第109話
『それぞれの気持ち』
(挿絵:ガーネット隊員)
「……ウィックは、私の息子です」
ブラックキャット団首領ウィックは、この弁当屋の店長だと言う女が一体何を言っているのか、全く理解できなかった。
それは遠くから聞こえてくる喧騒のような、花火のような、現実感の無い音の響きだった。
「前に、あなたと男の子がウチの近くでケンカされてたでしょう。その時、男の子がウィックって言う名前を……」
「…………」
ウィックは「冗談のつもりか」と呟いたはずだった。しかし、自分で感じている以上に体は衝撃を受けていたらしく、単に息を吐いただけだった。
この女が、自分の母親だと言うのか。白い毛並み、愁いを帯びた瞳、華奢な体つき、全く自分とは正反対ではないか。
まさか、敵の回し者か、スパイか、それとも、幻聴なのか、様々な考えがウィックの脳内を駆け巡った。この女が、俺の母親だと言うのか……!
「貴様……」
「あなたの部下だって言う、あの虎猫の子、ウィックって言う名前なんですよね」
『何を企んでいる』そう続けかけたウィックは、彼女の発言に言葉を詰まらせた。
「間違い、ありませんよね。ウィックって言うんでしょう?」
タイガーアイの事をウィックだと勘違いしているのか、じわじわと言葉の意味が遅れて理解できてきた。そういうことか。
可笑しな彼女の勘違いにウィックはフッと笑っているつもりのはずが、何故か体は静かに目を伏せ、彼女の問いに小さく返事した。
「……そうだ。アイツ、ウィックは俺の部下だ」
その言葉から、しばし間を置いて、溜息の様な、安堵の様な、嗚咽の様な、深い深い吐息がウィックの耳にハッキリと聞こえた。
彼の想像では、恐らく口元を手で押さえながら目を潤ませている、紋切り型の仕草と表情を行っている姿が浮かぶ。馬鹿馬鹿しい!
「……確かにヤツには親は無い。だが、貴様が親だという証拠がどこにある」
「それは……」
こんな女が俺の親なわけがない……。本当の親ならどうして目の前にいる俺を……。
首を振って余計な思いを打ち消し、ウィックはゆっくりと顔を上げて女を睨んだ。
「あの子を見たのは、生後間もない時だけで……」
「“捨てた”の間違いだろう」
「………そうですね」
彼女は搾り出すようにして、そう言葉に出した。
「理由はどうあれ……あの子に酷いことをしたのには違いありません」
「良い様に言うな。貴様は子供が邪魔だったから捨てたんだ。何も考えずに子供を生んで、厄介払いをしただけだ」
「そんな、違います」
「口でなら、なんとでも言える」
「私は、息子を、ウィックを愛してるんです。私が、どれだけあの子と別れてから、辛かったか、心が引き裂かれそうだったか……!」
「いい加減にしろ貴様!」
ウィックは彼女の胸倉を掴んで大きく揺さぶった。涙ながらの謝罪、愛していた、辛かった、大げさな語句と大げさな仕草を並べ立てている。
全て芝居じみた嘘に決まっている。息子を愛する母親を演じてさぞ悦に入っているに決まっている。そんな事で全て償われると思っているのか。
「今、愛だとか何だとか言ったな……だったら何故捨てた。何故今まで放っておいた。20年以上も何故放っておいた」
「私、あの子の事を片時も忘れたことはありません」
「ウィックは……そんな三文芝居に騙されるような奴じゃない。いい加減本音を話したらどうだ。そうすれば会わすことを考えてやっても……」
「本当です。本当なんです」
右手に雫がポタリと落ちた。暖かさがじんわりと広がっていく気持ち悪さに、ウィックは手を離した。
崩れ落ちる彼女の姿を見ることなく、彼は背を向けて裏口から出て行った。もう何もかも考えるのが嫌になっていた。
「待ってください! 私の話を聞いてください」
決してウィックは彼女の言葉に振り返ることは無かった。むしろ、早く彼女の声の届かない場所へ行こうと歩みを速めていた。
頭の可笑しな女の戯言に付き合わされただけだ。余計な時間を潰されただけだ。もう二度とこの場所には来ない。来るつもりもない。
俺には親などいない。
「待って。待ってください」
俺には親などいない。俺には親などいない。俺には親などいない。
「お願いです。お願いです。待ってください。待って。お願いですから……」
───俺には、親など、いない……!
肩を叩かれたところで、ウィックはようやく我に帰った。
目の前には、まだ一度も口をつけていないコーヒーのカップが既に温度を失った状態で置かれたままだ。
「また会ったな」
ゆっくりと声のする方を振り返ると、ウィックはすぐさま目を逸らした。
同じ歳、ほぼ同じ頃に同じ孤児院に引き取られたケンジであった。立ち上がって帰ろうにも、ウィックはそんな気力すら沸かなかった。
「ここ、いいだろ?」
そうこうしているうちにケンジはウィックの真向かいに座り、やれやれといった顔で大きな溜息を付いた。
「残業しててさ、とりあえずまだ終わるまで時間かかるから、部長が若い奴らから先に飯食って来いって」
「…………」
「でもこの辺12時回ったら、このファミレスぐらいしか開いてないだろ? そんで来てみたらお前がいたってわけ」
「…………」
ケンジは笑みを浮かべながら、ウェイトレスが持ってきたお絞りで手を拭き、ドリアを注文した。
そんな状況を、ウィックは別の世界の会話の様に聞いていた。何だかまだ、どこか夢の中を浮遊しているかのような……。
「で、お前はこんな時間にどうした?」
「…………」
「当ててやろうか……。彼女に振られた、かな。なんか元気ないし、遅い飯食いに来たって訳でもないだろ?」
「…………」
「……やっと、お前が冷静な状況でいてくれるんだ。だんまり決め込んでても良いから、飯終わるまでいてくれよな、いいだろ」
ウィックはそこでようやく、ケンジの方に目を向けた。こうして改めて顔を見ていると、ケンジはあの頃と変わっていないように思えた。
それと共に浮かんでいた足が、少しずつだが地面に着き始めたような気がして、コーヒーの黒い水面に目を落とす。
「お前、俺のこと昔から嫌いだったよな。今もやっぱそうか?」
「…………」
「少しでも近づこうものなら、毛を逆立てて、睨みつけてきてさ、ちょっと怖かったよ」
「…………」
「でもさ、俺、お前と友達になろうとはしたんだぜ。同い年だし、他の奴らは上も下も歳離れてたからな」
「…………」
「結局、途中でお前が13か14で施設を逃げ出してから、友達にはなれなかったけどさ」
ウィックは目を細めて、ゆっくり拳を握り締めた。いつもなら、反吐が出るほど嫌悪している人間が、言葉が、
何故か今だけ自分の胸の中にまっすぐ入ってくることに、酷い苛立ちを感じていた。しかし、その苛立ちすらとても小さな物なのだった。
「ミユちゃん覚えてるか。お前、あの子の髪引っつかんで壁に投げ当てさせた事あったよな」
「…………」
「この前、街中で会ったよ。美容師やってんだってさ。“あの人は今”二人目。お前に会った話したらちょっと反省してた」
「…………」
「『ごめんなさい』だって」
≪“何でいっつもいっつもみんなに乱暴なことするの!?”≫
ウィックの中の記憶では、顔だけハッキリはしていない。ただこの台詞だけは強く強く残っていた。
≪“そんな風に悪い子だから、ウィック君、パパとママに捨てられたんだよ!”≫
初めて他人に殺意を覚えたのはこの時かもしれない。まだあの時は小さかったから力も弱かった。
だが、その時は本当にその女を殺してやるつもりで掴みかかっていた。思えば、今の気持ちはあの時ハッキリと芽生えたものかもしれない。
