第82話
『白虎とデート』
(挿絵:ワルベニウスト隊員)
クーラーの風はこの時期の人々にとって、砂漠の中のオアシスに等しい。
「……ふむ。これなら契約しても大丈夫そうだな」
真夏の大阪にある地上50階の高さにあるオアシスでホランは、書類に目を通していた。
部屋はホランのペイントが汗で流れないようにキンキンに冷えていた。
しかし、それぐらいがむしろホランにはちょうど良いくらいだった。
「早くしろよ! いつまで考えてるんだよっ!」
「えぇと、えぇと……ちょっと待ってくださーい」
「いっつもお前で止まってるじゃねーかよー。もっとテンポ良くいけねーのかぁ?」
「あーっ、あとちょっとだけ待ってくださーい!」
そして、そのオアシスに迷い込んできているタイガとエコの迷コンビ。
昼食を奢らされた後に、こうしていつもの様にホランの部屋でしりとりをして遊んでいた。
タイガ&エコ、そしてホランの間にはハッキリと割り切った壁のような物があった。
「オイ、まだかよ~。 もう辞めるぞー?」
「えぇと、あのぉ、何でしたっけー?」
「はぁー!? お前忘れてるのに考えてたのかよ。……ったく」
「すいませぇん……」
「オレが、アイスって言ったから『す』だろっ! 早く答えろよ」
「えぇーと……えぇーと……す、ですよね。えーとぉ……す、す、す?」
徐々に険悪なムードになってきたのにホランは気づいた。
明らかにイライラしているタイガのオーラや大声が気になって書類に集中できない。
「……スイス」
「あっ、そうですねぇ。じゃぁ、タイガ先輩『スイス』です!」
「オイ、ずるいぞホラン!」
「……静かにしてもらわないと困る。オレはそっちの邪魔をしていないんだからな」
ホランは、書類に目を落としたまま書類をめくった。
タイガは舌打ちをしてすぐさまエコに「スカーフ」と言った。
「『ふ』ですかぁ……えぇと、えぇと……」
「またかよっ! 色々あるだろうが。不二家とか富士山とか不治の病とかさぁ」
「えーと、じゃぁそれにします」
「じゃー『い』な。い、い、石!」
「『し』ですかぁ。し、し……えーと、シマ……シマウマ! 先輩、オレシマウマにしますよ!」
「にゃははw シマウマかぁ。そこにもシマウマがいるからなぁ~」
邪魔されたタイガの軽い腹いせの一言だったが、さすがのホランもその一言を聞き流す事はできなかった。
キッ!とホランはタイガを睨みつけた。タイガも受けて立とうじゃないかといわんばかりに余裕げな目で応じた。
「オレはシマウマじゃない。誇り高き白虎とただ色が同じだけのシマウマとを一緒にするな」
「だからぁ~。ホコリが高いシマウマなんだろ~?」
エコは気まずい雰囲気のタイガとホランのにらみ合いにドキドキしていた。
ガンの付け合いはエコにとってはカッコイイ戦いの場面に映っているのだ。
「涼しい部屋にタダでいさせて昼飯まで奢ってやってると言うのになんだ。キミのその口の聞き方は」
「勘違いするなよな。オレが部屋に居てやってお前に奢らせてやってるんだぞ」
「(うわぁー。先輩達カッコイイなぁ……!)」
ついに、ホランは椅子から立ち上がった。タイガもそれに応じてソファから立ち上がった。
二人はほぼ同時に腕を廻しながら今まさに戦いが始まってもおかしくない状況にあった。
「久々に白虎が偉いと言う事を教えてやらなければいけないみたいだな」
「オイオイ、お前は白猫だろ? 偉くもなんともないだろうがよ」
「いつまでそんな事を言ってられるかな?」
「オレが白虎なんかを褒めるわけねーだろ」
その瞬間ホランの姿が消えた。タイガの腕が振り上げられた瞬間ガチンと言う金属音が聞こえた。
エコは何が起こったのかわからず慌ててタイガの後方に目をやった。
タイガの後ろで爪を出した腕を胸元に構えたまま背を向けているホラン、そして腕を振り上げたままのタイガ。
「……痛ってぇー!」
長い沈黙を先に破ったのは腕を押えてその場にうずくまったタイガだった。
タイガの爪はホランの攻撃の為にボロボロになっていた。どれだけの衝撃だったのか想像が付く。
「フ、やはり今回も白虎が一番偉いのだ、と……」
ホランが勝利宣言をしている最中に体がフラついた瞬間、ホランはその場に倒れこんでしまった。
衝撃に痺れている右腕を押えながらタイガは音のした方を振り返るとホランが地面にうつ伏せになっているのを見つけた
「あ、あれ?……にゃはははw やっぱりこのつよーい虎のタイガ様が一番だって事だな!」
「うわぁ、先輩カッコイイですー!」
「オイ、ホラン。悔しいだろー! 虎が一番だって土下座して言ってみろ!」
倒れたままのホランの体をタイガが蹴飛ばすとホランの体がゴロンと転がった。
ホランの顔は赤くなっていてハァハァと苦しそうな息遣いが聞こえていた。
「オイ、どうしたんだ? オーイ!」
「せんぱぁーい。もしかしたらホラン先輩は風邪引いてるんじゃないんですか?」
タイガはホランの額に手を当ててみた。確かに熱い。
「ちぇっ、なーんだ。それで倒れたのか。つまんねーの」
「タイガ先輩。早く病院に連れて行ってあげましょうよ。ホラン先輩、苦しそうですよ」
「オイ、ホラン。オレが連れて行ってやるんだからな。解ってるな!」
タイガはホランの耳を引っ張って大声で言った。ホランは反応しなかった。
「……ここは?」
ホランが目を覚ますと真っ白な天井が目に入ってきた。
次に左を向くとそこは病室だとホランはすぐに理解した。自分の腕には点滴の管が付いていた。
「こんな事をしている場合じゃない。早く仕事に戻らないと……」
ホランは点滴を外し、急いで病室から出た。
少し体がふらつくがホランは業務を終わらせる為の使命感でかろうじて歩けていた。
「……末期ガン?」
通り過ぎようとした病室からエコの声が聞こえホランは足を止めた。
中からはエコの他に医者らしき男の声が聞こえてきていた。
「体のあちこちに転移しています。残念ですが手の施しようがありません」
「ふぇ」
「明日、明後日が山かと思います。今はただ好きな事をさせてあげてください」
ホランの頭の中で色んな物が壊れていく音がした。
まさか自分が末期ガンだとは。徐々にエコのすすり泣く声が聞こえてきた。
ホランは混乱したまま、静かに病室に戻っていった。何かの間違いであって欲しいと思った。
そして、ホランが去った後入れ違いにタイガが病室のドアを開けた
「オーイ。ジュース買って来たぞ」
「あ、タイガせんぱぁい……」
おじさんの横でTVを見ているエコにタイガは声をかけた。
エコは昼ドラを見ながら泣いていた。相変わらずテレビが好きだなと呆れながらエコにジュースを渡した。
「いっ、今、良く解んないんですけどぉ。ミチルさんがぁ……うぅ、末期ガンって言うのになっちゃったんですよ」
「ふーん」
