第103話
『エコ、家出する』
(挿絵:グリーン隊員)
「……あれ、お前ウィックじゃないか? 久しぶりだな!」
改造猫候補を探すついでに腹でも満たしてくるかとBC団首領ウィックが朝早くに街を歩いていると、
向こうから歩いてきたスーツ姿の男が、明るく声をかけてきた。
「俺だよ俺。孤児院で一緒だったケンジ」
嫌な奴に会ったとウィックは思った。オマケに忌々しい過去の事など捨てたも同然だった彼にとって、
他のガキの顔は忘れても、この男の事だけは唯一覚えていたことがいらだたしかった。
お前も捨てられたくせに……! 同じ境遇のくせに明るく振舞ってい周りから好かれている彼をウィックはずっと憎んでいた。
そんな男と再会したいま、あの時の感情が胸の奥からこみ上げてくる。
「お前が孤児院脱走してからどうなったのかみんなで心配してたんだぜ」
「……そうか」
男から顔を逸らしたまま、素っ気無くウィックは答えた。早くこの場から離れたかった。
「お前、今何やってんの? ってかその顔の何? タトゥー?」
「……貴様には関係ない」
「わかった。パフォーマーか何かだろ? そっか~お前って凡人とは違う感じだったもんな」
「…………」
「俺はさ、サラリーマンやってんだ。まだ新人だけど、上司も良い人だし何だかんだで楽しくやってるよ」
あの時と変わらぬ明るい笑顔を見るなり、ウィックは耐え切れなくなった。
無言でそのまま早足で男の脇をすり抜けた。
「俺、ホワイトタイガーエンタープライズの営業部に勤めてるからさ、何かあったら相談のるぜ。いつでも来いよな!」
人ごみの中に消えていくウィックの背中に男は声をかけた。彼は何も答えなかった。
どうしてアイツはあんなに楽しそうなんだ。どうしてあの時のままお前は生きているんだ。
何百もの恨みの言葉がウィックの中に次から次へと生まれてきた。舌打ちをしても、し足りなかった。
いつか俺がこの世界を支配してやる。その時、お前のような奴を片っ端から不幸のどん底に落としてやる……!
──俺はブラックキャット団首領。ウィック。人間共に復讐することだけが俺の望み。
ウィックは確かめるようにBC団の証である頬の模様を触れると、ぐっと自分の前を睨みつけながら早めの帰路に就いた。
『愛のためならば死をも恐れない…輝く子と書いて輝子…これはそんな彼女がその生命をかけて真実の愛に生きた波乱と情念の物語である…』
昼飯どきをとうに過ぎて、談笑している暇なオオカミたちがぽつぽつと点在している頃、
エコはいつものように特等席に陣取って、仰々しく始まった古いドラマの再放送を口を半開きにしながら眺めていた。
オオカミ軍団で一番のテレビっ子である彼は、特に昼ドラやこの種の大袈裟なドラマが大好きだった。
周りのオオカミ達は、大袈裟で衝撃的な展開が刺激的かつ判りやすいからエコにちょうど良いんだろうなんて呆れながら話しているが、
実際の所それもある。だが、エコにとっては何だかそんなドラマを見ていると何だか良い様の無い気分になるのだ。
と言っても、愛だの人生だのと語られるテーマに共感しているわけでもない。要は“良く判らないけどなんか好き”と言うことだった。
『いいこと、譲治。……今度、変な真似でもしたらあの女の髪を全部引っこ抜いて、本当に輝子にしてやるわよ』
『母さん! 僕は輝子を愛してるんだ。例えこの身が滅びようとも、輝子を愛し続ける!』
『譲治……お前まで母さんを裏切るの。よりにもよってお前の父親を奪ったあの女の娘なんかと……!』
物語が佳境に入ってくると、エコは昨日の飲み会で残ったピーナッツや柿の種などのおつまみを口に運ぶ速度が上がった。
とうとうTVの中で眩しいくらいに光る包丁が現れると、あっと声をあげて彼は手にしたピーナッツを机の上に落とした。
『母さん、そんな物で脅しても僕は輝子の所に行くよ』
『そう、それならそれでかまわないわ。だったら、お前の母の死体を乗り越えて行くが良い!』
「えぇぇぇぇぇ! 危ないよそれ!」
思わずテレビに向って叫ぶエコだったが、そんな忠告も虚しく、ブラウン管の向こうへでは母親が自分の胸に向けて包丁を振り下ろした……!
その瞬間、エコの鼓動の高まりを急激に冷ますかのように、テレビはプツンと切れてしまった。最初はそう言う演出かと思ったが、
いつまで経っても画面は黒のままから変わらない。さすがにおかしいと思って、辺りを見回して見ると、
エコから3つほど後ろの席に座っている4名のオオカミ達がリモコンを片手にこちらを見ながら笑っていた。
「ホラな。気づくまで10秒以上かかっただろ?」
「ちぇ、じゃぁ1000円な」
「やっぱバカだからな。あいつ」
ようやくエコは彼らにテレビを消されたことに気づき、慌ててオオカミ達の手からリモコンを奪い取ってテレビを付けた。
すると、場面はすっかり変わってしまっており、恋人の亡骸にすがって号泣している主人公の姿が映し出された。
『いやぁぁぁぁ! 譲治さぁぁぁん! どうして、どうして死んでしまったの! どうして!』
彼女の叫びと共に画面は暗転し、『つづく』の文字が映し出されるとエコは全身から力が抜けた。
毎日毎日楽しみに見ていたドラマの大事な所を見逃してしまったその気持ちは彼にとってはあまりにも大きすぎた。
その哀しみと怒りは、賭け事なんかをやっていたオオカミ達に向けられ始める。さすがのエコもこればっかりは我慢できなかった。
「何すんだよー! 良いとこ見逃しちゃったじゃないかー!」
「早く気づかないお前が悪いんだろうが」
「そうだそうだ。俺ならすぐ気づいたぞ」
「俺も俺も」
全く悪びれた素振りを見せないオオカミ達にエコはカチンと来た。いつもいつも年下だと思ってバカにしてくる。
暴走族出身のエコにとってナメられる事は最大の屈辱だった。
「お、オオカミが悪いんだろぉー! オレは何もしてなかったのに!」
「うるせぇよ。こっちは二日酔いでガンガンしてんだから」
別な席のオオカミから野次が飛ぶと、ここにいるオオカミ達も同調してそうだそうだと囃し立てる。
他のオオカミも賛同してエコをからかい始めると、さすがにエコも体を震わせながらオオカミをにらみつけた。
「……い、いい加減にしろぉぉー! 」
日頃ぼけーっとしていながらも、その合間をすり抜けてゆっくり積もり積もった怒りがとうとう爆発した。
エコはオオカミ達に体当たりするような形で突っ込み、オオカミ達を手当たり次第に殴りつけた。
──10分後、
「ふぁぁぁぁぁぁん! ボスーーーー!」
全身がボコボコになったエコは、最後の頼みであるボスオオカミの部屋のドアを大泣きしながら叩いていた。
いくらサイボーグとはいえ、頭身も倍以上ある戦闘用に鍛えられたオオカミ達の前ではエコは戦車の前にした蚊ほど無力だった。
多少そこらの同年代の連中よりかは根性があるものの、ケンカはめっぽう弱いため、どっちみちダメな事には違いなかった。
「どうした、エコ。ボロボロじゃないか」
ボスオオカミがエコを迎え入れてくれると、エコはいつもののんびりとした口調とは一転機関銃のように事の経緯を話した。
その次には、ボスも同じように怒ってくれて「オオカミにキツくいっといてやる!」とでも言ってくれると思っていたが、
