第105話
『トラトラ復活の罠!』
(挿絵:パープル隊員)
いくつもの銃弾が打ち込まれた体を、男はもうどうすることも出来なかった。
『オジキ……か、仇は……取ったけんの……』
血を吐きながら地面に伏せる男の背中に雨が降り注いだ。周囲には誰もいない。俯瞰になって初めてここが路地裏だと知る。
まるでアスファルトのしみの様に男が小さくなっていく。まるでこの街の中に消えていくように。
この男の激闘もこの世界の中では取るに足らないことなのだろう。男の戦いは虚しい物だったのだろうか、それは誰にもわからない。
そして、そんな疑問を掻き消すかのように、ゆっくりと、街の全景をバックに巨大な白文字がせりあがるのだった。
プロデューサー、竹内健三。企画、山城尚司。脚本、松田隆文、主演、柴崎達也、音楽、妹尾辰則……。
「か、カッコイイ……」
『任侠七転八倒地獄3 ~広島死闘編~』のタイトルが出て番組が終わった後も、エコは夢見心地で食堂のTVを見つめていた。
寝る前にちょっと見るだけのはずだった深夜のVシネマを見ているうちにいつの間にか時計の針は深夜3時を指している。久々の夜更かしだった。
「お、オレも、もっと男らしくなるために今からがんばらなきゃなぁー!」
エコはまだ組長のタマを取った主人公の感情が残っているのか、握りこぶしを作りながら誰に言う訳でもなく決意を口に出した。
しかし、近々上演される舞台のCMが流れ出すと、さすがにそんな気持ちも冷め始め、今まで興奮が抑えつけていた眠気がどっと押し寄せてきた。
3時になるとさすがのオオカミたちも全員眠りについている頃だ。ボスから「早く寝ろよ」と言われたのが大分前のような気がする。
「……やっぱり起きてからがんばろ」
エコはアクビをしながら、とぼとぼとリモコンを取りに向かった。瞼が閉まってから開く感覚がだんだん長くなっていく。
寝ると決めれば、早くふかふかのお布団にもぐりこみたい。ようやくメニュー表下の台に置かれたリモコンを手にして画面に向ける。
TVではCMが終わってローカルのランキング番組が始まっていたが、いくら何でもランキング番組に男気が無いのはエコも判っているので、そっと電源ボタンに指を乗せる。
……が、その瞬間にTV画面に映し出された映像は、エコの手からリモコンを落とさせるどころか、眠気すらも突風の如く吹き飛ばしてしまった。
「う、う、うわーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
BC団の支部のある隠し部屋に転がり込んできたエコは、改造猫が皆寝ているにも関わらず、足踏みしながら口をパクパクさせてテレビを指差した。
「どうしたニャ。支部長」
「て、テレビ……! テレビでっ!」
のっそり起き上がった獣猫がテレビのスイッチをつけると、フィンランドの牧場のドキュメンタリーが映し出された。牛が鳴いている。
「それじゃない! 別なチャンネル!」
こくりと頷いた獣猫は、チャンネルを一つずつ変えながらエコの様子を見ていた。3回ほどボタンを押したとき、エコが止めさせるよりも早く、
獣猫は画面を見るなり思わず手を止めた。何故なら自分達の上司が、ノリノリで歌っている様子がハッキリと映し出されていたのだから。
『解散が悔やまれるローカルグループ第3位は、タイガとホルンの2人によるTiger&Tiger。今でも秘かな人気を誇っています。
それではお聞き下さい。彼ら最大のヒット曲“Tiger Heart” Here we go!』
「ね!? ね!? こ、これタイガ先輩とホラン先輩だよね!? な、なんでテレビに出てるんだろー!?」
「なーんだ。タイガーアイ様ってトラトラだったのか」
意味も無く足踏みしながら興奮するエコは、横でぽつりと呟いた化猫の肩をがっしりと掴んで「ど、どゆこと!? どゆこと!?」と迫った。
化猫はエコの手を離しながら髪を書き上げてジャラジャラとアクセサリーの触れ合う音を出して、フフンと自慢げに胸を張った。
「ボクは流行物をとにかく押さえないと気がすまないオシャレさんだからね。トラトラのことだって、もちろん知っているのさ」
「と、とらとらって何!?」
「トラトラって言うのはTiger&Tigerの愛称。あの二人が突如彗星の如く現れて、大人気に。そして突然の解散宣言。今では知る人ぞ知る伝説のグループなのさ」
「じゃ、じゃぁっ、タイガ先輩と、ホラン先輩は、昔テレビに出てて、人気者だったんだ!」
エコは目をキラキラさせながら画面の中の二人の憧れの先輩の姿に目をやった。あんなに凄いと思っていた先輩がテレビにまで出ていたなんて……。
いつも以上に胸をドキドキさせながら、エコは夢心地だった。カッコイイ。カッコよすぎる。さっきの死んだヤクザなんてもうどうでも良い。
「お、オレ、タイガ先輩とホラン先輩の後輩になれて、ホントによかった……」
「さいぼぐ、鼻水」
興奮のあまり鼻水を垂れ流している事にも気づかず獣猫が拭いてくれた。エコにとってテレビに出ると言う事は世界を制したも同然なのだ。
鼻水どころか、機械がショートしてもへっちゃらなくらい何も見えなくなっている。ただでさえ尊敬している二人のことがエコはますます大好きになった。
「それにしても、今こうして見るとタイガーアイ様の面影が全然ないねぇ」
「俺はこの頃何度かあった事があるって感じ~?」
「……俺がどうした」
ここにいるはずの無い人物の声がするなり、噂をすれば影を地で行く状況に改造猫は背中をピンと伸ばしたままその場に固まった。
「ウィック様のご命令で抜き打ちの調査にやって来てみたら……貴様ら……」
唯一、興奮状態でどうでもよくなっているエコは真っ先にタイガーアイに駆け寄って、相変わらず輝く目を向けながらテレビ画面を指差した。
「あ、あのっ、タイガ先輩、じゃなくてタイガーアイ先輩! す、凄いです! お、オレ、先輩はやっぱり凄いなって、えぇと、す、凄いです!」
タイガーアイはチラと画面に目をやり、そこに映っているタイガを見つめて目を細めた。
「……こいつがタイガか。動いているのは初めて見た」
「何言ってるんですかぁ、これはタイガ先輩……じゃなくてタイガーアイ様じゃないですかー」
「……子猫、お前は何度言えば判るんだ。俺は生まれたときからウィック様に従ってきた。こんな間の抜けたお遊びに付き合うものか」
エコはタイガーアイの言葉に少しだけ我に帰ったのか、足踏みを止めつつ「そ、そですかぁ……」とだけ呟いた。
タイガの頃の記憶は消されて、全てウィックの都合の良い様に書き換えられてしまっているわけだから、当然と言えば当然なのだ。
いつもならば不機嫌そうに小言を続ける物なのだが、今日に限って彼の反応は違って、画面を見つめたままニヤッと微笑んでいた。
「しかし……ずいぶんと面白いお遊びのようだ……」
「ふぇ?」
エコはタイガーアイの視線の先を追ってTV画面に目を向けた。それはホランがマイクを持ちながら爽やかに歌っている場面だった。
ホランが長期休暇を利用して帰国したのはそんなことがあってから10日後のことだった。
エコがアジトからオオカミに頼まれた「まんじゅう」のお土産を手にホランを訪ねると、ホランはいつも通り忙しげに業務をこなしていた。
「グリーンは元気かい?」
書類に目を落としたままホランそのように尋ねたので、エコは元気良く「はい。元気です」と答えた。
まずホランがエコに会って最初に聞くのは、毎度毎度決まってグリーンのことだからエコも慣れたもの。いわば挨拶みたいなものだ。
ホランがこうして忙しそうにしているのも、少しでも早く業務を片付けてグリーンと触れ合う時間を増やすためなのだから。
