第79話

『四葉に願いを』

(挿絵:クリーム隊員)

──3年前から付き合ってる私の彼は自慢の彼氏。

「もう、終わりにしないか」

──彼は、カッコ良くて、運動神経もバツグンで、頭だって……うん、私より良いかな。

「何で!? ぜ、絶対イヤ!!」

──友達にだって羨ましがられた事だってあるし。町を歩けば皆が彼の事見るんだ。

「……ごめん。もう俺、お前の事……」

──だから、私は彼の事が大好き。彼も私の事が大好き。

「ヤダ……絶対ヤダ! 私、あなたがいなきゃ生きていけないんだよ!」

──だから、私は思ってる。これが最初で最後の恋愛だって──。

「……ごめん」










「……濡れるよ」

私は、その時やっと雨が降ってるって気づいたんだ。きっと、私の涙と一緒で寂しい雨だったんだね。

「風邪をひいてはいけない……今持ち合わせがこれしか無いが……これで傘でも買って早く帰ると良い」

シマウマみたいな傘を差したあなたは、小さく笑って私から去っていった。

「あ、あの、名前……」

でも、その後姿は彼氏と違って全然優しい背中だった。

雨粒がキラ、キララって地面ではじけてあなたを照らしてた。

その時、私は思ったんだ。私の本当の王子様は。本当の最後の恋は──。

挿絵











「げふー……やっぱ高い魚は違うぜー」

パンパンになったお腹を撫でながらタイガはソファの上で横になった。
その様子がひっくり返った猫そのものだった。

「相変わらず他人の金だと思ってよく食うな……」
「いいじゃねーかよー。たくさん金あるんだしさ」

タイガの目線の先に、机の上で頬杖をついた呆れ顔のホランの姿があった。
夏休みを利用して3日前に日本に再び帰国し、誰にも知られないままこっそりグリーンを襲う(?)つもりだったのだが、
今朝、用事で少しだけ外出しているとそこをタイガに見つかりこうして昼飯を強制的におごらされていたのだった。

「礼の一つでも言ったらどうだ。金はどっかから湧き出る物じゃないんだぞ」
「ホラン先輩。美味しかったでーす。ありがとうございまーす」
「エコは偉いな。顔も可愛いし、性格も可愛いし、言う事は無い……」
「ふぇ……?」

タイガの横できちんと座っているエコの顔にホランは少し照れながら頬を書いた。
エコは不思議そうにホランの赤い顔を見ていた。
そんな風に過ごしながら時計の針が一周した時だった。社長室の外でバタバタと数人が社長室に走ってくる音が聞こえた。
ホランだけでなく、タイガとエコもその不気味な迫ってくる足音を不安げに聞いていた。

「な、何だ……?」
「かけっこじゃないですか?」
「なワケねーだろ。きっと、コイツの会社が潰れるから慌ててるんだな。いい気味だぜ」
「タイガ、少しは口を慎んだらどうだ」

足音はさらに大きな音を立てて社長室に近づいてくる。
そして社長室のドアの前に来た!と思った瞬間、大きなドアがでっかい音を立てて開いた。
飛び出してきたのは女の子だった。女の子が飛び込んで直ぐ、数名の警備員がバタバタと社長室へと入ってきた。

「何事だ!」

社長らしいビシッとした声のホランに、タイガは、一応様になってるな。と思った。

「申し訳ありません。社長に会いたいと言って勝手に進入した物ですから……」
「ハァ、ハァ……あの、私っ……」

息を切らせながら顔を上げた女の顔にホランは見覚えがあった。直ぐには思い出せなかったが。

「すいません。すぐに追い出しますので……」

警備員らが少女の腕を掴むが、少女はそれを振り切った。

「勝手に触らないでよヘンタイ!」
「早く来るんだ!」
「辞めてよ! これ以上やるとセクハラで訴えてやるからー!」

少女は3人掛りで抑えようとしても暴れ、警備員も女の子だけに困っていた。

「辞めろ辞めろー!」

気がつけば、いつの間にか警備員に混じってタイガも女の子を押さえようとしていた。
いや、よく見れば警備員から女の子を助けようとしているようだった。

「待て。ここで揉め事は辞めろ」
「しかし、社長はこちらに滞在する一週間の間に片付けなければならない業務が山ほど……」
「彼女はオレに会いに来たんだ。追い出すかどうかはオレが決める。キミらは任務に戻ってくれ」

ホランの意外な一言に、警備員は困惑の色を隠せないようだったが、
社長に言われるならばそうするしか仕方が無い。と言う風に社長室から素早く退室していった。

「……全く、酷い目に会った」

少女はパンパンとホコリを払いながら立ち上がった。その隙を見てタイガがデレデレ顔で少女に近づいた。

「良かったねー♪ オレ、タイガって言うんだけど~キミの名前は~?」
「私、貴方に会いたかったの」
「にゃはー!w いきなりそんな事言われるなんて、オレ幸せ~♪」
「私、貴方に会った時に思ったんだ。私の本当の王子様は貴方だって」
「た、確かにオレはカッコイイし、強いし、虎だし、き、気持ちは解るけど……にゃはw にゃははw じゃぁ、ラブホでも」

少女は嬉しさで飛び上がってしまいそうなタイガを突き飛ばし、突然走り出した。
そして、その先にいたホランに抱きついた。ホランもタイガも突然の事に目が点になったまま固まっていた。

「やっと見つけた……私の王子様!」
「え……お、オレかい?」

ホランの体の別な体温を感じ始めたとき、ようやく口が動くようになった。
徐々に首も動くようになり、マジマジと少女を見つめた。どこからどう見ても100%女の子。ニューハーフでも無い。

「き……キミの気持ちは嬉しいが、オレには既に愛する人が……」
「ハイ、これ!」

ホランの話を遮り、少女は白虎柄の傘をホランに差し出した。
その傘を見るとホランはやっと少女が誰なのか思い出した。

「……あ、あの雨の日の子かい?」
「そう! 良かったやっと会えて。三日前からずっと探してたんだ!」
「そ、そんな前からどうして?」
「貴方を好きだから!」

ホランが苦しくなるほど少女は熱い抱擁を続けていた。
それを一方的に見せ付けられているタイガも当然面白く無く、少女に近づきなんとか自分の存在をアピールし始める。

「ねーねー♪ コイツみたいな奴を好きになっても良い事なんて無いよ♪ それよりオレの方が~♪」
「……ちょっと邪魔だからどっか行ってくれる?」

露骨に嫌そうな顔はしてない物の、言葉の大部分に冷気を含んでいる彼女の発言はタイガの心に冷たく刺さった。

「……にゃ、にゃは……」
「せんぱぁーい。大丈夫ですかー?」
「うるせぇー! お前のせいだお前のー!」

八つ当たりしているタイガとエコのコンビを他所に少女の大事な物を優しく抱きしめるかの様な抱擁は未だ続いていた。
普通の男性ならばこんなに長く抱き疲れていれば何か思うところもあるのだろうが、ホランは何も感じず、
かと言って嫌悪感があるワケでもなく、少しだけ奪われている体の自由をどうにかしてほしい事だけを考えていた。

「会社の社長さんだって聞いてビックリした。やっぱり貴方は王子様だったんだ」
「……あぁ、オレはキミの言うとおり会社の社長だ。だからとても忙しい。今日は帰ってもらえないかな?」
「じゃぁ、今度、暇な日を教えて? 私、その日に来るから」

少女のまっすぐな返答にホランも困り始めていた。ここまで積極的にされると逆に断りづらい。
かと言って自分の性癖の事を軽々しく口外する事もあまり良い事ではない。となると、ここは口調を強くするしかないとホランは思った。

「勝手に社長室に入ってきて、まぁ、この件はオレが容認したから良い。
傘を返却しに来てくれた足労も感謝するが、突然来て一方的に付き合いを強要される様な真似はあまり良くは思わない」

ホランは書類に目を通したまま冷たい口調で少女に言葉をぶつけた。少女は黙っていた。

「……帰ってくれないか。来週のZプラチナコーポレーションとの重要な商談までに間に合わなくなる」
「そ、そんな冷たい事、言って良いの?」

少女はやっと口を開いた。少しだけトーンが雰囲気と違うように思えた。

「わ、私、そこの社長の娘なのよ。私と付き合ってくれればパパに頼んで取引させてあげる」

ホランは書類を置いて足組みをし、少女をしっかりと見据えた。
今度の取引は会社の一大プロジェクトだ。失敗は許されない。円滑な取引を行う為にも下手な対応は出来ないと思った。

「だ、ダメなら、今すぐパパに言いつけるから!」

少女は携帯を取り出してホランに突き出した。長い時間が流れた、ような気がした。

「……わ、解った」

ホランは、要求を飲むことにした。下手に相手の機嫌を損ねてはならないのは重々ホランが承知している事だった。

「ホント! やったぁ!」

少女も嬉しそうにホランに飛びついた。ホランは、あんなに厳しくしようと思っていた物の、こうなってしまっては困惑の色を隠しきれなかった
ますますタイガの反感を買うことにホランは気づいていない。

