第100話
『そして僕らは未来へ (4)』
(挿絵:パープル隊員)
「最優秀賞者は、38番、ピアノ科在籍、ピースさんです」
会場からの拍手に包まれながら、ピースは晴やかな顔で舞台へと向った。
その目には自分の未来は明るいのだと確信した、不安と言う曇りが一切取り払われた輝きに満ちていた。
「おめでとう」
学長から手渡された花束は、これまでの努力が重ねられたのかとても重く感じられた。
彼は、観客席に向って深々と頭を下げたが、実際はその奥にいる自分自身に対しての感謝の気持ちだった。
未来の自分自身は、親指を立てて初めてまともな笑顔をピースに向けた。
「マロン見ただよー!」
その時、反対側の舞台袖から、こけつまろびつ走ってきたマロンが大声で叫んだ。
「ジェンガ様が怪我する前に、ピースが天井へ上がっていっただよー!」
「何を言うんだ!」
咄嗟にピースは怒鳴り声をあげた。
「あれは事故だって皆が言ったじゃないか。照明係が貧血で倒れた衝撃で機材が落ちたって
だから、演奏会も続けられたんじゃないか。負傷した腹いせにそんな意地の悪い事を言うな!」
彼は、怒りに任せて一気にまくし立てた。彼らしくないその激高ぶりは、
もはやいつも冷静なはずの彼が、最早その場を取り繕う嘘すら考えられないほど動揺していたせいだった。
「見た人がいるだよー!」
「そんな人がどこにいる。証拠はあるのか。大体、とにかくそんなでっちあげを……」
「私です」
その声にピースの瞳孔が一気に開いた。背後にいる彼女が誰なのか、振り返る必要は無かった。
「……私、ピースさんが、隠れて天井へ向うのを……」
「桃子さん!」
「その後、機材が落ちてきて、それからピースさんが現れて……」
「それは僕じゃない!」
「私、怖くなって、でも……これが……」
ピースが振り返ると、桃子の震える手にピースと同じ緑色の毛が1本握られていた。
先端部がまるで何かに絡まっていたかのように軽く輪を作っていた。
「違う! それはちが……」
桃子の目はどんな言葉よりも辛辣な物だった。潤んだ瞳は、彼を哀れんでいた。
耐え切れずマロンの方を見た。彼の目も同じだった。客席の全ての人間も、学長も何もかもが彼を哀れむような目をしていた。
「違う! 僕は、僕はただ、僕は、僕は……」
ピースの額は汗に滲み、その目は必死にその目をやめてくれるように懇願していた。
だが、彼のその瞳には、恐ろしい目しか映らなかった。どこを見回しても、自分を見つめている目が。
「うぅっ……」
ピースは苦しそうに胸を押さえて、その場に倒れた。鳥が絞め殺されているかのような呻き声をあげながら、
もがき苦しむピースだったが、見開いた目は、懇願を辞めることのないまま、彼はもう動かなくなってしまった。
突然糸が切れて地面に投げ出された操り人形の様だった。
「おい!」
その直後、舞台に迷彩服の男が駆け込み、すぐさま彼の体を抱き起こした。
彼自身の経験による物なのか、脈を見ることなく、彼は既に事切れていた事を察すると、男は舞台を拳で殴りつけた。
怒りに震えながら、男は口元を押さえたまま青ざめている桃子をにらみつけた。
「……お前は、どうやっても俺の物にならないのか……」

男は立ち上がると、マシンガンを取り出して桃子に銃口を向け、引金を引いた。
鼓膜を劈くような音がして、銃弾は後方の舞台袖の壁に命中した。観客席がパニックになり、悲鳴と出口へ駆け込む足音だけがホールに響いた。
桃子は、足がすくんでいるのか、こちらに銃を向ける男をじっと見たまま逃げる素振りすら見せなかった。
「俺が、どんな思いで今まで生きてきたか、お前がいない人生が、どれだけ絶望に映ったか……全てお前のせいだ」
自分を見つめる男の目に桃子はふと、似ても似つかないはずの人物の姿を捉えた。
「あ、あなたは……」
「今度は、外さん」
男は引金を引いた。だが、彼女の額に向けて放ったはずの銃弾は、下方の床板を抉った。
マシンガンが男の足元へ落ちた。彼は震える両手を見つめて、その場に崩れ落ちた。その顔を悔しさでいっぱいにしていた。
「クソ……クソッ! クソクソクソッ!!!」
「見つけたぞこの野郎!」
男の肩を突然、謎の男が掴んだ。迷彩服の男は、フッと笑ってそのまま力なく肩を落とした。
ナズナ刑事は彼に手錠をかけると、後ろで待機している後輩のイマチ刑事にタイムスティックを持ってくるよう陰険な目で合図した。
「やーっと逮捕できたぞ。テメェ」
「……好きにしろ」
迷彩服の男は、気の無い声で呟いた。
「あぁ、好きにさせてもらう。滅茶苦茶やってくれたおかげでこっちは修正作業が大変なんだぞ。あぁん?」
「どうも、お騒がせしました」
まだ怯えている桃子にイマチはニコニコしながら頭を下げた。その笑顔に桃子は少しだけ安心した。
「いいんだよ挨拶なんか。意味ねぇだろうが! 早くタイムスティックに入れるぞ!」
「あぁ、はいはい」
イマチが犯人にタイムスティックを向けようとすると、桃子が彼の側に駆け寄り声をかけた。
「あの……ちょっと待ってください」
「え?」
イマチがナズナ刑事に眼を向けるが、「何やってんだよ」と言う顔でこちらを見ていたが、
桃子は迷彩服の男に向って駆け寄り、声をかけた。
「あなた……ピースさんなんですか」
「……」
「どうして」
桃子の震えるその声を聞き、男はキッと桃子をにらみつけた。
「全部、お前のせいだ。お前が、俺の前になんか現れなければ!」
「ピースさん」
桃子はそっと彼の体に寄り添うと、男の頬をそっと撫でた。瞳の雫がぽつりと零れた。
「私……」
男は桃子の涙を見るなり、大きく目を見開いてその手を叩いた。
「やめろっ! そんなこと、あるわけがないっ!!」
「ピースさん」
「俺は何なんだっ。じゃぁ、今の俺はなんなんだよっ!」
「ピースさん、聞いてください」
「早く、俺を連れてってくれ! もう、こんな所にいたくなんかないっ!」
ナズナ刑事は首を男の方に振って、イマチに「入れろ」と言う合図をした。
男は光の中に吸い込まれ、そして確保は完了した。
「……では、これにて失礼致します」
ナズナ刑事とイマチ刑事は敬礼をするとそのままこの世界を出て行った。
一人残された桃子は、足下に転がる男の亡骸を見つめて、
「そんな方法しか、なかったんですか……」
一粒の涙を、彼の胸の上に落とした。
「あなたも、あの人も……素直に言ってくれれば……私、どんなに嬉しかったか……」
「パンガ様とお妃様のおなぁぁ~~~りぃぃぃ~~~」
盛大な拍手と共に、10メートルはあろうかと思われる正門が開かれる。
パンガは、ウェディングドレス代わりの男物のチャイナ服を着たレッドと腕を組んで民衆の前に現れた。
「わぁ……」
レッドは門の向こう側の光景に思わず声を漏らした。
地平線(!)の向こうまで伸びた真っ赤な絨毯、その上で色とりどりの衣裳を着て演舞を披露している大道芸人達、
その両端には、絨毯と共に続くオーケストラの人々や恐らく料理を置いているテーブルとその横のシェフ。
さらには、それらの奥に並んだ何千人…いや、何万人かはいるだろうと思われる参列者。辺りに舞い散る七色の紙吹雪……。
どれもこれも、映画と見まごうほどのスケールの大きさだった。
「凄いか? これぜーんぶオレの物だぞ」
パンガは思わず感激してしまったレッドに向かって誇らしげに胸を張った。
本当に結婚しても良いかもしれないと、レッドはこの先に待っているであろうとんでもない事をすっかり忘れて考えてしまう。
「ぼ、僕、こんなの見たの北京オリンピックの開会式以来だよ!」
「……ぺきん……おりんぴっく……?」
「あ、えーと、つまり凄すぎるって事だよ」
「判った! つまり異国の言葉なんだな」
「ま、まーね」
この世界にはオリンピックはないらしく、ぽかんとしていたパンガを適当に誤魔化し、
レッドは腕を組んだまま、絨毯を段差に沿ってキッチリと敷かれた階段を降りた。
最後の段差を降りたとき、民衆から一斉に歓声が沸きあがった。
「王様おめでとうー!」
「お幸せにー!」
(何故か)嬉しいやら、恥ずかしいやら、レッドは愛想笑いをしながら民衆に手を振った。
わーっとさらに民衆が沸いてしまったので、ますますレッドは顔を赤らめた。
「パンガ様。お待ちしておりました」
そこへ、絨毯の端に等間隔に並べられた一番近いテーブル、その横に立っている料理人のオオカミが声をかけた。
「ん。最初は何だ?」
「はい。最初は"フカヒレのスープ"でございます」
オオカミは、顔が映りそうなほど輝いている銀色の大きな釣鐘型の蓋を開けた。
中ではレッドの顔がすっぽりとハマリそうなお椀に並々とスープが注がれている。
「なんだよ。またフカヒレかよ。オレもう飽きたつってんのに…」