ボスは難しそうな顔をして、エコの頭をぽんぽんと叩いただけだった。
「ボスー、オオカミに怒ってよー。文句あるなら悪エコに言えって言ってよー!」
「まぁ、昨日は飲み会中に悪エコが暴走して色々あったからな。オオカミもストレス溜まってるんだろう」
「で、でも……オレは悪エコじゃない」
「うーん。たしかに別人っちゃ別人だけどな……」
「なんだよぉー! ボスもオオカミの肩持つのー!?」
「……悪い。今の俺にはオオカミを怒ることはできない」
ボスが申し訳なさそうに頭を下げると、エコは完全にオオカミ軍団の中で味方が誰一人いない事を瞬時に悟った。
ぷるぷると震えながら、瞳から再び雫を零すと、
「ぼ、ボスのバカぁぁー! ボスなんか嫌いだぁぁぁー!」
と、叫びながら部屋を飛び出していった。ボスはそんなエコに申し訳なく思いながらも、
悪エコのせいで全ての毛がもぎ取られてしまった自分の背中を見つめて、溜息をついた。
──しかし、飛び出したのは良いが、行くアテなどがこれっぽっちも無かった事にエコが気づいたのは、
アジトから10キロ離れた場所にある尾布公園に差し掛かった時だった。
「ど、どうしよう……」
時々、散歩がてらに近くのコンビニでお弁当を買って日陰のベンチでそれをいただくのだが、
悲しいことにもう少し考えが回ればよかったものを、財布を持たないまま出て来てしまっていたために、
何も買えず、ただただお腹の虫だけがうるさく体の中をせっつき回している。
「(や、やっぱり、帰ろっかなぁ……)」
飛び出してきたときは岩よりも固かったエコの意志は、早くも空腹によりスライム状に変化する。
だが、まだ液体ではない。なんとか意志の形を保てているのも、ナメられたくないと言うエコのヤンキー気質のおかげだ。
「(いや、やっぱりダメだ! お、オレだって、オレだって男だもんな!)」
誰に見せるわけでもなく両手で握りこぶしを作って「よし!」と声をあげてみるが、
昼過ぎの公園を取り巻いている長閑さの中では、かえって間の抜けた姿になっていた。
だが、見た目だけでなく、中身も残念ながら間が抜けており「よし!」と言ってみたものの、彼はこれからどうするか全く考えていなかった。
「そ、そうだ。とりあえずご飯食べないとなぁ。うん、まずはそれだ」
またもエコは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、アテすらない方向へと一直線に走り出した。
一方その頃、平和なOFFレン本部ではお弁当屋の袋を下げたレッドがホクホク顔で買い物から帰ってきていた。
「あれ、隊長。今日はまんてん屋のお弁当?」
「うん、ハンバーグ弁当。コロッケ弁当が良かったけどやっぱり売り切れだったよ」
「この前、テレビで紹介されちゃいましたからねー」
「おかげで、結構並んじゃったよ。はい、これはグリーンのキュー飯弁当」
ソファで本を読んでいるグリーンの横にレッドは弁当箱を置くと、ページに目を落としたまま、
「ありがとうございます」
と、無感情にお礼の言葉を述べた。何故か1本のキュウリに酢飯を詰めたこの弁当がグリーンは好きだった。
と言うよりもこの弁当はグリーン専用のお弁当になっているようで、毎日1つだけ作られてあらかじめ置いてあるのだった。
「あれ? グリーン、演劇論なんか読むの?」
図書館から借りてきたのか、表紙が黒ずんだ古めかしい本を読んでいるグリーンに尋ねると、彼はフッと目を細めてレッドを見つめた。
レッドは一瞬、その表情がいつものグリーンと少し違っているような妙な違和感を覚えた。
「ええ。私、つい最近『人生とは演じること』だなと思い至りましてね」
「な、なんか難しそうだねぇ」
「そんな事ありませんよ。誰しも多少は他人の前で何かしらの役を演じていると言うことです」
「へぇ、そう言われればそれも一理あるかもね。グリーンも演じてるの?」
「…そうかもしれませんね。では私は昼食を取ってきますので」
グリーンは本を閉じながら口元に微笑を浮かべて答えると、弁当箱を抱えてリビングを出て行った。
隊長は妙な引っ掛かりを覚えたが、それよりもお腹の虫が彼の注意を引こうとするので、気にせずに遅めの昼食を取る事にした。
「最近、グリーン。みんなとお昼食べないねぇ」
「あの弁当は、さすがに人目につかない所で食べてほしいけどね」
「グリーンには悪いけどあれは食欲無くすよね……」
「あ、レッド、ハンバーグ一切れちょうだーい」
そんなわいわい騒ぐ隊員達の声を背に、グリーンは自室へと戻った。
──実際、演じていますとも。そう心の中で呟きながら彼は微笑んだ。
「……いつ、いらしてたんですか? タイガーアイ様」
グリーンは振り返って背後にいるタイガーアイの方を振り向いた。
タイガーアイは薄っすらと笑みを浮かべて、感心したような目を彼に向けた。
「フン、大した奴だ。さすが我がブラックキャット団のスパイ要員だけのことはある」
「タイガーアイ様のような方にそう言われると、おれっちも光栄です」
グリーンはペロリと長い舌を出して不敵に笑うと、彼の体は徐々に変化し、全身に縞模様が現れた。
腰にはベルトが巻かれ、しっぽもぐるんと巻かれ、額には逆三角形のマークが現れる。
彼こそがBC団のスパイ、カオン。OFFグリーンの現在の姿である。
「それで、何の御用でしょう? 報告は確か明後日のはずでは」
「食いながらで良いから聞いてくれ」
「了解しました」
カオンは長い舌で弁当箱の蓋を開けるとその中のキュウリに舌を巻きつけて口に運んだ。
「……今朝からウィック様の機嫌が悪い。尋ねてみても何があったのかおしゃらない」
「それは妙ですね」
「おかげで新たな改造猫候補を探すように命じられた。しかも今日中にだ」
「それで、おれっちに何とかアテは無いか尋ねに来られたわけですね?」
タイガーアイは静かに頷いた。
「……あんなウィック様は初めて見た。よほどの事があったはずだ」
「しかし、困りましたね。そんな簡単に見つかる物じゃないですし」
「カオン、OFFレンに手頃なヤツはいないのか? 」
「いるにはいますが、あまり隊員の中にBC団の比率を増やす事は今後に支障を来たすのでは?」
「この際、手段を選んでいる暇は無い!」
カオンは最後のキュウリを飲み込み、その瞳に邪悪な光を映すと、タイガーアイの前に跪いた。
「タイガーアイ様、あなた様のような方の手を煩わせるのは忍びありません。
どうかここは、おれっちにお任せを。必ず今日中にウィック様の御眼鏡に適う改造猫をご用意致しましょう」
「……そこまで言うのならばこの件はお前に任せる。だが、一つだけ付け加えておくことがある」
タイガーアイはしゃがみ込むと、カオンの顔両頬を片手でぐっと掴んだ。眼前に迫る冷たい赤の瞳が突き刺さりそうなほど鋭かった。
「もし見つからなければ、ウィック様は俺を降格なさるそうだ。俺はこの頬の紋章を手に入れるまで只ならぬ苦労があった。
それに、俺はウィック様のご期待を裏切るような事はしたくない。それこそがウィック様への恩返しだと思っているからだ。