「私、四葉! 17歳の7月13日生まれのかに座のA」
「……よろしく」
「貴方の名前は?」
「……ホラン」
「誕生日も。星座も。血液型も!」
「……1月24日。みずがめ座。A型」
「OK、覚えた!」

四葉はニコッと笑って抱きついたままホランの方に顔を上げた。
ホランはただ、困って目を逸らした。

「き、キミ、とりあえず離れてくれないか?」
「四葉!」
「よ、四葉。離れてくれ」
「うん」

挿絵

四葉はパッとホランから離れた。まだ少しだけあの抱擁の感覚が残っていた。
ホランは四葉を見た。じーっとホランの顔を四葉が見つめているのに気づいたからだった。

「な、何だい?」
「仕事いつ終わる? デートしようよ」

ホランは、四葉の過度な積極さに閉口してしまった。
これじゃぁまるで、デートをする為に付き合う様な本末転倒の話だと思った。

「5分だけでも良い! デートじゃなくても良い。二人でいる時間を毎日作りたい。ね、お願い」
「………………」

ホランは、受話器を取り、ボタンを押すと落ち着いた口調で受話器に向って話した

「……例のプレゼン資料、山中君に任せられるか。上半期の株価データの方は岩国君に頼みたい。あぁ、頼む」

受話器を置くとホランはため息を付いて、四葉を見た。四葉は期待に満ちた顔をしていた。

「2時間の空きが出来た。四葉、キミはどこに行きたい?」
「海! 海が見たい!」

四葉は心のそこから嬉しそうに声もはしゃいでいた。ホランはやれやれと首を振って再び受話器を手に取った。

「それならば、車を待たせておくから少し待ってくれ……あぁ、オレだ」

突然、通話が途切れた。四葉がボタンを押して通話を切っていた。

「二人だけで行くのが良いんだってば。ね、お願い」

四葉はすがる様なキラキラとした目をホランに見せたが、ホランの心は動かされる事は無く、
再び、通話ボタンを押した。

「馬鹿を言っちゃいけない。車を使わずに海まで言ったら日が暮れてしまう」
「でも……」
「嫌ならば近場で済ますんだな。………あぁ、オレだ、海に行くから車を用意しておいてくれ」

ホランは、受話器を置くと、パソコンを閉じ、電気のスイッチを消し、髪をとかし……
事務的な目的の為に行動しているかのように淡々と準備を始め、それは部屋を出るときも同じだった。

「さぁ、行こう」
「うん!」

タイガは、明らかにホランが興味が無いのに無理して付き合っているのが解って悔しさでいっぱいのままそれを見送っていた。
悔しさのあまり、隣でスナック菓子を食べているエコの頭をもう一度殴った。

「くそーっ! 何でアイツ、ホモのくせに可愛い子が寄ってくるんだっ! オレの方がカッコイイんだぞっ!」
「見る目が無いんですよー。 オレはタイガ先輩かホラン先輩だったらタイガ先輩を選びますよ」
「お前に選ばれたって嬉しくねーよっ! 可愛い女の子に選ばれてーよぉ~!」

タイガは足をバタバタさせながらソファの上で暴れた。しかし、その行動が途端に虚しくなった。

「はぁ、四葉ちゃんかぁ……可愛い名前だなぁ」
「四葉のクローバーの話みたいですねぇ」
「ん、何だそれ? 四葉ちゃんと関係あるのか?」
「えぇと、この前テレビでやってた話なんですけどぉ……」
「おぅ」

エコは菓子の粉の付いた手をペロッと舐めた。

「クローバーって言う草があって、普通は葉っぱが3つ付いているんですよ」
「それがどうしたんだ?」
「その中に葉っぱが4つ付いている四つ葉のクローバーがあるそうなんです。それを持ってると幸せになれるそうですよ」
「なにぃー! そ、その四つ葉のクローバーってどこにあるんだ!?」

タイガは、目を輝かせながらエコに掴みかかった。

「で、でも、見つけるのがすっごい難しいみたいですよ? オレも探して先輩にあげようって思ったんですけど見つからなくって」
「いいから教えろ! そのクローバーってドコにあるんだ?」
「えぇと……えぇと……尾布川の土手の所にあるってボスが言ってました」
「尾布側の土手かぁ、そういえばあそこはいっぱい草が生えてるもんな……」

タイガは自分がもう四葉のクローバーを見つけた事を確信するかのようにニヤニヤし始め、勢い良く立ち上がった

「よーし! 幸せはこのオレが貰ったぜ! エコ、お前も一緒に探すぞっ!」
「は、はい!」














ホランは、海岸では無く海の見える防波堤に車を止めさせていた。
車から出ると、暑い日差しがホランの白を眩しくさせ四葉にはホランが光っているように見えた。

「さぁ、もう出ていいぞ」
「う、うん……」

四葉は、差し出したホランの手に捕まり車を降りた。
胸の高鳴り。潮風の匂い。波音。カモメ。そしてホランが揃ったとき四葉は、本当に海に来たのだと実感した。
遠くに見える海水浴を楽しんでいる人々を眺めながら目の前に広がる海を堤防に寄りかかって四葉は見た。

「私、好きな人が出来たら絶対最初のデートは海に行くって決めてるんだ」
「そうなのか」

ホランは返事は淡白に返事をした。
腕時計を見れば、もうあれから一時間経っていた。そろそろ帰れば予定より10分早く会社に着けると思った。

「……海ってドラマチックじゃない? ドラマでもデートは海でしょ?」
「ここ数年、日本のテレビはあまり見ていないから……何とも言えないな」
「やっぱりドラマチックな場所じゃなきゃ好きな人と一緒に居ても意味無いしね」

ホランは、黙ったまま海を見つめていた。しかし、その目は海を見ているわけでは無かった。

「元彼ともね。 最初に来たのは海だったんだ」
「へえ」
「ホランは元彼がどんな人だったのかとか気になら無いタイプ?」
「何故?」
「んー……あんまり興味ないみたいだったから」

実際、四葉に何の思い入れも無いホランはただ、苦笑いを浮かべて誤魔化しただけだった。
そして、グリーンと一緒に来ていればどうだっただろうと、四葉の隣で思っていた。

「もっと時間があれば私の水着見えるのに、残念だったね」
「いや、こうして海を見るのも良い物だよ」
「えぇー? 本当にそう思ってんのかなー?」

ホランは、再び腕時計を見た。早くもあれから5分が過ぎていた。

「そろそろ帰ろう」
「え、な、何で? まだ海に来て全然経ってないよ」
「今から帰ってちょうど2時間だ」

四葉は、哀しい顔をしたままホランを見た。四葉はもっと一緒に海を見ていたかった。
ホランは物言わぬ四葉の肩を優しく叩いた。

「部下にオレがこなさなければならない仕事を任している。彼らも別の仕事がある。解るだろう?」
「だけど……」
「オレはキミが憎くて意地悪をしているわけじゃない。初めから2時間の約束だったはずだ」

四葉は、小さく頷いた。ホランは車に四葉を乗り込ませると急いで自分も反対側に回って車に乗った。
ホランは、四葉が名残惜しそうに海を見ていたのに気づき目を逸らした。

「ねぇ、明日はいつ時間が空いてる?」
「あ、あぁ……明日か」

ホランは四葉が突然振り返ったかと思うと、明るい顔で聞いてきた。
少々、それに面食らいながらもホランは黒革の手帳を取り出しスケジュールを確認し始めた。

「明日は、朝から5社と打ち合わせがある。さすがに空き時間は無いな」
「5分でも良い! ううん、1分でも良いから。 毎日会いたい! 時間作って!」
「……そう言われても、わざわざそんな時間を作れる訳が」
「ぱ、パパの会社で取引できなくなってもいいの!?」

ホランは、困った様に頭を掻きながら手帳を見ていた。
長い事、手帳とのにらめっこを続けていると要約、妥協点が見つかったのか一息ついた。

「……12時頃なら、10分空かない事も無い」
「ホント? じゃ私、会社の前で待ってるから」

既に、明日が楽しみで仕方が無い素振りを見せていた四葉にホランは変な気分がした。
今までこう言う女性にはあったことも無いし、それに非常識でありがらも口出しできない。
本当に、彼女はそんな事で満足なのか。ホランはその感情に些細な違和感を気づいた。












「タイガせんぱぁーい。そっちありましたー?」

その頃、タイガとエコは川辺でクローバー探しを続けていた。もちろん全く見つからなかった。

「むー。全然無いぞー」
「そですかぁ……こっちも無いです」

川辺にはたくさんの草がありクローバーもたくさん咲いていた。
しかし、想像以上に川辺の草地帯はに小さなクローバーの葉を一つずつ見ていくにはあまりにも広すぎていた。
エコは、そろそろクローバー探しに飽きていたがタイガは始めて何時間も経つというのに変わらず熱心に探していた。