「は。しかし、お妃様は喜んでいらっしゃるようですが」
「す・ご・い!」
レッドは庶民丸出しで、テーブルに駆け寄った。フカヒレなんて、名前しか聞いたことがない。
この透明のぶよぶよしたものがフカヒレだろうか。高い物だからきっと美味しいに違いない。期待は膨らむばかりだった。
「なんだ。レッドはフカヒレ好きなのか?」
「た、食べたことないけど。前から食べたかったんだ」
「ふーん……。オレはいいからレッドが食べたいなら全部やるぞ」
「ホント!?」
レッドは目を輝かせてパンガを見た。こんな異世界で高級食材が食べられるとは、まさに怪我の功名。
オオカミはさっそく手早くレンゲで小皿にスープを注いでレッドに手渡してくれた。
「熱いので、お気をつけてお召し上がりになってください」
湯気が顔の毛並みを微かに揺らす。透明のフカヒレが泳ぐ出来立てのスープ、
海亀のスープだったら後々YESだのNOだので大変なことになるが、フカヒレなら心配後無用。
「い、いただきまーす……」
レッドはスープを一掬いし、息を吹きかけると、ゆっくり味わうようにして口に流し込んだ。
良い感じにとろみの効いた汁、味をぐっと引き締めてくれるネギ、きざんだタケノコの歯ごたえもバツグン。
美味しいスープをごくんと飲み込んだ。胸の中が暖かくなる。フカヒレのスープは実に美味しかった。
「……あれ」
レッドはすっかり美味しいスープの味に気を取られ、フカヒレの味を全く味わってなかったことに気付いた。
今度は、フカヒレだけを掬って同じように味わうが、またしてもフカヒレの味はわからなかった。
「あの、シェフさん。これフカヒレですよね?」
「はい。左様で御座います。フカヒレはコラーゲンが豊富で肌にも良いんですよ」
「あの、味が……ねぇ? あんましないような」
「あぁ……」
「それが普通なんだ」
シェフオオカミより先にレッドの肩をポンと叩いて、パンガが答えた。
「フカヒレって初めから味ねーんだよ。な? オオカミ」
「はい。だからこそ単品ではなく、スープ等で軽く味を含ませて召し上がる様になっているんですよ」
「なんだぁ……」
高級に違いは無いが、味がしなければ、ありがたみもかなり薄れてしまう。
これでは味のないゼリーの入ったただの中華スープだが、スープだけでかなり美味しいのでレッドも納得することにした。
「じゃっ、次いくぞ。レッドは中華料理が好きだから、たくさん用意させたからな!」
「あ、判った。あの、ごちそうさまー!」
小皿をシェフオオカミに返し、レッドはパンガと共に次のテーブルへと向かった。
結婚式中に豪華料理が食べれるとは、なかなか良い趣向、レッドの心中は女子のそれになりつつあった。
お人よしで、情や状況に流されやすく、そして快楽に弱い男。それが我らがレッド隊長なのだ。
「(あぁ、ぼかぁ、幸せだなぁ……)」
無事、犯人の身柄を確保したナズナ&イマチ両刑事は、タイムシップに乗り込み、
ボスへの報告を終え、一時、タイムポリスへ犯人の身柄を預けるべく帰還していた。
「ふ~。何はともあれ、犯人の確保が出来て良かったっスね」
「まぁな。パラ二課よりも先に確保できたし、一課のメンツもなんとか立ったぜ」
フンとわざとらしく鼻を鳴らす先輩に、イマチは
「そう言えば、パラ二課のライガ警部補ってキャリアですよね?」
「あぁ、トップの成績で入ってきたそうだな」
「……じゃぁ、尚更何であんな吹き溜まりみたいな所にいるんスか?」
タイムポリスは警察同様にノンキャリアとキャリアに分かれている。
キャリアとは国家試験に合格した者のことで、いわばエリートである。当然、出世のスピードも格段に速い。
例を挙げると、一般の警官は一番下の階級である巡査からスタートするが、キャリアの場合その3つ上の警部補からスタートする。
それほどの地位であるにも関わらず、ライガがパラ二課にいることをイマチ刑事が疑問に思うのは当然だった。
「そうか。お前、新入りだから知らねえのか」
「だって今年の四月に一課に異動になっちゃったんですもん」
「……1000円」
「え?」
「情報料1000円よこせ」
ナズナ刑事は手を差し出して、金銭を要求するジェスチャーをした。
あまりにも露骨だったせいで、一瞬何をしているのか判断できなかったほどだった。
「……じゃあ、良いです」
「ウソに決まってんだろバカ」
ナズナ刑事はそう言って軽蔑するような目で自分を見るイマチの額を、手の甲で叩いた。
「一昨年だったっけな。タイムシップのゲートを開けっ放しにしていた奴がいた」
「えっ、ゲートを?」
「そのせいで、時空の気流に巻き込まれてほとんどのタイムシップがタイムホール内に飛び出した。
そのうち数台は無事回収。うち数台は幾つかの世界に漂着、危うく悪用される所だった。そしてまた数台は……」
「数台は?」
「……その日は、タイムポリスの調査日で、その調査船が帰還してきた所に激突」
「うへぇ」
「オマケに、その日はお偉方も乗っていた」
予想以上の事実に、聞かされた本人はただただ唖然とするほかなかった。
「その当日に緊急会議が開かれて、犯人探し。様々な証言から……」
「まさか、ライガさんが?」
ナズナ刑事は大きく溜息を付くと小さく首を振った。
「……ブランだよ。二人が外回りから帰ってきた時に、閉め忘れたんだとよ」
「え、じゃぁ何故ライガさんまで?」
「……監督不行届っつーことで、連帯責任取らされたんだとよ」
「うわぁ……」
ナズナ刑事は一瞬だけ怒っているかのような苦い顔をしたが、すぐにフンと鼻で笑ってあの陰険な笑みを浮かべた。
「ま、あのブラ男はバカだから当然だし、その兄もなんだかスカしてたしな。天罰だ天罰」
「……俺、今度からちゃんと確認するようにします」
「あぁ、そうしろ。もし、俺にも責任取らせるようなことになったら……お前の玉潰す!」
後半に凄みを効かせた先輩の脅しは実に現実味を帯びていて、イマチはさきほどの決心をより固くすることになった。
とにかく、自分の仕事は真面目にきちんとやろう。モニターを眺めて異変が無いかどうか、
いつもはぼんやりやってるこの所作も、ずいぶんと力の入れようが変わっているのが自分でもハッキリと感じられる。
が、いくつかのグラフや数値を両端に表示しているモニターは特に変化はない。せいぜい綺麗に光る9つの点があるくらいだ。
「……あっ!? センパイ。妙な反応が!」
「どこだ?」
「ぜ、前方です!」
「前方っつったって」
「目の前です!」
ナズナとイマチの前にしっかりと色とりどりの人間がタイムホール内を移動しているのが確認出来た。
最初は、犯人の一味か何かだと思ったがよく目を凝らすと、その中にパラ二課のライガがいることにすぐさま気づいた。
「あれは、ブラ男兄じゃねえか!」
「後ろのその他大勢は一体何スかね」
「とにかく、あんな所にいられちゃタイムシップの邪魔だ」
ナズナ刑事はモニターの脇から無線機用のマイクを伸ばし、
スピーカーのボリュームを最大にして、目の前にいる障害物たちに大声で叫んだ
『おぉい、待て、そこのパラ二課のバカの兄!』
その声と共にタイムホール内にキーンと言う音が響く、前方のライガ達はすぐさま後方のタイムシップに気づいたようだった。
しかし、明らかに一度皆がこちらの方を振り返ったにもかかわらず、彼らはそのまま避ける事も移動することもしないでそのまま浮遊し続けていた。
どうやら、完全にシカトを決め込んでいるようだ。
「弟も弟なら兄貴も兄貴だなったく!」
「センパイって人望ないんスね……」
「何か言ったか?」
「いえ……」
「もう良い、進めろ」
ナズナはそう言って顎をくいっと前に突き出したが、前方にはライガがいるので下手に進めると衝突の危険がある。
そう言いたげな後輩に、またも彼は意地の悪そうな表情をその顔面に創造した。
「ギリギリまで近づいて、おっかけてやれ。どこまでシカトしやがるか試してみようじゃねえか」
「……バカなこと言わないでくださいよ」
「誰がバカだ。誰が!」
その時だった。タイムシップが突然右の方向に傾いた。
最初は操作ミスか何かかと思ったが、タイムホール自体に引き寄せられているかのようだった。
見ると、前方にいるライガ達も何やら右方向に大きな光に引き寄せられそうになるのを懸命に堪えていた。
「……なんだありゃ!」
慌てて、ナズナたちもタイムポリスの制御にかかる。しかし、物凄いエネルギーが発生しているのか暖簾に腕押しの如く、意味は無かった。
ライガ達共々、吸い込まれる……! そう覚悟した瞬間、突如光が止んだ。その代わりに、今度は物凄い爆風がタイムシップを襲い掛かった。
凄まじい風力に、ライガ達も思わず両腕で顔を庇っていたが、それで見逃してくれる様な風ではなかった。
隊員達の体は次々に飛ばされ、団子の様になった状態で吹き飛ばされた。
