第108話
『新名所はOFFレン本部!?』
(挿絵:ピンク隊員)
その日、コンビニ帰りのブルーとブラックは、本部のドアへ熱心に身体をすり合わせている二人の中年女性を目撃した。
「水嶋ヒロ似の年下の男と結婚できますように……」
「腰痛治れ……腰痛治れ……」
しばらくの間、記憶が飛んでいた二人がようやく我に帰ると、何か切実で切羽詰った表情の彼女らを再び見て、今度は腹の底から恐怖がこみ上げてきた。
あんまりにもドアに密着しているため、顔の油が付着しているのが離れていてもハッキリとわかった。まるで巨大な二匹のヤモリがドアにへばり付いているようだ。
彼女達はそんな事を長らく続け、満足したのか和やかな笑みを浮かべながら、立ち尽くすブルーの脇を会釈して通り過ぎていった。
あ、これは悪夢だとブルーは思った。こんなことが現実に起こるはずが無いのだ。きっと昨日食ったたらこスパにでもあたったのだ。
何事も無かったかのようにブルーは、ハハハと文字をそのまま読んでいるかのような気の無い笑い声をあげて、ドアノブを掴んだ。
しかし、ドアにベッタリと付着している顔の油は、そんな現実逃避を許すほど寛大精神の持ち主ではなかったようだ。
「た、隊長ぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
ブルーは悲鳴に近い叫び声を上げながら、放り投げたコンビニの袋を気にも留めずリビングへと駆け込んだ。
ソファに寝転がって、ミカン味のアイスキャンディーを舐めているレッドが特撮物を見ていた。ちゃんと現実があってブルーは安心した。
「どしたの? ツナマヨのおにぎりやっぱり無かった?」
「そ、そうじゃないんすよ! 今、本部のドアの前に巨大な女が二人…」
「違うだろブルー、二匹のヤモリがドアに油を塗りつけていたんだろ」
ブルーの頭上を指でトントンと叩いてブラックが訂正した。
「ブラックそれ全然違うじゃないっすか!」
「何がなんだか全然わかんないなぁ。油まみれのヤモリが巨大な女をドアに塗りつけて行って、どうしたの?」
「それ滅茶苦茶怖いっすよ!」
「うっさーい……人が本読んでんのに大声で騒ぐなバカ」
この騒ぎに気づいたのか、漫画本を手に不機嫌そうな顔をしたホワイトがリビングにやって来た。
ブルーは彼女の肩にしがみ付いて、恐怖の光景をまとまらない言葉でをクドクドとしてみたが、「意味わかんないっつーの」と表紙で顔を叩かれただけで終わった。
「まぁ、そんなこと気にしないでブルーも一緒に『機動刑事ジバン』見ようよ。なんか、まゆみちゃんが後半に行くにつれてどんどん太ってきてさー」
「そうも言ってられないんすよ。そうだ、あれはきっと何かの儀式っすよ! た、多分どこかの組織が俺らとの対抗手段に呪術を持ち出して……!」
「バーカ」
またしてもブルーはその青い顔をペチンと本で叩かれる。さっきよりも少し強めだ。
「ほ、本当なんすよ。ホワイトだってあんなおぞましい物を見れば恐怖するに違いないんすよぉ~!」
「そんなことがあるわけないでしょ」
「ありますよ? ここ最近、私もよく見てますからね」
そこへ入ってきたのは妙に涼しげな顔をしたグリーン隊員だった。
ブルーは仲間が登場したこと、そして彼の微笑みから、まるで神様が救いの手を差し伸べてくれたかのように感じ、思わず口元と涙腺が緩んだ。
「ぐ、グリーンもっすか!? ホラ、やっぱり幻覚じゃないんすよ。リアルに誰かの嫌がらせなんすよ!」
「違います」
「え、な、何がっすか?」
「これですよこれ」
グリーンは手にしていた雑誌を皆に見せると、それを片手でパタパタと振って見せた。
30代くらいの女性が神社の前で微笑んでいる表紙からそれが女性雑誌であることがわかった。
「昨日発売された雑誌です」
「まさか」
「本部の住所が載ってます」
「何で!?」
「フッフッフ。知りたいですか?」
グリーンは唖然としている隊員達の顔をニコニコと見回すと、雑誌の両端をそれぞれ掴み、
「ズバリこれですッ!」
と、皆に見えるようにページを勢い良く開いた。
「“必見! 知る人ぞ知るパワースポット十五選 ~関西編~ 現在エナジー大放出中なのはここだ!”」
「えぇ~~~~っ!?」
雑誌の前に4人の顔がワッと集まった。確かにページの隅には“No.10『OFFレンジャー本部』”のタイトルと、簡単な地図が掲載されていた。
その横には隊員達が飽きるほど見慣れている玄関の写真と「時間が合えば中に入る事が出来る。そこにはさらなる強烈なパワーが……」の文まで。
「この記事によると、どうもこの場所は強烈なミラクルパワーが重油の如くドバドバと溢れ出ている場所らしいんですよ」
「知らなかった。僕らの本部ってそんなに凄い所だったんだねぇ!」
興奮しながらレッド隊長は隊員達に声をかけたが、彼の想像以上に他の3人の反応は冷ややかだった。
「こんなの捏造記事に決まってるよな」
「バッカじゃないの。こんなの信じるとか。いい迷惑よこっちは」
「驚いて損したっすよ。他の紹介地も胡散臭いし、ネタに困って適当にでっちあげたんすよどうせ」
「で、でもさぁ。言われて見れば確かにあるかもよ。そういう不思議な力がこの場所にも」
お人好し、人をすぐには疑わない、そんなまっすぐな心を持った我らがレッド隊長だが、
そんな彼の人徳を持ってしても隊員らの回りに気づかれた『馬鹿馬鹿しい』と言う城壁の前では無力だった。いや、人徳の時点で既に……?
「だ、だってさ。前々から頻繁に敵が出入りしているのにこれといった被害受けて無いでしょ? 悪者なんか爆弾とか仕掛け放題だよ?」
「それは敵のレベルがアレだから……」
「他にも、変な人とかいっぱい来るけど大抵無難に終わってるし。戦う少年少女が何事もなくここでのんびり出来る事自体凄いことだと思わない?」
「運が良かったんすよ」
「いや、僕はそう思わないな。考えてみれば僕らって、すごいラッキーに包まれてるよ。きっとこの場所のパワーのおかげなんだ!」
レッドの瞳が輝く時、それはもうどんな疑惑すら受け付けないという目印だった。それを目の当たりにしてはもはやどんな言葉をかけても無意味。
恐らく、自分たちの本部が特別な場所であると言うことが、真偽はさておき、あまりにも彼の特撮魂を揺さぶる一品だったのだろう。
諦めたような、呆れたような視線を送る隊員達。と、アルカイックスマイルを浮かべたグリーンはそんな彼・彼女らに「いいじゃありませんか」と声をかけた。
てっきり、レッドが喜んでいるんだからと言う意味に捉えていた彼らだったが、生き仏グリーンの口からそれに続いて、思わぬ言葉が飛び出したのだった。
「これはビジネスチャンスですよ! 例の借金を返済するにはもってこいじゃないですか!」
「せんぱぁーい! ホランせんぱぁーい!」
パタパタと軽い足音を鳴らしながら部屋に駆け込んできた子猫は、瞳に映った漆黒の人物を見るなり、思わず息を呑んだ。
そんな賑やかな来訪者の方鬱陶しげに振り返ったのは、当の本人ではなく、ブラックキャット団幹部、タイガーアイであった。
「何だ子猫……。お前も来たのか」
「は、はい。ホラン先輩のが、終わったって、グリーンから聞いて」
そう言ってチラと彼の横に立っているグリーンことスパイ改造猫、カオンに目をやった。
挨拶とばかりに片手をあげて指先を動かした彼に、子猫はとりあえずペコリと頭を下げた。
「まぁ、良い。ウィック様への紹介も済んだからな。お前にも紹介してやろう」
子猫は改めて二人の奥に立っている、今ではすっかり別人と化してしまったホランを見つめた。
真っ白だった体は今ではどこまでも深く濃い黒、そしてその毛並みの一部を染めている薄暗い赤の模様、
涼しげながらも底知れぬ邪悪さを思わせる紫の瞳、手の甲に見える不思議な形の模様、後ろで縛った長い髪……。
「ブラックキャット団史上最高の傑作、悪猫だ」
「あ、あくねこせんぱい……?」
悪猫の目を見上げた。彼は会釈も、返事もせず紫の瞳をじっとこちらにむけて向けているばかりだった。
原形をとどめているタイガーアイと違ってあまりの変わりように、子猫は戸惑いと、じっと見つめていると吸い込まれそうな感覚を覚えて思わず目を逸らした。
「ウィック様も一目見るなり納得された。やはり俺の目に狂いは無かったようだ」
「そ、そですかぁ……」
「全てはカオンのおかげだ。お前も前回のような失敗をしないように、より一層気を引き締めていくんだな。悪猫、後は任せたぞ」
「……はい」
機嫌良く口元に笑みを浮かべて部屋を出て行くタイガーアイの背中に向って、ようやく悪猫は口を開いた。
