そう言えば今日の晩ごはん何かなぁ)」

ホランは、一向に恥ずかしがっている(とホランが思い込んでいる)エコの隣へと座った。
そっとエコの首に手を廻して優しく微笑む。

「……今、この部屋はオレとキミの二人だけだ……何をしようが……二人だけしか知る事ができない……」
「あ、そうだ。タイガ先輩どこまで行っちゃったんでしょうかねー」
「タイガ先輩の事なんかどうでも良いじゃないか……」
「でも、心配ですからー。オレ、ちょっと探して……」

エコがソファから立ち上がった瞬間、ホランはエコの腕を掴んだ

「…………行くな」
「?」

エコの視界が真っ暗になった。ホランがエコを抱きしめていた。

「……キミはタイガなんかに渡さない」
「ほ、ホラン先輩……?」

ホランの体が動いた。エコはベッドに押し倒された。

「(あ、ベッドもふかふかだ)」
「……エコ……オレにはもう……キミしか……いない……」
「(ホラン先輩、お酒臭いなぁ……)」

エコがお酒臭さから逃れようとしているのをホランは嫌がっていると勝手に判断した。
これでは仕方が無いとホランは奥の手を出す事にした。得意の催眠術である。

「……エコ……オレの目をよく見てごらん……」
「(何だか眠くなってきたなぁ……ホラン先輩何か言ってるけど……眠いなぁ……)」

エコが目を閉じたのを見計らうとホランはそっとエコの頬を撫でた。
ついに、タイガから奪ったぞとホランの独占欲は大いに満たされた。

「エコ……目を開けてごらん……エコ」
「(あ、寝ちゃった……ホラン先輩怒ってるかなぁ)」

エコが恐る恐る目を開けるとホランは微笑した。

「……完了だな……エコ、ちょっと待っていてくれ……ドーランを持ってくる」
「は、はぁーい?」

ホランは玄関の方へと歩いてトランクの中を探し始めた。

「……危ない危ない。先輩を怒らせないようにしなきゃ」

エコはぴょんとベッドから飛び降りてカーテンの隙間から外を見た。
とてつも無い高さであんなに大きいと思っていた通天閣がつまようじみたいに見える。

「ホラン先輩って凄いんだなぁ……ちょっと変な人だケド……」
「……ん?どうかしたか……?」

ホランがすぐ後ろに立っていた。エコはシャッとカーテンを閉めると誤魔化しの笑顔を作った

「いえー。何でもないでーす」
「……こっちにおいで」
「あ、はぁーい」

先輩の機嫌を損ねないように気をつけなければならないと族の時代から
思い知らされてきたエコは、ホランの言うとおりに側までやってきた。

「……じっとしていていてくれ」

ホランは手に持ったドーランスティックをエコの額に当てた。

「わっ……」
「大丈夫……すぐ終わるから……じっとして……」
「は、はぃ……」

挿絵

どれくらい時間が経っただろうか、ホランが一息を付いたとき、エコの全身はホランと同じ虎柄が書かれていた。
ホランはエコを側の鏡の前に経たせてそっと耳元で呟く。

「……フフ。これでお揃いだね……」
「わータイガ先輩みたいですねー」

ホランは明らかに不機嫌そうに鼻でフンと笑った。

「頬の模様が違うだろう。そこが崇高な白虎とただの猫との違いだ」
「そうなんですかー……?」
「あぁ、そうさ……」

エコは鏡の中の虎柄の自分にどこか違和感を感じているとそっとホランがエコを後ろから抱きしめた。
心なしかさっきよりもホランの腕が熱い。吐息が首筋に当たってこっちも暑くなる。

「わ、わっ!?」
「……キミをタイガ何かに渡さないぞ……勿体無い……タイガなんかには……」
「ほ、ホラン先輩……? 重いですよ?」
「オレじゃ……オレじゃダメか……エコ……」

エコはホランの行動が良く解っておらずどうしていいか解らなかった。
とりあえず、落ち着かせなければとエコは辺りを見回した。ベッドが目に入った。

「あ、先輩先輩! そろそろぉ……ベッド行きましょうよー」
「!!」
「つ、疲れてきたし……先輩もちょっとお酒飲んでる……し?」
「そ、そうか……まだ昼間だと言うのに……フフ……キミは意外と積極的なんだね……」

ホランの顔がさらに赤くなる。エコが一足先にベッドに上がりこんだせいでホランは余計舞い上がってしまう。
エコはホランの様子がおかしいのに気づいてパンパンと布団を叩いた。まるで早く来てと合図するように