「病気で死んじゃいそうなのに、う、運動会のお、お弁当に、お、おむすび、を、握ってくれているんです……うぅ……」
エコは泣きじゃくりながらタイガのドラマの筋を説明していたが意味が全く解らなかった。
エコはホランの部屋にいたら昼ドラの時間だからどうしても見たいと言い出してこうして無理やりテレビを借りていた。
画面を見ると既に違う番組が始まっていた。泣いているエコの手を引っ張ってタイガはホランの病室へと向った。
「そ、それで……そのおむすびが、しょ、しょっぱいんですよぉ。な、なんでか解りますかぁ……?」
「さぁーなー」
「み、ミチルさんがぁ……泣いていたから、な、な、涙、で、しょっぱく、な、なってるんです……ぅぅ」
「へー」
タイガはエコの話を全く聞かないままホランの部屋の前までやって来た。
そっと覗くとホランが横になったまま窓の方を向いていた。
「オーイ。ホラン元気かー?」
「……あぁ」
ホランは弱弱しい声で答えた。タイガは缶ジュースを枕元に置いたがホランはこっちを向かなかった。
「解ってるだろうけどお前を病院に連れてきてやったのはこのオレだからな!」
「……感謝する。タイガ、キミは憎まれ口を叩くが基本的には良い奴なんだよな」
ホランは優しい口調で言うと、タイガの体はぶるっと震えて鳥肌が立ちそうになった。
「な、なんだよ。気持ち悪りぃな……お、お前、熱で頭がおかしくなったんじゃねーのかぁ?」
「オレは正気さ。ただ、キミにも世話になった件があるからな。感謝出来る時にはしておこうかと思ったのさ」
タイガはぶるぶると震えて顔が青ざめていた。ホランはおかしくなったんだとタイガは瞬時に思った。
寒気が止まらなくなりタイガは部屋から飛び出していった。部屋には泣いているエコが残っていた
「エコ。泣かなくても良い。こっちに来てくれ」
「ふぇ……?」
エコはホランに言われたとおりベッドの側までやってきた。
ホランは始めてエコの方に顔を向け、弱弱しい笑顔を見せた
「すまないエコ。オレは聞いてしまったんだ」
「なんの事ですかぁ?」
「エコ、哀しいのは解る。だが、オレは本当の事が知りたいんだ。誤魔化すのはこの際無しにして欲しい」
「? わ、わかりましたぁ」
「末期ガン、なんだろう?」
エコは頷いた。ドラマの名シーンが続々とエコの脳裏に思い出されて涙が止め処なく溢れてきた。
ホランは優しくエコの手を握った。
「我慢しなくても良い。好きなだけ泣いてくれていいんだ。辛かったんだね」
「ほ、ホランせんぱぁい……お、オレぇ……」
「残された時間で何をしようかな。フフ、貯金全てパーッと使うかな」
ホランは再び弱弱しく笑った。諦めや絶望や悟りや色んな物が混じっていた。
「エコ、オレが末期ガンだって事はみんなには秘密にしておいてくれないか」
「え、ほ、ホラン先輩、末期ガンなんですか……?」
「そう、そんな感じだ。誰かに感づかれてもそんな感じで誤魔化して欲しいんだ」
「オーイ。ホラン。点滴終わったら退院して良いって言われたぞー。帰ろうぜー」
ちょうど、タイガが良いタイミングで帰ってきた。
その瞬間、エコは意外な事実を知らされて火が付いたように泣き出した。
「な、なんだ? どうしたんだ? オイ!」
困惑するタイガの様子にホランは笑ってそっと目を閉じた。
何かがこぼれないように、こぼれないように──。
タイガとエコと別れた後、ホランはフラフラと会社へと帰っていた。
それはとても言葉で表せるほど簡単な事では無く、複雑と呼べるほど複雑でも無かった。
自分がどこを歩いているのかすら解らないほど、世界がぐにゃりと曲がったような間隔さえ覚えた
それは、ふと誰かに呼び止められるまで続いた。
「お兄さんお兄さん!」
黄緑色をした猫がホランを呼び止めた。後ろに青や黒っぽい色の猫もいた。
ホランはグリーン系の色をしたその猫がなんだか唯一の心の支えである様な気がした。
「お兄さん、最近、世の中が嫌になった事とか無いかニャ?」
「……嫌な事か。オレは確かに嫌になったさ」
「世界中のヤツラをギャフンと言わせてやりたい感じ無い~?」
「あぁ、そうだな……ギャフンなんて今のオレが言ってしまいそうだ」
「悪いこと、する、やりたいか」
「フ……悪い事か。久々にやるのも良いかもしれないな……」

黄緑の猫がイキイキとした表情をしたがホランはそれには気づかなかった。
「じゃぁ、お兄さん。ウチの組織にこないかニャ?」
「組織?」
「悪の組織って感じ~。お兄さんみたいな人を求めていたんですよ~」
「とても、楽しい」
「フ、もうどうにでもなれだ……」
ホランは、話をほとんど聞こえていなかったが、半分ヤケになっていた。
3匹の猫たちはやったやったと喜んでいた。
「こ、これでウィック様に怒られなくて済むニャ~!」
「人員確保で五人目を作るって言い出したときはヒヤヒヤしたって感じ」
「こっち、来る」
3匹の猫は早く早くとホランの背中をおしていった。
どこをどう歩いたのかも覚えていないままホランは薄暗い地下の通路を歩いていた。
「ささ、どうぞ。入ってくださいニャ」
中に入ると、ずいぶんと薄暗かった。
通路を歩いていくと、なんだか色々な機械が置いてある部屋に入った。
「ウィック様は今、でかけてるからとりあえず準備しておくニャ」
「どんな感じにするか考えておいた方が良いかもって感じー」
「道具、ここ、ある」
バタバタと、猫達は服や小道具を持ってきてホランにあてがったりしていた。
ホランはそんな事よりも、バタバタと動いている黄緑色の猫がグリーンに見えてついぼーっとしていた。
「紋章はこんな感じ~?」
「顔は悪者風だからなかなか似合ってるかもニャ」
「どうせならウィック様みたいな模様にしてみるのも面白いって感じ~」
ホランは自分の顔に上からペイントされていても全く気づかなかった。
グリーンが目の中で踊り、笑い、微笑む。ホランの鼓動はどんどんと高まっていた。
「ニャハハハハw 本物のウィック様よりカッコイイかもしれないニャ」
「でも、黄と赤だと幹部用だから怒られるって感じ。赤だけにしとこう」
「完了、する」
「じゃ、行くニャ」
3匹はホランをカプセル型の機械の中へ押し込んだ。
わいわい騒いでいたがホランは、ずっと黄緑色の猫を見ていた。
「じゃ、洗脳開始ニャー」
緑色の線がホランを包んだ。なんだか頭がぼんやりとする。グリーンの顔が少しずつぼやけていく。
「どれくらいで出来るって感じ~?」
「30分、ぐらい、だ」
「獣猫は半年だったけどニャー」
「その分、今ではすっかりBC団命って感じ」
ウィック様、BC団、改造猫、様々なキーワードが頭の中に響く。自分が自分でなくなる感じがした。
OFFレンジャーを倒す。ウィック様の為なら命をも捨てる。BC団こそ素晴らしい
