第75話

『続・タイガ様殺人事件』

(挿絵:ピーターパン隊員)

その日は5月4日だった。そしてその日の午後1時。タイガとエコがハンバーガーショップでお昼を食べていた。
ハンバーグセットを美味しそうに食べているタイガの反対側ではポテトを遠慮がちに食べているエコがいた。
タイガはニコニコしながらバニラシェイクを勢い良く吸うと大きく息を吐いた。

「なぁ、エコ、明日は何の日か知ってるか?」
「ふぇ……5月10日って何かありましたっけー?」
「5月5日だろ」
「あ、そうでしたー。で、何の日なんですか?」
「オレの誕生日だよ」
「へぇー」

思ったよりエコが反応を示さなかったのでタイガは不機嫌になった。
わざわざ腕組みまでして気取っていたのが何だか恥ずかしくなってくる。

「そうかそうか。お前はこのオレの誕生日を簡単にスルーする奴だったんだな!?」
「ち、違いますよぉー! 凄いなぁって思っただけですよー。だって5が2つもあるじゃないですかー」
「じゃお前の誕生日はいつだ?」
「えーとえーと…………えーとぉ…………6月16日です」
「お前こそ6が2つあるじゃねーかよっ!」
「あ、ホントだー! 先輩凄いなぁ……!」

能天気なエコにだんだんイライラしてタイガは机を指で強く叩き始めた。
それにはいつまで経ってもエコからあの言葉が出ない事に対しての苛立ちも含まれていた。

「で?エコは誕生日にオレに何くれるんだ?」
「ふぇ……?」

エコの『何ですか?それ』みたいな顔がタイガの堪忍袋の緒を切らせた。
店内にも関らずタイガはエコのヒゲを両側から思い切り引っ張って叫んだ。

「誕生日プレゼントーーー!!!誕!生!日!プレゼントだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

挿絵

「ふぇぇぇぇぇ……しぇんぱぁい……わひゃりまひたからぁぁ……」

タイガがヒゲから手を離すとパチンと音がした。

「フン!」
「せ、せんぱいごめんなさぁい……」

涙目のエコが痛そうに赤くなった頬を擦っていた。

「誕生日にプレゼントをくれるのは当たり前だろっ! しかも、このオレ様の誕生日だぞ!」
「た、誕生日ってプレゼントをあげる物なんですかー?」
「ケーキ食って、ご馳走食うのもするぞ」
「オレのウチでは誕生日に何もしませんでしたケド……当日なのに誕生日って事良く忘れちゃってー」
「それは……お前の家が変なだけだろ。とにかく、明日、本部にプレゼント持って来いよ。無い奴は参加させねーからな!」

タイガがビシッと指を指すとエコはポテトをぼーっとしながらぽそぽそと食べていた。

「…………あっ、すいませーん。何の話でしたっけー?」

既に店にはタイガは居なかった。辺りを見回してもタイガの影も形も見当たらなかった。

「先輩、トイレかなぁ……」

エコは再びポテトを口に運んだ。











そして遂に5月5日がやって来た。
タイガは朝から鼻歌交じりに誕生日パーティーの飾りつけを見物し、料理をつまみ食い。
ブルーの誕生日パーティーと言う意味合いが強い事も知らずにタイガは浮かれていた。

「にゃはーw 誕生日ってやっぱり良いなぁー♪」
「どうでもいいですけど少しくらい手伝ってくださいよ」
「オレは、今日の主役だぞっ!」
「……ハイハイ」

タイガは今日は自分の為だけに地球が動いていると言わんばかりにソファに座ってふんぞり返った。
ソファの前のテーブルには触れただけで壊れてしまいそうな綺麗なグラス。蝋燭の束。クラッカーたち。
どれもこれもタイガ(とブルー)の誕生日を盛り上げる為に集められた精鋭達だ。

「タイガせんぱぁーい」

玄関の方から隊員たちの準備している音に混じってエコの声が聞こえてきた。
メンバーも徐々に揃い始めている。タイガの期待度もどんどん上がっていく。つい笑みがこぼれてしまった。

「何ですかエコ。今、忙しいんですからねっ!」
「いーからさー。あ、先輩先輩♪ お誕生日でーす」

タイガを見つけると嬉しそうに走りよって青い包みをエコは差し出した。

「お前な~普通は『お誕生日おめでとう』だろ?」
「あ、間違えちゃいましたー。おめでとうございまーす」
「フン。プレゼントは持って来てるみてーだし、パーティの参加をOKしてやるか」
「わーい。ありがとうございまーす」

エコが隣に座ろうとするとタイガはエコの背中をポーンと蹴飛ばした。
思い切り顔を地面に打ってエコは、きぁ、と変な声を出した。

「今日はオレの日だからな。このソファはオレのもんだぞー!」
「す、すいませんタイガ先輩……じゃぁ、オレはドコに座ったら……?」
「んーお前はー……立ってろ」
「は、はーい……」

しょんぼりとしてソファの横にエコが立った頃、ようやく飾りつけや料理を終えたのか、
隊員たちがリビングに集まり始めた。タイガも女子たちを横目で追いながら期待をさらに膨らませていた。

「さてと、結局何も手伝ってない王様にゃんこと、手伝ってくれた偉いブルーの誕生日パーティーを始めましょうか」
「にゃはーw 待ってましたーw ……王様にゃんこって何だ?」

隊員たちはテーブルを取り囲み、タイガの座ったソファの前にブルーを座らせた。
身を乗り出してケーキを見つめるキラキラしたタイガの瞳がひときわ輝いていた。

「えー……えーではー……歌を歌いましょう。10代後半で歌うのは結構恥ずかしいですよ。サンハイ!」
「ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデートゥーユー♪」
「ハッピバースデー♪ ディーア、ブルー&タイガー♪」
「せんぱぁーい」
「ハッピバースデートゥーユー♪」