「オイ! もっと良く探せよー!」
「そんなぁ、オレいっぱい探しましたよぉ?」
「お前サイボーグだろ? 四葉のクローバーを探す機能とか付いてねーのかよ」
「ふぇ……えぇと、えぇと……」

エコが、本気でそんな機能が無いのか体を触り始めたが当然無い事はタイガにも解っていた。
クローバーを探す事に熱心でいる反面、焦りにも似たイライラの解消の一つとしてそう言ったまでだった

「せんぱぁーい。無いみたいですよー?」

当然、タイガは予想通りの答えが帰って来たので無視してクローバーを探し続けた。
エコは、その場にしゃがみ込んで足元のクローバーを探し始めたが直ぐに飽きてしまった。

「せんぱぁい。もしかしたらここには無いんじゃないですか?」
「そんな訳ねーだろ。こーんなにたくさんあるんだぞっ!」
「だってこんなに探してもないじゃないですかぁ」
「オレはなぁ……金も欲しいし、もっとカッコよくなりたいし、いい加減早くHもしたいんだっ!」
「せんぱぁい。ご飯食べに行きましょうよー。 また今度探しにきましょうよー」

エコは、血眼になっているタイガに近寄ってポンポンと背中を叩いたがタイガはうっとおしい様にその手を叩いた。

「ねぇ、せんぱぁーい。 タイガせんぱぁーい」

何度も何度も背中を叩くエコの手を叩くのもめんどくさくなってきたタイガだったが
エコは背中を叩き続け、しかもエコの意図せず徐々にその力は強くなり、手がメカな為に痛くなってきた。
さすがのタイガも声と物理的な攻撃の挟み撃ちを無視できるほど大らかな虎猫では無かった。

「うるせーな! いくらなお前がいけば良いだろっ!」

堪忍袋が切れたタイガはエコを思い切り突き飛ばした。
エコは重心を崩してそのまま後向きにクローバーの上に倒れこんだ。

「オレの邪魔をするんじゃねーぞ。この馬鹿!」
「……誰が馬鹿だって?」

タイガは、エコの言葉に寒気を感じた。
この低いトーンの喋りは間違いない。タイガはそう確信し後ろを振り返った。
予感は的中していた。あの、悪意の塊の様な目は間違いなく悪エコだった。

「ケッ、よりにもよって久しぶりに出て最初に見るのがテメーの馬鹿面かよ」
「な、何だとっ!」
「まーいい。 この俺がお前みたいなヤツを相手にしても無意味だ」
「お、オイっ! お前、オレを馬鹿にすんなー!」

タイガは怒りに身を任せて悪エコに掴みかかった。
しかし、彼はお馬鹿なエコでは無いのでいつもの様には行かず反対に首を思い切り絞められてしまった。

「んがっ! がぁぁーっ!」
「え? 俺はいつものエコじゃないんだぞ。口のきき方に気をつけろよ? その気になればお前の首の骨をへし折ってやれるんだぞ。 あぁ?」

悪エコは相変わらず楽しそうに笑いながらタイガの首を絞めていた。
さすがのタイガも同じ外面のエコにこんな仕打ちをされてしまっては気持ちが凹んでしまいそうになる。

「え、苦しいか。苦しいか。このまま死んで見るか? 俺は一向に構わないんだぜ」
「わ、わかっ……! オレがっ、悪かっ……たっ!」
「フン」

タイガの体が突然浮き上がったと思った瞬間、今度は一気に全身が冷たくなった
苦しい。タイガはようやくそこが川の中だと言う事に気が付いた。

「ぷはぁっ! 何だぁーっ! げぼごぼぼ!」

タイガは実は生まれてこの方、風呂場より広いところでは全く泳いだ事がなく
突然の入水でテンパっているのも手伝い、溺れる人の手本のように見事に溺れていた。

「さーてと、俺は久々に新兵器を開発するかな」
「オイっ! た、すっ、けっ、ろぉぉ……!」

悪エコが去っていくのを最後まで見る事は出来ずタイガは川に沈んで行った。











翌日、ホランは朝から会社の一大プロジェクトに協力する企業に打ち合わせに出ていた。
午前中だけで2社に向かい順調に事を進める事が出来た。
本来この後は昼食の時間になるのだがホランはその時間を割いて次の会社とは反対方向の自分の会社に向っていた。

「社長、ハッキリ言わせていただきますが何故、彼女の為にそこまでしてやるのですか」

我慢できないと言う風にホランの隣で手帳を捲っていた秘書がホランに言った。
ホランは、疲れもあって気だるそうに外の景色を見たまま応えた。

「……Zプラチナコーポレーションは今回のプロジェクトには無くてはならない会社だ。
今回のプロジェクトを成功させる為には彼女の機嫌を、そして社長の機嫌を損ねさせなくする必要がある」
「で、では、彼女には何も特別な感情は抱いていないのですね!」
「あぁ、そうだ」
「あぁっ……社長……」

秘書の声は希望に満ちた様にうわずっていた。ちょうどその時、車はトンネルに入った。
ホランは窓に映った自分の顔が少し疲れているのに気づいた。少し頬の模様が歪んでいた。

「……しまった」

いつもならば考えられない事だった。グリーンにいつ出会っても良い様に模様だけはきちんと描いていたはずだった。
日々の忙しさに忙殺されてホランはこの日はグリーンに会えない事を心の奥で解っていたのだ。
その心の隙がこんな所に現れていたのだ。ホランは、ドウランを手に取ると模様の微調整を始めた。

「(……グリーン寂しがっているだろうな。だが、プロジェクトの成功には仕方が無い事だ。許してくれ……グリーン)」

車はトンネルを抜け、尾布市に入った。ホランの模様もほぼ完璧に近いものに調整出来ていた。

「どうだ。おかしい所は無いか」
「ハイ、いつもの素敵な社長です」

そんな事をしながら模様のチェックをしていると早くもホワイトタイガーエンタープライズの玄関前に到着した。
玄関前には、派手な格好をした四葉が座っていた。あまりに派手すぎて四葉だと思えなかったくらいだった。

「ホラーン! 待ってたー!」

ホランが車から出ると四葉は一目散にホランに走り寄り、抱きついた。
間近で見ると四葉の格好の派手さがますます目に付いた。
フリルの付いたピンクと白を基調にしたドレス、頭上のレースのリボン。フランス人形みたいだとホランは思った。

「な、何だい。その格好は」
「え、これ? どぉ? 可愛い?」

四葉は、ホランに服装の事について触れられたのが嬉しいのかクルクルと回ってスカートを広げて見せた。
ホランは、ただただ怪訝な顔でそれを見ていた。四葉もそれに気づいたらしかった。

「あれ、ゴスロリあんまり好きじゃなかった?」
「え、あぁ……」
「割と地味なのにしてみたつもりなんだけどな~。あっ、もっと濃い方が良かった?」
「い、いや……」

四葉はホランの反応の悪さにしょんぼりといながらリボンを取った。
ホランはなんとか普通の顔を作ろうとするが四葉に気を遣うとますますそれも困難だった。

「男の子ってみんなこう言うのが好きなんだと思ってた」
「わ、悪かった」
「良いよ! 次はホランの好みに合うように頑張るから」

四葉はまた明るく笑った。
そうだ、彼女は元々根は明るいわけだからそこまで気を遣う必要も無いかもしれない。ホランはそう思った。

「あ、じゃ参考にホランの好きな感じを……」

時計を見るとまもなく時間が迫ってきていた。

「すまない、そろそろ時間だ」
「あ、そうなんだ……社長だもんね。じゃぁ、また明日ね!」

ホランは、四葉の方に振り返らず車に乗り込んだ。

「出てくれ」

車の中から外を見ると四葉が笑ってこっちを見ていた。
残りの3社を今日中に終わらせなければならない。今から考えるだけでため息が出る。













「どかーん!」

タイガは突然腹部にとてつもない圧迫感を感じ口からサカナを吐き出した。

「ゲホッ! ゲホッ!」

目の前には自分のお腹の上に飛び乗っている男の子。周りの騒ぐ声も徐々にタイガの耳に入ってきた。

「コラァ! なにすんだこのガキどもー!」
「わーい。 怪物が怒ったぁー」

雲の子を散らすように子供達は逃げて行くと、タイガも息も絶え絶えによろよろと立ち上がった。
溺れた場所から数メートル離れた下流にタイガは打ち上げられていたようだった。

「ったく、あのクソガキ……って、うわぁ……」

タイガはあたりに散乱しているゴミの中にあったドラム缶に映った自分に気づいた。
自慢の虎縞毛並みは汚れた水と自然乾燥により、少し黒ずんでボサボサになっていた。
おまけに頬には苔が付いているのか真緑色になって、まさに『溺れて下流に打ち上げられた人』になっていた

