第99話

『影を追う先には -後編-』

(挿絵:イエロー隊員)

『PPPPPPP……』

朝っぱらから、着信音1を鳴らしている携帯。それを取ろうと伸ばした手が台の上を右往左往して、
ようやく目的の物を掴むと、電話の主の名前を見た。「ホラン先輩」だった。

「はい……オレです……先輩……おはようござい……ます」

エコは、眠い目をこすりながら、電話に出る。
いくら眠くても目上の人にはきちんと挨拶するのは族の頃から身に付いた習慣だ。

「あぁ、おはよう。朝早く電話をかけて悪いな」

何やら急いで走っているのか、受話器の向こうの声には、時々バタバタと言う足音やらハァハァと言う荒い息が混じっていた。

「実はね……あ、すいません。乗ります!」
「なんですかー?」
「あぁ、すまない。実はね。今、東京にいるんだが、急遽沖縄に飛ばなくてはならないんだ」
「沖縄ですかぁ……?」

空港のアナウンスらしい声がエコの耳に聞こえてきた。どうやら空港を走っているらしい。

「帰りは夕方になるから、悪いが朝と昼はどこかで済ましておいてもらえないかな」
「そ、そですかぁ。あ、オレなら大丈夫です。今晩はふぐですからね」
「そうか。済まないな。じゃぁ、今から搭乗するから……なるべく急ぐ。じゃぁ、またなエコ」

返事をする前にホランからの電話は切られてしまった。こんな朝早くから、急いで走ったりしているなんて、
そして、外国にも行っていて、そして時々ご飯を食べに連れて行ってくれて……。ホランの凄さをまじまじと感じた早朝だった。

「……先輩、凄いなぁ」

思わず口にも出てしまうほど関心しきりのエコ。パタンと携帯を閉じると虎縞の携帯の色が寝起きの目に眩しい。
単なるメタリックブルーだった携帯を、タイガがこっちの方が格好良いじゃんと、このカラーリングにしたのだった。
ふと、その時の思い出と、昨日の事とが同時に思い出され、元気なく、携帯を台の上に置いた。

昨日、買ってもらったばっかりのチェーンをなくしてしまった事までも思い出し、ますますエコのテンションの低下に拍車をかける。
薄い夏布団に潜ってみても、変に目が冴えてしまい、眠れなかった。

「……テレビでもみよっかなぁ」

独り言を呟きながらエコはベッドから降りて、唯一このアジトでテレビが置かれている食堂へと向った。
さすがに朝早いせいか、朝食係のオオカミしかそこにはいなかった。

「エコ、今日はずいぶん早起きだな。朝飯食うか?」
「食わなーい」

エコはテレビを見るのにちょうど良い席を陣取ると、リモコンのボタンを押してTVの電源をつけた。
良い味噌汁の香りがしてくるが、今晩のふぐの為なのだ。朝食昼食は抜くことにしようとエコは思った。

『今日の英会話講座、日本観光編です。テキスト59ページ、ジョンとマイケルがふぐ料理屋に行く所から』

たまたま付けたNHKのチャンネルの英会話講座でフグの単語が出たのでエコはリモコンにかけようとした手を止めた。
二名の外人さんが、ふぐ料理屋の前で何やら喋っている。何て良いタイミングなんだろう。

『I like globefish. I do not eat the poison of the globefish.I dislike poison』
『Me too』

場面は変わり、美味しそうにふぐの刺身を食べているジョンとマイケル。
エコも、思わず唾を飲み込んでしまう。想像以上に透明で花びらみたいなふぐの刺身も綺麗だ。

『I like globefish. However, I like the hamburger, too.
The reason is because a hamburger does not have poison』
『Me too』

すると、新しく運ばれてきたふぐの刺身をジョンが箸で右から左へ、かき集めるように刺身をすくったとき、
豪快な食べ方にエコも思わずあっ!と声をあげてしまった。マイケルまで、同じようにふぐをかきあつめる。
そして、醤油にどっぷりと付けて、握り拳大のふぐの刺身を美味しく口に入れる。

「あーーーーん」

エコはジョンと同時に口を開けて、くるはずのない刺身を待っていた。
ふぐが二人の口の中へと入っていくと口を閉じる。味すらしないのはエコだけだ。

『I like globefish.HAHAHAHA!』
『Me too.HAHAHAHA!』

狂ったように喜んでいるジョンとマイケルにエコはヨダレを垂らしながら心底羨ましそうに画面を見上げる。
相当、ふぐという物は美味しいに違いない。なんとなく抱いていた期待は遥かに高まっていく。
今晩ホランと一緒にふぐ料理屋に行ったら自分もあんな風に豪快な食べ方をしようと硬く心に決めた。
そう思うと、お腹が空いてきてしまうのは自然の道理。しかし、アジトの粗末な食事にはエコはもう戻れないのだ。
となれば、テレビのふぐで我慢するしかない。

「ヨダレ垂らすんじゃねえよ。きたねえな」

朝食の用意を終えて、二度寝に向おうとするオオカミの忠告も耳には届かない。
ぱっくり口を開けてよだれを垂らし、羨望の眼差しでテレビを見上げるエコの脳内は、もはやふぐしかないのだ。
タイガも人が変わったようになり、チェーンもなくし、朝食も昼食もダメに……。
もはや今夜のフグは、しょんぼりが止まらないエコのたった一つの希望の星なのだ。

「(絶対食べるぞ。絶対オレ、すっごく美味しいふぐを食べてやるんだ……!)」












「あ、レッド。おかえり。どこ行ってたの?」
「ですー」

朝8時。街中を駆けずり回って虎猫が本部に戻ってくると、リビングでパープルとシェンナがアイスクリームを食べていた。
チョコアイスとグレープアイスと、カラーリングも見事にハマっている。

「全員を集めろ。すぐに事件を調べるんだ」

急かすように虎猫は言ったが、二人はスプーンを口に加えたまま眉を寄せた。

「どうしたの急に。まだ、寝ている隊員もいるんだよ」
「クリームも寝てるですー。だからシェンナこっそりアイス食べてるですー」
「ね? もうちょっとしてからにしようよ。何か事件が起これば警察からFAXが来るし」
「…………」

虎猫は、引きずってでも連れ出してやろうかと思ったが、昨晩の虎猫の単独捜査も功を成さなかったわけで……。
ボロを出そうにも、影猫が盗みを一旦休止しているのか、手がかりもつかめず、やはりFAXも届いて無いらしい。

「ま、座って座って」

ソファの一人分開いたスペースをトントンと叩いてパープルは呼んだが、虎猫はテーブルの上に座って足を組んだ。

「アイス食べる?」
「いらない」

虎猫はぶっきらぼうに言い、映っているテレビ画面にチラと目をやった。
早朝のニュース番組では、昨日のスポーツニュースが流れている。阪神が好調だと言う事だ。
だが、それには少しも興味を示さず、テレビのスイッチを切った。

「レッドは何でメイク落とさないんですかー?」

ぽつ、とシェンナは大量にすくったチョコアイスを口に入れながら虎猫に尋ねた。
確かに一日中この格好だから怪しまれるのは当然かもしれなかった。

「……こっちの方が好きだからだ」

と、良い考えが浮かばないので苦し紛れな回答をするしかない。

「確かに、レッドはある意味タイガくんなわけだから親近感が沸くのかもね」
「奇々怪々ですー」
「そ、そういうことだ」
「それに、何か喋り方もなんかタイガくんっぽいしねー」
「奇妙奇天烈ですー」

勝手に、自分の事で盛り上がる二人を見る限り、どうやらうまい具合に誤魔化せたようだった。
だが、虎猫は彼女たちの言うタイガなる人物の事が少し気にかかっていた。
今まで数名から間違えられた自分と似ているらしい謎の人物は誰なのか、日頃疑問に思っていたのだ。

「その、タイガってヤツ。どんなヤツだったか忘れたから……教えてくれ」

この際、レッドとして変装している機会に思い切って二人にそれとなくその疑問をぶつけてみた。
さすがに、変な顔をされてしまったがそれを堪えてじっとパープルの目を見る。

「えぇっと。ホラ、虎猫の男の子で。一応カッコイイ顔してるけど、すごいスケベで……」
「おバカで、ちょいナル入ってるですー。シェンナとカタツムリ食べたですー」
「始めは、レッドだったんだけど、何か分かれて、野性に返ったんだよ」
「でも、しぶとくレッドにこびり付いていたんですー。たまに二重人格みたいになってたですー」

虎猫は話を聞きながらどんなヤツかまとめてみたが、不可解な情報もあり、ハッキリとした人物像を掴みにくかった。
だが、どうやら自分とは比べ物にもならないダメで格下のヤツだと言うことは何となく理解できた。

「そいつは、今、何やってるんだ」
「やだなぁ。レッド」
「知らばっくれてやがるですー」
「何だ?」

パープルもシェンナも、苦笑しながら一人困惑している虎猫を見た。

「BC団に改造されちゃって、今、改造猫やってるじゃん」
「虎猫くんですー」

虎猫は、二人の言っている意味が解らずに戸惑ったが、すぐに自分がバカにされているのだと思い、
脅しのつもりでドン!と机の上を拳で叩いた。アイスのカップがカランと乾いた音を立てて転がっていった。