「先輩、早く早く!」
「え、エコ……キミは……そんなにオレを……」

ホランはよろよろと興奮の為におぼつかない足でベッドへと向った。
エコはどんどん様子がおかしくなるホランに変な感じがしたが気にしないようにし、ベッドの上に大の字になった。

「それじゃ……お邪魔するよ……」
「は、はーい」

ホランはベッドに上がるとエコの顔を見ながら添い寝する形で横になった。
時々、エコの耳にホランの吐息が聞こえて来ていた。
しかし、いつまで立ってもエコが何も言わず、何もしないのでホランは我慢できず言った。

「……そ、そろそろいいかな?」
「何がですか?」
「その……状況も整ったわけだからな……」
「あ、そうですね。じゃぁ、お話しましょー」
「?」

ここまで来てまだ照れているのかとホランは思った。しかし、優しくするといった手前焦りは禁物だった。
内面からじわじわと解き解しながら持っていくことも必要だと決心した。

「そうだな……少し話でもして落ち着くか」

チリンとエコの首もとの鈴を鳴らしてホランは微笑んだ。
エコもホランが元気になったのだと安心して、ホランの首飾りを指で揺らした。音はしなかった。

「キミは、食べ物は何が好きなのかな? よければ後でご馳走してあげよう」
「えーとえーと……エビピラフが大好きです」
「ピラフか。解った。美味いピラフのある店を探させよう」
「ホントですか? やったー!」
「その分、今日は楽しもうじゃないか……フフ」
「はーい!」

ベッドに入っていると、ホランはエコの温もりが感じるはずだった。
しかし、素肌がどこか冷たかった。冷え性なのだろうとホランは思った。

「ホラン先輩は、何の食べ物が好きですか?」
「オレかい? オレは……そうだな。高い物も食い飽きたし、今はあっさりした日本食が好きだな」
「へぇー。ホラン先輩はお金持ちなんですねー」
「あぁ、金はあって困る物じゃないからな」
「良いですね~。オレにもちょっと分けてくださいよー」

エコの差し出した両手を見てホランは少し戸惑った。

「……お、オレはこう言う事にお金を払うというのは少し不純な動機の様な気もするんだ」
「?」
「キミは、純粋な気持ちかもしれない。しかし、オレはこの一連の行為に金銭を支払うのは気が引ける。
それは何故か解るかい? この一瞬は掛け替えの無い物であるし決して別な価値感に置き換えられるものでは無いと思うからだ」

ホランが突然難しい話を始めたのでエコの脳が理解できないと判断した途端、聞き流しの状態に入った。
しばらくホランの話が続き、それが終わった所でエコの肩にホランの手が触れた

「……そろそろ部屋に入って30分経つな」
「ふぇ、あ、そ、そうですねー」
「エコ、今日はキミに会えて良かった」
「はぁ……」

ホランはエコの顎を掴んで自分の顔の方にくいと上げた。
何か熱い物を秘めているようなホランの瞳が徐々に近づいた。

「ほ、ホラン先輩? あの……」
「フフ、まだ恥ずかしがっているのかい。無理も無い事かもしれないがね。
これから楽しい時間が始まるんだ。キミはオレに任せてくれれば良い」
「じゃぁ、タイガ先輩も呼んで一緒に遊びましょうよ」

エコの何気ない一言にホランは思わず咽そうになった。

「お、オレは3人と言うのは、す、好きじゃない……」
「でも多いほうが楽しいじゃないですかー」
「フ、キミは初心者のフリして意外と大胆なんだね。だが、タイガはダメだ」
「そうですかぁ……」

エコはつまらなそうにシーツを掴んでぐしゃぐしゃとすり合わせていた。
そんな様子はホランをつい苛立たせてしまった。

「キミはっ……オレとタイガどっちが良いんだ!」
「せ、先輩」
「あんなただの虎猫のドコがいいんだ! オレは金も名誉も地位もあるんだ!
能力も外見も何もかもオレはアイツより勝っている! なのにどうして誰もオレを好きになってくれないんだ……」

エコの肩をつかんで揺さぶるホランの目は嫉妬の色を示していた。
恐いと言う気持ちが少しだけエコの中に芽生えていた。恐る恐るエコは言った

「お、オレは……タイガ先輩のカッコイイ生き様が、だ、大好きなんです……」
「……っ!」
「お、オレに無い物いっぱい持ってて、優しいし、悪い所もあるし、強いし、男気があるし、
オレ、初めてこの人に付いて行きたいって思ったんです。タイガ先輩の事」