「あ、そだそだ。ホラン先輩、オレ、この前見ましたよー」
「見た?……あぁ、ビジネス誌の寄稿文かい? この間編集部からFAXが来たが、なかなか評判が良かったようだね」
「違いますよー。ホラン先輩がタイガ先輩と歌ってた奴です。テレビですよ」
キラキラした瞳のエコとは対照的に、その話題が出るなりホランは急に手を止めると、苦い顔をして「あぁ……」と漏らした。
「……そうか、そんな物をやっていたのか」
「お、オレ、ビックリしました。先輩凄いなぁって思って。いっつも尊敬してますけど、今度はもっと尊敬しました!」
「済まない。トラトラの事はあんまり思い出したくないんだ。楽しいこともあったが、酷い目にもあったからね」
「そんなぁ。ホラン先輩、すっごくカッコよかったですよ。お、オレ、あんまりカッコいいから、ドキドキして眠れなかったです」
ホランは苦笑いを浮かべながらこめかみをペンでコリコリと掻いていた。悪い気はしないが、今思えば若気の至り同然の出来事だ。からあまり語りたくない。
事実、過去に一度小さな雑誌社の企画か何かでトラトラについての取材を申し込まれ、丁重にお断りしたこともある。
「またやって欲しいです。オレ、その時は集会があって出かけてばっかりで、全然テレビ見てなかったんです」
「エコ、本当に済まないんだが、この話はこれきりにしてくれないか。仕事に集中したいんでね」
「そ、そですかぁ……」
しゅんとしてソファに深く座り込むエコを見て、ホランはフッと微笑んだ。せっかく褒めてくれたのに悪い事をしたなとちょっぴり後悔する。
「そういえば、エコはお昼まだだろう? 好きな物を取ってあげるから何か食べたいものがあったら遠慮なく言ってくれ」
「……じゃ、じゃぁ、カレーがいいです。チーズとか、乗せてるのがいいです」
「チーズカレーだね。わかった」
ホランが書類を置いて電話に手を伸ばそうとした時、電話の方が先に鳴り響いた。
ちょうど良いタイミングの電話に、ホランはエコと目を会わせて互いに微笑み合った。少しはエコも気分が変わったらしい。安心してホランは受話器を手にした。
「ちょうど良い時にかけてきてくれた。どうした?」
『はい、スターズレコードの岩城様と言う方が社長に面会されたいそうで、ロビーにいらしているんですが…』
「用件は?」
『トラトラの件についてとだけおっしゃられておりましたが』
「……だったら断っておけ、トラトラに関しては一切取材も何も受けないとな」
「トラトラ!?」
ホランの言葉を聞くなり、エコはぴょんと飛び上がって社長机に駆け寄った。
「先輩、トラトラで何かあるんですかぁ!」
「……エコ。それについて今断っているんだ。残念だが受ける気はないよ」
「そ、そんな事言わないでお願いしますよー。オレ、一度だけでいいから先輩のアイドル姿を生で見たいです」
「生で見るも何も、どうせ取材さ。キミが見たって言う例のテレビを見て適当に企画を立ち上げたんだろう」
「取材!? せ、先輩。いいじゃないですかー。一度だけやってくださいよー!」
「エコ」
「お、お願いします。一度だけ見たらオレ、もうしつこく言いませんから!」
エコのすがるような目に、ホランの心が少しだけ揺らいだ。やはり可愛い後輩、しかも男の子からのお願いには弱い…。
これが女だったらキッパリと断れるのに…。こう言う時だけ自分の嗜好が歯がゆくなる。
「お、お願いします……!」
エコの強く訴える目に、ホランはとうとう負けてしまった。まぁ、一度だけならいいか。当たり障りの無いことだけ言ってとっとと切り上げよう。
そう自分を納得させたホランは、受付に面会の許可とカレーの注文をするように申し付け、電話を切った。
それから5分ほどして、秘書と共に灰色の猫が部屋にやって来た。
「どうも初めましてホランさん。私、スターズレコードの取締役をやっております。岩城と申します」
背広を着、オレンジ色のサングラスをかけ、鼻の下にヒゲまで生やした、見るからに軽薄そうなその男は、ホランを見るなり深々と頭を下げた。
ホランはいかにも業界人風な岩城の成りに、少しだけゲンナリしながら、腰を上げて彼と同じように頭を下げた。
「……早速ですが、ご用件とは取材でしょうか?」
「いえ、取材ではありません。第一、私共の会社は2年ほど前に立ち上げたばかりのまだ日の浅い会社なもので、とても出版までは」
「それならば、どう言ったご用件でここに?」
「はいはい、それなのですが」
岩城と言う男は、背広の内ポケットから二枚のCDを出して机の上に置いて見せた。どちらも過去にインディーズで人気だったアーティストの復刻版CDである。
……無論、ホランはクラシック以外には興味が無いので、元々の知識としてではなく、CDの帯にそう書いてるから判っただけなのだが。
「我が社では通常の音楽事業のほかに、過去に倒産、消滅した音楽会社の原盤権を格安で譲り受けて版権管理をしつつ、
それらを「リバイバルシリーズ」として限定復刻版のCDを製作しておりまして、我が社ではそこそこ良い売れ行きを見せているシリーズなのです」
「……なるほど、お話は大体判りました。トラトラの楽曲の原盤権をそちらの会社が買い取られたわけですね」
「その通り。トラトラの楽曲はBCプロダクション無き後、過去に別の会社に原盤権を譲渡されていたのですが、
そこも昨今の不景気で潰れてしまい、めぐり巡って我が社にそれが渡ったと言う訳でして」
ホランはそこまで聞けば、岩城の言いたいことを察せたようで、黙って頷き「限定復刻ならば、まぁ良いでしょう」と答えた。
だがそんなホランの予想に反して、岩城は「いえいえ」と顔の前で手を横に振った。
「今回のお話はそういうことではありません。無論、限定復刻版の発売も予定してますが、本題はまた別のお話です」
「では、一体どういう?」
「ズバリ、我が社では復刻CDの発売と共に、今年は寅年ということで、トラトラの再結成企画が持ち上がっているのです!」
岩城の言葉にホランは目を点にしたまま固まったが、一方のエコはみるみるうちに目の輝きを増して、
それこそ子供のように「やった」と「すごい」とを混ぜたような「やっごぃ!」と言う感じのおかしな奇声をあげた。
「再結成……?」
「ええ、オリジナルのミニアルバムの発売と、その発売に先駆け一日限定のミニライブを予定しております」
「せ、せ、せ、先輩! す、すごっ、いっ、で、うわ、ぎゃわ、ひゃ、お、でゃ、オレ、オレぇっ……! 」
本当は即座に断りたいホランだったが、エコが涙と鼻水を流して興奮しながらしがみ付いてくるのを見るとなかなか言い出せなかった。
だがさすがにこれは無理だ。そこまでやっていては、グリーンと会う時間も少ないし、業務にも差し支えるではないか。いや、それ以上に重大な問題がある。
「ま、待ってください、岩城さん。お話をお受けしたいのはやまやまですが、ちょっと問題がありましてね」
「問題ですか?」
「えぇ、メンバーのタイガがちょっと、消息不明と言いますか、連絡がつかないというか。だから今回のお話は申し訳ないのですが……」
ホランはタイガの現在の姿を思い浮かべた。あのヘラヘラした男が今では身も心も悪一色に染まってBC団の一員となっている。
おまけに顔には派手な三角模様まで付けて、記憶まで消されているのだ。どう考えても無理に違いなかった。
だが、岩城はハハハと笑ってなんだそんなことかと言いたげに、ホランの懸念を振り払うかのごとく右手を大きく振った。
「ご安心下さい。その点については何の問題もございません」
「え?」
ホランが聞き返すと岩城はサングラスを上げ、明るい声で答えた。
「だって今回の再結成企画は、そのタイガさんから我が社に持ち込まれてきた企画なんですよ?」