「真面目に答えろよ!」
「シェンナ、まじめにふまじめですよー!」
「どうしたの、そんなタイガくんのことでムキになって。どうかした?」

虎猫は、パープルに諭されるように言われると口をつぐんだ。
確かにこんな事でバレては元も子もないのだ。静かに息を吐き、一応、落ち着きを取り戻す。

「っとー……。とにかく、ちゃんとした答えを聞きたいんだよ。そのタイガの居場所をさ」
「だから、BC団の改造猫になったですー」
「虎猫くんね。蝶ネクタイの代わりにトゲトゲーな首輪とか付けちゃって」
「絶対日常生活に支障が出るですー」

虎猫は、また怒鳴りそうになったがここは冷静に。と自分に言い聞かせた。

「でも、その、虎猫はウィック様に拾われて育ててもらったって言ってるだろ」
「そんなの、洗脳装置でラクチンぽんですー」
「私たちがわかってるもん。違うこと」

パープルがそう言うと二人で同時に「ね~?」と声を合わせていた。
虎猫は色々と反論したかったが、『もしかしたら……』と言う疑惑がぽつ、と芽生えていた。
だが、必死にそれを否定して、キッとパープルを睨んだ。

「しょ、証拠はあるのか?」
「ん~。あ、ホラ、これ前にとった写メ」

ごそごそと、どこからか取り出した携帯電話を開けて、タイガの映った画面をパープルは向けた。
それは、改造される数ヶ月前にタイガが送ってきた、自分の写真だった。キリッとした目と良い、
不敵な口元と良い、いわゆる勝負顔を送ってきているようだった。

「どこからどう見てもタイガくんでしょ。だって同一人物だもん」

虎猫は携帯を奪い取ってまじまじとその写真を見た。第一印象はスカしてそうな野郎だなと言う事だった。
パープルの言うとおり、確かに顔付きは似ている。だが、どうしてもこれが自分だと言う事は信じられなかった。

「こんなヤツとどこが似てるんだよ。虎猫は、ちゃんと色々覚えてるって言ってるし」

上手く、地を出さないように気をつけながら虎猫は携帯をソファに投げた。
自分の中には、ウィックとの出来事や、改造猫になるまでのちゃんとした記憶があるのだ。

「だからね。そんなの、操作とかされたら簡単なんだって。よくわかんないけど」
「このセリフだけ見たら凄いシリアスですー」
「嘘だっ!」

虎猫は思わず立ち上がって叫んでいた自分に気付いた。すぐに座りなおすが、鼓動が高まっていた。
何か言い訳の言葉を言おうとするが言葉が出てこない。

「レッド、どうかしたの?」
「きっと恋ですー」
「な、何でもない」

そう言って部屋から飛び出す虎猫をパープルは心配そうに見つめていた。
その間に、もしかしたら……と言う小さな疑惑がパープルの心中にも生まれていた。











「人は誰も海求めて 空に漂うカモメ~♪ そして波まかせ Oh My Mermaid~♪ 喉渇くまで……」

ちょうど同じころ、レッドたちのいるライブハウスでは、朝からレッドが歌詞を前に歌を歌わされていた。
歌詞に皆で一晩中メロディーを付けて、ようやく完成したのだ。

「水の中じゃ 素顔に 口付けできなぁ~い。 ウナギのような美味しさに I know 怯えてるぅぅ♪」

目を覚ましたジョーズやパールも加わり、改造猫も自分達の力作へ感慨深げに耳を澄ましている。

「メバル焼ぁ~けたぁ~時からぁ~タチウオ焼けなぁ~い♪ 鏡のような海の中で~♪この下はいつの日も…サメ~♪

歌い終えると、割れんばかりの拍手が朝っぱらからコンクリート部屋の中で響く。
改造猫も思わず拍手してしまっていた。皆の力作だ。

「俺、泣けてきた。ロックだよ。これはロックだよ!」

ライオン担当のパールが涙を拭きながら、鼻水をかみながら、感激していた。
レッドはラストの行しか担当していないが、なかなか感動的なメロディラインに自分の中で自画自賛。

「よし、タイトルは"SAZANAMI"だ。ジュンもきっとこの曲の完成度の高さを悔しがるぜ!」
「さざなみか。綺麗なタイトルだな」
「ボクとしても、文句はないのさー」

すっかり一晩で、フレンドリーになってしまった改造猫とビーストズの面々たち。
きっと、第三者が見るとまさか、正義の味方と悪者と、一般人が混雑している場だとは思わないだろう。

「ま、わりと面白かったな」
「だろ。今度変猫と化猫のバンド、聞きに行かせてくれよな」
「は?」
「何のことなのさー?」

すっかり、場に馴染んでいたせいでレッドはしばらく黙って聞いていたが、すぐに本来の関係図を思い出し、
何も変わらないごく普通の窓の外を指差し、

「あ、あーっ! 波の谷間に命の花が二つ並んで咲いている!」
「なにっ」
「どこだどこだ?」
「ちょ、ちょっと、僕ら散歩に行って来るね!」

古い手による誤魔化しを使い、気を逸らせた所でレッドは変猫と化猫の腕を掴んで部屋を飛び出した。
外に出ると、急に走って寝不足のせいか立ちくらみを起こしそうになった。

「何だよ。虎猫」
「せっかく楽しくやってたのにさー」
「か、影猫だよ。影猫! オレ、すっかり忘れてたぜ。にゃはーw」
「あ、そうか」
「そうだったねー」

レッドも今まですっかり忘れていたが、一晩ライブハウスで敵と歌を作るために、
わざわざこんな敵の格好をしているわけではないのだ。すっかり忘れていたが。

「とりあえず、今日は街を歩いて、事件がないか見ていこうぜ」
「え? あいつらは?」
「そ、それは関係ないだろ。今は」
「意味わかんないのさ」

レッドは、とにかく二人を進ませようと背中を押して歩かせた。
しかし、いつまでこんな事が続くのか。いつまでごまかしきれるのか……。
どうせならば、昨日のあの和気藹々としたままでいられたらどれだけ助かることだろう。










「どこだ……どこだ……」

BC団アジトに早く帰った虎猫は、ウィックに気付かれないように改造室をかき回していた。
戦闘員ロボットの灰色猫も停止させ、黙々と虎猫はある物を探そうとしていた。

変猫の時や化猫の時も、一応、改造する際に一旦、身に着けていた物やその他所持品を箱に入れて、
処分する云々と言う事があった記憶があるのだ。まだ処分されていなかったとすれば、もしかしたらその中に……。

「これか……」

部屋の隅に積まれている色褪せたダンボールの中から、服や財布類が入っているのを虎猫は見つけた。
いかにも不良学生風の学ランやら、高そうなカメラやら、参考書、何故かキャットフードまで入っている。
多分、過去の改造猫達の所持品なのだろう。虎猫は、その中から目的のものを探そうと、乱雑に中を探り始めた。
見つかるはずは無い。しかし、もし見つかったら……。虎猫の頬を汗が滑っていく。

次々と出てくる携帯電話、鍵、紙くず……。適当に放り込んだのかゴミらしき物も多々ある。
一つ一つ見て言ったが、虎猫の探し物は全く見つからず、大きく安堵の息を吐いた。

「当たり前の事だな。オレも馬鹿な事を考えた……」

散乱している物を全てダンボールに入れなおし、元の場所へと戻した。こんな物はとっとと処分してしまうに限る。
安心すると、OFFレン本部での出来事を思い出し、腹が立ってきた。

「あの女……。オレを小馬鹿にしやがって」

ガンと足元のダンボールに蹴りを入れ、虎猫は安心してアジトを出た。
灰色猫の停止を解除し、ウィックにもまだ気付かれていない事を確かめて……。

「……まだ洗脳が足りなかったか……」

だが、正しくは"気付かれて無いと思い込んで"だった。









「おーなーかーすーいーたーなー……」

ベッドの上でゴロゴロと転がりながら、余りに余っている時間をエコは持て余していた。
ただでさえ育ち盛り(?)だと言うのに、朝も昼も抜くのは辛い。
サイボーグなのでお腹はならないが、しっかり空腹感は感じている。だが、これもフグのため。

「はぁ。暇だなぁ」

時間がこんなに長く感じるとは思わなかった。今日に限って昼のドラマも特番やら何やらで潰れている。
暇で暇で仕方が無い。下手なクロールなんかをやってみる。枕をハンドルに見立ててバーチャルバイクなんかもやってみる。

『PPPPP……』

そんなおかげで、しばらく鳴っていた携帯の着信音1にエコはなかなか気付けなかった。
やっと気付いて、携帯を手に取ると、単なる迷惑メールだった。よくある事なのでそのまま台の上に戻そうとする。

が、ふとエコは、久々にタイガに電話してみようと思い立った。
タイガがいなくなってしばらく電話やメールをしていたが、音沙汰もないので諦めてそのままになっていた。

「っと、たしか先輩の番号は……」

昨日、久々にタイガに会えた事も手伝って、もしかしたら。と思ったのだった。
ちゃんと繋がっているようで、かけてみるとプルプルプルと音はする。だが、そのまま留守電サービスに接続される。
いつもの事なので、そのまま台の上に戻す。しばらくして、もう一度かけてみるが結果は同じだった。

「タイガ先輩もフグ好きなのかなぁー……」

エコは、また後でかけてみようと思った。何だか、近々本当に出てくれそうな気がした。











「ちょっと待ってくださいよぉ。FAXゼロって何ですかそれは」

昼3時。虎猫も戻り、皆、起きて来て、さらに実家から転送装置で駆けつけた隊員らも一通り集ったが、
期待の綱の事件のFAXが全くと言って良いほどゼロだった。念のためコードの確認もしたがやはりゼロだ。