下手な事をすれば、お前を殺す。それほどの覚悟で挑め。わかったな……?」
カオンはじっとりと背中に汗が滲んだが、それを悟られぬように表情だけは不敵な笑みを浮かべたまま答えた。
「……承知しました」
街中をフラフラしてみるものの、当然食べ物どころか飲み物すら落ちているはずもなく、
エコは力なくとぼとぼと歩き続けていた。途中で1円玉を拾ったが、1円では募金をしても心すら暖まらない。
「うぅ……」
男として涙は誰にも見せたくないのだが、たたでさえ涙腺が緩いために彼の瞳には徐々に水分が溜まっていく。
とうとう、電気屋の壁にもたれてさめざめと泣き出してしまった。泣いてしまう自分のダメさにますます泣けてくる。
「ボク、どうしたの?」
声を掛けられて顔を上げると、OL風のお姉さんが正面に立ってコチラを見つめていた。
「お、お腹、す、空いたん、です」とたどたどしく答えると、お姉さんは優しく微笑んで、バッグの中からアメ玉を取り出した。
青い色をした。恐らく、と言うより明らかにソーダ味のに違いない。
「こんなものしかないけど、良かったら食べてね」
「あ、あの……」
「ん? アメはキライだった?」
「えっとえっと、どうせなら他にもっと良いのないですか?」
お姉さんはソフトボール経験者だったのか、ウィンドミル投法でエコに向ってアメ玉の剛速球を投げつけると、
地面に崩れ落ちた彼のわき腹に続けざまにハイヒールの先で蹴りを入れ、足早にこの場から去っていった。
「いてて……な、なんだよあの女ー! 嫌な奴だなぁ」
頭をお腹を抑えながらよろよろと立ち上がったエコは、ソーダ味のアメ玉でも無いよりマシかと諦め、
足下を見回して見るが、どこにも水色の小さな玉は見つからなかった。オデコに触れてみるが、めり込んでもいないようだ。
では何処に行ったかな?とエコが辺りを見回すと、店と店の間に路地裏に通じる通路が見えた。
覗き込んで見ると、青いゴミ箱の横にコロリと飴玉の包みが転がっていた。青いおかげでよく目立った。
ホッと一安心して飴玉を拾いに向うと、路地裏の向こうで獣の唸り声が聞こえ、思わずエコは手を止めた。
薄暗くてよく見えないが黄色く光る瞳がコチラを見つめている。
「ソレヲ、ワタセ……」
「……こ、これは、オレの飴だぞぉー!」
エコはなんとかそう反論するだけで精一杯だったが、内心はかなりビクビクとしていた。
もしかしたらどこかのライオンでも逃げ出したのではないか。と、相手が喋っているにも関わらずとんでもない予想を打ち立てて勝手に恐怖していた。
「ウニャァァァァァ!」
「うわあああああ!!」
突然、飛び掛ってきた何者かの行動に、エコは尻餅を付いて叫んだ。こっちがお腹空いてるのに、食われる!と思った。
最後に食べたエビピラフのことを思い出した。あとお寿司、ハンバーグ、カレーライス、後は後は……。
「さいぼぐ、大丈夫、か」
聞き覚えのあるカタコト言葉を耳にして、エコは恐る恐る目を開けた。
目の前には、真っ黒い体の元BC団改造猫、獣猫がその鋭いながらも優しげな目でこちらを見ていた。
ふと目線を下に下げて見ると、頭に大きなたんこぶを作ったまま目を回している猫猫が自身のよだれの中で倒れていた。
「さいぼぐ、怪我、ないか」
「う、うん。大丈夫だよ。ありがと、獣猫」
獣猫が傍に来て、エコの手を取り、そっとたたせてくれた。顔は怖いがやっぱり面倒見の良いお兄さんである。
お尻と膝をパンパンと軽くはたいてまでしてくれた。エコは彼にも気に入られているのだった。
「で、でも、どうしてこんなことになっちゃったの?」
エコが尋ねると、獣猫は伸びている猫猫の体をひょいと持ち上げ、肩の上に担いだ。
「皆、腹、減る、猫猫、暴れる、俺、猫猫、追う」
「そっかぁ、獣猫たちもお腹空いてたのかー」
「さいぼぐ、何故、ここ、いる」
「お、オレ? オレは……」
エコは獣猫に事の成り行きを話した。所々、余計な事柄を挟んだり、主語が抜けていたりと、
聞いていてよく判らない部分も多々あったが、一応獣猫には家出してきたと言うことは伝わったらしく、
ドンと胸を叩いて、任せろと言わんばかりに口角を挙げた。だが、やっぱり顔は怖い。
「俺達、寝床、来る」
「行っても良いの!?」
「俺、さいぼぐ、面倒、見る」
「ホントに!?」
「俺、嘘、言わない」
「あ、ありがと、獣猫! これならオレ、男らしい家出ができそうだよ」
他人の世話になるのが男らしいのかどうか、獣猫はふと疑問に思ったが、
そこは黙っておくことにして、獣猫はエコと猫猫を連れながら路地裏の奥へと向って行った。
呑気にリビングで談笑しているレッドとホワイトを見つめながら、
彼らのちょうど真正面に位置するソファに座って、グリーンはガリガリと爪を噛んでいた。
「ねぇねぇ、レッド、今からアタシが言う言葉を英語にしてみてね」
「僕、英語苦手なんだけどな」
「簡単なものばっかりだから。まぁ、やってみてよ」
「OK。わかった」
タイガーアイのあの様子だと下手な事をすれば取り返しがつかない。
まったくウィック様もとんでもない事を命令したものだと、グリーンは小さく溜息を付いた。
「じゃ、まずは本」
「えーと、BOOK!」
「正解。次は、犬」
「DOG!」
「またまた正解」
パッと思いつくのはタイガーアイの言う通り、OFFレンジャーの隊員達だ。
レッドならば意外とお人好しだから適当な理由をつけて呼び出せば簡単に改造猫に仕立て上げることが出来る。
「じゃ、猫」
「CATだね」
「え?」
「CATだよCAT」
「ブブー。残念でした不正解」

いや、隣のホワイトもなかなか男勝りな所があるから最適かもしれない。女スパイが良い仕事をするのはスパイ物の決まりだ。
だが、ウィックは大の女嫌いだとタイガーアイから聞いているし、多分無理だろう。
「うそ、どうして? 猫ってCATじゃないの? もしかしてCATSだったのかな」
「ふふーん。絵はPICTUREでーす」
「ん?……あっ、なるほど。『え』じゃなくて『絵』だったのか。もー、僕やられちゃったよ!」
「やーい。引っ掛かった引っ掛かった」
「悔しいけど愉快痛快!」
隊員の中にこれ以上改造猫を増やすと統制がめんどくさくなりそうだし、バレるリスクも高まる。
それに、後々面倒な事にもなるわけで。グリーンは力を入れすぎてヒビの入ってしまった親指の爪を苦々しく見つめた。
「(仕方ないか……出来ればこの方法は取りたくなかったんだけど)」
グリーンは音もなく立ち上がると、未だに笑いあっているレッドとホワイトに何も言わず、リビングを出て行った。
廊下に出ると、誰もいないのでグリーンは目を閉じて大きく深呼吸をした。再び彼が目を開けた時、彼の目は橙の怪しげな瞳に変化していた。
そして、彼の体に縞模様が、額にはBC団のマークが浮かび上がった。グリーンはカメレオン型改造猫、カオンになったのだ。
「よっと!」
掛け声と共に、カオンは天井にピタリと張り付く格好になった。真っ黄色い爪の生えたその手足を使ってスルスルと移動していく。
移動しながら、彼の体は徐々に天井の白と徐々に同化していった。角を曲がったピンク隊員が、真下を通っていく。完璧な変色だった。