パチパチパチと拍手が二人に送られた。タイガは満足そうに鼻息を荒くしていた。

「さぁさぁ、ロウソクを吹き消してください」
「おー!」

ブルーを差し置いてタイガは思い切りロウソクに息を吹きかけた。
その時だった。嫌な音がした。まるで銃声の様な……。

「あっ!」
「タイガくん!!」
「先輩っ!」

ソファから崩れ落ちたタイガの胸からは真っ赤な血が流れていた。
絵の具や血のりなどでは無い。じわじわと傷から血が流れてきているのだ。

「うぅ……うぅ……な、何だぁ…何が……起こった……んだ……」
「しっかりしてくださいタイガ!」
「イヤ……タイガくん死んじゃうのぉ?」
「せんぱぁーい! せんぱぁーい! うわぁぁぁぁぁぁぁぁん! うわぁぁぁぁぁん!」

タイガは苦しそうに唸ると直ぐに吐血した。
震える手が宙へとゆっくり伸ばされる。

「……お、オレ……まだ……誰とも……エッチしてな……いのに……」
「タイガ気を確かにしてくださいっ!」
「うわぁぁぁん! せんぱぁぁぁぁい!」
「ガクッ……」

タイガの手が地面に引きずられるように床の上に落ちた。もうタイガは息をしていなかった。
救急箱を持って駆けつけたイエローはタイガを見るなり首を小さく振った。

「……遅かったわね」
「タイガくんっ!」
「タイガ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

一際エコが大声で泣き喚き、隊員らも肩を落として見つめたり、じっと目を閉じたり、
「あれ、これに似た場面どっかで見た様な……」と言う顔をしている等、様々だった。

「せんぱぁ~い! せんぱぁ~い!」
「……酷い。一体誰がこんな事を……」

ただの物質に成り下がってしまったタイガの亡骸にすがって泣いているエコ。
それを見つめている女子の中には涙ぐむ者もいた。
タイガの思い出全てが懐かしく思えた時、隊員らはもう彼は二度と目を覚まさない事がやっと解ったのだった。


「お兄様!!」

その時、2階の踊り場から顔を出した女性が、タイガを見るなり悲痛の混じった声で叫んだ。
階段を階段と思っていないような慌しい駆け下り方で彼女は一階へと降りた瞬間、タイガにすがった。

「嗚呼……お兄様……誰が……誰がこんな事を……」

女性は泣いているエコの横に来ると力が抜けたように座り込み嗚咽を漏らした。

「あの、失礼ですが貴方は?」

泣いている女性を変に刺激しないよう、グリーンが細心の注意を払って声をかけた。

「……由美子。妹です……」

悲しみの中で一生懸命搾り出すように由美子は言った。
肩より少し長く伸ばされた髪、白で統一された洋服、顔つきもタイガの様に整っている。
いわゆる、美人の部類だった。しかし、どこか幼さが残っており、まだ10代らしさが感じられる。

「どうした由美子」
「何があったの?」

一階の騒ぎに気づいたのか、さきほどの踊り場から二人の男女が顔を出した。
口調からするとどうやら由美子、タイガの両親らしかった。

「お兄様が……」

もう由美子はこれ以上声を出せなかった。
二人は何かが床の上にあると言う事だけは気づいていたようで、
階段を半ばまで降りてくると徐々に疑惑が確信へと近づき足を速めていった。

「タイガっ!タイガっ!」
「タイガさん、どうなさったの!?」

タイガではなくなったそれを目にした二人は言葉を失っていた。
隊員たちは二人の驚いている顔を見て、ふと気が付いた事があった。
口の周りにヒゲを生やし、黒の紳士服を着たその男はどこかタイガに似ている。
背丈も高く筋肉もそこそこ付いているような、いわゆるモデル体型。渋いおじ様と言うタイプだった。
一方、髪を腰まで伸ばした紺色の婦人服を着ている女性の方は、由美子に似ていた。
どうやらこの二人は……

「お父様、お母様……」

由美子が二人に声をかけた。その声でようやく二人は我に返った。

「由美子、こ、これは一体どう言う事なんだ」
「タイガさんなの、本当にこの、し、死んでいるのは……」

問い詰められながら再び涙の滲んできた由美子は力なく頷いた。
その小さな頷きは、母親を狂わせるほどの悲しみを与えるには十分過ぎていた。

「嗚呼! 私の息子が、何故、何故この様に……」

赤い糸で彩られた絨毯は、母の伏せた部分から染みが広がっていた。
突然の事に、少々後ろめたさを感じながらも、グリーンは声をかけた。

「あ、あのー、貴方たちはタイガの家族なんですか?」
「みなさんは?」
「私たちはぐ(略)と言いまして、タイガの知り合いと言うか……」
「そうですか。私は二階堂康平。タイガの父です。こちらが妻の早苗、そっちが妹の由美子」
「ど、どうも」

グリーンの声にならって隊員らは恐る恐る頭を下げた。

「何故こんな事になったのですか。先ほどの銃声は何なのですか」
「それが我々にも解らなくて、誰かに狙撃されたとしか」
「嗚呼……」

康平はめまいを起こしたようにふらっと後方によろけた。
隊員らが背後に回ろうとするとなんとか持ちこたえた。

「お見苦しいところを見せまして……」
「だ、大丈夫ですか?」
「タイガは我が二階堂家の将来を期待されていたほど手塩にかけて育てていた息子な物ですから……」

康平は暖炉の上の写真立てに目をやっていた。そこには在りし日の二階堂家の写真が飾られていた。
中央には、ちゃんとタイガが写っている。生きていた頃の……。

「失礼ですが、みなさんはどちらにいたんですか?」

頭にブラックを載せたブルーが隊員を掻き分けて康平に尋ねた。

「ちょっとブルー、いくらなんでもご家族の方にその聞き方は」
「グリーンは黙っていてくださいっす……これは殺人事件っすよ。これはブルー探偵の出番!」
「ブルー探偵って……」

挿絵

グリーンが案じたとおり康平もブルーのその質問には快く思っていないようで唇を噛んでいた。

「あなたは、タイガの友人かもしれないが、だからと言って長年連れ添った家族を先に疑うと言うのはどう言う了見かね。
私は、現場に居なかった。普通はあなた方の中からまず疑われるべきでしょう」
「イエロー。死体の状況は?」
「え、何で私がこんなのに触らなきゃいけないんですか」
「い、イエロー! それはあまりにもご家族の方に……」
「早く調べて下さいっす」
「ハイハイ……」

