第85話

『僕たちの2007』

(挿絵:パープル隊員)

葉の色が変わるにつれ、秋はレッドの心の中に大きな影を落としていた。
それは、秋が深まるにつれ大きくなっていった。そして10月に入った頃、それは激しい情動となってレッドを襲った。

レッドは部屋に篭ってぼんやりと物思いに耽る時間が長くなった。
隊員達は時折、心配そうに部屋の前で立ち止まっていたが中には入らなかった。理由は解っていた。



「レッド、ちょっといいですか」

そして、そんな事があって以来、レッドの部屋の扉は初めてノックされた。
枯葉を落とすような弱弱しい足音がトントンと聞こえ、重い音を立てて鍵は開いた。

「……なに?」

レッドの顔は平然を装っているように見えたが暗さがベッドリと張り付いていた。
ノックをした張本人であるグリーンは、急いでどこか拙い笑顔を作りながらレッドが僅かに開けたドアをもう少し開いた。

「ちょっと、今日大事な用事がありまして。それに必要な物をですね。買わないといけないんです」
「うん」
「で、隊員達みーんな出払っちゃいまして。レッドしか頼める人がいないんですよ」

レッドは何か言いたげに口をもごもごとさせていたが、グリーンはそれを阻止するように早口で言い切った。

「いえ、私もレッドには色々と事情があるのを重々承知してはいるのですが何と言いますか、私は、肩書きとしては元隊長代理ですし、
まだ一応、それなりの権限はあるといえばあるんでしょうけども、やはり私もただの一隊員になった以上そんな偉そうな事はできませんし、
それにCGでなんでも出来ちゃう時代に、忙しい隊員に無理矢理命令するようなそんな封建的な物もあんまり良いと思いませんし……」
「わかったよ」
「私個人としても、やっぱりですね。年功序列の感覚が見に染み込んじゃってますし、あれ、何い言っているんでしょ私は」
「もう、良いよ」
「年上の隊員が多いのは私にも……って、はい?」

ドアが完全に開いて、レッドが部屋から出てきた。レッドの背はこんなに低かったかなとグリーンはふと思った。

「大変なんでしょ」
「え、えぇ、ハイ、そうです」
「メモ」
「え?」
「それに書いてるんでしょ?」

グリーンが握り締めてシワがよっているメモをレッドは指差していた。
レッドの言葉の意味を理解するとグリーンは慌ててメモをレッドに気を使いながら渡した

「長ネギ、紙コップ、つまようじ、トランプ、醤油、わさび、カビキラー……多いなぁ」
「多いですけど、その分人手不足って事なので。すいません。お願いします」
「……まぁ、散歩のつもりで行って来るよ」

グリーンは頭を深く下げて歩き出したレッドを見送った。
レッドが見えなくなったのを確認すると、グリーンは急いでリビングへと走って行った。













「えぇと、ネギネギ」

レッドは、何度も野菜コーナーを行ったり来たりしていた。
目はメモに、足は売り場へ向けられてはいたが意識は白昼夢を見ているかのように、ぼんやりと薄れていた。

「……ダメだなぁ」

時折、現実に戻って自分の仕事に気づくがそれでも、気を抜くと再び僅かな幻の隙間に意識は吸い込まれていた。
レッドの中には、あの時の事がまだ心の奥底に引っ掛かったままだった。懐かし仮面の言った言葉。
それが今、この迫り来る節目の時期に重いクサビとして強く打ち付けられていた。

ようやく、ネギを手に取り、カゴの中に放り込むとレッドはレジに向った。
昼間を過ぎたせいかレジには客がそれほど並んでおらず、レッドはすぐに会計を済ませることが出来た。

メモに再び目を通すとほとんどの品物はスーパーでそろえることが出来ていた。
他は、適当に商店街のそう言う専門店を数件回ればそろえる事は出来るだろうと思った。

外に出れば、晴やかな秋空だった。
吸い込まれそうな青空に、レッドは意識だけ吸い込まれているようだった。
薄い雲がレッドの視界の下から現れて上に穏やかに流れていく。こんなにしっかりと空を見るのは久しぶりだった。

「はー、やっぱ空は大きいね」

ぼんやりと独り言も呟きながらレッドが歩いているとドンと、誰かがぶつかった。
慌てて、謝りながら目線を下に落とすが子供達がわーわーと走り回りながらレッドの後方へと去っている所だった。
これから子供達はどこに向って走っていくのか。そんな子供達の後姿と重なってレッドは、昔を思い出していた。

