第111話

『新しい地図を広げて -後編-』

(挿絵:ブルー隊員)

──ウィック、マタ、オマエニ、デアエタナ……

燃え盛るビジネスホテルの激しい炎の中で、ウィックは確かにブラックキャットの声を聞いた。
うごめく火柱が、火の粉のうねりが、ブラックキャットの身体となってあの時、ウィックに語りかけていた。

「…………」

──闇聖獣を石像に閉じ込める事に成功した我々は、そのうち、強い力を持つ闇虎だけを隔離して我々の監視下に置き、
後の3匹は壷の中へ封印しました。闇聖獣達が眠りに付いたお陰で、我々の任務も落ち着くようになりました。



真っ暗な天井の木目を見つめながら、ウィックは聖獣達の言葉を思い返した。


──その後、闇虎を監視しながら、我々は延々とトランプで神経衰弱に興じ、オイルショックのドサクサに紛れて日本へ……
ここから先のことは、OFFレンジャーの皆さんならご承知の通り、闇虎は甦ってしまいました。
しかし、他の3匹の石像はいつの間にか崩壊し、消滅。ショックを受けた闇虎も3匹と同じように……。
我々はこれで全てが解決したと思ったのですが、どうやら、そうではなかった……3匹は、消滅してなどいなかったのです



ホテルの前で立ち尽していた所を連れて行かれ、そのまま、頭がまだハッキリしない最中に語られた言葉だったが、
ようやく今、こうして一人和室に敷かれた布団の中で、眠れぬ夜を過ごしている時分になって、理解が追いつき始めたのだった。


──彼らはとある場所で、耽々と、何年もかけて復活の為の準備を重ねていたんです。
そして、その場所こそが……あなたが所属していた、ブラックキャット団なのです



……ブラックキャット団。そうか、俺はそこにいたんだったな。何故だか遠い昔の事のように彼は感じていた。


──恐らく、当初の予定では、闇聖獣達が闇虎を我々から奪い返すために、闇の力を集めようとBC団を創り上げたのでしょう。
しかし、闇虎の救出は不可能となってしまった。そこで、奴らはBC団そのものを、闇聖獣養育機関として発展させて行ったのです。



頭の中では、理解しつつあっても、やはりウィックにとってどこか現実感を感じられないままであった。
大きな息を吐く。部屋の軋む音がする。


──4匹集まらないことには、闇聖獣達は完全な力を出すことが出来ません。しかし、闇虎はもう存在しない。
ところが、たった一つだけ闇聖獣達にとって幸運だったのは、彼らの闇聖獣としての証が、我々の様な勾玉ではなかったことです。



ウィックは、布団からそっと手を出して、自分の頬に触れた。その感触は、どこか、ひんやりとしていた。


──あなたの額と頬に刻まれているその紋章……。それこそが闇聖獣の証なのです。


自分の誇りであったこの顔の紋章……。優れた者のみが授けられる、優秀な悪にこそ相応しい紋章。
常に、これを体に刻んでいることを自覚しながら、立派な悪として突き進もうとしていたあの日々……。


──まず、悪人を集め、相応しい人間の入団を許可。さらにその中で最も優れた者が、額と両頬の三箇所に紋章を刻むことが出来る。
このようなルールを作る事で、闇聖獣となる悪の資格を持つ者を見極め、闇虎製造のための“器”を探し出す。

これこそが、ブラックキャット団、そして貴方の様な方がいることの真相なのです。


それがまさか、本来別の意味があった。俺はただの道具に過ぎなかったのか。悪になることへの努力さえも、
全てはその闇聖獣というヤツラの手の平の上で踊らされていただけに過ぎないのか。ウィックの胸中は、激しくかき乱されていた。


──また、その紋章は、闇の力のアンテナの役割を果たしています。周囲の闇の力を取り込み、蓄える役割を。
もっとも、あなたは器候補とは言え、人間ですから、邪悪な心を多少、微増させる程度の影響しかなかったでしょう。
しかし、あの火事の中、闇聖獣のオーラに強い影響を受けてしまった様に、奴らの力が回復しつつある今、あなたも多少ながら危険です。
……それほど、その三角形の紋章を顔に刻むという事は、我々にしてみれば重大なことなのです。



ウィックは聖獣達が張ってくれたこの防御シールドに目を向けた。シャボン玉の様に薄く、透明であった。
本当に、こんな物で効果があるのか、そもそも、俺はこんな風に守られるほど重要な人間なのだろうか、
ふとそんな考えが頭をもたげた。


──我々はあなたに出会って、驚きました。闇聖獣の紋章を顔に刻むなど、恐ろしい事でしか無い。
BC団の事を調べるうち、闇聖獣の計画がおぼろげに判ってきて、私達は秘かにあなたを見張っていました。
しかし、まさか、あなたと同じように顔の三箇所に、紋章を刻んでいる者がいたなんて……。
そして、知らない間に、その方が、既に闇聖獣として誕生しつつあるとは……!!!