ブルーの動じない口調に渋々とイエローはタイガの遺体を調べ始めた。

「えーと、結構傷が深いですね。多分、外から狙撃された訳では無さそうです」
「と言う事は、この屋敷内」
「えぇ、そして傷の向きからすると……どうやら上方から下方に向けて撃たれてます」

ブルーは2階を見上げた。部屋をぐるっと囲っている木製の手すり。
つまり、2階の廊下に出ればどこからでも一階を見下ろせると言う事である。

「……隊員らはみんな一階にいたから隊員には狙撃は不可能。どうっすか、俺の推理は」
「まぁ、筋は通っていますな。しかし全員居たと言う保障はあるのでしょうか?」
「タイガが狙撃されたとき、ケーキの周りに全員揃っていました。間違いありません」

ブルーの疑惑の目から康平は目を逸らしたままだった。

「……この家にはあなた方だけが?」
「いえ、この家には今9人の人間が住んでいます」

疑惑の目が消失した事を確認して康平は言った。

「今から、一人ずつお会いしてお話を伺って宜しいっすか?」
「……良いでしょう。しかし、皆、忙しいのでどこにいるか」
「自分で歩いて探しますよ。それじゃ俺は」

ブルーが背中を向けた時、ブルーの背中をくいと引っ張る物があった。
泣きすぎて目を真っ赤にしたエコだった。

「……た、タイガせんぱぃを……こ、殺した犯人を、ぜ、絶対、絶対見つけてよ……うぅ……」
「俺にまかせるっすよ。それに何だか前にもこんな事件を解決した気がするんす。ふ、可笑しいっすね」

ブルーはゆっくりと玄関の方へと歩いていった。











ブルーが外に出ると、すぐさまタイガが撃たれたであろう場所の方向に向った。
外から進入した形跡は無いだろうかと言う事を確かめる為だった。
しかし、やはり外から進入した様な後は見られなかった。
裏には純日本風な庭園があり、樹木がいくつかあるといってもとても2階の窓に届くほどの高さではなかった。

「どちら様ですか?」

ブルーの背後から声が聞こえた。振り返るがそこには誰も居なかった。

「ここですここです」

少し左に逸れた場所に一本の植木の根本に掛けられたハシゴ。
その上に立っていた見るからに植木職人風の老人がその声の主だった。

「先ほど、事件がありまして。私、ご主人に雇われた探偵でブルーと言います」
「これはこれは、ワシはここ専属の植木職人をやっている梶原権兵衛と申します。
えぇと、ブルーさん。事件ですか。最近は盗人も手が込んでいるでしょう」
「盗難ではありません。殺人です」
「えぇ!」

よほど驚いたらしくハシゴがブルーに向って倒れそうになった。
急いでハシゴを掴むが上にいる老人も落ちそうで、ブルーはハラハラした。

「いやいや、申し訳ありません。この屋敷で殺人だなんて」
「お察しします」

ブルーは上ばかり見ていて首が痛くなっていた。
そのためにハシゴを抑えるだけにして正面を向いて返答する事にした。

「真悟おぼっちゃんもずいぶん危なっかしい事をやって来ましたからね。
わたしゃ、いずれこう言うことになるんじゃないかと案じておったんです。それが……」
「あ、いや、殺されたのはタイガさんです」
「え!?」

またグラグラとハシゴが揺れた。今度はブルーがしっかり抑えていたお陰で危険はなかった。

「いやぁ……タイガおぼっちゃんが……あんな出来た人がまさか……」

動揺と好奇心と疑問が混じったような口調が枝を切るハサミの音にまぎれて老人は言った。
どうやらタイガは先ほど出た「真悟」と言う人物と違って人から恨まれるようなタイプでは無い様だ。

「死因は何ですか?」
「銃殺です」
「そうですか……さぞお苦しみになったでしょうに……」

梶原老人はハサミを止めて上木の上でじっと遥か遠くを見つめていた。
まるでタイガへの黙祷を捧げているようにブルーには見えた。

「ブルーさん、こんな所にいらしたんですか? 権兵衛お爺様も……」
「これは由美子お嬢様」

振り返ると、由美子が立っていた。
梶原老人は直ぐに気づいたようで、ブルーが再び植木を見た時には既にハシゴを降り始めていた。

「ずっと探していたんですよブルーさん。あの、お兄様の遺体を先ほど警察の方が……」
「そうですか」

ブルーはとても簡素に答えた。まだ目の赤い由美子の瞳を一見してブルーは目を逸らした。
それは由美子に悲しみを思い出させない為だったのかもしれなかった。

「警察の方はまだ中に?」
「いえ、写真を撮ってすぐにお帰りに……」
「……まだ20分ほどしか経っていないはずですが」
「えぇ、何でも巷を騒がしている殺人事件の犯人がこの付近で発見されたとかで警官を総動員する為とかで」

ブルーの耳にパトカーのサイレンが幾重にも折り重なって遠くから響いた。

「警察の方の話だと多分その犯人がお兄様を」
「まだ断定するのは早い。もうしばらく待ちましょう。所で、他の方にもお話を伺いたいのですが」
「それなら、使用人のウメがまだ中央ロビーにいるはずです」
「では、失礼します……」

ブルーは由美子、梶原老人に一回ずつ礼をして早足で玄関へと歩き出した。
しばらく歩いていると老人に何も聞いていなかった事を思い出してブルーは踵を返した。
すると、木のふもとで梶原老人の胸元に顔をうずめている由美子の姿を見た。

「権兵衛お爺様……タイガお兄様がこんな事に……」
「お嬢様、泣くのはおよしなされ……タイガ御坊ちゃんが居ない今、もう不安要素は消えました」
「……お爺様、あれはタイガお兄様だって口外しないと」

ブルーは玄関へと向う事にした。
声をかけてはいけない。そう言う事だけブルーはどことなく感じたのだった。












玄関を開けるとあれほど人がいたロビーもがらんとして寂しさだけを残していた。
しかし、床にわずかに付着している血液がまだ事件の記憶を僅かながら呼び覚まさせていた。

「アンタが例の探偵さんかい」

階段の奥から身長の半分ほどあるモップを持った老婆がやって来た。
よく見ると、モップが大きいわけではなく人間の方が小さいようだった。そんな事を考えていると

「人の質問にはすぐ答えるもんだよ」

と、憎憎しく注意されてしまった。ブルーは自分に一方的に非があるわけで黙って頭を下げただけだった。

「全く最近の若い奴は常識知らずばっかりだね。自分さえよければいいと思ってる」
「申し訳ありません。あの、私はブルーと言いまして……」
「もう名前なんかに興味は無いよ。掃除の邪魔だ。そこ退いとくれ」

