第96話

『男と女』

(挿絵:ピンク隊員)

6月のある晩、エコはぬかみそに漬けられてもがき苦しむ悪夢からようやく目を覚ました。
汗びっしょりで飛び起きると薄暗い部屋を寝ぼけ眼で見回した。ぬかみそ臭い老婆もいないし、体もいつもの様にテカテカだ。

「……なんだぁ。夢か」

悪夢から無事逃れる事ができた安心感に浸りながら、エコはぱたんと後ろ向きに倒れ目を閉じた。
寝返りを右向きに打ち、左向きに打ち、そして仰向けになり……。眠れなかった。やけに目が冴えていた。
阪神タイガースのマークが付いた時計を見ると深夜の2時だった。12時前に寝たから対して時間は経ってない。

何かない物かと辺りを見回してみるが、タイガの残していった古びたエロ本だの、オオカミらが部屋に置ききれなくなって、
勝手にここに置いている私物だのが部屋の隅に積まれているくらいで、眠れぬ夜にエコを楽しませてくれるような物は何一つなかった。
部屋にないならば部屋の外に出るまでと言う事で、エコはベッドから飛び降りて部屋を出た。

廊下は薄暗かったが、食堂の方からかすかな明かりが漏れていた。誰かいるのかもしれない。
もしかしたら自分に内緒でパーティなんかを開いているんじゃないかとも考える。だとすれば参加しなければ損だ。

「……」

一応、足音を立てない様に抜き足差し足でエコは食堂の入り口の前で立ち止まり中を覗いた。
食堂内はパーティとは程遠い、いつものガランとした殺風景さだった。
だが、神棚の部分に置かれたTVを見ながら何か飲み食いしているボスの姿を見つけて安心した。これだけでも来た甲斐があった物だ。

「ボス。何やってんのー?」

エコは、背後で声をかけると、口にするめを咥えたままボスは振り返った。
もっと驚くかとエコは思ったのだが、たいして驚いてはくれなかった。

「何だ。エコか。こんな遅くにどうした」
「目が覚めたから来たんだ」
「そうか。つまみでも食うか」
「食う!」

待ってましたとばかりにエコは椅子の上に登ってテーブルの上に広げられたスルメや柿の種をすぐさま掴んで口に入れた。

「ん。うまーい」

夜食と言うのは非常に魅力的で、ワルな感じがする。エコは族時代から夜食が好きだった。
そんな夜食の喜びも落ち着いてくるとエコは次にボスが見ている深夜映画の事が気になってきた。
下に字幕が出ているから洋画だと言う事も解る。男と女が抱き合っているからラブストーリーだと言う事も解る。

「ね、ボス。これ面白い?」
「ああ、面白いぞ。 よく見てろエコ。もう少ししたらあの男が怪物に食われるぞ」
「えぇー、ホントに!? なんか怖そうだね、ボス」

言っている側から、男は横から出てきた虹色で花柄のトカゲの様な化け物に飲み込まれてしまった。
エコは、わっ!と小さく叫んで口の中に入れたばかりのピーナッツを机に落とした。

「……偶然だよな」

ボスは唖然としながらビールを飲んだのをエコは気付かなかった。
机の上に落としたピーナッツを拾ってまた口に入れる所だったのだ。
そんな究極のラブストーリーホラーアクションハートフルムービーも、時計の針が午前3時半を指す頃に終わった。
ボスは缶ビールをその間に3本も飲んで、エコはつまみのほとんどを食い散らかしていた。

「ボス、面白かったねー。最後の花柄エイリアンが泣く所、オレ感動したよ!」
「そうか? 最近の映画はホント訳がわからんぞ」

ボスは手にした空き缶を握り潰しながら、ゆっくりとしたおじさんっぽい動作で立ち上がった。

「さーもう宴は終わりだぞエコ。とっとと歯磨いて寝ろよ」
「えー。お、オレ、まだ全然眠くないのに。ボス、もっとTV見ようよー」
「テレビも終わっただろうが」

ボスが指差したTVの画面はカラーバーになっていた。

「じゃ、じゃーあの中でどの色が好きか当てっこしようよ。えぇと、ボスは白じゃないかなぁー?」
「エコ。寝るときは寝ないとな。でっかくなれねーぞ」

ポンポンと頭を叩いてボスはゴミ箱に空き缶を放り投げ、次いでエコの前にあった空き袋をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ。

挿絵

楽しいひと時の終わりをひしひしと感じながら、エコは肩を落として椅子から降りた。
せめて最後の悪あがきに他の局を見てみようとエコはリモコンでちょこちょこチャンネルを変えてみた。
ほとんどの局は、既に放送が終了していた。なんとか見つけた局はテレビショッピングをやっているだけだった。

「ボスー。あれ、いくらだろうね。いくらだと思う? オレはいらないけどさぁー」
「エコ、いい加減に諦めろ」
「ちぇー……」
「さ、寝るぞ寝るぞ!」

ボスは苦笑いをしながらエコを持ち上げ、そして、そのままベッドに連れて行く……つもりだった。
最大の誤算はエコがサイボーグだと言う事をボスが忘れていたことにあった。
90キロ程あるエコを勢い良く持ち上げたせいでボスの腰は、げに恐ろしき悲鳴をあげたのだった。

「ぐぉっ、ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」
「ぼ、ボス! どうしたのー! 花柄エイリアンにやられたの!?」

突然、腰を抑えながらのたうち回るボスを見てエコはただならぬ恐怖を感じた。
ボスは、キャンキャン犬の様な鳴き声を上げながら震える指でエコの背後を指差すのだった。

「え、エコ。そこの戸棚から湿布を出せ。湿布」
「う、うん。解った」

湿布を取り出してエコが貼ってやるとしばらくして、ボスは無言でぐったりと床の上に伏せてた。
エコは訳がわからないまま、とにかく湿布の貼った場所をさすってあげた。

「あー……すっかり普通の子供だと思い込んでいたのがマズかったな……かー、イテェ……」
「ボス、気をつけないとダメだよ。エイリアンは透明になれるんだからさぁ」
「も、そう言う事にしとけ……」