そんな言葉がだんだんと自分の中で当然の物の様にも思える。眠気がどんどん深くなりそうだった
「やったニャー。これでまた昇進かもしれないニャー」
喜ぶ猫猫がチラとこちらを向いたとき、それがグリーンと重なった。
ホラン、愛してる。ぜ、絶対、私以外の人に見とれちゃダメなんだからねっ!等の台詞ばかりが頭の中に渦巻いた。
それらがBC団や改造猫といった単語の領域をどんどん狭めていった。
「(そうだ……オレにはグリーンがいるじゃないか。最後をこんな形で……グリーンと居たい!)」
そう思った瞬間、ホランのアドレナリンが活発に作用した。
かと思えばバンとカプセルの扉を蹴飛ばしてホランは飛び出た。3匹の目が点になっていた。
「グリーン! オレはヤケになっていたんだね」
ホランはまだ頭がハッキリしないのか勘違いして猫猫に抱きついていた。
「な、なんだニャ!? おとなしく洗脳されてろニャ!」
「あぁ……こんな馬鹿なオレを許してくれ……愛してるんだ……」
「な、なんだニャー! オレ様、そんな趣味無いニャー!」
「そうだ、明日は一緒に出かけよう。そうだ。それが良いじゃないか!!」
ホランの奇行に他の二人も唖然としているのかどうすればいいのか解らない様だった。
「キミは自分の本当の魅力に気づいて無いだけなのさ。キミは可愛いよ」
「ニャ、ニャ……?」
「キミの全てがオレの全てだ。オレは、可愛いキミがいないと生きてはいけない……」
「ニャ、ニャァ……お、オレ様、そんなに可愛いかニャ?」
「……愛してるよ」
「ニャッ!? お、オレ様そーいう趣味は……」
猫猫の頬に軽くキスをすると、ホランは善は急げと言わんばかりに部屋から飛び出していった。
「明日、必ず迎えにいくよ! 」
頬を押さえたままの猫猫と、呆然と立ち尽くす改造猫二人。
「あ、あんな事言われたのオレ様生まれて初めてだニャ……」
二人は、猫猫の顔が赤いのに気づいたがやっぱり動けなかった。
「ど、どうすればいいのニャ……」
「ホラン先輩も……ま、末期ガンって言うのになっちゃったらしいんだぁ……」
翌日の朝はエコの衝撃的な一言で始まった。
目を真っ赤にしたまま暗い顔のエコなんて特にめずらしい事じゃないのに何故聞いてしまったのか。
秘密を貫き通していたエコからその一言を引き出してしまったブルーはとてつもなく遅い後悔の念に苛まれていた。
「た、大変ですねぇ」
さすがのグリーンもこの発言を聞いて喜べるはずも逆に悲しめるはずもなく微妙な心境を顔に出したままだった。
部屋の中は時間が止まったかのように静かで、誰も目線を合わせず、写真の様に存在していたのだった。
「ホラン先輩、死んじゃうのかなぁ……ミチルさんも今日死んじゃったし……うぅー……」
「ハハ、まさか。ホランはゾンビになってでもグリーンに会いに来ますよ!ね!」
「ゴメン、あんまり笑えないや」
一足早いお葬式の様な重苦しい雰囲気がリビングを包んでいた。
いくら何でも話が重過ぎる。筆者にまで場の暗さが映りそうだった。
「はぁ、ホランが……」
「呼んだかい?」
ドアの前にはホランが立っていた。一瞬、幽霊じゃないかと思ったが足がある。当たり前だった。
ホランはどこか穏やかな表情をしていてそれは人生最後のともし火にも相応しい表情だった。
「ど、どうしたんですか。ホラン。こんな朝早くからいきなりやって来るなんて」
「今日、暇だったんだ。グリーンの顔が見たくなってね」
「そ、そうですか。ゆっくりしていってください」
ホランはその時、優しげな眼差しで自分を見るグリーンに愛おしさを感じていた。
それを前にすると、ホランは迷っていた言葉を思わず口に出してしまった。
「……ぐ、グリーン。今日、一緒にどこか遊びに行かないか」
「えっ」
グリーンの脳内には即、断る類の言葉が無限に生み出されていた。
しかし、そこにあの衝撃の事実が加わるとその中の言葉全てがせき止められてしまった。
「グリーン、そりゃぁ良いですね。二人で遊んで来たらどうですか?」
「えぇっ! で、でもホランは会社がありますし」
「全部、部下に任せてきている。今日は一日暇……なんだ」
「ホラ、ホランもそう言ってる事だし」
隊員達からの物言わぬ視線と、哀れみと同情の入り混じった感情に押され、グリーンは小さく頷いて見せた。
ホランの顔はパァァと明るくなり、そしていつもの様に顔を赤らめながらグリーンの手を取った
「グリーン、きょ、今日は……た、楽しもうね」
「……は、はぁ」
今日一日が不安であると同時に、グリーンは自分の手を弱弱しく握るホランの姿が切なく見えた。
本部から拍手で見送られた二人は、ぶらぶらとホランが強引に手を繋ぎながら尾布市を歩いていた。
「ど、どこに行こうか? 夜景の見えるレストランにでも行こうか?」
「まだ昼間です。……わ、私は、ホランの好きな所で良いですよ」
「好きな所と言われてもな。オレは、そんなに出かけ先のレパートリーが無いし」
ホランの頭にはホテルやレストラン等のワンパターンな場所しか頭に浮かばなかった。
遊びを知らないホランにとってこういう時どこに行けばいいのか解らなかったのだ。
「そうだ。どうせならオレの部屋で」
「いやいやいやいや!」
とにかくなんとかしなければ、グリーンの脳みそは時速150kmほどのスピードで回転した。
「そ、そうだ! 遊園地に行きましょう! 遊園地わぁ~楽しいですよぉー!」
「遊園地? ふむ、そういえば一度も行った事が無いな」
「でっ、でしょう? 遊園地行きましょうよ。行った事無いならば、なおさら!」
ホランは、遊園地の初体験と言う響きとグリーンの迫力に押され遊園地へと向う事にした。
その間の話では、ホランは特にアトラクションに乗りたいと言う訳では無く、個人的な興味だと言う事を言っていた。
社会勉強のつもりだと言う事らしく、グリーンはすぐに帰られるだろうと踏んでいた。
「……こ、これが遊園地と言う物なのか……」
しかし、そんなグリーンの思惑は遊園地の入り口ゲートを潜った瞬間粉々に砕かれてしまった。
ハイってすぐにデーンとそのきらびやかな存在を誇示しているメリーゴーランド。
そのバックには、ジェットコースター、そしてその奥には七色のカラーリングの観覧車。
「ぐ、グリーン。 どれが面白いんだ? やっぱり最初は面白い物に乗ろうじゃないか」
「は、はぁ。そうですねぇ……じゃぁ、空いてますしメリーゴーランドに乗りましょっか」
ホランがワクワクしているのがグリーンはすぐに気が付いた。
嫌な予感がしたが、それはすぐに的中した。
「ぐ、グリーン! う、動く! 上下に動いて回っているぞ!」
何故か顔を赤らめながら初めてのメリーゴーランドにホランは大興奮していた。
周辺には小さな子供が不思議そうにホランを見ていたが、グリーンはその目を無視するので精一杯だった。