「さすがに言って良い事じゃないし、ミユちゃんも、まだ気にしてた。まぁ、許すかどうかはお前次第だけどな」
「…………」
「お、来た来た。ようやく夕飯だ」
注文していた、ドリアがケンジの前に運ばれてきた。チーズの良い匂いが鼻をつく。そういえば、ここ数日ろくに食事を取っていない。
「お前もコーヒー飲めよ。それ冷めちゃってる」
「…………」
ウィックはケンジに言われて、スプーンを手にした。鋭く銀色に光っている。それで形だけコーヒーをかき回し、手探りでカップを手にする。
「こんなこと聞くのあれだけどさ、お前は、今何してるの? まさかこの前みたいにマジで悪の組織にいるとか言わないよな」
「…………」
笑いながら水を飲むケンジをよそに、ウィックはコーヒーカップをゆっくり口に運んだ。一口飲むだけで、体の中に冷たさが染みた。
何故か妙に心地よい気分になる。この冷たさこそが自分のいるべき温度の様な気がして、少しだけ自分を取り戻せた気がした。
「……だったらどうする」
「お、やっと喋った」
何故かいつもの調子で自分の口から言葉が出たことに、ウィックは少しだけ戸惑った。もう一度コーヒーを口にした。
からかう様なケンジの表情に嫌気が差す。
「ん、そうだな。ホントに悪の組織にいるんなら、その顔のタトゥーみたいなのも、この前のマントつけてた格好も納得できる」
「…………」
「だが実際の所、そんな派手な格好してるからにはパフォーマーに、アーティスト、シンガーとか、アート系っぽい気がするな。どうだ?」
「…………」
「ま、どれでもいいか。お前もお前の人生を満喫して幸せなんだったら、同郷としては文句は無い」
置こうとしたカップが皿の上で大きく音を立てた。
……幸せ……? まるで、俺もお前も、何の問題もなく幸福に暮らしているようじゃないか。怒りとも嘲笑とも区別が付かず、指が震えた。
「そういう貴様は、幸せなのか……」
カップの中の黒に目を落としたまま、ウィックは尋ねた。
「あぁ、俺は幸せだ」
ケンジは、何の迷いも無く即答した。視線を上げる。彼はふざけていない、彼は真剣な眼差しだった。
「……口でなら、何とでも言える」
口だけではないことは、ケンジの表情からわかっていた。確信は無いが、脳の奥の方でハッキリと理解できていた。
しかし、ウィックはどうしても納得することは出来なかった。認めることは出来なかった。
「そうだな、口だと何とでも言えるよな」
「…………」
「でも、俺は本気で言ってる。別にお前に自慢するわけじゃないが、聞かれた以上は胸を張って言うぞ」
「…………」
きっと、本当に、コイツは、幸せなのだろう、ウィックはきゅっと唇を固く結んだ。
「……親に捨てられてもか」
下手すれば聞き漏らしてしまいそうな小さな声で問いかけたウィックの言葉に、ケンジは一度だけゆっくり頷いた。
「言い方は悪いが、捨てられたからこそだな。最低のスタートだからこそだ」
「…………」
「だったら、もうこれからは幸せ目指して突っ走るしか、ないだろ。 親よりも幸せになるのが俺なりの仕返しさ」
ウィックは、突然の逃げ出したくなりそうなまでの矮小感に苛まれながら、目を落としたまま身を強張らせていた。
本当に、コイツは幸せなのだ、仲間に囲まれて、楽しい日々を、いつも目を輝かせて……俺とは違う……俺とは違う……。
「……もし……」
「ん?」
「もし、ここに本当の親が現れたら……」
喋りながら、ウィックは拳を震わせていた。こんなこと、他人に尋ねるような俺ではなかった。他人に自分の弱みを見せる様な俺ではなかった。
本当の親のことなど、いつまでも引きずってしまっているような俺ではなかった。冷酷なまでに、抹殺出来る、そう確信できる、俺だったのに……!
「……お前なら……どうする……」
今まで自分を形作っていたと思っていたはずの積木細工のバランスが、容易くぐらついているのが、あまりにも情けなく、悔しかった。
だが、どうしようもなかった。何故か、胸の奥から、何度堰き止めようとしても、その言葉が這いずり出して来るのだ。
「…………」
ケンジはじっとウィックを見つめたまま黙っていた。突然様子が変わった事に驚いているのか、質問の意図を考えているのか、表情からは窺えなかった。
「……そうだな」
ケンジは昔の様に子供っぽく口元を緩めて、テーブルに身を乗り出した。
「ま、色々やりたいことはあるな。札束で顔引っぱたいて、老後の面倒見て欲しけりゃ土下座して泣いて謝れとか言ってやるのもいいし、
とことん説教するとか、思いっきり蹴り入れてやるのもスッキリするかもな~なんて考えたことは、こんな善良そうな顔していても、結構ある」
「…………」
「でもやっぱ、一番最初は……聴きたいよな」
ウィックはふっと目線をケンジの瞳に向けた。
「何で俺を手放したのか、ってさ」
「…………」
「理由次第じゃ、許して……いや、やっぱ許せないか。いや、でも堕ろさずに、生んでくれた訳だし……難しいな、実際そうなってみないと」
「……そうか」
「そうだよ」
「……そうだな」
と、ケンジは慌しげに腕時計を見ながら、背広と伝票を手に立ち上がった。
「お、やべ。もうそろそろ会社戻らねえと」
「…………」
「短かったけど、ちゃんと話す機会を設けられて良かったよ。俺、ちょくちょく来るからさ、もしまた今度会った時にもよろしく頼むな」
「…………」
「ドリア、食べかけでよかったら食ってくれよ。理由はわかんねえけど、腹いっぱいになれば少しは落ち着くもんだぜ。じゃあな!」
ケンジは、そう言って片手を挙げながら自動ドアの奥に消えていった。急に店内には誰一人いなくなったかのように静かになった気がした。
既にチーズの固まりかけたドリアを見る。半分程度しか食べていなかった。しかし、ウィック自身、既に食欲は失せていた。
ずっと自分の頭の中をぐるぐると駆け巡る、言い様のない焦燥感と苛立ち。それが嫌でここへ逃げ込んだのに、その気持ちはますます募るばかりだ。
「…………」
ウィックは握り締めていた拳をゆっくりと開いた。黒い毛並みに1本の白い毛が鮮やかに映えていた。彼女の胸倉を掴んだ時のものだった。
こんな吹けば飛んでしまうちっぽけな存在の中に、彼にとってあまりにも大きすぎる事実が秘められているかもしれないのだ。
──もし……調べて……もし……あの女が……俺の……
ウィックはあまりにも頼りない真実の鍵を握り締めると、瞳を閉じ、静かに息を吐いた。
「……タイガせんぱぁい。だいじょうぶですかぁ……?」
ベッドの上に横たわりながら、頬に大きなガーゼを当てている痛ましい姿のタイガーアイに、子猫は声をかけた。
昨日、激昂したウィックに爪で頬を切られてからというもの、タイガーアイは心ここにあらずといった感じで、ぼーっと力なく宙を見ているばかりだった。
「せんぱぁい……」
眠い目を擦りながら、子猫は一生懸命タイガーアイに何度も呼びかけていた。既に時間は深夜3時。
この部屋に運んでからタイガーアイは眠ることもしておらず、心配で自分も眠ることはできなかった。腐っても尊敬する先輩には違いないのだ。
しかし、先輩は何も答えず、力なく体も心もベッドの上に投げ出しているばかり。子猫自身もだんだん目を閉じる時間が長くなっていく……。
「……何が悪いんだ」
「ふぇ?」
気の抜けた声をあげた子猫がハッと目を覚ます。硬く唇を真一文字に結んだまま、何かを堪えているような鋭い瞳の先輩。