ホランの手は急に力が抜けたようにベッドの上に落ちた。

「そ、そうか……キミの愛情はオレの前で少しも揺るがない……本物なのか……」
「?」

力なくホランは笑うと、エコの頬を撫でベッドから降りた

「きょ、今日はせっかくの所を邪魔したね……」
「あれ、ホラン先輩、どこに行くんですか?」
「タイガを大事にしてやってくれ……そして、ありがとう、エコ」

ホランはそのまま部屋を出て行った。少し肩が震えていた。
エコは突然の事に状況を理解できずにしばらくぽかんとしていた。

「……あっ! エビピラフ……」











夕日が沈み始めた頃、どこまでもどこまでもヌードコンテストを探しに行ってしまい、
一本の棒切れを頼りに帰ってきているタイガがいた。

「ぜぇぜぇ……クソ、ホランの奴……騙しやがって……」
「あ、タイガせんぱぁーい」

ようやく、尾布市の中心部に近づき、ホテルの前を通りがかったときエコの声が聞こえた。

「大丈夫ですか?」

所々黒く変にかすれた虎縞のエコがタイガの元へと走り寄ってきた。
変な格好に一瞬、エコだと思えなかったくらいだ。

「お前、なんだそれ、お前も虎になりたいのか?」
「あ、さっきまでホラン先輩といたんですよー」
「ホランだとぉ~? アイツどこに行ったんだ!!!」
「えーと、なんか一緒にベッドにいて、終わったらすぐ帰っちゃって」

タイガの顔が少々引きつったのをエコは気づかなかった。

「え、お、お前、今、何て言った?」
「ホラン先輩と一緒にベッドにいて、終わったらすぐ帰っちゃったんです」
「ゲッ、お、お前、ホランとまさか……寝たのか……? しかもやり逃げ……?」
「そうですけどぉ」

タイガの手から離れた棒が乾いた音を地面の上で立てた。

「オレは、タイガ先輩も誘おうって言ったんですよ。あ、良かったら先輩も今から」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
「ご飯食べに……ってあれ? あれ、せんぱぁーい! 待ってくださいよぉー!」

タイガは無我夢中で走り出した。車もバイクも追い越してタイガは風のように走った。
エコも慌てて追うが、タイガはその声にどんどん距離を離していった。

「寄るなーーーーーーー!!」
「何で逃げるんですかぁー! タイガせんぱぁーい!!」

挿絵











次の朝。ホランは社長室で目覚めていた。
昨日の飲みすぎで二日酔いが酷く、しかも昨日の記憶が所々飛んでいた。

「うぅ……頭が痛い……休みだからといって飲むもんじゃないな……。
酔うとつい、他人に手を出してしまう……エコ、ちゃんと帰っていたらいいが……」

秘書が既に用意していた水を飲みホランは長い間座っていなかった社長椅子に腰を下ろした。
しばらく外の景色でも見ていれば少しは落ち着くだろうと思ったがやはり痛みは相変わらずだった。

「これじゃ、帰るのも辛いな……仕方ない。変える予定は明日に延ばすか」

秘書に連絡しようと受話器を手に取ったとき、ホランは大事な事を思い出した。

「……そうだ。挨拶が忙しくてグリーンに会うのをつい忘れていたな。今日一日はグリーンの為に……」










そしてちょうどその頃、グリーンは、地獄から開放された喜びの中部屋から出て来ていた。

「ああー! あれ、私は何で部屋に閉じこもっていたんでしょう。空にはこんなに太陽が輝いているのに」

しかし、リビングには誰もいなかった。
そう言えば今日はみんな実家の都合や友人との都合でグリーン以外誰も居ない事を思い出した。

「一人だけですかぁ……じゃ今日は、一人でピザでも取って食べましょうかね」

グリーンが電話をかけると、すぐさまソファに座ってTVをつけた瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

「あれ、もう来ちゃったんですか? 最近のピザは早いんですね~」


恐怖と言う感情が枯渇したグリーンは少しもそのチャイムを疑わず玄関へと向った。


「おいくらですか~?」


玄関を開けると、来客はゆっくりと荒い呼吸でグリーンに近づいてきた。


グリーンの頭は突然真っ白になった。脳はこれは夢なのだろうと思うと必死だった。


玄関の戸が閉ると、来客は後ろ手でカギをかけた。


グリーンが後ずさりをすると、来客も一歩足を進めている。


後ろが壁だと気が付いた時、その来客は微笑んで言った。



「会いたかったよ……グリーン。今日は楽しい一日にしようね……」