「聞きましたよ。凄いじゃないですかぁ♪ ホランの歌っている姿、私だったら絶対見たいなぁ~♪
だって、だーい好きなホランの歌を聞くと、わ、私、なんだか……変な気分になって……ヤダ、私何をいってるんでしょうね。えへ☆
……え、そうですか。やってくれますか。良かった良かった。じゃぁ、頑張ってくださいね。応援してますから。はいはい、はーい」
後半、一気にまくし立てるようにして電話を切ると、カオンは長い舌をペロリと出しながら、傍に立つタイガーアイに指で○を作って見せた。
「……一応、やる気になってくれたようだな」
「ねー? 簡単なんですよ。おれっちに掛かれば、あんな男なんてすぐに思い通りに出来るんですから」
「お前を改造猫にしておいてやはり良かった……。後はもういい、OFFレン本部に帰っておけ」
「了解しました。……しかし、タイガーアイ様、何故またトラトラの復活企画などを?」
カオンの言葉に、タイガーアイはニヤッと笑いながらマントを取った。
「……俺も歌に興味があるんだ」
「はぁ……そうですか」
「もう良いぞ。カオン」
「はっ、ありがとうございました」
一度跪いて、立ち上がるとカオンはすぐさまその場を後にして、ゲートをくぐった。
ゲートの先にはOFFレン本部のグリーンの部屋がある。BC団のパンシェ(変猫)が用意した移動用ゲートだ。
これがあるおかげで、すぐにBC団のアジトまで行く事が出来、カオンは非常に重宝している。
「さてと……」
部屋に着くなり、カオンはグリーンの姿に戻りふーっと息を吐いた。
それにしても、タイガーアイのやる事は良く判らない。BC団の一員になって悪事に対してストイックになったのかと思いきやあんな事を言うのだから。
まぁ、自分はただ与えられた命令に従うだけだ。そう自分に言い聞かせるとグリーンは部屋を出てまっすぐリビングへと向った。
リビングでは、珍しくビーストズ用の格好をしたレッドがソファにグッタリと寝転がっていた。
「あれレッド、今日はビーストズの日でしたっけ?」
「うん、まぁね……」
レッドはそう言って紙パックのオレンジジュースのストローを咥えた。
ビジュアル系(?)ロックバンドのビーストズのボーカルのジュンが勝手にソロデビューしたせいで
良く判らないまま隊長はボーカルとして参加させられてしまい、こうして月に何度か練習に参加しているのだ。(詳しくは70号を参照)
「でも、まだお昼ですよ? ずいぶん早かったんですねー」
「練習どころじゃなくってね。メンバーがみーんなネガ期に入っちゃってさぁ」
「ネガティブ期ってことですか?」
レッドはこくりと頷くと、わざとらしく「はあ」と言っているような深~い溜息をついた。
「ジョーズさんの所にお母さんから電話があったんだって。それがまた優しくて暖かい電話だったらしくてさぁ、
俺、母ちゃんに迷惑かけてこんなバンドの真似事して良いのかな……とか言って男泣きされて参っちゃったよ」
「まぁ、一応大人ですからね。バンドの皆さん」
「それに釣られてパールさんもミカンさんも泣いちゃって……やっぱりジュンがいなきゃ何にも出来ないんだ、
俺らはただの凡人なんだってどんどん深みに嵌っていくわけでさ。とても練習できる状態じゃなくって」
「ははぁ、それで一人早々と帰ってきたわけですね」
「ううん。一人じゃないよ」
レッドがソファの後ろを指差したので、グリーンが首を伸ばして覗いて見ると、
壁とソファに挟まれた狭苦しい空間の中で、他のビーストズメンバーが体育座りをしながらどす黒いオーラを全身に纏っていた。
「うっ!?」

さすがのグリーンものけぞってしまうほどの濃ゆいネガティブオーラを放っている3人を、
レッドはひょいと頭を上げて背もたれに顎を乗せながら見下ろした。
「ライブハウスにいると辛くなるからって、僕について来ちゃったんだよ。大丈夫、噛まないから」
「判ってます。……でも、困りますね。こんな所で暗くされると鬱陶しいったらありゃしないですよ」
「でも、一応僕がお世話になってる人たちだしさぁ」
眉毛をハの字にしながらレッドは首を前に20度傾けて、哀れな仲間達の頭頂部を見つめた。
「どうせ俺達は一生売れないダメミュージシャンなんだ……」
「ボーカルを変えたところで意味の無いようなクズなんだ……」
「何だよ。何で俺の名前だけミカンなんだよ……俺はメロンの方が好きなんだよ……」
とうとう3人は腕の中に顔を埋め、タダでさえネガティブのせいでか、細い呟きが余計に聞き取れなくなり始めた。
「気分転換しようと思ってカラオケにも行ったんだけど、自分の歌が入ってないって暗くなっちゃって……」
「当然っちゃ当然でしょうそれは」
「ねえ、グリーン。何か他にみんなを元気付ける良い方法ないかなぁ」
「さぁ…、健康ランドとかに連れて行ったらいいんじゃないですか」
「そういうんじゃなくて、もっとこう、夢と希望がはち切れんばかりになるようなさ!」
「そう言われましてもねぇ……」
グリーンは一応考えるような素振りを見せていたが、実際の所早くこの場から逃げたかった。
あまりにも暗い人間の近くにいるせいで、こっちまで暗くなってきそうだったのだ。レッドには悪いが、適当に誤魔化してここらで退散することにしよう。
そう思ったとき、再び携帯に電話がかかってきた。天の助けとばかりに、携帯を手に取ると、着信は先ほど電話したばかりのホランからのものだった。
「ちっ……」
思わず悪者としての素が出てしまい、咄嗟に「あぁ、電話電話」と言いながら、グリーンはチラとレッド達の方を見た。
レッドは何やらメンバーに話しかけているようで、聞かれていないようだ。ホッとしながら、作った声で電話に出る。
「もしもぉ~し。どうしましたぁー?」
『ぐ、グリーンかい。もう一度考えてみたんだが、やっぱりオレが芸能活動を一時期とはいえ再開することで、
愛するキミに迷惑をかけるんじゃないかとか、色々と考えてしまって……。もう一度話し合いたいなって思うんだ』
「…………」
やっぱりこの男はメンドクサイ。タイガーアイ様からの命令なのだからここは何としてもトラトラの企画には参加してもらう必要がある。
カオンはいつまでも消えない苦虫を噛み潰し続けている様な顔で、聞かれないように小さく鼻息をふーっと吐いた。
「えぇーっ☆ だって、早速明日から打ち合わせなんですよねぇ~? 行かなきゃダメじゃないですかぁー」
『そうなんだが、前回キミに迷惑をかけただろう。それに、オレがまた有名になると、キミをまた傷つけるんじゃないかと思って…』
「そうですか……」
参加してくれなきゃ、体まで傷つくんだよこっちは。……と言いたいのを抑えながらグリーンは続けた。
「でも私、トラトラのときのホラン大好きですよ。私の恋人があそこまでになるなんて私は誇りに思うくらいなんですからね☆」
『オレは心配なんだ。もしかしたらオレと自分が釣り合わないんじゃないかとキミが苦しむことになるのでは、とね……』
「そんなことないですよ♪ 私はホラン一筋ですからね☆ むしろ」
『あぁ、グリーン。キミはただでさえ苦しんでいるのに、オレの事を気遣ってくれているのか……』
とうとう、ホランは涙声になり始めた。頭は良いくせに、グリーンのことになると勝手に妄想を取り入れて現実の物として話してくるので、そこには論理のロの字も無い。
こうなってしまえばエコと話すより厄介だった。これではラチが空かないので、一発でカタをつけるしかグリーンに道は残されていなかった。
「ホラン。良いですか。私はトラトラの時のホランが好きで好きで……うっ!」
『ど、どうしたんだいグリーン!』
「あぁっ、ごめんなさい……私、トラトラの時のホランの姿を思い出すと……あぁっ……んっ……!