「このオレが何でこんなカッコ悪くなってんだよぉ……くそぉ……」

ナルシストであるタイガにとってこの現実はとても耐えられる物ではなかった。
こんな姿で街を歩けるわけは無いし、かと言ってこの姿を一秒でも早くもとの姿に戻したいタイガは、
ただドラム缶に映った自分の姿から目を離すことしか出来なかった。

「あ、見つけましたよタイガ! どこに行ってたんですか!」
「にゃ?」

その時、土手を駆け下りながらOFFレンジャー達が一斉にこっちに向って走ってきていた。
もちろん、その中に女子もいて、タイガは慌てて側の茂みに飛び込んだ。

「ちょっと、何やってるんですか。早く来てください」
「な、何だよっ!」
「駅前で悪エコが作った新兵器が実に新兵器らしい斬新な暴走をしているんですよ」
「だからなんだよ」
「新兵器は実に新兵器らしく奇抜な退治方法を持っていて、まぁそう言うわけでタイガがいないと無理なんですよ!」

グリーンは茂みに入ってタイガの腕を掴んだ。
このままグリーンに引き寄せられてしまうとタイガは女子の面前で醜態を晒してしまう結果になる。
タイガは、あえて反対方向にその体を移動させるが負けじとグリーンも引っ張る。

「早く来ないと、駅前が新兵器にやられたみたいに壊滅しちゃいますよっ!」
「行くならお前らだけで行けよーっ! オレはヤダーっ!」
「駅前にあるビデオショップが潰れちゃいますよっ! もうAV買えなくなりますよっ!」
「えっ……!」

グリーンの言葉にタイガは一瞬ひるみ、ずるずると一気に茂みの外へと引っ張り出されてしまった。
ボサボサの薄汚れた虎猫の姿に女子達は好奇の目で見ていた。

「みっ、みるなぁぁーっ!」
「そんな事どうでもいいんです。早く駅前へ急ぎますよっ!」
「いやだぁぁぁぁ!」

タイガは泣き叫びたい気持ちを堪え、グリーンの居のままの引っ張られ駅前へと向っていった。














翌日、事故でも起こっていたのかと思うほど荒れている駅前を通ってホランは会社へと戻ってきた。

「……まさか朝方になるとは思わなかったな」

固い床に寝ていたせいで首が痛んでいたホランはしきりに首の辺りを揉みほぐしながら、
この痛みもプロジェクトの成功の為の小さな代償に過ぎないのだと自分を納得させていた。

「この後は、何があったかな」
「えぇと、今日はこの後会社に帰りましてすぐに香港に向っていただきます」
「香港……つっ!」

思わず首を動かしてしまい痛みに涙目になりながら耐えているホランは、自分が情けなく感じた。
とても、グリーンに見せられる姿ではない。弱気なときに限ってグリーンの姿が目に浮かぶ。

「……た、たしか今回のプロジェクトは国内だけの企業に限定されているはずじゃないのか」

ホランは、窓側を向いたまま秘書に言った。

「社長、しっかりしてください。 昨年から進行しているペットボトルハウスの件をお忘れですか」
「あ、あぁあれか。こう忙しいとどうもほかの事に手が回らなくなるな」
「今週さえ乗り切れば後は通常のペースに戻ります。 さ、もう社につきますよ」

車が止まると、ホランはゆっくり首に刺激を与えないように車を降り、ため息を付いた。

「悪いが……湿布を買ってきてくれ。こう痛いとできる仕事も出来ない。準備の方はオレがやっておく」
「解りました。お急ぎください」

ホランは首を右手で固定させたままゆっくり一段一段確かめるようにして階段を登った。
徐々に階段の上から会社の玄関の上部が顔を出してきた。もう少しだとホランはいつの間にか自分を励ましていた。

「ホラン! おかえりー!」

玄関前にしゃがみ込んでいた四葉がホランを見るなり立ち上がってホランに飛び掛った。

「つっ!!!!」

とてつも無い、衝撃がホランを襲った。抱きしめられていたせいでその顔を四葉に見られなかっただけ幸運な事だった。

「は、離してくれっ!…………?」

ホランは、四葉を突き飛ばしたが、その時四葉の格好に始めて気が付いた。黒いミニスカートに水色の服、紺のネクタイ。
おまけに黒いハイヒールに帽子を被ったこの姿は間違いなく婦人警官の服だった。

「どう? ホランのハートにズキンと来た? 来た?」
「い、いや……」

どうして良いのか解らないまま困惑するホランをよそに四葉は首から提げた笛を突然吹いた

「私のハートを盗んだ罪でホランを逮捕しちゃうぞ☆」

挿絵

ホランは、視覚から入ってきた恥ずかしい感情が全身に巡っていったのが解った。
今までのしたこと無いタイプの赤面をしながらホランは会社の玄関に早足で入っていった。

「あっ、ホラン。どうしたの」

後ろからバタバタと四葉が追いかけてきたがホランは俯いたままエレベーターへに向かい、
無人のエレベーターに入ったがそこに四葉も一緒に入ってきて困った。

「ちょっとホランには刺激が強すぎたかな~?」
「そ、そう言うのは非常に……困る」

ホランは、四葉から目を逸らしたままうっすらとまだ顔を赤くしたまま言った。

「あれ、もしかして照れてる?」
「違う!」

ホランは、強い口調で言ってしまったのに気づき慌てて咳払いをした。

「いや、そう言う格好をしてオレの会社に来るのは……ちょっと困るんだ」
「じゃぁ、部屋で待ってたら良い?」
「そ、そうじゃない」
「ホランは婦人警官嫌い? 結構ストライクゾーンだって思ったんだけど」
「……あ、あぁ……オレの好みじゃ無い。もっと普通で居てくれれば良いんだ」

四葉は帽子を取ってホランの顔を伺った。ホランは黙ってそれに頷きで応えた。
エレベーターが最上階に着き、ホランは廊下に出た。

「ねぇ、ホラン。これから時間ある?」

ネクタイを外しながら四葉がホランの横に並んで早足で付いて来た。
ホランは四葉に目を合わせずに社長室のドアに向って歩いていた。

「残念だが、これから香港に行かなければいけないんだ」
「……そっか。何時に帰る?」
「今日中には無理だ。予定では明後日に帰る事になる」
「私、明日も会いたい」

ホランは、社長室の扉の前に付き、鍵を開け中に入った。

「明日も会いたい」

四葉はもう一度強く言った。ホランは、社長室の奥の部屋に入った。
始めて入るホランの部屋だと言うのに、四葉は気づいていないようでホランを見つめ返事を待っていた。

「明日も会いたいよ」
「無理だ」

クローゼットの奥から白と黒の縞模様のトランクを取り出しながらホランは言った。

「香港での会議は長くなる。とてもじゃないが明日は無理だ」
「確率1%も無い?」

ホランは時計を見て、トランクの中にノートパソコンやらタオル等を詰め込み始めた。

「ねぇ、無い?」

四葉はホランの側に寄ってきて再び聞いた。

「さっきから言ってるだろう。明日帰れたとしても万が一の話だ」
「0.00000000000000000001くらい?」
「あぁ、それくらい不可能だって事だ……マズイ。時間が無い」

ホランは時計を再び見て急いでトランクを持って部屋を飛び出した。四葉は付いて来ていなかった。
エレベーターを降りると車の前に秘書が湿布薬を持ってホランを待っていた。

「行きましょう社長」
「あぁ」

秘書にトランクを渡すと同時に湿布薬を受け取ると、ホランは車に乗り込んだ。
湿布を貼ろうと首元を触ったとき、ホランは気が付いた。

「(……む。痛くなくなっている)」












ホランが、香港へと旅立った次の日の夕暮れ。
尾布川に黄色いボロキレが一枚、夕日に照らされながら息をしていた。

「はぁ……はぁ……ぜぇ……ぜぇ……」

ボロキレが息をしているのでは無く、それはタイガだった。
新兵器によるまさに新兵器らしい解決策により思いも寄らなかった苦戦を強いられてしまい、
ボロボロになったものの、タイガは這いずりながらこの河原へと戻ってきた。

「はぁ……はぁ……くそぉっ……」

所々の毛が焦げていて、気休め程度の絆創膏が貼り付けられ、タイガは文字通りボロキレだった。
もう、今の彼には身なりを気にすると言うよりも、息を整えたいと言う事だけしかなかった。
そんな、タイガを見つけたのは元に戻り駅前から帰ってきた。