声はホランと同じだったが、いつもより低く、背中がゾクゾクするような冷たさを子猫は覚えた。
しかし、日頃良くしてもらっている先輩には違いない。子猫は咳払いをすると、いつものにこやかな笑顔を悪猫に向けた。
「先輩。せっかく先輩もBC団に入ったんですから、お祝いにご飯食べに行きましょうよ」
「…………」
「あ、あの。オレ、美味しそうなもんじゃ焼き屋、見つけたん、で、す、け、ど……」
自分でも笑顔が若干崩れているのが子猫にも判った。相変わらず悪猫は涼しげな目をじっとこちらに向けているだけなのだ。
いつもは「ああ」とか「よし、そうしよう」とか言ってくれる優しい先輩なのに。もしかして緊張しているのかなと思ったが、そんなわけはなかった。
「あの、ホラン先輩。ど、どうかしましたか?」
「…………」
「えっと、あの、オレ……」
「……オイ」
悪猫は表情一つ変えずに、ポツリと漏らした。これまでの静寂のせいで、それがあまりにも突然に聞こえ、思わず子猫は「はいっ!」と叫んでしまった。
「何でも聞いてください。お店の場所だったら、オレちゃんとメモして……」
「……貴様は誰だ」
「あ!」
子猫は、ホラン(今は悪猫だが)にこの姿を見せるのは今日が初めてだったことに気づいた。そりゃぁそう言われてしまうに決まっている。
早速、尻尾のスイッチを押していつものエコの姿に戻ると、彼は再び大好きな先輩に向って満面の笑みを見せた。
「先輩、オレですオレ。エコです。へへー、実は内緒にしてたんですけど、オレBC団にもこっそり入ってたんですよー」
「…………」
「あ、ちゃんと本物ですよ? 正真正銘のオレですからね?」
「……貴様は誰だ」
「えっ」
一瞬、子猫はそれがジョークだと思った。しかし、悪猫の無言の奥に潜むとてつもないオーラの前ではそんな軟派な考えはあっと言う間に吹き飛ばされてしまった。
もしかしてまだ完全に戻ってないのだろうか。顔の凹凸を手で確かめていると、真っ赤な舌をチラつかせながら嫌味な笑みを浮かべているカオンがフッと鼻で笑った。

「残念ながら、悪猫にはホランの頃の記憶はないんだな、これが」
「へ?」
「タイガーアイ様が理想の改造猫にするには邪魔になるからって、学力とか仕事関係の記憶以外は全部消去したの」
「えぇーっ!?」
エコは悪猫に目をやった。彼はまるでそこに驚愕している後輩がいないかの如く、視線を少しも動かす事のないまま、薄っすらと不敵な笑みを浮かべ続けていた。
「ま、でもこれで妙な付き合い方もしなくてすむから、おれっちも楽なんだけどね。こんなことしても頬すら赤くならないんだから」
悪猫に後ろから抱きついているカオンの言う通り、いつの様に顔面を真っ赤にしながら激しくのた打ち回る様な事を、彼はしなかった。
あまりにもの変わりように、エコはかつての先輩の足下にすがりついた。
「ホラン先輩。ちょっとくらいは覚えてないんですか。オレ、先輩といっぱいご飯食べに行きましたよ」
「無駄だよ。全部消したんだから」
「じゃ、じゃぁ、ご飯食べに行きましょうよ。忘れててもいいですからぁー」
「無理」
「ど、どうして!」
「タイガーアイ様の目指す改造猫は、冷徹で極悪かつ頭脳明晰な改造猫なの。目指すは機械のような悪の改造猫」
「???」
「悪猫には、他人を思いやるだとか、仲間を大切にするとか、そんな余計な感情は無いの。改造段階で無くしちゃったわけ、だから」
ぽかんとしている、エコの額をカオンは黄色い爪でトンと付いた。
「悪猫はエコとご飯を食べに行く事はもう二度と無いの。行きたいとも思わないの」
「ガーン!」
まさかタイガ先輩に続いてホラン先輩まで。さすがにショックが強すぎたようで、エコは目を見開いたままぽっかりと口を開けてその場で固まってしまった。
彼の脳内では、これまでのホラン先輩の思い出が走馬灯の様に映し出されていた。無論、これまで食べた料理の写真が圧倒的な数であったが。
「ま、そういうわけなんで。これからBC団を背負って行く悪猫をよろしくお願いしますよ。ね? 悪猫」
悪猫は何も答えずにゆっくりと歩き出した。タイガーアイとウィック以外の言う事はまず聞かない訳だから、当然カオンへの態度は冷たい。
悪猫の背中を見つめながら、相手にされなくなってきっとグリーンは喜ぶだろうなぁ。と、まるで他人事のようにカオンは思った。
彼は完全に自分の中でグリーンを演じている人間として認識し始めている事に気づいた。危ない危ない。改造猫に慣れすぎたみたいだ。
カオンは元のグリーンの姿に戻ると、座り込んだまま微動だにしないエコには見向きもせず部屋を出て行った。
これからやる事は山のようにある。もうすぐブラックキャット団最大の計画の実行も近づいている。そのためには資金集めが急務だ。それに……。
自分の思惑通りに事を進めなければならない、そんな使命感を感じながらグリーンは一歩ずつ踏みしめるように出口へと向った。
「さぁいらっしゃい、いらっしゃい! 買えば好きなあの子とラブラブ率1000%! OFFレンジャーお守り、一個6800円!」
「一回使えば3年長生き、OFFレン印の健康グッズ。大人気商品“ブルーの青竹”3000円が本日限りの特別価格で2990円だ!」
「体の中からジャポネスクパワーが溢れ出す! OFFレン餃子に、OFFレン饅頭、どれも一箱7000円。OFFレンゼリーもあるよ!」
朝からOFFレンジャー本部は騒がしかった。いつものリビングが一体どこの観光地だと言わんばかりの人、人、人の群れで溢れかえっていた。
入り口から入った女性達が壁伝いに並び、出店で商品を買い、手を合わせて部屋の中央に作られた安っぽい水晶球に手を合わせる、
そんな一連の作業を人々はまるでベルトコンベアの様に、テンポ良くこなして部屋を出て行く。それでも朝から客足は減らない。
むしろ、僅かながら無理やり流れに入ろうとしている人間が増えているのか、出店屋台が圧迫されてギシギシとなり始めた始末だ。
「えっと、OFFレン明太子とOFFレン海苔2つずつ」
「はいはい毎度あり!」
「こっちはOFFレンジャーTシャツ3枚。恋愛運の奴ね」
「はいはい、どうも。3万円ね」
「ちょっとぉ~! こっちが先に頼んだ、OFFレンジャーのぬか漬けまだなの?」
「あ、すみません。ただいま用意します!」
商品は全て、グリーンがホランに頼んで手配してくれたということで供給の心配は無い。ダンボールを開けて、それを渡せば良いだけのこと。
ぼったくりに近い価格だと言うのに、パワーがあると言うことで売れ行きは好調。グリーンの商売センスには本当に恐れ入ると皆が感心するほどだ。
おまけにみんなとっても喜んでいるのでまったく誰も損しない素晴らしいビジネスである。あっと言う間にダンボール箱にお札が溜まるし、大変気分が良い。
「OFFレンおみくじはこちらですよー。一回1000円。16名全員のくじを集めると人類史上最強の恋愛パワーが授けられますよー!」
出口付近では、レッド隊長とグリーンがくじ引きを売っていた。一般のような大吉、中吉、大凶、といったものはなく、
レッド、ブルー、グリーンといったそれぞれの隊員色と一言コメントが書かれているだけのチープな物。
だが、そこにコレクション性を入れた事で、本部内ではナンバーワンの売れ行きを見せているのだった。原価は数十円なのでボロ儲けである。
「ちょっとぉ~! 誰だよボクの髪の毛売るって言ったの~!」
ダンボールを抱えた商品供給係のオレンジが裏のルートを通ってやって来るなり、涙目で自分の髪を指差した。
初めて見る人が思わず絶句するような観葉植物めいた彼の銀髪。そのボリュームが圧倒的に減っていたのだった。
「どうしましたオレンジ。ダメですよ、ちゃんと髪にご飯あげないと。こんなに痩せてるじゃないですか」
「人の髪を生き物みたいに言わないでよ! これ運んでたら、みんな1000円渡してきてボクの髪の毛を引きちぎるんだよ! 何が先輩と両思いになれますようにだよ!」
「あー、すみません。私聞かれたんで適当にハイハイ言っちゃいました。なあに、すぐに生えてきますよ、ワカメとか食べたら」
「そういう問題じゃないんだよ!」
「あ、ちょっと待ってください」
怒るオレンジを他所に、グリーンは突然スピーカーマイクを取り出した。
二人の女子中学生が、部屋の隅でうずくまっているグレー隊員にOFFレンたい焼きをあげているのがハッキリと確認できたからだ。
「そこの二人! グレーにエサをやらないでください!」
女子中学生の冷たい視線を一瞥することもなくマイクのスイッチを切ると、グリーンはまだガーガー怒鳴っているオレンジから段ボール箱をひったくった。