なんだかホランに滅茶苦茶にされても良い様な気がしてきました……だ、ダメ……!……トラトラのホランに滅茶苦茶にされたぁい……!』
『ぐはっ……!』
ここまで言えば、問いたださずとも電話の向こうで顔を真っ赤にしながら全身を震わせているホランがいる事はグリーンにも判っていた。
……しかし、作戦のためとは言え、やはりこんな事を自分の口から言うのは非常に恥ずかしかった。
『ぐ、グリーン。判った。もう泣き言は言わない。オレは、オレはトラトラ再結成を決めたよ!』
「あ、そうですか? それはよかったですねー」
『フフ……安心してくれ。そのうち時間を見つけてキミに会いに行くよ。良い部屋を用意しておくからね!』
「やったーうれしいなー。じゃそういうことで。次またかけてきたら絶交ですからね。ではさよなら」
グリーンは一方的に電話を切って大きく息を吐くと、いつもの作り笑顔を向けてレッド達の方へ戻った。
メンバー達はとうとう小学校時代のネガティブな記憶すらも現状に結び付けて自分を追い込んでいるらしく、
レッドもどうしていいのか判らず、すがるような目でグリーンに訴えかけてきていた。
「最近、ホランからの電話よくかかってくるねー」
「ええ、まぁそうですね。上手く手なずければ利用価値があるなと割り切るようにしているので、そのせいでしょう」
「ホランって僕まだ会った事無いんだけど、僕らと同世代くらいなのに会社の社長さんなんでしょ?」
「そうですよ。ホワイトタイガーエンタープライズ……レッドも聞いたことあるでしょう。お金もいっぱい持ってますからね~」
「だったらその人に何かお願いできないかな~。インディーズで良いんだ、CDを出してもらえるとかさぁ」
「……ま、無理でしょうねえ」
苦笑いしながらグリーンは答えた。そんな金があるならば、ブラックキャット団に廻してもらわないと。
ただでさえ、今のBC団には資金調達が重要課題なのだ。新たな作戦が始まろうとしていると言うのに無駄金は使わせられない。
「じゃ、僕が直談判するよ。ホランの電話番号教えて」
「ダメですダメです。隊長の身に何かあったらどうするんですか、一応悪者なんですよ? それに」
「それに?」
「明日からホランはレコーディングで……」
「え!」
……しまった。喋りすぎている! グリーンは言い切る前に気づいて思い切りレッドから顔を背け、
「そうだそうだ。買い物があるんでしたね。えぇと確かマヨネーズと食べるラー油とぉ……」等と言いながらそそくさと部屋を出た。
しかし、いくら誤魔化した所で、いくら工作をした所でレッドの脳内までどうこう出来る事はグリーンにも出来なかった。
「レコーディングって……ホランは歌手もやってる人なのかな……」
ぽつりと呟いた時には理解できていなかった自分の言葉を、何度か頭の中で反芻させながらレッドは頭の中でピンと来る物を感じた。
「ジョーズさん、パールさん、ミカンさん。僕、良い事思いついたよ!」
レッドは生気の無い顔でこちらを見つめてくる3人に向って、その暗さを吹き飛ばすかのような明るい笑顔でVサインをして見せた。
翌日の朝9時。ホランとエコを乗せたリムジンがレコーディングスタジオに到着した。
車の中からサングラスを上げて怪訝そうにスタジオを見上げると、ホランは緊張とも嫌悪ともつかない表情で溜息を付いた。
「……では、一仕事やりに行くとするか」
ホランはチラと隣に座っているエコに目をやり「エコ」と声を掛けた。だが彼は昨日の晩から一睡も出来なかったらしく、
目をギンギンに輝かせながら、高鳴る胸を両手で抑えたまま微動だにせず座席に座っていた。
「エコ」
「はっ、はいっ! 何ですか!?」
「着いたからスタジオに入るよ」
「わ、わかりました!」
車を降りた後も、エコはホランの後をぎこちない動きでついてきた。
何せ、手と足が左右同時に動いているので、ホランはぜんまい仕掛けのロボットみたいだと思った。……半分当たってはいる。
2人は、受付に言われるがままエレベーターで3階へと向った。ドアが開くなり、今回のプロデューサーを務める岩城が、大袈裟に両手を広げ、
「やぁやぁ、おはようございますホランさん。さすが元アイドルだけあって朝っぱらでも絶好調ですな~! イケメンですね~!」
などと歯の浮くようなお世辞を集中的に浴びせてきた。しかし、幼稚園児でも判るようなあからさまな賛辞にうんざりする一方で、
昨日のグリーンの一件があったために、かなりの時間をかけてペイントも髪型も完璧に仕上げて来ているので、どんな顔をすれば良いか判らなくなった。
「ところで、岩城さん。……タイガの奴はまだですか」
「ああ、はい。タイガさんなら既に控え室でお待ちです。ジュース等用意してあるのでお好きなものをどうぞ。
私はちょっとレコーディングの打ち合わせがありますのでお二人でしばらくお待ち下さい!」
岩城は後半を一気に早口で言い切ると、手刀を切りながらホランの脇を抜けてエレベーター横の会議室と書かれたプレートのある部屋に入って行った。
何故か興奮気味のエコが相変わらずのぎこちなさで岩城の後を付いていっていたので、彼の腕を取りながらホランは控え室へと歩みを進めた。
その僅かな時間の中で、彼はタイガとどんな顔をして会った物か、どのようにこの企画の発案を問い詰めるべきかと思案していた。
だが、やはり向こうの腹づもりが判らない以上、どうしても何もかも臨機応変に対応するしかないと言う結論に戻って来るので、考えを止めることにした。
控え室のドアを2回ノックすると、中から「開いてるぞ」と言うタイガの声がし、ホランはゆっくりとノブを廻し中へと入った。
控え室の中には、メイク用なのだろうか、壁伝いにテーブルと椅子、壁に貼られていた鏡がそれぞれ3つずつ備え付けられていた。
その前にはキャンディーの入ったビンが置かれたテーブルを挟んで2つの真っ白なソファが置かれ、タイガーアイはその鏡側の方に足を組んで座っていた。
「よぉ、ホラン……久しぶりだな」
赤いバンダナを巻いた彼は、そう言って軽く右手を挙げてホランを迎え入れた。
ニヤリと笑ったタイガーアイの表情は、やはりどこかホランの知っているタイガとは違った邪悪さが微かに感じられた。
「せ、先輩。おはようございます。お、オレ、昨日はずっとドキドキして眠れませんでした!」
続けてペコリとエコが頭を下げたが、今度はめんどくさそうな顔で右手の指先を数センチだけ浮かした。
「タイガ、一体どういうことなんだ。再結成企画なんて」
「まぁ、そう急ぐな。とりあえず、突っ立ってないで座れよ」
「…………」
ホランは何も言わないまま、タイガーアイの正面に座った。一方エコは、その隣に座って早速キャンディーを3つほど掴んで1つずつ口に運ぶ。
そんな能天気なエコをよそに、タイガーアイとホランはしばらくお互いを無言で見つめ合った。ホランはタイガーアイの余裕げな表情が妙に気にかかった。

「……その顔、ずいぶんと派手だな」
無言の圧力に耐え切れず、先にホランが口火を切った。タイガーアイは片方の眉を挙げて口元を緩めた。
「額の模様はバンダナで隠す癖して、頬のは良いのか?」
「……あぁ、我らがブラックキャット団で限られた者だけが授けられる紋章だからな……俺の誇りだ」
右手で頬を撫でながらタイガーアイは答えた。
「何が目的なんだ」
「ん?」
まだ頬を撫で続けていたタイガーアイが、ホランの言葉にふと顔を上げた。
「聞けばトラトラの再結成企画を持ってきたのはキミだそうじゃないか」
「あぁ。俺達の事がテレビに出ていたからこれを期にと持ち込んだまでだ」
「キミは以前に会った時、“自分はタイガではない”と言ったはずだぞ」
「さぁ、そんなこともあったかな……だが」
タイガーアイはゆっくりと立ち上がって、鋭く赤い瞳でホランを見下ろした。
「最近、ようやく思い出したんだよ。やはり俺はタイガだってことがな」
「ならば、どうして未だにBC団にいるんだ」
「ブラックキャット団の素晴らしさは入ってみないと判らない。俺はタイガとしてBC団を選ぶことにしただけさ」
「本当の目的は何だ」