何だかいつもの先輩(といっても、既にタイガーアイの時点で違うのだが)からは考えられないその顔を見ていると、何も聴き返すことができなくなった。
「俺は、ウィック様のためにこの身を捧げる覚悟で何もかも投げ出して仕えてきた……。ただ一人、ウィック様のためだけに……」
「…………」
自分自身に問いかけているのか、それともウィックに問いかけているのか、それとも子猫に訴えかけているのか、それともその全てなのか、
子猫は、タイガーアイに何と言えば良いかわからなかったが、少なくとも自分には何も言うことは出来ないことだけはわかっていた。
「……ウィック様は俺の全てだ」
タイガーアイの瞳の奥が揺れた。
「ウィック様がいなければ、俺は、どうなる……。俺には、ウィック様しかいない……ウィック様しか……」
「……せんぱい……せんぱいっ!」
子猫は投げ出されたタイガーアイの左手をぎゅっと両手で握り締ていた。精一杯の力で、何かを伝えているように、強く強く、握り締めていた。
「先輩、げ、元気だしてください。お、オレの尊敬する先輩は、もっと強いです」
「…………」

「お、オレが付いてますから。ウィック様が、いなくても、お、オレ、最後まで、先輩に、つ、付いて行きますから……っ!」
「…………」
「だ、だから、元気だして、欲しいです。お、オレ、そんで、えーと、えーと……」
「……子猫」
僅かに顔を上げると、タイガーアイの瞳はこちらを向いていた。いつものBC団幹部としての彼がそこにはいた。
「はいっ!」
「……お前の様な改造猫が、付いてきたところで俺には何の意味もない。お前とウィック様は違う。身の程をわきまえろ」
「は、はい……すみませんでした」
タイガーアイは子猫の手を振りほどくと、ゆっくりと上半身を起こした。まだ傷が痛むのかガーゼの上から頬を押さえ、少し顔を歪める。
「俺にはウィック様以外必要無いのだ。……こんな事になるとは俺も馬鹿だった。ウィック様の苦労を思えば、こんな物……」
タイガーアイはガーゼを乱暴に剥がすと、ゆっくりとベッドから降りた。カサブタになった三本線の傷がまだ痛々しく残っている。
「……子猫」
「は、はい」
「……俺に取り入る気ならば、もっと上手くやるんだな。最も、そんな暇があるなら少しはBC団の為になる事を考えろ」
タイガーアイは、相変わらずの冷たい目で子猫を一瞥すると、そのまま背を向けて廊下へと歩き出した。
「……現場に戻る。片付けくらいはしておけ」
「わ、わかりました」
タイガーアイの姿が見えなくなるまで、子猫はじっとその背中を見つめていた。後姿がどこか強張っているようにも思えた。
『ホントに先輩に付いて行くのに……』呟きは声にはならず、息となって消えた。
朝日が町並みを明るく染め始めた早朝7時。突然、レッドから緊急招集をかけられた隊員達が会議室に集まると、
お顔がはち切れんばかりにニコニコとしている隊長の口から突如 衝撃的な発表がなされた。
「我がぐるぐる戦隊OFFレンジャーの、第3の必殺技用兵器を作る事が決まりました!」
「えぇーーーーーーーーーーーーーっ!?」
これには、睡魔と頭の上でじゃれあっていた隊員達もすぐさま驚きと共に現実に引き戻された。
現実に戻るなり、最初に目に付いたのは、その反応を待ってましたとばかりに笑みを浮かべている我らがレッド隊長であった。
「へっへっへ。これにはみんなも随分とびっくりしちゃったようだね」
「ぶっちゃけ、OFFレンBOXで終わりだと思ってました」
「……え?」
「あれ以上の武器なんて存在するわけ?」
「OFFレンBOXがあればどんな兵器でも出せるんじゃないの?」
「だよねえ。作る意味がわからない」
「…………」
隊長は隊員の驚きが別の意味であった事に内心ガックリ来たものの、なんとか笑顔を保ったままコホンと咳払いをして、言葉を続けた。
「えー、先日の悪猫との戦闘に始まり、最近ブラックキャット団の勢力がどんどんと増していているのが現状です。
悪者側がどんどんとパワーアップしているにも関わらず、何だかんだで勝てているからと、慢心している様ではいつか足元を掬われるんじゃないでしょーか!」
ドンとテーブルを両手で叩き、レッドは身を乗り出して隊員達を見渡した。いつも以上に隊長らしい。
「そこで、我が戦隊のメカニック担当のブラックとシルバーとの話し合いの結果、OFFレンボール、OFFレンボックスに続く、
第3のスーパーでハイパーかつエクストリームな新兵器を作ろうという事が決定したわけです! はい、拍手~!!」
やる気のない表情の隊員達による乾いた拍手の音が会議室の中に広がる。しかし、拍手は拍手。隊長はいかにも満足そうに仰々しく何度も頷く。
きっと心の中では、一大オーケストラのマエストロにも似た喜びを感じているに違いない。
「そ、それで、どんな兵器なの? 名前くらいは教えてよ」
一際大きく手を挙げて立ち上がったのは、ライトブルー隊員。早く知りたくて知りたくてうずうずしている様にも見える。
だが、彼は数年前からオオカミ軍団に取り込まれ、今では筋金入りの悪のスパイ、シアンとしてOFFレンジャーに潜入していたのである。
そんな彼にとって、これは超ビッグニュース。少しでも早めに情報を掴んで、ボスに報告しなければと言う義務感で彼は燃えていた。
「ちょっと待ってください。私もその辺は詳しく聞きたいです!」
続けて挙手をしたのは、グリーン隊員。彼はBC団の改造猫カオンとして同じくスパイとしての任務についている。
自分の所属する組織がやられては一大事なので、グリーンは誰よりも多めに情報を掴もうと、ある意味ライトブルーよりも躍起になっているのであった。
「おぉっ、二人とも興味津々だねー!」
悲しいかな、隊長はこの二人が既に悪の手先となっているとは露知らず、余計に顔を綻ばせながら嬉しそうに胸を反らす。
「そりゃそうですよ。私も一時期は隊長代理として活動したくらいですからね。誰よりもOFFレンジャーを愛していますから!」
「いいや、誰よりもOFFレン愛が強いのはオイラだね。なんせオイラの携帯の待受はレッドの写真だからね!」
「えぇっ、ホントに!? 照れるなぁ~」
「ハンッ、私なんか待受はもちろんのこと、着ボイスまでレッドですからね!」
「もぉー。グリーンまで、恥ずかしいよぉ~」
スパイとスパイの間に飛び散る火花。お互いがお互いの組織のプライドにかけてここは引っ込むわけには行かないのだ。
「オイラはOFFレンに入る前から、毎晩寝る前にレッドにおはようって声かけてるもんね!」
「私なんか前世からレッドに朝晩必ず、おはようとおやすみを欠かしたことがありませんよ!」
「も~、参ったなぁ~。いつの間に、僕ってそこまでみんなから愛される隊長になってたんだろ~」
「……二人とも、レッドが好きなのはわかったからもういいよ」
ホワイトボードの前で立たされたままのブラック(ブルーの上に乗ってない!!!!)が呆れ顔で二人の会話に切り込む。
横のシルバーに至っては、直立不動のまま眠っているではないか。
「とりあえずさ、現時点としては俺とシルバーと、レッドの話し合いで新兵器の開発が決まったってだけなんだよね」
「た、たったそれだけ?」
「あぁ。まだ何をどう作るかとか、名前とか、全然決めてない」
「そ! これからどんどん詰めていく感じかな!」
「じゃ、じゃぁ、何でわざわざブラックはこんな朝っぱらから私たちを集めたんですか!?」
「……さぁ。レッドが集めろって言ったから」
「レッド、本当は何か隊長ならではの考えがあってのことなんでしょう!?」