とんだアクシンデントがあったが、エコは少しでも長くオトナの時間を過ごせている事が嬉しかった。
でも、どうせならおつまみがった方がもっと良かった。

『バイクが飛ぶ! 炸裂する拳と拳! 最も早いマシンの栄光は誰に!? 「バイクに世露死苦!」絶賛上映中!』

ふとバイクの音がしてTV画面を見たエコは、少しワクワクした様子でボスの方を見た。

「ねーボス、また映画するみたいだよ。またおつまみ食べようよー」
「……え、エコ。あれはな予告編だろ。映画館行かなきゃ見れるか」
「なんだ。でも、面白そうなのになぁー。ボス、明日連れてってよー」
「金が掛かるだろ。正月でもなけりゃお前の誕生日でもないしなぁ」
「……? オレ、明日、誕生日だよ。6月16日」
「なにっ……あ、痛ぇっ!」

ボスは振り向こうとして腰を捻ってしまい、腰を抑えながら小刻みに震えた。

「そ、それなら早く言えよ。誕生日くらいは何か祝ってやるって前にもいってやっただろ」
「ボス、なんで誕生日だったらお祝いしてくれんの?」
「お前の生まれた日だからだろ……エコ、お前は一体どんな子供時代を過ごしてきたんだ」
「何でも良いからさぁ。ボス、それなら明日さっきのヤツ見に連れてってよ?」
「わかったわかった」

エコが再びテレビに目を向けた時は、もう放送終了を知らせるクロージングが流れていた。
これで全てのテレビ局の放送が終わってしまったのだ。電気がもったいないと、ボスに言われてエコはテレビを消した。

「はー……だいぶマシになって来たな、もうさすらなくてもいいぞエコ」

よろよろと立ち上がりボスは壁に手を付いて歩きだし、照明スイッチに手をかけた。

「もう消すぞ。早く部屋に戻れ」
「はーい」

エコが出てくるとボスオオカミはスイッチを切った。アジトの照明はこれで全て消えた。
遠くからドアの閉まる音が聞こえた。エコも素早く部屋に帰ったらしい。

「はー、痛ぇ……もう若くねぇな俺……」

ボスは、まだ僅かに残る背中の痛みと老いの悲しさを感じながら自分の部屋へと戻っていった。












翌日の朝、まだ少しだけ痛みが残る腰を無視しながらボスが食堂に入ると、エコが珍しく早起きして朝食を食べていた。

「今日オレの誕生日だからボスが映画連れてってくれるんだー。いいだろー」
「あっそ。良かったな」
「ボスは子供に甘いからな。タイガ様然り……」

ボスは、はしゃいでいるエコ達のテーブルを通り過ぎて、奥の台に乱雑に置かれている
僅かな白米の入った茶碗と、僅かな味噌汁の入ったお椀と、大量にある漬物の皿をトレーに載せた。
そして、さっさと食べ終えたオオカミ達がいなくなったエコのいるテーブルに着いた。

「あ、ボス。おはよー」

漬物をボリボリと齧っているエコが、目を輝かせてボスを見ながら挨拶をした。
ボスは溜息を吐きながら箸をとり、少しだけ麩の浮いている薄味の味噌汁を飲んだ。

「ボスどしたの。元気ないよ」

エコがボスの顔を覗きながら言うと、ボスはまた溜息をはいた。

「……昨日はなかなか寝付けなくてな。腰がどうも痛くて」
「ふーん。あ、でも映画は連れてってよ? 途中で辞めたとか言ったらオレ怒るよ」
「心配しなくても連れてくから安心しろ」
「うん」

そのままボスは、何度か味噌汁と白米を交互に食べ、漬物を齧ると、そそくさと少ない朝食を終わらせた。
エコがまだ漬物に手間取っていたようなので、ボスはきゅうりを一つもらった。

「早く食べろよ。10時には出る予定だからな」
「オッケー」

その最中、テレビでは今日見に行く映画の予告編が流れていた。
エコは、早く見に行きたいと思わされたのか少しだけ漬物を齧るペースが速くなった。
その様子がなんだか可愛らしく思えてボスオオカミは笑みを漏らした。

……が、それから10時を過ぎてもエコがやって来ず、ボスはイラだっていた。

「ボスー! ごめーん!」

ようやく10時15分になってエコが走って来た。ボスは、さきほど腰掛けたばかりの階段からゆっくりと腰を上げた。

「何やってるんだ。準備しとけって言ってただろ」
「ご、ごめん。携帯充電してたから」
「映画見るのに携帯はいらないだろ」
「へへー携帯で映画撮ろうと思って。これなら何度でも見れるから良いアイデアだよねー!」

エコは以前にタイガから言われてカラーを変えた虎縞の携帯電話を自信満々にボスに見せた。

「エコ、そんな事してたら怒られるぞ。それに携帯で映画全部撮るのは無理だろうが。置いてけ」
「ちぇー……」

結局エコが携帯を置いてくるのにまた時間をロスしてアジトを出たのは10時20分だった。
このまま、映画館に向えば着くのは10時半頃だろう。最初の方は見れないかもしれない。
しかし、それでも大丈夫だろうとボスは思った。エコは映画を見れることだけで既に嬉しそうなのだから。

「オレ、映画に行くの久しぶりだなー」
「前はいつ行ったんだ?」
「族の時に笹山さんに連れてってもらったー。バイクでぐいぐい走るやつ」
「……そうか」

他愛のない話を続けていると思ったとおり10時半に映画館に着いた。
ビルの2階から5階までの全部がシアターと言う、いわゆるシネコンと言うヤツだ。
月曜日の朝と言う事で大して込んでおらず、安心してボスは受付に進んだ。

「オイ、何だっけ。エコ、映画の名前」
「バイクに世露死苦!」
「えーと、バイクに世露死苦を大人1枚、中学生1枚」

そこまで言って、ボスは料金表に目をやると目が飛び出そうになった。
二人合わせてチケット代が3000円近い。数十年ぶりの映画になるボスにとってこの料金は想像を遥かに超える額だった。
いつの間にこんなに高くなったのか。ボスは自分の映画に対する金銭感覚と時代とのズレが悲しくなった。
払ってやれない額ではないが、貧乏のオオカミ軍団にとってこの額はなかなか辛い。

「ボスー! 楽しみだね!」

飛び跳ねながら息を荒くして興奮しているエコを見ると、今更辞める訳にもいかずボスは泣く泣く財布を取り出した。
が、傍のパソコンをタッチしていた受付のお姉さんが突然、申し訳なさそうな顔をしてボスを見た。