「おいおい、待てよホラン。俺は今回ウィック様に内緒で来ているんだぜ? それは何故か。答えは任務でも何でもないからさ。
俺はただ、懐かしくなってお前と一緒にトラトラとして少しだけでいいから活動したいと思っただけだ。判るだろ?」
タイガーアイはゆっくりとテーブルの周りを左に回ってホランの左横に座り、肩に手をまわして顔を寄せた。
赤と黄色の模様が目に痛い。かつては整髪料の匂いがしていた彼も、今ではそんな物とは無縁なのか、若干汗臭い匂いが鼻をついた。
「……今日は、お互いに何もかも忘れて楽しもうぜ……。な、ホラン?」
ニヤッと笑う彼の赤い瞳の奥に漆黒のうねりのような物がホランに見えた気がした。
何とも言えない気持ち悪さが喉の奥につっかえて、反論するにもなかなかそうはいかなかった。
「お待たせしました、トラトラの皆さん。レコーディング室へどうぞ!」
やっと言葉を発せそうになった時、ドアを開けて岩城が顔を出した。
タイガーアイはそんなホランの肩をポンポンと叩きながら、腰を上げ部屋を出て行った。
そんな彼の後姿を見つめていると、今度は反対側の肩をポンと誰かが叩いた。エコだった。
「ほ、ホラン先輩。いよいよですね! お、お、オレ、オレっ、先輩達のこと、お、応援してます!」
両手をグッと握り締めながら緊張しているのか、震えているエコを見て少しだけ気が楽になった様な気がした。
「……ありがとう。じゃぁ、オレもレコーディングに行かせて貰うよ」
「あ、あのっ、ホラン先輩!」
ソファから立ち上がり部屋を出て行こうとするホランの背中に、エコが慌てて声をかけた。
「あ、あの。あと、オレ、先輩たちが上手く行くように、祈ってますから!」
ホランはその言葉に立ち止まりエコの方に振り向くと、フッと微笑んで見せた。
「それなら……今日が何事もなく済むようにってことも、一緒に祈っておいてくれるかな?」
「I LOVE YOU LOVE キミはTO・RA・NO・KO♪」
「抱きしめたまま離したくないよ♪」
「I LOVE YOU LOVE キミはTO・RA・NO・KO♪」
「虎穴に入らずんば虎児を得ないネ~♪」
レコーディングは第一曲目の「キミはTO・RA・NO・KO!」からスタートしたが、
さすがと言うべきか、彼らはNG一つ出さずにそのまま完璧に歌い終えた。
『はい、OKです。2曲目は『虎私、嘆、嘆...』ですが、お二人とも大丈夫ですか?』
「あぁ、大丈夫だ」
タイガーアイが顔色変えずに答えると、ホランも静かに頷き彼の顔を一瞥した。
確かに違和感はあるが歌っている時、やはり当時のままタイガと歌っているような感覚がホランの中にはあった。
歌い方も息継ぎの仕方もやはりタイガそのものだ。当然と言えば当然なのだが、ホランには非常に不思議に感じていた。
『せんぱぁーい! オレ、オレっ、すっごいカンドーしました! お、オレの一番好きな曲これにします!』
突然の大音量の声に振り返ると、ブースの向こうに感極まってスタッフを押しのけながらマイクを掴んでいるエコがいた。
引き離されようとしているが、彼の中ではとにかく感情を排出しなければ破裂するくらいの物が大量に身体の中から溢れ出てきているようだった。
『せんぱぁぁぁぁい! がんばってくださぁぁぁい! カッコイイです! お、漢の中の漢です! オレの先輩なんだってみんなに自慢します! あと、あとっ……!』
とうとう、スタッフにマイクから引き剥がされてエコは部屋の隅のソファの上に放り投げられた。
そんな様子を見ながらホランはフッと笑って、ふとタイガーアイの方に目をやった。彼はスポーツドリンクを飲みながらイヤホンで次のデモテープを聴いていた。
一方のホランは楽譜を見なくとも前もって受け取った資料で既に歌詞もメロディーも全て頭の中に入っているので、退屈そうに目線を楽譜の上に泳がせているしかなかった。
ブースに目をやるとスタッフが収録のための打ち合わせをしているようで、まだまだ時間は掛かりそうだったが、当時も同様な事はよくあったので慣れている。
しばらくそのまま待っているとスタッフが申し訳なさそうにレコーディングルームに入ってきて、先にジャケット写真を下のスタジオで撮影する事になったと言ってきた。
どうやら予約時間を間違って連絡していたらしく、下のスタジオでは既に撮影の準備が始まっており、今しがたその連絡が来たのだそうだ。
「すみません。とりあえず撮影が終わるのが1時だとして……2時半ぐらいに再開と言うことでお願いします。とりあえず下に行って貰えれば大丈夫ですから」
そう言うとスタッフは急いでレコーディングルームを飛び出して行った。時間は12時を5分過ぎた所、メイクの時間や衣装合わせを考えるとこれまた時間が掛かりそうだ。
ビジネス誌の取材で2、3度写真撮影をしたことがあるが、あれくらいにとっとと終わってくれればどれだけ気が楽だろう。そんな事を考えていると、
開けっ放しのスタジオからエコが入ってきて、どこかに発光装置でもつけているのかと言うほどに目を輝かせながら、じっとホランの目を見つめた。
「……あ、あの、ホランせんぱぁい」
「大丈夫。エコも付き添いなんだから、遠慮せずに撮影にも付いて来れば良いさ」
ホランの予想通りだったらしく、エコは「はい!」と元気よく返事をして満面の笑みを浮かべた。
判りやすいが、そこがまた可愛らしいなとホランは薄笑いを浮かべた。無論、グリーンには負けるが。
「じゃ、そうと決まればとっとと行こうぜ。まだまだレコーディングしなきゃならないんだからな」
タイガーアイはそう言ってホランの肩を押しながら、レコーディングルームを後にした。後から付いてきたエコが来ると、早速エレベーターで下のスタジオに向う。
下の回も当然ながら上の階と同じような内装だったが、最も大きな違いは通路の一番奥、フロアの半分以上を占める撮影スタジオだった。
「あ、トラトラの皆さん。お待ちしてました。えー、ジャケットの撮影ですね。ではメイクを先にやりましょうか、トラトラのお二人が入りまーす!」
来るなり、ペラペラとまくし立てるように言葉の雨を浴びせられ、タイガーアイとホランは気が付けばスタッフに連れられメイク室に入っていた。
ホランはとにかく白虎ペイントに、タイガーアイは頬の紋章を上から下手にいじられないように細かく注文し、30分かけてようやくメイクを終える。
終わったら終わったで、すぐさま白い布がかけられた撮影場所に連れて来られ、下っ端らしき若者からねじ込むように虎模様のマイクを手渡された。
「自由にポーズを取ってください。トラトラの野性味溢れるパワーと、その裏側にある孤独感、そして愛を求める姿勢を写真と言う素材に落とし込みたいし…」
何やら芸術家肌の人なのか、カメラマンはその後もホランでも意図が掴めないカタカナ語や観念的な言い回しを並べ立てて撮影を進めた。
この時点でホランは相当めんどくさくなっていたようで、つい表情にそれが表れそうになったが、カメラマンの奥にいるワクワクいっぱいのエコの目を見ると、
これも、可愛い後輩と愛するグリーンのためだと自分に言い聞かせ、自分で出きる精一杯のキメ顔を作った。可愛い後輩は「わぁ~!」と歓声をあげる。
「ノってきたみたいだな、ホラン。そんじゃ、俺も負けずにやらせてもらおう」
タイガーアイがニヤッと笑って彼の背中を突いた。途端に恥ずかしくなってくるが、今の自分はアイドルなのだと自己暗示をかけるしかこの場を乗り切る道は無い。
二人は次々とシャッター音とフラッシュの嵐の中でポーズを自由に変えていった。時には紳士のように、獣のように、激しい炎のように……。
彼らのやる気が伝わったのか、カメラマンも額に滲む汗を拭いながら懸命にシャッターを切り続けていた。まるでトラトラが何か崇高な舞を舞っているかのように見えていた。
かれこれ100枚以上撮った頃にようやく撮影は終わり、タイガーアイとホランはエコの少ない語彙による褒め言葉を耳にしながら現像待ちに入っていた。
自分でもどんなポーズを取ったかよく覚えていないため、あがって来る写真を見るのが少しだけ不安になってきた。やりすぎたかもしれない…。ホランは若干後悔した。