「警察に電話しましたが、これと言ってまったく事件が起きていないそうです」

携帯を切ったクリームからの情報にもよるとどうやら本当に事件が起きてないらしい。
まさかここまで来て迷宮入りなのだろうか。隊員たちの間に不安が広がる。

「レッドどうしましょう?」

お手上げ状態の場合、隊長にふられるのは当たり前で虎猫は、さほど動じることはない。
さらに、自分はタイガではない事が解った安心感で、よりレッドの変装に集中できる。

「そうだな……」

虎猫はチラと、自分を少しでも悩ませたパープルを睨むように一瞥した。、

「新しく来る事件は待つしかないし、今までの事件をもっと詳しく調べたら良いんじゃないか」
「なるほど、それもそうですね。捜査の基本を忘れてました」
「さすが隊長っすねー」

フフンと誇らしげに虎猫は胸を張った。自分はウィック様の命令に忠実なる優秀な改造猫であって、
こんな事は思いついて当然なのだ。OFFレンも馬鹿で助かる、こんなヤツらなら倒すのも簡単だ。

「じゃ、とりあえず事件の関係者を洗いましょうか」
「そういえば、寿司屋にエコとホランが来てたっつってたね」
「あ、そっか。だったら二人が何か見ているかもしれない」
「なるほど」

身近な関係者がいる事をすっかり忘れていたグリーンは、ポンを手を打って隊員達に手を差し出した。
突然、手を出したので、隊員達はグリーンがなにをしたいのか解らず顔をじっと見る事しか出来ない。

「ケータイですよケータイ。私はエコの番号なんか知りませんからね」
「でも、グリーンはホランくんの番号知ってるんじゃ」

ピンクに言われてグリーンは突如、顔を青くして声を細めた。

「……あの人、私から電話がかけると泣き喚いて喜びますからね……イヤなんです」
「あ、じゃぁ、エコくんからにしよう。エコくんの電話番号知ってる人ー!」

グリーンの鬱加減を少しでも和らげようとピンクが気を聞かして、いつにない元気さで皆に呼びかけた。
だが、誰も手を挙げず、周りの隊員の顔を見回していた。

「普通はねぇ、エコに電話なんかかけないし。悪者だし」
「アタシも全然知らないなぁ」
「って言うかエコってケータイ持ってんすか?」

誰も知らなければ仕方が無いのでオオカミ軍団アジトの固定電話の方にかける事になった。
固定電話は一応、知っているのでかけることができる。正義の味方が敵に電話をかけるのは解っていても変な気分だ。

「ハイ、オオカミ軍団」

ザコオオカミの声がすると、すぐにOFFレンだと告げ、エコを呼んでもらった。スムーズすぎて敵対関係だとは思えない。
オルゴール調の保留音がしばし流れると、しばらくしてエコの間の抜けたような、とぼけた声が聞こえてきた。

『なぁーにー? オレに何か用ー?』
「エコですね。実は昨日のお寿司屋の事でさらに聞きたい事があるんですが」
『大トロが凄く美味しかったんだ。オレ、あんなおいしいの初めて食べた』

なにやらヨダレをすする音がして、グリーンは思わず電話を耳から放した。

「そんな事じゃありませんよ。羨ましすぎて聞く気にもなれませんね。ハンッ!」
『えー。じゃぁ、なんだよー』
「昨日、そこの寿司屋でレジのお金が盗まれる事件があったって言いましたよね」
『だ、だからオレじゃないってー! あんな美味しい寿司食べさせてもらって、何で盗むんだよー』

慌てながらエコは自分にかかっているらしい疑惑を否定し始めた。
グリーンは心底めんどくさそうに、溜息を吐く。

「誰も、エコなんか疑ってませんよ。第一、エコだったらどうせすぐに見当つきますよ」
『昨日は悪エコにだって一度もなってないんだ。ホントだってー』
「だから、誰も疑ってませんて。私達は、ただ、怪しい人物とかを見なかったかと聞きたいんです」
『……そ、そうだなぁー。あの時はオレと、ホラン先輩と、大将がいて、他は、誰もいなかったよ』
「エコと、ホランと店の大将しかいなかったんですね」

グリーンは側のメモ係に伝える為にまとめながらエコの言葉の内容を繰り返した。
ちょうどその頃、FAXの受信音がして、側にいたイエローがFAX機に向う。

「怪しげな音とかは聞きませんでしたか?」
『音? えぇと……車の音?』
「車の音? それは、どんな音でしたか」
『え、普通だよ。店の前を通っていく、車の音』
「……あのですねえ。私は身の回りの全ての音を教えろと言ってるんじゃないんですよ」

語調を強くしながらそう言うと、エコも察したようで電話の向こうからうんうんと唸り声が聞こえてくる。

『……オレ、何にも聞こえなかった……と思う』
「ならそれで良いです。では、店を出た時はどうでした?」
『出た時はすぐ、車に乗ってアジトに帰ったよ。OFFレンもその時、来たでしょ』
「ふーむ……」
『その後、先輩とレストランに行ってステーキ食べたしー』

グリーンはどうやらエコの目撃証言を聞いても何も事件の糸口は掴めないなと思い始め、
メモ係のブルーに首を振って、やめるように促した。

『それから先輩とデパートに行って、くさり買ってもらったんだけどー』
「あぁ、ハイハイ。レストランにデパートですか。楽しい日でよかったですね」

グリーンが電話を切ろうとすると、突然、イエローがFAX用紙を持ったまま走って来、携帯を奪った。

「すいません。エコくん。あなたのいたそのレストランとはどこですか?」
『ふぇ。……えぇとえぇと、高いビルの中にあるレストランだよ』
「もしかしたらスカイビル尾布のサピドって言うレストランですか」
『多分、そうだと思う。わかんないけど』

イエローを不思議そうに見る隊員と、急に携帯を奪われて訳が解らないグリーン、「あぁ」と声を漏らすクリーム。
ただ一人、電話を聞いているイエローの顔は何やら確信を掴んでいるかのようだった。

「では、そのチェーンを買ったと言うデパートは、関急百貨店ではないですか」
『えっと……わかんないけど。でも、入り口の所に大きい……』
「入り口に、大きなイルカのオブジェがあるんですね?」
『う、うん……何で知ってんの?』
「いえ……最後に、一緒にいたホランくんは今、どこにいますか?」
『え? 先輩なら沖縄だよ。夕方に帰るって言うから、オレ、朝ごはんもt』

イエローは電話を切り、携帯をグリーンに返すと自信満々の笑みで隊員達を眺めた。

「どうやら、犯人に近づいたかもしれませんよ」
「どう言う事?」
「……読みます」

まったく意味が解らない隊員たちを前に、イエローは先ほど送られてきたFAXの紙を目の高さまで持ち上げた。

「昨夜、ホテルリバーサイドでKGVコーポレーション社長が何者かに襲われ、ロレックス一品、財布が同様の手口で盗まれる。
社長の話だと、襲われる数分前まで、ホワイトタイガーエンタープライゼス社長ホラン氏と話し合っていた模様」
「えーと……つまり……?」
「昨日の不信な被害場所には全てホランくんが関わっているって事ですね」

まだ解らない隊員のために補足するようにして、クリームが呟いた。

「そう、不信なあの3点を思い出してください。寿司屋、レストラン、百貨店。全て、エコが行った場所だそうです」
「あっ」
「そして、最後の一点、昨夜のホテルにはエコはいません。いたのは、ホランくん」
「ホントっす。偶然にしては出来すぎてるっすよね」

隊員達の間にざわめきが立つ。確かに怪しさ満点だ。

「だったら、ホランは何の為に?」
「……もしかしたら、ホランくん。実はホントに改造猫になっていた……とか?」

ホワイトの言葉に会議室は一瞬、静かになった。よく考えてみれば、以前の事件で間違いが判明したと言っても、
ホラン自身の発言のみで納得しただけでホランの改造猫疑惑が客観的に証明された訳ではないのだ。

「あ、それによく見てくださいよ。この被害場所の直線、ホランの会社のビル周辺から伸びてるじゃないですか!」

やけにイキイキとしているグリーンの発言に、隊員達もあっ!と声をあげて地図を見た。
確かに、どれも先っぽにはホランの会社のビルが存在している。どうやら、ホランが大きく関わっているのは間違いない。

「こんな簡単な事を今まで気付かないなんて……」
「これは、もう、重要参考人クラスになってきましたね」
「エコくんの話によるとホランは、沖縄で。帰るのは夕方だそうです」
「あ、フグを食べに行くと言ってました」
「だとすれば、関西空港に着いて……会社にいるのは夜の7時頃でしょうか」
「ならば、その頃を見計らって殴りこみですね」

だんだん事実に近づいているのを肌で感じ始めた隊員たちの間には久々の緊迫した緊張感が張り詰めていた。

「レッド。では、そんな感じでいいですね?」
「あぁ。そうだな」

虎猫はそう言って、席を立った。だが、誰もその事を気にせずホランの会社にどう乗り込むかと言う話し合いに熱中していた。
ホランが隊員たちの言うような存在ではない事を知りつつも虎猫は黙っていた。
だが、ここに来て影猫の作戦と言うのを理解し、密かに笑みをこぼした。