「申し訳ありません。その映画は昨日超絶D級映画大賞に選ばれたとかで本日分が全て満席となっております」
「え!?」
「えぇー!?」

まったく反対の意味のイントネーションでボスとエコが叫んだ。
上にある電光掲示板には、「満席」と表示されている。ボスは思わず安堵の息を吐いた。

「ぼ、ボスー……じゃぁ、オレ立って見る……」
「申し訳ありません、立ち見の予約もいっぱいでして、立ち見客の頭上も終日満席です」
「じゃー……オレ……明日にする……」
「申し訳ありません。この映画は本日の上映で最終となります」
「どうやら諦めるしかないようだなエコ」
「そんなぁー!」

エコは、がぁぁぁぁんと言ういかにもな絶望的表情をしてペタンとその場に座り込んだ。

挿絵

ボスは助かったとは言え、さすがにこの落胆ぶりを見ると少し可哀相になってしまう。

「お、オレ、すっごく楽しみにしてたのに……み、見たかったのに……」
「エコ、いっぱいなら仕方ないだろ。あ、そうだ。他のにするか? クレヨンしんちゃんはどうだ?」
「そんな子供が見るようなのヤダ! オレはバイクに世露死苦がいいんだー! バイクでブイブイ言わせてなきゃー!」

涙声で叫ぶエコを見るとどうやら本気で悔しがっているらしい。
気持ちは解るが、入ってくる客が怪訝な顔でこちらを見てくるのでこのままにもしておけない。

「エコ、仕方ないだろ? な? お前は赤ん坊じゃないだろ。泣くな。男だろ」
「バイクに世露死苦が見れなきゃ男じゃないんだぁー!」

遂にエコが泣き出してしまった。悔し泣きといった感じで時折「うぁぁー!」「あぁー!」と叫んでいた。
泣き上戸なエコのことだからこのままだとどうしようも無い。ボスはエコを抱き上げ……やっぱり辞めて手を掴んだ。

「エコ、とりあえず帰るぞ。な、帰ろう」
「うあぁぁぁぁぁぁぁー!!」

泣き叫ぶエコを映画館から連れ出すとまた痛み出してきた腰をガマンしながらボスは小走りした。
映画を見せなければ到底泣き止みそうも無い。この癖さえ無ければな、とボスは父親の様なキモチがした。
と言っても他に映画館と言えば遠くなるし、遠出だ。徒歩じゃ無理だし電車賃は高い。

「……お、そうだ。エコ、バイクに世露死苦じゃないが、もっとカッコイイ映画やってる所知ってるぞ。それで我慢しないか?」

ボスは、町外れにある古い映画館を思い出した。数年前に皆で竹の子狩りにいった途中で見かけたのだった。
もしかしたら潰れているかもしれないが、行ってみるだけの価値はある。思惑通り、エコは泣き止んで潤んだ目をボスに向けた。

「ほ、ほ、ホント? ば、バイク、走ってる?」
「おぉ、もう何百台も走ってるぞ」
「た、た、タイマン、勝負、ある?」
「あるともあるとも! もうタイマンだらけで参っちゃうぞ。どうだ、エコ」
「……じゃ、じゃぁ、お、オレ、そ、それで、ガマンする」

エコがごしごしと涙を拭くのを見るとボスは安心して映画館を目指した。
結局エコは暴走族やヤンキーが出ていたら何でも良いらしい。















テアトル尾布は、いわゆる古い映画やミニシアター系の映画を上映している映画館だ。
少し枯れかけているツタが這っているレンガを模した壁と言う外観からずいぶんと老舗である事が窺える。

「こ、ここ……?」

先ほどの近代的な映画館とは全く違う古臭さに、エコはボスを不安げな顔で見つめた。ボスはその目を見ないようにしていた。
とにかく、ここでの上映作品を真っ先に確認していた。飾られているポスターは古めかしい絵の物だ。写真じゃないので相当古いのが解る。
下手すればボス自身が生まれる前の物だろう。まず一枚目、刀を構えている武士の後ろに姫がいる。これはダメだ。

「ねぇボス、これ映画館?」
「あぁ、そうだそうだ」

今日上映されるのは全部で3本。時代劇系が一本と、ピンク映画が一本。出来ればこれがボスは見たかった。
そろそろ始まるのは、フランス映画だ。ポスターを見る限り男と女のラブストーリー物のようだ。誤魔化せるとしたらこれしかない。

「エコ、これがその映画だぞ」

ボスはそのポスターを指差してエコに言った。が、さすがのエコでも反応は冷ややかだった。

「……バイクないよ。ホントにこれ、カッコイイの?」
「俺が嘘言ったと思うか。途中で女が連れ去られてだな、この男が女を取り戻すために族に入って成長した後連れ戻しに行くって話だ」

適当に嘘を言ってみたボスだったが、昨日の映画のまぐれがまた来るかもと言う淡い期待もあった。
エコはそのあらすじを聞いただけでえらく感激したらしく、再び目を輝かせてポスターを見た。

「ぼ、ボス! オレ、これ見たい!」
「そうだろ、そうだろ。じゃぁ、チケット買ってやるからな。待ってろよ」

ボスが受付に向うと、白髪のおじいさんが新聞を読んでいた。
軽くガラスをノックするとボスに気付いたらしく新聞をゆっくりとした動作で畳んだ。

「大人1枚と……小学生1枚」

おじいさんはそのまま料金表を指差した。さすがに場末の映画館、料金も実に手頃な価格だった。
気持ちよくお金を払うとボスはチケットを持ち、早くも入場ゲートの前でそわそわしているエコの元に向った。

「ボスー、ポップコーンは? オレ食べたいなー」
「エコ、ここはそう言うの売ってないんだ」
「えぇーないの?……まぁいいや。オレ映画見に来たんだしね」

常日頃からの退屈さが顔に張り付いているモギリの人にチケットを渡し、ボスとエコは古びた扉を軋ませて開け、中へ入った。
中はもちろんガラガラだが、同じように物好きがいるらしくポツポツと数える程度の客はいる。

「ボス、ここ空いてて良いねー」
「そ、そうだな……」

エコは目ざとく中央の少し高くなった座席に座った。まさに映画鑑賞のベストポジションだった。
と、ちょうど劇場内が暗くなった。ブザーが鳴り響く。ボスは少し懐かしい感じがした。