「先輩はやっぱりすごいです。お、オレ、ホントにすごいと思いました。それにカッコイイです。オレ、今日のこと絶対忘れません!」
「そうかい? そう言って貰えると、やった側としては非常に助かるよ。どうせならエコも撮ってもらえばよかったかな」
「そんなぁ、オレはまだ先輩と肩を並べるレベルじゃないですよ。タイガ先輩とホラン先輩の二人だからカッコイイんです!」
「……フン」
タイガーアイは、そんなエコを嘲笑うかのごとくわざとらしく鼻で笑った。ホランが横目で表情を窺うと、酷く機嫌が悪そうに見えた。
待ち時間が長くて苛立っているのかとも思ったが、どうもエコを睨んでいるらしい。エコの無邪気さが鬱陶しいのだろうか。
「どうした?」と声をかけようにも、やはり過去のように気軽に声をかけられるような雰囲気ではない彼を見つめることだけしかホランには出来なかった。
「(……やっぱりコイツはタイガではないのか……?)」
ホランがかねてからの疑惑を膨らませていると、ようやく現像済みの写真が上がったようで、二人はその中から良い物を選ぶ作業を始めた。
紙袋から出した写真は思ったより少なく、30枚程度の写真だった。現像後に選り分けをしてくれていたらしい。聞くところに寄ると目が半開きなのが結構あったそうだ。
とりあえずジャケットの表面と裏面の写真、歌詞カードの中に入れる3枚の写真の5枚を満足の行くまで選び、ようやく二人は開放された。
「まだ30分あるな」
ホランが時計に目をやると針は2時少し前を指していた。控え室に戻るにしてもする事が無くて暇なのは明白だ。
何気ない一言だったが何かピンと来たのか、エコが何か期待するような表情でホランの顔を見つめた。
「先輩。だったら、タイガ先輩も一緒にご飯でも食べに行きますか?」
「フフ、さすがにそれほどの時間じゃないね」
「控え室で待ってればいい。ホランもそうするだろう?」
タイガーアイが腕組みをしながら鋭い目をチラリとホランの方へと向ける。
彼も彼で何か期待するような物が瞳の奥に見えたような気がした。
「そ、そうだな……。とりあえずコーヒーでも買ってから行くよ。下に自販機があったはずだからな」
「そんな物買わなくても控え室にあるだろ」
「それはそうなんだが……」
野生の勘と言うべきか、それとも単なる天邪鬼が働いたのか、ホランはまっすぐ控え室に向わないようにしたいという考えに囚われていた。
実際、自販機で飲み物を買ったことなどほとんどと言っていいほど彼の経験上一切無かった。とりあえず一旦、一人になりたい。言葉にできる理由は無いのだが。
「……じゃぁ先に控え室で待ってる。遅れるなよ」
しばし沈黙した後、タイガーアイはそう言ってエコと一緒にエレベーターの中に入っていった。
大きな息を吐いて、どっと疲れが出てきたような気がホランにはした。やっと呼吸できたような変な感覚。タイガーアイのオーラがそうさせていたのか。
「お疲れ様でーす」
しばらくしてスタジオから出て来たスタッフに軽く会釈すると、とりあえず自販機で何か買わなければとホランは別なエレベーターで下に降りていった。
一階のフロアにやって来ると、そのまま外へ出て入り口横の自販機の前に彼は立った。ブラックかカフェオレかしか無いので、カフェオレに決める。
『つめた~い』の下の120円の値段を見て、ホランは白虎柄の財布を取り出すが、そこでふと重大な事実をホランは思い出した。
「……元々カードしか持ってないじゃないか」
現金はかさばるのでカードしか持ち歩かない主義だったことをすっかり忘れて、自販機の前で財布を取り出す一連の動作が彼には非常に恥ずかしい物に感じられた。
誰も見ていないだろうな…。辺りは軽自動車が数台通過するだけで、人らしき物はどこにもいないようだ。ああ、馬鹿な事をした物だ。顔を赤らめて財布をしまいこむ。
しかし、何も買わずにこのまま買えるのも何だか妙に思われそうだ。「欲しいものが無かった」とも言い訳できるが、もしバレた時は恥ずかしさも倍だ。
「(さすがに、下に小銭が落ちていると言うことなんて……)」
しゃがみ込んで自販機の下を覗きこんで見る。白虎としてのプライドがあるので、顔や手を地面にこすり付けてまでと言うことはしない。あくまで、興味本位。
と、奥に何かキラリと銀色に光る物が見えて思わずそんな欺瞞は吹き飛んでしまった。100円玉ならとりあえずつめた~い甘酒が買える。一応、様にはなる(?)。
誰もいないのを確認してから、ぐっと手を伸ばして見ると、確かな手ごたえがあった。それでも膝すら地面に付けないのはせめてものプライド。
「フッ……オレも運だけは良いようだな」
自信満々の笑みを浮かべて手のひらを開くと、光る物の正体はただのビール瓶の王冠だった。過去何百ものマンガで使われたベタベタなオチだったが、
そんなネタを生まれてこの方まったく知らなかったホランには相当の衝撃だったらしく、彼は手の中の王冠を見つめながら全身をプルプルと震わせていた。
「(こっ、こんな馬鹿な事が……オレは、オレは……!)」
「あのー?」
思わず声のする方に目をやると、そこには一人の少年が立っていた。少年はホランの方をまじまじと見つめていた。
今の出来事を見られたのか!? 咄嗟にホランは王冠を自販機の横に放り投げた。
「つかぬ事をお伺いしますが、ホランさんですか?」
「……い、いや、違う」
何故、自分の名前を知っているのかと言うことはさて置き、こんな恥ずかしい姿を一部始終見られていたらホワイトタイガーの名が廃る、否定する他なかった。
「オレは、そんな名前の奴は知らない」
「じゃぁ、ここのスタジオのスタッフの方ですか?」
「い、いや……その」
「判った。アーティストの人だ。そうでしょ?」
まぁ、間違ってはないので小さくホランは頷き、無理に微笑んで見せた。
「と、ところで、その人がどうかしたのかい?」
「あ、はい。ここにホランさんって人がいるはずなんですけど会わせてもらえませんか?」
「…………」
会わせたいのは山々だが、たった今否定した人物が「実は本人でした」と打ち明けるのも何だか惨めで恥ずかしい。
ホランはここでもシラを切るしかないと判断し、首をかしげて「今日はオレ達だけのハズだがなぁ」とだけ呟いた。
「会社の受付の人に聞いたら、こっちの方に行ったって言ってたんだけどなぁ。僕の聞き間違えかな?」
「何か用があるのかな? その人に」
「はい。僕、ロックバンドやってるんですけど、メンバーが売れずに落ち込んじゃってて。で、ホランさんは何か歌手活動もやってるって聞いて、
それで、バックバンドにでも一度だけで良いんで使ってもらえないかなーってお願いしたいんです」
「ふぅん……」
ホランは改めて少年の姿を足下から頭のてっぺんまで見渡した。年は自分と同じかそれより下くらい。
顔もどことなく幼げで少年ぽさがある。おまけに虎猫。白虎柄じゃないのが惜しいが、好みのタイプには一応入っている。
「ここにはその、ホランと言う人はいないが、オレも歌手活動を一応限定的にやっている者だ。だから、キミとそのメンバー達に協力してあげても良い」
その言葉に少年の顔がパァッと明るくなった。
「ホントですか! ありがとうございます」
「ただし、条件がある」
「何ですか?」
ホランはチラッと横の自販機に目をやり、少年こと、ビーストズの格好をしているレッドに苦い笑みを浮かべて見せた。
「……120円貸してもらえるかな?」
その頃、タイガーアイは控え室のソファの上ではしゃいでいるエコを苛立たしげに眺めていた。
「先輩先輩、もうすぐレコーディングですねー! オレ、また応援してますから頑張ってください!」
「…………」
「お、オレ、やっぱり先輩達すごいなって思います。それで、あと……」
「オイ」
とうとう我慢の限界がやって来たのか、タイガーアイはエコの両頬をいきなり片手でぐっと掴み、自分の方へと引き寄せた。
突然の事にエコも驚いてしまったのか、目を点にしながら眼前いっぱいに迫っているタイガーアイの目を呆然と見つめていた。