「……どこだ。どこだ……!」

影の中を駆け抜けて、影猫は尾布市内を走り回っていた。このままではあの扉を開く事は決して出来ない。
早く見つかるかと思えば、もう予定以上の時間を使ってもまだ見つからない。

昨日から舌打ちが止まらない。あれほど完璧に計画した作戦だったと言うのに、こんな所で……。
なんとしても今日中には見つけなければならない。だが、何故か気配が昨日からパッタリと消えてしまっているのだ。
もしかしたら、遠くにいってしまったのだろうか。いや、まだ解らない。だがもし……

影猫は、焦りと苛立ちに無我夢中で街中を駆け回る。何度同じところを探し回った時だろうか。

「……影猫」

突然、名前を呼ばれ影猫は足を止めた。そこは、とあるアパートの裏手にある駐車場の隅だった。
影の中から顔を出すと、虎猫が待ちくたびれたように息を吐き、自分を見下ろしていた。

「やっと見つけたぜ。どれだけ走ったと思ってんだ」
「どうしたんだ。その格好は」
「ちょっとな。情報収集のための変装だ」
「……まぁ良い。オレに何の用だ。オレはキミに構っている暇は無いんだぞ」
「ふーん。そうか。せっかくお前が探しているヤツの居場所を教えてやろうと思ったんだがな」

影猫の表情がかすかに動いたのを虎猫はしっかり見ていた。頭だけ出していた影猫の影は、
アパートの壁へ移り、シルエットそのままの形で姿を現した。

「何故キミが……」
「おっと。その前にお前の計画をオレにも教えてもらわねえとな」

開口一番に、居場所を聞こうとした影猫に人差し指を振り、虎猫は交換条件を出した。
言われたほうもすぐに意図する事が解り、しばし黙った後、力なく言った。

「……何が欲しい」
「フン、さすが影猫だな。おかげで、わざわざ言う手間が省けたぜ」

影猫から鋭い目を向けられ、虎猫は笑い転げたいほどの優越感を味わった。
それは、自分に僅かでも敗北したと言う証でもあるのだ。

「この作戦の成果は、お前とオレの二人の物にするんだ。仲良く折半。どうだ」

影猫は、憎らしげに虎猫を睨みつけたまましばらく答えなかった。
だが、その時間がいくら長かろうと、結局、納得せざるを得ない事が解っているのだ。

「確かなんだろうな」
「あぁ、多分お前の作戦とやらを詳しく聞けば、間違ってないと思うぜ」

虎猫は、ここからかすかに見えるホワイトタイガーエンタープライゼスビルを指差した。
それの指先の物を見るまでもなく、

「……良いだろう。条件を飲んでやる」

悔しさとも諦めともつかぬ調子で影猫は言うと、虎猫は大きく息を吸い込み、しばしその余韻を楽しんだ。

「ならば、契約成立だな」










ようやく寝付けた所だと言うのに携帯の着信音が部屋に鳴り響いた。
ふぐを豪快に食べまくろうとしている夢を見ていたエコは、うっすらと目を開け、口元のよだれを拭いた。
携帯を取り、見ると「ホラン先輩」からになっている。その5文字を見るだけでエコの寝ぼけ眼はしゃっきと目覚める。

「は、はい。オレです!」
『エコかい。ようやく仕事が片付いたよ。今、空港だから7時にぐらいにはそっちにつくと思う』
「はい。じゃぁ、オレそれぐらいにそっち行きます」

エコは台の上の阪神タイガースの時計を見ると午後6時10分になっていた。

『いや、まだ帰って少し準備をしないといけないから、7時20分ぐらいで構わないよ』
「えぇと、でも、オレ待つくらいなら大丈夫です。オレ、待ちきれないんですよー」

早くフグ料理屋に行きたくて行きたくてうずうずしているエコの様子は声からも察する事ができたのか、
ホランのフッと言う笑い声が受話器を通して聞こえてきた。

『そうか。それなら、それぐらいに来てしばし待っててもらおうか』
「は、はい。わかりましたぁー」
『じゃぁ、また後でね』
「はい。ホラン先輩、よろしくおねがいしまーす」

電話が切れると、携帯をベッドの上に放り投げてエコは枕に顔をうずめ、ジタバタとはしゃぎ始めた。
お腹の空腹加減もそろそろ限界だったので、いよいよこの時が来るのかと思うといても経ってもいられない。
枕から顔を放して見ると、噛んだ後があった。寝ている間に食いついていたらしい。

「あー、早く7時来ないかなぁー……」

起き上がろうとすると、少し体がふら付いた。さすがに朝から何も食べてないのは辛い。
ご飯はサイボーグであるエコの動力源なのだから、ある意味ギリギリになっている訳で。
とりあえず、今はベッドに横になって無駄な体力を使わないに限る。

「あ、そだそだ」

すっかり忘れていたタイガへの電話。履歴からそのままかけて見るがやはりダメだった。
仕方が無いので、そのまま携帯を枕元に置き、寝ないように気をつけながらじっと天井を眺める。

天井にふわふわとふぐが泳いでいるように見えてよだれが出ているのも気付かない。
だが、その幻覚のおかげで寝ないで済むだろうとエコは思った。













午後6時50分。街中をブラブラしていても何も見つける事が出来なかったレッドと改造猫たちは、
疲れて植え込みの周囲を覆っているレンガに腰を下ろし、休息を取る事にした。
皆、疲れきっているのか無言で、ただ溜息だけが聞こえてくる。

「もうダメだな。ウィック様もお怒りになるだろうし」
「なるに決まってるのさ」

変猫の言葉で堰を切ったように化猫も愚痴をぽろりと零した。
気を使ってレッドも左右にいる二人の肩をポンと叩く。

「まぁ、そんな暗くならなくてもいいじゃん。未来は明るいよ? にゃははw」
「全然暗いのさー。ボクはさぁ。カリスマ美容師になろーと思ったのにさー。改造猫になって、
こんなタヌキ顔にされて、もう、普通の生活もままらいかもだし。うっ、うぅ……辛いのさぁ……」

どんよりとしたオーラが、化猫を包むとそれはレッドを飛び越して変猫にも伝染したのか、

「……お前はまだ良いさ。俺なんか美大生だったんだぜ。現代アート界は俺が席巻するって意気込もうとしてたら、
改造猫になってよ……。あーあ。卒業もまだだったのに……」

両手に枯れた花を持っているような居心地の悪い雰囲気にレッドもどうするべきか悩みに悩む。
悪者でありながらも、この二人だって元々は一般人だった訳で。慰めようにもかける言葉が見つからない。

「あーあ。BC団追い出されたらどうすりゃいいのさー」
「聞いたところだと前の改造猫たちは、どん底同然の暮らしをやってるらしいぜ」
「そんなのっ、そんなのボクには耐えられないのさ……」
「俺だって嫌に決まってんだろ」

二人の二度目の溜息は、ユニゾンになって車道の方へと飛んでいく。夕陽が沈むごとに、二人の気持ちもどんどん沈んでいきそうだ。

「た、溜息をつくと幸せが逃げちゃうぞー☆」

そんな、変な励ましの言葉も当然二人には通じず、再び二人のハモった溜息で一蹴されてしまった。
こんな暗い二人と一緒にいるとレッドまで暗くなってきてしまう。

「さっきのヤツらと歌作ってるときは久々に楽しかったのさー……」
「そうだなぁ。等身大の俺だったな。あの時は」
「あ、まぁ、クリエイティブだしね」
「これからどうなんのかなぁ。俺ら……」

また3度目の溜息が吐かれそうになり、レッドは立ち上がってパンと手を叩く。
何か励まそうと言うつもりだったのだが、見切り発車すぎて単に意味のわからない行動になってしまった。

「ややや! そこにいるのはブラックキャット団ではあーりませんか!」

目の前の事態に困り果てているレッドは背後の声にしばらく気づかず、目下の変猫と化猫が殺気だって立ち上がるとようやく気付いた。
同僚たちが、同じく殺気だってこちらを睨みつけている。自分はただの変装なので、一番心中は穏やかだったが、
グリーンの横に、ビーストズの自分の格好をしている人物が立っている。

「あっ!」
「あっ」

レッドと向こう側にいる謎のレッドは同時に互いの存在に気付き、無言で見詰め合っていた。
レッド本人は相手が誰かは知らず困惑している。レッドに成りすましている虎猫は、レッドを始末してない事に苛立っているようだった。

「あなた方がいるって事は、どうやらブラックキャット団が関わっているのは間違いないようですね」
「何の話だ。俺らはな、ここで休憩してただけだぜ」
「ほほう。こんな尾布市で最も高いビルのまん前でですか?」
「へ?」

レッドたちが振り返ると、雲まで突き抜けていそうな、でーんと高いホワイトタイガーエンタープライゼスビルが建っていた。
だんだん視線の位置が下降してきた改造猫たちにはこの巨大な塔は見えなかったのだった。

「ここで会ったが1号ぶり。変猫、化猫、虎猫と、まとめて泣かしてやりますよっ!」

グリーンは隣の虎猫の腕を掴み、ドンと前に押した。

「ウチの隊長、レッドがね!」
「何だと、こっちこそ、なぁ」

変猫と化猫に両腕を掴まれたレッドまでも、ドンと前に突き飛ばされ、レッドVS虎猫が対面した。
不敵な笑みを浮かべるレッドの格好をした虎猫。相手が誰か解らずオロオロしている、虎猫の格好をしたレッド。
この、ややこしい状況に、両者はただ、睨み合って睨み合って……。