近所に作った秘密基地や、よく遊んだTVゲームのソフト。公園、学校、放課後。
レッドの脳裏には思い出ばかりがその場所を広げていた。10歳ほど若返った気分でレッドは通りを真っ直ぐと歩く。
こうしているとレッドの心は、いつもより少しだけ元気になれた。

「ごせーせんたーい。ごせーせんたーい。だーいれーんじゃ~♪」

気づけば歌を口ずさみ、足元も何だか変な浮遊感があった。
そのうち、周りの景色も小学校の帰り道みたいな気分がした。
ふと、角を曲がればそこにいつもの駄菓子屋さんが現れるような錯覚さえ起こしそうだった。

「よっと」

角に入る場所までジャンプした。見事な着地だ。だが、角には平凡な大阪の町並み人並み。
淡い期待を抱いたことを悔やみながらレッドは歩き出した。ふと、気がつくけば商店街の出口だった。

レッドは、戻ろうと踵を返すと、再びドンと誰かにぶつかった。子供にしては大きくてレッドは思いっきり地面に尻餅を付いた。
慌てて立ち上がるとレッドは、思わず息を呑んだ。幻覚を見ているのではないかと思った。

淡いブルーとも紺とも付かない、少し釣り目な彼もレッドの姿を見て、一瞬戸惑ったような顔をした。
本物だと解ったのは、レッドが立ち上がりその顔をハッキリと見る事が出来たときだった。

「……龍くん」
















「日本って狭いね。愛媛じゃ全然会わなかったのにこんな所でバッタリ会うなんてさ」
「ホントに」

レッドは、メロンソーダの中で透き通っている氷をストローでかき混ぜた。
カラコロと耳に心地良い音が入ってくる。龍は口数が少ないままコーヒーを口に付けていた。

「何年ぶりかなぁ。小学校以来だからね」
「そうだな」

龍はあまりレッドの方を見ず、俯き加減にコーヒーを飲んで、テーブルに置いた時に出来た波状を見る事を繰り返していた。
しかし、レッドはその事には気づかなかった。旧友との久々の再会に夢中で龍の無愛想な受け答えさえ、楽しげな会話に感じていたのだ。

「ね、覚えてる? よく龍くん家の二階でダンボールハウス作ったよね」
「そんな事もあったかな」
「そうだよ。僕と龍くんと、あと近所の子らと作って。あれすぐ壊れちゃったけど」

メロンソーダの氷は、ほとんどが溶けてしまっていた。
それでもレッドは目の前に居る思い出の保証人がいる事が嬉しくて仕方が無かったのだ。
だが、龍はその話を聞きながらコーヒーを飲むばかりで、眉毛一つ動かさなかった。

「あ、そうだ! あれは覚えてる? 橋の下で遊んでてさ、小さいウナギ見つけたの」
「覚えてない」
「え~そう? あれぇ、あの時、龍くんいなかったかな?」

照れ笑いをしながらレッドはようやく、ストローに口を付けた。
薄まったメロンソーダで喉を潤すとレッドは間髪いれずに再び話しかようとしたが、
やっとその時、レッドは龍の冷めたような態度に気がついたのだった。

「……どしたの? 僕、何か失礼な事いっちゃったかな?」
「別に」

レッドは気まずい空気を吹き飛ばそうとするように、思い切りメロンソーダーを喉に流し込むと大きく息を吐いた。
龍はカップの取ってを掴んだままそれを見ていた。

「ねぇ、せっかく会ったんだしさ。 これからちょっと出かけない?」
「……」
「良いよね。何か、龍くん元気無いみたいだし。二人きりの方がね。積もる話もあるかもしれないし」