そして、やっと終わったかと思えばホランは出口の目の前にあるアトラクションを子供の様に指差していた。
「グリーン! グリーン! あれはなんだい!?」
「……室内アトラクションです。えーと、船に乗って……」
「行こう!」
ホランに引っ張られながら入ったそのアトラクションもどちらかと言うと子供向けだったが、
出てくるジャングルの景色と、動く機械仕掛けの動物達にホランはまたも大興奮だった。
そして、出ればまたすぐにホランはアトラクションを見つける。
「グリーン! 次はあれに乗ろう!」
「あぁ、ハイハイ……」
次に向ったのは一際、大きなジェットコースターだった。
ホランは列に並んでいる間、体が落ち着かないのか「怖いのかい?」「落ちたりはしないのかい?」等と質問攻めになった。
それは、座席に座ってそれが動くまで続いた。ホランはまさに童心に帰っていると言って良かった。
「グリーン。高いぞ! あの辺が本部じゃないのかい? あれがオレの会社のビルじゃないか!?」
「静かにしてくださいよもう……」
一際、ホランが興奮すると遂にコースターは急降下を始めていった。
どんどん加速しながらレールは回転し、うねり、カーブしまさにジェットのコースターになっていた。
「グリーーーーーーン! グリングリングリングリングリーーーーーーン!」
そして、右隣のグリーンの腕にしがみ付きながら楽しげに叫んでいるホラン。
日常では味わえない感覚なのでホランも、ここまで興奮しているのだろう。実際、生まれて間もないのだ。
「あぁ……気持ちよかった」
レールが終点にたどり着くと、ボサボサの髪を手ぐしで整えながら赤い顔のホランが恍惚とした口調で呟いた。
「グリーン! もう一回乗ろう! さぁ、行こう!」
「え、えぇー……」
それからホランはジェットコースターがかなり気に入ったようで連続で15回も乗らされた。
毎回、グリーンの腕にガッシリと掴みかかって腕も痛いし気分も悪い。
しかも、辞めた理由はホランが飽きたからではなく、グリーンがダウンしてしまったからだった。
「ホ、ホラン……他の場所にも行くんでしょう? つ、次で最後にしましょう。もっと穏やかな物で」
「穏やかな物か、じゃぁ、あれにしよう」
ホランが指差したのは観覧車だった。なるほど、確かに穏やかだとグリーンはすぐに納得した。
観覧車も初体験のホランはまたもグリーンの腕にしがみ付きながら揺れるゴンドラに乗り込んでいった。
「私、高い所あんま好きじゃないんですけどねぇ……」
徐々に上に上がっていく観覧車の下を見ないように真正面を向くグリーンだったが、
向かい合わせに座ったホランは、少し顔を赤らめながらグリーンを見ていた。
「グリーン……」
「は、はいっ」
こんな地上数十メートルの密室空間の中、二人きり。逃げる場所はどこにも無い。
ここでホランが変な気を起こしてしまえば確実にグリーンは戴かれてしまうだろう。
「あ、あのっ、わ、私はっ……」
「空が綺麗だね。グリーン」
ホランは右を向き、青々とした澄み切った空を眺めていた。
「グリーンと二人でこうして、空を見ている。オレは、そう言う幸せを今日感じられたのが嬉しい」
「…………」

ホランの寂しげな横顔を見るとグリーンは先ほどの妄想をしてしまった自分を悔やんだ。
もう、ホランとはこうして──。グリーンは考えるのを辞めた。
「な、何、変な事言ってるんですか! 一緒に空見るだけで幸せならいつでも見てあげますよ! あはは」
グリーンは精一杯、明るい口調で言った。ホランに言うのが少し辛かった。
ホランの目は潤んでいるようにも見えたがすぐにホランはグリーンの方にいつもの顔で向きなおした。
「すまない、グリーン。つい、空が綺麗だったから」
「私が付き添ってあげてるんですからね。ほ、ホランもしんみりするのは辞めてくださいよ」
「あぁ、そうだね」
「もう、観覧車下に着きましたよ。さっさと降りて次行きましょう」
観覧車を降りたとき、グリーンは後ろを向かなかった。
降りる瞬間、目の端でホランの目から光の一粒が零れていたのが見えたからだった。
遊園地を出たその足で向ったのはゲームセンターだった。
目的地として二人の候補にあったわけではなく、たまたま目に入りそれにホランが興味を示したからだった。
「中はこんな風になっているのか。少しうるさいな」
中に入るとホランは耳を押さえながら始めてみるアミューズメント機を眺めていた。
しばらく歩いていると、クレーンゲームコーナーに入って行きホランはある機器の前で足を止めた。
その機器の中には、猫のぬいぐるみが乱雑に放り込まれており、ホランはそれらを見ているようだった。
「グリーン、これやっても良いかい?」
「え? どうぞ?」
ホランは既に両替しておいた1万円分の100円玉を一枚投入し、クレーンゲームの挑戦を開始した。
クレーンを機器の横や下から見ながらホランはクレーンを移動させて行った。
ゲーム如きにこんな真剣な態度のホランにグリーンは何だか笑いそうになってしまった。
「よし、ここだな」
位置が決まったらしくホランは勢い良く降下ボタンを押した。
クレーンの下には緑色の猫のぬいぐるみがあった。クレーンは綺麗にぬいぐるみのわき腹を両側から掴んだ。
「フッ、このオレにかかればこんな子供だましな物、他愛ないな」
クレーンゲームの前で一人格好つけるホランだったが、上昇していくクレーンのツメは、
ぬいぐるみのわき腹を下から上へ優しく撫でるように滑っていき、後に残ったのは寂しげに落とし穴の上でツメを開いているクレーンだけだった。
「ばっ、バカな! 確実に掴めていたはずだぞ!」
「こう言うのは店側が掴む力を貧弱に調節を……」
「オカシイ! オレの計測は完璧だったはずだ! 次で決めてやるぞ!」
冷静なホランもすっかり熱くなってしまいグリーンの話も聞かず再び100円を投入した。
掴む場所を何度も試行錯誤し、30回ほどでぬいぐるみの頭についた紐に引っ掛ける事に成功しようやくゲットできた。
「ホラ、グリーン。オレからのプレゼントだよ」
「はぁ、ありがとうございます。さ、さすがですね」
グリーンの言葉を受け、自信に満ちた笑みを浮かべながらホランは歩き出した。
様々なゲーム機が並んでいたがホランは特に興味を示さなかった。
そのまま、ぐるっと店内を一周し、出口に差し掛かる所である機械の前でホランは足を止めた。
「これは見たことあるぞ。女子高生が良くやっていると言う奴じゃないか?」
「プリクラですか。色々と種類が出ているそうですね」
ホランはチラチラと中を覗きながら興味を示しているようだったが、中には入らずグリーンの顔と機体とを交互に見ていた。
「……一回撮ってみますか?」
「あぁ!」