「た、タイガ先輩! どうしたんですかぁ! その姿!」

エコだった。お前のせいだとタイガは言いたかったがもうこれ以上、余計な力を使うことは出来なかった。
タイガはただ、『水』とだけ呟いた。エコはタイガの哀れな姿に涙を浮かべつつ、側に落ちていた空き缶を掴んで川へ向った。
川の水でよく中を洗い、エコはたっぷり川の水を汲んでタイガに持っていった。
缶の中を洗えてどうして川の水を中に入れるのだろうか。エコだから仕方が無いと言えばそれまでの事。

「ど、どうぞ」
「ぉ……ぉ……」

ゴクゴクと川の水をまるで酒の様に勢い良く飲み干すとタイガは一息つくと同時に、思い切りエコの右頬を引っぱたいた。
突然の事に、しばし呆然としていたエコだったが、痛みが増してくるとじわじわ涙が溢れ始めた。

「せ、せんぱぁい……なんで叩くんですかぁ」
「……これくらいで許してやるぜ」

タイガは、クローバーのベッドの上でエコに背を向けながら横になった。
エコの嗚咽が聞こえてくるがタイガは、側にあるクローバーをちょこちょこと指でいじりっていると
いつの間にかまた、クローバー探しを始めてしまっていた。三葉、三葉、三葉、四葉、三葉、三葉、三葉……。やっぱり簡単には見つからない。

「ん?」

タイガは、引っかかる物を感じてさっきまでクローバーを探していた直線上を逆行した。
そしてゆっくりゆっくりクローバーの葉の数をさっきよりも丁寧に見ていった。

「3つ、3つ、3つ、4つ……4つ? 4つ! うわぁぁぁ! 四葉のクローバーだぁぁぁぁぁぁぁ!!」

タイガの全身の毛が喜びと興奮で逆立ち、体も起き立ち。全身と言う全身にアドレナリンが巡っていく。

「オイ、エコ! 見つけたぞっ! 四葉のクローバーだぞっ! にゃはー! これでオレやっと女の子とH出来るかも!」

泣いているエコも嬉しそうなタイガの様子にぽかんとしたまま、はしゃぐ虎猫見つめていた。
よほど嬉しいのか、女子と一緒にラブホに来た妄想を喋りながら演じたり、誰かと抱き合っているジェスチャーをしたり……。

「っぁー! 見つけただけでこんなに嬉しいって事はこれから、もーっともーっと幸せな事が起こるに違いないぜ!
どうだ、エコ! 羨ましいだろ! これでオレの人生は幸せでいっぱいだぞっ! にゃはははははw」

タイガは川に向って叫んだり、飛び跳ねたり。幸福だけを動力にタイガは動いていた。
すると、タイガは土手の上に見覚えのある姿を見かけた。四葉だった。

「にゃはw とことんオレって付いてるぜー♪」

タイガは土手を素早く駆け上ると自分の姿も気にせずに四葉の前に飛び出した。

「よ~っつばちゃぁ~ん♪ どこ行くの~?」
「え? あんた誰?」

四葉は、タイガの事を覚えていなかった。今の薄汚れた猫に成り下がったせいで余計に記憶の引き出しから出ることは無かった。
タイガの耳はそんな言葉を幸せフィルターが遮って聞こえなくなっていた。
四葉はうっとうしそうに手にしている茶封筒から出ている数十枚の一万円札をしまった。

「あれっ、どしたの? そのお金! にゃはw オレもっと安いラブホ知ってるよー♪」
「関係ないでしょ。退いてよ」
「にゃはーw 四葉ちゃんが最初ならオレ全然オッケー! ねーねー。早く行こ♪」
「退いてってば!」

四葉はタイガを突き飛ばして早足で通り過ぎようとするが、タイガにさらに素早く回り込まれてしまった。
タイガはニコニコヘラヘラしながら持っている四つ葉のクローバーの茎をクルクルと指先で廻しながら四つ葉に見せた。

「ホラ、オレ四葉のクローバー見つけたんだ♪ 四葉ちゃんと同じ名前でしょー♪」
「……はぁ?」
「このおかげで、オレと四葉ちゃんが出会えたワケ! どう? 四葉ちゃんも持ってみる?」
「それ、違うよ」
「えー♪ 違うってー?」

四葉はタイガの持っているクローバーを取ると、葉っぱを一枚プチっと千切った。

「あぁーーーっ! オレのクローバーがぁーーっ!」
「これ、クローバーじゃないよ」
「……へ?」

四葉は足元に生えているクローバーの葉っぱを一枚千切って、二枚の葉っぱをタイガに見せた。
片方はハート型の葉っぱ。タイガが取った奴だ。そしてもう一つは楕円形の葉っぱ。

「こっちの丸い葉っぱがクローバー。みんな良く間違えるけどこのハートの形の葉っぱのはカタバミ」
「……にゃ?」
「つまりね。あんたが見つけたのは四葉のクローバーじゃなくて四葉のカタバミ」
「……にゃにゃ!?」
「解る? 意味無いの。幸福来ないの。クローバーじゃないから。あ、絞り汁は虫刺されに効くらしいけど」
「……にゃにゃにゃ!?」

タイガの動力が幸福で無いと解った途端、タイガの体のアチコチから亀裂音が聞こえたような気がした。

「もういいでしょ。急いでるんだから退いて」

四葉はタイガの肩を突き飛ばして行った。何も聞こえない。何も見えない。見えるのはらせん状の黒線だけ。
視界が傾いたと思った時にはもう遅く、タイガは土手に向って転がり落ちて言った。
そのままゴロゴロと綺麗に転がり、タイガは再び水中へと華麗に消えていった。

「あぁーっ! せんぱぁーい!」













「参ったな……」

タイガが、時折浮かんだ木の枝に引っかかりながらも川の下流への旅を満喫している頃、ホランは真夜中に雨の尾布市を走っていた。

「仕方ありません。ペットボトルがダメならヤクルトの容器があります」
「あぁ……。そうだな……。とにかく、早く帰って眠りたい」

ホランの腕時計は2時40分を指していた。窓ガラスにはため息が作った霞んだ尾布市の町並みが映っていた。
その霞んだ尾布市の夜景の中にホランは笑顔のグリーンを描いた。その周りにハートを一つ。もう一つ。おまけに一つ。
会社に付く頃には窓がハートだらけになっていた。これが、日々、忙殺されていくグリーンへの思いの発散法だった。
既に、書いたグリーンもまた霞んでいる。

挿絵

「……儚いな。愛を何か別な有形物にしてもいつかは消えてしまう。愛は別な物に置き換えられない……
置き換えられたとしたら、それは愛じゃない。……だからこそ、愛は特別なんだ」
「社長、哲学的ですね」
「愛する人がいれば皆、そんな事を考えるものさ」
「嗚呼、社長……素敵です」

車が止まると、ホランは誰よりも先に車を降りた。後から秘書が追いかけてきた。
ホランは早く休息が取りたかった。明日は例のプロジェクトの重要な会議がある。最も神経を使う会議だ。

「ホラン」

呼ばれてホランは始めて玄関の隅にうずくまっている四葉の姿に気が付いた。
四葉は紫色の紫陽花の花の柄をした着物を着ていた。濡れたままの姿で弱弱しく笑った。

「……おかえり」
「四葉!どうしたんだい。こんな遅くに」
「ねぇ、この着物可愛い? ホラン和風の方が好きなのかなって」

四葉は立ち上がってゆっくりと腕を広げた。ホランは、単純に四葉が綺麗だと思った。

「どうしてここに来ているんだ。オレは一日じゃ帰られないと何度も」
「だって。会える確立0じゃないから。少しでも会えるなら私、待つんだ」
「どうしてそこまで……」

四葉はホランに飛びついた。雨で薄まっているが淡い桃の香りがした。

「会いたいの。好きな人といつも一緒に居たいの。一緒にいなきゃ、好きって気持ちがなくなりそうだから」
「今日の所は早く帰れ。親御さんが心配する」
「でも」

ホランは口角を上げた。

「午後4時にここで待ってろ。時間を2時間空けよう」
「社長! 明日は6時から会議ですよ?」
「良いんだ。ハッキリとオレが言わなかったのが悪い。それじゃぁ四葉。今日はもう帰るんだ」

四葉はフッと笑ってゆっくりホランから離れた。四葉は何も言わずに軽く頭を下げた。
背を向けた四葉にホランは声をかけた。

「明日の服は、何を着てくるのかな」
「……何が良い?」

四葉は、振り返った。いつもの笑顔になっていた。

「いや、楽しみにしておくよ。派手なのは勘弁だが」
「解った!」

ホランは、四葉の姿を見送ると玄関の方へ体を向けた。
彼女は本気だったのか。ホランは複雑な気分になりながら社屋へと入っていった。


















「うっ……うぅ……うぅー……」

エコは一晩かけて下流で藻だけになりながらカモにつつかれていたタイガを発見した。
白目を向いたままさらに無残な姿になっている先輩の姿に目を真っ赤にしながらエコはタイガを引きずりながらクローバー畑に戻ってきた。
引きずりすぎたのか黄色い毛が真っ直ぐ川に沿って下流に続いていた。後頭部は怖くて見られない。