「ぎゃわっ!?」
オレンジの踏み潰されたような声がしてしばらくすると、猛烈なあの爆風は既に隊員達の間を通り過ぎていった。
ふと気が付くと、隊員達の背中には壁があった。いや、よく見ればさっき見たはずのタイムシップの外壁だ。
『……まずは無事で何よりでした。ライガ警部補』
正面のガラスや外装にライガと隊員たちがクモのように張り付いている。中にいるナズナ刑事の嫌味ったらしい顔がよく見えた。
『その周囲にいらっしゃる方々も、ちょっと良いですかねえ』
彼が、再び音割れの激しいスピーカーから吐き捨てるように言うと、隊員達は申し訳なさそうに笑って見せた。
息を切らせながら森を走り抜けるエコ達は、ようやく木々の隙間に人の集まりを確認すると、側の茂みに隠れて様子を窺った。
規則正しくかつ数珠の様に長く続いている人の波は、一体どこからが始まりでどこからが終わりなのか一見判断に困るほどの規模だったが、
右側から微かに近づいて来ている歓声から、まだレッド達から離れている事が判る。
「で、どうすんだよ!」
「突然の事に逃げたは良い物の、見切り発車しちまったしな」
テオは、まるで他人事の様に嫌味ったらしい笑みを浮かべながらルベウスに目をやるが、
今後を左右するであろう問題のパートナーは、その鋭い目をじっと人の波にやったまま黙している。
テオはそんな彼の顔を目にすると、ふっと目を細めて、同じ方向に目線を向けた。
「なぁ、どうすんだよ」
「黙ってろ、考え中だ」
「考えてる暇があったら作戦立てようぜ」
「だから作戦を考えてんだよバカ。ちょっと黙ってろ」
二人して列を見ているだけにしか見えないエコは、一人だけ仲間はずれにされたような気がして、
これ見よがしに舌打ちをすると、これまたわざとらしく地面にあぐらをかいて座り込んだ。
「なー。このままレッドが来たらそのまま突っ込まねぇ? その方が早いって」
「所々で兵隊が見張ってる」
「じゃ、レッドにこっち来い!って呼んで、こっち来させようぜ」
「だから、兵隊がいるっつってんだろ!」
「確実に接触するのが第一。接触する間に見つかったら終わりだ」
馬鹿げた提案をするエコとそれに苛立つテオを落ち着かせるようにきわめてハッキリとした口調でルベウスは言った。
その言葉にエコは一瞬考えるような表情を見せたが、結局何も思いつかないようで、
「あーあ、わかんね」
と、すぐに考えるのを放棄し、草の上に背中を倒した。草の上を滑る微風がエコの毛並みを心地よく撫でていく。
草の香りが鼻をくすぐる。それと同時にどこからか、お腹の虫をすぐにでも叩き起すような食欲をそそる香りまで漂ってきた。
そう言えば、朝から何も食べてない。いや、そもそも色んな世界に行き過ぎて時間の感覚がよく判らない。もしかしたら三日くらい経った様な気もする。
「なんか腹減ってきた。あー腹減ったー。エビチャーハン食いてー。超食いてー」
「お前な、ちょっと黙れよ」
「いや、待て」
ルベウスがすっとテオの前に手を出す。彼の目線の先には、料理を運んでくるための台を押しているオオカミの姿があった。
台には真っ白なテーブルクロスが引かれており、よく見れば、歓声とは逆の方向から彼らはやって来ている。
一番確実な接触方法を発見したルベウスは、うっすらと笑みを浮かべると、親指を立てて左の方向を指した。
「今からちょいと急ぐぜ」
巨大トラックほどはありそうな外見とは異なり、ファミリー向けのワゴン車程度の広さしかない小型のタイムシップの中は、
さすがに10人が入るには窮屈すぎた。二つしかない操縦席の座席もすっかり後ろから押されて猫背用に変形してしまい、
ただでさえ嫌味顔のナズナ刑事は、わざとらしいほどの舌打ちを繰り返しながら、何故か隣の後輩刑事に執拗にガンを飛ばしていた。
「それにしても、ライガ警部補、危なかったですね。もう少し向こうに言っていれば爆発に巻き込まれる所でしたよ」
顔に後5センチと言う至近距離まで近づいている舌打ち刑事を、無いもののように後輩刑事はライガに声をかけた。
「でも、一体、あれは何だったんでしょうか。ねぇ、センパイ?」
「知るか!」
「私見では、……何かが収縮爆発したのではないかと思いますが」
ライガはぽつりと呟いた。
「何が爆発を?」
「タイムホールには、世界しかありません」
「え?」
「もしかしたら……」
「世界が爆発したってことだろ」
「爆発!?」
ナズナ刑事の言葉に真っ先に反応したのは隊員達だった。
「ま、まさか、我々のいた世界は消滅してませんよね!?」
「明日のコロコロ発売日なんすよ!」
「まだ見てないアニメがあったのに!」
「ビデオの延滞料金取られちゃう!」
ギャーギャー騒ぎ始めた男子隊員だったが、すぐにナズナ刑事が「うるせえ!」と一喝して、表向きには騒ぎは収まると、
ライガは落ち着いた口調で隊員達に言った。
「大丈夫です。仮にあなた方の世界が消滅したとしても、前後の世界がありますから修正することが可能ですから」
「なんだぁ。良かった」
「でも、そんなことありえるんスか? パラレルワールドが消滅なんて、初耳ですよ」
安心する隊員達だったが、まだ腑に落ちない顔をしているイマチ刑事がライガに尋ねた。
「……理論上では可能ではあるそうですが」
「だとすると、逃走中の犯人の仕業ですかね」
「そんな簡単に事は運びませんよ。世界一つ消滅させるだけで大変な用意が必要になります。
仮に、犯人達がそうだとしたらよほどの強敵か、或いは……」
そう言ってライガは息を呑んだ。
「或いは?」
「……いや、詳しい事は鑑識や時空管理課に任せましょう。この船はタイムポリスへ向っているようですし」
「えー、気になる」
「気になってんのはこっちだよ! 一体、誰だお前らは」
ナズナ刑事は睨みつけるような目でぎゅうぎゅう詰めの原因である隊員達を指差して怒鳴った。
すっかり、気づいていなかったライガもその言葉でようやく事態に気づき、ハッとしたものの、既に遅く、
あまり気が進まないのだが、この際だから観念して事の成り行きを簡単に説明した。
「はぁん!? あんた、事の重大さが判ってんのかコラ!」
「まさか、こうなるとは思わなかったもので……」
「まったく、ブラ男の“バカ”はすげぇわ。タイムポリスの汚点の死角を巧みにつくんだからな。
これから先、同じようなバカがどんな凄い不祥事をやっても、ぜ~んぶブラ男の二番煎じになるだろうよ!」
ライガは何も言えないといった風に俯きながら黙り込んでしまっていた。
「……ま、やったもんはしゃーねぇから、今からコイツら全員送り返すか」
「ダメですよ! こっちにはまだレッドを見つける必要があるんですよ!」
「それは俺らの方で見つける。お前らは部外者だろうが!」
明らかな正論を言われてしまい、返す言葉も無い隊員達。
しかし、レッドは見つけたいし、タイムポリスも見学したい。となれば、元隊長の出番となる。
もったいぶったような笑みを浮かべながら、グリーンは顎を撫で始めた。
「フフフ、あなた方に果たしてレッドが手なずけますかな……」
「はぁ?」
「あなた方、レッドをただの凡人だと思ってもらっちゃ困りますよ」
「何の話だ?」
「レッドは物凄い力を持っているんです。それも、あなたの首なんか触れずに折ることが出来ますよ」
思いっきりハッタリなのだが、ナズナ刑事は若干眉毛を片方だけ挙げながら不安そうな表情を見せた。
「そんなバカな話があるわけがねえだろ」
「さぁ、それはどうでしょうかねぇ……。判断はあなたに任せますが、レッドは人一倍扱いにくい人物ですから」
「なんだと」
「確か、一昨年だったでしょうか。好きなアーティストのライブに行った時です。レッドの大好きな曲が歌われていました。
しかし、一番聞きたいサビの部分で、アーティストは観客席にマイクを向けたんです。結局サビは一回も歌ってくれませんでした。
とうとう、レッドはキレてしまったのです。あっと言う間でした」
「そ、そんなことで!?」
イマチ刑事の深刻な表情に、グリーンは小さく頷いて見せた。
「……なんとか我々が死をも辞さずして止めたから良かったものの、1分ほどで300人余りの重軽傷者を出しました。
もし、あと2分放置していたら、その人数は死者になっていたかもしれません。あぁ、残念残念……。
みすみす死にゆく者がいると言うのに、何も出来ないんですか。あなたもどうか、極楽浄土へ行けると良いですね……」
グリーンは固い表情を浮かべるナズナやイマチたちに手を合わせながら念仏を唱え始めた。
後ろの男子達にも目配せをして、同じように行動させる。狭いタイムシップの中は一気に微妙な空気が流れ始めた。
そしてとうとう根負けしたのか、ナズナは「もう良い!」と悲鳴に近いような声で叫んだ。