5分前に追加したおみくじが早くも無くなってしまったからである。それもこれも「全員出るまで引かせてくれ」と言うご婦人がいたおかげだ。
「さぁさぁ、おみくじはまだまだ有りますからね。どんどん引いてくださいよ」
「ぼ、ボクにも一つ引かせてほしいのさ」
「はいはい。毎度……あっ」
こそこそとやってきたニット帽を深く被って、サングラスまでかけた男性客。しかし、そこまでの重装備でも、そのタヌキフェイスは隠せない。
変装しているつもりなのだろうが、グリーンは一発でその客がブラックキャット団の改造猫、化猫だと判った。
「……BC団の人間がここへ何しに来てるんですか」
「な、何のこと? ボクはただの、お客さんなのさ?」
「どうせ来るならタヌキ模様も隠せるサングラスをかけてきてくださいよ」
「ちっ、ちがっ、ボクはタヌキじゃ!」
「ホラ、やっぱり」
「……っ!」
怒りか羞恥心からか化猫はしばらく唇をぷるぷるさせていたが、突然フンと鼻で笑うとサングラスを外して彼は余裕げな笑みを浮かべた。
「ボクは日頃から色んな雑誌を見て、流行の最先端となるべく研究しているのさ。ボクぐらいのオシャレさんだと、外見以外にも気を使わなきゃね」
「それで隠れてこそこそ来てる訳ですか」
「一応、悪者だからね。他の改造猫はこういうことに無頓着で嫌になっちゃう。その点、ボクは誰よりも先を行くための努力を惜しまないのさ」
「威張ってないで、買うなら買う。買わないなら買わない。ハッキリしてくださいよ。後ろがつかえてるんですから」
「わ、判ってるのさ。とりあえず、おみくじ一つ」
彼が差し出した1000円を受け取ると、グリーンはおみくじの箱を彼の前に置いた。化猫は中に手を入れて、ゴソゴソと真剣な眼差しで探り始めた。
そんな光景を見ながら、きっとコイツは口ではああ言いながらも結構なミーハーっぽいから、悪者だからと倍の料金にしても良かったなとグリーンは後悔した。
そうこうしているうちに、たっぷり時間をかけてお目当てのくじを選んだ化猫は、中に書かれた文面を見るなりパッと表情を明るくした。
「あっ、待ち人が来るかもしれないし来ないかもしれない!……絶対来るに違いないのさ!」
「ハイハイ、良かったですね。お次どうぞ」
おみくじを抱きしめながら夢見心地で化猫が去っていくと、隣にいるレッドがフフッと笑い声を漏らした。
「なんか良いね。悪者が喜ぶ姿って」
「そうですか?」
「僕、あぁ言うの好きだなぁ。悪者だって、喜んだり悲しんだりするんだよねって思うもん」
「あぁ、そうですか」
グリーンはそんな気持ちに浸っている余裕はなかった。何しろとにかく金を稼がねばならないのだから。
……そんなに悪者が喜ぶ姿が見たいなら、たっぷり働いてもらいますよレッド。グリーンは心の中でニヤリと笑みを浮かべるのだった。
その晩、ウィックはとある組織との資材調達の打ち合わせを終えて、まっすぐ帰路についていた。タイガーアイの希望を却下しての出向だった。
彼には工事現場の監督を任せていたのもあるが、今度の計画は過去最大規模となる計画だ。失敗することは許されない。奴が失敗しないとは限らない。
だからこそ、三日三晩、まさにほとんど不眠不休でいくつもの組織と交渉を続けることとなったのだ。
「おい」
己自身が出向いたお陰で、なんとか比較的安い値段で資材を仕入れることになり、ウィックはホッとしていた。
なんせ悪と悪の打ち合わせだから脅迫、強要といった文句が飛び交い、幾度も実力行使寸前まで達していた。
そんな状況でこちらに有利な条件を飲んでくれたのも、元はと言えば以前に発行された「悪者の友」のカラーグラビアのおかげだ。
実際の事はどうであれ、広い会場にたくさんのヒーローが瓦礫の中バタバタとドミノのように倒れている圧巻としかいえない光景……。
あれ以来、「今のブラックキャット団はヤバイ」というイメージが悪界隈で一気に広まり、活動する上で非常に助かっていたのである。
「おいってば」
二度目の呼びかけで、ウィックはその言葉が自分に向けられているものだとわかった。
辺りは帰宅ラッシュも終え、人の往来もまばらになってきた頃。自分と同じ方向に歩いている者もいないことだし間違いないだろう。
だが、ウィックは立ち止まったり、振り返ってその声の主が誰かを確認しようとはしなかった。無論、その声が誰の物なのかは既にわかっていた。
「待てよ。ウィックだろ、久しぶりじゃねーか」
その声の男はウィックの右隣へ走り寄って来ると、彼の歩幅に合わせて歩きながら息を整えていた。
突然の知人の顔に、ウィックは少しも目線を向けなかった。
「まさか、この前会ったばっかりで忘れたのか? 俺だよ俺、ケンジ」
同じ孤児院にいた人間だった。確か、悪猫の会社に入ったばかりだと聞いたことがあった。
……忘れる物か。お前も憎らしい人間の一人だ。心の中でそう吐き捨てたウィックは思わず唇を噛んだ。
「なぁ俺、今から帰る所なんだ。せっかくだからどっかでコーヒーでも飲まないか。奢るよ」
声のトーンからケンジの表情が手に取るようにわかる。貴様と話すことなど何もない。ウィックは歩みを進めた。
「待てよ。何もただお前にコーヒーを飲ませたいわけじゃない。ちょっとお前と話でもしたいなって思ってんだ」
「……失せろ」
「そう、邪険にするなよ。せっかく十何年ぶりに会ったんじゃないか。あの頃のメンバーの中で社会に出てから最初に会ったのはお前なんだぜ?」
「だからなんだ」
「積もる話もあるだろってことさ。お互い、苦労しただろうしさ」
「……何!」
「いや、だから」
「何がわかる……!」
「ちょっと待てって」
「……貴様に何がわかる!」
ウィックは、彼の胸倉を掴んでいた。鬱陶しさが気に食わない、軽々しさが気に食わない、そして何より……。
「……教えてやろう。今の俺はある組織のボスだ。そこでは盗みもやるし、場合によれば殺しもする。人間どもが苦しむ事なら何でもやる」
「何を言い出すんだよ」
「俺に近づくな。次にまた俺の前に現れたときは、貴様を殺すぞ」
「オイ、待てよ」
「……俺は本気だ」
ウィックはその爪を、すっと彼の首筋に押し当てた。ゴクリとツバを飲み込む音がハッキリと聞こえた。
あれだけ軽々しい態度が、すっかり萎縮してしまって額には汗が滲んでいる。こんな人間の生死を左右するなど他愛ないことだ。
「……良いな、忠告はしたぞ」
そう言って、ウィックはケンジを後ろへ突き飛ばした。もう彼が付いて来る事はなかった。
早くアジトに帰って、計画を進めるのだ。そして、アイツを含めた全ての人間どもを絶望の果てに追いやるのだ。
ウィックは徐々に歩みを速めて、駅前の雑踏の中へと紛れていった。
「OFFレンジャーの焼きトウモロコシ新発売だよー。いらっしゃいませー」
「クリームのクリームパン焼きあがりました。お一人様2個まででーす」
「はい、オレンジの髪で編んだ携帯ストラップですね。30000円になります」
OFFレン本部のパワースポットブームがやって来てから、はや一週間。ピーク時に比べるとやや数が落ちる物の、相も変わらず本部は人で賑わっていた。
ミーハー層が減ったこと、そして混雑しなくなり出入りがスムーズになったことで新規の客が来たこと、そしてリピーターがついた事が大きかった。
すっかり隊員達も、正義を守った時以上の幸せそうな笑顔を浮かべて接客に臨んでいた。以前のスポンサー騒動の借金も無事完済出来たのだから尚更だ。
「グレーにエサを与えないで下さい! グレーにエサを与えないで下さい!」
電源を切った拡声器を椅子の横に置いて、レッド隊長はふーっと溜息を付いた。グリーンが休んでいるのでここ数日はずっとレッドが店番をやっている。
まぁ、一人でも十分やっていける程度に落ち着いているから問題はないのだが、どうも退屈で仕方が無かった。ついつい、アクビなんかも出ちゃったりして。
「おみくじ、一つ貰うのさ」
聞き覚えのある少々高めな声にレッドが顔を上げると、やっぱりサングラスでタヌキ模様を隠しきれていない化猫が立っていた。
二度目の来店、今日は相当機嫌が良いのか口元が緩みっぱなしだ。さらにチラチラとこちらを見てはニヤニヤしている。彼の意図する事がようやくわかった。
「何か良い事でもあったの?」
「そう! そうなのさ!」
レッドの読みは当たったようで、化猫はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべ、身を乗り出してきた。