廊下の中央にある天井板までやってくると、まさに爬虫類のごとく板を外して軽々と中に入っていった。目指しているのはもう一人のスパイの部屋だ。
ピーターとシェンナの部屋に挟まれた、目的の部屋の天井までやってくると、カオンは予め針で開けておいた覗き穴をそっと覗き込んだ
「ZZZ……」
覗き穴の位置はライトブルー隊員のベッドの真上にあり、その上では高いびきをかきながら赤ら顔で眠っているライトブルーの姿があった。
グリーンのずっと前からスパイになってしまったライトブルー隊員こと、シアン。彼ならば、よくやってくれるだろうから都合がいい。最適かもしれない。
そうと決まるや否や、カオンはベルトのバックルを外し、一番下の尖った先っぽを突き刺した。スパイ道具の一つ、催眠ガスが中に入っているのだった。
「……誰だか知らないけど、そこにいるのはわかってるから」
ガスを出そうとした矢先、突然寝ているはずのライトブルーから声を掛けられ、思わずカオンはその手を止めた。
鼓動が高まる。この音まで聞かれているのではないか……。スパイとはいえ、まだ成り立てほやほやの彼にとって驚くなと言われるほうが無理だった。
「隊員じゃないだろうから、多分BC団の誰かだな。悪いこと言わないほうがいいから俺は辞めといた方がいいよ。
改造猫になるなら別な奴にしてよ。こっちはもうオオカミ軍団に手をつけられてるんだから。そしたら黙っとくよ。ね?」
カオンはチッと舌打ちをして、するするとライトブルーの天井裏から去っていった。
スパイとして立派に活動するはずが、この無様な結果。逃げたのではない、撤退なのだと言う気持ちから、彼は舌打ちするだけで精一杯だった。
「(しかし、ライトブルーがダメならどうすれば……)」
天井裏を進みながら、カオンはまた頭を悩ませていた。やはりレッドにでもするべきか。いや、ライトブルーの感じからして多分まずいだろう。
万が一バレてオオカミ軍団にでも取り込まれてしまえば我が身の危機だ。BC団の一員としてそれは避けなければならない。
「コロッケ弁当また売り切れだったのか?」
「仕方ないっすよ。代わりにピンクがハンバーグ弁当持ってきてくれたしOKOK」
ちょうど廊下の上に差し掛かったとき、下からブラックとブルーの声が聞こえた。
今まで見当たらなかったが、どうやらロボの整備をしていたらしく油の匂いが天井裏にも届いた。
「黒末さんよく働くな。弁当界のカリスマらしいぜ」
「同じブラックなのになんでこうも違うんすかね」
「うるせえよ」
カオンはその場に留まって、徐々に小さくなっていくその会話に耳を澄ましていた。
そうか、『灯台下暗し』とはこのことだ。こんな近くに優秀な改造猫候補がいたじゃないか。彼ならまず間違いないだろう。
早速、タイガーアイ様に報告しなければ。カオンはニヤリと微笑んだ。
「寝床って……」
橋の下に設置されている今にも潰れそうなダンボールハウスに連れて来られたエコは、
酷く落胆した表情でそう呟くと、信じられないと言う顔で獣猫の顔をチラリと見つめた。
「金、無い、仕方、無い、でも、中、暖かい」
「うぅん……」
当分、長居は出来そうに無いなと思いながら、エコは先に中へと入っていく獣猫の後に続いた。
中は、思ったより広く、改造猫仲間の操猫と写猫が両端でごろんと横になっていた。
「オイ、なんだよ。何でソイツがここにいるって感じなんだよ」
入ってきたエコに気づいた写猫が鬱陶しそうに言うと、獣猫は寝そべる二人の間に猫猫を寝かせると、一言「家出」と答えた。
「こんな所に家出してくるなヨ」
「だ、だって獣猫が来て良いって言ったから」
「家の中見れば判るだろ、5人も寝るところないっつーの」
「俺、外、寝る」
「食い物はどーすんだヨ? 取り分が減るじゃん」
操猫の言葉に獣猫はうっと言葉を詰まらせ、エコを見た。
「……さいぼぐ、ここ、住む、出来ない」
「えぇー!?」
しゅんとうな垂れる獣猫だったが、エコは内心ホッとしていた。
彼も何だかんだいって、現状よりも理想を重視する我侭な現代っ子なのだ。
だが、こんな所にでも住めないとなると……。エコの安心の上に不安の二文字がじわじわと圧し掛かり始めた。
「さいぼぐ、俺、任せる!」
獣猫はそんなエコの心を察知したのか、すぐさまキリリとした表情を向け、ぐっと握りこぶしを作った。
「俺、さいぼぐ、寝床、探す、手伝う」
「ホント!?」
「俺、嘘、言わない、夜、前、早く、探す」
「う、うん。そうだね」
「ついでに、食い物でも見つけて来いよな、また猫猫暴れるから」
獣猫はめんどくさそうに手を振る写猫に向ってこくりと頷くと、エコの腕を掴み、ダンボールハウスから出て行った。
ムスッとした顔ではあるが、実際は非常に頼もしい。タイガやホランと違った別の男らしさがそこにあるなぁとエコは思った。
「あ、ありがとう、獣猫」
「さいぼぐ、可哀相、俺、放っておく、出来ない」
「そっかぁ、獣猫って優しいんだなぁー」
獣猫は照れているのか顔に少しだけ赤がさした。黒猫なのでその変化ぶりがかなり目立っていた。
エコはそんな彼を見てニコリと笑うと、そのまま何も言わずに歩き出した。
とりあえずエコが最初に目をつけてやって来たのはOFFレン本部だった。
ここなら部屋をあてがわれる事は無いだろうが、廊下の片隅でも借りられればとりあえず雨風は凌げる。
もちろん、そうアドバイスしたのは獣猫で、エコはたまたま前を通りがかったから目をつけただけだった。
「お断りします!」
用件を言う前に、エコはきっぱりとブルーに断られてしまった。
「ま、まだ何も言ってないだろぉー!」
「改造猫も一緒に連れて来てるんすよ? だいたいの見当はつくっす」
「さいぼぐ、用件、聞け」
ぐいっとブルーの顔に迫ってくる獣猫の迫力にブルーはたじろいだ。
「……じゃぁ、用件をどうぞ」
「うん、オレ、OFFレンの本部に居候してやろうかなぁーって思うんだけど……」
「ダメっす!」
「えぇー!? な、なんで!?」
またも獣猫がぐっと近づいてきそうだったので、ブルーはひょいと後ろへと軽やかに飛び跳ねた。
「大体エコは悪者じゃないっすか、しかも“居候してやる”って、態度デカいにもほどが」
「い、居候させてください!」
「ダメ!」
けんもほろろとはこの事で、ブルーは荒々しくドアを閉めた、エコは何度もチャイムを押したが、
安っぽいドアといえども重々しく閉ざされており、彼らの前では二度と開かれることはなかった。
「くそー! やっぱりOFFレンなんて頼るんじゃなかった!」
ぷりぷり怒りながら、階段を踏み鳴らすようにして地上に上がってきたエコは、
出口のすぐ横に建っている「まんてん屋」から漂って来る美味しそうなお弁当の香りに思わず怒りを忘れて立ち止まった。
ついつい、ふらーっと傍に駆け寄りそうになるが、お金がないことを思い出して、足を止めた。
「さいぼぐ、腹、減るか」
「うん……オレ、お腹空いた」
「店、襲う、やるか」
「あ、そっか、オレたち、ワルだもんね。こうなったらお腹一杯になるくらい盗っちゃお!」
獣猫とエコがお互いに頷いて、早速悪事への一歩を踏み出した時だった。
「あの」と弁当屋の方から声をかけてきたのだ。