「わかったよ。お前らも連れて行きゃ良いんだろうが!」
「そのとおり! わかれば良いんですよ」
やったやったと男子隊員達はナズナ達に見えないように小さくガッツポーズをした。
極端な嘘ほど、逆に信憑性があるとは本当の事のようだ。
「……ったく、ブラ男の奴は迷惑な所に言ってくれるぜ畜生」
「ご安心下さい。レッドを助ければ彼も機嫌が良くなって何でも願いを叶えてくれるようになりますよ。
そう考えれば、決して悪い話ではないかと思いますよ」
「フン、バカバカしい」
そういいつつも、ナズナの心中では何の願い事をするか、そしてイマチに先を越されないようにはどうするか、
そんなことに考えをめぐらしていた。
バージンロードを歩きながら、大好きな中華料理を試食して歩くレッドだったが、
先ほど食べたチンジャオロースがあまりにも美味しいので口に入れすぎたせいもあってか、
まだまだ先に待っている料理の数々を見ると思わず胸焼けがしそうになった。長いあまりにも長いバージンロードだ。
一般人もさすがに長さに飽きてきたのか、よく耳を澄ますとみんな「おめでとー」を「おめっとー」と簡略化し始めている。
支配者であるパンガを本当に祝福している国民もほとんどいないであろうから、こうなるのもしかたないのかもしれない。
レッドの中では、もはや結婚式と言うよりも、試食をどれだけ続けられるかと言う挑戦にも似た気持ちが湧き上がり始めていた。
「なぁ、レッド、そろそろ飽きてこないか」
さすがのパンガも、結婚の慶びよりもこの淡々とした冗長なバージンロードの方が勝ってしまったようで、そっとレッドに耳打ちした。
「もうここらで辞めてさ、早く二人きりになろうぜ」
レッドはそのくすぐったい声に、やっと自分の置かれている立場を客観的に把握できた。
料理だの、同情だのに誤魔化されていたが、結婚と言うことは友達づきあいとは違うわけで、
パンガの言う二人きりの意味を考えると、なんとしてでも上手く回避しなければと言う考えが頭を過ぎる、若干手遅れに近いが。
「いや、えっと、せっかくみんなが集まってくれてるんだから、最後までやらなきゃダメだよ」
「そうか。レッドは優しいんだな。ますます気に入ったぞ」
とりあえずもう少しの猶予を確保する事は出来たが、状況はそれだけで現状は大して変わっていない。
あぁ、食べ物に釣られる自分のバカ。と自分への苛立ちで軽く唇を噛んで見るが、そんな事では毒にも薬にもなるはずもなかった。
「あ、レッドが来た!」
「ソックリー!」
さらに強く唇を噛もうとしたとき、レッドの耳に聞きなれた声が聞こえ、思わずその方向を見やった。
大勢の観客のいる中だと言うのに、色とりどりの彼女達の姿はよく目立った。OFFレンの女子達だ。
「みんな! こんな所でどうしたの?」
「ねぇ、パープル。レッドと結構近いね」
「うん。ホントだね」
思わず嬉しさに駆け寄るが、女子達はまるで見世物のサルを見るようにレッドを見ていた。
レッドも、何か様子がおかしい事にすぐさま気づいた。それと同時に閃きと軽い失望感にも似た気持ちが一気に噴出してきた。
そうだった。ここは、自分の知っているタイガとかオオカミとかがいる世界なのだから女子達とソックリさんがいても不思議じゃなかったのだ。
しかし、見れば見るほどよく似ている。
「レッド、知り合いか?」
「パンダだ!」
「かわいいー」
レッドの肩にポンと手を置いて尋ねるパンガに、レッドは「知り合い」と言いそうになるが、
別人なのは判っているので軽く首を振ってみせると、パンガはレッドの肩に手を回した。
「おい、お前らのような平民が、レッドに声をかけるとは馴れ馴れしいぞ」
「ははーですー」
心のこもってない土下座して見せるシェンナ。このノリのよさはレッドの知る彼女に近いな。と思った。
「レッドは王であるこのオレの妃なんだからな。なー、レッド」
「え、あ、う、うん。そだね、パンガ」
「これは失礼しました。ご結婚おめでとうございます。パンガ様」
クリームが事務的な口調で挨拶すると、パンガは威張るように胸を張ってフンと鼻で笑った
「そうだ。お前達はオレを祝っていたらいいんだ」
「でも、レッドは男ですよー」
「それがどうした。オレもレッドもお互い愛し合ってるからな! そうだろ、レッド」
「え、そうだね。パンガ」
「そうだ。特別に、お前達にオレ達の愛を証明してやる。レッド、キスするぞ」
「えぇっ!?」
レッドは、チラと女子達の方を見た。もしこれが本当の彼女達だったらなんとかして助けてもらいたかったが、
実際彼女達はこの世界の一般市民。下手な事をしたら、パンガの後が怖い……。
「なんか嫌がってませんか?」
女子達の声に、パンガはギロっとレッドの顔を見つめた。可愛らしい顔をしてるくせに何故か目が怖い。
ここはパンガの顔を立てて、一般人に見せてやるべきか。それとも、断固拒否するか。でも、やっぱり怖い。
「(ど、どうせ、キスなんて所詮皮膚と皮膚が触れ合うようなもんだよね……!)」
レッドは、そう自分に言い聞かせると目をぎゅっと閉じて、パンガの唇に飛び込んだ。
パンガはそんな彼の熱意に相当興奮してしまったのか、ぎゅっとレッドの体を抱きしめた。
まるでラブストーリーの、かなりの山場か、ラストシーンといった激しいキスシーンに、女子達はただただ圧倒された。
「だ、大胆……!」
「うわぁ、こっちのレッドはやっぱりそう言う趣味だったんだ」
「あれ……なんかこっちに反応が」
と、そこへモニターを持ったブランが女子達の間を割り込んで入ってきた。
モニターは、正面で繰り広げられている男と男の熱き愛と同様にその前で非常に強く反応していた。
「あれ、こいつが探してたのレッドみたいだけど」
レッドは、その発言を聞くなり「え?」と言う言葉が頭に無数に広がった。
探してた? レッドはなおも激しく唇を寄せてくるパンガから軽く頭をずらして女子達の方を見た。
中央付近にいるのは、ホランがいる。おまけにあの変な機械を手にしている。どういうこと?
って言うか、「こっちのレッド」って……? レッドの脳内で徐々に疑問と現象が点と点で繋がり始めた。
「(ま、まさか……まさか……)」
女子達はブランの持つモニターをのぞき見るまでもなく、目の前の光景をまじまじと眺めていた。
レッドは、名前の通り顔面がレッドになった。この種の恥ずかしさはかつてのご先祖様達でも感じたことがないだろう。
とうとう、我慢できずにパンガを突き飛ばして、すぐさまレッドは女子達に詰め寄った。
「ちっ、違うよ! 僕は、パンガにね!」
「レッドってそう言う趣味だったんだ……」
「だから違うんだってば、誤解なの誤解!」
「大丈夫ですよ。ホランくんで慣れてますから、妙な偏見も起こしませんよ」
「そーゆーことじゃなくてー! 僕はパンガと結婚する気はないんだよ。それに、僕、パンガの事好きじゃないし…」
必死に誤解を解こうとするレッドの腕を突然パンガが掴んだ。かなり強く掴んでいた。
顔を見ずともかなり怒っている事が判った。しまった。つい焦って言い過ぎてしまった。と思った。
「……そんな事言うな。そんな事言うなぁぁぁぁぁぁぁ!」
パンガの声はレッドの鼓膜が激しく震えるほど怒りに満ちていた。レッドは思わず目をつぶった。
腕を握ってくる痛み以上の恐怖に耐えることはできなかった。
「いい加減にしろ。パンガ。お前のわがままでどれだけの人間が迷惑しているかわからないのか」
レッドはハッと目を開けた。その声はこの世界のオオカミ版ホランであるボルフだった。
彼はつかつかとレッドの側まで来ると、
「もう大丈夫だ」
と声をかけると、すぐさまそのサングラスの奥の冷たい目をパンガに向けた。
「ボルフ、来るなといったはずだ!」
「あぁ、お前の結婚式には来てない。オレはただ虚飾にまみれた茶番劇に来ただけだ」
「なんだと……!」
「こんな馬鹿げた事は辞めて、もうこの子を家に帰してやれ」
「断る!」
「聞かなかったのか、彼はお前の事を好きじゃない。お前の我侭に付き合わされて迷惑している」
「そ、そんなの……!」
ボルフは、タイムスティックを取り出すと、レッドの手にそれを握らせた。
「キミはこれで元の世界に帰ると良い」
「あ……」
「ボルフ! てめぇ!」
パンガが今にも飛びかかろうとしたが、ボルフがまたあの冷たい目を向けてくると、
歯がゆそうな顔をしたまま、震える手を下に下ろした。
「お前は、いつもそうだな。ろくなことが何一つ出来ない。人の邪魔ばかりする。
せっかく俺がお前に施しをしてやったと言うのに、その感謝すら感じていないのか」
「…………」
「お前は単なるお飾りなんだよ。偉そうにしているが結局一人じゃ何も出来ないだろう。
現に、俺に反抗すら出来ないじゃないか……」