「こ、この偽者めーっ!」

先に飛び掛ったのはレッドだった。とにかく捨て身で体当たりして虎猫を押し倒す。
負けじと虎猫も、レッドの体を掴んで横に倒し、自分が上に圧し掛かる。またもレッドは負けじと同じ事を行う。
そのまま、改造猫と隊員たちに見守られながらぐるぐると地面を転げ回りながら叩いたり噛付かれたり締められたり。

「レッドはどっちでしょぉ~か!? ……ってやってる場合じゃないですね。加勢しましょう!」
「加勢大周ですー!」
「俺らも、行くぜー!」

遂に、両者入り乱れて、往来での乱闘乱闘。遥か昔、ケンカから始まり、合戦、そして世界大戦……。
数々の目的のために続けられてきた争いと言う名の集大成とも言える戦いが、ここ大阪の地で繰り広げられていた。

「レッド、レッドはどこですか」
「僕はここだよー」
「お前は虎猫だろうが、オラッ!」
「痛い痛い、髪を引っ張るなぁー」
「ちょっと待って。グレーがいない」
「今日は来てないよ」
「尻尾を踏んだら戦えねーだろーが!」
「僕レッドなのにぃぃ!」

少年少女の乱闘を好奇の目で見る人々が通り過ぎるが、そんな目はもう慣れている。
OFFレンも、正義を守るために必死だし、改造猫たちは改造猫たちで、生き抜くために必死なのだ。
そんな触るもの皆、傷つけていきそうな状況に、運悪く鼻歌を歌いながら歩いてくるのは、エコくんだ。

「ふんふんふーん♪ ふんふふふーん♪」

今、地球上の誰よりも幸せなエコは、チラと玄関前の乱闘を見たが、
そんな事は、ふぐの幸せの前では取るに足らぬ些細な出来事なので、さほど気にせずビルの玄関をくぐる。

「待て……」

自動ドアが開こうとした時、誰かに呼び止められた気がしたエコ。振り返って見ると誰もいない。
乱闘はまだ続いているが、彼らではない。もっと静かな感じで……。

「見つけたぞ……!」

再び声がした時、エコの背後から、覆いかぶさるような黒い影が伸びてきた。

「わーーーーーーーーーーーーっ!」

エコの悲鳴に、乱闘していた隊員達も思わず動きを止め、声のする方を一斉に見つめた。
額にはBC団のマークをつけた青に黒の縞の猫がエコの首に腕を廻してがっちりと捕まえていたのだ。

「影猫!」
「ずるいぞ!」

変猫たちからのガヤガヤと言う言葉を聞き流し、汚いものでも見るような眼で影猫は彼らを見た。
それは、敗北した者はもはや価値は無いとでも言わんばかりの目だった。

「その、黄色い瞳。忘れたくても忘れられないその瞳こそが証拠! あなたホランですね! 」

傷だらけのグリーンがやけに元気良く立ち上がりビシッと指を差す。
落ち着いた雰囲気、気品の良さそうなたたずまい。それに絡んでくる妙な物々しさは、ホランそのものと言っても良かった。

「違う」

だが、影猫はもったいぶる様子も見せず、あっけなくグリーンの発言を一蹴した。
すると、まっすぐ伸びていたグリーンの人差し指の第二関節がぐにっと下に垂れる。

「あ、あれ……」
「オレはブラックキャット団改造猫、影を自在に操る、影猫!」

影猫がパチンと指を鳴らすと、すぐさま隊員達、改造猫達の足元の影がマンホールの様な形になった。
かと思うと、触手の様な無数の細い影が伸び、彼らをガッチリと縛りつけた。ほんの一瞬の出来事だった。

「うわぁ、ザ・カゲスターみたいだぁ!」
「関心している場合ですかレッド!……ってあなたは虎猫ですか」
「ってか、何で俺らまで縛るんだよ影猫!」

影猫は苦しそうにしているエコをグイと持ち上げ、ようやく自分の作戦が成功に近づきつつあるのを
確信したように笑みを浮かべた。牙が怪しく光った。

「この作戦は全て、あなたの仕業だったのですね。影猫っ!……って、狂言回しの役ばっかですね私」

影猫はますます気を良くしたのか、フンと鼻で笑い、ホランのような流し目でグリーンを見た。

「その通り。これは全て俺の計画。完全犯罪だ。だが、それを教える訳には……」
「このビル影と同化して、その影の中に入った建物や人々から金品を奪ったんですね」

作戦を全て理解したらしいクリームの言葉に、影猫は、ほうと息を漏らし関心した様に彼女を見た。

「……キミはなかなか頭の回転が良いようだね」
「はなせぇー! ふぐー!」
「基本となる発想は私がやりましたよ!」

一番隅で縛られているイエローも食いつくように叫んだ。が、単なる自己主張に終わり、スルーされた。

「それなら昼から夕方にかけてどんどん影が延びていくのも説明がつきますし、北や東には一切被害も無いのも頷けます。
大金のあるはずの銀行を襲わなかったのは影が届かなかったんでしょう。半分の金庫も、半分しか金庫に影がかからなかったんでしょう」
「フフ、その通り。誰にも気づかれないままありがたく頂戴する完璧な作戦だろう?……だが、不覚だった」

ジタバタしているエコを頭上に持ち上げ、影猫はサッと爪を伸ばした。

「……最も影の短い正午に、このビルの屋上から飛び降りて、影と同化する瞬間に一瞬、影をかすめたヤツがいる。
せっかく、車や人がいないのを見計らって同化したと言うのに、おかげで一部が分離してしまった」

影猫の爪は石段に映るエコの影の中へと入れるとそのまま鍋をかき回すかのように腕を動かした。

「……その為に今の俺は完全体ではない。盗んだ物を取り出すこともできない。あの日、正午にいたコイツのせいでな」

影猫は、そう言いながらエコの影の中を探っていた。少し影猫の表情に不安の翳が差す。

「じゃぁ、エコが、その影を……」
「そう言う事だ。だが、もう心配はない。ここにある……ここに、ある……」

影猫の表情が徐々に曇っている。さっきからエコの影に手を入れながらその目的の物が何も出て来て無いらしい。

「ど、どういう事だ……確かに、ここにあると……」
「ふぐーーー!」

突然、影猫の腕に、エコの金属製の歯がガブリと噛付いた。ふぐのあまりもの焦らされ方に、目が『食』になっている。
さすがの改造猫でも、金属のよぉく尖った歯に噛付かれ、平気なわけはなかった。

「つっ!」

エコの体は影猫の腕を離れ、どんと尻餅をつく。だが、そのまま急いでビルの中へと駆け込んでいった。
同時に、気も途切れたのか隊員たちを縛っていた影が元に戻り、ただの影へと帰っていった。

「クソッ! コイツ……」

腕を押さえたままよろける影猫に、隊員達は武器を取り出して突進していった。
さすがの影猫も危機を感じて、さっと飛び上がると、影の中へと溶け込んでいく。
足で踏みつけようにも単なる影なので、ダメージを受けない。それに、どこかの影へと移動しているだろう。
尾布市内のどこかの影にいるはずだ。グリーンは手を後ろに廻した。

「逃がしませんよ。ブルー、OFFレンボックスを出しなされ!」
「はいっす。グリーン」
「オレンジ、地味な隊員であるあなたの武器がいよいよメルマガ初登場ですよ。用意してますね」
「オッケー」

オレンジが細かい作りの剣を掲げるのを見ると、手渡されたボックスを掴み、グリーンは飛び上がった。

「あぁ、私、美味しいところばっかりとってますね。取ってるんですね。99号なのにカッコイイですね私。
と、まぁ、そんな事はどうでも良いんです。いきますよ、出でよ、世界的なマジシャン!」

ボックスをアスファルトに投げつけ、白煙が湧き上がる。その中から、サングラスをかけた黒ずくめの怪しげなオジサンが現れる。
何やら手をうねうねと上下左右に動かして、胡散臭さも世界的だ。

「Look at this...」

マジシャンはそう言うと、1枚のストライプのハンカチを取り出し、それを手の中へ入れた。
そのまま、3数えて取り出すと、ハンカチの柄がストライプからボーダーになっていた。

「オー。凄い凄い」
「This is a penですー」
「やんや。やんや」

世界的な手品に改造猫まで拍手し、マジシャンもまんざらではない様に微笑んだ。
次はセクシーな水着を着たパツキンのお姉さんが大きな箱と共にやって来、箱の中へと入って行った。

「Surprise...」

銀色の剣を取り出し、皆に見せるマジシャン、箱の中で「Oh...」と怖そうな演技をするパツキンさん。
思わず見入ってしまうが、彼らを出した本当の理由を思い出し、グリーンが、マジシャンの足をトントンとつつく。

「あのすいません。マジシャンさん。我々を暖めるのは良いので、とっととやってくれませんか」
「Hmm.....」

がっかりしたようにマジシャンは肩を落とし、箱に剣を突き刺して、別のパツキンさんに箱を持って行かせた。
赤い物が点々と続いているが、気にせず手を払い、シルクハットを頭から下ろした。

「Surprise...」
「言われなくても驚いてやるですー」

マジシャンは、太陽の見える方角に歩いていき、沈もうとしている太陽が出ている左側に立った。
シルクハットをその太陽の上に持って行き、さっと太陽に被せる形に置く。手を離すと帽子が宙に浮かんでいる。
本当に太陽をシルクハットの中に入れたように見えるが、マジシャンは空を指差し、