待ってましたといわんばかりに威勢のいい返事をすると、ホランはカーテンを開け中に入っていった。
グリーンも、中に入ると内装は思っていたより広く、綺麗だった。
説明書きを見るかぎりでは、写真にスタンプを押せたり、落書きができたりするタイプの物らしい
「グリーン、フレームが選べるらしい。どれにしよう」
いつの間にかホランはお金を入れており、フレームを選んでいた。
画面には数十種類のフレームパターンが並べられ、可愛いものからホラー系の物まで様々だった。
「ホランの好きな物で良いですよ」
「じゃぁ……このハートの奴にしよう」
ホランが選んだのはピンク色のハートマークが上下左右に囲まれたなんとも少女趣味なフレームだった。
あぁ言った手前グリーンも異論を唱える事はできなかった。しかし、濃すぎる。
「ぐ、グリーン! ペンでお絵かきしてねって言われたんだが、な、何を書けば良い!? LOVEかい?」
「ホランの好きにしてください」
「あぁ、わ、解った」
そう言うとホランは、下方に、グリーン、ホランと名前を書き、名前の中央にまたもハートマークを描いた。
よく見るとペンのカラーはピンクのラメのタイプで男同士が取る物とは思えない濃さだった。
「ぐ、グリーン。どういう格好で撮りたいかい? ピースサインかい? こ、これもオレの好きに……」
「普通に撮りましょう!」
グリーンは強く強くそう言い、二人が真正面を向いた時に撮影ボタンを押した。
しばらくして出てきたプリクラは、写っている二人は凡な物だったがフレーム等が実に甘ったるい物へと変貌させていた。
「初めてグリーンと撮ったプリクラか……。一生の思い出になるな」
「大げさですね」
ホランは、フッと笑ってプリクラを一枚シートから剥がすと、白虎柄の携帯電話の裏に貼り付けた。
モノクロの携帯にピンクのプリクラは変に映えていた。
「これで、いつでも一緒にいられるよ。グリーン、ありがとう」
「な、何しんみりしてるんですか。さ、行きますよ」
グリーンはホランの腕を掴んでゲームセンターを後にした。
何だか自分までしんみりしてしまう。そんな気持ちから急いで逃げるかのように。
動物園へ向っていると、突然目の前に猫猫が現れたのでびっくりした。
「ニャ、ニャニャ……」
「(マズイ所で会いましたね……)」
猫猫はホランとグリーンを交互に見ていたかと思うと猫猫は突然泣き始めた。
「ひ、酷いニャ……お、オレ様、初めてあぁ言う事言われて嬉しかったのにニャ……」
「誰だ?キミは。グリーン、知り合いかい?」
「いえまったく」
「そ、そう言う手口だったんだニャ!? そ、そうやって純粋なオレ様を弄んだんだニャ!」
ホランもグリーンも猫猫の言っている事がよく解らなかった。
グリーンは多分、ホランの事なのだろうと言う事は解っていた。
「キミ、大丈夫かい? 良い病院があるから紹介しよう」
「もう良いニャー! オレ様、ブロークンハートだニャー!!!」
猫猫は突然背を向けて走り出した。
「何なんだアイツは」
「さ、さぁ、季節の変わり目は変な奴が多いですからね……」
寄り道してしまったが、本来の目的であった動物園に二人はやっとたどり着いた。
夏休みも終盤のせいか人はそれほどおらず、園内は快適に巡る事ができた。
「あ、ホラン見てくださいよ。ゾウがリンゴ食べていますよ。鼻が長いです」
「……そうだね」
しかし、ホランは動物園に来たと言うのにあまり動物に関心が無いのか淡々としたリアクションを繰り返していた。
キリン、シロクマ、オランウータンに、コアラに孔雀。多少興味がある動物がいたようだが全てあっさりとしていた。
そして、妙にそわそわして、早く次へ行こうとして、意識もはるか先にある様だった。
「あ、ホラン、虎がいますよ。虎ですよ虎。トラトラトラトラ、トラリンチョですね」
ちょうど虎の檻の前に来たときグリーンはこれでもかと言わんばかりにトラをアピールしたが、
ホランは、冷めた目で一見すると足早に虎の檻を通り過ぎていった。
「あれ? ホラン、今の虎ですよ?」
「あぁ、オレにも虎だと言う事ぐらい解っているさ」
「見ないんですか? ホランの好きな虎じゃないですか」
ホランは立ち止まってグリーンの方に振り返った。その表情からは少し不服そうなのが伝わってきた。
「グリーン。オレは、誇り高きホワイトタイガーだ。そこらの俗悪な虎とは根本的な部分から違う」
「は、はぁ」
タイガが聞いたら一悶着ありそうな発言に呆気に取られているとホランは先へと歩き出した。
急いで後についていくとホランは、虎の檻の奥にあるホワイトタイガーの檻の前で立ち止まっていた。
「はぁぁ……なんて素晴らしいんだ」
擬音をつけるとしたら「ぱぁぁぁぁぁ……!」と言う表現がピッタリ来る輝かしい笑顔のホランは、
檻の向こうにいる3匹のホワイトタイガーの親子をキラキラしたガラス玉の様な目で見つめていた。
白虎たちは、寝転がってじゃれていたがホランの視線に気づいたのか時折、ホランの方を気にしているようだった。
「こうして見ると、ホワイトタイガーも綺麗ですね」
「なんて、美しいんだ……」
ホランにはグリーンの声は届いておらず、命とも言える白虎に釘付けになっていた。
そろそろ、行こうかなとホランの手を引っ張ったがホランは動かなかった。固まっているかのように動かなかった。
当分動きそうに無かったのでグリーンは先に進んでいった。
数十分かけて一周してくるとホランは、まだホワイトタイガーの檻の前にさっきと同じように立っていた。
違うところがあるとすればホワイトタイガーの子供が興味を示して近づいて来ている事ぐらいだった。
「ホラン、もうそろそろしたら日が暮れちゃいますよ」
グリーンは方を揺さぶったが、ホランは風に揺れる柳の如く足を軸に左右に揺れただけだった。
ホランの魂はしっかりとこの鉄の檻にまとわり着いているのだ。これを離す方法は気が進まないが一つしかなかった。
「ほ、ホラン……ちゅ、ちゅーしてあげますから行きましょう」
「行くっ!」
その言葉を口に出した瞬間、ホランがとてつも無い早さでグリーンにしがみ付いた。
あの速さならば、分身の術が出来るんじゃ無いだろうか等と、ホラン以上に赤い顔のグリーンは思った。
「さ、さぁ! 帰りますよ」
「ちゅ、ちゅーは……?」
「帰りますよっ!!」
寂しげな顔をするホランに大声で怒鳴ると周囲は一斉に二人に注目した。
恥ずかしいやら、後悔するやらで、グリーンはホランの腕を掴んで走り出した。
グリーンは何も目に入らず、わずかな意識が足とホランを掴んでいる手だけにあった。羞恥が判断能力を麻痺させていた。
「グリーン、ちょっと待ってくれないか」
ホランに声をかけられてグリーンは思わず足を止めた。目の前には出口が見えていた。
ちょうど良かったと出口に向って歩を進めたが、ホランが付いてきていないのに気づいた。