レッドは、龍の返答を聞かずに伝票を持って得意顔で左右に振って見せた。

「僕が奢るから大丈夫! ずっと前から会いたかったんだ。だから気分が良いの」

立ち上がってレッドは伝票を持ってカウンターに向った。
龍は、目の動き一つ変えず、さっきまでレッドの居た場所に目を落としていた。

「……オレは」

その目は一件静かそうだったが、その奥ではどこか抑えきれない感情を押し殺す為に精一杯だったように見えた。

「出来れば会いたくなかった」

挿絵















「……どこいくんだ」

喫茶店を出てすぐに立ち止まったレッドを見かねて龍は声をかけた。
レッドは、両手を広げて小さく前後に振りながら「大丈夫、大丈夫」とジェスチャーをした。

「龍くんさ、僕らの思い出すっかり忘れちゃってるみたいだから。今から忘却の彼方の旅って所かな」
「?」
「じゃ、目を閉じて。地元に行こうよ!」

龍は、馬鹿らしいと言う風にレッドから目を逸らした。

「あ、その目は疑ってるね。龍くんがそーくるんだったら…」

レッドは龍の後方にゆっくり回ると、突然にガバッと龍の両目を押さえた。

「やっ、やめろよ!」

龍は、いきなりの拘束に抵抗をしようとしていた。レッドは暴れる龍を取り押さえながら、
抵抗のせいで動き回る手で転送装置のボタンを押すと、直線状の緑色の光が地面と垂直に浮き上がり出した。
もちろんその光は目を塞がれているので龍には見えないのだが。

「いくよー」

チカッとフラッシュが見えるとレッドと龍の体は一瞬、浮き上がった感覚を覚えた。
龍も、かすかに悲鳴をあげたが、すぐさま地面に足が付いたのに気づいたのか大人しくなった。

「はい、もういいよ」

レッドは龍の目から手を離した。龍は、開目一番に日光の眩しさを感じて目を細めていた。
白く霧の様にぼかされた景色は目が光に慣れるに連れて本来の景色を取り戻し始めた。
すると、龍の目に見覚えのある物体の輪郭がハッキリと確認された。それはブランコだった。

「……!」

龍は、目の前の風景に驚いたのか2,3歩進んで辺りを見回していた。
記憶とペンキの色が変わっているすべり台。錆びた色の鉄棒、数個のタイヤをロープで吊るした簡素な遊具、全てを龍は知っている。
ここが間違いなく自分達が過ごした故郷である事を認識すると龍は振り返ってレッドを好奇の目で見た。

「ど、どうやって…」
「まぁ、そんな事は良いじゃない。 ホラ、懐かしいでしょ」

レッドは、左から2番目の黄色いブランコに飛び乗ってこぎはじめた。
全てを理解しきっているレッドと比べて龍は全ての仕組みが解らなかった。

「ねー、覚えてるー? ここ、ブランコ漕ぐ時はいつも僕の特等席だったんだ」
「……近所の子らにとられると機嫌悪かったな」

レッドにとってこの公園は家から歩いて数分の場所にあった為に、場所に対しての懐かしさは感じていなかった。
龍と一緒に公園に居ると言うその状況がレッドにとって懐かしくもあり甘美だった。

「龍くんもおいでよ!」

川べりのこの公園は人通りが少なく、人が賑わうといえば低い土手の上に生えた桜たちが全て満開になる春ぐらいで
秋の昼間にはただでさえ人が来ない。だからこそレッドも人目を気にせず─といっても最初から気にしてないが─ブランコを漕いでいるのだ。

もちろん、龍にもそんな事は解っていたが決してブランコの方には近寄ろうとせず、レッドを見ているだけだった。
レッドはその目を恥ずかしがっているのだろうと思いそれ以上はブランコに乗るように言わなかった。

「ねぇ、龍くん家ってさ。まだカレーにグリーンピース入れてる?」
「あぁ」
「そうなんだー。僕、初めてご馳走になった時びっくりしたんだよねー。我慢して全部食べたけど」
「……半分残してた」
「え、そ、そうだったかなぁ」

レッドは、黙ったままブランコを漕いだ。

「……お前、今何やってんの?」

龍は、振り子状に上がったり下がったりするレッドを見つめながらそう言った。
レッドの表情から少しだけ明るさが消えたが龍はそれを気づかなかった。

「う、うん。色々とね」
「学生? 就職、じゃなさそうだけども」

レッドは、ブランコが龍の方に向った瞬間、パッと飛び降りて小さな孤を描がいて龍の目の前に着地した。
飛び降りた瞬間に、レッドは龍の手を掴んで、目の前にある川原に向って走り出した。

「な、なにを」
「昔のひみつきちー!」

雑草の生えた砂利に二人は飛び込んだ。小石の触れ合うくすぐったい音が妙に気持ち良い。
夏の間に青々と生えすぎた草達は、自分達の体をすっぽり包んで、そこは草むらの迷路に等しい。