「せんぱぁーい……しっかりしてくださぁーい……うぅ……うぅー……」

ペチペチとタイガの頬を叩くがタイガの反応は皆無。エコは、何度も頬を叩いたがタイガは応えてくれなかった。
エコは、こう言う時どうすれば良いか少ない脳みそでいっぱい考えた。

「あっ、そうだぁー!」

エコは、一番手っ取り早い方法を取る事にした。
ゆっくりタイガから離れたエコはしっかりタイガの頭部を見据え全速力でそこに自分の頭を突っ込ませた。

「んぎゃっ!?」

物凄い金属音が聞こえた瞬間タイガは飛び起きた。

「ふにゃぁ~ふにふにふにゃぁ~」

しかし、くるくると回りながら不可思議な言語を喋る先輩は先輩じゃない事がエコには解っていた。
どうすれば良くなるのか。エコは少なすぎる脳みそをフル回転させて考えた。

「あっ、そうだぁー!」

エコは、再びタイガに頭突きをした。タイガは、ハッと気が付きエコを見た。

「あれ、お、オレは……一体」
「せんぱぁーい。良かったですー」
「はぁ? 何だよお前……おっと、そんな事してる場合じゃないぞ。クローバークローバー!」

タイガは、地面にはいつくばってクローバーを探し始めた。エコも探しているが見つからない。
自分もタイガの方を探そうと思った時、エコは見てしまった。タイガが黙々とクローバーを食べているのを。

「せ、先輩……?」
「何だ?お前も早くクローバー探せよな」

エコは、ゆっくりタイガから離れると再びタイガの頭に向って突進した。













そんな金属音が再び尾布市に響いていた頃、ホランは社前にある花屋に居た。

「最近いらっしゃらないんでどうしたんだろうって思ってました」
「あぁ、ちょっと海外に長い事いましてね」

ホランは、四葉に贈る花を選んでいた。すっかり顔なじみの花屋の店員も親身にアドバイスをくれていた。
しかし、贈ると言えば薔薇と言うワンパターンな考えしかないホランは他の花を選ぶのに苦労していた。
結局、店員のオススメにしてもらう事になった。

「いつも通りメッセージカード入れておきますね。相手のお名前は?」
「四葉、でお願いします」
「女性? いつもの方じゃないんですか」
「あ、いえ、知人です」
「ホッ、良かった」

店員は安心したように花束を作り始めた。何故、グリーンに贈るんじゃなくて安心するのかホランには良く解らなかった。

「ハイ、四葉さん。可愛い名前ですね。クローバーですか」
「あぁ。そう言えば四葉のクローバーってありますね。クローバーにも花言葉はあるんですか?」
「ありますよ。花言葉ってシダとかカエデとかにも。大抵の植物なら大体付いてるんじゃないでしょうか」
「へぇ……」
「花言葉は、私の物になって。それぞれの葉にも意味があるんですよ、名声、富、満ち足りた愛、素晴らしい健康」

店員は、花束を作り終えカードを挟むとそれをホランに渡した。いつも通りホランはカードを差し出す。

「奥深いですね。花言葉も」
「あ、四葉のクローバーにはまだ意味があって四枚全て揃うと……」

店員から話を聞いているとバタバタと走ってくる足音がホランの耳に入ってきた。

「ホ~ラン♪ ここにいたの?」

四葉は夏用の制服を着ていた。多分、コスプレじゃなく元々持っているものなのだろう。『四葉』の名札が胸元に付いていた。
ホランは、店員に一礼すると花屋の玄関で待っている四葉に買ったばかりの花束を渡した。
四葉は一瞬『?』と言う顔をしたかと思うと急に笑い出した。その反応に逆にホランが『?』としてしまった。

「ホランって今まで、ろくに女の子と付き合ったこと無いでしょ?」
「え?」
「今時、デートで花束なんて昔のドラマの見過ぎ!……でも、貰っておくね」

花束をシールやキーホルダーで飾られた通学カバンのフタの隙間に差すと四葉はホランの手を掴んだ。

「今日は、私がエスコートしても良い?……それとも行くトコ決めちゃってる?」
「いや、四葉の自由で構わない。この2時間はオレが四葉の為に用意した時間なんだし」
「……じゃぁ!」

ホランは四葉に腕を組まれると、四葉の意のままに引っ張られていった。
こうして歩くのが始めてなのでホランは少し戸惑っていた。基本的にする側なのでされる側と言うのは違和感がある。
グリーンがここまでしてくれたらきっとホランは赤面しすぎてリンゴ農家に収穫されているかもしれない。
ホランは時計を見た。4時10分だった。人気の無い直線の細い道を歩いていた。

「四葉、一体どこに行くんだ?」
「もう少し、もう少し!」

徐々に、子供の声が聞こえてきた。茂みで中が隠されている白いフェンスが途切れた場所に入るとフェンスの中は公園だった。
平日の夕方と言うせいもあってか親子連れはもちろん、犬の散歩など多くの人が訪れていた。
ホランは、今まで公園で遊んだ事が一度も無かった。ブランコも滑り台も名前と形を知っているだけ。

「四葉は結構、子供っぽい所があるんだな」
「え? 別に普通じゃない?」

普通なのかとホランは自分と四葉、そして世間一般との常識のズレにしばし困惑した。
どうせなら、童心に帰って、と言っても幼少期など無かったホランだが人生勉強の一環として遊ぶのも良いかと結論付けた。
興味津々に、ホランは無人のブランコへ四葉から手を離し近づいていった。

「……これが、ブランコか。思ったより大きいんだな」
「ホラン、何やってんの? 私、ホランと遊具で遊びに来たんじゃないんだよ?」
「……え?」
「あれあれ! アレ乗りに来たんだって」

四葉が指差した先には池、そしてボート、ボート乗り場の3つが揃っていた。
池の中央の方にはチラホラとカップル連れがボートを漕いでいるのが見える。

「ホランって大人っぽいと思ったけどそんな子供っぽいカワイー所もあるんだ」
「…………」

ホランは、恥ずかしさでいっぱいになっていた。かすかに顔を赤くさせながらホランはボート乗り場へ走った。
誇り高きホワイトタイガーの自分のあの愚行を思い出し二重に恥ずかしくなった。

「も~。ホラン足速いよ~」

息を切らせながら追いかけてきた四葉は財布から500円を取り出し係員に渡すと、ホランの背中を押しながらボートに向った。
どれも、古い物で浸水しないのかホランは不安だった。水自体は怖くないが、濡れるのが怖かった。

「ホラン、それ違うよ。こっちこっち!」

右側の方から四葉の声が聞こえホランは振り向いた。
手招きしながらボートの隅に隠されたように置かれていた白鳥の足漕ぎボートの横で四葉が飛び跳ねていた。

「これこれ! これが噂の乗った人は必ず結ばれるって言うスワンボート」
「こ、これに乗るのか……?」
「そうだよ?」

ホランの肉体は明らかに異質なソレに拒否反応を示していた。
時間が経過してくれない物かとホランは時計を見た。4時30分だった。ホランは決心した。

「よ、よし。じゃぁ、オレが先に乗ろう」

ホランがそっと乗り込むと中は思ったより狭く感じた。ペダルまでの距離も短く体育座りの様な姿勢で漕ぐ事になるらしい。
四葉が後から乗り込むとますますその窮屈さは増した。ホランは、ボートの脇をしっかり掴んだ。

「せーので漕ぐよ。せーので」
「あぁ……じゃぁ、せーのっ!」

漕いだ瞬間、ガクッとホランの方にボートが傾きホランは声を上げそうになった。
白虎である自分の模様が落ちたのを見られるのは万死に値する。

「ね、ぐるーって池回ろうよ。一周回るごとに結ばれる強さがどんどん強くなるんだって」
「……あぁ」

徐々に岸から離れていると両者ともコツを掴み始め激しい揺れはおきなくなった。














小さいとばかり思っていた池を回り終えると意外に時間がかかったのか時間は5時40分。
窮屈な姿勢で漕いでいたのと、ここ最近の運動不足もあり足に違和感を感じる。筋肉痛は免れないだろう。

「楽しかった~! これで私たち、完っ全!に結ばれるね」
「それは解らないよ。あくまでそう言うジンクスがあるだけさ……さて、後20分か」
「ね~。次はどこに行く?」
「そうだな……。10分早く切り上げても残り10分か。今からどこかに行くにしては短いな」

ホランは、時計と睨めっこしながらあれこれ考えるが引き出しは少ないため同じものばかりしか出てこない。
四葉は近くにあったベンチに腰掛けた。ホランもそれに続いた。夕方だがまだ明るいのに池にはボートは無かった。
水面が一瞬、キラキラと光を反射したのを見届けると四葉はそっとホランの方に倒れてきた。