「ボス、もう始まる? お、オレ、なんかドキドキしてきたなー」
「しっ。そろそろ静かにしろよ」
「う、うん」

エコはワクワクが隠し切れないといった様子で足を揺らし、体を揺らしの状態だった。
ボスはさすがに少々良心が痛むが、昨日の様な妙な冴えが今回もあって欲しいと改めて思った

「~♪~♪~♪~♪」

けだるい感じのテーマ曲が流れながらスクリーンには海辺を歩く母子が映し出された。二人は手を繋ぎながら歩いている。
どう考えてもバイクやタイマン勝負などと言う男臭い物の挟みこむ余地はなさそうだ。

ボスは、チラと横を見るとエコが目を輝かせながら画面に見入っている。
仕方が無いので、映画の後は不機嫌なエコをファミレスにでも連れて行ってエビピラフでも食わせて許してもらおうとボスは簡単に計画を立てた。

しかし、そんな事を考え終わってまた映画に集中してみるとまだテーマ曲がかかったままで台詞がぽつんぽつんとしかない。
港を走る車だとかの綺麗な映像は中々の物なのだが延々と流れておりさすがにダレて来ていた。

「……うぅ……うぁ……うぅ……」

しばらくすると変な声が聞こえてきたのでボスは隣を見ると、エコの頭がこくりこくりとしていた。
ガクンと行きそうになってハッと気付いた時のエコの声が例の変な声の真相だった。
確かに、これはエコでなくてもボスも少し眠くなって来る。映画のBGMも心地いい子守唄に聞こえてくる。

『Probablement, la personne qui a traduit ce texte est surprise....』

『...Pourquoi est-ce que c'est?』

『C'est parce que j'ai parle les mots qui ne sont pas en rapport avec un film...』

フランス語のボソボソと喋る言葉も、余計眠気を誘う。しかし、このまま寝たらなんだかお金も勿体無い。
悲しい貧乏根性がボスの瞼をこじ開けさせた。また台詞は無くなりBGMと綺麗な映像のシーンに移る。

「……ZZZZ」

エコは遂にこの和やかで退屈な映画の前に破れてしまったらしく、静かに寝息を立てていた。今日の遅寝早起きもあったせいだろう。
ボスにとってはこの方が都合が良い。後で適当にあらすじを誤魔化して話せばエコも満足するだろう。

「オイ、エコ。せっかく連れて来てやったのに寝やがって、コイツめ」

エコの鼻をボスが軽くくすぐってみた。「うぅーん……」と顔をしかめて顔を逸らしたのを観て、ボスはほくそ笑んだ。
ボスはまだ笑みが顔から離れないまま席から立ち上がって劇場を出た。廊下にあった自販機でコーヒーを飲む事にしたのだ。
少し古い型のカップ式の自販機に100円玉を入れ、コーヒーが出てくる。ボスは自販機の横にもたれた。

「……ぬるいな」

まずそうにコーヒーを飲みながら、ボスは壁に掛かっている時計に目をやった。開始から30分ほどが経っていた。
だいたい2時間ぐらいあるとしてまだ1時間半ある。どうせならもう少し面白い映画だったら良かったのにと溜息が出る。

「外村君?」

自分の本名を呼ばれてボスは声のする方を見た。小ざっぱりとした清潔感のある服を来た40くらいの女性が立っていた。
ボスオオカミはその女性のすっきりとした目鼻立ちに見覚えがあった。しかしなかなか思い出せない。こんな所でも年を感じた。
そんなボスの様子に気付いたのか女性は、はにかんだ笑顔を見せながら歩み寄った。

「私、私。新山ルリ。ホラ、高校の時、同じクラスで、生徒会長やってた」
「え……新山!?」
「そう! よかった、やっぱり外村君だ」

彼女の笑みを見てボスは完全に思い出していた。成績も運動神経も性格も良いと評判のマンガのヒロインの様な存在だった。
一応不良少年だったボスだけでなく学年全体の男子からも憧れの的だった。
彼女とのちょっとしたやらしい妄想もボスは何度もやった覚えがある。割と話もしていたし、
友人の計らいで2、3回ほど遊びに行ったこともある。青春のほろ苦くも懐かしい1ページだ。

「何でここに?」
「大学出てからずっと大阪に。今日はたまたま休みで映画鑑賞。それで、入って来た人、外村君に似てるなって思ったから声かけたの」
「あぁ……」

ボスは急に旧い知人に会った戸惑いでぎこちない笑顔を見せていた。
ちょっとした気まずさと、ちょっとしたこっぱずかしさがボスの中に渦巻いていた。

「結婚してたんだ。外村君」
「……え?」
「子供連れだったでしょ、いくつ?」

ボスは、一瞬何を言っているのか解らなかったがすぐにエコの事だと気付いた。

「あ、あぁ、うん、まぁ、な。ハハ。確か13か14くらいだったかな」
「へぇ、大変でしょう。それくらいの年になると」
「ん、ま、まぁ。結構、可愛いもんだ」

ボスは反対に彼女にも結婚の事を聞こうとしたが指に光る指輪に気付いて言葉を飲み込んだ。
あんな良い女を確かに放っておく訳はないなと諦めに似た様な気持ちがした。

「ねぇ、外村君。久々に会ったんだし良かったらお茶でもどう? 私、この辺で美味しいパン喫茶知ってんの」
「あ、でもエコの奴が…………あ、いや、でも今寝てるから構わないんだけどさ」

ボスとしては、是が非でもお茶したかったのでなるべく断らないニュアンスを強めて続けた。
彼女はくす、と悪戯っぽい笑みを浮かべ、

「なら、映画が終わるまで。2時間弱だけ高校の頃に戻りましょ」

ボスに背を向けて歩き出した。ボスは飲みかけのコーヒーを自販機の上に置いて彼女に続いた。
後姿の感じはあまり変わっていなくて懐かしかった。しかし、一番ボスが懐かしかったのは常日頃から密かに見ていた彼女のふくよかな胸だった。