水分をたっぷり含んだモップの飛沫をブルーに大げさに飛ばしながら老婆は床掃除を始めた。
ブルーは今すぐに質問を始めるのは得策では無いと思い、しばらく黙っていた。
ちょうど、モップがタイガの血液を洗い始めたときボソリと呟くように言った。

「ずいぶん派手に血が流れていたのに」
「ワタシが掃除しておいたんだよ」
「へぇ、さすがですね」
「そうかい?」

少し満足そうな老婆の返答にこの導入方法は間違いではなかったとブルーは安堵した。

「所で、殺されたタイガさんについてお聞きしたいのですがよろしいですか」
「タイガお坊ちゃまかい?良い子だったよ。上の兄さんより何百倍もね」
「彼にはお兄さんが?」
「あぁ、3つ上の真悟さ。あんな男……名前を呼ぶのも嫌な位だよ」

老婆は舌打ちをすると不機嫌そうにモップをせわしなく動かし始めた。

「その真悟さんて人は……」
「あんな男の話なんて言いたく無いよ。どうせならアイツが殺された方がこの家にとって良かったのに」

これ以上不機嫌にさせてはいけないとブルーは思い、話を変える事にした。
真悟と言う兄の話はまた他の人に聞けばいいのだ。

「タイガさんが殺された時、どちらにいらっしゃいましたか?」
「ワタシを疑ってんのかい?」
「形式的なものだと思ってくださって結構です」
「……厨房にいたよ」
「あなた一人で?」
「ここの手伝いをやってる亮って男も一緒だよ。残念ながらアリバイは成立だね」

老婆はニヤニヤと、してやったり顔をしてみせた。

「失礼ですが、そこでお二人は何をされていましたか?」
「あんたもシツコイ男だねぇ……。料理だよ料理を作ってたんだよ」
「料理ですか?」
「タイガお坊ちゃんが殺される前にパーティーやってただろ?その料理だよ」

そう言えば、現場には確かにテーブル上に料理がたくさん並べられてあったのをブルーは思い出した。

「ご学友を呼んで、明日からイギリスへ留学するお祝いをしてたんだよ。よりによってそんな時にねぇ……」
「留学ですか」
「そうだよ。日本の大学には絶対行きたくないってね。旦那様の逆鱗に触れてそりゃぁ大変だったよ」

老婆の顔はいじわるな笑みを浮かべたおしゃべり好きな奥さんのそれに見えた。

「それでね、それから……」
「ウメ」

声のした方を見ると、タイガの父、康平が階段から降りて来ていた。
目線はしっかりとウメを見据えていて、ブルーは思わず老婆から少しだけ離れた。

「ブルーさん。悪いが大事な話があるんだ。席を外してもらえるかな?」
「あぁ、はい。解りました」
「二階へ行くと良いですよ。人がいたようだから」
「では、失礼します」

ブルーは二礼して、二階へと続く階段を登り始めた。

「あの事は言って無いだろうな」
「旦那様、いくらワタシでもそれは言いませんよ」
「余計な詮索をされないだろうが、気をつけろ」

そんな会話がふと聞こえたがブルーは聞こえないフリをした。
この家には何かがある。そんな疑惑が少しだけ芽生え始めていた。







二階に上がって左に曲がるとドアの無い大きな広間が最初に見えた。
中には大きなビリヤード台、そしてキューを持って手際よく玉をポケットに落としている一人の男がいた。

「どうぞ」

男は最後の玉を落とすべく、狙いを定めたまま言った。

「事件について聞きしたいんでしょう? すぐ終わりますからどーぞ」

ブルーが部屋に足を踏み入れるとカツンと言う軽快な音と共に最後の玉が落とされた。
快い笑みを浮かべて男はブルーを一見した。

「聞きましたよ。タイガの奴、死んだんですってね」
「えぇ」
「アイツがまさかこんな事になるなんてね。全く、運命って皮肉な物だ」
「あの、失礼ですが貴方は」
「僕の前に話を聞いた人は?」

男は台の反対側に回って木のフレームを使って玉を揃え始めていた。
あの逆三角形のフレームは確かラックと言うんだったなとブルーは思っていた。

「どうなんです?」
「あ、えぇ、何人かにお話を伺いましたが」
「フフ、だったらタイガの兄って言えば解りますよね」
「あぁ……」

この人が兄の真悟かとブルーは思った。
どんな奴だろうと気になっていたが見かけは普通の好青年。顔もタイガを大人にした感じだ。
しかし、どこか虚無的な部分が表情の端々に現れている事だけが最も大きく異なるところだった。

「その反応を見るとどうやら相当僕の悪評を聞かされたらしいね」
「あ、いや」
「良いんですよ。僕はみんなに嫌われてるから。家族にもね」

真悟は再びゲームを始めていた。一個ずつ落とすたびに顔がイキイキしていた

「失礼ですが事件当時はどちらに?」
「外に出ていました」
「証明出来る方は?」
「いますよ」
「その方の連絡先は?」
「フフッ」

真悟は薄笑いを浮かべていた。ブルーにはどこか皮肉っているようにも感じられた。

「どうかされましたか?」
「あぁいえ、ホントに詳しく聞いてくるんだなと思って」
「…………」
「失礼。連絡先ですが。それは無理な話だ」
「何故?」
「僕が家を出たのは昨日の昼。そして帰ってきたのはつい数分ほど前だ」
「はぁ」
「解らないかなぁ。町で出会った女とずっとヨロシクしてたんですよ」

既に台の上には玉が無くなっていた。

「電話番号でも聞けばいいんだろうけど。僕はホラ、バージンにしか興味ないから」
「……そうですか」
「幻滅しました? でも、そう思っているのは僕だけじゃない。男はみんなそう思ってるんですよ」
「……事件の話に戻して良いですか?」
「あぁ、これは失礼」