後ろを向くとホランが出口の側にある土産物屋に入っていったのが見えた。
「ちょっと、何やってるんですか。帰りますよー?」
しかし、ホランは中に入ったまま出てこず、渋々面倒くさいと思いながらもグリーンも土産屋に入った。
中は、動物園らしく動物のぬいぐるみやキーホルダー、メモ帳など、動物グッズばかりが置かれていた。
多数の親子連れの合間を抜けると、奥のぬいぐるみコーナーにホランはいた。白虎のぬいぐるみをぎゅーっと抱きしめていた。
「何やってるんですかもう。買うんなら早くしてくださいよ」
「…………」
ホランは、黙ったままぬいぐるみを強く抱きしめていた。
すっかり呆れてしまい、再び置いていこうと体の向きを変えようとしたときホランはか細い声で呟いた。
「……大事にしてくれるかい?」
「え?」
「このぬいぐるみを、グリーンに買ってあげたら大事にしてくれるかい?」
グリーンはホランの発言の意図が読めず、少し苛立った表情を顔に出した。
ホランは、これから孤独になる事を知っているかのような寂しげでそして悟ったような瞳をぬいぐるみに落としていた。
「ぬいぐるみを見るたびにキミは……オレの事を、今日の日を、いつまでも思い出してくれるだろうか」
グリーンは一瞬、言葉を詰まらせたが無理に笑ってホランの抱きしめていたぬいぐるみを取った。
「何言ってるんですか。暗い暗い。そんな暗い事言われたら私かないませんよ、もう」
「…………」
「よく見れば可愛いじゃないですか、これ。良いですよ。特別に貰ってあげます」
「グリーン……」
ホランは目を潤ませながら、グリーンに抱きついた。
恥ずかしかったが、グリーンは黙って抵抗しなかった。羞恥心も感じなかった。
二人に挟まれたぬいぐるみが胸を締め付けているようで苦しかった。
大阪は食い倒れの名の通り、食べ物には事欠かない。
グリーンとホランは動物園の帰り道にプチ食べ歩きツアーなる物を楽しんでいた。
「半分ずつ食べようか」
ホランは、熱々のたこ焼きを受け取ると屋台の隣にあるお客用の粗末な椅子に腰かけた。
たこ焼きは8つ入りで、乗っている鰹節がくねくね動くのをホランは楽しげに見ていた。
「早く食べないと冷めちゃいますよ。ハイハイ」
買ったばかりのぬいぐるみの入った包みを端に置き、グリーンはつまようじを2本渡した。
「グリーン、つまようじは一本で良いよ」
「甘いですねホラン。たこ焼きは二本で食べるんですよ。一本だとたこ焼きが回転しちゃうんです」
「へぇ、そうなのか」
ホランは二本を突き刺し、熱々のたこ焼きをほおばった。
「美味い」
「ここ、テレビでも取り上げられた事があるそうですからね。何か特別な物入れてるんですかねぇ」
「……グリーンが、一緒だから」
ホランは顔を赤らめたまま呟いた。何度赤くすれば気が済むのだろうと思いつつグリーンは聞かなかった事にした。
「あー美味しい美味しい。たこ焼き食べたら次、何食べましょうかね」
「グリーンは何食べたい?」
「私に聞いたって仕方無いでしょう。今日はホランを思って……」
「オレの為?」
「あ、いや、そのー、私、そう言うの決めるの苦手でホランの思う通りにしようかなーと」
グリーンは、誤魔化しながらたこ焼きをまた一つ食べた。タコが堅くて中々飲み込めなかった。
ホランは、黙ったまま最後のたこ焼きを頬張った。タイガと違って音が全く聞こえない上品な食べ方だとグリーンは思った。
口元から目にかけて眺めてるとホランの目は、何も無い空間の中から何かを必死に見つけているかのようだった。
それはこの場を和ませる会話でもなく、今後の予定でもなく、自分の感情を優しく隠してくれる物である様に思えた。
「ハイハイ、たこ焼きぜーんぶ食べちゃいましたね。次は、たい焼きでも食べましょう。焼き焼き繋がりですね!」
グリーンは返事も聞かずにホランの手を引っ張り、人ごみの中を駆け出した。
腕を掴む手の力がいつの間にか強くなっていた。グリーンはいやと言うほど解っていた。ホランの心中が。
何故だか、そんなホランを見ていると、逃げ出したいような衝動に駆られた。別な何か、忘れられる何かへ。
「グリーン、待ってくれ」
息を切らせながらホランに声をかけられると、グリーンは足を止めた。
食べ歩きの通りのほとんどを過ぎてしまって、数件の店と屋台のある出入り口付近に来ていた。
「あ、すいません。なかなか見つからなくってつい」
「可笑しなグリーンだな」
ホランは微笑していたが、表面的なものである事は明らかだった。
だが、ホランの様子は少しだけいつもの物に戻ってきていた。
「よし、暑いからソフトクリームでも食べよう」
アイスクリームの店にいそいそと向い、ホランはソフトクリームを2つ持って帰ってきた。
さすが夏だけあって前もって準備をしているのだろう。実に早い。
通りを出ながら二人はソフトクリームを食べ始めた。帰りたい訳ではなかったが、足が向っていたのだ。
「そう言えば、ソフトクリームの食べ方でその人のスケベ度が解るそうですよ」
何か話題でも出そうとして口から出たのはこれまた変な話題だった。よりによって何を言っているんだとグリーンは自分を責めた。
忘れてくれるか、聞き流してくれるか、この声がかき消されていてくれっ!グリーンは念じた。
「どうやるんだい?」
だが、色々な思惑が合ったのだろうがホランは興味深げにグリーンに顔を向けていた。
何故か少し顔が赤い。グリーンは今年度の下半期に入った早々、トップ3に入るほどの後悔をした。
「た、タイガが言ってたんですよ。ハハ、彼の話ですから信憑性も限りなく地に近いですし、辞めましょう!」
「良いじゃないか。タイガだって、そう言う事には疎く無いだろう」
ホランの興味を何か別な物に向けようとグリーンは思案したが、ホランの興味はグリーンの体中に、
粘着性のそれへと形を変えてまとわり付いて身動きが取れなくさせていた。マズイ。非常にマズイ!
「ソフトクリームをかじらずに舐める人はその舐め方によってスケベ度が違うそうですよ」
覚悟を決めたグリーンは一息で、「私はこの話について何も思って無い」と言う風に言い切った。
「そうなのか。タイガが好きそうな話だな」
「そ、そうでしょう? そんなの人それぞれですし。第一、そんな事で判断できるわけが……」
グリーンは同意を求める形で、ホランを見たが、トップ2に入る後悔をした。
ホランはペロペロと、執拗に文字通りソフトクリームを舐め回していた。ウケ狙いではない。素だ!
タイガなんて可愛くペロッと舐めていて「あはは、やっぱりスケベだね」と言う反応だったが、ホランは何故こんなネットリしているのだ。
と言う事は、タイガなんて可愛いものなのだろうか。こんな食べ方をするホランは、そしてその隣にいる自分は!?