「二人とも今、お腹空いてますか?」
「えっ?」
エコだけでなく、思わず獣猫もドキッとして踏み出す体勢のまま固まってしまった。
「実は、近所のエキストラ事務所に配達予定だったお弁当、数を間違えちゃって、いくつか余ってるんですよ」
「え、えぇ?」
「このまま捨てるのも勿体ないし、再利用するわけにもいかないし、良かったら無料でおひとついかがですか?」
エコと獣猫はお互いに顔を見合わせた。こんなことってあるのだろうか。
だが、偶然だろうがなんだろうが、タダ飯にありつけるなら、断る必要もない。返答はただ一つに決まっていた。
「た、食べます!」
「じゃぁ、あと30分後ぐらいに来てもらえますか?」
「ふぇ。い、今じゃダメなんですかぁー?」
店長さんは、首を傾けて困ったように笑った。
「配達の黒末君が、ロケ地からお弁当の残りを持って帰ってくるからそれぐらいかかっちゃうの」
「さいぼぐ、待つ、間、別、ところ、探す」
「あっ、そっか。じゃぁ、オレたちちょっと用事があるんで、また後で来ます」
「わかりました。でも、生ものだからなるべくお早めにね」
エコはぺこりと頭を下げて獣猫の手を引いて、寝床探しに向おうとしたが、
獣猫はじっと店長さんの顔を見つめて、ぽつりと呟いた。
「……仲間、連れてくる、良いか」
「え?」
「獣猫の仲間も、お弁当の残りをもらいに来ても良いかって聞いてるんだよ」
獣猫がこくりと頷くと、店長さんはニッコリ笑って頷き返してくれた。
そして、さっきのエコに負けないくらい獣猫も深々と頭を下げた。只で食べ物をくれる彼女が二人には素晴らしい善人に見えた。
「タイガーアイ様! タイガーアイ様!」
息を切らしながらカオンがBC団アジトを探し回ったが、アジト内にはタイガーアイはいないようだった。
彼は彼で改造猫候補を探しているのか、それとも他のことで出ているのか。しかし、タイガーアイはともかくとして、
それより変猫がいないのがカオンにとってかなり困っていた。今のBC団は経費削減として、洗脳はすれども今は改造を施しておらず、
彼の能力によって改造猫に変える方針を採っていた。カオンもそれによって誕生したので、実質的には改造猫に変身したと言った方が正しい。
「……どうした?」
カオンが薄暗い廊下を曲がると、暗闇の中、青白い炎に照らされた首領ウィックが立っていた。
思わず後ずさると、カオンはすぐに首領の前に跪いた。ウィックと一対一で対面するのは初めてだった。
「……誰か、探しているのか」
「は、はい。ようやくウィック様が所望されていおりました改造猫候補が見つかりまして、タイガーアイ様にご報告しようかと」
「……タイガーアイは今、洗脳カプセルに入っている……後にするんだな」
「か、カプセルですか?」
「……アイツにはもっとBC団に貢献してもらう必要がある。万が一、反乱を起こされないように」
カオンは、ウィックが初代BC団にいた頃に起こした首領ブラックキャットに対する裏切りを思い出した。
「……だからこそタイガーアイは将来的には俺の命令のみに従う、冷血な機械人間になって貰う。
もっともヤツが改造猫になってから毎日のようにカプセルに入れているおかげで、もうほとんど、そうなってはいるがな……」
「な、何故、そのようなお話をおれっちに……」
ウィックは冷たく光る目をカオンに向けた。その瞳に見つめられるだけで全身が凍りつきそうになった。
「……タイガーアイには逆らうなと言うことだ……その改造猫候補は……本当に、大丈夫なんだろうな?」
「え、ええ。無論です。おれっちがしっかりと吟味して選んだ今現在、世界で一番ピッタリの候補です」
心の底から返答したが、ウィックと対峙しているためか声の震えが止まらず、端から見れば嘘をついているようにも見えそうだった。
それをフォローするために何やかやと言葉をつなげて見るが、焦りはさらに止まらず、とうとう、言葉が出なくなってしまった。
「……その者はどこにいる」
「あ、OFFレン本部の傍にありますまんてん屋と言う弁当屋にいます。きっとウィック様も見れば気に入ると思いますよ」
ウィックは目を閉じてそのままカオンの横を通り過ぎていった。慌てて振り返ってどこへ行くか聞こうとすると、
「……貴様は準備をしていろ……」
と、こちらに背を向けたまま彼は答えた。どうやら下見に行くようだなとカオンは思った。
そうとなってはこのままこんな所で暗闇に跪いている場合じゃない。早く変猫を探さなければ、カオンはまたも走り出した。
エコと獣猫は、路地裏にぽつんと建てられたコンクリート造りのライブハウスへとやって来ていた。
まだ中に入ってもいないと言うのに、ライブハウスからはギターやドラムの音たちが外に向って、俺が俺がと激しく自己主張している。
「け、獣猫。こんなうるさい所じゃオレ寝れないよー」
「さいぼぐ、ここ、夜、静か、心配、ない」
「ふーん……」
エコは何故獣猫がこんな所に自分を連れて来たのか全く判らなかった。と言うか、こんな所にこんな場所があったこと自体知らない。
本当にこんな所を寝床にできるのだろうか。エコは不安そうに中へ入っていく獣猫に目を向けた。
そうこうしているうちに、二人は関係者以外立ち入り禁止の立て看板を越え、出演者控え室の奥の奥、
既に剥がれかけている『物置』のシールの貼られたドアの前にやって来た。獣猫が強めにノックすると「どうぞ」と言う弱弱しい返答が帰ってきた。
「話、いいか」
中に入るなり、獣猫はパイプ椅子に座ったまま暗いムードをまといながら頭を垂れている化猫と、腕を組んだままムッツリ顔の影猫に呼びかけた。
バンド用のタヌキメイクをしたままの影猫はその目をチラと獣猫に向けたが、すぐに目を閉じて再び押し黙ってしまった。
「何、あった、二人、様子、変」
さすがにただならぬ様子の二人に獣猫が問いかけると、うな垂れていた化猫がグッと顔を上げた。目に涙を浮かべていた。
「全部の変猫せいなのさっ!」
「変猫、いないか?」
「へ、変猫ってあの髪の毛ツンツンの人?」
エコの問いかけに獣猫が頷きかけた瞬間、背後の扉が大きな音を立てて開いた。
皆が一斉に扉の方へ視線を向けると、そこにはドアに片足を掛けながらクチャクチャとガムを噛んでいる変猫の姿があった。
だが、記憶にある変猫の姿とは少々違っており、彼の体にあった青色のラインが全て赤色へと変わり、
丸くて大らかだった青い瞳も同様に赤く変色し、さらに目付もどこか鋭くなっていた。
「何か言ったか? クズども」
あからさまに見下すような目で二人を見定めながら、ズカズカと部屋の中に入ってきた変猫は、
化猫の座っている椅子を蹴り飛ばし、地面に倒れる彼をさも楽しげにニヤつきながらガムを美味そうに咀嚼した。
「ヒャハハハ、クズ野郎が椅子に座るなんて百万年早ぇんだよ!」
「うぅ……」
化猫は耳から取れてしまったピアスを拾い上げながら涙を拭っていた。そんな光景を見ながらますます変猫の表情は邪悪に歪んだ。
「変猫、いじめる、よくない」
「あ~ん?」
変猫は鬱陶しげに自分に注意してきた獣猫の方へと振り向くと、ペッと先輩である彼に向ってガムを吐き出した。