真悟と言う男がどう言う男なのか。ブルーはその断片が少しだけ垣間見えた気がした。
彼が嫌われているのは「遊び人」であり、そして「軟派」である所なのだろうと。

「ずっと彼女とホテルに?」
「ホテルなんて安直過ぎますよ。刑事らしくないなぁ」
「……ではどちらへ」
「車でずっとドライブを。僕は車の中で何もかも済ませちゃうから」

真悟はまた皮肉っぽい笑いをしてみせた。
果てして本当にこの男は真実を話しているのかさえ疑わしくなる。

「大体解りました。ご協力ありがとうございます」
「おや、もう終いですか」

楽しい遊びが急に終わってしまったような唖然とした顔で真悟は言った。

「えぇ。聞くべき事はほとんど聞き終わりましたので」
「一番大事な事を聞いていないんじゃないんですか?」
「大事な事?」
「“貴方がタイガを殺したんですか?”と」
「……それは」

ブルーの機微を察知したのか真悟は笑みの色だけを顔に浮かべた。

「僕はみんなに嫌われている。だから誰も僕の事を気に留めない。恐らく僕が外出したとしても、
誰もその事を気にしないだろうから僕が嘘を言えばアリバイなんて簡単に崩れる。それに、僕には動機もある」
「動機ですか?」
「タイガはね。母に気に入られているんだ。僕なんかその愛情のひとカケラすら貰った覚えは無いね。怨恨って奴さ。
よくあるだろう?愛の無い子供。僕はそれなんだよ。僕が殺したと知れてごらん。テレビではそう紹介される。
そして僕の事を知りもしないコメンテーターが言うんだ『社会が悪い。教育が悪い』とね。嗚呼、なんて僕は可愛そうなのだろう」

イキイキとしたまるで舞台役者の様な口ぶりで真悟は語っていた。

「……冗談は辞めてください」
「そう取るかは貴方次第だ。僕の自白かそれとも狂言か。解釈はご自由にどうぞ」
「それじゃ私はこれで失礼しますよ」

ブルーは早く真悟の居ない場所へと移動したくなっていた。
こっちまでがまるで狂気の空間に入り込む必要は無いのだ。だが、真悟はまだ喋っていた。

「あぁそうだ。母がタイガに愛情を注いできたのには訳があるんですよ。何だと思いますか?」

ブルーは返事をせずに背を向け、歩き出した。

「それは……タイガが自分から離れない様にと言う愚かな考えからですよ。
僕と由美子がどうあがいても母から離れられない事を知っていて……」








ブルーがしばらく無人の部屋ばかりを巡っていた。
無理も無い。この二階堂家にいる人々の話を聞いていると殺されたタイガと言う青年はそれほどの影響力を持っていると言う事だから。

「後は厨房ぐらいか……」

2階にもう誰も居ない事を確認し終わり、階下へと降りようとした時だった。
テラス階段の側のテラスから男女の声が聞こえた。

「泣くな。泣いてもどうにもならないだろう」
「でも……」

ブルーがテラスへ向うと、白い陶器のベンチに座っている顔を抑えてうずくまった女性。
そしてそれをなだめている男の二人がいた。どう話しかけようか迷っていると男が先にブルーに気づいた。
ブルーは小さく頭を下げ、テラスに恐る恐る足を踏み入れた。

「すいません。お取り込み中の所を」
「いえ、大丈夫ですから。な、涼子さん。泣くのはよせよ」
「…………」

女は顔をこちらに向けないまま、力なく頷いた。

「私、駅前で私立探偵をやっていますブルーと申します。事件についてお話を伺っているのですがよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
「すいません、えーと何から聞けば……」
「俺のアリバイだったら、事件の起きていたときウメ婆さんと厨房にましたよ」

ブルーは使用人の老婆が亮と言う男と厨房にいたと言っていたことを思い出した。
となると、この男がその亮なのだろう。ゴツイ手を見ると良い仕事をしそうに思えた。

「こちらは貴方の恋人で?」
「……滅相も無い。彼女は柊涼子さん。被害者のフィアンセです」
「フィアンセ?」
「3年ほど前からタイガ様とお付き合いをされていて、今日、パーティに参加するはずが……」

涼子と言う女の方を見ると、少しだけ落ち着いて着ているようで顔から手が離れてハンカチを握り締めていた。
だが、相変わらず顔を上げないまま、しわくちゃになったハンカチを時折湿らせていた。

「お察しします。えぇと、お聞きするのは忍びないのですが涼子さんは事件当時はどちらに……」
「わ、私がタイガさんを殺したって言うんですか? 何故、恋人を殺さなければ!」
「そうですよ!何て事を言うんですか!」
「形式的な物です。申し訳ないですがお答えいただけませんか」
「……部屋にいました」

涼子はぶっきら棒に答えた。どうやら嫌われてしまったようだとブルーは思った。

「部屋……?」
「涼子さんはこの家に1年ほど前からお住まいになっているんです。婚約者は婚約した瞬間から、
一緒に住まなければならないという古い仕来りがこの二階堂家にはあるんですよ」
「では、お部屋ではお一人で?」
「…………」
「お答えいただけませんか」

亮が涼子の肩を優しく叩いた。涼子は渋々相変わらずブルーから目を逸らしたまま応えた。

「……一人でパーティへ着ていく服を選んで、お化粧も」
「証明できる方は?」
「それは、俺が。ずっと涼子さんの部屋の近くで床磨きをしたから」
「入室から退室までずっとですか?」
「はい。でも、退室と言っても、俺が事件を知らせようとノックをしたんですが」
「時間で言うと……?」
「1時間20分くらいです」
「やけに細かく覚えていますね」
「えぇ、まぁ」

亮は頬を掻きながら涼子を見ていた。多分、彼女に気があるのだろう。
だが、涼子の方を見るかぎりではその気持ちに気づいていないか、気づいていてもその気が無いかのどちらかだ。