「くっつき虫とか、いっぱい付けちゃったよねー」
「……さぁどうだったか」
「えーとこの辺に……ホラ、あった!」

草を掻き分けていくと、レッドは川のすぐ側に埋もれている平たいセメントの塊の上に乗った。
そこからは、太く錆びたハリガネが一本飛び出している。レッドはそれを手でぐりぐりと廻した。

「川の秘密基地。ホラ、この石の形さ、アルファベットのBみたいだからB基地って呼んだよね。
前はさ、もうちょい大きかったのに、あーあ、川の泥で半分埋もれちゃってるよ」

レッドはしゃがんで川の中にいる小さな魚を見た。ふと、我に返り後ろの龍に手招きしたが龍は動かなかった。

「龍くん! ホラ、あの黒い魚やっぱりここに集まってるよ」
「……子供じゃあるまいし」

レッドは一瞬、胸を指で軽くはじかれたような感覚がした。
龍に向けた笑顔も少しぎこちない。レッドは、自分の気持ちを悟られないように無理に笑った。

「いいじゃん。子供でもさぁ。だってまだ子供だもんね」
「……ほとんど立派な大人だ」
「あーあ。龍くん、しばらく会わないうちに結構ひねくれちゃったね」

レッドは、つまらない顔を作ってセメントの塊の上からぴょんと飛び降りると、
龍の背中を押しながらもと来た道を帰り始めた。踏み固められた草の上を通りながら。

「さ、次はどこいこうかな」
「……」
「いいでしょ? 懐かしスポットを巡っていくって事で。ね」

龍は黙っていた。レッドは急いでいるかのように背中を強く押し続けていた。















土手を上がって左に折れるとT字路の角に龍がかつて住んでいた家が見えた。
その左隣には、もちろんレッドの実家がある。龍もレッドもその事には触れなかった。

2件の家の細い道は車が滅多に通らない。しばらく歩けば大きな駐車場が左手に見える。
龍は、その事に気づいたのかしばらく目はそっちにあるようだったがすぐに前に戻した。

「あの小さなコスモス畑ね。駐車場の拡張工事で埋め立てられちゃったんだ」

レッドは駐車場の前で止まると、まばらな数の車しか置かれて無い広い駐車場を眺めた。
龍は、決してレッドと同じ方向を見ようとはしなかった。

「あの真ん中くらいにあった平たい石。その下、よく二人で下校中に掘ったよねー。
そしたらさ、古井戸で、近所の人達が危ないからって大きな鉄板敷かれちゃったんだよね」

レッドは駐車場の中に入ると、そのままくるっと体の向きを変えて龍を見た。
だが、龍はそれでもこちらを向いてくれはしなかった。

「龍くんは懐かしくないの?」
「懐かしがってばかりもいられないだろ」
「そうかなぁ……久々にあったんだよ? 懐かしい話で盛り上がるのは当然じゃないかな」
「そう言うのは建設的じゃない」

久々にあったのに、懐かしい話をせずに何を話すというのか。
レッドはいい加減、龍の素直じゃない所が鼻に付き始めていた。

「もう次、行こう」

レッドが龍の手を掴まずに駐車場を通り過ぎた。しばらく歩いていると振り返って後ろを見る。
龍は、少し間を開けているがレッドの後を付いてきていた。これでレッドも余計わからなくなった。
自分を嫌ってる訳でもなさそうだし。懐かしい話や場所があまり好きではないらしいのに付いてきている。

世間の荒波にもまれているうちに天邪鬼になったのかな。ともレッドは考えたが、
ここまで連れて来た自分がいないと大阪に帰られないから付いてきているんじゃないだろうかとも思った。
どっちにしろ、嫌々でも付いてきているのだから一回くらい「懐かしいな」ぐらいは言わせてやろうと決心した。

「さ、こっちこっち」

駐車場を過ぎて僅か2分ほど歩くと右手に大きな道が見えた。
工場と大きな家の間に挟まれた大きなトラックも楽々入る事が出来る真っ白な砂利道。

レッドは龍が来るまで道の手前で待ち、合流すると無言のままその道を通っていった。
砂利道は途中から土の道へと変わる。すると右側の小さな町工場の裏手にトラックが2台止まっている。
トラックを過ぎると、竹林が入り口の小さな山が目の前に現れる。