しかし、さすが“獣”猫と言う名前だけあって、獣猫は素早い動作でガムを叩き落し、無礼な後輩に向ってその鋭い目を向けた。
普通ならば多少は萎縮するであろう彼の様子はいつもとは違っていた、余裕の笑みを浮かべながら逆に睨み返してくるのである。
「ケッ、テメェみたいなヤツが俺に意見するなんておこがましいんだよ。何も出来ないクセしやがって」
「……もう一度、言え」
変猫の傲慢な振る舞いに獣猫もさすがに腹が立ってきたのか、全身の毛を逆立てながら鋭い爪をシュッと出し、彼に向けた。
「ハンッ! そんなことしていいのか? 俺を誰だと思ってる。BC団改造猫製造員、パンシェ様だぞっ!」
「製造員?」
「タイガーアイ様の計らいにより、俺は新たに悪の改造猫として生まれ変わった。俺はもう前みたいなクズ野郎じゃねえ。
首領ウィック様と幹部タイガーアイ様のために、戦力を製造していく重要な任務を請け負う特殊要員。それがこの俺だっ!」
変猫、もといパンシェは、そう言ってニヤニヤ笑いながら背後の二人の方へと振り向き、
影猫と化猫の髪の毛を鷲づかみにしながらグリグリと回し始めた。あのプライドの高い影猫ですら反抗できないのか、悔しそうに唇を噛んでいた。
「フン、新たに生まれ変わった今、コイツらみたいなヤツと同類だったのかと思うと反吐が出るぜ……。
今日はこいつらに俺はお前らとは違うということを宣言してやるためにわざわざやってきたんだ。オイ、タヌキ」
「ぼ、ボクはタヌキじゃ……」
「テメェはタヌキだタヌキ! 口答えすんじゃねえ!」
パンシェは先っぽが筆になっている尻尾を掴むと、怯える化猫に向ってサラサラと色を塗り始めた。
見る見るうちに化猫の姿が完全に茶色のタヌキになってしまうと、パンシェが指を鳴らすとすぐにお腹をぽんぽこ叩き始めた。
「ぽん♪ぽこぽん♪ ぽんぽこぽん♪」
完全にタヌキになってしまった化猫に馬鹿笑いをしながらパンシェは突き倒す。
それでもまだロボットのようにタヌキはお腹を叩き続けていた。
「さーてと、挨拶はこれぐらいで勘弁してやるか。もう二度と会うことはねえだろうが、俺の邪魔になるようなことはするなよな」
パンシェはそう言って、どけ、と獣猫を手で突き部屋から出て行った。影猫は膝の上に拳を叩きつけて、怒りに全身を震わせていた。
獣猫は可哀相に思ったが、それ以上にここにエコを済ませるわけにはいかないな。と思った。
「獣猫……」
困った顔のエコの頭をポンと叩いて、獣猫は安心させてやるように(ちょっと怖いが)微笑んで見せた。
「さいぼぐ、安心、する、まだ、探す」
が、エコはぶんぶんと首を振って、自分の足元を指差して小さな声で言った。
「さ、さっきのガム踏んじゃった……」
「いらっしゃいませ!」
いきなり明るい声で話しかけられたので、ウィックは朝から引きずっていた不愉快さをますます募らせた。
さらにそれを煽るようにニコニコと笑みを浮かべながらこちらを見てくる女。ウィックは女と言う生き物が大嫌いだった。
BC団の改造猫に女が一人もいないのは、別にソッチの趣味があるワケではなく、
こういった軽薄そうな女を見ると、虫酸が走るほど体中に嫌悪の感情が駆け巡るためだった。
女はウルサイ、女は弱い、女は使い物にならない、女は男よりも下だ、女は、女は、女は……。
「…………」
カオンの言う通り、弁当屋にやってきたものの、弁当屋にはこの店長らしき女しかいないようだった。
まさかこの女がヤツの言う改造猫候補なのだろうかとも思ったが、それにしては年が行き過ぎていた。
そんなことを考えながら女店長を眺めていると、さすがに不思議に思ったのか恐る恐る彼女はウィックに声を掛けた。
「あ、あの、何か買っていかれるんですか?」
「……いや、結構だ」
恐らくカオンが間違えたのだろうと思い、ウィックが弁当屋に背を向けようとしたときだった。
ポンと言う手を叩く音と共に「あっ!」と言う、至極明るい声を女は挙げた。
「もしかしたら例の方ですか?」
「……?」
彼女の言う事が良く判らず振り返ると、ウィックの顔を見てますます女店長は納得したように頷いた。
「やっぱり、さっきお見えになられた人と同じ模様がありますよね」
「……模様?」
ウィックが自分の頬にある赤と黄色の三角模様に触れた。幹部の証であるこの模様があるのは自分の他にはタイガーアイだけだ。
いや、もしかしたら額のマークの事を言っているのかもしれない。となればカオンの可能性も。
どちらにしろ彼女の言う“お見えになられた人”とは、BC団の関係者を指していることだけは間違いなかった。
「お話は聞いてますよ。もうすぐこちらに戻って来ると思いますから、奥で待っていてください」
ケースの上に身を乗り出して、女店長は店の側面を指差した。そこには注文を待つための小さなベンチが一つだけ置かれていた。
……戻って来るとは、恐らく改造猫候補のことだろう。カオンがこの女に予め話をつけておいたのだろうか……。
こんな所で待つのはウィックの性には合わなかったが、たまには自分が改造猫候補を見定めても良いかと思い、黙ってベンチに腰を下ろした。
「(……くだらん店だ)」
背中の黄色と白のカラーリングの壁を見ながら、ウィックは思った。
計画を遂行した暁にはこんな店など俺が破壊してやる。……いや待て、どうせならばいずれやって来る改造猫候補に破壊させた方が面白い。
そんなことを考えて、彼はフッと口元を緩めた。自分が悪の組織の首領になってはや数年、今度こそ我が手に世界を掴むのだ。
「……そしてこの俺が」
「俺が?」
ハッとして目を開けると、彼の目の前に例の女店長がニコニコ微笑みかけながら首をかしげている姿があった。
戸惑いと嫌悪感が一機に混ざり合い、ウィックはすぐさま顔を逸らし、わざとらしく鼻で笑った。
「……貴様には関係ないことだ」
「あらそう」
「……用が無いならば店に戻っていろ」
「まあ、ずいぶんと傲慢な口の聞き方をするのね。あなた、まだ大学生くらいでしょ?」
ただでさえ女が嫌いだと言うのに、この上に更に自分の嫌いな笑顔、そして自分自身を語る事を押し付けてくる。
ウィックはキッと睨みつけ、
「何度も言わせるな。用がないなら……」
一発殴りつけてでもやろうかと思った矢先、彼の鼻先にお弁当が差し出された。
鼻をくすぐる良い香りがした。蓋の上にはコロッケ弁当と書かれたシールが貼り付けられている。
「はい、用はこれ」
「……何だこれは」
「お弁当」
「……見れば判る……俺が言いたいのは……」
「来るまで先に食べててた方がいいかと思ってね」
「……結構。俺は腹は空いていない」
「じゃぁ、持ち帰りなさいよ。でも、痛んじゃうから今日中には食べること」
「いらないと言ってるだろ」
「タダなんだから持って帰りなさい」
てっきり無理やり弁当を勧められるのかと思ったが、タダ……ウィックはその言葉に弱かった。
しかし、彼にはわかっていた。見ず知らずの人間がタダで物をくれるはずがないことに。
「……何を企んでいる」
「え? 別に企んでないけど?」
「じゃぁ何故こんな物を俺にタダで渡すんだ」
「だって、さっき来た人が自分だけじゃなくて他の子にもあげたいって言うから」