「ずっとこうしていたいなぁ」

ホランは、どうも女子に密着されるのに慣れておらず気を紛らわせようと時計を見て言った。

「……あ、あぁ、もう10分切ってしまったな。こんなに早いんじゃ会議に間に合うといいんだが」
「ねぇ、ホラン。キスしてよ」

ホランは、四葉の頼みにどうすれば良いのか解らなかった。グリーンなら喜んでしたかもしれない。
しかし、異性と言うとどうしても抵抗が、いや、異性で無くともホランには抵抗があった。

「も、もう五分だ。そろそろ、帰る準備をしないと」

ホランは急いで立ち上がろうとする。その手を四葉が掴んだ。ホランは時間が止まった気がした。

「ね。その時計カッコイイね。ちょっと見せて」
「……え」
「ダメ?」
「いや、そんな事ないよ。見せるなら」

ホランは、腕時計を素早く外すとそっと四葉の開いた手の中に落とした。
四葉の言葉が予想とは反していたのに内心、ホッとした反面戸惑いを隠せなかった。

「と、特注で作らせたんだ。バックライトで白虎の顔が浮かんだり……」

何かがホランの横をかすめて行った。ふと気が付くと四葉の手が上がっている。
向かいの池に何かが落ちた音がした。四葉は時計を見ていなかった。ホランは瞬時に自分の時計が池に投げ込まれた事に気づいた。

「何をするんだ!」
「……だって。ホランってば……時計ばっかりみてんだもん」
「当たり前じゃないか。大事な会議に遅れたらオレだけじゃない。皆、大変な目に会うんだぞ」
「今日だけじゃないよ! 前もその前も時計ばっか見て……時間ばっかり気にして」

ホランは、返す言葉が無かった。何だかんだ言っても結局四葉と付き合っているのは義務のつもりだった。
相手が本気だと言う事が解ったはずなのに。仕事の事ばかり考えてしまっていた。付き合っているのはれっきとした人なのに。

「わ、悪かった四葉。オレも人のことを考える部分が足りなかった……」
「……ホントに?」
「あぁ、本当に済まなかった。失礼な態度を知らず知らずの内にとっていて申し訳ない」

四葉は下げたままの手をそっと開くと、ホランの時計がそこにあった。
何も言わずに四葉は、ホランの腕にそれを巻いてあげた。時計は5時50分になっていた。

「すまない。本当にすまない。だがもう時間だ。今日はここまでに……」

四葉に背を向けようとした瞬間、四葉は再びホランの手を掴んだ。
ホランは、息を吐いて四葉の方には向くまいとしていた。

「四葉、オレには会社があり、そこで働いてくれている部下がいて、企画の為に努力してくれている他の企業も多数存在している」
「解ってる。でも、まだホランと別れたくない」
「……四葉。ワガママは」
「ぱ、パパと今日話してきたの。今日の会議はどっちみち中止になるわ」
「……え?」

四葉はホランに抱きついた。震えているみたいだった。

「きょ、今日は、ホランが始めて私の為にデートしてくれる日。だから、今日の会議は中止してってパパに頼んでおいたの」
「どうしてそんな事を……」
「お願い。今日一日だけで良い。コレっきり、一度っきり。もうワガママ言わない」

ホランは黙って小さく頷いた。四葉は遠慮がちにホランの手を掴んだ。
「どこに行くんだ」とホランは問わなかった。ここまでされて愛情では無く同情にも似た気持ちしか抱けない自分の遣る瀬無さが虚しかった。
ふと気が付くと二人は、薄暗い道を歩いていた。バーやホテルが密集している裏通り。

「今日はどっかで……休もっか?」

足を止めた四葉の前には古めかしい外装のラブホテルがあった。ホランは頷いただけだった。
休むだけだと、その気にもなるはずが無い事をホランは解っている。女性に先に入らせるわけには行かないとホランが率先してホテルに入った。
適当に、部屋を選び、鍵を貰い、四葉が来るのを待って、ホランは部屋へ向った。

「……前にも来た事あるの?」
「似たような所を使ったことがあるだけさ」

部屋は小奇麗な感じで大きなベッドが一つ。左方向に見えるドアが多分バスルームなのだろう。
ホランは、ベッドの前に来るなりバタンとベッドの上に倒れた。ベッドは少し汗臭い。そう言うところは行き届いていないようだった。

「あ、あーあ。私、汗かいちゃったかもしれない。お風呂入って来ようかなー……?」

四葉は聞こえるようにわざとらしくホランの顔を伺いながらバスルームに入っていった。
もし、タイガだったらここで飛びついてしまうのだろうか。等とホランは考えた。
シャワー特有の音がかすかに聞こえる。ホランはバスルームに背を向け目を閉じた。

「(……四葉はこんな事で満足なのだろうか。いつまで続けてもオレが彼女を想う事が出来ないのに)」

心の中に引っかかったモヤモヤした気持ちをホランは脳内で整理しようと試みていた。
そんなホランを邪魔するかのようにマナーモードにしていた携帯電話が震えた。発信者は、秘書からだった。

「……オレだ…………何?……確かなのか?……そうか……あぁ、あぁ、頼む……解ってる」

電話を切り終えるとホランはシャワーを浴びている四葉のシルエットを見た。音が止むとタオルを巻いた四葉がドアから出てきた。

「シャワー気持ちよかったよ。ホランも、どう?」
「……オレはいい」

四葉から目を逸らしたままホランは応えた。
湯上りの四葉は艶かしいと言う表現が合っていた。タイガならこの事態に嬉しい悲鳴をあげているだろう。
しかし、ホランはタイガでは無いし決定的な違いもある。四葉はそれを知らない。言っても信じないだろう。

「ホラン、好き。大好き♪」

タオル一枚の四葉がベッドに乗ると、そろそろとホランに身を寄せてきた。水滴の温度がホランの温度に変わる。
四葉は、ホランを待っているのが解っていた。もちろん、それに応じる気も、応じられるわけもなかった。

「私、今なら、ホランに、何されたって……好きにしてくれて……ね?」
「辞めてくれないか」
「解ってる。男の人って最後にはこう言う女の子の方が好きなんだよね……私、ホランに私の全部」
「いい加減にしないか!」

ホランは四葉の手を振り払いベッドから飛び降りた。

「ホラン。遠慮しなくても良いんだよ! 今なら私の事どうにだってできるのに」
「もう、その手には乗らないぞ」
「え……?」

振り返ったホランの顔。四葉は始めてホランの鋭い目を見た。

「キミは誰だ。何が目的だ」
「ど、どうしたのホラン」
「たった今、電話が合った。会議は通常通り行われていた。秘書が気を利かせて延期してくれたそうだ」
「…………」
「そして、Zプラチナの社長には娘は居ない。息子が二人だけだそうだ!」

ホランの声の調子ははどんどん強くなっていた。
四葉はただホランの顔をじっと震える目で、悲しい目で見ていた。いや、目をそらせられなかったのかもしれない。

「……ライバル会社からの使いか? プロジェクトを潰すように頼まれたのか?
そのついでにオレのスキャンダルでも取って来いと言われたか! え? いくら金を貰ったんだ!」

ホランは四葉に掴みかかった。その顔は白虎の如き獣の顔だった。
四葉は涙を浮かべたまま首を横に動かしているだけだった

「違う……そんなんじゃない。そんなんじゃない」
「じゃぁ、一体なんだって言うんだ!」

四葉は、何度も首を振り続けていた。だが、ホランの目は鋭いままだった。

「オレがなかなか引っかからなくて最後の手段にこんな事をしたんだろうが、残念だったな」
「違う……違う……」

四葉は、そう繰り返したまま涙を流し始めた。
ホランは、ベッドのシーツを引っ張り出して何度も何度もベッドに叩き付けた。
シーツを壁に投げつけるとホランは部屋のドアへと歩き始めた。

「……もう二度とオレの前に現れるな」



















「ありぇ……にゃぁんか……ふりゃふりゃ……するじょぉー?」

何度めかのエコの頭突きでタイガは正気を取り戻した様に見えた。
多少、言語の部分に異常が見られ、体のふらつきも確認できたが大丈夫だろうとエコは判断した。

「あぉー。四葉のクローバーはどこにありゅんだぁー?」

四葉のクローバーを探す肉塊に成り果てているタイガの姿はもう見て入られないほどボロボロになっていた。
特に、頭に出来たタンコブの数がエコの先輩への憧れを少しだけ離れさせかけていた。

「待って! 待ってホラン!」

エコは、土手の上から女性の声が聞こえて土手の上を見た。声の女性と、その先に居るホラン。
女性はホランの背中にしがみついて無理やりホランを止めていた。

「あ、タイガせんぱぁい。上にホラン先輩がいますよー」
「これかぁ~? むー。違うにゃぁ~」
「せんぱぁい。早く見つけて帰りましょうねー」

ホランの事が気になっていたがエコはタイガと共にクローバーを探す事に専念していた。
その頃、土手の上では、しがみついてきている四葉を引きずりながらホランが歩いていた。