「ありゃ、こんなに竹生えてたっけ?」

龍が側に来た頃を見計らってレッドは呟いた。龍は黙っていた。
ここの山は高さ15メートルほどの小さな山だ。

「ね、登ろう!」
「上に上がるなら裏手に回った方が良い」

山の反対側には手すりの付いた石段があり、人が通れる様にきちんと整備されているのだが、
レッドの居る側は、竹、木、草、そして真っ黒な腐葉土のある荒れに荒れた自然派コース。
もちろん、子供としてはアブノーマルな方が断然楽しいに決まっている。

「秘密基地に来るのもうかなり久しぶりじゃん! 登ろう登ろう」

有無を言わさずにレッドは竹林の中に入っていった。少し強引過ぎたかなと思ったが後ろで枯れ葉を踏む音がする。
少し安心して、レッドは切られたり、折れたりして鋭くなっている竹に注意しながら進んだ。

「竹って木なのかな。草なのかな」

葉の音しか聞こえない静けさに居た堪れなくなってレッドは軽い調子で背後の龍に言った。

「竹は木でも草でもない。竹って植物だ」

と、簡単に説明されてしまい、再び静かになる。
レッドとしては「えー、草じゃないだろ。木じゃないか」「えーでも年輪とか出来ないし」等と
もう少し会話を弾ませたかったが即答されてしまったからには仕方が無い。

そうこうして、いるうちに二人は竹林を抜け、枯れ葉だらけの山が目の前にどーんと現れた。
レッドの記憶の中と木の位置は代わっていなかったが枯葉の量は最初にレッドが想定していたものより多かった。

「行くんだろ?」
「あ、あたりきしゃりき! じゃ……」

レッドの一歩目は枯れ葉のクッションと言う表現がピッタリな程の大量の枯れ葉の中に埋もれた。
斜面なせいで枯れ葉が全部下に落ちてきてここまで貯まっている。枯れ葉に隠された地面は結構下だ。

「あ、思い出した。なわとびの取っ手さ、僕落としちゃったんだよね」
「なわとび?」

足を取られて進む龍の声にも少々、動揺が窺えた。その声を聞いてレッドは少しだけあの頃に戻れた気がして声が弾む。

「木にくくりつけて、ターザンみたいなのやろうって言ったの龍くんじゃん。で、僕なわとび持ってきてさ」
「そんな事言ってない」
「あれ、じゃぁ、あれは、誰だったのかなぁ」

多少の間をもたせる事が出来たこの一連の話が終わった頃には、二人は枯れ葉の坂を登り終えた。
登り終えると足場が悪い。これは元々の地面がそうなので思わずレッドは、側にあった
斜めに生えた空き缶程の太さの木を掴んで自分のみを預ける。

「あ、この木いつも良い位置にあったよね。体は覚えているもんだなぁ」
「いいから早く登るなら登ろう」

龍の溜息交じりの言葉に背中を押されレッドは木をしっかり掴みながらぐっと体を少し上にある窪みに片足を乗せる。
そうすれば後は簡単なもので、木々や窪みも増えて比較的歩きやすい。

「あんま変わってないなぁ」

そこから下にいる龍を見下ろす。小学生の頃の記憶がありありと蘇る。
ふと目線を前に向ければ長く延びた竹、隙間の向こうに移る工場や白い砂利、空。心にじんわりと来る物がある。

「ちょっと退いて」

ぼんやりと変わらない風景を堪能していると龍の声に気がついた。
見れば龍はレッドと同じように右手に木を掴んでこちらを見上げていた。
レッドは慌てて側にある木々を掴んで自分から見て左の方に歩く。逆L字に曲がった木に足を乗せるがこれもビクともしない。

龍はまたもレッドと同じように身軽な動作で窪みに足をかけた。
確認の証として龍に2,3度頷いて見せるとレッドは上に登り始めた。

「ここまで来れば木が多いから良いよね。サクサク登れてさ」

枝をテンポ良く渡る猿みたいに、右手、左手、右手、左手と細い木に交互に手をかけながら二人は登る。
しばらくすると、運動会の大玉転がしの玉1つ分ほどのC字とL字の中間程の形に窪んだ場所にやってきた。