町並みは二人にはそっぽを向いたままで何も懐かしさを引き立たせてはくれなかったが、
それでも隣にいるルミがいるだけで十分すぎるほどの物があった。

「酒井君っていたでしょ。バレー部だった」
「あーいたいた。カッコばかりつけてるあのキザ野郎だろ」
「ひどい言い草。そう言う所は相変わらずね」

苦笑いしている彼女の顔を見るふりをして、ついボスは昔同様に胸を見た。
スケベ心が蘇るのと同時に何をやっているんだと言う自分へのツッコミがボスの中に沸いてきた。

「彼ね。今、何やってると思う?」
「売れないホスト」
「違う違う。外交官。裕美子が雑誌で見たんだって」
「マジかよ。どこ行ってるんだアイツ」
「えーと、確かアゼルバイジャン共和国の日本大使館」

ボスは、全く知らない国だったがとにかくおぉ、と感心する素振りを見せておいた。
そしてだんだん、高校時代の記憶と現実とのギャップを感じてきて照れくさいようなこっぱずかしい様なくすぐったい気分になった。

「じゃ、アイツは。伊谷」
「あーあー。外村君がよくいじめてた」
「えぇ? ちげーって。あれはちょっとからかってただけだよ」

ボスの心中に、丸刈りで小柄な同級生の顔が思い出されていた。
よく小突いたりなんやかやと突っかかっていた。その度に困ったような顔をしてボスを見ていたのを覚えている。

「伊谷君ね。警察官だって。結構出世したらしいよ」
「マジか!」
「外村君も悪い事は出来ないね。気をつけなよ?」
「……アイツがねぇ」

ボスはそれから色々と記憶の片隅にあった同級生の顔を思い出していた。
あの時は卒業したらそれまでの関係だから大して気にしてはいなかったのに何故か今になってそんな人々の現在を知るのが楽しくなっていた。
それからボスは幾つか名前も顔も覚えている人々の現在をルミに聞いてみては、人の秘密を盗み見たかのような快感を覚えた。

「そういえば、ね、外村君は今何やってるの」

ずっと応える側だった彼女が、いい加減聞きたかったと言う口ぶりでボスに突然問いかけた。
ボスは思わず言葉に詰まってしまった。とても昔の同級生にえばれる様な職業ではないのだ。

「平日のミニシアターに子連れで来るなんて所から見ると結構自由な職業って所かな。ワルガキだったけど意外としっかりしてたし、
会社員みたいな生き方も嫌いぽかったし……自分で会社起こしてる。割と、そうね、大きい会社。どう、当たり?」

ボスは何を言うべきか非常に迷った。変に肯定して後でボロが出ても困る。
かと言って悪の組織のボスをやっているとも言えた物ではなかった。ボスは当たり障りの無い言い方をする事にした。

「一応、部下を色々と指揮する立場ではあるな。ハハ、ハハハ」
「やっぱりね。外村君も多少は偉くなったんだ。良かった」

ボスは彼女の方に、彼女の胸にも目を向けず少し俯き加減に歩いていた。
急に自分がちっぽけな存在に思えてしまった。今まであまり感じたことが無い感覚だった。

「ダイナマイトシェンナパンチですー」
「ぐぉぉぉぉっ!」

そんなボスの背中を突然、物凄い勢いでパンチの雨アラレが襲った。
思い切りのけぞったせいで昨日の腰の痛みが再発し、ボスは地面に手を付いた。

「悪は滅びるですー」

力こぶを出してキメているシェンナをよそによろよろと立ち上がるボスの手をルミが取ってやっていた。
ボスはキッとシェンナを睨んだが、シェンナはシャドーボクシングをしながらボスをのほほんとした顔で威嚇していた

「外村君、知り合い?」
「コヤツから離れるですー。悪者ですよー」
「あぁ、コイツはな。いとこの子供なんだ。ハハ、悪戯好きなんだこれが」

ルミに話しかけるシェンナの頭をむんずと掴んでボスは口を押さえた。
じたばたと暴れるシェンナをなんとかあしらいながらボスは引きつった顔をルミに見せた。

「シェンナ手篭めにされるですー」
「ハハハ、良く遊びに言ったときにヒーローごっこに付き合ってやってるんだよ。コイツ、ヒーローごっこが好きで好きで」
「ごっこじゃないですー。ごった煮はおいしいですー」

シェンナを地面に置くとボスはすぐさまサイフを取り出して100円玉を突きつけた。

「ホラ、おじさんな。今、忙しいからな。これやるから駄菓子でも勝って来い」

シェンナはじーっとくすんだ色の100円玉を見たが、ぷいっと目を逸らして足元の小石を蹴った。

「シェンナのどが渇いたですー」
「(可愛くねぇなコイツ……!)ホラ、20円もやるから。とっとと帰れよ」

合計120円を出すとシェンナは渋々と言う風に受け取って礼も言わず、足早に去っていった。
時間にしてわずか5分程度なのにボスオオカミは一日中重労働をやっていたかのようなどっとした疲れを覚えた。

「最近の子供はホントに、なぁ、今度いとこに注意してやらねぇとな。ハハ」
「外村君も変わったね。昔は子供大嫌いって言ってたのに。今やすっかり良いお父さんでおじさん」
「そ、それほどでもないさ。ハハ」

ボスは、自分の頬の筋肉がピクピクと引きつっているのを感じた。










市立図書館が目立つ大通りへ続く小道を少し脇に逸れて、二人は一昔前の分譲地という雰囲気の通りを歩き始めた。
雨風でくすんだベージュ色の同じような構えをした家々が立ち並んでいる光景は実に退屈な眺めだった。

「あ、あそこあそこ」

ようやく同じような家の続いている光景が減ってきた頃、周囲を青々とした植え込みで囲ったガラス張りの小さな店をルミは指差した。
まだオープンしてそれほど経ってないのは店の外観の小奇麗さで解った。しかし、少し古びた木製の椅子に手書きのメニューを立てかけていたり、
ガラス戸にバーナーで焦げ目をつけてパンの様に形作った「OPEN」の木製プレートをかけておくなど、いかにも「隠れ家」を演出している風だった。

「……パン喫茶、スヴニール」

少し場違いな場所に来てしまったような、白昼夢を見ているような変な思いでボスはガラス戸に描かれている白文字を見た。
ルミがドアを開けると、丈夫についているベルの音と共に一気にパンの香ばしい匂いが漂ってきた。