「ボク、ここ最近枝毛が気になっていて悩んでいたのさ。色々試しても全然ダメで、それはもう毎晩涙を流したのさ……」
「で、ウチのおみくじを買って治ったわけ?」
「そう! すっかり元のツヤツヤな茶髪になったのさ! おかげで美容室の店員に『綺麗な髪ですね』って言われちゃったのさ♪」
「へぇー。それは良かったじゃない」
「初めは半信半疑だったけど、これもOFFレンのおかげなのさ。ホントは敵だけど、今回ばかりは例外で……。あ、ありがとうなのさ」
照れくさそうにそう言って、化猫は笑った。何だかレッドも嬉しくなった。悪者が喜ぶ顔はやっぱり良い物だ。
と、こちらも笑っているのに化猫が気づくと、コホンと咳払いをしながら慌ててブランド物の財布から1000円を取り出した。
「あ、せ、1000円。一枚引かせてもらうのさ」
「毎度ありー」
「あっ、大吉。……金運“すごく儲ける時もあるしそうでない時も間々ある” なるほど、頑張るのさ!」
「うん、頑張ってね」
スキップにも似た足取りで化猫が帰って行くと、お客さんの足取りも途絶え始めてきていた。
そういえば間も無く閉店時間の午後5時が近かったのだ。他の隊員らは既に片付けを始めていた。
「あ、あれっ、もう終わりー?」
そろそろレッドも同じく店じまいに取り掛かろうとしていると、一際、間延びした声が聞こえた。
ドアの方に目をやると、辺りをキョロキョロしながらエコが入ってきていた。本日二人目の悪者の来店だ。
「いらっしゃい。おみくじならまだやってるよ」
「いらない。オレ、トウモロコシ食べたくて来たから」
「残念ながらトウモロコシはオシマイ」
「そっかぁ……」
素っ気無いホワイトの声にエコは耳を下に垂らして、見るからにションボリしていた。
悪者とはいえ、TやHと違って比較的マトモな部類に入る少年だけに可哀相さもひとしおだ。
「でも、1本4800円するよ?」
「た、高っ! オレ、やっぱいらない!」
「だから今日はもうオシマイなんだってば。レッドもちゃっちゃと片付けてよね」
「あ、OKOK」
既に他の屋台には白いシートがかけられていたので、レッドもおみくじ箱をしまうと同じように屋台を白で覆い隠した。
エコはそんな光景を不思議そうにぽけーっと見つめていた。資金の入ったダンボールを抱え、部屋を出ようとしていたレッドとふと目が合う。
「ここはもう閉めるから、出た方が良いよ」
「ね、ねぇ。どれくらい儲かってる? いっぱいお金入ってるけどさー」
「まさか盗みに来たの?」
「そ、そんな訳ないだろー! お、オレは偵察じゃなくて……えぇと、と、トウモロコシ買いに来たんだからさー」
「偵察って、オオカミ軍団が?」
「ち、違う! それじゃない奴。トウモロコシ!」
「トウモロコシ軍団なんて出来たの?」
「そっちじゃない。オレの目的!」
「トウモロコシの偵察?」
「ちっ、ちが……!」
エコは言いかけた怒りの言葉をぐっと飲み込んだ。目の前には純粋な疑問の色を浮かべているレッドの瞳があった。
完全に向こうのペースになっている。何より、こんなトンチンカンなバカのされ方は始めてた。エコの中に堰を切ったように歯がゆさが押し寄せた。
「だっ……誰がトウモロコシなんか偵察するかぁー! クソー! お、おぼえてろよー! 」
「えっ、な、何を!?」
半泣きになりながら飛び出してゆくエコ。残されたレッドは、全く意味不明な彼の行動にしばし思考が停止してしまっていた。
早くもジェネレーションギャップを感じる歳になってしまったのだろうか……? 首をかしげながら隊長は部屋の電気を消し、自室へと戻っていった。
隊員達の部屋のドアが並ぶ場所までやって来ると、廊下の電気は消えていて、皆も接客で疲れて休んでいるのだろう、全てのドアからかすかに明かりが漏れている。
と、レッドはふとある事に気づいた。“全てのドア?” 確かここ最近、ずっとグリーンは家の都合で休んでいるはずだ。
鍵は各自で管理しているし、誰かが勝手に入っていると言うことは無い。もしかすると忘れ物だろうか。思わず忍び足などして、緑の部屋へと歩み寄る。
「……となると……後はこの地点……早いし……でしょうね……」
何やらぽつぽつ途切れながら、グリーンの声が聞こえてくる。やっぱりグリーンが来ていたようだ。脅かしてやろうか。そっとドアノブを握る。
「グリーン! 何して~んの!?」
勢い良くドアを開ける共に、レッドが中に入ると部屋にはグリーンのぐの字もなかった。「リ」や「ン」も探してみたが長音すら見当たらない。
だが、テーブルにはメモ帳とキャップを外したままのボールペンが転がっていた。さっきまで誰かがいたのは間違いない。
「……おっかしいなぁ……」
念のために布団を捲って見るとホランがいた。思わず仰け反ってしまったが、よく見れば以前ホランがグリーンに贈ったリアルドールだ。
しかし、見れば見るほど本物そっくり。隊員の噂では、グリーンが何度捨ててもいつの間にか戻って来るという曰くつきの人形だそうだ。
まさか、この人形が動いていたと言うのだろうか……? なんて思っても見るがそんな訳はない。 グリーンもいないみたいだし、長居は無用だ。腑に落ちないが。
レッドが去って行った後、心臓をバクバク言わせながらするりと天井から降りてきたのはカオン。
ほんの僅かな時間だけのつもりだと言う油断で、危うく自分を危険にさらすところだった。反省反省。鍵をちゃんと閉めなくては……。
と、ドアに向って歩き出した時だった。
「帰ったと思ったでしょー!」
突然開かれたドア。今度はさすがのカオンも天井に避難することはできなかった。緊張でその場に固まる。
そして、隊長のその悪戯っぽい笑みが、一瞬にして彼の顔から消え去ってしまったのだった……。
「……何をボサっとしている。早く仕事に戻れ!」
「ニャッ! も、申し訳ありませんニャー!」
休んでいた猫猫の背中を蹴飛ばしたウィックは、苛立ったままの瞳で別の怒りの対象を探すかのように辺りを見回していた。
まただ、とタイガーアイは思った。以前も帰ってくるなり機嫌を悪くして誰彼構わず当り散らしていた。嫌な事があったとか、
腹の立つ事を言われたとか、そんな些細な物ではない事はすぐ判る。ウィックの瞳は憎悪で満ちていた。この世の全てを憎むような憎悪。
「……俺がいない間は貴様に任せていたはずだぞ、タイガーアイ!」
タイガーアイは、突き刺さりそうな首領の視線を突如受けて、思わず全身の血が凍ったように感じた。
それと同時に、胸が締め付けられるような感覚を覚える。自分が至らないばかりに、ウィックは苛立っているのだ。
「……タイガーアイ。何か言ったらどうだ」
「も、申し訳ございません……ウィック様」
足の先から頭のてっぺんまで、ウィックとBC団に尽くすように洗脳されているせいもある。心の底から申し訳無いと思っていた。
全ては自分のせいだ。早く作戦を遂行させなければならない。それこそが俺の使命。自動的にタイガーアイの脳内ではそんな思考が働く。
しかし、そこまで胸を痛めている部下の気持ちなどはウィックは露ほども感じる事は無かった。彼は見下すような表情を浮かべ、鼻で笑うだけだった。
「……もういい。貴様はD以降の班を見て来い。ここは俺が指揮する」
「え?……しかし、ウィック様」
「何だ」
「ウィック様は、ここのところ度重なる交渉で二、三日前からほとんどお休みになっていないのでは」
「だからどうした」
「ウィック様の分まで、俺が頑張ります。ですから、今日の所はお休みいただいて……」
タイガーアイの首輪が突然掴まれた。しかし、突然の体の揺れの原因がそれだと判ったのは首領の鋭い眼光に目が慣れてからだった。
「……貴様がこの俺に、意見するというのか」
「そんな……。俺はただ、ウィック様の御身体を心配して」
「俺が別の班を見て来いと言えば、貴様はその通りにすればいいんだ。何も言わず、ただ従えばいいんだ」
「で、ですが……」
触れるだけで切れそうな細鋭な爪が、タイガーアイの眼前に伸ばされた。思わず彼は喉を鳴らした。
爪の隙間から見えるウィックの表情からは、もはや何の感情も感じられない。本当にその爪で喉を突き破りかねない。まさに悪魔のような顔つきであった。
「……タイガーアイ、貴様は幹部になってから少し、良い気になっているんじゃないだろうな……?」
「そ、そんなことはありません。俺は、ブラックキャット団の繁栄とウィック様の喜びのためだけにこの身を捧げる覚悟です」
「ならば、俺の命令だ。貴様はD以降の班を見ておけ……二度は言わんぞ」
「……承知致しました」
半ば突き飛ばされるようにして手を離されたタイガーアイは、地面に尻餅を付いた。が、すぐさま体勢を立て直し頭を深々と下げ、その場から離れた。