「あった! ここだここだ!」

レッドは、ぴょんと窪みに飛び込んだ。バランスを崩して転倒しそうになる。
龍もその後すぐ同じ場所に到着する。目の前には木々の根がむき出しになって見える。

「懐かしいな。あ、おかめの形の石。あったなぁ」

土面から出ているツルツルしたねずみ色の石を撫でた。
龍は、落ちている大きな石の泥を払ってその上に座った。

「それ、龍くんが持ってきた奴じゃない?」

レッドの言葉に龍は黙っていた。レッドは変わり身が早く、石に顔を近づけて確信を強めたようだった。
龍は、俯いたまま苦々しい顔だった。レッドも隅に転がっている石を持ってきてそこに座った。

辺りには土の香りが風に運ばれている。前は淡い緑の光の中。

「あ、また思い出した」
「……思い出してばっかだな」
「さっきの急斜面の所にさ、龍くん竹を引っ掛けたよね」
「忘れた」
「登るとき、邪魔だったけど。龍くんが上に昇ろうとして滑り落ちたときそこに引っ掛かってさ怪我しなくて済んだじゃん」

レッドは立ち上がってその竹の断片でも無いかと探してみたがそれはどこにも無かったのを知り、残念そうに腰を下ろした。

「あの日、秘密基地の帰りにさ、僕すっごい恥ずかしい事言ったよね」
「忘れた」
「えーとね、過去の龍くんが未来の龍くんを助けたんだね。……って小学生が言う台詞じゃなかったなぁ」

照れくさそうに頬をかいてレッドは龍を見た。龍の顔が思い出めぐりをする前から何も代わって無い。

「ね。龍くん。懐かしいでしょ?」
「別に」

あの頃の友達とはどこか違う。変わっているのだろうかとレッドは胸が苦しくなる。思い出したくない感覚まで蘇りそうだ。

「次、どこに行こうか。あ、海にしよっか?」
「…………」
「時間無い?」

龍は何も応えなかった。レッドは、再び前を向いた。この風景は何も変わっていない。

















川沿いに歩けば橋が現れる。それを通って左に曲がる。そのまま真っ直ぐ行けば潮風がかすかに香り始める。
背丈よりも高い長い長い堤防が続く海沿いの道。海は見えなくてもそこに海がある事は解る。

「この道を歩いて花火を見に行ったっけ」

日が傾き始め、歩道の上に長い影を落とす。長い長い堤防沿いの道。
右を向けば運動公園。既に青々とした草達が徐々にその活動を縮小する。

「僕が、疲れたって言ったら龍くんは歩くしかないって言ったね」
「……」
「龍くん。僕と話したくない?」

レッドが立ち止まると龍は一瞬、レッドを見てそのまま何事も無いかのように追い越した。

「久々に会ったのにさ、なんで終始そんなムスッとしてるんだよっ!」

レッドの声に龍は立ち止まった。振り返った龍の目は鋭かった。

「お前が話すのは昔話ばっかりじゃないか。懐かしかっただの、何だの」
「だ、だって、僕はその方が話が弾むかと思って……」

龍は再び歩き出し、後からレッドも歩き出した。一メートルの距離が遠い。

「昔の友達に会ったら、昔話で盛り上がるもんじゃん。僕、何か間違ってる?」
「建設的じゃないんだ。そんな話は。昔ばっかり振り返って」
「いいじゃん。今があるのは昔があるからじゃん!」
「……今? 今の話題なんて全然話そうとしないじゃないか」

レッドは言葉を詰まらせてしまった。何故か言い返す事が出来なかった。
胸の奥底ではその理由がハッキリと解る。だけど、無理に上から押さえつけている。零れていても。

「そんなの……」
「現実を見ずに楽しいことだけ見ようとして。子供のままだよ。人間的に未熟なんだ」
「こ、子供だっていいじゃん。 僕はいつまでも子供の心を持ってさ。そう言う……」
「自己欺瞞だろ?」
「え……」

龍の言葉がこれほど冷たく感じた事は無かった。
レッドは、消え入りそうな声で呟いたが声にならなかった。

「解っているんだろ。そんな事言ったって、ダメだって事」
「…………」
「今のお前は現実から目を逸らしているに過ぎないんだ。 責任とか義務とかそう言うのを背負いたくないだけだ」

レッドは、龍との距離がいっそう遠く感じられる。龍はあれきり一度もこちらを向かない。
ペースを落とさずに、真っ直ぐな道を歩いていく。振り落とされそうな速さで。

「昔は良かったって懐古ばかりする大人になりたいのか? もっと物を前向きに見たらどうだよ」
「ち、違うよ……龍くん」
「周りの変化ばかりに焦って、一人馬鹿みたいにさ。 どうしてお前は目を逸らすんだよ」