「いつもの二つお願いします。あ、外村君、奥の席行こ。奥の席」

言われるがままにボスはルミの後を付いていった。時間帯が時間帯なのでほぼ貸切状態と言う感じだ。
内装は日光が良く入ってくるように大きなガラス窓があり、吹き抜けになっていて思ったより広く感じる。
レジや棚に並べられたブリキのロボットや中の金魚や海草もガラスで作っている鮮やかな金魚蜂といった小物を見る限り、
どこかの奥様方なんかが子供を幼稚園に送った後にちょっとしたティータイムを楽しむ場所だと言うのがボスはすぐに感じた。

「綺麗なお店でしょ。すっきりしてて」
「それはそうだけど……さ、さすがに中年のおっさんが来るような所じゃねえよ」

ボスは誰もいない客席を気恥ずかしそうに見回していた。
ルミはボスの居心地の悪そうな様子を相変わらず悪戯っぽい笑みで見ながら、シュガーポットのスプーンをいじって、

「外村君は奥さんとこういう所来ないの? ちょっとノロケ話でも聞かせてよ」
「え……あ、あぁ、来ないな。ウチのは、ハハ、サバサバしているから」
「あの外村君をこんなにしたんだから、性格は良さそう。あ、玉の輿だ。だから会社も起こせたんだ。
外村君、昔から女たらしだったし。でも、そんな奥さんに頭が上がらず尻にしかれていている……どぉ?」
「えー……と、なんて言ったら良いか……美人。美人ではあるな。ハハ」

要領を得ない喋り方をしているボスをちょうど助ける良いタイミングでパンと飲み物がやって来た。
コーヒーとバターの香りが漂うパンを載せた皿がボスの前に置かれた。ボスは急いで間を埋めるようにパンをかじった。

「……お、美味い。さすが、新山だな」
「どういう褒め方? それ」

ボスは映画館の物よりも格別に美味しいコーヒーを飲んだ。スキッとした後味がボスの動揺をようやく溶かし始めた。

「なんか、俺、同級生に会うのって卒業以来なかったんだよ。腐ってた時期も長かったし。変な照れくささがあるって言うか」
「……20年以上立つもんね。同級生に何人か会ったけどみんな変わってた」
「俺もこんなオッサンになったけど、新山は変わってないのが救いだよ。よくあるだろ、同窓会で初恋の人を見てガッカリするって」
「知らなかった。外村君って私が初恋なんだ」
「違うよバカ。物の例えだよ例え」

ボスは口元を綻ばせながら二口目をかじった。スライスしたナッツが入っているようでコリコリと程よい食感がある。
少し場違いではあるが、こんな優雅な午後を過ごすと言うのはボスにとって爽快だった。

「しかし……なんだな新山」

何かこの爽快感を口に出そうと努力しようとしたボスの鼻に、ツンとコーヒーでもパンでも無い香りがした。
ふとコーヒーの黒い水面から目を上げるとそれは、ルミの手にしたシガレットからの物だった。

「……新山、タバコ吸ってるのか」

ぽつ、とボスが独り言の様に呟くとルミはハッとして眉を曇らせた。

「あっ、ごめん。一言聞いておくべきだったよね。消そうか?」
「……いや、俺は別に構わないよ」
「じゃぁ、お言葉に甘えて」

ルミは相変わらずくすと微笑み、細い指で挟んだシガレットを口元へと運び、しばらくして煙を吐いた。
その仕草の一瞬一瞬が大人の女として様になっていた。ボスは、手のコーヒーカップに目線を落とし、ぐっと飲んだ。
熱いコーヒーが喉元を流れていく。しばらくしてボスは底が見え始めたカップを置いた頃にはルミのシガレットは灰皿の中にあった。

「ねぇ、外村君。外村君の会社って有名?」

一つ目のパンの最後の欠片を口に入れ、それをコーヒーで流すとルミはすぐに聞いた。

「有名と言えば、ま、そうだな、そうかもしれない」
「そう、凄いね。じゃぁ、外村君は……」

その筋で有名な事は有名であったが、ボスはまたも、曖昧な応え方でお茶を濁した。
ルミはボスの今を少しでも知りたいらしく、色々と簡単な質問をしてきた。ティータイムの間のちょうど良いデザートなのだろう。

「それじゃぁ年収は? 貯金も結構たまったでしょう」
「もう、辞めろよ。男の品定めじゃないんだぞ」

返答の後、間髪入れずにルミが質問してくると言う流れに辟易気味でボスは言った。
本当に女と言う物は現実主義なので微笑ましかった質問もだんだん現実的な方向へとシフトしていくのだ。
確かにボスはそれにイチイチ嘘を付きながら応えるのが面倒ではあったのだが、ルミのそんな部分が露呈していくのを食い止めたくもあった。

「ごめんなさい。仕事柄こう言う雑談が多いから嫌な癖が付いてるみたい。本当に嫌な癖」

嫌に憂鬱げな顔でコーヒーに口を付けるルミにかける言葉が見つからずボスもコーヒーカップを持った。
お代わりのめんどくささを避ける為に既に残り僅かなコーヒーを少しだけ飲み、ボスはガラスの向こうに目をやった。
紫陽花の花が咲いていた。昨晩雨が降っていたのかかすかに露が光っている。そして、猫猫がいる。

「ニャ~……美味そうだニャぁ……」

猫猫はべったりとガラスに張り付いて涎を垂らしながらテーブルの上のパンに魅入っていた。
一瞬大人のロマンス小説の様な雰囲気だったはずがここに来て無残にも壊された。

「おーい、オオカミ。オレ様にも一つくれニャ~」
「何? この人外村君の知り合い?」
「……あー、なんつーか、その、まぁ、そうだな」

ボスが再び猫猫の方を見るとガラスの向こうに猫猫の姿は無かった。
諦めたのかと言う安心した気持ちはテーブルの上でガツガツとパンに食らいついている猫猫を見る一瞬の間だけの物だった。

「ニャニャッ!? こっ、これは……マジで美味いニャぁ。良い物食ってるニャ、お前」
「お、おぉ……」
「外村君、誰?」

好意寄りの誰?ではなく、単にこの意地汚く不可解な怪物の存在を知ろうとする様なニュアンスだった。
ボスは、猫猫が帽子でBC団のマークを隠してくれている事に安心した。一般人であんなマークがついていたら怪しい人物だと思うだろう。