「オイラたちにも教えてよ!」
グリーンとライトブルーのW視線が一気に集まったレッドは、腕を組んだまま、
「んー、そうだなぁ……」としばし唸ると、ニッコリ笑って彼らの疑問にキッパリ答えた。
「早くみんなのびっくりする顔が見たかったからかな!」

「タイガーアイ様、こんな物を発見しましたが、いかがいたす感じですか?」
「ん……?」
工事現場で監督をしていたタイガーアイは、写猫の声に自分が今までウィックの事ばかり考えていたことに気づいた。
あれから、ウィックは一度もアジトにも、現場にも姿を見せていない。まさか行き倒れと言う事はないだろうが、心配には変わりなかった。
「あ、あの……タイガーアイ様?」
「わかっている。何度も言うな」
「はっ、申し訳ありません、作業中にこんな物が出てまいりまして……」
写猫は片足を立てるようにして跪き、何かの石像らしき物を高く頭上に掲げた。
泥にまみれているが、猫の様な形をかたどっているらしいことはハッキリとわかる。
タイガーアイが手にとってみると、地中に深く埋まっていたせいか、氷かと思うほどそれは冷たくなっていた。
「……ずいぶん、古いな」
「はい、もしかしたら値打ち物かもしれないので、お持ちした感じなんですが」
石像には何の刻印や文字らしき物は見受けられなかったが、表面は吸い込まれそうなまでの黒い輝きを秘めていた。
「あ、あの、タイガーアイ様?」
「……ん、何だ」
「いえ、あの、ぼーっとされていたので……」
石像には、見るものを惹き付ける何かがあった。これはただの石像ではない、何か高価な鉱物で出来ているのかもしれない。
そうなれば、やはり調べて見る必要があると、タイガーアイは確信していた。
「よし、これは後で俺が調べさせよう。お前は現場に戻って作業を続けるんだ、わかったな」
「は、はい。かしこまりました!」
写猫が去ってからも、タイガーアイの目は石像に釘付けだった。この形、色、重み、そして冷酷なまでの冷たさ。
これは何か特別な物であることを本能で感じ取っていた。……これは、俺に似ている。ふと、そんな気持ちが彼の胸を過ぎった。
「おーい、行って来たって感じ~!」
駆け足で作業場に戻ってきた写猫は、シャベルを手に泥だらけになっている改造猫仲間に声をかけた。
ここの所、彼らは一日の大半は現場で穴掘りとして働かされて、毛並みはボロボロ、ヒゲはカサカサと酷い有様であった。
「で、タイガーアイ様は何だって?」
「後で確認するって言ってた感じ~」
「やっぱり高価なブツだったんだニャ! オレ様達で内緒にしとけば、がっぽり稼げたんだニャ~!」
噛み付かんばかりの勢いで猫猫はシャベルを振り上げた。この石像が発掘された際、こっそり自分達の物にしようと最後まで主張していたのは彼だった。
「毎日毎日、穴掘って、穴掘って、穴掘って……!! もう、オレ様耐えられないニャァーーー!!」
「まぁまぁ、これもウィック様のご命令だからさ」
「俺ら、ウィック様とタイガーアイ様の命令には絶対に逆らえない身体になってるからネ~」
「恨むなら、改造猫となった自分を恨むんだな」
「ぐ……ニャッ……」
皆の言う様に猫猫の全身は命令を忠実にこなす様に動こうとしていた。
仕方が無いので、脳の指令に素直に従う。従えばとても気分が良い。あぁ、これが改造猫の辛いところである。
「こんなことなら、取っておいた猫缶食べておいたら良かったニャァ……」
「もうすぐ、終わる、工事、82%、完了」
「本当か?獣猫」
「タイガーアイ様、言ってた」
「だったら、もうすぐで終わるネ。俄然やる気が出てきたヨ!」
「みんな、がんばろーぜ!」
改造猫達の中に希望の光が差し込むと、さっきまでダラダラ進んでいた作業も一気にスピードが上がる。
猫猫も、写猫も、獣猫も、操猫も、影猫も、みんなみんな、汗水垂らして土を掘っては、後ろに投げ、また掘る。
「ちょぉっと待つニャー! 今の地の文、一人足りないニャ!」
「そうそう、化猫がいないネ」
「……呼んだのさ?」
くっちゃくっちゃガムを噛みながら、櫛で髪を梳かしているのは紛れも無いタヌキ猫、化猫だった。
他の皆は全身汗と泥にまみれているにも関わらず、彼だけは洗ったように真っ白な毛並みを保ったままその場に立っていた。
「呼んだのさ?じゃ無いニャ! お、お前、オレ様よりも後輩のクセして、ニャに悠々と構えてんだニャ!」
「ボクはそんな事したくないだけなのさ。セットした髪が乱れるし、汚いからね」
「みんな、やってる、さぼる、よくない」
「うるさいなぁ~! ボクには、そんな、地味で、汚い、ザコみたいな真似は出来ないのさ」
耳の中をコリコリと掻きながら、化猫はそう吐き捨てた。
「ニャ、ニャんだとー!! お前だって、ザコには変わりないニャ!!!」
「化猫、お前なんかここ最近変って感じ」
「変? 今までのボクが変だっただけなのさ。カリスマ美容師になるはずのボクが、何でこんな泥の中にいなきゃいけない訳?
そ、れ、に! こーんな事するよりも、ボクはもっともっと、カッコ良く悪い事をいっぱいやりたいのさ! ハッハッハー!」
普段は絶対しない高笑いを大口を開けてやっている化猫を見ながら、改造猫達はお互いに顔を見合わせていた。
やっぱり、いつもの化猫とどこか違っている。第一、改造猫が命令にそう易々と背けるはずが無い。そのように洗脳、改造されているのだから。
「化猫、やっぱりお前変だぞ」
「なんか目も据わってるしサ……」
「……熱でもあるのかニャ?」
「あぁん!? 無駄口叩く暇があったら、早く作業するのさ!」
化猫は、近寄った猫猫の顔面を足の裏で思い切り蹴飛ばした。
先輩のはずの猫猫は、ゴロゴロとボールの様に泥の中を転がっていく。もはやどれが猫猫でどれが泥の塊なのかすらわからない。
「ハッハッハッハ! 無様なのさー!」
化猫は腕を組みながら、泥に埋もれる先輩を見てまたまた馬鹿笑い。その外見といい、ワルダヌキそのものだ。
「そうなのさ! ボクはこの世で一番のワルダヌキになってやるのさー!」
「えっ!?」
やっぱり、どこかおかしい。あれだけタヌキ呼ばわりされることを嫌っていた化猫が自らをタヌキと自認するなんて……。
改造猫達の心中では、怒りや戸惑いをとうに超えて、恐怖にも似た感情が渦巻き始めていた。
「ば~け~ね~こ~くぅ~ん。ちょっといい~?」
呆然姿の見本市の中へ割って入ってきたのは、一際目立つ緑の縞模様のカメレオン猫、カオンだった。
チロチロ赤い舌を見せながら、ニコニコ顔で化猫の傍へと近づいていく。
「あ!? 何なのさ! ボクとヤる気なら、とことんヤってやるのさ!!」
「威勢が良いね。実に良いね。悪の見本だね~! そんなに悪いことしたいなら、ちょーっとおれっちと一緒に来ない?」
「あぁん!?」
カオンが下手に出ているにも関わらず、化猫はまるでチンピラの如く、下から上へとガンを飛ばす。
「ちょっと、人手が必要になっちゃってさ。タイガーアイ様の許可も頂いてるし、どう? いっぱい悪いこと出来るよ」
「悪い事!? するする! 悪いことどんどんやりたいのさ!」
「じゃぁ、決まり。じゃ、ちょっと化猫君を借りていくよ~ん☆」
化猫はシャドーボクシングをしながらカオンと共に現場を後にした。取り残された改造猫達は口をぽかんと開けたままその後姿を眺めた。
やっぱりおかしい、間違い探しで言えば幼稚園児レベル。明らかなまでにおかしい。まさか、化猫だけに化かされているのだろうか……?