その光景をビクビクしながら見つめていた改造猫や灰色猫達は、ウィックが視線を現場に戻すなり、止まっていた作業を慌てて再開した。
ウィックはツルハシやスコップの音が響くこの地下工事の光景へ確かに目を向けてはいたが、見てはいなかった。
「(どいつもこいつも、俺を苛立たせる……いや、それも後少しのこと、か……)」
この計画さえ無事遂行出来れば、全てが始まる。野望であった世界征服、そして人間どもを絶望に陥れる、誰であろうが同じこと。
これは復讐なのだ。全てを苦しめてやるのだ。OFFレンジャーも、他の悪人たちも、部下も、男も、女も、老人も、若者も、ケンジも、
そして……自分を捨てた人間も。
「そんでさ、お、オレ、トウモロコシじゃ無いって言ったのに、レッドの奴、オレのことバカにしてくるんだ」
「そう」
「でも、オレ、ラッキーだったなぁー。トウモロコシ高くて食べれなかったし、オレ最近お腹一杯ご飯食べてなかったんだ」
「なら、いいんだけど」
そう言ってクスリと笑ったのは、OFFレンジャー本部に続く地下階段を上がって正面右側にある弁当屋、「まんてん屋」の女店長さん。
悔しさと美味しそうな匂いで涙ながらに駆け込んだおかげで、エコ自身は現在「ハンバーグ弁当」にありつけていた。
店の右側に置かれたベンチに座って、ちょっと早めの夕飯タイム。日暮れの涼しい風がなんだか妙にくすぐったい。
「でも、オレ本当にタダでもらっていいのかなぁー? まさか、腐ってないよね?」
「……味、ヘン?」
「ううん。すごくおいしい」
「今回は、出来たてホヤホヤのお弁当。いつもいつも廃棄前のお弁当じゃ、お礼にはならないでしょう?」
「お礼? 何かしたっけ? オレ」
「この間のイベント、手伝ってくれたでしょ」
「でも、あれはオレがお弁当もらったお礼だよ。これじゃオレ、お礼されてばっかりになるなぁー」
「じゃぁ、これは前払いにしよう」
「ふぇ?」
店長さんは、パンパンとエプロンを払いながらエコの横に座った。ハンバーグの最後の一切れを口に運びながら、そんな彼女をエコは見上げた。
微笑んでいるような、淋しがっているような、困っているような、もしくはそれ全部のような、そんな表情を浮かべたまま、店長さんはじっと前を見つめていた。
「私ね、あなたにお願いしたいことがあるんだ」
「お、お願い?」
「そんなに難しいことじゃないの。聞いてくれるかな?」
エコはハンバーグを飲み込み、傍に置いた缶入りのお茶をゴクゴクと飲み干すと、頼りがいのある男の顔を作って、大きく頷いた。
「いいよ! オレに出来ることだったら」
「ありがとう……えっと」
「オレ、エコ」
「……ありがとう、エコくん」
「で、お願いってなに?」
店長さんは目を伏せ、硬くなった頬にそっと指先を当てた。迷うように、かすかに唇が動いた。
「何? 聞こえないよ?」
エコはピンと左耳を立てて、店長さんに近づけた。彼女はそんな彼を一瞥して戸惑いがちに笑い、そっと耳元で囁いた。
「……え?」
ぽかんとしているエコに、店長さんはゆっくりと首を縦に振った。
「難しい?」
「んー、ちょっと難しいけど……オレ、なんとかしてみるよ」
「ありがとう」
「……で、でも何で?」
店長さんはすっと立ち上がりこちらを向くと、どこか吹っ切れたような笑顔をエコに見せた。
「……ちょーっと、ね」
『……県山中で、200メートルに渡り数百本の木々がなぎ倒されているのが発見されました。警察では……』
チラと夕方のニュースに目をやったクリームは、目の前でソファに座り込んだままシュンとしている隊長に視線を戻した。
「それで、まんまと逃げられてしまったわけですか」
「……うん」
パープルが持ってきてくれた麦茶がテーブルに置かれ、隊長は両手でコップを持ってすぐさま口をつけた。
グリーンの部屋に侵入していた謎の改造猫、隙を突かれてソイツを捕り逃してしまったのが隊長だと言うのだから隊員達の表情は冷ややかだった。
おまけに逃げる際に突き飛ばされたせいで右足を軽く捻挫しちゃったのだから、余計カッコ悪さに輪をかけていた。
「俺、始めて見た。イマドキ『あ、UFO!』に引っ掛かる人」
「……もしかしたらって思ったんだもん」
「そもそも地下で室内だから、“もしかしたら”すら有り得ないからね」
みすみす悪者を逃がしてしまっては、隊長の面目丸つぶれ。ここまで潰れたら、直すのもこいつぁひと苦労だぜという感じで、
レッドの背中はどんどん猫らしく、丸まっていった。正直、悪者の見た目が怖かったというのもあったのだが、当然彼にそんなことが言えるはずも無かった。
「でも、何でその改造猫はグリーンの部屋にいたんだろうね」
ぽつりと呟いたピンクの一言で、ドキリとした者がいた。
「何か、グリーンの部屋に重要な物があったんじゃないかな? で、それを盗みに来た」
「えー? でもレッドの話じゃ変なメモ書いてて、それを持って逃げたんでしょ?」
「うん。でも詳しくは見てないからなぁ……」
「シェンナ、わかったですー!」
ピンと背筋を伸ばして両手をあげたシェンナは、まるでそびえ立つビルヂングのように立派であった。
だが、誰もリアクションをしてくれないので、クリームの方へ乞うような目を向けると、彼女は渋々「シェンナどうぞ」と言ってくれた。
「シェンナの茶色の脳細胞にビンビン来てるですー。そいつはきっとグリーンですー」
またもやドキリとした者がいた。そう、さっきから隊員らの会話にドッキドキしているのは紛れも無いカオン。
しかし、この場にはカオンの姿は無い。……そう、彼は逃げずにリビングの天井裏からずーっと一連の成り行きを窺っていたのである。
変に怪しまないかだけが気がかりだったというのに、いきなりシェンナが言い当てる物だから……何故かよだれまで垂れてきた。
「隊長の話だとソイツは緑色だったですー。きっとBC団に改造されて恥ずかしげも無く悪の手先になってたですー!」
「そうだ! そう言えば、声もグリーンぽかった気がする!」
「それはちょっと根拠が弱いよ」
ライトブルーが苦笑いを浮かべながら右手を大きく振った。
「第一、もしグリーンがそうだとしたら何でそんな姿でいたんだって話になっちゃうよ。普通の姿でいれば一番怪しまれないでしょ?」
「きっと、普通の姿のままだと腰に来るですー!」
「大きな声でバカなこと言わないの」
「そう言われれば、やっぱりグリーンぽくなかった気がする!」
「ハイ!」
次に手をあげたのはOFFレンジャーの歩く殺戮マシーンイエロー隊員。軽く顔の横に右手を上げた姿はさながら庭付きの一戸建てのように慎ましかった。
「私の推理では、ソイツはホランですね」
カオンは吐き気を感じて思わず呻き声を上げそうになった。何だか脳みそが痛い。右の方が特に痛い。
「タイガくんが改造猫になったんだから、ホランくんだって改造猫にしようとアチラさんが思うのは当然のことですよ」
「イエローもなかなか鋭いですー。うぐぐ」
「うぐぐじゃないでしょ」
「正体がホランだとすれば、先ほどのライトブルーのいったような辻褄は全て合います」
イエローはピンと人差し指を立てると、シェンナ同様すっかり気分は名探偵になったようで、彼女はその場を行ったり来たりしながら話を続けた。
「グリーンの部屋に入った目的はズバリ、コレクションの採取。グリーンの部屋こそ彼にとっては宝物庫の如き楽園」
「ホランくん、密かにグリーンの使った物とかよく集めてるもんねー」
「そこに入るためには、知られたいつもの姿では危険。だからこその改造猫スタイル。しかし、万が一バレてもホランだとは思われません。
さらに、体が緑色なのはグリーンを愛するがあまりの行動。ヘビみたいと言っていた隊長のイメージも、ヘビの如き彼の執念の表れ! これでQ.E.D.です!」
「そ、そうだ。イエローの言う通りだよ! そう言われれば……あれ、僕ホランに会ったことないや」
優柔不断な隊長は置いておいて、隊員内ではイエローの説が有力視され始めていた。グリーンの部屋には極秘資料なんてない(そもそも本部自体に無い)し、
わざわざ敵が忍び込んで探すような物は無いはずだ。多分。もちろん、全く無関係な改造猫の可能性もあるが、それはそれで納得が行かない。
「じゃ、こうすれば良いんすよ。グリーンとホランを捕まえて、イエロー姐さんに検査してもらえば」
「(な、何ィィィィーっ!?)」
「ナイスアイディア、ブルー。私、もういい加減シルバーの体に飽きてたんですよね」
「いや、検査っすよ?」
「(お、オイ、あんたらぁぁぁぁぁぁ!)」