ボルフが背を向けて歩き出すと、パンガは駆け出し後を追うかに思われた。
だが、数歩歩いた所で立ち止まり、悔しそうな顔を下に向けたままその場に立ち尽くすばかりだった。
悔しい、だが、何もかも彼より下の自分。ただ拳だけが虚しく震えていた。
「おぉい! そこのパンダ野郎!!」
静寂を破って、叫んだのはブランだった。パンガはどことなくボルフに似たブランの姿にたじろいでいると、
すぐさま彼に胸倉を掴まれて揺さぶられた。何が起こっているのか判らないと言う顔をしていた。
パラレルワールド上にぷかりと浮いている、真っ白いビル群がタイムポリスの本部だった。
建物の周囲をベルトコンベアが螺旋の様に取り巻き、同じようなタイムシップが宙を飛んでいる。
それはまるで20世紀に夢見られていた近未来の姿そのものだった。
「あんまウロチョロすんじゃねーぞ。ここは観光地じゃねえからな」
ナズナ刑事の嫌味を受け、ライガと男子達はベルトコンベアの上に乗って、
カーブの部分でバランスを崩しそうになるが、さすが刑事達は慣れているのか微動だにしなかった。
「ハイテクっすねー」
「楽しいのだ」
物見遊山な隊員達を乗せながら建物の中腹まで来たベルトコンベアは右に逸れ、
隊員達は『パラレルワールド課』とプレートのついた入り口から中へと入っていった。
外観が近未来的なのに対し、中はまっすぐ伸びた通路の両端に自動ドアがあるだけのかなり殺風景な光景だった。
そのまま進んでいくと、突き当たりにあるドアが現れ、隊員達がまだ一メートルほど向こうにいると言うのにゆっくりと左右に開いた。
かなりハイテクだ。と思った隊員達だったが、ドアの向こうには、一人のオオカミが立っていた。
「ボス、ただいま帰りました」
刑事達は彼をみるなり一斉に敬礼したので、思わず隊員達も目の前にいるボスオオカミそっくりな人物にバラバラの敬礼をして見せる。
と、ボスは隊員達を険しい顔で見たので、ライガが申し訳なさそうに一部始終を説明した。
すっかり怒鳴られるのかと思っていた隊員達だったが、ボスは真面目な表情のまま深々と頭を下げてくれた。
「……全くウチの刑事がとんでもないことをして済まない。責任を持って、キミたちの仲間を見つけよう」
「あ、ありがとうございます」
頭を上げたボスはナズナとイマチの二人に目配せをすると、
彼らは犯人が入っているライガのタイムスティックを持って、「お先に」とその場を去っていった。
ライガも同様に、会釈をしてその場を離れようとしたが、ボスがその肩を掴んで、首を振った。
「お前は二課の部屋に詰めていろ。この人たちを保護しておくんだ」
「し、しかし、私は警視総監から捜査するように特命を!」
「刑事部長命令だ。それに、保護も立派な仕事だぞ」
ライガの返事を待たずして、ボスは廊下の奥を指差した。それが「戻れ」を意味している事は明らかだった。
その姿は、一切の反論を受け付けない大きな壁のような印象を隊員達に与えた。
「……失礼します」
耳を力なく垂らしてライガはそういうと、ベルトコンベアーの上に隊員達を誘導し、そのまま二課へと向っていった。
ふと、グリーンが後ろを振り向くと、まだボスはこちらをじっと見つめたまま立っていた。
しばらくしてそのままベルトコンベアーを進めていると、突き当たりに『倉庫』と書かれたプレートの掛かった扉が現れた。
だが、よく見れば倉庫の文字には×が付けられており、その下に小さく『パラレルワールド二課』と細いペンで書き付けられていた。
「……ここが私の所属する、パラレルワールド二課です」
何も聞けない。いや、聞いちゃ行けない事を瞬時に悟った隊員達は、恐る恐るその中へと入って行った。
その思いはライガにもしっかりと伝わっていたようで、皮が破れてスポンジがはみ出した椅子に腰掛けながら苦笑していた。
「……鼻摘み者を閉じ込めておくために作られたんです。このパラ二課は。だから、こんな、酷い所で」
「そんな、ライガさんは優秀じゃないですか」
「さっき会ったボス……いや、外村刑事部長がいたでしょう」
「は、はい」
「彼が、幼い頃のブランを助けた人なんです。そして、私の憧れの人でもあります」
ライガが何を言いたいのかなかなか掴めなかったが、隊員達は黙ってその話に相槌を打った。
「……彼は凄い人です。警視長ですから上から3番目の階級になります。基本的にキャリアの成績優秀者から順に昇任します。
が、ボスはノンキャリア。ノンキャリアがなれたとしても、退職昇任で年に数名程度。自力で昇任できる事はまずありません。
しかし、あの人はノンキャリアでありながら自分の実力のみであそこまでに上り詰めた……」
心の底から何かが湧き上がって来ているような顔で、ライガは言った。
本当に尊敬しているのだと言う事がその表情からありありと見受けられた。
「しかし、ボスはただ地位が欲しかったわけではないんです。彼の信念があそこまでの地位を可能にしたのです」
「信念?」
「ボスは私が生まれる前に、奥さんを事件で亡くしました。悲しいことです。
ですが、そこで止まるのではなく、これ以上悲しい思いをする人のないようにと、彼は数々の犯罪を防ぐために尽力しました。
私とブランのあの事件も、一番早く駆けつけたのがボスでした。寸暇を惜しみ、人々の幸せを願うために生きる……。素晴らしい人です」
そこまで話した所で、ライガの目にフッと暗い影が浮かび上がってきた。
「私もボスのような警察官になろうと思ったのに。ブランがバカに巻き添えを食らってこのザマです。
辞令が降りて、ブランは私に謝りました。「悪い」たった一言です。人の人生を、滅茶苦茶にしておいて……!」
ライガは震えながら立ち上がり、その赤い目を憎しみでいっぱいにしていた。
「ライガさん、落ち着いてください。ライガさん」
「チャンスなんです!」
「……え?」
「これで私の成果が認められれば、私は一課に戻れるかもしれない! ブランみたいな奴と別れられるんです!」
ライガの目からはポロポロと涙が零れ始めた。
「……ブランなんか、いなくなれば良いんだ」
「てめぇ、あんな事言われて悔しくねぇのか! てめぇみたいなウジウジした奴がいるからなめられんだぞ!
ろくに何一つ出来ないとか、邪魔ばかりするとか言われてんだ! 自分より出来る奴に勝手に決められて……」
パンガは何故彼がここまで怒っているのか理解できなかった。だが、彼の目の奥にどこか自分と似た気持ちがある事だけはしっかり感じられた。
出来る人間と出来ない人間、そして彼も自分と同じ後者側なのか。彼の言葉がじんと心に入っていく気がした。
「オレはな、昔っから兄貴と較べられてバカにされてきたんだよ。グレたこともあったよ。悪い仲間とつるんでばっかだったよ。
でもな、高3になったばっかりの頃、兄貴がタイムポリスに入ることを知った」
「た、たいむぽりす……?」
「昔、オレと兄貴は約束したんだよ。タイムポリスになろうって。オレを、守ってやるって、オレも兄貴を守ってやるって。
その頃は、ほとんどお互いに口も聞かなくなってたけど、それを兄貴が覚えてるんじゃないかってちょっと嬉しくなって、
……結局、覚えてなんかなかったみたいだけど。でも、その夢に向う兄貴が悔しくもあって、
オレは精一杯勉強した。バカだけど、せめてビリでも良いからタイムポリスに入りたかった。そんで、なんとか受かった
兄貴は、オレが兄貴の真似事をしたと思ってる。でも、それは違う。オレは、兄貴を越えてやる。それが、
オレが本当の意味で兄貴と肩を並べることの証明になるからだ。そして、今までオレと兄貴とを見比べてきた奴を見返せる!」
熱く語ったブランは、パンガの冴えない表情にようやく気づいた。
「そ、そんなの無理だ。オレとボルフは何もかも違いすぎるんだよ。アイツから、アイツからこの地位だって」
「お前は」
「てめええええええええええええ!!!!」
突然、ブランとパンガの間に怒りで血管が浮き出ているエコが飛び出して、パンガの胸元をぐっと掴んだ。
観客やオオカミ達は、突然料理台の下から飛び出してきた謎の少年に、ざわついていたが、本人は全く意識していなかった。
「グチグチ言ってんじゃねえ! 何で勝手に無理だって決めてんだよ。やってみなきゃ何もわかんねえだろうがよ!
他人変えようったってそんなの無理に決まってるんだぞ。 だったら 自分を変えるしかねえだろうが!!」
パンガは、ハッとしてエコを見つめた。もう一人の自分、いや今の自分を乗り越えたような自分がそこにいる気がした。
「お前だって、本当はわかってんだろ。後ろなんかねえ、前に進むしかねえんだってことぐらいよぉ!」
「……」
「それに、お前は自分でも思ってるはずだ。オレは、オレは、何もできなくなんかないって!