……カオンの奴、何を考えているんだ。ウィックはあのカメレオン男の考えがよくわからなかった。
「いるの、いらないの?」
「……フン」
ウィックは何も言わずに女から弁当を奪い取ると、包みを自分の隣に置いた。
タダで安全なようならばもらっておくのが一応金にうるさい彼のポリシーである。
「その年で反抗期か、お母さんも大変でしょうね」
「……俺のことはどうでもいい……用が済んだなら貴様はとっとと店に戻れ」
「年上に向って貴様は無いでしょ」
「……叱り付けるのは自分のガキにしてやろ……俺は貴様の指図は受けん」
「っ……」
女店長は急にその表情を曇らせたのにウィックが気づき、
どうやらようやく自分の身の程を知ったらしいな、と思った。
「……なら、いいわ」
そう言ってゆっくりと店の中へと戻っていく女店長の後姿を見送ると、
ウィックは軽く舌打ちをして、大きく息を吐いた。……まったく、今日は不愉快なことばかりだ。
「元気出す、俺達、仲間」
相変わらず暗いオーラを背負い込んだ化猫の肩を獣猫はポンと叩いたが、
どうもと言う風に遠慮がちに頭を下げたまま、化猫は何も答えなかった。
「見かけに反して辛気臭いタヌキだネ、まったく」
「仕方ないのニャ。オレ様たちも虎猫の時はかなりショックだったからニャ~」
遅れて歩いてきている猫猫達も、変猫の話に若干ショックは受けつつも、
先輩であるという立場から少しだけ無理して、達観したように務めていた。
さすがにあんな集まりを企画しておきながら、このザマとは先輩としての面目丸つぶれである。
「って言うか、獣猫、本当にタダで弁当が食えるんだろうな? ウソだったら承知しない感じだぜ」
半分変猫に対する八つ当たりを含みながら、写猫が獣猫に声をかけると、
大きく頷く獣猫の隣で、エコもドンと胸を叩いた。
「大丈夫だよ。オレもちゃんと聞いたからさ」
「だったらますます心配だニャ」
「なんだよ。猫猫までオレをバカにして」
「実際バカだから仕方ないよネ」
ゲラゲラと笑い出す改造猫たちに、エコはせっかく納まりかけていた苛立ちが蘇り、
フーフーと怒りで息を荒くしながら、獣猫の腕を掴んだ。
「獣猫、何であんな奴らまで連れてくるんだよー!」
「さいぼぐ、落ち着く。俺、さいぼぐ、バカ、違う、思う」
「はぁ……獣猫だけだよ。オレをわかってくれるのはー」
そうこうしているうちに、お目当ての弁当屋にやってくると、早速店長さんがエコに気づいたらしく、
来た来たと言いたげな明るい表情で手招きをしていた。「な?」と言う顔でエコは振り返ったが、誰も見てはくれなかった。
「7人、全員、あるか」
「大丈夫、10個残ってるから。他のお友達も先に来てますからベンチの方へどーぞ」
「お友達?」
改造猫達はそれぞれお互いに顔を見合わせ、謎の“お友達”に疑問符を浮かべた。
すると、じわじわと皆の中に「もしかしたら変猫じゃ……」と言う考えが広まり始めた。
彼女がこんな派手なヤツラと同類と見なすのだ。赤の他人なんてことはないだろう。
「よし、ここはオレ様に任せろニャ! 先輩として一言ビシッと言ってやるニャ」
不安げな改造猫たちよりも“先輩らしい冷静なオレ”と言うオーラ満々の猫猫が颯爽とベンチの方へと向った。
ベンチチラと覗くと赤いバンダナを頭に巻いたネコがベンチの上に片足を立ててこちらに背を向けているのが見えた。
「オイ、お前はそこで何してんだニャ!」
猫猫はズカズカと近寄って、その男の肩を掴んだ。ヒンヤリと冷たい感触が伝わってきた。
よくよく見れば黒猫だし、変猫は青いし、それに、な、なんだか、覚えのある感覚が……。
「……猫猫……何か言ったか」
振り返った男の頬には赤と黄色の三角模様。忘れもしないBC団首領ウィックその人だった。
心なしか瞳の奥に怒りの色が見える。猫猫は、体中の神経と言う神経に電撃が走り、目の前が真っ白になった。
「ニャァァァッ! ウィック様、お許しぅおおおおおおおお!!!!」
次に取った猫猫の行動は、平らになりそうなほど顔面を地に押し付けた土下座だった。
「どうした猫……うわっ!」
「う、ウィック様!」
悲鳴を聞いて駆けつけた改造猫達は、猫猫の後頭部に足を置いているウィックを見るなり、
まるで打ち合わせてったかのように一斉に跪いた。エコもつられてしゃがみ込む。
「……貴様らか……どうかしたのか」
「は、はいっ、ここの店長が弁当をくれると言うので皆で貰いに来たわけで」
「……フン……くだらん」
「ウィック様はどういった御用で?」
「……もう良い……何か手違いがあったようだ」
ウィックは弁当の袋を手で掴みながらベンチを降りると、一度猫猫の上に乗ってからそのまま帰り始めた。
改造猫達はこれまた綺麗に角度をウィックの方へと変えながら跪く姿勢を続けていた。
「お待ちどうさまでしたー!」
その時、すたすたと歩いているウィックの前方に、7つのお弁当箱を抱えた女店長さんが飛び出し、
ウィックは彼女とまともに衝突し、大きく後ろに転んだ。ように見えたが、間一髪で改造猫達が下敷きになり、怪我は無かった。
「あら、ごめんなさい。大丈夫?」
「……き、貴様……」
元とはいえ部下であった改造猫たちの前で恥をかかされたウィックは、ワナワナと震えながら、
お弁当とお箸を配り始める店長さんを睨みつけた。
「ハイ、皆さんお待ちどうさまでした。お弁当どうぞ」
「おい、貴様!」
「はいはい、皆さん揃ったんだから、機嫌直して美味しいお弁当を食べましょうね」
胸倉を掴もうとしたウィックよりも先に、女店長によってBC団首領はくるりと方向を転換させられ、
まだ猫猫が傍で地面に顔をうずめているベンチに向わされた。またもや恥をかかされ、ウィックはとりあえず猫猫の上に再び座った。
改造猫たちは、上司の顔色を窺いながら、弁当の蓋を開け、ぽそぽそと口に運び始んだ。状況が状況だけあって味がしなかった。
「あの、ウィック様もお弁当、頂かないのですか?」
「……そんなことのために、俺は来たわけではない……」
「で、では何故ウィック様ともあろうお方がこんな所に」
「……貴様らのような出来損ないのヤツラとは違う、優れた改造猫候補を探すためだ」
ウィックはキッと影猫を睨みつけ、八つ当たりするかのように語気を強くして言い放った。
「BC団の一員でありながら、ろくな成果も出さず無様な姿を晒した我が組織の面汚しどもはもう俺はうんざりだ」
「ご、ごもっともでございます……」
「……本来ならばタイガーアイのような奴が大勢いるはずなのだ……五体満足で生かしてやっているだけ有り難いと思え」
「おっしゃるとおりでございます!」
「あっ、このコロッケ美味しいなぁー」
空気を読まずに素直に弁当の感想を口にしたエコの言葉に、ウィックはますます感情を逆撫でされたようで、
ヘラヘラ笑いながら半分かじったばかりの卵焼きをほおばるエコに、視線が移された。
「……どうしてオオカミ軍団の奴がここにいる」
「あ、あのそれはですね、ウィック様」
「……貴様ら、まさかオオカミ軍団に世話になっているんじゃないだろうな……」
「め、めっそうもございません!! 誰があんなクズみたいな組織になんか!」