こうして、またしばらくの間、現場の作業はストップしてしまうのであった。
『……県の某資材置場にて、器物破損事件が発生しました。倉庫の壁を重機の様な物で……』
レッド隊長は、昼過ぎだと言うのにテレビを見ながらボリボリと草加せんべい(たまり醤油ごま)を齧っていた。
日頃から、時事経済のチェックを欠かさないこの姿勢、まさに正義の味方の見本となるお人である。
「なんかさぁ、資材置場と死体置場って似てるよね」
「……そーっすね」
時にはユーモアも欠かさない。嗚呼、なんて素晴らしい隊長なのであろうか。本当によく出来た隊長さんだ。
「そういや、『恐怖劇場アンバランス』に死体置場の話があったなぁ……タイトルなんだったっけ」
「んなことよりレッド、例の新兵器どうなってんすか?」
「え? うん、まぁね。大枠決まったかな」
「マジすか、俺にも教えて欲しいっすよ~」
「ダメ! 完成するまでは企業秘密」
「え~……」
「完成するまで極秘にして、お披露目の時みんなびっくりさせてやるつもりだもんね♪ サプライズだよサプライズ」
せんべいの残りを真っ白な歯でバリバリと噛み砕きながら、へへへんとレッドは胸を張る。
『レッド隊長、ちょっと良いですか~!?』
奥歯に詰まったおせんべいを舌でほじくりながら、隊長は別々な人間から同時に発せられた声の方を振り返った。
そこにいたのは、絵に描いたような「笑顔」をドアから覗かせて、こちらを眺めているライトブルーとグリーンだった。
「ん、二人ともどうかしたの?」
「ええ、ちょっと。先に私の方へ来ていただけますか?」
「グリーンはいいからさ、オイラの方を先に来てよ」
「どうかしたの?」
「とにかく、お願いします」
「オイラも頼むよ」
レッドは首をかしげながら、ソファから立ち上がり二人の元に向った。
隊長を前にしても、二人はどっかの見本を貼り付けたような相変わらずの「笑顔」を強調したまま何も言わなかった。
「……何? 新兵器の事だったら、まだ秘密だよ」
「わかってます。あの、レッドのお誕生日、何もプレゼント送れなかったな~と」
「お、オイラも。オイラもそれ心苦しくてさ~」
「えぇーっ、今更~?」
笑顔の前に、レッドは唇を尖らせながら、不満を思いっきり顔に出した。
恐らく、誕生日の際にショートケーキ一個で全てを済ませてしまったのをまだ密かに根に持っているらしかった。
「私は最後まで反対したんですけどね。隊長ともあろう人の誕生日に古くて乾燥しちゃったショートケーキ1つでいいのだろうかと!」
「あれ古かったのっ!?」
「オイラも反対したんだけどさ、せめて10円じゃなくて100円ぐらいは各自から集めようって」
「みんな10円しか出さなかったの!?」
ツンツン拗ねている場合ですらなくなってしまった隊長の肩を二人はポンポンと叩いた。
「まぁまぁ、だからこそ改めて特別なプレゼントを贈ろうとしているんじゃないですか」
「かなり喜んでもらえることを期待してるよ」
「う~ん……。じゃ、貰うよ」
イマイチ納得出来ないが、くれるものはちゃんと貰いたいゲンキンなレッド隊長。すっと両手をそれぞれに差し出した。
「あの、出来れば私の部屋に来てくれませんか?」
「え、そんなに大きいの?」
「オイラも部屋に来てくれると有り難いんだけどな」
「何々? そ、そんな大掛かりな物なの!?」
サプライズ大好きなレッド隊長。まさかの場所移動に期待を胸いっぱいに膨らませているせいか、鼻息が荒くなっている。
「だから、私の部屋に最初に」
「いやいや、オイラの部屋へ最初に!」
「じゃ、こうしようよ。僕が部屋で待ってるからさ、二人が持ってきてよ!」
「それだとダメなんですって……」
「うわぁ、楽しみだなぁ! 僕、誕生日に自分で自分に新しい日記帳買ったんだよね。まさか早速、良い日記が書けるなんて!」
「だからレッド、オイラの部屋に先に……」
「それじゃ、待ってるね!」
レッドは、既に二人の話をシャットアウトしたまま、瞳の中に夢見る乙女の如く無数もの星を散らして、廊下を駆け出していった。
残された二人は、顔面に貼り付けた笑顔をスッと取り外して、チラと相手の顔を見、フンと鼻で笑う。
「……何を企んでいるんだか、ライトブルー君」
「それはこっちの台詞だよ、グリーン君」
目と目の火花がますます激しさを増しながら、二人はほぼ一斉に自分の部屋へと向うべく、全力でダッシュするのだった。
「ウィック様!」
タイガーアイは、研究室に入ってくるウィックを見つけ、悪者らしからぬ明るい声で彼に呼びかけた。
「ウィック様、お帰りなさいませ。昨晩は、余計な事をして申し訳ありません」
「…………」
ウィックはチラとタイガーアイの右頬に残る傷跡に一瞬だけ目をやると、すぐさま目を逸らした。
傷を心配してくれているのか、それともまだ怒っているのかは判らず、タイガーアイは昨晩の話題は避けておいたほうが良さそうだと判断した。
「ウィック様がご不在の間も工事は順調に進んでおります。数日中には制御地点が完成し、我らの計画がいよいよ!」
「……あぁ」
「このタイガーアイ、最後までウィック様に追従していく覚悟。必ず計画を達成し、世界を我がブラックキャット団の手に!」
「……あぁ」
気の無い返事をするだけのウィックの様子に、タイガーアイの表情は訝しげだった。
ウィックは彼がいないかのように、ゆっくりと歩き出し、傍にいた研究作業員の灰色猫にすっと白と黒の毛を差し出した。
「……これら二つのDNAを調べてくれ……」
灰色猫はピシッと敬礼すると、すぐさまそれぞれの毛を試験管の中に入れて機械に挿入した。
そして、彼は首領に向って何やらジェスチャーをして見せる。機械仕掛けなため、彼らは喋ることはできないのだった。
「……そうか、ならば結果が出次第、俺に連絡するんだ。わかったな」
「どうかされたのですかウィック様、DNA鑑定だなんて……」
口を挟みかけたタイガーアイをウィックは鋭く睨みつけると、彼は慌てて口をつぐんだ。
「も、申し訳ありません……出すぎた真似を致しました」
「……貴様は何故ここにいる」
「はっ、工事現場で妙な石像が発掘されたので、高価な物かどうかコイツらに調査させておりました。
詳しく調べた結果、結局はただの石像で、価値はまったくないようでしたが……」
ウィックはガラス管の中に入れられている石像に目をやった。
見覚えがあるのか、それとも自分と同じく何かをこの像に感じているのか、彼は目を細めてじっとそれを見つめていた。
今まで感じたことの無い居心地の悪さをタイガーアイは感じていた。何故だか今この時、とても心がざわついている。
「ウィック様、そろそろ俺は再び現場に戻ります」
そう言って、彼は深々と頭を上げ、ウィックの横を通り過ぎて行こうとした時だった。
「……タイガーアイ」
「はい?」
「……昨日は済まなかった……」
ウィックはポツリとそう漏らしたきり、再び石像に目をやったまま押し黙った。
タイガーアイの中に暖かさがじんわりと灯った気がして、彼はいつの間にか表情をほころばせていた。
色々と言いたい事が溢れてきた。しかし、何を言うにも胸につっかえて声に出せない。彼はただただ深く深く頭を下げることしかできなかった。
「(ウィック様が、俺の事を気遣ってくださった……! この俺を……俺を……!)」
胸いっぱいに喜びを抱えながら、タイガーアイはいつの間にか廊下を駆け出していた。
必ず、必ずウィック様の為にこの計画を成功させてみせる! ウィック様の野望のために! ウィック様のために!