「質問は以上です。ご協力ありがとうございました」
「ハイ、ご苦労様です」

涼子は最後までこちらに顔を向けなかった。一体どんな女性なのかハッキリと解らない。










「し、茂、や、辞めなさい……お、お願いだから……」
「早苗お姉さま……無駄です。もう僕は……自分で自分がわからなくて」

見なければ良かったとブルーは思った。
階段を降りて何か物音がするので気になって階段の奥の薄暗い部屋の前に来てしまうなんて。

「辞めて、こんな事しても何にもならないのよ。茂……いい加減に……」

その部屋は倉庫のようで中をのぞくと積み上げられたダンボールが見えた。
その奥にいるのはタイガの母の早苗だろう。ダンボールの上で知らない男に押し倒されている。
丸めがねに短い髪、いわゆる暗い感じの男だった。

「嗚呼……お姉さま……僕は幼い頃から貴方だけを想っていました……世の中の女はどれだけ腐っている事か。
僕の中には初めからお姉さまがいて、そしてそれは永久に変わることは無い……。永久に。
もう僕の理性は消失してしまって今、僕はただ狂気の中に生きている。お姉さまが僕を狂わせたんだよ」

ブルーは入るべきかどうか悩んでいた。平均的なモラルでは止めに入るのが一番なのだろうが、
男性特有のそう言う好奇心がしばらくブルーの体を制止させていた。

「茂、あなたは何をやっているか解っているの……」
「お姉さまを愛するが故の行いですよ。僕はもうこれ以上お姉さまが老いて行く姿を見るのが耐えられない。
だから、美しいまま、永遠にお姉さまを僕の物に……」

キラと、ブルーはダンボールの隅で何かが光ったのに気づいた。

「な、何をするの……やめてちょうだい、やめて茂……」
「お姉さまはやはり美しい方ですね。街の女なんて醜い顔を引きつらせていたと言うのに。
反吐が出るかと想いましたよ。美人と言われている8人殺しても一人もお姉さまに叶わない」
「じゃ、じゃぁ、あの殺人事件は……」
「僕だよ。お姉さまの愛を伝える為に僕が殺してあげたんだ」
「……い、イヤ……イヤ……」
「辞めるんだ!」

ドアを蹴飛ばし、ブルーは男に飛び掛った。
男はとっさに持っている刃物を滅茶苦茶に振り回した。
刃物は少しだけブルーの頬を切っただけで、すぐに男の手から離れ、男も地面に押し倒された。

「はっ、はなせぇぇっ! 」

ブルーは側にあった布を歯で噛み千切り男の腕、足、口を縛った。
男は意外と腕力が弱いようで抵抗するもたいして抵抗にはなっていなかった。
男が身動きを取れない事を確認してからブルーは早苗に近づいた。着衣の乱れだけでなく動揺してもいるようだった。

「大丈夫ですか」
「え、えぇ……」

早苗は突然の事に事態をまだ把握できなかったようでしばらく呆然と立ち尽くしていた。
しかし、縛られて床に倒れている男の姿を見ると現実味を帯びてきたのか力なく座り込み嗚咽を漏らした

「どうした!」
「何の騒ぎだい。全く!」
「だ、誰だコイツは!」

騒ぎを聞きつけて二階堂家の人々が狭い倉庫に集まってきた。

「変質者です。早苗さんが襲われて……」
「なんだと! この変態め!」

さっき会ったばかりの亮が男の脇腹に蹴りを入れるとそのままごろんと体がひっくり返った。
男の眼鏡は床に倒れたときなのだろう。すっかりひび割れていた。

「……し、茂おじ様……」
「し、茂様!!」
「この男を知っているんですか?」

由美子、そして亮も驚いて声が出ない様子だった。

「お、お母様の弟です……普段お部屋に閉じこもりっきりで、最近要約、外に出るようになったと」
「何故、茂様が実の姉の早苗様を?」

ブルーは今まで自分が見聞きした事を全員に話した。
茂が危険な事をしていた事。殺人事件の事。狂おしいほどの歪んだ愛情を持っていたこと……。
ほとんどの人の反応はニュースでよくある「あの真面目そうな人が」と言うそれに似ていた。

「じゃぁ、タイガお坊ちゃんもコイツがやったんだな!」
「警察を呼ぼう。それまでここ閉じ込めておけば良い」

ぐったりした茂を残してタイガの父、康平は倉庫の扉に3つの錠前をかけた。
すぐに、使用人のウメが警察に連絡をしたと言って来た。これで全て解決だ。皆はそう安堵していた
















「まだです。まだ終わっていません!」

青野は叫んだ。それは全員がそれぞれの部屋に帰っていこうとした時だった。

「当たり前だろ。まだ警察が来て無いんだからさぁ」
「いえ、そうではありません。タイガさんを殺したのは茂さんではありません」
「青野さん、突然何を言い出すんですか。現に、アイツは8人も殺しているんですよ?」
「彼にはアリバイが存在しています。タイガが殺された時刻と同じ頃別な場所で既に彼は殺人を犯しているのです。ね?由美子さん」

由美子は思い出したように口を押さえ、青野を見た。

「本当なのか?由美子」
「確かに、警察の方がそうおっしゃっていて……」
「現場からここまでは車で30分。茂さん、免許は?」
「あの子は免許は取っていません……」

早苗の発言で落ち着きかけていた場の空気は一気に張り詰めた。

「おやおや、どうやら犯人はもしかしたらこの場にいるかもしれないと言う事ですねぇ……」

どこか軽い調子で真悟が言った。ゲームを楽しむかのような笑みでそれぞれを見ていた。

「真悟、バカな事を言うな! 部外者の仕業だって事もある!」
「確かにそうですが、この家にはタイガを殺す動機がある人だっているでしょう?」

真悟の挑戦的な態度に一同はいっせいに口をつぐんだ。気がした。

「そ、そんな奴はこの家には……」
「どうでしょう。ウチの会社ではすぐにでも次期社長のタイガを迎え入れたいと言う役員が多いそうじゃないですか」
「……デタラメだ」
「お父様はまだ45だ。それをたかだか18のタイガが自分を追い越す……代々の二階堂家ではそんな時期尚早な話題が出るのは前代未聞。
そんな自分の息子に恐れ、タイガの旅立ちの日を狙って、銃で一発ズドンと……」
「真悟!!」