「look...」

隊員達も空を見上げると、星一つない暗闇になっていた。辺りの電気が消えて、本当の暗闇だった。
光が一切ないこの街。全ての影が一つに繋がった。

「行くよー!」

真っ暗で見えないが、オレンジが剣を振り上げたらしい声を上げた。
すぐさまアスファルトを滑るジャリジャリと言う金属音がしたかと思うと、うめき声が聞こえた。

「Bye...」

マジシャンの声がして辺りは再び明るくなって来た。マジシャンは煙の様に消えてしまったが、
代わりに、オレンジの剣で思い切りダメージを受けた影猫が隊員らの足元に倒れていた。

「クッ……オレは……オレは……」

暗闇で相当オレンジが攻撃をしたのか、影猫は立てないほどボロボロになっていた。
地面に這う右手の形だけが、唯一全ての感情を表している。

「とにかく一件落着ですね。後は、そこの3人を倒して、アジトの場所を吐かせるだけですか」

チラと横目で改造猫達を見つめるグリーン。何故か、レッドまで後ろにのけぞってしまう。
だが、グリーンの全く予想してない所から敵がやってくるとは気付かなかったようだった。

「ぐえっ!」

さきほどのエコと同様の形でグリーンの首周りに虎猫の腕が巻かれた。
突然の事に、改造猫もOFFレンたちも、何が起こったのか解らなかった。

「な、何するんですか、レッド……」
「ハーッハッハッハ! 本当にバカなヤツラだ。まんまとオレ様の作戦に引っ掛かりやがって」

レッドは、その声にようやく自分の変装をしたのが誰か、自分をこんな格好にさせられた犯人は誰かを理解した

「お前は虎猫だな! 僕になりすまして何を企んでたんだ!」
「え? 何ですか。一体何ですか」

改造猫側からも虎猫の格好をしたレッドが出て来て人質のグリーンはますます混乱していく。

「フッフッフ……。この馬鹿どもはオレだとも気づかずにレッドだと思って、おかげでやりやすかったぜ」
「えぇっ、じゃぁ、これがレッドの変装をした虎猫で、あっちが虎猫の変装をしたレッドなんですか」
「ややこしやですー」
「そーゆーことだよ。グリーン。隊長をボコボコにしてくれてありがとうね」

虎猫はじりじりと後ろのビルの中へと後退して行く。隊員が手を出そうにも緑が人質でどうにも出来ない。

「悪いが、オレは今から、大事なヤツに会わないといけない。それまで大人しくしててもらうぜ」
「虎猫……お前、オレを騙したのか……」

さらに、倒れた影猫は裂けんばかりに目を見開いて虎猫を睨んでいる。
その姿に、虎猫はこれまで見た事もない、全ての悪を詰め込んだような顔で影猫を見下すように見た。

「……騙されるヤツが悪いんだぜ、影猫。……オレこそが、BC団で最も優れた改造猫だ」

言い終えるなり、虎猫はそのままビルの中へと駆け込んで言った。制止しようとした警備員をなぎ倒し、
エレベーターの中へと入っていく。隊員達も急いで追いかけるが、緊急事態用のセキュリティが作動したのか、
自動ドアは開かず、鉄製のシャッターが降ろされてしまった。

「……もしや、その影を持ってるのってホランだったんでしょうか」
「だとすれば、ホランの所へ……?」

隊員達は遥か遠くに見えるビルの最上階を見上げた。既に日は暮れかけ、自分達の上に大きな影が覆いかぶさっている。















「せんぱぁーい。もうちょっとですかー?」
「もうすぐだよ。あと、3枚にサインすれば……」

社長室の遥か下で何が起こっているのかも知らず、黙々とホランは仕事の仕上げに取り掛かっていた。
エコも、もはやフグの事しか意識がないので、あの乱闘の事などすっかり忘れてしまっている。

「……よし。完了だ。では、出かけようか」
「はーい!」
「ちょーっと待ったー!」

その時、静かな社長室のドアを蹴破って、飛び込んできたのは、グリーンの喉元に爪をチラつかせている虎猫だった。

挿絵

ホランは、グリーンの危機に気付きすぐさま立ち上がり、愛する恋人を捕まえている悪人を睨み付けた。

「……キミは、以前の」
「なんだお前か。久しぶりだな」
「タイガ先輩! どしたんですかぁ。 先輩もやっぱりフグ食べたいんですか!?」

ふぐの事ばかり考えていたエコも、この時ばかりは虎猫とグリーンに気付き、ソファから立ち上がった。
だが、虎猫はただでさえ、その事で先ほど不安がっていたばかりだっただけに、キッとエコを睨んだ。

「オレは虎猫だっ!そんなヤツとオレを一緒にするな。 あんまりしつこいと八つ裂きにするぞ!」

虎猫はエコに怒鳴りつけると、グリーンを見せるように前に出して、ホランに歩み寄っていった。
ホランは手にしていたペンを卓上に置いて立ち上がった。そしてゆっくりと机の前へと回り込み、虎猫と相対する。

「オレの大事な人を手荒に扱うのは辞めてもらおうか。虎猫さんとやら」
「フン、オレの言う事を素直に聞くならば、大人しく帰らせてもらうぜ」
「……とりあえず用件を聞こう」

ホランと虎猫の睨み合う社長室は、まるで、一匹の獲物を狙う二匹の虎の如く緊迫した空間だった。
普段はぼやーんとしているエコでも、その息をするにも緊張する光景を前に、指一本動かすこともままならなかった。

「お前の影の中の"ある物"が欲しい。それを戴ければすぐに帰る」
「影……?」
「ダメですよ。ホラン! 渡したら私が許しませんからねっ!」

例え、総理大臣だろうが大統領だろうがホランの前ではグリーン以外の言葉は無力。
ホランは黄色い瞳を細め、虎猫に向ってハッキリと答えた。

「愛する人の頼みを聞かないわけには行かない。……断る」
「……そいつが危険な目にあってもか?」

虎猫は、ぐっとグリーンの喉元に爪の側面を食い込ませた。
愛する者の恐怖に歪むその顔を前に、ホランの瞳は一瞬、動揺の色を見せる。
だが、すぐさま彼は目を閉じ、ゆっくりと息を吐くと、静かに笑みを浮かべた。

「……危険な目になど合うはずが無い」
「なんだと?」
「……どんな状況でも、グリーンは必ずオレが守ってやるからだ」

ホランの言葉に、グリーンは少しだけキュンとしてしまった。
男だとわかっているし、こっちにはそっちの気は無いにも関わらず、彼の佇まい、表情は、映画のワンシーンの様に素敵だった。

「フン…脅しは効かないってことか。ならば……」

虎猫はグリーンをソファの方に突き飛ばすと、すっと両腕を交差させた。

「力ずくで奪うまでだ!」

閃光と共に、虎猫の手足が野獣化し、鋭い目や爪を持つ虎獣に変身した。

「ガァァァァァッ!!」

変身するなり虎獣の腕は、ホラン目掛けて振り下ろされた。彼の鋭爪は、床を、まるで粘土の様に容易く抉った。
しかし、そこにはホランの姿は無い。

「……どこを狙っているんだ?」

ホランの姿は、机の上にあった。彼の表情には、今までエコが見たことの無い、迫力があった。

「大人しく影の中の物を渡せええええええ!!!」

虎獣の爪が、再びホランを狙ったが、すぐさま彼は飛び上がり、それを避ける。彼の立っていた机は既に粉々になっていた。
しかし、その時の衝撃でバランスを失い、ホランは床の上に背中から落ちた。その隙を狙い、虎獣が両手の爪を彼に突き降ろす。

「先輩、あぶないっ!」

エコの叫びに救われ、ホランは右へと転がり事なきを得た。
だが、第二、第三攻撃も続き、ホランは部屋の隅に追いやられる。もう動けない所へ虎獣の爪が迫る。

「っ……!」

ホランの爪が虎獣の鋭い爪をなんとか受け止める。が、相手の爪は、喉元ギリギリまで迫っている。
なんとか、跳ね返しホランは虎獣の足元を狙う。だが、足にも生えた虎獣の爪がホランの眼前をかすめた。
ホランも虎獣も一旦、後ろへ下がり、再び睨み合う。思わずグリーンも手に汗握ってしまっていた。

「……なかなかやるな、ホラン。どうせなら、今いるヤツらよりもお前を改造猫にすりゃよかったぜ」
「フン。それは褒め言葉なのか?」
「あぁ、最高の褒め言葉だぜ? 偉大なるブラックキャット団の一員として選ばれるんだからな」

虎獣の目がギラッと光ると、ホランは身構えた。いつ戦闘が始まってもおかしくない。
だが、お互いがお互い隙を見つけられないのか、ただただ、睨み合うばかり。既に精神力の勝負に差し掛かっていた。

「……キミの目は、やっぱり、タイガに似ているな」

目をしっかりと虎獣に見据えたまま余裕げに微笑むホランが言うと、虎獣は不快さを露わにした表情になった。

「オレは、BC団改造猫、虎猫様だ。よく覚えておけ」
「……いや、その目はやはりタイガだ。何度か戦ったオレには解るさ」
「違うと言っているだろ!」

虎獣は両手を振り上げ、ホランに向って突進してきた。ホランは動かない。彼の爪がすぐ側まで……!
エコもグリーンも、恐怖で思わず目をつむった。
しばらくの間沈黙が続いていた。それは10秒のようでもあり、1時間のようでもあり……。