「会社の部下だな。あぁ。リストラにあって、蒸発してたって聞いてたんだが。ハハ」
「なんか可哀相な人なんだね。私のパンもどーぞ」

猫猫は礼も言わずに目の前のパンをかっさらって口に運んだ。もはや食べ物しか見えていないようだ。
ボスはこれで猫猫大人しく帰るだろうと思っていたが、

「あっ、あそこにいたって感じー!」
「パン、食う、してる」
「俺らが腹空かしてんのにアイツはー!」

次々に店の中へ元BC団改造猫達がなだれ込んできた。もはやルミは質問を口に出さずボスに困惑した目を向けるのみだった。
結局、ボスはこいつらもリストラされたんだと苦し紛れに言うしかなかった。

「寄こせって感じー!」
「腹減る、猫猫だけ、違う」
「ニャァー! こ、これはオレ様のもんだニャー!」

テーブルの上で暴れまわる改造猫達をなんとかしなければならないとボスはパンを掴んで遠くへ放り投げた。
改造猫らはフリスビーを追う犬のようにパンを追いかけ見せの隅で再度ドタバタとやり始めた。

「もう、出よう」

早くこの場を後にしたいボスは急いで立ち上がった。ルミも察してボスに背中を押されてレジへ向った。
さっさと金を払い、二人は店を出た。少し日差しが強くなっていた。

「外村君って、色んな知り合いがいるんだね」
「……色々あったからな。まぁ、ハハ」

ボスは、頬の筋肉が早くも攣りそうになっていた。













「後、40分ぐらいか。それじゃぁ少し遠回りして帰ろっか」

手首を捻り腕時計を見たルミは、何事も無かったかのように歩き出した。
サバサバしているルミの様子にボスも安心して、あぁと応えた。

「外村君の会社ってこの辺なの?」
「ん、ちょっと遠いな」
「そう、近かったら外観くらい見たかったな」
「見たってつまんない所さ」

ボスは先を歩くルミに追いつこうと歩幅を早めることなくゆっくりと歩いた。
しばらくすると遅れているボスに気が付いたルミは足を止めボスの方を振り返った。

「外村君。どうしたの」
「いや、ちょっとのんびり歩いてみようかってな」
「私と別れるのが淋しい?」
「あぁ、淋しいな。良い女だから」

真面目な気持ちと少しのからかいが混じった口調でボスは言った。

「それじゃぁどこかで少し休憩でもする?」

ルミが微笑んだその背後に白い建物が見えた。ボスは一瞬戸惑いそうになった。

「……馬鹿、こんな真昼に浮気できるか」

ボスは苦笑しながらようやくルミに追いつくほどまで歩み寄っていた。
ルミは、微笑んだままボスを見つめていた。

「私、外村君だったら別に良いよ」
「もっと自分を大事にしろ。馬鹿」
「ねえ外村君」
「行くぞ。放ったらかしにするとエコ怒るんだ」
「外村君……!」

先に進もうとしたボスの腕をツミは掴んだ。ボスとルミと二人の視線が合わさった。
ルミの瞳は少し潤んでいたのにボスは気づいた。

「私、外村君の事ずっと好きだったの。いつかまたどこかで会ったらきっと言おうって思っていて」
「……新山」

ボスは、ルミの目をじっと見つめていた。新山は往来だと言う事も気にせずボスの胸に顔をうずめた。













「飲めよ」

ボスは部屋に入ると下で買ってきたジュースを手渡すとルミは小さく頭を下げた。
白いカーテンを開けて、ボスは籐椅子にルミと向かい合わせに座った。

「少しは落ち着いたか」
「うん……」

ジュースを飲みながら髪をかきあげるルミの姿にボスは唾を飲み込んだ。
しかし、すぐに目を逸らして椅子から立ち上がり窓際へと向った。

「急にあんな事を言うから驚いたぞ。しかもあんな所で」
「……外村君は私の事嫌い?」
「嫌いじゃないさ。驚いたって話をしているんだよ」

ボスの後ろで何かが倒れる音がした。振り返って見るとルミがベッドに倒れこんでいた。
目はまっすぐボスを見つめていた。

「……だったら、どうしてここに来たの」
「ここしかなかったからだよ」
「何をするのに?」
「……学生に戻ると言ったのは新山だぞ」

ボスは背を向けたままベッドに腰掛けた。昔の思い人とこうして二人きりでいる訳だが、
男として絶好のチャンスでもあるのだがボスは普段なら動ける一歩が動けないままだった。

「……外村君」

後ろからルミが抱き着いてきた。長い髪がボスの頬に触れる。
ボスは固くなった自分の体を動かせないまま二人同時にベッドに倒れた。

「ねぇ、外村君。私、外村君の思う通りに……」

ボスは窓の外に視線を投げてビルとビルの間に太陽が光を零しているのを見た。

「ちょっと疲れた。俺、少し寝るわ」
「え……」
「頼むよ」

ボスはごろんとルミに背を向けてそれきり黙ってしまった。

「ごめんね」

そう呟いたルミの声が聞こえたきり、ボスは眠ってしまった。やけに早く眠ることが出来た。












「も~~~!!! ボス酷いよー! 何でオレ置いてけぼりにするんだよー!」

ボスが起きると夕方になっていた。映画館に帰るととっくに映画は終わっていて一人残されたエコがかなり怒っていた。
どうも、閉館まで眠りこけていたようでボスが帰ってくるまで何時間もまったらしい。

「映画も終わっちゃったし、寝てて全然見れなかったし、ボスはオレを一人にするし、酷いよー!」
「悪かったなエコ。ちょっと用事があってな。帰りにどっかでお前の好きな物でも食わせてやるから」
「そんなの関係ないよ! もうオレ一人で帰る!」