カオンが危うく叫びそうになった所を、何とか両手と長い舌が防いでくれた。
そんな事をしていたら、今後の任務に支障をきたすではないか。検査(解剖?)なんかされればまず改造猫であることがバレてしまうし、
しかもイエローはノリノリだからその場で終わるような話にはならないだろう。非常にマズイことになった。
「(と、とりあえず、連絡を取って……クソッ、そろそろ作戦が動きだす時間だってのにっ!)」
爬虫類のごとく、しゃかしゃかと音も無く這い回りながらカオンはその場を後にした。
まさか天井裏でそんな気持ち悪い動きをしているグリーンがいるとは露知らず、隊員達はどうやってグリーンとホランを捕まえるかで話に花を咲かせていた。
トリモチにネズミ捕り、センサーに網、……とだんだん物騒になってきたそんな時、テレビのローカルニュースから慌しい中継が入った。
『大変なニュースが飛び込んできました。尾布市のとあるビルの屋上にて、謎の人物が、周囲の建物や車を次々に破壊しています!』
続いて画面には闇に紛れて若干不鮮明ながらも、二つの影が映し出された。それを見るなり、隊員はあっと声を上げた。
どんなに薄暗くとも、ハッキリと鮮やかにそれは映っていた。彼らの額の、赤と黄色の三角模様……。
「あっ、コイツだよ! 僕を巧妙に騙した奴は!」
レッドはソファから身を乗り出して、右側に立つ緑色のカメレオン風の人物を指差した。隊員の間に緊張感が走る。
「急いで、こいつらを倒して辞めさせないと!」
「隊長、出動命令をお願いするっす!」
「……そんなの今まであったっけ?」
「気分っす。気分!」
ブルーの言葉にレッドも表情をキリリとさせ、軽く咳払いをした。
「ぐるぐる戦隊OFFレンジャー出動! 」
「オーッ!」
「……ついでに足痛いから誰かおんぶして連れて行ってね!」
「らじゃーっ!」
隊員達は足早にリビングを飛び出していく。
そしてもちろんのこと、皆は威勢の良い大声で誤魔化して、誰一人、隊長を背負って行ってくれる者はいなかったのだった……。
地面を掘り返す作業を監視はずいぶんと退屈だが、仕方がない。地下のトンネルが完成すれば後はアジトで作らせている装置を設置すれば良いだけの事。
もうすぐこの世界はブラックキャット団のものとなる。それだけが最上の喜びなのだ。タイガーアイは期待に胸を膨らませながら怪しく微笑む。
それには、少しでも早く完成させなければ。本来は幹部である自分がすることではないのだが、傍に置かれたスコップで傍の土を掘ってみる。
「えっと、あ、あのぉ……タイガせんぱぁーい」
あの間の抜けた響きは、振り向かなくともタイガーアイは誰だかすぐに判った。
「……何だ。オレは今、忙しいんだ。命令どおり、OFFレンを見張ってろ」
「えっと、あ、あの、その……」
「言いたいことがあるならハッキリ言え!」
振り向き様にタイガーアイから叱咤されたエコはぐっと言葉を詰まらせて、おめめを右往左往。
一番BC団が頑張らなければならない大切な時期であるにも関わらずこの煮え切らない態度。
タイガーアイはエコを一発殴ってやろうと一歩踏み出す……。
「……どうかしたのか、タイガーアイ」
早足で急ぎながらウィックが現れた。すっと振り上げた拳をしまったタイガーアイは、深々と頭を下げ「申し訳有りません」と答える。
ふと、ウィックは傍のエコに視線を向けた。
「……オイ貴様。ブラックキャット団に出入りする時は紋章をつけている状態で入れと行っている筈だ」
「あ、す、すみません!」
慌てて、エコが尻尾のスイッチを押して子猫に変身すると、ウィックは一回だけ頷いて呆れたように彼から視線を逸らした。
「何を騒いでいたんだ。タイガーアイ」
「はい、子猫が何か用があるようなのですが、聞いても全く言葉を濁すばかりなので……失礼致しました」
「子猫。何だ。言ってみろ」
「ウィック様の前でハッキリと答えるんだ。わかっているな?」
首領と幹部に睨まれて、とてつもないプレッシャーに背が縮みそうになりながら、子猫は弱弱しく頷いて見せた。
「あの、お、お、オレ……」
「まさか、OFFレンに何かあったのか?」
「ふぇ!?」
「そうなのか!」
タイガーアイを押しのけたウィックは子猫の肩を強く掴んで聞き返した。
「その、えぇと……」
「まさかカオンの奴がしくじったのか!」
「あ、そ、そうです!」
エコはぐっと握りこぶしを握った。
「お、OFFレンに正体がバレて、捕まってて、そ、それで、タイガせn……アイ様を連れて来いって……」
「お前という奴がいながら何と言う体たらくだ!」
ウィックは子猫の肩をぐっと掴むと、思い切り前に引き倒す。泥まみれの子猫の視界に肩を上下させて息をしている首領の姿が映った。
「……タイガーアイ、後は任せたぞ」
「えっ、う、ウィック様。危険です。俺が子猫を連れて本部に向います」
まだ息を整えていないうちにOFFレン本部へ向おうとするウィックをタイガーアイが止めた。
彼には首領がますます冷静さを失っているように見えた。焦りと怒りに溢れた瞳、逆立っている毛並み。誰の目にも明らかだった。
「そ、そうですよー。お、OFFレンが連れて来いって言ったのはタイガ先輩ですもん」
「ウィック様ともあろうお方が相手をするような奴らではありません。ここは、是非とも俺に……」
「……貴様!」
タイガーアイの眼前を銀色の光が霞めた。頬に激痛が走る。鮮血がポトリポトリと、彼の足下を真紅に染めた。
「いい加減にしろ……! 貴様は俺の命令を聞いていればそれで良いと言ったはずだ……!」
やっと焦点が合ったその対象は、鮮血を滴らせているウィックの鋭爪であった。
タイガーアイは、自分の中に音を聞いた。高い音だった。それを認識するや否や下半身の力が抜け、彼はその場に崩れ落ちた。
「た、タイガせんぱぁーい!」
子猫がタイガーアイに駆け寄っていく合間に、ウィックはその場から飛び出して行った。
首領に頬を切られた男は、もはや立ち上がることは出来ず、ただ唇を震わせていることしかできなかった。
現場に駆けつけた隊員達が目にしたのは、紫色に光る隕石の様な物がアスファルトめがけて流星の如く落ちて来る光景だった。
砕けたアスファルトが細かな粒子となって隊員達の頭に降り注ぐ、こりゃぁ二日間はお風呂場でお会いすることになりそうだ。
「ハハハハハ! いよいよお出ましの様だな、OFFレンジャー!」
三日月の空をこだまする、何者かの笑い声。目の前に聳え立つのは、ホワイトタイガエンタープライズ本社ビル。
月夜に照らされた壁面が金色に光って、まるでゴールドタワーのように見える。その屋上に奴はいる……のか、いないのか高すぎてわからない。
「こっちだこっち!」
目線を少し右下、隣の20階建てほどのビルの上にずらすと、今度はハッキリと屋上に二つの影を認めることが出来た。
テレビで見たのと同じで、右側には緑色の改造猫。そして左には、見覚えの無い真っ黒な改造猫。どちらも初対面である。
「初めましてだな。OFFレンジャー。おれっちはブラックキャット団改造猫カオン。……そしてこっちにいるのは、同じく改造猫、悪猫。
おれっちは普通の改造猫だが、悪猫はウィック様の念願だった史上最強の改造猫。今日はコイツの初出勤日さ」
ビルの上にいて、表情は見えないと言うのに悪猫の冷たい視線を感じ、隊員達は思わず身震いした。逆にこっちがビルの屋上に立ってるみたいに手足がぶるっと震える。
カオンと言う奴は意外と調子が良さそうなのが窺えたが、悪猫とやらはさっきから一言も発していないのも相まって、一同は恐怖を感じた。
「そしてこれは……」
隊員達の目に何か小さな光が瞬いているのが映る。徐々に大きくなるそれが何なのかハッキリとわかったのは、
「おれっちからのプレゼントだ!」
……パチパチと言う音と共に、紫のプラズマとして隊員達の頭上目掛けて降ってきた時だった。
「に、に、逃げろー!」
雲の子を散らすように逃げる隊員達の背中に衝撃波が走る。破片と共に皆でぶつかり合いながら数メートル先に吹っ飛ばされた。3Dテレビ以上の迫力である。
「ハハハハ。なかなか面白かったぜ悪猫。こっから見てるとまるでビリヤードだな」
「もう、いい加減堪忍袋の緒がぶっつんっすよ! 今からそっち行くから顔洗って待ってろよ!」
「首を洗うんでしょ。それただの洗顔だから」
「ハハハハハハ!」
カオンの馬鹿笑いに、現在隊長代理であるブルーの顔もさすがにレッドらしくなって行った。
「と、とにかく、首を洗って待ってるんすよ! みんな、突入っす!」
「待ちな」