「ヒィァァァァァァァァァァァー!! ホァァーーッ! ホァァーーッ! ホァァァァーーッ!」
グリーンは恐怖を抑えることが出来ず、その恐怖を物凄い奇声を発する事へ変換し、頭を抱えたままその場にうずくまった。
その際にソフトクリームが右頬にべっとりと付いた事もこの際どうでも良い事だった。
人ごみはまさに好奇の目でグリーンを見ていた。
「どうしたんだい? グリーン」
心配そうにしゃがんだホランはグリーンの顔を覗き込んでいた。
グリーンは、やはり本質的な部分はこんな場合でも変える事は出来ないのだなと思いながら、
それを無理やり払拭する様に立ち上がった。
「な、何でもありませんっ! は、早く帰りましょう!」
立ち上がった際に一応、吹き飛んだ気がした。
しかし、ホランに頬をペロッと舐められるまでの僅かな間の偽りの爽快感だった。
「なななななななっ、なにぅをぉっ!?」
「クリームが付いていたから……グリーンだと思うと、つい……」
「も、もーーっ! ホントにっ!」
赤い顔をしているホランはいつものホランだったが、グリーンもやっぱりいつものグリーンだった。
日が暮れていくのに比例してホランの表情も暮れて行ているなと思ったが、
グリーンは、もしかすると思い過ごしだったのだろうかと思い始めてきていた。
ホランは今までと何も変わらないし、この時間も何もかもがいつも同じように思っていたのだった。
「グリーン、あれは何だい?」
そんな事を家路に付くまでの間、ただ漠然に考えていたグリーンの肩を叩いてホランは看板を指差した。
ホランが指差した看板の文字を見てグリーンは思わず後ずさりしてしまった。
その先にあったのは健康ランドの看板だった。
「……健康ランドですね」
「面白そうじゃないか。グリーン、最後はあそこにしよう」
締めに健康ランドとは、ずいぶんふてぇ野郎だと思った。
ホランは『ランド』と付くのだから遊戯施設なのだろうと言うぐらいにしか思っていなかった。
「いや、でも、あれは……お風呂屋さんですよ」
「え……」
その言葉にホランは困ったように黙り込んだ。
さすがに模様を落とすわけにも行かないし、水物に入る訳が無いだろうとグリーンは安心した。
しかし、ホランは決心したような顔でグリーンに向き直った。
「いいじゃないか。裸の付き合いと言う言葉があるし。オレは、グリーンと風呂に入りたい」
グリーンは、一瞬、ホランが何を言っているのか解らなかった。
だ、だって水だよぉ? と言う脳内突っ込みが延々と口の中に溢れてきた。
それは、ずるずると健康ランドの入り口に引っ張られていくまで続いていた。
「これが健康ランドか。銭湯と言う物とは雰囲気が違うんだな」
「そ、そうですね」
興味津々といった様子で、ホランはひとつひとつを確かめるように店内へと入っていった。
健康ランド初体験のホランは好奇心旺盛子供の様に目を輝かせながら店内に見入っていた。
「おぉ! 見てごらんグリーン。食事やカラオケなんかも出来るみたいだ」
「ほ、ほんとですね……」
しばらく店内を見回し、ホランはグリーンの手をしっかりと掴んだままカウンターへ向った。
料金は全てホランが払い、タオルを二枚購入し、どんどん顔が赤くなるホランと共にグリーンは風呂場へ向った。
「おぉ……凄い。大きいな」
ドアを開けて一番最初に目に飛び込んできた光景にホランは目を輝かせていた。
部屋を一直線に横切っている通路の両端に、通常の大浴槽、そして泡がボコボコと出ている浴槽があった。
「グリーン、あれは熱湯風呂なのかい?」
「あれは、泡の力でマッサージ効果が云々とかそんなんだった気がします」
何故か腰周りにタオルを巻いている二人は通路を横切り奥にあるドアを開けた。
すぐに通路を右に曲がる様になっており、曲がると左側に規則正しく並んでいるドア達が見えた。
「サウナ室ですね」
「あぁ、これがサウナか。あんな暑そうな所に良く入っていられるな」
それからまたしばらく歩いているとドアがあり、そこにはいくつかの区域に分けられた浴槽があった。
白湯、電気風呂、水風呂などなど、様々な浴槽が用意されていた。
「こんな物に入る奴の気が知れないな。グリーン。どこに入りたいかい?」
「え、そ、そうですね……あ、露天風呂がありますよ」
グリーンは水風呂の横に屋外に通じているドアを見つけた。
ドアの上には『露天風呂(岩風呂、洞窟風呂)』と書かれていた。
「洞窟風呂? よし! グリーン、あそこへ行こう」
「あーハイハイ」
ドアを開けると眩しい日差しがナイフの様に鋭く差し込んできた。
木造の屋根の付いた岩に囲まれた岩風呂。そしてその奥にコンクリートで作ったような洞窟があった。
「グリーン、あそこだあそこだ!」
現物を目の前にしてホランは嬉しそうに洞窟風呂へと走っていった。
間近で見ると洞窟は大きく、薄暗い為に中はよく見えなかった。ちょうど昼間なせいか人もいなかった。
「こんな風呂もあるのか。面白いな。よし、入ろう」
「えぇ、入るって……」
ホランは、浴槽の側に積み上げられている風呂桶に湯を入れ、それを首から下の体にかけた。
濁った様な色をしていたが、2,3度かけているとホランの体は真っ白けになった。
グリーンは、ただただ、それを呆気に取られているだけだった。
「さぁ、行こう」
ホランはグリーンの手を掴んで、洞窟の中へと入っていった。
薄暗かったが、奥まで進むと淡い光のランプが吊り下げられていた。いわゆるムードたっぷりのだった。
「あぁ、気持ち良いな。こんな変わった風呂に入ったのは生まれて始めてだ」
「そ、そうですか。それは良かったですね」
「……不思議だな。何だかこの世界にオレ達二人だけが存在している様な気がしてくるよ」
ホランはグリーンの体にもたれながら目を閉じてそう言った。
グリーンは緊張か、温度によるものか鼓動が高まってきていた。
「……グリーン、オレが人生で一番大切だと思うものは、愛だ」
「は、はぁ」
ホランはうっすらと目を開けた。
「オレは、白虎だ。それは揺るぎ無い事実だが、オレには白虎として一つ欠点がある。模様が無い」
「知ってます」
「オレは、そんな所にコンプレックスを抱いている。実際、模様が無いままでいるとオレはストレスで倒れてしまう」
「知ってます」
「オレは、グリーンを愛している。グリーンの事を考えるだけでオレは幸せなんだ」
「……知ってます」
「グリーンにはオレの良い所も悪い所も見てもらいたい。オレがキミの側にいられる内に……」
グリーンは、最後の言葉に何もいえなかった。
ホランはタオルを浴槽に付けると、そのままタオルで顔を吹き始めた。
真っ黒になったタオルが顔から離れると、ゆっくりホランは立ち上がった。
「グリーン、しっかり目に焼き付けておいて欲しい」
少し恥ずかしそうだったが、ホランはキリッとした目でグリーンを見ていた。
グリーンはその時、初めて白いホランを目にした。綺麗な白い体だった。
「……キミにこの姿を見せるのは、これが最初で最後だと思う。愛するグリーンの前で、
二度もこんな姿を見せるのは……きっと、オレには耐えられないだろうから」
グリーンは、しっかりとホランの体を目に焼き付けた。
好奇心も少し手伝っていたが、それがホランへの最低限の礼儀であったと思った。
グリーンが時間が止まった様な気がしてすぐ、ホランはドウランで顔に模様を書き込み、湯に浸かった。