康平の怒号に真悟は怯む事無く、やれやれといった様子で微笑した。

「あなた、今の話は本当なの……?」
「早苗まで馬鹿な事を言うんじゃない! 大事な息子を殺すわけが無いだろう!」

ブルーは、康平の目に怒りの感情だけでなく、他に怯えまでもが混じっている気がした。
そんな父を見かねたように再び真悟は皮肉めいた笑いを人々に振りまきながら喋り始めた。

「お母様、僕はお父様が犯人だと言ってはいません。ただ、動機があるんじゃないかと。
それでさっきの様な事を言っただけです。もちろん他の方にも動機はおありでしょうが……例えば、亮さんとか」
「てめぇ……」

真悟に向けられた目に亮が気が付いた途端、亮は真悟の胸元に掴みかかった。

「何で俺がタイガお坊ちゃまを殺さなきゃいけねーんだ! あぁ!? 人を小馬鹿にするのもいいかげんにしろ!」
「君は、タイガの婚約者……涼子さんを好いているそうだね」
「!!!」

亮の手が一瞬緩んだ。

「ば、馬鹿を言うな! お、お、俺がどうして!」
「見ていれば誰にでも解るさ。涼子さんの部屋の前で半日以上掃除していればね」
「そ、それはあの場所はすぐ汚れるから……」
「君は、涼子さんがタイガの元へ嫁ぐのが許せなかった。葛藤の日々が続く。そして解決策が出た。タイガを殺してしまえばいい、と」
「辞めろ!」
「アリバイが無くても、タイガは女性に人気があるから、涼子さんだってそれに嫉妬して二人で共謀すれば……」
「こ、この……野郎!」

亮のゴツイ拳が真悟の右頬に命中した。
真悟の体が長い間宙に浮いた様な感覚を感じてすぐ、その体は床に叩きつけられていた。

「やめるんだよ亮! 亮!」

もう一歩足を出そうとした亮の後ろでウメが制した。亮はチラと振り返り舌打ちを何度もした。
真悟は口を切ったのか少し血が付いていた。

「……みなさん。辞めてください。動機はこの際、詮索しても仕方の無い事です」

皆、静かに青野の次の言葉を待っていた。時折、周囲の人間を犯人を見るような目をする者もいた。

「とりあえず青野探偵、貴方の見解を聞かせていただけませんか?」

康平の言葉に青野は小さく礼をして二階堂家の人々を見た。何故か誰も目を合わせなかった。
小さく咳払いをして青野は語り始めた。

「梶原さん、貴方は確か事件当時は植木を刈ってらっしゃったんですよね?」
「は、ハイ」
「二階堂家の裏口はその場所しかありませんね?」
「えぇ、後は2階の窓から入るしか……しかしそんな高い木も周りは無いし」
「そうですわ。権兵衛お爺様の言うとおりです」

梶原老人がオドオドとした目で応える横から由美子がすがる様な目で青野に訴えた。

「となると、やはり部外者と言う線は消えるわけですね。後は正面玄関からしかないわけですから」
「ちょっと待てよ探偵さん。地下から来たって可能性だってよぉ?」
「地下から来たとしても2階へいくには一旦、ロビーに出て階段を昇る必要があります」
「そ、そうか」

亮を説き伏せると、青野は再び梶原老人に目を向けた。

「私の見解に寄ると、梶原老人が犯行を実行する可能性が最も高いと言う結果が出ています」
「そんなはずはありません! お爺様がどうしてお兄様を!」
「由美子さん……どうして貴方はそんなに梶原さんを庇うのですか?」
「そっ……」

由美子は一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐさま言葉を続けた。

「それは、お爺様は私が幼少の頃から良くして頂いた大事な方だからです!」
「本当ですか?」
「それ以外に何がおありになって?」
「……失礼ですが、私は先ほど梶原さんと貴方が話していることを聞いていたのです」

由美子はハッと口を押さえてただただ、青野を見ていた。
この様子だと、どうやら何か隠しているらしいと。青野は思った。

「動機が無いとは……言いませんよね?」

青野は思い切ってカマをかける事にした。仮に、犯人では無いとしても、何か聞き出せるかもしれない。
あるいは、自白の言葉を聞く事が出来るか──。

「由美子様、事が明るみに出てしまってはもう仕方がありません」

先に口を開いたのは梶原老人だった。

「……私達は、住込みの植木職人とその家の令嬢と言う関係です。いつからか、家族愛と言う言葉では足りない感情へと
それが昇華していきました。そして、1年前、私たちは旦那様と奥様の留守中に、初めて愛を表現しあいました」
「お、お前は私たちの居ない間に……愛娘に何と言うことを……貴様!!」

康平はまさに娘を傷つけられて怒る父の顔になっていた。自分の主人に掴みかかられていても梶原はなお、話を続けた。

「……五日前、何度目かの時にそれを偶然タイガ御坊ちゃまに目撃されたのです。御坊ちゃまは、それは許されない行為だと言いました。
ご両親に話さなければならないと言いました。由美子様は泣いてそれは辞めて欲しいと懇願しました。しかし……」
「それで殺したのか! それでタイガを殺したのかっ!!」

梶原はキッと康平をにらみつけた。主人への最大の反抗だった。

「私は、事件のあった時間、由美子様と再び愛を育んでおりました。それでも私たちの愛は」
「黙れ!! 貴様と言う老いぼれが娘を! 何が愛だっ!!」
「お父様!!」

手を挙げようとした瞬間。由美子が梶原に飛びついた。泣きながら飛びついた。

「お父様……ごめんなさい……ごめんなさい。許して許して……私、お爺様の事本当に……」
「由美子!お前は……まだこんな奴の事を!」

その時だった。床に何かが倒れる音がした。涼子だった
腹部を押さえている。顔は青ざめ、脂汗をかいていた。

「どうしたんですか! 涼子さん!」
「お、お腹が……」

涼子の下腹部からは液体が染み出してきていた。亮がハンカチで涼子の汗を拭いてあげている。
突然の事に一同は動揺し、ただ呆然と床で苦しんでいる涼子を見ていた。

「失禁ですか……?」
「これは破水だね……涼子さん。あんんた妊娠しているね? そうだろう?」

涼子は苦痛に歪めた顔をウメに向け小さく頷いた。

「涼子さん、しっかり!」
「とりあえずここで産ませるしかないね……早く、お湯と、毛布を急いで用意しておくれ」
「涼子さん! 涼子さん!」
「亮! 早くするんだよ!」