「あ、あの、タイガ先輩……」
角を曲がろうとした時だった。道を塞ぐようにして子猫が立っていた。何故かビクビクした様な顔で、時折ツバを飲み込んでいた。
「何だ? 俺にはまだまだやらなければならない事があるんだ。貴様の様な小物を相手にしている時間は無い」
「そ、その。あの、ご、ごめんなさい。昨日の、タイガ先輩連れて来いとか言うの嘘だったんです」
「なに?」
「昨日は間違って、ウィック様が行っちゃいましたけど、本当はタイガ先輩なんです。タイガ先輩に会いたいって人がいて、
それで呼んでくれるように、お、オレがお願いされたんです」
「俺に……会いたいだと……?」
子猫はコクコクと頭を縦に振った。
「……お、お願いします。お弁当屋さんの店長さんなんです。オレ、その人と約束しちゃって。あっ、せ、先輩がいない間、オレ工事手伝ってますから!」
「…………」
何故そんな女が自分会いたいのか、タイガーアイはまったくわからなかった。本来ならこんな奴の約束などどうでも良い。
だが、不思議とこの時だけは妙な胸騒ぎを覚えた。ただの女と言うわけでは無いのかもしれない。
何かある。自分にとって重大な何かがそこにある……本能的にそう直感し、彼は子猫にゆっくりと頷いて見せた。
「……いいだろう。工事がひと段落ついてからで良いならば……その女、会いに行ってやる」
「じゃ、早速二人のプレゼント見せてもらおうかな」
レッドはベッドに座り込んで、二人の持ち寄るプレゼントが楽しみでしかたがないといった様子であった。
二人のスパイが見えない火花を散らしていると言うのに、隊長はすっかりVIP気分。
「それじゃ、ライトブルーからお願いしよっか」
「あざっす!」
唇を噛むグリーンを一瞥し、口元に笑みを浮かべながらライトブルーは一歩前に出た。
彼の後ろには赤い布が被せられた同じ背丈ほどの物体。角のハッキリとした硬質なシルエットから、何かのメカらしい事が窺える。
「オイラのプレゼントは……レッド隊長専用パワードスーツ!」
勢い良く布を取り払うと、そこにはあまりにも場違いなほどのメタリックスーツが中から現れた。
赤のラインが走る銀色のボディ、どこかどうなっているのか不可解な多数の関節パーツ、作品を間違えたとしか思えない形状であった。
「これを付けて戦えば、通常の9000兆倍のパワーが出せるんだ。これがあれば改造猫の頭なんかプチトマト並みの力で潰せるよ!」
「そ、それはしたくないけど……」
「暴力的です暴力的! OFFレンジャーのなんたるかが全くわかっていません! それにあまりにも大衆迎合的です!」
頭をぐっしゃり出来る改造猫代表として、グリーンが噛み付かんばかりの勢いでパワードスーツをこき下ろす。
しかし、ライトブルーはそんな彼を尻目に、レッドに向ってスーツの方へ「どうぞ」と手をやる。
「せっかくなんだからちょっと着てみてよ。ダメだったら返してくれればいいから」
「う、うーん……じゃぁちょっとだけ」
レッドが近づくと、パワードスーツの正面パーツが360度それぞれに分かれて収納され、まるでコクピットの様な内部が露わになった。
それを見るなり隊長も男の子心をくすぐられたのか、表情を綻ばせて内部に入る。と、すぐさま収納されていたパーツが正面を覆った。
「わーっ、すごい! 見かけと違って思ったよりも動きやすいかも!」
「でしょ? オイラの自信作だよ」
本当は悪エコに作って貰ったんだけど……と、心の中でライトブルーは付け足した。
目を輝かせながら部屋を歩き回るレッドの様子に彼は十分満足していた。いよいよ後は計画に移すだけだ。そっとリモコンを取り出す。
「あっ、ライトブルーが何か妙なリモコンを持っていますよぉー!」
「えっ?」
わざとらしいグリーンの発言を認識する間も無く、ライトブルーはリモコンのボタンを押した。
その途端、スーツの内部にピンク色のガスが噴出され、頭部のアクリル越しに見えていたレッドの姿が見えなくなる。
「ライトブルー! あなたレッドに何をする気ですか!」
「やだなぁ、これはリラックス効果のあるガスだよ。隊長もお疲れだからね」
ライトブルーはそう言って、ピンクのガスで充満されているパワードスーツを見た。
「(フフ……この催眠ガスでレッドから新兵器の事を何もかも聞き出せば計画成功……おまけに、内部は防音タイプに切り替えてあるから、
こちら側の声しか向こうには聞こえない。レッドの言葉は内蔵されたレコーダーに記録され、後でゆっくり聞かせてもらう……完璧な作戦だぜ)」
やけに説明的な計画を心に思い浮かべながら、ライトブルーはニヤリと笑みを浮かべる。BC団に勝った喜びに鼻も高々。
スーツの方はガスが出てから既に1分が経過している。催眠ガスも十分効いた事だろう、彼はコホンと一つ咳払いをした。
「ではレッド。早速新兵器のことを……」
「ぷはっ、な、なんか変なガス出てたよ!」
最後まで言い切らないうちに、レッドは倒れた前半分のパーツに続きツルンとスーツから飛び出した。何だか人形焼みたいだった。
残された後ろ半分からは、弱弱しい勢いでピンクのガスが噴出している。ライトブルーは慌ててガスを止めた。
「(悪エコの野郎……手抜きしやがったな……!)」
「ライトブルー。なんか、壊れちゃったよこれ」
「えっ、あ、うん。中古品だったからかな。アハハハ……ところで、レッド、新兵器の事なんだけど」
「それは完成するまで秘密」
ガスまで効果がなかった様子。ライトブルーはガクリと肩を落とす。グリーンの笑い声が余計に悔しさに拍車をかける。
「ホホホ。残念でしたねライトブルー。見栄えばかり気にするからそうなるんです。その点私のはシンプルですからね」
グリーンの背後にもライトブルー同様に、赤い布が被せられた直方体の物体が聳え立っていた。見た感じ、小型の冷蔵庫にも見える。
「私のプレゼントはこちら、バーチャルシミュレーター!」
布が取り払われて、そこに姿を現したのは真っ白な箱型の機械。何だかあからさまなボルトやダイオードが表面につけられ、
ポストの様な一文字の穴が顔の高さぐらいの場所に空けられていた。どう見ても小型ロッカーを適当に改造したと言う感じだ。
「……な、なんなのこれ?」
「これは現代のエレクトロニクスを結集して製作されたという、仮想空間を作り出してくれるマシンなのです。
このマシンにむかって、お願いをするとその希望通りの世界をこの場に作り出して、ドキドキハラハラ楽しめるってわけなんですよ」
「へぇー! なんか21世紀って感じがするね」
「これさえあれば、好きなだけオオカミ軍団のヤツラをみじん切りにしてやれますよ」
「そう言うのって良くないんじゃないかなー! 現実と空想の区別がつかなくなってレッドが重犯罪起こすかもしれないよ!」
みじんぎり代表のライトブルーが先ほどの仕返しとばかりに噛み付くが、哀しいことにレッドはこの怪しいロッカーに興味津々のご様子であった。
「ねぇ、グリーン。ちょっと使ってみて良い?」
「どうぞどうぞ。その穴に顔を近づけて願い事してみてください」
「オッケー。えーっと……カッコイイヒーローになってみたいなー」
その時、穴からフーっと何か微風が流れ、レッドのヒゲをそよそよと揺らした。
すると、しばらくして突然レッドが自分の手足を見回しながら感嘆の声をあげた。端から見るとただの変な人にしか見えない。
「(フフフ……この中に化猫を入れていて、その能力によってただの幻覚を見せられているとも知らず楽しげにさせておく、
そして、その間に新兵器の情報を漏らさねばならない状況に追い込み、誘導させて私にだけ耳打ちさせてもらうと言う作戦……!
さらに、それでもダメな場合は催眠装置だとか、自白剤だとか、それっぽい幻覚に切り替えさせましょう。レッドは思い込みやすいですしね!