「気持ちいいですねぇ」
薄明かりだけが頼りの洞窟の中でホランとグリーンの間にある無言を破るようにグリーンは呟いた。
ホランはそれでも何も言わずに黙っていた。グリーンはさっきの光景が夢だったような気がしていた
「……ホラン、そろそろ出ましょうか」
ホランはなおも黙っていた。だが、ホランの様子は可笑しかった。
顔を赤くして、呼吸も荒く、洞窟の壁面に頭をもたれたまま、虚ろな目をしていた。
「ホラン? どうしたんですか! ホラン!」
「何でも、無いんだ」
何でもない事では無い事は明らかだった。あの話を知らなかったとしても。
グリーンの心拍数は跳ね上がった。それは非常な現実を必死に跳ね返そうとしているようだった。
「きゅ、救急車呼んで……」
洞窟風呂を出ようとしたとき、ホランの手がグリーンの足を掴んだ。あまりにも強くて心臓が止まりそうだった。
「良いんだ。良いんだグリーン」
「で、でも、様子が尋常じゃありませんよ」
「本部に帰ろう……今日はずっとグリーンと一緒にいるんだ。グリーンの部屋で少し休めば大丈夫さ」
グリーンは何も言う事が出来なかった。ホランの目には透き通った物が浮かんでいたから。

時計が9時を回った頃、ホランはぎこちない雰囲気の本部の面々に迎え入れられた。
目が赤いエコが何か言いたげにグリーンの部屋へ向うホランを見送っていた。
「グリーンの部屋に入るのは久々だな……」
「そうですね。しっかり見ておいてくださいよ」
グリーンに肩を貸してもらいながらホランはふら付いた足取りでグリーンの部屋に入った。
ホランをベッドの上に座らせると、グリーンはそこで寝るように言った。
ホランは意外そうな、しかし、嬉しそうな顔をすると言うとおりベッドの上で横になった。
「何か、飲み物欲しいですか? ポカリスエットでも飲みます?」
「良い。ずっと一緒にいてくれ」
グリーンは枕の側に椅子を持って来、背もたれを前にしたままそれをまたぐように座った。
「グリーン。せっかくの日に迷惑をかけてすまなかった」
「今日は色々と出かけましたからね。疲れが出たんですよ。ホラ、これ横に置いてあげます」
グリーンが動物園で買った白虎のぬいぐるみを枕元に置くと、ホランはそれを切なそうに見つめた。
「……今日は楽しかったな」
「そうですね。ちょっとアレな時もありましたけれど」
「ゴホゴホゴホッ! ゴホッ! ゴホゴホッ!」
ホランは何かを言いかけるとすぐに苦しそうに咳をした。
しかし、一過性の咳では無く、何度も何度も咳をしていた。
「ハァ……ハァッ……グリーン……」
ホランはグリーンに向って手を差し出した。
グリーンがその手を取ってやろうとすると、ホランの腕には発疹がいくつか出来ているのに気づき、思わず手を引っ込めた。
それはホランに気づかせるには十分な行動だった。
「ホラン、や、やっぱり病院に」
「良いんだ。自分の身体のことは、自分が、よく、解っているんだ」
ホランの表情は諦めに似ていたが、弱弱しい色をした唇だけが震えていた。
「ぐ、グリーン……お、オレは、大丈夫なんだ。ただ、す、少し休むだけで、すぐに、元気に」
グリーンはホランの手を握り締めた。ホランはグリーンを見つめていた。
哀れなホランにグリーンがした事は、小さく首を振ることだけだった。ホランはゆっくりと目を伏せた
「本当に、オレは、疲れが……」
「良いんです。もう、良いんです」
「グリーンと、居れば、オレは、すこし休めば……」
「知ってるんです。私、エコから、無理やり聞き出して」
ホランは、その言葉を聞くと突然、目に涙を浮かべ、それらが止め処なくあふれ出してきていた。
「……グリーン、お、オレは、キミに会えなくなるのが、とても、とても、怖い……。
オレが居ない世界に、キミが、いると思うと、もう、同じ世界で、巡り会う事は、ないのだと、怖い。怖いんだ。グリーン」
表情は、孤独なごく普通の少年のそれになっていた。ホランもやはり、孤独な少年だったのだとグリーンは思った。
ホランはグリーンの手を握り返した。何も言う事が出来なかったのだ。
「うぅっ、うぅっ、ホランせんぱぁい……」
ホランが心配でアジトに帰らずにエコは泣いてばかり居た。
隊員達は時折、不安そうに時計を見たりドアを見たりして落ち着かない様子だった。
そんなとき、バタバタと玄関の方から騒がしい足音が聞こえて来た。
「帰ったぞぉー」
リビングに場違いなオーラむんむんのタイガが入ってきた。酔っ払っているのか顔が赤い。
「た、タイガせんぱぁーい。どうしたんですかぁ……?」
「にゃはw 今日ちょーっとな。可愛い子ナンパ成功してさぁ、一緒におでぇーん食べてたんだぞぉー。にゃはーw」
「先輩! ダメじゃないですかぁー! ホラン先輩、えーとえーと、末期ガン、で死んじゃうんですよー。可哀相なんですよ」
エコが珍しくタイガに苦言を呈していた。
しかし、タイガは怒る訳でも無視するわけでも楽天的にかわす訳でもなく、不思議そうな顔をしていた。
「ま、末期ガンって何だ?」
「ホラン先輩、オレに病院で言ってたんですよ。末期ガンで死んじゃうーって」
「……? アイツ、そんな病気だったのか? 医者はなーんにも言わなかったぞ」
「ちょっと、診断書見せてください」
イエローに言われ、タイガはくしゃくしゃになった診断書をどこからか取り出すと、すぐに渡した。
広げると、病名は「風疹」だった。そう言えば、ホランがかかっているはずが無いから感染して当たり前だ。
「せんぱい、せんぱい。ホラン先輩、助かるんですかぁー?」
「おう、なんかよくわかんねーけど。ホランの勘違いじゃないのか?」
エコは涙を拭くと明るい顔で立ち上がった。
「お、オレ、ホラン先輩に大丈夫ですよーって伝えてきます!」
エコがパタパタと猛ダッシュの様な感じでグリーンの部屋へと向った。
ホランは大丈夫なのだ。と、エコは少し嬉しくなった。
「ホラン先輩! ホラン先輩!」
エコがグリーンの部屋に入るとグリーンがホランの顔を見つめているように見えた。
音に気づいてすぐにグリーンが振り返った。
「わっ、な、なんですかもう。エコですか」
「ホラン先輩、大丈夫ですよ。えーとえーと、末期ガンって言うのは勘違いですよ!」
エコはホランに近づくとキラキラした笑顔で元気良く言った。
ホランとグリーンは良く解っていないのか怪訝な顔をしていた。
「タイガ先輩がお医者さんから聞いたのはえぇと、えぇと、末期ガンじゃないんですよ。普通の病気です!」
「ほ、本当かい……?」
「ハイ!」
ホランの顔が明るくなっていた。グリーンはショックと喜びと後悔の入り混じった苦い顔をしていた。
しかし、すぐに安心したような顔でホランを見ていた。
「そ、それで、オレは結局何の病気だったんだい?」
「過労じゃないんですか。それか、単なる風邪か」
「えぇとえぇと……」
エコは嬉しさですっかり病名を忘れてしまっていた。確か「ふ」が最初に付くはずだった。
は、は、は。ホランの生の期待を背負ってエコは懸命に思い出していた。
今までの少ない僅かな記憶をたぐりよせ、エコは病名を思い出す。タイガの口の動きを思い出し、
声を思い出し、雰囲気を思い出し、自分の鼓膜の響きを思い出し。
そしてやっとエコはハッキリと思い出すことが出来た。
エコは、ホランに満面の笑みを見せて言った。
「ホラン先輩は、不治の病です!」