亮の頬を2度、ウメは叩いた。亮は泣きそうな顔になりながら厨房へと走っていった。
涼子の顔がますます青ざめている。

「……これは、難産になりそうだね……」
「がんばって下さいね。ウメさん初孫になるかもしれないんですから」

声をかけたのは真悟だった。ウメは真悟の方を見なかった。

「何を言い出すんだい。こんな時に」
「……こんな時だからです。由美子までもが全てをさらけ出したのに貴方だけ逃れようとするのはずるい」
「あんたはいくら殴られても懲りないみたいだねえ」
「可愛い可愛い弟が死んだんです。当たり前でしょう?」

真悟は仰々しく周りにも聞こえる声で言った。

「タイガと以前、献血に行った事がありましてね。タイガはA型だった」
「それが何だい」
「僕はB型だ。由美子はOだ。お父様とお母様はそれぞれBとOだ。可笑しくありませんか?
B型とO型ではA型が生まれないのですよ。つまりタイガは父と母の子では無い……のでしょう?」

真悟は両親をさも楽しげに一見し、続けた。ますます彼の口調は調子を増し始めていた。

「我が家でA型なのは……? ウメさん。あなた確かA型でしたねぇ?」
「……違うよ」
「嘘は言わない方が懸命ですよ。興信所に調査して貰いましたからね。通院先のカルテにはしっかりAと」
「…………」
「僕は幼い頃に母が産婦人科に入ってから産むまでを見ています。女と女では子供は産めない。では誰か?
僕は考えましたよ。母はお嬢様ですから、男の友人は居ないし出会う機会も無いでしょう。
そして、驚くべき答えを僕は見つけてしまったのです」

咳払いを一つし、真悟はしゃがみ込み、ウメの横顔見つめた。ウメはじっと涼子を見ていた。

「亮さんは、貴方が連れてきたそうですね。親戚から捨てられ自分が面倒を見る事になったと」
「……あぁ」
「興信所によると貴方には親戚が居ないそうじゃないですか。つまり亮さんは貴方の息子では無いかと思いました」
「……馬鹿馬鹿しいね」
「亮さんはAB型です。親は誰か? そうですねぇ……身近な男性でB型なのは……お父様。
つまり、お父様とウメさんの子供である亮さん。その亮さんが……お母様に」
「やめて頂戴!!」

真悟に飛び掛ってきたのは母、早苗だった。真悟の口を押さえようとするが、
真悟は薄笑いを浮かべながらその手を跳ね除けようとする。

「お母様も可愛そうな方だ。愛するお父様には裏切られて。使用人との子供を自分の子と信じるあまり、
僕には愛情をくれずに、娘は50も年上の男と卑猥な行いを。そして貴方自信も弟からの異常な愛を受けて」
「辞めて辞めて辞めてぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「タイガは全てを知っていたのですよ。前にタイガは僕にこう言ったのです。何と言ったと思いますか」

真悟の顔は何か邪悪な感情に取り付かれているかのような物になっていた。

「二階堂家は腐っている! 呪われている! こんな家は早く無くなってしまえば良いと!」

両手を広げ、上を見上げ真悟はまるで目に見えぬ神にその言葉を告げているように思えた。

「犯人がタイガを殺したとは思っていないんですよ。この二階堂家全員がタイガを殺したんです」
「真悟……お前のその話は」
「…………旦那様、もう良いじゃありませんか。これでもうみんなやましい事は無いのですから」

ウメが低い声で呟いた。

「あれは25年程前、若い頃の旦那様と一端の使用人だった私は旦那様の性の衝動を抑え切れませんでした。
子供が出来ました。旦那様は降ろせと言いました。でも、私は産みました。この秘密は墓場まで持っていくからと。
しかし、また旦那様は私に……。今度は絶対降ろすように言いました。でも、私は産んだのです。女の子でした」
「何だと!?」
「旦那様にはお分かりになら無いでしょう。女は一度子供を産むと聖母になるのものなのです。
私は、これ以上育てるわけにはいかず、とある家に養子に出しました。それがまさか……」

ウメは涼子を見た。

「タイガ御坊ちゃまの婚約者になるなんて……」

ガチャンと金属音がした。咄嗟に音のした場所に振り向くと亮が立っていた。
床には湯の入った金のタライが逆さまにひっくり返っていた。

「う、嘘だろ?ウメさん……俺があんたの息子で……涼子さんが俺の……妹なんて」
「本当さ。運命ってのは皮肉なもんだね。巡り巡ってバチが当たるんだ」
「そんな……まさか……」

亮は複雑な顔で涼子を見ていた。淡い思いが一瞬にして禁断の恋へと変貌した事に戸惑いを隠せないようだった。

「あぁっ……!あぁ……っ……あぁぁぁっ!」

涼子が体をくねらせて大声を上げ、苦しみ始めた。

「生まれるっ! 亮、湯をまた持っておいで」
「は、ハイ……」
「あぁっ…………ぁぁ……あぁーっ!」

涼子の中から小さな生命が出現した。ウメはそれを取り上げ、緒を切った。
その赤ん坊はドコとなくタイガに似ていた。いや、タイガに瓜二つだった。

「タイガお兄様……」
「タイガの生まれ変わりだ……」

その赤ん坊は大きな声で泣いた。力強く、これからの悲しみを既に今、この場で使い果たすかのように。

「ば、ばん……バンザーイ!バンザーイ!」
「バンザーイ!バンザーイ!」
「バンザーイ!バンザーイ!」
「バンザーイ!バンザーイ!」
「バンザーイ!バンザーイ!」

一同が一斉に万歳を始めた。それは赤ん坊の誕生を称える。同じく力強い物だった。



青野は二階堂家から出るべく、玄関の方へと歩き出した。
万歳も、泣き声も、永遠に止む事が無いであろうと錯覚するほど長く、長く続いていた。



「(きっと、あの子がこの家を浄化してくれる……きっと)」




玄関を開けると希望に満ちた光が屋敷の中いっぱいに差し込み、青野を照らした。