レッドは、俯いたまま龍の影を見つめた。

「……昔は、みんな、優しくて良い子ばっかりだったのに。大人に向うにつれて、みんな変わって行って
僕はただ、ずっとこのままでいたいだけなんだ。龍くんと遊んだ時から、僕はずっと……」

影はどんどん離れていく。長い一本道に二人。

「昔は遊べた事もどんどん出来なくなって。大人になるって、苦しいだけならなりたくないよ」
「……それでもなるんだよ。苦しくても皆それを繰り返してきたんだ」
「僕は嫌だよ。そんなの」
「そう言う奴はいずれ過去になる今を見る様になるんだ。辛い時や哀しいときもある今から目を背けて、
甘美に感じる様に過去になるのを待ってるんだ。過去は、『懐かしい』と言う優しいベールで包んで、決して自分を傷つけようとしない」

龍はあくまで淡々と語っていた。レッドはただそれを聞いていた。
だが、龍の声が震えているように聞こえる事だけは不思議だった。

「……龍くんは、過去はいらないって言うの?」
「邪魔なんだよ。大人には。この世に苦痛だけならそれが当たり前になる」
「それじゃ、楽しい事なんて何もないじゃん。そんなの、誰だって……」
「オレ達は大人にならないといけないんだ!」

龍の叫び声は、静かな海辺に深々と響いた。

「過去があるから辛くなるんだ! でも、時間が止められる訳じゃないだろ!そう言う事なんだよ!
大人になるのは誰だって嫌だよ。恐怖感だって感じるかもしれないよ! だから子供時代なんて邪魔なんだよ!」

龍はふと足を止めた。そこは港。汽笛。船。そんな者があの時のまま目に映る。
レッドは、じっとそれを見つめている龍の側に追いついた。

「龍くんも……」
「言うな」

夕陽が沈み始めた海は、レッド達に水面のオレンジの照り返しを浴びせる。
レッドは、龍の方を向こうとしないまま、フッと笑った。

「僕、決めたよ」
「…………」

龍には、オレンジに染まった淡い視界の中にいるレッドがあの頃と何も変わっていない事を思った。
ただ、少し成長した笑顔だけが印象的だった。

「大人になっても、忘れないよ。子供だった事だけ忘れず大人になってけばいいよ」
「……」
「辛いとき、時々、子供の頃の自分に元気分けてもらうんだ。一応、建設的。でしょ?」

龍は、目を伏せた。

「お互い、良い大人になれば良いよ」
「なれるのか?」
「よく解んない」
「そのまま大きくなるんだ。お前はきっと」

みかん色の水面に大きな船が滑っていく。

「……今日は、会えてよかったかもしれない」
「僕は最初から思ってたよ」

レッドは、ニコッと笑ってみせた。龍も初めてたどたどしく笑った。
二人は、それきり黙ったまま海に視線を向けて落ちていく夕陽を長々と見つめていた。

その時だけは、二人、昔のまま。子供の頃のまま。





















「ごめん……グリーン。せっかく買物したのに全部置いてきちゃって……よし」

玄関の前で何度も練習した謝り方を口の中で繰り返しながらレッドは恐る恐るリビングの方へと向った。
既に日も暮れて薄暗い為に廊下はさらに暗くて誰も居ない。うっすらと見える目で歩いていくとリビングのドアから光が漏れている。

「……グリーン、ごめっ……!」

パンパンと破裂音が四方八方から聞こえてきてレッドは思わず唖然としてしまった。
目の前にあるのは飾り付けられた部屋。それなりのご馳走やケーキ。

「レッド、おかえりなさいー! 遅かったですね」
「みんな、待ってたんですよー」

グリーンに連れられてレッドは、ケーキの前に座らされた。
何かを言う前にケーキの上のロウソク一本一本に火がつけられていく。

「サプライズパーティ。成功ですねー」
「古典的だけどやっぱり王道ですー」
「すいませんレッド。本部から出すために色々買物させて」

わいわいと騒ぐ隊員達を見ているとレッドは、笑いがこみ上げ始めた。
しばらく笑っているとレッドの様子に隊員達は不思議そうな顔をした。

「知ってたよ」
「え?」

レッドは、キラキラした純粋な瞳でケーキのロウソクの炎を見つめた。


「だって、今日は僕の誕生日だもん!」

挿絵