「……ならば、コイツを始末しろ」
えっと改造猫がエコの方に一斉に目をやると、一人だけ聞いていない当人はぽかんと口を半開きにしたまま首をかしげた。
「……出来ないとは言わせんぞ……貴様らもBC団にいたものとして……」
「ウィック様」
オロオロしている改造猫たちとは一人違っている険しい顔の獣猫がすくっと立ち上がってウィックに声をかけた。
さすがの獣猫も、自分に向けられる元上司の鋭い視線に足が震えた。
「ウィック様、改造猫候補、こいつ」
「ふぇ?」
獣猫がご飯粒を口につけたエコを指差すと、改造猫達はえぇっ!?と腹の底から叫んだ。
中には恐怖で獣猫がおかしくなったのだと思った改造猫もいた。
「……何だと?」
「さいぼぐ、とても、悪い、候補、ぴったり」
何をバカなとウィックが口に出そうとしたが、ふと彼はカオンの言葉を思い出した。
まさか、カオンの言う最適な候補とはコイツだったのか。いや、行けば判ると言っていたし、実際判る。
ここにいるのは、あの女店長かこのマヌケそうなネコだけだ。いや、でもタイガーアイも公認と言っていたワケで……。
「……では、軽くテストしてみるとしよう」
「う、ウィック様!?」
突然の首領の言葉に改造猫たちは再び大声をあげた。どう考えても候補にすべき対象ではないことは明らかだった。
だが、獣猫はこくりと頷き、突然のことに何が何やら判らないエコを無理やり立たせた。
「……さいぼぐ、悪い」
「ふぇ?」
獣猫は、そう言うと地面に転がっているエコの尻尾のスイッチを足で踏みつけた。
その途端、エコのまんまるい目が見る見るうちに鋭くなり、顔中にふてぶてしい色が浮かんだ。悪エコとの交代完了である。
「……さぁ、かかって来い」
「…………」
悪エコはすぐさま状況の把握をしているのか目玉を左右に動かしていた。端から見れば何でもないような仕草だが、
今の彼の脳内では普段のエコの時には全く機能していない最新型のコンピューターが目まぐるしく動いていた。
「1分以内にケリをつけてやるよ」
悪エコは、ウィックにニヤリと笑いかけた。既に大体の事情は推理できたようだった。
「ほぉ、面白い……ならば……」
ウィックが喋り終える前にいきなり悪エコは走り出した。悪エコはすぐさま持っていた箸をそれぞれ両手に持ち、
相手の目玉へと突き出したが、間一髪でウィックはそれを交わす。
「チッ!」
宙を切った箸を見ながら、悪エコは大きく舌打ちすると、背後に気配を感じすぐさま体を屈めた。
ウィックの鋭い爪が頭上をかすめる。すぐさま悪エコは斜め後ろへと滑り込み、呆然と座り込んでいる改造猫たちの弁当箱を蹴り上げた。
悪エコを追おうとしたウィックは空中に飛び交う白米やコロッケのせいで距離感が掴めず、怯んだ。
そこへ、悪エコは足下に転がっている猫猫の足を掴み、ウィックの顔面に向って振り上げた。
「……っ!」
さすがに完全には避け切れなかったのか、ウィックはわき腹に猫猫アタックをまともに食らってしまった。
大きくよろけた所に、再び悪エコは箸を構えて突進する。このままでは両目が潰される。そう思った矢先、
獣猫が悪エコにタックルをかまし、倒れた隙をついてこっそり尻尾のスイッチを元に戻した。
「……さいぼぐ、大丈夫、か」
「ふぇぇぇ……な、何かあった?」
判断を仰ごうと獣猫がウィックに目をやるとウィックはフフフと小さく笑い声を上げた。
「……不意打ち、他を尊重しない姿勢、さらには攻撃の残虐性……気に入った……」
「さいぼぐ、よかった」
ぎゅっと抱きしめてくる獣猫だったが、エコはやはり状況がわからなかったが、
傍にやって来たウィックが、こちらを見ていることだけはすぐさま判った。
「……お前を我がBC団の一員として迎え入れてやろう」
「よし、これで良いだろう」
パンシェの声と共に目を開けると、鏡に映った自分にエコはわぁと声をあげた。
額には獣猫や猫猫たちと同じように逆三角形のマーク、星型のバックルがついたベルトまで締めている。
それに、クリクリしていた目が若干カッコよくなっており、少しだけ嬉しくなった。
「じゃ、後はこのBCチップを飲めば終了だ」
差し出してきた小さなチップを手に、エコは隣の獣猫に不安そうに目をやった。
獣猫は安心しろと言う風に頷き、チップを飲むように促した。エコは目を閉じてチップを飲み込んだ。
「……ごくん!」
次第に、エコの頭が冴えてきて、なんだかいつも以上に悪い事をポンポンと思いつくようになった。
「す、すごい! なんだか色んな知識が頭に浮かんでくるよ。悪エコより頭がよくなってきたかも」
「悪エコと普段のエコその中間がBC団のお前になる。この辺は尻尾のスイッチで切り替え可能だ」
と、そこへツカツカとタイガーアイが歩み寄り、冷たい目で改造猫となったエコを見下ろした。
「……俺には不服があるが……ウィック様のお考えだ。喜んで迎え入れてやろう」
「あ、ありがとうございますタイガ先輩」
「……俺はタイガーアイだ」
「た、タイガーアイ先輩」
「……様をつけろ」
「タイガーアイ先輩様」
「……貴様、俺を馬鹿にしてるのか」
「い、いえ、違います。タイガーアイ様」
微妙に天然なのはやっぱり治らないらしく、ぽりぽりと不満そうにエコは頬をかいた。
「お前には計画通り、BC団の支部長になってもらう。日頃はOFFレンと親密なオオカミ軍団のスパイとして、
他の改造猫と共に暗躍してもらうことになる。わかるな?」
「わ、わかりました。アジトには隠し部屋がいっぱいありますから、絶対バレませんよ」
「後は、お前の名前だが……」
「お、オレ、悪そうでカッコイイ名前が良いです。あっ、デビルとかどうですか?」
期待するようにこちらを見てくるエコをチラと一瞥して、タイガーアイは最適な名前が浮かんだ。
「お前は今日から……子猫だ」
「……え?」
ぽかんとしているエコこと、子猫を無視してタイガーアイは出口に向ってゆっくりと歩いていった。
と、ちょうど、息を切らせながら戻ってきたカオンとバッタリ出会った。
「あ、ちょうど良かった。タイガーアイ様、こちらにいらしてたんですか。もう改造の方は済ませましたか?」
「今、終わった所だ」
「そうでしょう。そうでしょう。何せ、おれっちも自信ありますからね」
タイガーアイからひょいと横に視線をずらしたカオンは目の前にいる子猫の姿を見て、頭の中が停止してしまった。
あの尻尾をカチカチしながらエコになったり何か見た事も無い改造猫になっているのは、やっぱりエコだ。
「あ、あの……あれは」
「例の支部長になる子猫だ。ウィック様もかなり期待されている……俺も一安心だ」
何が何でどうなってしまったのか、カオンは精一杯考えて見るがまったく意味がわからなかった。
どうしてあの黒末じゃなくておバカなエコが改造猫になっていると言うのだ。
「……よくやったぞ、カオン」
もし子猫が下手をすれば、自分の身が相当危険。タイガーアイのあの言葉を思い出してじんわりと背中に冷や汗が滲む。
だが、もうこうなってしまえば、取る方法は一つしかなかった。
「いやー、そう言って貰えると助かりますよ。おれっちも、そのうち出世しちゃうかも、なんてね。ワハハハハ……」