ドンドンと足をこれ見よがしに踏み鳴らしながらエコは歩いていった。
ボスは溜息を付いて入り口のシャッターを閉めようとしているオジサンに気付き声をかけた。

「あの、すいません。このフランス映画のラストってどうなりました?」

オジサンは、チラとポスターを見て不思議そうにボスを見た。

「どうなったって。これ、ラブストーリーだよ。別れそうになったけど最後また思いなおすんだよ。駅でね。男が待ち伏せして」
「そうですか。どうも」

結局アテがはずれてあの映画はやっぱりただのラブストーリーだった。
エコを怒らせてそして、昔のクラスメイトにまで……。

「もう少し残しておいてくれても良かったのにな」

歩きながらボスはボロボロの黒い財布を見た。8千円入っていたはずの札入れ部分が1000円だけになっていた。
多分、置手紙の代わりにの彼女なりの思いやりなのだろう。ボスは一抹の哀しさを感じた。
しかし、それは彼女が単なる詐欺師の類に成り果てていた事だけではなかった。ボスが一番哀しかったのは……。

「あのー、尾布市ってどっちですかぁー」

ふと、しばらく歩いたところでエコがシルバーカーを押している80くらいのお婆さんになにやら話しかけていた。
お婆さんは耳が遠いのかエコの声もだんだん大きくなっている。

「はぁ、尾布市はここですねぇ」
「そうじゃなくて、オレの住んでるとこらへんなんですよー」
「昨日から孫が料理教室に通っているんですねぇ」
「だから違うんですってばー」
「えぇ、そうなの。老人会で孫の肉じゃがが評判で評判で」
「あ、それ美味しそうですねぇー」

お婆さんのペースに巻き込まれ始めたエコの肩をポンとボスは叩いた。
クルッと振り返ってボスの顔を見るとふて腐れたような顔をしてお婆さんにまた道を聞き始めた。

「エコ、帰るぞ」
「………」

エコは黙って何も応えなかった。ボスは仕方が無いなと言う笑みを浮かべてそのまま歩き出した。
どうせこのまま放っておいても子供じゃないし、おまけにサイボーグだし、なんとかなるだろう。
しばらくすると後ろからトコトコと足音がする。一定間隔を開けて後をつけて来ている。ボスは少し苦笑した。

そのうちエコも十分見慣れているであろう場所までやってくるとこれ見よがしにボスを走り抜いていった。

「フン!」

これは相当頭にきているらしい。無理もないと言えば無理もないのだが。エコは黙々とアジトへと向って行った。
ふと立ち止まるとボスは、前方にあるコンビニの看板の明かりが目に入った。酒のつまみでも何か買って帰ろうと思った。















『今日は1993年に製作された映画、黄昏は渓谷へ消えてをお送りします...』

その晩も、ボスは缶ビールを片っ端から開けて一人の宴を行っていた。
TVはもはやBGM代わりだった。背もたれにだらしなくもたれて、ボスはビールを飲む。

今日は映画の事でエコをすねらせるわ。昔の憧れの人が落ちぶれた事を知るわ……。

彼女だって人間だ。色々とあったのだ。何があぁしたのかそれはボスの知るところではない。
同級生の近状の話もきっと過去に相手をした人々の話だろう。思い返してみれば出世した人の話しか聞いていない。
ボスもカモにされかけたのだろう。どこでどう変な話を聞いたのか知らないが。用意周到にも程がある。

ボスは彼女の変わり様だけでも十分哀しかった。だが、一番哀しかったのは自分自身だった。
再び財布を取り出してボスは中を見た。5万円が入っていた。銀行から引き落としたわけではない。

『高校の時に戻りましょう』

ボスはルミの言葉を思い出していた。あの言葉を言われたときに確かにボスはそのつもりだった。
だが、こうしてボス自身は財布の金を隠していたのだ。前もってではなく、二人で歩いている最中に。盗まれないように。

一時期、好意を寄せていた人を自分は全く信じなかったのだった。あの頃の自分ならば無防備だっただろう。
ボスは金銭を盗られた事よりも、その事が非常に心に重く残っていた。彼女は昔同様に接してくれていたのに、
心のどこかではどこかに疑心があった。それがなければこの世界ではダメなのだ。嫌な大人になったと思った。腰がまだ痛んだ。

「ボスー……」

ピクッと動いた耳が背後のエコの声を感じ取った。振り向くと、もじもじとしているエコが立っていた。

「あのさぁ、オレ、お腹空いて、眠れなくってー……」

ボスの顔色を窺いながら歩み寄ってくるエコをボスは微笑んで迎えてやった。

「冷蔵庫に冷凍のエビピラフがあるから食うか?」
「う、うん。ありがとボスー!」

ぱぁぁっと表情が明るくなったエコを横の椅子に座らせ、冷凍室から袋を取り出しボスはレンジに入れる。
エコは、バツが悪いせいもあるのか態度には出さなかったが椅子をギシギシと揺らして期待しているのを隠しきれていなかった。

温まったエビピラフの皿を置いてやるとエコはすぐに手をつけなかった。
それもそのはずで、スプーンがない事に気付き、ボスはすぐに取ってやった。

「ボス、映画の事なんだけどさぁ……」
「ん?」
「ボスどこまで見た?」

席に着いたボスオオカミに上目遣いでエコは言った。
ボスはすぐにその意図に気付いてポンポンと頭を叩いてやった。

「話は全部、映画館の人にちゃんと聞いてるから、ちゃんと話してやるさ」
「ありがと、ボス。やっぱりボスは優しいなぁ」
「……そうか?」

缶ビールをまた開けて一気に飲み干すとボスは、横顔に翳を帯びた。

「でもな、お前は俺みたいにクズな大人になるんじゃねーぞ」

エコは急に物悲しい調子で呟くボスの顔を不思議そうに見つめていた。

「オレ、ボスのこと好きだよ」

ボスはしばらく黙っていた。疑心はもちろん無かった。

「……そうか」

ボスの顔から翳が消えて、いつもの様に頭を軽く叩いてくれると、エコもホッとしたように笑った。

「よぉーし、オマケだ! たっぷり食えよ」

ボスは空き缶を握りつぶしてポンとテーブルに放り投げ、つまみの中のするめの束を数本エビピラフの上に載せてやった。
エコは、そんな些細なオプションの付いたピラフを喜んで食べ始めた。

「じゃぁ、まずはどこまで見た?」
「えぇーと、えぇーと……最初からで良いよ!」

既に時計は12時を過ぎていた。誕生日でも同級生に出会った日でもなんでもなくなっていた。
静かな食堂内にスプーンを口に運びながら真剣に話を聞いているエコとこれから壮大な作り話をするボスだけがいた。

「男は、女が誘拐された後、通りすがりのバイク乗りと出会ってな……」