恐る恐る目を開けると、壁に突き刺さった虎獣の両手の爪。その間に立つホランが、虎獣の喉元へスッと爪を突きつけている。
歯を食いしばっている虎獣の額からは、ツ...、と汗が流れた。

「タイガは怒らせると、とにかく力任せに大きく動いて、隙が多くなる」
「……っ!」
「どうやら」
「…………」
「キミも、同じみたいだな」

涼しげな顔で話すホランの横顔が、エコにもグリーンにもひときわカッコよく見えた。もしグリーンが女ならばこの瞬間だけで惚れていただろう。

「だっ……黙れ黙れ黙れっ!! オレは、オレは虎猫だっ!」

ホランの横顔に虎獣の蹴りが飛んだ。突然の事で避けきれず、彼はまともにそれを食らってしまった。
彼の身体が椅子まで吹っ飛ぶと、虎獣は壁から爪を引き抜き、すぐさまホランに向って走り出した。

「ホラン先輩っ!」
「ホラン!」

虎獣は、ホランの影の上へサッと爪を滑らせた。ホランの影の中から、爪の先に何か黒い物が引っ掛かっていた。
それはゴムボール大ほどあるスライム状をした物体だった。恐らくこれが、影猫の影状態の一部なのだろう。

「ハーッハッハッハ! 手に入れたぞ! 遂にオレが一番の改造猫になれるぞ!」

虎獣は目的の物を手に入れるなり、狂ったように笑い出した。エコは真っ先にホランに駆け寄り、助け起こした。
少しすりむいているだけで、酷い怪我をしていないのはさすがホランといった所か。

「タイガ先輩、どうしたんですか。今の先輩はおかしいですよ。お、オレ、そんな先輩嫌いです」

エコの訴えも虚しく、虎獣はエコを冷たい目で見た。
やはり、タイガと思われて不愉快な顔をしているが無言だったのは、先ほどのホランの言葉があったからだろうか。

「まぁ、良い。頂くものは頂いたからな……そんじゃ、あばよ」

虎獣はしっかり影を握り締めると、そのまま窓を開け、そこから飛び降りた。

「せ、せんぱいっ!」

慌ててエコが駆け寄り下を覗くと、ビルの壁面に爪を立てて、ガリガリと表面を削りながら降下して行く虎猫の姿があった。

「……修理費はオレ持ちなんだぞ。あの馬鹿が」

地面に着地し、颯爽と走り去ってゆく虎獣の姿を見下ろしながら、
いつの間にかエコの側に立っていたホランは、憎らしげに、そして少し淋しげに呟いた。














「さぁさぁ、帰ろう帰ろう、カエルが鳴くから帰りましょう」
「グワッグワッですー」

降りてきたグリーン達から一部始終を聞き、いよいよ解散の運びとなった。
ボロボロになったレッドは、首輪や腕輪なんかを虎猫に奪われて、単なる虎縞の猫になっていた。

「お前、レッドだったのかよぉ……」
「騙されたのさ。マジでー」

変猫、化猫、影猫は、正座させられて、こってり油を絞られたが、OFFレンが帰るとなると、
少し淋しげに顔を上げた。まさに捨て猫という表現がピッタリである。

「俺ら、もうBC団には戻れねえよ」
「ボクもなのさ」
「……クソッ」

一応、悪者とは言え、無理やり改造されて洗脳されてこんなになった訳で、可哀相ではある。
かと言って、面倒を見るのも難しい。ペットや何かでは全然ないのだから。

「どうします? レッド」
「後で謝ってよねもう……そうだなぁ。このまま野良にしとくと、また悪さしそうだし」
「エコにオオカミ軍団に持って行って貰ったらどうです?」
「えー。オレ、捨て猫拾ってくるなってボスに言われてるからなぁー」

エコは、小さく首を振って拒否した。さすがに改造猫も自分の置かれているみじめな状況を、
感じずにはいられないのか、影猫以外、みんなうるうると目を潤ませた。

「もう少し、健全な生活をさせてあげられればなぁ…………あ、そうだ!」

レッドは思い立つなり、携帯電話を取り出して、どこかへ電話をかけ始めた。
相手が出て、何やらボソボソと喋ったかと思うと、満足げに通話を切り、改造猫に向きなおした。

「変猫、化猫、あと影猫。キミら、バンド組んだら?」
「え……」
「クラブハウスで、住み込みバイトしながらね、ビーストズの弟分としてやって行ったらどうかなぁ」

改造猫達は、顔を見合わせて困惑していたようだったが、レッドは後押しするように、

「変猫も化猫も歌作ってるとき、楽しそうだったじゃない。最初は戸惑うかもしれないけど、
素人の僕でもなんとかやっていけるんだし、やるだけやってみたらどうかなぁ? 影猫もきっと楽しいと思うよ」
「ホントに良いのか?」
「ミカンさんに了解取ってもらったよ。あの人たち、全然売れないけど、無駄に人望はあるからね」
「ボクら、悪者なのさー……?」
「悪者でもいいじゃんいいじゃん。ロックっぽいじゃん。よく知らないけど」
「……仕方ない。成果を上げる機会を待つ間、そこにいてやっても良い」

改造猫たちも皆、納得したようで、無事受け入れ先も決まり、思わぬ結末に隊員たちも胸をなでおろした。

「じゃ、僕は改造猫たちをライブハウスに連れて行くね」
「では我々は、本部で帰ってシャワー浴びさせてもらいます」
「オレと先輩はフグ食べに行く。フグ!」

それぞれ三つのグループが散らばっていくと、残されたエコとホランは数分後やって来た車に乗ってふぐ料理屋へ向った。
まだ、虎猫の事が残っているのか少し空気に重みがあったが、お互い触れないようにしつつ、いよいよ目的地にやって来た。

「先輩、オレ、フグの事テレビで勉強してきましたから楽しみですよ」
「……エコ」
「何ですか?」
「……すまない」

ホランがさらに元気の無い声で窓の外を指差す、エコがひょいと覗いて見ると『本日、臨時休業』の文字。

「そ、そんなぁぁぁぁぁ!」
「また、明日にしよう。な、エコ。朝一番に迎えに行くから」

車が発進すると共にエコの希望のフグ料理屋が左へと流れていく。
涙とよだれの跡を窓につけながら、エコは涙々に遠くなっていくフグ屋の看板を見送った。

『PPPPP……』

ガクッとうな垂れて、せっかくご飯を抜いておいた甲斐もなく、ただただ意気消沈していた。
目の前まであったはずなのに。だが、絶対、明日の朝こそ食べてやる。それまで一日、何も食べずに我慢しようとエコは心に決めた。

「ハイ……Oh,Mr James……」













「せんぱぁぁぁぁぁぁぁい。いかないでくださぁぁぁぁぁぁい!!」

翌朝、大阪空港では、エスカレーターに乗るホランの後方で泣き叫ぶエコを隊員らは必死に抑えていた。
ホランはフッと微笑んで二本指を頭につけ、さっと離し「じゃあな」のポーズを取った。

「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! せんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

ホラン会社のプロジェクトが予想以上に早く着手される事になり、急遽アメリカに戻る事になったのだった。
プロジェクトが終わる頃にはそのまま大学期間になるので、また当分帰ってこないことになる。

「せんぱぁぁぁぁい! せめてご飯食べてからにしてくださぁぁぁい!」

朝、フラフラしながらホランの車に乗り込んだエコは空港に着くなり泣き喚いて暴れまわって大変だった。
ヒマなのでついて来た隊員もまさかこんな事になるとは思わなかった。

「(そんなに、オレの事を慕ってくれているのか……エコ、キミは本当に可愛い後輩だ……)」

自分との別れがそんなに悲しいのかと、ホランは後ろから聞こえるエコの声を聞いて、ぐっと熱い物が胸にこみ上げて来た。
そんな時だからこそ、カッコよく旅立っていこうと心に決め、もう一度振り返り、手を振った。

ついに、飛行機が飛び立つ瞬間まで、エコは暴れまわって警備員に取り押さえられるなどして大変な騒ぎになった。

「ふぐー! ふぐー! いかないでくださぁぁぁぁぁい! ふぐがぁぁー!」

なんとか連れて来た、屋上でも、必死に届くはずのないホランに向けて手を伸ばし、泣き喚き続ける。
すると、丸一日絶食していたせいか、とうとうエネルギー切れとなったエコは突然白目を向き、そのままコテンと倒れてしまった。

「ふ……ぐ……」

全機能がストップしても、まだかすかに口はふぐふぐ動いていた。
隊員たちは、90キロの鉄の塊をこのまま運ばなければならないのかと思うと、溜息しか出てこない。
この世の哀しみを凝縮したエコの一滴の涙が、地面に弾けて静かに乾いていった。











「さぁ、ここでオレ達の弟分、ラクーンドッグスを紹介しよう! 出て来ーい!」

ビーストズのライブが終え、場の盛り上がりも最高潮に達した時、レッドは改造猫達を舞台袖から呼んだ。
恥ずかしそうに、出てくる化猫、化猫、そして化猫。化猫が三人いる訳ではなく、変猫も影猫もタヌキメイクをしているのだ。

「まずは、ドラムのシャドウ、ベースのメタル、ギターのイリュー。よろしくねー」

当初は、ノリでタヌキーズでいいじゃんと言ったのだが、化猫は自分の模様がメイクだと思われると言う安心感からか、
思いのほかその案に賛成し、結局皆、タヌキメイクのバンドと言う不可思議な出来上がりになってしまったのだった。