「貴様がホランに付いて来た時、俺はお前を少しは出来る奴だと思ったが……とんだ見当違いだったようだな」
「は、はいはひぇんはい?」
「……お前、本当にこの俺がタイガなんて奴になったと思っているんじゃないだろうな」
タイガーアイの目にキラリと怪しい光が映った。
「……え?」
「馬鹿馬鹿しい。俺は初めから俺だ」
「え? え?」
「いいか、俺がわざわざこんなくだらん事をやっているのは、兼ねてからの計画のためにホランをBC団の一員に加えさせるためだ」
「えぇっ!」
「……今まで何百もの改造猫候補を当たって来たが、どれも我がブラックキャット団に相応しい物は存在しなかった。ただ一人の例外を除いてな」
タイガーアイからパッと手を離されると、エコは「そ、それがホラン先輩ですか」と問いかけた。彼はニヤリと微笑み、そしてゆっくりと頷いた。
「知力、体力、経済力、全てが優れている。経験者だけあって悪としての心構えも申し分ない。俺は何としてもアイツが欲しい。
そして、我がブラックキャット団を世界で最も繁栄した組織として名を知らしめるのだ!」
「じゃ、じゃぁ、ホラン先輩も仲間になるんですか?」
「そうだ。そのためにこんなことをして奴と関わりあう時間を増やしている。……とりあえず親しくなる時間は終わった。これからは本格的に作戦を遂行する」
タイガーアイはエコの尻尾のスイッチのダイヤルを切り替えてボタンを押した。みるみるうちにエコの身体がBC団の改造猫子猫の姿に変貌する。
不思議そうに上司を見つめてくる彼の額の紋章、ブラックキャット団の一員である証をタイガーアイは指でコツンと突いた。
「……貴様も偉大なるブラックキャット団の一員ならば、幹部であるこの俺の命令に従い、奴を改造猫にするために協力するんだ。わかったな」
「で、でもタイガーアイ様。ホラン先輩を改造猫にするには、そう簡単に行きませんよ?」
子猫に変身しているおかげで悪エコの頭脳にリンクできている彼の脳内は急に聡明になって、作戦の難しさが頭をもたげてきたのだった。
比較的長くホランと接してきている子猫にとって、ホランの凄さは非常によくわかっている。
だが、タイガーアイはそんな言葉を見透かしていたかのようにフンと鼻で笑って、どこからか赤と黄色のBC団マークのステッカーのような物を取り出した。
「パンシェに作って貰った。これを額に貼れば誰でも俺の意のままに動くようになる。一時的な物だが、アジトに連れて行き改造を施すには十分すぎる効力だ」
「じゃぁ、それを貼ればいいんですね」
「俺がホランをひきつけている間に、貴様にはこれを奴の額に貼って貰いたい。1枚しかないから、十分気をつけるんだ。……わかってるな?」
「は、はい!」
ステッカーを手渡され、子猫は再び尻尾のスイッチを押して元のエコの姿に戻った。頭にちょっとだけ霞みの様な物が掛かったような気がするが、
いくら何でも、指令を忘れたわけではなかった。ホランが仲間になれば、今まで以上に美味しいものが食べられる機会が増えるかも。少しだけエコはやる気になった。
「……もうすぐアイツがやって来る。チャンスを逃すなよ。いいな」
「な、なんでわかるんですかぁ?」
「俺を誰だと思っているんだ……? まぁ、いい。そのうちわかる」
タイガーアイの言葉どおり、それから30秒ほどしてホランが控え室のドアを開けて入ってきた。
手にはカフェオレの缶。そしてどこか少しだけ機嫌の良さそうな表情。何かあったらしいことはエコにもひしひしと伝わってきた。
……が、そんなことをひしひしと感じている場合ではない。とりあえず自分のやるべきことはきちんとやらなければ。エコはホランに歩み寄った。
「ホラン先輩、オレと“あっちむいてほい”やりませんかー?」
彼の中では物凄いグッドアイデアのつもりだったが、タイガーアイがこの時彼に向って物凄い怒りの感情を心中でぶつけていたのは言うまでもない。
「アッチムイテホイ……? なんだい、それは」
「えぇっ、先輩あっちむいてほい知らないんですかー!?」
「何かのゲームかい? 鬼ごっことか、そう言う古典的な物だとは想像が付くんだが」
「ジャンケンして、勝った人があっちむいてホイって言って上とか下とかを指差すんです、負けた人は指差した方とは違う所に顔を向けるんです」
「……面白いのかい、それは」
「すっごく面白いですよ。オレ、結構好きな遊びです」
ホランは腑に落ちなさそうな顔をしていたが、あまりにもエコが楽しそうな顔でやろうやろうと勧めて来るので、
飲みかけのカフェオレをテーブルの上に置き、エコの言われるがままにジャンケンをした。勝ったのはエコだった。
「あっちむいてほい!」
エコはまっすぐ下を指した。すると、ホランはその指をじっと見つめ、『これでいいのかな?』と言う不安げな顔で、恐る恐る右側に顔を向けた。
目をパチパチしているエコ、そんなエコの表情を窺っているホラン、馬鹿馬鹿しくて見るのも嫌になっているタイガーアイ、3人の織り成す微妙な空気がそこにあった。
「せんぱぁーい、それ違いますよ。そんなことしたら絶対オレが負けちゃうじゃないですかー。オレがあっちむいてほいって言ったのと一緒にやるんです」
エコがようやくそんな空気を振り払うと、ようやくホランもホッとしたように顔をほころばせた。
「そ、そうか、オレもちょっとおかしいと思ってたんだ。うん、それなら少しは面白そうだ」
「じゃ、オレから行きますよ。じゃんけん……」
次はホランに下を向かせて、その隙に額にステッカーを貼ろう。そう思いながらエコはもう片方の手でステッカーをぎゅっと握り締めていた。
「トラトラのお二人、そろそろレコーディング再開しまーす」
が、そんな期待も虚しく、時計は既に2時半を指しており、スタッフが控え室に入ってきてしまった。
ジャンケンをするまでもなく、ホランは「また後でね」という目をエコに向けて、一足先に部屋を出て行ってしまった。
「……貴様はここに残ってもう少しマシなアイデアを考えていろ。思いつくまでこっちには来るな。わかったな」
怒りの形相のタイガーアイも、呆然としているエコに吐き捨てる様に言い放ち、部屋を後にした。
そんなこと言われても、良いアイデアなんて思いつかないし、レコーディングを見に行きたい。フグは食いたし、命は惜ししとはまさにこのこと。
「そ、そうだ。とりあえず子猫に変身すれば良い事思いつくぞ!」
エコは誰に言うでもなく、そう叫んで尻尾を掴んだ。……そこから尻尾の先のスイッチを辿ろうとしたのが間違いだった。
勢いよく引っ張ったせいで、尻尾の先がぐにーっと揺れ、机の上に置いてあったカフェオレの缶をひっくり返してしまったのだった。
「冷たっ!」
エコは若干この状況に苛立ちながらも、腰から下にかかってしまったカフェオレをティッシュで拭き始めた。
サイボーグのおかげで、毛とは違って下手に染み込まないのが良い所。そんな事を思いながら次は床を吹こうと腰をかがめると、彼は思わず目を疑った。
赤と黄色という見覚えのあるツートンカラーの三角模様が、何やらパチパチと火花を立てながらカフェオレの海の中を漂っている。
「あっ、あぁーっ!」
慌てて、救出作業に取り掛かったが、時すでに遅し。運良く粘着力はある物の、シール部分は茶色に染まり、中央部分に至っては若干の焦げらしき物が見えた。
さすがのエコでも、これを貼ることにコスプレ以上の意味が1ミリも無い事を一瞬で悟った。非常にマズイと言う以外の言葉が出てこない。
「どどどどどどどどど……」
念のため言っておくと上記は工事現場のSEではなく、エコが慌てふためいている台詞である。
エコはステッカーを持ったまま、ぐるぐるその場で回りながら「どうしようの」の「ど」を連呼し続けている。
どうにかしないとタイガーアイに殺される。いや、サイボーグだから死にはしないか。いやでもバラバラにされたらどうしよう。せめてエビピラフ食べてから!
……と、追い詰められた時に限って脳みその回転が良くなるもので、エコはハッとある人物を思い出した。彼なら、彼ならなんとかなるかもしれない!