ぶん殴ってみろよ! ムカつくんなら、自分にもアイツを超える気持ちがあるんなら、行ってぶん殴ってみろよ!」
「お、俺は……」
パンガは何も言わずに、その目を遠くにいるボルフの方へと向けた。
エコの言う通りだった。自分は、自分は、お情けで今の地位があることには違いない。だが、本心は、自分の力で……。
「……待てよこのやろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
野獣の咆哮の様な地を響かせる声をあげると、パンガは駆け出した。ボルフはチラと背中越しに迫り来るパンガを捉えた。
……最初で最後の真剣勝負だなとボルフは思った。彼は、その場に立ち止まり真正面を向くと、突っ込んでくるパンガに向って駆け出していった。
──長い戦いだった。お互いボロボロになりながらも、最後の最後でパンガの拳はボルフの顎を直撃し、そのまま後ろ向きになって倒れた。
パンガには、倒したボルフの顔が何故だか、「やれば出来るじゃないかお前も」と笑っているように見えた。
「よくやった! やればできんだよお前も!」
「すげえよお前!」
「おぉ……おぉ……」
ボロボロになって泣いているパンガをブランとエコが胴上げしている脇で、
チャイナ服姿のレッドに女子隊員達が駆け寄っていった。
「レッド、大丈夫?」
「まぁ、なんとか大丈夫だったよ」
「凄い物見せてもらいましたよ」
ニヤニヤしている女子隊員達の前で、レッドは気恥ずかしそうに顔を赤らめて本当の意味でレッドになった。
そして、我らが隊長は前方にいるパンガに目をやり、ゆっくりと彼に近づいていった。
胴上げを終えたパンガは、レッドに気づくと目を逸らして、悲しそうな顔をして見せた。
「ごめんパンガ。やっぱり僕、結婚することは出来ないよ」
「……もう良い。初恋っつーのは、絶対叶わないもんらしいからな」
強がってはいるが、パンガの心中は一緒にいたレッドはよく判っていた。
ここは同情せずに、優しく、励まして次に繋げてやるのが一番良い。レッドは彼の肩にそっと手を置いて微笑んだ。
「いつか良い人が現れるよ。男なんて星の数ほどいるんだからさ。ホラ、あの辺とかにも」
と、レッドが適当にその辺を指差すとそこにはガーネットが立っていた。
よく見れば、レッドと同じようにチャイナ服を来ており、ゴーグルもつけていない。おまけに何故かもじもじしている。
最初は指を指されたことを照れているのかと思えば、どうやら違うらしい。一人だけギャラリーから外れて、
ヴァージンロードに立ってパンガの方をチラチラと見つめていた。パンガもそんな彼の存在に気づき、
何かしら気になる事があるのか、黙ったまま彼の前に歩み出た。
「ぱ、パンガ様、俺、パンガ様ってなんだか偉そうなだけで大した事ないと思ってました」
「お、おう」
「でも、あの戦いっぷり。カッコよかったです。俺、マジ惚れました。あの、そ、それだけです。じゃ、じゃぁ……」
「待て」
急いで走り去ろうとしたガーネットクリソツ少年の腕をパンガは掴んだ、二人は見つめあい。いつの間にかパンガは彼を抱擁していた。
どうやら、運命の人は意外と早く見つかったらしい。レッドは彼の変わり身の早さに喜んで良いのか呆れれば良いのか……。
でも、彼が幸せになるのならそれはそれで良い事だと思い、レッドはそっと心の中で拍手をした。
「まー、とにかく、レッドが無事でよかったですね。これで帰られますよ」
「うん。あ、でも、まだ他にもエコが」
「エコもいるんですか?」
「いや……」
「おう、レッド! 本当はお前が来てから飛び出すつもりだったんだけど、ついキレちまったぜ~」
レッドはこちらに笑いかけている明らかに不良スタイルのエコを指差すと、女子達からは驚愕の声があがった。
「あ、あれ、エコくんなの!? ホントに!?」
「うん。かくかくしかじかと言うわけでね。一緒に来ちゃったんだよ」
「でも、こっちのエコ君の方がなんだか男らしくてカッコイイね」
「うん。このエコ君だったら付き合っても良いかも」
女子達はぼけーっとしたエコよりも不良ぶりが板についているこちらのエコをキャアキャア良いながら眺めていた。
本人も悪い気がしないのか、エアギターを弾きながらカッコつけている。
「所でエコ、他の二人は?」
「あ、それならオレと同じ所にいるぜ。オーイ、出て濃いよー!」
レッドから少し離れた場所の料理台の下からテーブルクロスを引っぺがして、
フードを被ったパープルそっくりなテオと、ウィックにそっくりなルベウスが現れた。
「じゃ、レッドも見つけたし皆は、船に乗ってね~」
ブランの言葉に、隊員達はやっと全てが終わるのかと安心したように息を吐いた。
「あー、これでやっと帰られるぜ! あと、エビチャーハンも食いてーよな!」
こちらにやってくるテオに笑いかけるエコだったが、その彼の笑顔を砕くかのように、
テオは突然、銃を顔面に突きつけた。
「その必要は、無い」
「……え?」
テオの異変に気づいた時には既に遅く、我らが隊長レッドにも背後から銃が突きつけられていた。ルベウスだった。
彼らの持つ銃はタイムスティックを変形させた粒子銃。何故か別のスティックを彼らが持っている。
「えぇっ!」
レッドとエコだけでなく、女子達やブランまで一斉に声をあげ、その場に固まってしまった。
ブランもタイムスティックを持っているとはいえ、人質がいる犯人の前で下手に動くことは出来なかった。
「……動くとコイツの命はない」
「え、な、なに、どゆことこれ……」
「悪いな。俺ら、実はすっげー悪い奴なんだぜ?」
レッドのこめかみに銃口を押し付けながら、ルベウスはニヤリと笑った。
隣を見るとエコは相当ビビっているのか顔を青くしたまま、
「ふふふふふ、ふざけんなよよよよよ」とほぼ聞き取れないような声で呟いていた。
「オイ、そこの白い虎猫。俺達だけじゃこの船運転できねーからさ、お前も一緒に来てもらう」
「何だと!」
「ただし、その銃に変形できる機械は置いておけ。さもなくば」
レッドの頭に強く銃口を押し付け、彼の首50度傾いた。
ブランは、歯を食いしばりながら、渋々地面にタイムスティックを置き、手を挙げた。
その後、足下で何かが破裂した。テオの放った粒子銃が地面に置いたタイムスティックを破壊したのだった。
「下手なことされると困るからねえ」
「くっ……」
「じゃ、乗ってもらおうか。急げよ」
そう言って二人は人質の苦痛に歪む顔をブランに見せた。ブランは女子達の方へ振り返ると、
「大丈夫。すぐタイムポリスの奴が助けに来てくれるから、それまで我慢して待っててね」
そう言って微笑みながら、タイムシップに乗り込んでいった。
続けて人質を連れたテオをルベウスも中に入っていく、と、ドアを閉める直前に、
テオは隙間から顔を出し、軽く片手挙げて、こちらに手を振った。
「バイバーイ」
その直後、タイムシップは姿を消した。女子達は突然の再会と別れの前にただ呆然と立ち尽くしていた。
鑑識にやって来たナズナ刑事達は、刑事のクセに青いトンガリヘアーをしているBC団の変猫に似た、
鑑識のフェン巡査部長をたずねた。
「今すぐ捕獲してきた2名の犯人のデータを調べてくれよ」
遺留品の調査をしていたフェン巡査部長は、ナズナ達からタイムスティックを受け取ると、すぐさまそれをパソコンに接続した。
しかし、繋いですぐに彼はタイムスティクの接続を外し、不思議そうな顔でこちらを見つめた。
「どうした?」
「あのー、この中には犯人どころか、アリの一匹すら入っていないようですが」
「んなバカな! ブラ男の兄貴はちゃんと捕まえたって言ってたぞ」
「し、しかし、現に誰も入っていないわけで……」
ナズナはフェンからタイムスティックを奪い取ると、今度は自分達が捕まえた犯人の入った方を差し出した。
こちらの方はちゃんと入っていたようで、フェンは頷きながらカチャカチャとキーボードをリズム良く叩いた。
「はい、OK」
「出たか?」
「いえいえ、解析までちょっと時間がかかりますんで、それまで遺留品のリストをチェックさせて頂きます」
「何だそれ!」
ちょうど回収の済んだ爆破事件の遺留品を片っ端から見ていった。
かなりの規模の爆発なだけあって、無数のタイムシップの破片が無数のダンボール箱にぎっしりと詰められており、
こうして遺留品を見ている合間にも、次から次へと新たな箱が運ばれてきていた。
「今運んでいるので、犯人確保に向ったタイムシップ全27隻の破片の全部になります」
そう言って、フェンは辞書並みになってしまった厚さの押収品リストをナズナ刑事に手渡した。
彼の言うとおり、どのページをめくっても『破片』という文字と識別番号言しか書かれていなかった。
何とか特に目新しい物を探そうとしてみるのだが、結局『破片』の文字はリストの最後まで続いていた。
「これ以外はないのか?」
「ええと、後は制服の切れ端ぐらいですね。犯人の遺留品らしき物は今の所発見されてません」