とまぁ、どこぞのおバカスパイさんと違って、こっちはこんな風に奥の手も用意しているという万全で完ぺ……ぜぇぜぇ……完璧な作戦!)」
息切れするほど説明口調な想いを心の中に抱きながら、彼は変身ポーズを決めているレッドを前にニヤニヤが止まらない。
ライトブルーもさすがに幻覚を見せられているだけのレッドを邪魔することが出来ず悔しそうに歯を食いしばっているばかりだ。
「ぐ……う……うが……うががが……」
「ん?」
てっきりレッドが幸せのあまり呻いている物ばかりと思っていたので、グリーンは機械内で化猫が唸っている事に気づけなかった。
余計な真似をしないように、ロッカーの下の方をコツンと蹴って注意するが、声はますます大きくなるばかり。
「レッドキック! レッドアタック!」
「うががががが!!!!」
とうとうロッカーの扉をぶち破り、化猫が飛び出してきた。彼は完全に白目を剥いて、涎を垂らしている危ない姿だった。
「ばっ、バカ! 何で出るんですか!」
「出たなボス猫! この僕が退治してやる!」
「うがががががががーーー!!」
何故かレッドと狂気化した化猫のバトルが始まり、グリーンとライトブルーもただただ呆然と立ち尽くすばかり。
どちらの計画も完全に失敗。これでは任務遂行どころか、かなりの割合で失敗の色が濃厚。
「(ここまで効いてしまうとは……悪猫の奴め……! )」
「(BC団が失敗して、オイラも失敗して、完全に手も足も出ない……!)」
二人の隊員はもはやなりふり構っていられなくなった事を把握し、ついに最終手段に出ることを決意した。
「(こうなったら……!)」
「(こうなったら……!)」
二人はバサッと衣裳を剥ぎ取った。グリーンはカメレオンに。ライトブルーは虎猫に。本来の姿へと変身し、キッとお互いを睨み付けた。
そして同時に互いの視線は、化猫と戦うフレッシュな笑顔のレッドへと向けられ、二人は一斉に叫んだ
「こうなりゃ、力づくでも聞き出してやるーーー!!」
部屋で一人横になったウィックは、研究室にいた時から感じているもやもやとした気持ちが、未だに胸の中で燻っていた。
今となっては、遠い、幻にも似た記憶の様にも思えた。そっと自分の頬に触れる。この紋章を身体に刻んでからもう何年も経ってしまった。
──ならば、我がブラックキャット団に入らないか。歓迎するぞ、ウィック。
あの頃、施設に嫌気が差して逃げ出した先で出会った初代首領ブラックキャットの言葉が頭の中でふっと過ぎった。
何もかもを嫌悪し、憎悪し、唯一信じられる自分の身一つだけで飛び込んだ悪の世界。あっと言う間に出世もした。
自分ががむしゃらになって頑張って来れたのは、大元を辿れば、親への強い憎しみであったのに。なのに何故……。
──ウィック。その憎しみの心をもっと強くするのだ。思い出せ、貴様の憎しみの根源を。憎悪の気持ちを。
そうすれば、貴様はさらなる悪として生まれ変わるのだ……。この世界を征するに相応しいBC団の一員となるのだ……。
くじけそうになるたびに何度もブラックキャットから言われた言葉を繰り返していた。しかし、その言葉は昨日から何の力にもならない。
しかし、世界征服も、人間達への復讐も、金も地位も、全ては、この地球上のどこかにいるただ二人の人間を含めるための復讐に過ぎないのだ。
──待ってください! 私の話を聞いてください。待って。待ってください。
──でもやっぱ、一番最初は……聴きたいよな。何で俺を手放したのか、ってさ。
結果が気になる。だが、心では結果が出ずとも、やはり彼女が、自分の実の母親であることを直感している自分がいる。
他人を信用するなど、そんなことこれまでの俺には存在しない気持ちだった。なのに、何故か、アイツのあの時の涙が離れない。
──思い出せ、貴様の憎しみの根源を。
俺はブラックキャット団首領、ウィック。全ての人間どもに絶望を味あわせてやるのが俺の使命。そして……。
──そうすれば、貴様はさらなる悪として生まれ変わるのだ。
そうだ。俺は生まれ変わらねばならない。さらなる悪に。本当の親さえも平気で始末できるような、そんな悪に……。
ブラックキャットは、そのために俺に悪としての全てを叩き込んでくれた……。俺は、ブラックキャット様のために……。
ウィックはハッと気付いて身を起こし、頭を振った。ブラックキャットは、あの時俺もろとも自滅の道を歩もうとしていた。
俺は、俺は自分が死ぬ事は許せない。自分が傷を負う事を許せない。俺は裏切られた。だから俺は、あの時、ブラックキャットに反旗を翻した。
そして、奴の正体を見破ったのだ。奴の正体は、ただのメカチップだった。ただの機械に、俺は操られていたのだ。
「…………」
そこまで思い返したとき、ウィックの中のもやもやの正体が一つ判った気がした。ブラックキャットは、本当にただの機械だったのか。
もしかすると、どこかにまだ本当のブラックキャットが潜んでいて、自分を窺っているような、そんな気持ち……。
この不安は、そこから来ているのだろうか。ウィックは思った。しかし、何故今になってそんな想いを抱いたのか……。
と、その時ウィックの部屋の扉をノックする音が聞こえた。入れ、と彼が答えるとゆっくりと戸を開けて研究員の灰色猫が現れた。
時計を見ると、あれから既にかなりの時間が経っていた。いつの間にそんなに経っていたのか。心無しか頭が重い。
「……出たのか」
灰色猫に問いかけるウィックの声は、自分で思ったよりも小さな声だった。灰色猫はコクリと頷き、一枚の紙を渡した。
検査結果を持つウィックの指は微かに震えていた。これで判るのだ。俺の何もかもが判ってしまうのだ……!
「貴様は部屋を出ていろ……。後は、俺一人でいい」
敬礼して灰色猫が外に出た後も、ウィックはたった一枚の紙切れを裏返しにしたまま膝に上に置いているばかりだった。
もし、あの女が俺の親ならば、俺はどうすれば良い。聞くべきだろうか、俺を捨てた理由を。それとも、やはり復讐すべきか。
わからない……わからない……わからない……わからない……わからない……。頭の中がこれ以上ない程、苦しい。
「っ……!」
思い切って結果を破り捨ててしまおうと想い、手をかける。しかし、震える指は何故か固まったままそれ以上動こうとはしない。
やはり知りたい。俺の親なのか、馬鹿な、感情移入など無意味、復讐のために俺は、だが、その憎き親の顔を確かめないことには……。
何度も何度も、自分の中の二人のウィックが言い争う。どちらも賛同できる意見。だが、相容れる事は出来ない意見。
──でもやっぱ……聴きたいよな。
ウィックは頭を抱えていた。何故俺は、こんなくだらない事で悩んでいるのだ。馬鹿だ。馬鹿だ! 何度も罵る。
俺は、もっと強かったはずだ。俺は、もっと勇ましかったはずだ。俺は、俺は……!