カオンがパチンと指を鳴らすと、ビルからまた何かが落下していくのが見えた。
今度こそはと隊員達が身構えるが、その物体は屋上から1メートルほどの所で静止する。何かをヒモで吊るしてあるようだった。
「あっ、あれは!」
吊るされているのは、紛れも無くグリーン。そして白黒の縞々の猫……間違いない。ホランだ。
「誰か助けてくださぃ。……ハハハ! 下手に動くとコイツらの命が無いぞ!」
「……なんか同じ場所から声が聞こえる気がする」
「ぐっ……そ、そんなことなぃですょ。……何をゴチャゴチャ言ってるんだ! コイツを落としてやってもいいのか!?」
どうせなら腹話術を身に着けておけばよかった。そんな事を考えているカオンの心中はいざ知らず、
隊員達は風に吹かれて揺れている、グリーンとホラン……のリアルドールを見上げて歯がゆい表情を浮かべていた。
まさかこんな所で、以前ホランが作った両者のリアルドールが役に立つとは思わなかった。
「グリーンの奴、こんな夜中にホランと会ってお楽しみにしてたのに何てこったい!」
「グリーンとホラン君ってやっぱり出来てたんだー」
「シェンナ、もっと前から知ってたですよー!」
「ちっ、ちが……!」
カオンは、叫びたいのを必死で抑えながら否定の言葉を飲み込んだ。大きな氷を飲み込んだみたいに胸元が気持ち悪い。
彼が出来ることは、冷静になって気づかれないように咳払いをし、軌道修正をすることだけだ。
「そぅぃぅんじゃなぃですょ……ゎたしはホランに盗まれた私物を取り返しに行ってたんですょ……」
「やっぱり。グリーンは災難に会っちゃったのよ。なのに改造猫だとか色々疑ったりして……ごめんね。グリーン!」
「ごめぃとぅですピンク……」
身も心も悪に染まれど、相変わらずのピンクの優しいフォローにカオンは密に胸を打たれた。
とりあえず彼女に関しては今日は手加減しよう。と、彼は思った。
「そういうことだったんすね……なんて卑怯な奴らなんすか!」
「早くたすけてくださぃ……ハハハ、おれっちにとってはそんなの褒め言葉だぜ!」
「グリーン待っててね。すぐ助けに行くからね!」
「ぁりがとぅござぃます……無駄だ無駄だ。今日はお前達の命日になる!……みなさん、がんばってくださぃ」
「大変なことをしてくれたわね!」
「ヒャーハハハ! さぁ、どう出るOFFレンジャー!」
「今のはグリーンに言ったんだけど」
「えっ、あ、ご、ごめんなさい!……紛らわしいんだよ!」
「あれ、なんか、今度も同じ場所から声が……」
「と、とりあえず、OFFレンジャー!貴様らを倒す! 悪猫、攻撃だ」
カオンの言葉に頷いた悪猫は、再び両手のひらを向かい合わせ、プラズマ弾を作り出す。
今度は敵の出方が判った隊員達。三々五々に別れてどのようにでも逃げられるようにボジショニングをする。
「ハハハハ……さぁ、どう出るかな、OFFレンジャー!」
腕組みをして隊員を見下ろすカオンにも、まさか彼らがグリーンのリアルドールの眉間に剣をぶっ刺すとは思わなかった。
「あっ!」
「あっ!」
同時に声を揃えた正義と悪。
オレンジの武器である剣がグリーンの頭を綺麗に貫通しているではないか。これでは救出活動と言う名の公開処刑である。
「ぐぐぐぐ、グリーン! ちが、発射した剣でロープを切って下からキャッチしようと思って!」
「ダメだよブルー。完全に殺人罪が立証されてるよ!」
「そうっすよね。さすがにもう、俺らの声の届かないところへ……」
「……だいじょうぶです。わたしはへぃきですょ……」
「い、生きてる!」
仕方が無いのでカオンはグリーンに台詞を喋らせるしかなかった。隊員らの間にどよめきが起こるが、こっちが驚きだ。
「グリーン、痛くないの!?」
「はぃ……ぃまは……へぃきです……」
「いや、だって、脳みそ貫通してるよ!?」
「……こころのなかで……じぶんをはげましてるので……だぃじょうぶです」
「そんなことで!?」
「………ながのけんみん……ですから」
「長野県民パねぇ!」
カオンは、OFFレンが長野県民の根性に感動している隙に、ずるずるとグリーンとホランの人形を引っ張り込んだ。
さすがにこれ以上ヘタな事をされては、心臓がいくつあっても足りない。
「ハハハ! 自分で自分の隊員を攻撃するとはバカな奴だ。余計な真似をするからこうなるんだぞ!」
「グリーンをどうする気だ!」
「知れたことよ。拷問にかける。……が、その前にブラックキャット団脅威の科学力でさっきの傷がまったく残らないように適切な治療を施してやったわ!」
「な……なんか良い人!?」

「さて、無駄なおしゃべりは辞めて、そろそろ本番だ……」
「!?」
カオンと悪猫の姿が紫色の光に包まれた。その光はすっと地面から離れ、空中に浮かんだ。突然の事に思わず目を覆う隊員もいた。
二人はそのまま、まるでエレベーターを降りるかのようにすーっと一定の速度でこちらに向って降りて来る。……そして、地面に足を付いた。
改めて二人の改造猫を前に、隊員達は息を呑んだ。カメレオンの如く不気味な姿のカオン、そして黒と赤で彩られ、冷たい目をした悪猫。
「……今度は手加減しない。我がブラックキャット団の誇りにかけて……貴様らを倒す」
ニヤッと微笑み、真っ赤な舌を出したカオンを合図に、悪猫の手から眩い光が放たれた……。
「(どこだ……! どこだ……! どこにいる……!)」
無人となったOFFレン本部には、その部屋と言う部屋のドアを乱暴に開けながら疾走するウィックがいた。
彼の中には隊員と鉢合わせすることや、計画が表沙汰になるような懸念は一切なかった。
ただ、失敗を犯したと言うカオンに制裁を加えてやる。そうした怒りの気持ちだけが、首領ともあろう男に無謀な事をさせていた。
「……出て来い!……カオン!……早く出てくるんだ!!……聞こえないのか!」
もはや、彼は敵の陣地で大声を出すことすら厭わなかった。大きく息を吸って再びカオンの名前を叫ぶが、声は廊下の奥へ吸い込まれていくだけだ。
……その時、背後で床の擦れる音にウィックは気付いた。振り返ったその先にいたのは、OFFレンジャーでも、カオンでもなかった。
「……何だ貴様は」
「あの……」
ウィックは相手が口を開いてから、ふとどこかで見覚えがある事を思い出し、目を細めて再び彼女をよく見た。
「ごめんなさい。あの、あなたが入るのを見て、つい勝手に……」
「……弁当屋の……女か?」
スリッパも履かないまま、微かに踏み出した右足を引っ込めて、まんてん屋の女店長は小さく頷いた。
「私が、あの男の子に頼んだんですけど。でも、人違いみたい」
「……どういうことだ」
「虎猫の男の子に用があったんです」
「…………アイツに?」
「ええ。確かに虎猫の子だって言ったんだけど……きっとあの子、間違えちゃったのね」
「……ふざけるな!」
ウィックは彼女に掴みかかり、相手の体を壁に押し付けた。
「俺をバカにするのもいい加減にしろ! 俺がどれだけ無駄な時間を使ったと思っているんだ!」
「ご、ごめんなさい。でも、どうしても私」
「俺に殺されても文句は言えないんだぞ。判ってるのか!」
「私、どうしてもあの子に用が」
「奴はお前なんぞに用は無い!」
「私があるんです!」
女の目付が真剣な物に変わった時、ウィックは内心たじろいだ。あまりにも強い目であった。
「だったら、言ってみろ。お前がアイツに何の用なのか」
「っ…………」
彼女は言葉を詰まらせて、目の光が弱弱しくなった。ウィックはそこで再び冷静になって、胸元の服をさらにグッと、強く握った。
「言ってみろ。お前が俺の部下に、何の……」
「私……」
「何の……用が……」
ウィックはふと目の前で白い光がパチパチと瞬くのを見た。頭が重い、足元がふらつく。
彼の異変は彼女にも伝わったようで、怪訝にこちらを見ているのがハッキリと目に出来た。
「あ、あの、大丈夫ですか、あの……」
何度も首を振るが、次第に腕の力も弱まってきた。頭の中がガンガンする。意識が遠のいていく感覚。
そして、とうとう、彼の体は、目の前が突然シャッターが降りたように真っ暗になったのをきっかけに、その場に崩れ落ちた……。
「くそう、覚えてやがれよっ!」
捨て台詞を吐いて、カオンは悪猫と共に去っていった。OFFレンボックスすら使わず、武器で対抗する所までしか行ってないのに。
カッコをつけていた割には意外とアッサリ勝負が付いてしまい、隊員達はちょっと拍子抜けしてしまった。
「何はともあれ、無事に勝利っすね。お疲れしたー」
隊員達は武器をしまって、ブルーの言葉に「お疲れー」と返事をするが、やっぱり必殺技まで行かないとどうもスッキリしない。