「じゃぁ、残ったのはタイムポリスの人間の物ばかりと言うことっスね……」
「そうですねえ、なんせ相当な規模の爆発ですから。駆けつけたタイムシップは全て大破して、
一課の人々もあなた方二人を残して30余名が重傷を負いましたが、命が無事だっただけ何よりです」
どう見てもゲーセンにたむろっているヤンキーにしか見えない風貌の彼だったが、表情は穏やかだった。
「爆発の原因は?」
「爆弾が使われた痕跡は見当たりませんでしたが、ここまでの破壊力ですと、時空間自体に何らかの干渉があったかと考えるのが自然です」
「複数のタイムスティックを使ってやられたんスかね。時空をお互いに干渉し合ってどうのこうのって確か講習で」
「いえ、奪われたスティックは5本。5本だとさすがにタイムシップ2つ分吹っ飛ばすくらいが関の山ですし、
第一、そんなことをしたらスティックを持ってる犯人達が吹っ飛んであの世行きです」
「じゃぁ、一体どうやって」
「そ、それは……現在調査中です」
「使えねぇな!」
「無茶言わないで下さい。そもそも、あれだけの爆発で犯人が無事に逃走していることの方が私は不思議なんですから」
フェンはそう言って、再び部下から手渡された押収品のリストに目を通し始めた。
彼の言う事は最もだとナズナ刑事は思った。犯人はパトロール中のタイムシップを襲撃し、救助信号を出され、焦ったため船体ごと爆破した。
下手すれば、いやほぼ死ぬような大博打をわざわざやるだろうか。
運が良かったと言う事なのか、それとも、そこまでしてタイムポリスを遠ざけたかったのか。いや、もしかしたら目的は他にあったのかもしれない。
「ちょっと待て。最初に襲撃された5人はどうなってる」
「……彼らだけ未だ発見されていません。爆発の中心地にいたため生存は絶望的かと……我々は一縷の望みにかけるのみです」
「お前の希望的観測はどうでも良い。ソイツらの名前は?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
フェンは、ナズナの迫力に押されるように後ろのテーブルから別のリストを持ち出すと、素早くそれに目を通した。
「えーと。一課のケイジ巡査部長、シンヤ巡査部長、マモル巡査、リュウ巡査。そして時空管理課のハルキ警部補です」
「なんで一課のパトロールに時空管理課の人間が同行してるんだ」
「はぁ。恐らく定期的にやってる視察の一環だったのではないかと思いますが」
「センパイ、急にどうしたんスか?」
「妙だろ」
「な、何が?」
「逃走したいだけなら、タイムシップを奪えば良いだけのことだ。何故爆発させる必要がある?」
「それは、応援を足止めするため……?」
「わざわざ自分達を危険に晒してまでするほどのことか?」
「それは……」
「もしかしたら、爆発は犯人が起こしたものじゃないのかもしれない」
「まさか、だったら誰がそんなことするって言うんです?」
「さっきライガ警部補らと一緒に遭遇したあの謎の爆発。あれなんか気にならないか?」
「あれ、ですか?」
イマチは、あのパラレルワールドの謎の爆発の事を思い出した。確かに関係が無いとは思えなかった。
そこまで考えていると、突如タイムポリス内に非常警報のアナウンスが流れ出した。
タイムシップに予め備え付けられている、救助信号システムによって連絡された内容を報告するものである。
『救助信号救助信号、パラレルワールド二課のブラン巡査が人質を取った謎の一味に拉致されました。
至急、ブラン巡査と人質の救助に向ってください』
「ったく、ブラ男はろくなことしねえな。いくぞ、イマチ」
「わかりました!」
「鑑識さんよ、ちゃんとデータ解析しとけよな!」
そう言って、ナズナ&イマチ両刑事はすぐさま、鑑識を飛び出していった。
一人残されたフェン巡査部長は、やれやれと首を振って、パソコンに向った。
解析はまもなく終わろうとしている頃だった。犯人の住む世界のタイムコードを割り出し、
そこから犯人の逮捕につなげていくということなのである。
と、ようやく結果が出た。だが、その結果はあまりにも予想外の物だった。
「……こ、これは!」
通常ならばそこに当人の所属する世界のタイムコードや、世界の概要などのデータなど、
目が辛くなるほど細かな字で表示されているはずなのだが、モニターにはただ七文字、
『該当データ無し』……そう表示されていた。あり得なかった。
何故ならば、その表示の意味が『どの世界にも存在しない人物』と言うことだからであった。
タイムシップの隅に座らされた人質レッドとエコは、銃を片手に立っているルベウスを前に成す術もなかった。
前の方では、ルベウスに銃口を向けられながらタイムシップを運転しているブランの姿があった。
乗り込んでから全員、一言も言葉を発していない。重苦しい空気に今にも潰されそうだった。
「……お、オレたち、どうなるんだ?」
今まで粋がっていた態度とは180度変わってビクビクしているエコは、隣にいるレッドへ不安そうに声をかけた。
人質なので、当分は安全の保証が約束されているだろうが、価値が無くなったその先はどうなるか、
彼らの考え次第である。「わかんない」としかレッドは言えなかった。エコは、不安で目に涙がじわりと浮かんだ。
「オレ、オレ、こんな所で死にたくねぇよぉ……うぅ……うぅっ……」
とうとう、エコは泣き始めてしまった。泣き上戸な所は例のエコと同じらしかったが、
子供のように泣き喚く彼とは違い、こっちはさめざめと泣くので、始末は良かった。
「心配しなくても、殺しはしねぇよ」
泣き出すエコに呆れた顔で立っているテオがぽりぽり頬を掻きながらそう言うと、エコはまだ疑わしそうな目で彼を見返した。
「ほ、ホントだろうな?」
「あぁ、俺らの用が済んだら返してやるよ」
「す、済まなかったら?」
「さぁな、その時は、ずっと人質になってもらうしかねぇな」
意地悪く笑いながらテオが言うと、もはやそれは冗談には聞こえなかったようで、
エコは「うぁぁぁぁ」と、ボロボロとドロップのような大粒の涙を零しながら泣き始めてしまった。
「お前らオレのダチだったじゃねえかよー」
「バーカ、そんなの誰かと行動して隠れてようと思ってたからさ、
この機械で偽の記憶を植えつけたんだよ。実際の所、お前、オレらがダチだってこと以外覚えてねえだろ?」
「うわぁぁぁぁん。その通りだよぉぉぉぉぉぉ」
「ヘヘへ、コイツおもしれーな」
「テオ…あまりからかうな」
ルベウスがぽつりと声を漏らすと、テオは「ハイハイ」と気の無い返事をして舌を出した。
レッドはエコの頭を撫でてやったが、泣き止む気配は一向になかった。
「死ぬ前にレッドさんに会いたいよぉ……やだよぉ……ベストアルバム聞きてぇよぉ……」
「うんうん、そだねそだね」
「水曜の歌番……録画してぇよぉ……レッドさんにマル秘ゲストって誰なんだよぉ……超見てぇよぉ……」
「そうだね。気になるね」
「腹も減ったよぉ……エビチャーハン食いてぇよぉ……今朝パンしか食ってねぇよぉ……」
「僕もお腹空いたよ」
「髪も切りてぇよぉ……うぅっ……レッドさんとお揃いにしようって思ってたのによぉ……」
「そだね。どんなのかわかんないけど、カッコイイんだろうね」
「あと……あと……」
「いい加減うるせぇ!」
グチグチ泣いているエコに痺れを切らしたのか、テオは銃を手にこちらに向ってきた。
「殺しゃしねぇって言っただろうがよ。あんまりうるさいようだと、ホントにぶっ殺すぞ!」
「うわぁぁぁぁ! レッドさん食いてぇのにぃぃぃ……!」
銃口を突きつけられたエコは、混乱のあまり色々な願望が混じってしまったらしく物騒な事を喚き始めた。
黙らせるつもりが、よけい火に油を注いでしまいテオも頭をガリガリ掻き毟りながら苛立っていた。
「余計なことはするなよ。わかってるだろうな!」
ブランが振り向こうとするが、ルベウスに「運転していろ」と脅されて悔しそうに前を向く。
せめて、タイムスティックがあれば……。どうしようもない状況に、ブランは唇を噛んだ。
「……ねえ、キミたちは、何がしたいの? いい加減僕らに教えてよ」
とうとう、我慢できなくなりレッドは二人に尋ねた。
「俺は別に何も。ただ、コイツについて行ってるだけさ」
しばらく間を置いてテオがぽつりと答えた。レッドはブランに銃を向けているルベウスの横顔をじっと見つめた。
今まで行動していても、彼はろくに話をしなかった。何を考えているのか判らない人物だった。
そんな彼が何を目的としているのか、レッドには読めない。歴史の改竄なんてチャチな理由では無い。妙な確信があった。
「ルベウスは何をしたいの」
ルベウスは何も答えずにいると、
「さぁね。俺は知らないぜ」
と、すかさずテオが両手を横に出しながら大袈裟にジェスチャーを取って答えた。
「知らないのに付き添ってるの?」
「俺は興味ないんでね。いや、興味があるからついて言ってるって方が正しいっつーか」
「僕ら人質なんだから、教えてくれても良いじゃない。ねぇ?」