ウィックは自分を奮い立たせるようにして、ちっぽけな紙切れを見つめた。ゆっくりとその端を掴む。
喉下が鳴る。額に汗が滲む。鼓動が何度も跳ねる。全ての音がゆっくりと彼方へ遠ざかっていく。
──そして、ウィックは事実を目にした。
「どぅぉりゃあああああああ!!!」
数時間にも及ぶ乱闘の末、シアンをベッドの向こうに投げ飛ばしたカオンは、肩で息をしながら、
ベッドと壁の隙間に挟まったまま気絶している敗者にビシッと中指を立て、勝者の笑みを浮かべた。
「ぶ、ぶ、ブラックキャット団の実力をなめんなよっ!」
カオンは額の汗を拭って、同じく気絶しているレッドと化猫に目を向けた。
まず化猫を片付けた後、レッドに聞き出そうとするとシアンと乱闘になり、隊長が先にダウン、そして今に至ったと言う訳である。
「フー……。ま、とにかくゆっくり聞かせていただきましょうかね。隊長さん」
カオンはゆっくりとレッドに近づき、ゆっくり上半身を起こした。一旦グリーンに戻らなければ……と、その時であった。
「何か凄い音したけど!」
「なんだなんだ!?」
部屋のドアを勢い良く開いて、隊員が中へと駆け込んできた。運悪く、カオンはグリーンに戻る瞬間を隊員らに目撃された。
目が点になる両者。そして隊員らは次第に険しい顔つきでグリーンを見つめることとなったのである。もはや年貢の納め時だった。
「……フッ。バレちゃったかぁ~……」
不敵に笑いながら、立ち上がるグリーンに隊員達は一斉に後ずさった。
「ぐ、グリーン。どうして!」
「……決まってるでしょう。ブラックキャット団の改造猫として生まれ変わったんですよ」
「そんな! じゃぁ、やっぱり例の緑の猫はグリーンだったの!?」
「そのとおり。スパイとして色々調べさせていただきましたよ。おかげでウィック様やタイガーアイ様にもお褒め戴きました」
「目を覚ましてグリーン!」
「目ならとっくに覚めていますとも……」
グリーンはスーッとその身体に縞模様を浮かび上がらせ、オレンジ色に光る邪悪な目を隊員達に向けた。皆がはっと息を呑んだ。
「私の使命はOFFレンジャーを倒し、我らがブラックキャット団の繁栄のために尽くすこと……それだけですよ」
「ぐ、グリーン……」
涙ぐむピンクにニヤリと笑いかけたカオンは、ハハハハと高笑いをして傍に倒れている化猫を担ぎ上げると、鋭く黄色い爪を隊員らに向けた。
「貴様らの新兵器開発など無駄だ。ブラックキャット団の最大の計画が間も無く実行される。それまでせいぜい楽しく暮らすんだな!」
そう言うと、カオンはさっと飛び上がり、天井裏へと忍び込む。続けざまに天井を走り抜ける音が聞こえ、
隊員らが気づいた時には、カオンの姿はもはや指令本部のどこにもいなかったのであった……。
まさかまさかのOFFレンジャー内から悪人が出てしまうなんて。おまけに、肝心のレッドが何故か目を回している情けない姿だなんて……。
皆は不安げに顔を見合わせて、そこに立ちすくむばかり。
「いたたた……ま、まさかグリーンが改造猫だったなんてビックリだね」
そして、何食わぬ顔でベッドの奥からライトブルーが起き上がるのだった。

「ありがとうございましたぁ!」
最後の客を見送って、本日の「まんてん屋」の営業は終了した。
既に日も暮れ、間も無くやってくるであろう冬を報せる北風が辺りに吹きすさぶ。
店長、カスミは寒さに白い両手を擦り合わせながら正面のシャッターを閉めた。
「また冬か……」
ぽつりと漏らす独り言が、締め切られた厨房の中で微かに響いた。シャッターがガタガタと音を鳴らす。
かじかむ手に白い息を吐きながら、彼女は厨房の後片付けを始めた。最近は寒さのせいかお弁当の売れ行きも芳しくない。
だがそのおかげで、一人で十分業務をこなせられ、バイトの黒末君のアジアコロッケ学会研究発表の資料作りにゆっくり専念させてあげられる。
『今晩から明日にかけて、日本全域に激しい雨が降るでしょう。明日の気温は全国的に例年並みの……』
風が強くなってきた。シャッターの揺れる音も激しくなる。カスミはラジオのボリュームを少し上げた。
明日も寒くなりそうだ。そう思いながらも心のどこかでは別なことをぼんやりと考えている自分がいた。
『さて、続いてはニュースをお伝えいたします……先日横浜市で開かれたアジア太平洋経済協力会議APECの……』
調理器具をしまい終え、彼女はゆっくりと傍のパイプ椅子に腰を下ろした。立ち仕事は疲れる。右肩をそっと揉んだ。
テーブルの上にある金庫を取り出す。中を開けて出納帳と電卓を手にした。売り上げ計算だけ終えれば本日の仕事は全て終わる。
『今朝方発生した資材倉庫破壊の容疑者と見られる男を警備中の警官らが発見。警官ら15名を負傷させ依然逃亡中です……』
なんとか黒字が続いている。やっぱり、コロッケ弁当の売れ行きのおかげだろう。若干キュー飯弁当が足を引っ張っているが……。
運が良いのだと彼女は思う。チェーンとはいえ、初めて一人で始めた弁当屋。恵まれているのだ。お客さんも、従業員もみんな良い人で。
やっと一人で自分の人生を歩めるようになった。何もかもを吹っ切って、はじめようとした時、まさか、あの子と再会するなんて……。
「……黒末君?」
擦れるようなノックの音が一回、聞こえた様な気がし、カスミは腰を上げて、裏口のガラス戸を見た。すりガラスの向こうには何の影も見えず、
風が空を切る音が聞こえてくるばかりだった。飛ばされたペットボトルでも当たったのだろうか、ふとそんな考えが頭を過ぎる。
『……駅前にて集団による乱闘騒ぎが発生し、老若男女合わせて50名以上の怪我人が出ました。原因は二名の女性が互いに肩をぶつけられたと……』
しばらく待つ。ラジオのキャスター、風の音、遠くの人や車の喧騒。やはり、誰でもないのだろう。早く計算を終えて店を出よう。そう思う。
しかし、不思議と彼女の足は一歩一歩、確かめるようにしてゆっくりと裏戸へとその歩みを進めていた。
「……ウィック?」
返事は無かった。そっとドアノブを開ける。簡素なブロック塀。淋しく枯れ葉がアスファルトを滑っていくのが見えた。
冬の寒さが身を強張らせる。やっぱり、とカスミはすぐさまドアを閉めようとした。その時、漏れた明かりが地面の上に一つのシルエットを映した。
「あ……」
ドアのすぐ横に、居心地が悪そうに立っていた男。薄暗い中でも赤と黄色の模様だけはハッキリとわかる。
彼は目線を右下に向けたまま、何も言わなかった。風が吹き込んでくる。ドアノブをぐっと握った。
「あの……」
カスミはそれに続く言葉を見つけられず、唇にそっと手を当てた。
「何の……ご用、ですか」
「…………」
彼は、顔も目線と同じ方へ背けて、相変わらず押し黙っていた。
「あの……」
「……ウィックには、まだ伝えていない」
彼はそう言うと目を閉じて、白い息をふーっと吐いた。
「俺はまだ、お前を……信用したわけではない」
「……そう、ですよね」
それはそうだ。結局は名前が一致しただけに過ぎない。カスミは自嘲気味の笑みを浮かべて目を落とした。
カスミは彼に詫びの言葉をかけて、頭を下げた。彼は何も返しはしなかったが、もう一度頭を下げ、彼女は戸をゆっくと内へと引いた。
「待て」
突然、閉めかけた戸の隙間に彼の手が入った。彼はそのまま戸を掴み、ゆっくりと開いた。
この時、初めて二人の目が合った。
「な……なんですか」
「話を……」
「……え?」
風のようにかすれていた彼の声に、思わずカスミは聞き返した。
「……話だ」
「はなし……?」
「そうだ……話だ」
「おっしゃってる意味が……」
「ウィックの、話だ」
彼は、強い目で再びカスミを見つめ、再びハッキリと言葉にした。
「ウィック、の?」
「そうだ」
彼は後ろ手に戸をぴしゃりと閉めた。まるで、世界からこの空間だけが突如切り離された音であるかの様だった。
「……ウィックを、貴様が捨てた時の話だ」
シャッターが激しく揺れた。ぽつぽつとその音に混じって、雨粒が叩きつけられている音が聞こえる。
そう言えば、雨が降るってさっき天気予報で言っていたっけ……。そんな思いが脳裏をかすめる。
『速報です。今朝方資材倉庫破壊、警官に傷害を与えた容疑者と見られる男がビルの工事……』
ラジオのスイッチを切った。雨音はますます激しさを帯びているようで、室内とはいえ、うるさいくらいだった。
……確か、あの時も雨が降っていた。カスミの唇が微かに震えた。
──雨の。町外れにあるビルの工事現場。
ほぼ原型を留めていないビルの鉄骨の中に、彼はいた。
「ドコダ……ドコダ……ドコダ……!!」
周りには警官隊が取り囲んでいた。一見、彼はもう無駄な抵抗を続けているだけの様にも見える。
しかし、彼は周囲の人間を見回しながら、その鋭い瞳を向けているだけで、ひるむ様子は全く見られなかった。
「チガウ……オマエラジャナイ……オレノ……ジャマヲ……スルナ……!!」
襲い掛かってくる彼の姿に、警官達は慌てて逃げ惑う。しかし、彼の足は速かった。
ナイフの様に光る銀色の鉤爪が、彼らの背中を切り裂く。一人、二人、三人……。
パトカーが次々に彼らを載せて、現場から逃げ去っていく。残されたのはただ一人。彼だけであった。
「……ドコダ……ドコニイル……ガァァァァァァァァ!!!」
彼は、鉄くずの上で雄叫びを上げる。月明かりに照らされ、そのシルエットが徐々に照らされる。
武骨な身体付き、蛍光色のライン、大きな鉤爪、鋭い目。
そして……額には赤と黄色の逆三角形……ブラックキャット団の紋章があったのだった。