急いで携帯を取り出し、その相手に電話をかける。前にアジトで会った時に聞いておいてよかった、エコは心の底から昔の自分を褒めてやった。
「あっ、もしもし! グリーンいる!?」
『……いるもなにもハナから私の携帯ですが何か』
彼とはOFFレンジャーのグリーン隊員、かつBC団のスパイとして暗躍中のカメレオン型改造猫、カオン。
だが、後ろで隊員らの声が聞こえることからいつも通りグリーンの状態で過ごしているらしいので、エコはボソッと「BC団の話なんだけど…」と言った。
その言葉にグリーンは黙っていた。しばらくして何か聞き取れない会話や足音、ドアの開閉音が聞こえた後、ようやくグリーンは再び電話口に出てくれた。
『……あなたねぇ。無用心すぎますよホント。あぁ、焦った焦った』
「ごめん。でも、緊急事態だからさぁ」
『とうとうクビになりましたか?』
「ううん。あのさぁ、オレ、今タイガせんぱ……タイガーアイ様と、ホラン先輩とでレコーディングスタジオに来てるんだけど」
『あーはいはい。知ってますよ、私もタイガーアイ様に協力しましたからねぇ』
「実はこれタイガ先輩、ホラン先輩をBC団に入れるための作戦だったんだって。記憶が戻ったって言ってたの嘘だったんだって。オレ、ちょっと困るなー」
『なるほど、そういうことだったんですか……それで?』
「で。オレ、タイガ先……タイガーアイ様にホラン先輩を操るためのシール?みたいなの貰ったんだけど、壊しちゃったんだ。
すっごい怒られるから、今からアジトに行って同じの作ってもらえないかパンシェに頼んでみてよー」
電話の向こうでグリーンのうーんと言う唸り声が聞こえた。YESかNOしか無いと言うのにずいぶんと長く唸られているようにエコは感じた。
「お願いだよー! 今度何かおごってあげるからさー。あ、500円以内の物だよ?」
『別に良いです。今思い出したんですけどね。以前パンシェから貰ったBCステッカーがの予備がありますからそれを渡しましょうか』
「ほ、ホント!? す、すぐだよ! 早く持ってきてよ!? じゃぁね!」
エコは有無を言わさずに電話を切った。が、グリーンに『レコーディングスタジオにいる』としか言っていなかったことに彼が気づくはずも無かった。
そわそわしながら、待つこと30分。トントンとノックの音がして、急いでエコはドアに駆け寄った。
「遅いじゃん! 何やってたんだよー!」
「え……?」
ドアを開けて目の当たりにした人物は、グリーンでもなければカオンでもなかった。ホランでもなければタイガーアイでもない。
メガネをかけ、さっぱりした薄化粧をした女性。全く予想外の人物の登場にエコは目を点に、口をパクパクさせながら数歩後ずさった。
「……あ、あの、メイク係です。すみません。忘れ物をしてしまいまして……」
メイクのお姉さんはペコペコと頭を下げながら、エコの脇を通って化粧台の上のパフを手に取った。
そのままエコの方には目もくれず、また頭を小刻みに下げながら「あ、どうも、あっ……」と呟きながら脇を通ったその時だった。
「きゃっ!」
可愛い叫び声が聞こえて、ようやくエコが我に返るとメイクのお姉さんはさっきエコが零したカフェオレの海の中に尻餅をついていた。
足下の空き缶が凹んでいる所を見ると、踏んづけてしまったらしい。今にも泣きそうな顔で「ご、ごめんなさい」とまたも彼女は頭をさげた。
「何かあったのかい?」
ちょうどその時、レコーディングを終えたホランとタイガーアイが部屋に戻ってきた。
ホランは床にぶちまけられたカフェオレとその上のお姉さんを見るなり、すぐさま彼女に駆け寄って起こしてあげた。お姉さんは顔が赤くなっていた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。私がボケッとしているせいで」
「いいんだ。後はオレたちでやっておくからキミは早く着替えをしてくると良い」
「は、はい。すみませんでした……」
一際大きく頭を上げてお姉さんが飛び出していくと、ホランも「雑巾を借りてくる」と言って部屋から出て行った。
タイガーアイがその後姿を見つめている瞬間、エコの脳裏にとてつも無い名案が浮かんだ。これはきっと神様が自分にくれたチャンスだ。
「あ、あぁーーっ! 先輩見てくださいよぉー! ステッカーが何か大変なことになってますよー!」
そう叫ぶなり、エコは壊れてしまったステッカーを取り出し、それをカフェオレの海にぺちょんと投げ入れた。
その声に振り返ったタイガーアイは、茶海の上に浮かんだ三角マークを前に大きく目を見開いたまま、しばらく黙り込んでいた。
「あ、あっ、わかった! きっとさっきの女がコーヒーこぼしちゃって、それがたまたまこのステッカーの上にかかったんですよ!」
「…………」
「そういえば、確かあの女が転ぶ前にオレにぶつかった気がするなぁー! その時にオレがしっかり持ってたステッカーを落としちゃったのかもなぁー!
普通だったら絶対落とさないもんなー。 ぶつかったりしないと絶対手から落ちないと思うなー。だって大事な物だしなー。オレ絶対そうだと思うなー」
タイガーアイはまだ黙り込んでいた。長い沈黙がエコの心臓を早鐘の如く鳴らしていた。ショックか嘘を見抜いて怒っているのか。ど、どっちだ!?
「……今日の計画はもう中止だ」
「え?」
「まだ別の機会がある。レコーディングはもう終わったが、来週にはミニライブも控えていることだからな……」
タイガーアイはそう言ったきり、ソファに座り込んだ。ホランが雑巾を持って帰ってきてもタイガーアイは目を地面に落としたまま一言も発しなかった。
普通のタイガ先輩だったら滅茶苦茶怒るのになぁ。なんてことをエコはちょっぴり考え、やっぱり別人みたいな物なのだなと少しガッカリした。
一週間後、尾布ミュージックホールにてトラトラの復活ミニライブが開かれた。
僅か100人程度しか集まらなかったが、コアなファンがいたようで、会場は大いに盛り上がった。
会場の隅には復刻版のアルバムと、今回の目玉でもある新曲入りのアルバム売り場が設けられ、どちらも即完売したと言う。
当然エコも少ない小遣いをはたいて両方買った。さらに二人にサインまで入れてもらうと「おっ、オレっ、一生の宝物にします!」と号泣してしまった。
「えー、長いようで短かったこのミニライブもいよいよ終わりのときがやってきました」
予定から1時間も延び、ホランが爽やかな笑顔で会場に声をかけると。えぇ~っ!と言う悲鳴に近い叫びが返った。
チラとタイガーアイとアイコンタクトをすると、彼は頷いて
「またいつか会おうぜ。その時までさよならだ」
と、ホランの後に続ると、今度はすすり泣く声が歓声に混じって聞こえてきた。
「では、最後にこのミニライブを盛り上げてくれたファンのみんなと、バンドを務めたビーストズの皆ありがとーう!」
トラトラの後ろにいるビーストズの3人が満面の笑みを浮かべながら、ギターをかき鳴らし、ドラムを打ち、雄叫びを上げた。
ちょっと前まで絶望を全て身に纏っていたとはとても思えないほど、自分自身が太陽になったかのように眩しく輝いていた。
「みんな、Tiger&Tigerはこれからも不滅だ。本当にありがとう! またいつか帰る時まで待っててくれ!」
「わーーーーーっ!」
あれだけ再結成を嫌がっていたホランだったが、大きな歓声の前につい感極まってリップサービスをしてしまった。
レコード会社が本気にしなければ良いんだが、と言ってしまった後でホランは少しだけ後悔した。
ミニライブが終わっても、観客はなかなか帰らなかった。だが、終わりは終わりだ。
二人はけじめを付けて二度とステージに戻る事は無かった。舞台裏では感激だの何だのとお世辞を並び立てる岩城と握手し、
アルバムを抱きしめながら涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったエコをなだめ、各スタッフともようやく挨拶を終えた。
「……じゃ、エコ。帰ろうか」
「帰るのか」
裏口のドアの前に立っているタイガーアイはホランにそう声をかけると、ホランは一呼吸置いて「あぁ」とだけ答えた。
「……もう会えないのかと思うと少し残念かもしれないな」
「会いたくなったらオオカミ軍団に戻れば良い」
「それは無理な話だがな……どうだ、ブラックキャット団に来ないか? 悪いようにはしない」
ホランは微笑みながら首を振り、タイガーアイの横を通り過ぎていった。視界の隅で赤く鈍い光が映ったような気がした。
「……残念だな」
タイガーアイの言葉を背にホランは裏口を開け、リムジンの中へと入っていった。後から追いかけてきたエコもようやく乗り込み、
車はそこからどんどん遠ざかっていった。タイガーアイは壁にもたれたまま空を見上げ、そして、不敵な笑みを浮かべた。
「グリーン! 来てくれていたのか!」
エコをアジトに送り、社に帰ったホランは、社長室の扉を開けるなり、花が咲いたかのように表情を一変させた。
目の前に愛するグリーンが立っているのだ。思わずホランは彼に駆け寄って思い切り抱きついた。
「あぁ、グリーン! グリーン! キミなんだね。この温もり、やっぱりグリーンだ!」
「大げさですねぇ、相変わらず」
「フフ、キミに会えた嬉しさのせいだよ。何せ、キミはオレがこの世で最も愛する人だ。あぁ、グリーン!」
ドウランが落ちているのにも気づかず、グリーンに頬をすりつけるホラン。
「そういえばミニライブお疲れ様です。所用で見にいけなくてすいませんでした」
「そうか、せっかくキミが見たがっていたのに……」
「まぁCDを買いましたからね」
「いや、やっぱりオレの姿をキミに見て欲しかった。いやぁ、残念だ。本当に残念だな」
「ええ、本当に残念です」
グリーンは静かに頷くと、ホランの瞳をじっと見つめた。
「……我がブラックキャット団の素晴らしさを最後まで理解できなかったなんてね」
「!?」
彼の姿はもういつもの愛らしいグリーンの姿ではなかった。
ホランの目前にいたのは、真っ赤な舌をチロチロとさせ、邪悪な笑みを浮かべたカメレオンだった……。