隣のエコを揺さぶってレッドは同調を求めたが、すっかり怯えている彼は頷いているのか震えているのかも判らない微妙な反応を示した。
あまり彼はアテに出来ないなとすぐさまレッドは悟った。
「そんなの聞いてどうすんだよ」
「歴史の改竄? それとも、まさか全ての世界を征服したいとか?」
「人質はそんなの知らなくて良いんだっつーのに」
「君には聞いてないの!」
テオはやれやれと首を振って、呆れたように苦笑した。
再び沈黙が訪れた。当然、エコの言葉にならない呟きはあるにはあったが、大体沈黙と言って良いだろう。
その間、レッドは何も言わずじっとルベウスの方を見つめていた。彼の意志が固いなら別にそれでも良いとは思う。
何としてでも知りたいと言う物でもない。だが、彼を見ているとどうしてもレッドの心に引っ掛かる物があった。
「ねぇ……」
もう一度、「教えてよ」と言いかけた時だった。ふいにルベウスが口を開いた。
「……お前は、後悔したことはないか」
彼がどういう意味でそれを言ったのかレッドはすぐには理解できなかった。
背を向けている彼は、その胸の内を察することが出来たのか、
初めから返事は求めてなかったのか判らなかったが、少し間を置いて言葉を続けた。
「タイムマシンがあったらお前はどうする」
「え?」
「すぐ未来を見に行こうとするバカなんているか」
「そ、そうか? オレは見に行きたいけど」
ようやく現実に戻ってきたらしいエコが能天気に会話へ割り込んできたが、レッドもルベウスも既に彼は眼中になかった。
「ある男がいる。コイツは、自分の前にいた奴が買った宝くじが一等だったことがあってから宝くじを買い捲ったが、
結局、当たらないまま気づけば借金まみれになった」
「……」
「もう一人いる。コイツは意中の女に告白できずに他の男に取られて、やさぐれてしまい、
気づいた時には、もうクズ同然になり果てていた」
「あれ。それって……」
「あの時あぁしていれば……誰もが思うことだ。そうだろ?」
「でも、そんなこと」
「そんなこと、か」
ルベウスはフッと笑って、レッドを小ばかにするような目で振り向いた。
「そんなの他人から見ればの話だ。だが、本人にとってはそんなことじゃ済まないんだぜ」
「それはそうかもしれないけれど……」
「そんな後悔を抱えたまま生きて行くなんて、苦痛以外の何物でもない。人生を否定してしまうような後悔なら尚更だ……」
ルベウスは目を細めた。"人生を否定されてしまうような後悔"……そこに彼の動機の核があるとレッドは直感した。
「俺も後悔してる。気づいたらこのザマ、チンケな悪党になったわけだ……。もうまともな人生には戻れない。
いや、まともな人生なんて送れるはずが無い。送って良いわけが無いんだ。特に俺はな」
「そんな決め付けなくても、人生まだまだこれからじゃない。君も僕と同い年くらいでしょ」
「そんなくだらない励ましはいらないぜ? そんなの、他人事だから言えるのさ。そうだろ、ルベウス」
テオが横から口を挟んだ。ルベウスは何も返答しなかったが瞳は彼の意見に賛同しているようだった。
「生きてりゃそのうち良い事あるとかな、そんなの能天気に生きている奴の言葉だよ。後悔ばかりしてる奴はどうだ。
今まで後悔ばかりして、到達しちまった人生の先に良い未来なんて待っているのか? 俺は待っていなかった」
「……」
「いつまで待っても良いことなんてなかった。落ちていくばっかりだ。これからも無いに決まっている」
「……」
「余計な励ましは必要無い。俺はもう人生なんてどうでも良い。だから、お前の偽善的な言葉は結構」
「そんなの……」
「っだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
レッドの言葉をかき消すような大声をあげながらエコが突如立ち上がった。
「もう、我慢できねぇ。てめぇらグチグチグチグチ情けねぇこと言いやがって!」
彼の目は怒りに震えていた。今まで見ていたような、能天気な顔ではなかった。
エコはテオのもとに駆け寄り胸倉をぐっと掴んだ。
「オイ、てめぇ。さっきから聞いてりゃ、訳のわかんねぇ理屈ばっか並べ立てやがって。
前の時もオレに散々言いやがってたが、今度こそ、カ、カンネンブクロ…?とかそんなのが切れたぞ!」
「離せよ」
「後悔ばっかりの人生って何だよ。オレはなぁ、赤ん坊の頃から親が両方ともいねぇんだよ」
レッドはハッとしてエコを見つめた。
「いじめられて、バカにされて、自分が嫌になったけどな。レッドさんの歌と出会って救われたんだ。
レッドさんはなぁ、オレに教えてくれたんだよ。わざと目を閉じてたオレに、お前の前には、
色んな色した、色んな温度の、色んな顔した、たくさんの物が溢れてるってな」
レッドは、胸の奥がキュッとするような感覚を覚えた。
「これから先だって、そうだ。嫌な事もある、嫌なことばっかかもしれねえ。でも、でもよ、
すげえと思わねえのか。世界って広いんだぜ。人生って長げえんだぜ。想像も付かないような奴や場所と出逢えるんだぜ。
その中にはさ、オレ自身が大事にしたい、そのために生きていける。そう思える物だってあるかもしれねえだろ」
「……そんな事出来るのは特別な奴だけさ、なぁ、ルベウス」
ルベウスはエコの迫力のせいか目を見開いたまま呆然と立っていたが、テオの言葉に気づくと「あぁ」と小さな声で返した。
「オレの話を最後まで聞け」
「嫌だ」
「良いから聞けよ!」
エコは、腹の底から叫んでいた。
「……レッドさんの歌に『道』ってのがある。初めてレッドさんが作詞作曲したデビュー曲だ。
オレが、オレが初めてレッドさんと出会った曲だ。歩くたびに足下に嫌なことや後悔がまとわり付いてくるもんだ。
歩くたび歩くたび、どんどんそれが付いてきて、歩きづらくなる。とうとう歩けなくなると、みんな困った顔で足下を見つめるんだ。
誰も、そうしたままで誰かがそれを取り払ってくれるのを待っているだけなんだ」
「何の話だ」
「わかんねぇのかよ! また歩き出すにはな、自分でそのまとわりついたものを払わなきゃいけないんだよ!
レッドさんは取り払って歩き出した。オレも取り払った。テメェらは足下ばっかり見つめてるだけじゃねーか!
どんなに足が重くなっても、結局取り払うのは自分しかいねえんだぞ!」
「無駄だよ。取り払って歩いていって、結局くだらない人生だったらどうするんだ。そんなの無駄なだけじゃねぇか」
「ふざけんじゃねぇ!」
エコの手は力を入れてテオを掴んだ。かすかに足先が宙に浮かぶ。
「道は一本道じゃねえぞ。何本にも分かれてる。行ってみるまでどの道を選べば良いかもわかんねぇし、
途中で障害物とか、色々あるかもしれねぇけど、どれかの道を選ぶしかねぇ。でも、歩くからには自分で決める。
ちゃんと考えて自分が良いと思った道を選ぶんだ。オレは、傍からみりゃくだらねぇ人生かもしれねえけど、
自分で決めた道をちゃんと歩いてる。道の向こうに何があっても、オレは平気だ。自分で良いと思って決めた道だ。
オレはこれからちゃんと考えて後悔しない生き方をする。生きるってそういうことじゃねーのか!」
「人間は誰でもそんなに強くねーんだよ!」
テオはエコの腹に思い切り足蹴りを食らわせた。エコは腹部を押さえながら床に転がった。
「まだガキだからそんな甘いことがいえるんだ。何が道だ。今が良くても、そのうち後悔する日が来る。
その時、無様な自分の姿を見て嘆くのはテメェだ。後悔に目をつむって、バカみたいに笑って生きるつもりか」
「……後悔を消すわけじゃねぇ! 取り払った物は確実に今まで歩いてきた道に残ってんだ! 人生の一部としてオレの後ろにある。
後悔をしない人生じゃない。後悔だけの人生でもない。オレのは後悔しながら、喜びながら生きていく人生なんだよ!」
「青臭いテメーの与太話はもうたくさんなんだよ!」
テオは、エコの側まで寄って来るとその脇腹に蹴りを入れた。エコが呻くとすかさずもう一度蹴る蹴る蹴る。
レッドにはテオの表情が、苛立ちでも、憎悪でもなく、悔しそうなものに見えた。"何故、お前は未来に期待しているんだ"
「……痛ぇなっ!」
エコはテオの足を掴んで、自分の側に引き倒した。もがくような足蹴りがエコの顔面を擦るが、
すぐさま両足を掴み、攻撃が止んだその隙に立ち上がった。グッと拳を握ると、慌てて立ち上がろうとするテオに彼は駆け寄った。
「エコ、ダメだよ!」
「うぉおおおおおおお!」
エコの拳はテオの右頬を狙った。だが、その時あり得ない出来事が起こった。
その拳はテオの顔をすり抜け、エコの体はそのままテオ奥の壁に寄りかかるようにしてテオの体をもすり抜けた。
「……な、なんだ……」
一瞬何が起こったのか、誰も判らなかった。テオの体がまるで幽霊のように半透明になっていたのだ。
慌てて、レッドやエコ、ブランも自分の手を見つめる。だが、どうやら半透明になっているのは彼だけのようだった。
「……なんだよこれは!」
テオは叫んだ。悲痛な声だった。

≪その5に続く!≫