「離せ! 離せといってるだろう!」
「違うんだって事。私、ホランを陥れようとか。そんなんで付き合いたかったわけじゃない事、解ってもらいたくて」
「じゃぁ、何なんだ! どうしてあんな嘘付いたんだ!」

ホランは四葉の手を振り切って、四葉の方に顔を向けた。
四葉の顔は涙に濡れてグシャグシャになっていた。

「そうでもしなきゃ……そうでもしなきゃ、ホラン、私と付き合ってくれなかったから……。
私、必死になって嘘ついて。でも、きっとホランがいつか私の事愛してくれて、そしたら笑って許してくれるって」
「……キミは、そこまでして恋人を作りたいのか」
「最後の恋を何が何でも叶えようって。もう、絶対ホランみたいな人と恋なんて出来ないから……」
「だからと言って……」
「元カレのこと好きだったのに!」

四葉は、顔を抑えたまま地べたに座り込んだまま悲痛の混じった声で言い続けた。

「……元カレの事大好きだったのに。あんなに好きだったのに。なのに別れちゃった……。
私、もうあんな哀しい思いしたくないから。頑張ったの。貯金切り崩して服や香水買って。美容院にも行って。
毎日会うのだってそう……。毎日会ってれば私の事忘れられなくなるって。いつか絶対好きになってくれるって」
「だがオレはキミに義務的にしか付き合っていない事に気づいたって事か」
「こ、怖かった……ホテル行ってあんな事して……好きだけど、やっぱり怖かった。で、でも、わたっ……私、
ホランが私を好きになってくれるならなんだってしようって……だから」

四葉はそこまで言うと突然、火が付いたように泣き崩れた。
ホランは、ただ積極的で自己中心的な恋愛をしていると四葉を分析していた。
だが、その裏には自己犠牲を貫いてきた四葉の愛情と言う事実があった。

「……四葉。済まなかった。四葉が誘う為に苦心していたのは気づいてた。
だが、オレにはその想いに応える事は不可能だ。何故なら……オレはホモセクシュアルだ。だから女性を愛する事は出来ない」

ホランは優しく四葉の肩に手を置いた。

「四葉、キミが人を想う気持ちは大切だ。キミの自己犠牲愛は美しい。美しいが故にガラスの如く輝く。
だけど、それはとても繊細で、壊れやすく脆い物だ。後に残るのは虚無感と、消費した時間の欠片。
我が身を壊してまで男は愛して欲しいとは想わない。それが真実の愛だと言う人がいても、オレは哀しい愛情だと思うんだ」

ホランは優しく子供に語りかけるような口調でゆっくり話していた。
そんな土手の下では相変わらずタイガとエコがクローバー探しをしていた。正式には唖然としていた。

「お、オイ、数えてみろ」
「えぇ、またオレですかぁ?」
「いいから、早く数えりょー!」

タイガの手には葉っぱが四枚付いた正真正銘の四葉のクローバー。
しかし、何度見てもタイガには四葉のクローバーだと信じられなかった。
馬鹿なエコが何度数えても四枚。

「や、やった……やった……やったぁーーーーーーーっ!」

何度も数えさせているとタイガの嬉しさのダムは一気に開放されていった。
BGMを付けるとしたらロッキーのテーマが実に合う。今のタイガは無敵だった。素手でトラックさえ真っ二つに出来る気がした。
今までの苦労を知っている分、喜びに満ち溢れているタイガを見ているだけでエコの涙腺もゆるゆるに緩んでいく。

「せ、せんぱぁい……うっ、うぅっ……おめでとうございますー!」
「あぁ、これでオレは女の子からモテモテで、もっとカッコ良くなるんだにゃ~……幸せだぁ」

その時、この河原に数兆年に一度吹くといわれている尾布突風がタイガを襲った。
ろくに栄養を取っていないタイガはその風によろけ、手からクローバーがすっぽ抜け、風に煽られ土手の上。

「あーっ!」

タイガは自分からどんどん距離を離していく四葉が見えなくなると同時に一気に体にガタが来てバタンと前のめりに倒れてしまった。
土手になんとかして這い上がろうとする、その執念を、命を燃やしてタイガの体は聞こえない悲鳴に耳を塞いで動いていた。

そして、土手の上に落ちたクローバーはホランの目に入っていた。
薄暗くなっていたために何だろうかと思いホランはゆっくり拾い上げた。

「……四葉、オレはさっき哀しい愛だと言ったね。だけど、厳密に言えばキミのは愛じゃない。
四葉、キミに必要だったのは失恋の寂しさを埋めるための異性。キミは一人になるのが怖いと言った。それは愛に似た依存だ。
キミは以前『ドラマチックな場所でなければ好きな人と一緒に居ても意味が無い』と言った。
そして、『一緒にいなければ好きって気持ちがなくなる』とも言った。それは違うんだ。四葉」

四葉は嗚咽を漏らしながらホランの顔を見上げた。ホランは四葉の顔の前に四葉のクローバーを持ってきていた。
濡れた視界の中にクローバーがキラキラと光っていた。

「本当に愛する人が出来たらどんな場所でも愛は変わらない。例え離れていても、もう二度と会えないとしても、
愛する人との間にあった愛の鎖は決して断ち切られることは無い。それが、寂しいと感じても。想い出になったとしても。四葉はまだ本当の愛を知
らなかったんだ。
元カレも、もしかしたらその愛が、四葉の愛が本物で無いと知って別れたのかもしれない。男は、女よりも愛に傷つきやすい物なんだよ」
「私、本当の愛なんて……解らない。何が愛で、何が愛じゃないのか解らない」

ホランは優しい微笑みを浮かべながら四葉の手をそっと握った。ホランの手、四葉の手、二人の手の中には四葉のクローバー。

「……まだキミは若い。本当の愛情を見つけるにはまだこれからだ。これから必ず見つける事が出来るさ」
「私……そんなの見つけられる自信無い」

弱弱しく呟く四葉の手をホランは強く握り締めた。

「この葉、一つ一つに意味があって、名声、富、満ち足りた愛、素晴らしい健康。そして、四枚揃うと……真実の愛」
「真実の愛?」
「あぁ、だから必ず見つけられるよ。オレは、愛に生きている人が好きだ」

ホランは強張っている顔の四葉に心配ないと言う様に微笑んだ見せた。

「だから、願うよ」

クローバーが四葉の唇に優しく触れた。

「……四葉に、真実の愛が訪れますように」

四葉は、微笑んでいた。涙を流して微笑んでいた。それは、希望だったのか感謝だったのか。
ホランはただ優しく四葉に微笑みかけていた。

挿絵


そして、その影で一人の少年の願いが消え去っていた事は、エコしか知らなかった。

「お、オレの……クローバぁ……」
















それから数日後、プロジェクトも無事に遂行が決定しホランはずいぶんと暇になった。
グリーンに会いたいがここ最近、色々考えさせられたせいもあって一人社長室に篭っている時間が長くなっていた。

「…………」

椅子を回転させ、ガラス張りの壁にホランは向きを変えた。
この日の天気は晴れていた。清清しい天気だった。しかし、ホランの心も清清しい気分がしたが、
どこかではまだ、小さな引っ掛かりがあるような気がした。

「(……あんな事言ったが、今にして思うとずいぶん照れくさい事を言ったもんだな。グリーンがいなくて良かった)」

ホランは目を閉じた。静かな社長室に再びあのバタバタとした足音が聞こえたような気がした。
あれから四葉には会って無い。いや、四葉の方が会わないようにしているのだろうか。もちろんホランも会う気は無かった。

「離せーっ!」

聞き覚えのある声と共に激しい足音が聞こえてきた。どうやら本物だったらしい。
ドアの方を向いた瞬間、ボロボロになったタイガがドアをぶち破って飛び出してきた。

「……タイガか? 何だその格好は。流行ってるのか?」
「うるせーっ!」

息を切らせながら、タイガ、そしてタイガの目は血走ってホランを睨みつけていた。
何故、タイガがここまで怒っているのか見当が付かない。

「てめぇ……よくもこのオレの幸せをー……っ!」
「何のことだ?」
「しらばっくれるんじゃねーぞコラーッ! 今日と言う今日わぁ……虎の力を思い知らせてやるぜーーーっ!」

タイガが獣の如くホランに飛び掛ってきた。
ホランは、冷めた目でそれを避けるとタイガは勢い余って後ろのガラス窓を突き破り外へ飛び出した。



「……ふむ、もう少し強いガラスにしておかないと危ないな。実に勉強になる」



ホランは地上50階の高さから遥か下に見える黄色い塊をアスファルトに消えて行くその瞬間まで見下ろしていた。