「みなさーん!」
そんな悶々としている気分を打ち消すかのような、明るい声が荒れ果てたアスファルトの上に響いた。
見ると、ビルの玄関からグリーンがこっちに駆け寄ってきている。後方からは遅れてホランの姿も見える。
「皆さん、ありがとうございます! おかげで助かりました!」
「いや~。一時はどうなるかと思ったんすけどね……」
ブルーはチラっとグリーンの額を見つめて、すぐに目線を彼の顔に落とした。
「あ、おでこは大丈夫です。何か、拷問にかける前に貴様の健康状態を完璧にしておいてやるとか言われて、完全治癒できました!」
「……まぁ、無事なら安心っす!」
「俺らも長野県民の我慢強さを見習わなきゃね」
「ホラン君も無事なようで、良かったね。グリーン」
「……ですから。さっきも言った様に、私はホランに盗まれた私物をですね」
グリーンの言い訳をかき消すように、一斉に隊員に向けて眩いフラッシュが瞬いた。
突然のことに、敵かと身構える隊員達の周囲を取り囲んだのは、大勢のマスコミであった。
「皆さんのご活躍、しかと拝見させていただきました!」
「いやぁ、凄い。かねがねアングラ界隈で噂だけは聞いてましたけど、皆さんがお麩レンジャーですか」
「偉いわねぇ、まだ幼稚園なのにあんなにお兄ちゃん達と一緒に動けてねぇ」
「シェンナ、幼稚園じゃないですよー!」
連続してたかれるフラッシュで辺りは真昼の明るさ。まるでレッドカーペットを歩くスターの様な気分だ。
おまけに、これまで見た事の無い数のカメラとマイクを一斉に向けられているせいで、足がガクガクする。凄い圧迫感だ。
「えー、それもこれもですね」
ひるんでいる隊員達を尻目に一歩前に出てコメントを始めたのは、見まごうことなくグリーン隊員だった。
「我々OFFレンジャーの努力と正義の心を持ってして、成し得たことだと私は考えてます」
「なるほど、それが強さの秘訣なのですね」
「はい。当然です。しかし……そうですね。あえてもう一つ理由を述べるとすれば……」
「すれば?」
「これです」
マスコミ陣の前に、突きつけられたのは一個のお守り。
しかし、その袋に刺繍されているのは「家内安全」だとか「安産祈願」だとか、そんなごくありきたりな文字ではない。
お守りには金の糸で「おふれんじゃぁ」とデカデカと縫われていたのだ。
「我々の住むOFFレンジャー本部は、現在、ハッピーパワー垂れ流しのザ・パワースポットとしてヤングの注目を浴びております。
そんな超絶スーパーデラックスな場所で販売されているこのお守りがあったからこそ、私はあんな尋常じゃない目に会いながらも生きながらえたのです!」
「おぉーーーっ!」
マスコミのカメラマン、レポーター、さらにはその奥にいるスタジオのキャスターまでがグリーンの言葉にどよめいた。
すんでの所で、未来永劫放送禁止となる姿を晒しかけた彼だからこそ、説得力のあるお言葉であった。
「このOFFレンジャーお守りEXは、京都の西陣織りの超高級品! 持てば全身の穴と言う穴からパワーが噴出す!
ジャン! 主婦にも嬉しいイチキュッパ。ご奉仕価格19800円(税別)、限定2000個で明日の朝10時より販売開始です! 皆さん、お早めにお買い求め下さい!」
緑色が飛んで見えなくなるほど、激しい光の雨が彼の全身に叩きつけられる。そして、彼のシルエットごしに漏れた光の粒を浴びている隊員達は、
ただただ、商魂逞しい彼のやり口にぽっかりと大きな口を開けて唖然としているのであった。
……しかし、この時、マスコミは当然のこと隊員達すら気づかなかった事があった。
視界の隅に映る、少し離れた場所に立ってこちらを見ているホランに向って、グリーンはニヤリと不敵な笑みを浮かべていたのだ。
「(悪猫、今日の所はご苦労様。これで、お膳立ては整った。きっとウィック様もご満足されることだろう……)」
ホランこと悪猫は、そんな彼の瞳を相変わらず見つめたまま表情一つ変える事は無かった。
彼の脳内では既にこれから二人で行うための作戦の立案が進められていたこと、そして、彼には喜ぶと言う感情を持ち合わせてはいなかったのだから……。
過労だわ……。厨房の奥に椅子を並べて作った粗末なベッドの上に寝かせた後で、彼女はウィックをそう所見した。
せめて、点滴でもあれば良いのだけれど。そう思った所でここは病院ではないし、もう、自分は看護師ではないのだから勝手な事は出来ない。
今の自分に出来るのは、ただこうして、額に滲む汗をお絞りで拭いてやりながら、何か栄養のある物でも食べさせてあげる事ぐらいだと悟った。
“……カスミさんですよね。城崎の家内です。ずいぶん探しましたの。病院、辞められたとかで”
“いえ、この前テレビに出てらしたでしょ。ヒーローショーがどうとかって言う……。人づてにそう聞いて、ここに”
ウィックはまだ眠っていた。酷く疲れていたのか顔色もあまり良くないし、若干頬がこけている。かなり短期間に無理をしていたようだった。
そんな人間の世話をしていると、普通は患者の世話をしているあの頃の感覚になりそうだったのが、今は違っていた。
多分、若い子だからだろう。男の子だからだろう。もし、今だったらこれぐらいの……
“白崎が先月亡くなりました。心不全。やだわ、そんな神妙な顔しないで、遺産をね、あなたに会ってどうとかってことは”
“ええ、そうね、ハッキリ整理はされたのよね。私も別に疑ってるわけではないんです。あの人は、そういう事はきっちりする人だから”
お絞りを氷水に浸けながら、彼女は首を振った。まただわと思った。何度もあの時のやり取りが頭から離れない。
“城崎が残しておいた書置きがね。いえ、遺書って言うような物じゃ。メモ用紙。何かの拍子で書いたんだと思いますけど”
“内容。そりゃぁね。紙一枚むき出しのままですし。私、盗み見るようなそんな不躾な女じゃないですけど、最初は何の事が判らなくて”
ダメだわ。ダメだわ。やっぱり、私はこんな所に来るべきじゃなかったわ。カスミは、思わず両手で顔を抑え、激しく首を振った。
“私、深入りはしたくないの。関係ないんですからね。でも、こんなのが、わざわざ金庫にしまわれてたら、何だか妙にもやもやとして……”
“あの人があなたとの事をあれからどう思っていたとか。そんなのは興味無いんです。ただ、あの人が残しておいたあなたとの最後の接点をこれで解消したいんです”
お絞りが洗面器の中へ落ちた時の、氷と氷が触れ合う鋭く高い音を聞いてウィックはうっすらと目を開けた。
ここはどこだと思った。薄汚れた照明カバーと、真っ白な天井。体を動かす気力はまだ無かった。
黒目をすっと横に動かすと、一瞬二重に映ってから、しばらくしてハッキリとカスミの姿を彼は捉えた。彼女は、泣いていた。
「……何故、泣いている」
いつもならば、他人が泣こうが自分にはどうでも良い事のはずだった。今はまだ気力が弱いからだろう、彼女に問いかけてからウィックはそう思った。
「ごめんなさい、ごめんなさいね。ごめんなさい」
カスミは人差し指で涙を拭いながら、その手を洗面器の中に突っ込んだ。
「これで拭いたら、気持ち良いから」
「…………」
お絞りを額に当てられながら、ウィックはすっと気持ちの良い冷たさが体の中に染み込んでいくのを感じた。
女にこんな事をされるのは、彼の心情からすれば酷く不愉快な物であったが、不思議とそのような気持ちはなかった。
……だから、こんな事も彼女に対して言えたのだろう。
「……俺の部下に何の用があったんだ」
何度か目をしばたかせて、カスミはフッと、弱々しく微笑んだ。
「大切な用事。人違いかもしれないけれど、どうしてもね」
“死んでなんかいませんよ”
「どうしてもね……どうしても……」
“そうしないと、あなた、納得してくれないと思ったんじゃないかしら”
「あんな事聞くとね……どうしても……私ね……」
“色んな人と口裏を合わせて……あの人のやりそうなこと……”
「会ってみたくて……」
“さぁ、場所までは。だって、これには二言しか書いて。一つはさっきの事と”
「もう一回だけ……」
「……?」
“そして、名前だけ……。多分これ、やっぱりあなたの……”
「……ウィック」
「……?」
「…………」
その後に続いた言葉。ウィックは、カスミの涙も声も、厨房の光景も、照明の光、感情・感覚さえも、
全ての物が、無限に広がる奥の方へと遠ざかっていくのを感じた。
そんな何も無い真っ白な世界の中で、唯一彼女の一言だけは、彼の中で永遠に響いていた……。
そしてそれは、彼にとってあまりにも残酷な一言であった。
「……ウィックは、私の息子です」