「1、2、1、2、3、4!」

はじめと言う事で、ビーストズが選んだ往年のロックをただコピーするだけだったが、
数日の熱心な練習のおかげで多少拙い面はありながらも、ちゃんと聞けるレベルに達していた。

少し前まで、悪者だった彼らが、今では新しい人生の楽しみを見つけて、イキイキとしている。
汗を流しながら、楽器を演奏する彼らは、本当に楽しそうだった。

「もったいないな。アイツら、悪の改造猫って設定の方がイケてたのに」
「そんな事ないですよ。皆、改造猫から離れて、今は普通のタヌキたちですから」

舞台袖で、彼らを見つめるビーストズのメンバーもレッドも、観客と一体になって、
新しい改造猫達の門出を祝すかのように、じっと聞き入っていた。












ブラックキャット団では、ただ一人残った虎猫が、跪いてウィックを待っていた。
こんなに、早くウィックがやって来て欲しいと思ったのは初めてだった。

「虎猫、どうした」
「ハッ、影猫の作戦が失敗しまして、危うくOFFレンにここの場所が見つかりそうになりましたが、
この虎猫が、済んでの所でこの……扉を開ける鍵を死守しましたので、そのご報告に」
「ほう……」

ウィックは笑みを浮かべ開くのが待ちきれないかのように扉の側へと向った。
虎猫は逸る気持ちを抑えながらゆっくりと扉の横へ行き、ホランの影から取り戻した影を扉の中に放り込んだ。
重い音がし、扉がゆっくりと開いて行くと、中から金色の眩い光がウィックの全身を照らした。

「おぉ……」

扉の中から金、宝石、ブランド物のアクセサリーなど、様々な金品が溢れてきた。
ウィックは足元の宝石を広いまじまじと見つめると、次第に奥へ奥へと入って行き、札束の中に身を沈めた。

「素晴らしい……まさかこれほどまでとは……虎猫、良くやった……俺は……幸せだ」

宝の山の中でその空気をしっかり味わうようにウィックは大きく息を吸い込んだ。
その幸せそうなウィックの顔を見て、虎猫は全身が震えだすほどの喜びを感じた。

「虎猫、俺が、お前を拾って育ててやった恩を、十分に返してくれたな……礼を言うぞ」
「いえ、オレは……」

色々と言おうとした虎猫だったが、何故か言葉に詰まってしまった。それと言うのも、
パープルらが言った事、ホランやエコが言っている事がまだ、心の中に妙なしこりとなって残っているのだった。

「……どうした」
「い、いえ、何でもありません。そうだ、まとめて管理する為に、何か箱に入れたらいいかもしれません。
今、オレが持ってまいります。ウィック様はどうか、その金品をどうぞよくご覧になられていてください」

急いで頭を上げると、虎猫はその場から立ち去った。ウィックはしばしその虎猫を見つめ、ゆっくりと立ち上がった。
小銭の床を歩いていると、ふと、足元に違和感を感じ、ウィックはその違和感の元を手にした。







虎猫は先ほど、ダンボールを漁りまわった改造室の中で何か手頃な箱は無いか探していた。
中々良い物は見つからず、あちこち探し回っていた。だが、心の中ではあの時のホラン達の言葉がぐるぐると回り続ける。

「ん……」

ふと、何かが聞こえたような気がして、虎猫は耳を済ませた。何かが蠢いているような音。
ダンボール群から離れた、壁に面した机の下棚の中から聞こえてくるようだった。あまりにもさりげない場所にあるため今まで気付かなかった。

「…………」

中を開けるとダンボールが二箱入っていた。左側のダンボールから、その音は聞こえているようだった。
何だか、嫌な予感がした。どうせならこのまま放っておこうとも思った。だが、虎猫はその箱に手を伸ばした。
箱の中には、何かの衣類が入っていた。まだ残っていた改造猫の私物だろうか。

──音の主は、虎縞の携帯電話だった。マナーモードになっているのか、ただ、バイブで震えている。

「……もしもし」

思わず電話に出た。今、この電話の向こうの主がそのタイガと関係ない人物であったら。
そう願いながら、なお、箱の奥を探る。好奇心が書き立てられると同時に虎猫の鼓動も高まる。

『あ……先輩。先輩ですか』
「お、オレは……」
『良かった。先輩だ。オレ、時々、電話かけてたんです。先輩とちゃんとお話したくて。
あ、でも、ホントは今、ベッドで休んでるんですけどね。ご飯食べないと、エネルギーが作れなくて』

エコだ。虎猫はその声が誰かすぐに気付いた。まだ名乗ってもいないのに。やはり自分は……。
いや、そんなはずは無い。自分は、幼い頃、捨てられ、ウィックに拾われ育てられ……。ウィックの為に人生を……。

「!」

ふと、手に感じた妙な感触……。中に昨日、本部で見せられたあのタイガの写真と同じ蝶ネクタイが入っていたのだ。
虎猫は、思わず手にしたそれを落とした。頭が真っ白になりそうだった。本当に、本当に自分は……

『先輩、どうしたんですか。先輩』
「え、エコ。お、オレは……オレは……」
「……虎猫」

背後に声がして、思わず携帯を落としてしまった。後ろにウィックが立っていた。
いつもの様に冷たい目をして、虎猫を見つめている。何故か、今の虎猫には残酷な目に見えた。

「う、ウィック様、どうかされましたか」
「すっかり忘れていた事があってな……」

ウィックは虎猫に歩み寄った。虎猫は後ずさった。いつもならそんな事はしないはずなのに。

「な、何でしょうか……」
「成果を上げれば、褒美をやると言っていただろう」
「は、はい……」

ウィックがまた一歩近づくと、虎猫もまた一歩後ずさる。虎猫はもはや無意識にそうしているのだ。

「お前は、以前の改造猫の中でも全ての面で抜きん出、BC団の為に貢献してくれた」
「……はい」
「そして今回も他の新たな改造猫を抑え、十分なる成果を上げてくれた」
「あ、ありがとうございます」

虎猫の背中に壁が当たった。もはや行き止まりだった。

「……お前は、今日より、ブラックキャット団の幹部へと昇格だ」

ウィックは虎猫の肩にそっと手を置き、そっと囁いた。ひんやりと手は冷たかった。

「あ……ありがたき幸せです……」
「……今すぐ幹部の紋章を入れてやらなければな」

挿絵

ウィックは虎猫の肩を掴んでいた。虎猫はそのまま右隣にある、機械の中へと放り込まれた。

「……う、ウィック様」
「どうした。幹部になるのだから、必要なことだろう……?」
「そ、そうですが……」

機械の扉に手を当て、自分を見つめる虎猫へウィックはどこか冷たい雰囲気の笑みを向けた。

「……すぐに終わる」

ウィックがスイッチを押すと、機械のランプが点滅し始めた。虎猫の手足が固定され、頭にも何かが被さる。
緑色の光を放っている機械の中で虎猫は目を閉じた。うっすらと、頬に何か光線が当たっている。
このようにして、改造猫の額などにマークや模様を焼きこんでいくのだった。

「…………」

ウィックは、本来ならばこれだけで良い操作のはずが、全く必要のない黒いダイヤルに手をかけた。
洗脳装置のダイヤルだった。少し廻しただけで、異変を感じたのか虎猫はカッと目を見開いた。

「う、ウィック様! な、何を……!」
「……すぐに終わる」

ウィックは、ダイヤルのメモリを最大限に捻った。本来ならば、半分で良いはずだった。
機械の中から、うめき声と眩い閃光が何度も放出される。

『先輩っ! どうしたんですか! 先輩!』

ウィックは、機械の中の虎猫を見つめ、悪魔の様に歪んだ笑みを浮かべていた。

「……お前は、本日より、ブラックキャット団幹部、タイガーアイとなるのだ」

機械の点滅を終えると、中からゆっくりと今はタイガーアイとなった虎猫が現れた。
目によりいっそう邪悪な光を湛え、頬にはウィック同様、赤と黄色の紋章が綺麗に入っている。

「……ウィック様、申し訳ありません……今の俺があるのはウィック様のおかげであると言う事は、紛れも無い事実であると言うのに」

跪き、ウィックを見上げるタイガーアイは、もはや以前の虎猫とは違うオーラを持っていた。
満足そうにそれを眺めると、ウィックはタイガーアイを立たせ、ベルトのバックルを取り外した。

「……幹部に、こんな物はいらないからな……代わりに、あの金品の山の中で良い物を見つけた」

ウィックはタイガーアイの首輪に、手にしていた銀色のチェーンを取り付けた。
紛れも無く、それはエコはホランに買ってもらい、紛失していた物であった。

『先輩……先輩! せん……』

携帯の充電が切れると、ここにはもはやタイガーアイを邪魔する者は誰もいない。

「……幹部となった今、より一層ブラックキャット団の発展の為、尽力させていただきます」
「期待しているぞ……タイガーアイ」

幹部となったタイガーアイの中には、不安も無ければ疑問のカケラも存在していなかった。
BC団、ウィックは自分にとって絶対であり、それ以外の全ては憎むべき存在だと、脳に硬く焼き付けられている。
自分の為に忠実に働く、良い部下が出来たと、ウィックはタイガーアイよりも暗い光を目に溜め、微笑した。