……タイガーアイ、貴様は確かに見所のある悪人だった。だからこそ、俺も可愛がってやった。
そして、立派な悪人にさせるために、俺はお前を……。

「……!」

そこまで思ったところで、ウィックは息が止まりそうになった。
タイガーアイが紋章を入れてから、何故か究極の悪人に育て上げるため、ウィックは様々な手を使って来た。
頭の中で、何かがウィックにそうさせているような、そんな気がしながら、ウィックは淡々とそれをこなして来た。

まさか、これも、ブラックキャットの想定内の出来事だったのだろうか……。
紋章を入れた者を“器”にするために、器候補であるウィック自身にも、どこかでそう仕向けさせていたのか。

「……なんという、茶番だ」

あの時、聖獣にも言った言葉をウィックは口の中で再び繰り返した。
自分の唯一の目的であった「人間社会への復讐」ですら、奴らに導かれた目的であったのだ。

「……なんと、いう……」

ウィックは声を詰まらせた。涙は出てこなかった。もはや、悲しみすら遠くに離れてしまっていた。
これまで悪として生きてきた歳月の長さ、そして、それは所詮他人に用意され、レールを引かれた偽りの生き甲斐だったのだ。
ただ今は、自分の身体も感覚も全て取り上げられ、突然、何も無い空間に放り出され、途方に暮れ、空っぽの心だけが茫然と立ち尽くし……。

『ォオオ...ォォ....オォォ....』

どこからか、地を這うような恐ろしい呻き声が聞こえ、ウィックは体を起こした。
電気を消している和室とはいえ、誰かがいればすぐ判るぐらいの目の冴えはある。

『ユルサナイ....』

その声は、ハッキリとした言葉となって、再びウィックの耳に届いた。

「誰だ!!」
『ユルサナイ....オマエヲ.....ユルサナイ....!!』

ウィックは、背筋が冷たくなるのを感じ、後ろを振り返った。
彼は息を呑んだ。そこには、漆黒の虎猫が紫がかった光を纏いながら、こちらを見下ろしていた。
姿は変わっていても、ウィックにはそれが誰であるのか、すぐに理解できた。

「タイガーアイ……なのか……!」

虎猫は、邪悪な瞳をウィックに向けたまま彼の言葉には何も答えなかった。

『ハカイスル....』
「何?」
『オマエモ....ニンゲンドモモ....スベテ....ハカイシテヤル....!』
「!?」

ウィックが立ち上がるより先に、相手はこちらへ向って飛び掛ってきた。
倒れたウィックの体へ圧し掛かるタイガーアイは、その両手で彼の首を強く締め付けた。

『コロシテヤル....オレヲ....ステタ....オマエヲ....コロシテヤル.....!』

ウィックは手足をばたつかせ、必死に彼を押しのけようとしたが、相手の力はあまりにも強く、
次第に彼の目の前で何かが激しく点滅するような幻覚が見え始めた。このままでは死んでしまう。

『コロス....! ナニモカモ.....ケシサッテヤル....!!』

意識が遠のきかかった瞬間、ウィックはとてつもなく恐ろしい姿を、彼の瞳の中に見た。









『ォオオ...ォォ....オォォ....』

漆黒に染まったタイガーアイの口から、咆哮にも似た声が発せられると、
闇聖獣の長、闇龍は、彼の入っている紫がかった玉の表面に触れ、ほくそ笑んだ。

「フフ……そうか……お前も、早く我らと共に、この世界を破壊してしまいたいか……」
『ォオオ...ォォ....オォォ....』

タイガーアイは、再び彼に答えた。いや、最早彼はタイガーアイでは無かった。

「そうか、楽しみなのか。無理もない。だが、お前はもうしばらく待たねばならん。
お前が完全に闇聖獣となるまで、もうしばらく闇の力を吸収しなければ……」

彼の身体のほとんどには、邪悪な闇の力が染み付き、細胞の一つ一つにまで、憎悪が、邪悪な闇が浸透していた。
既に彼の心の中は闇に侵食され、そして闇聖獣として生まれ変わる日を心待ちにしていた。
──我が名は闇虎……闇聖獣の一員として……この世界を……闇で多い尽くす……。

「……そう、興奮するな、闇虎。まだお前の身体は不安定なのだ。今日の所はゆっくり眠っておくが良い……」

怪しい輝きを増す闇虎に、闇龍が優しく語りかけると、彼はゆっくり頷き、その目を閉じた。
そうした後も、しばらくの間、闇龍はずっと闇虎を見つめ、愛でるように玉を撫でていた。

「興奮しているのは、あなたの方じゃなくて?」

青龍はやって来た背後の闇雀に目をやり、痛いところを突かれたなと言う風に笑みを浮かべた。

「……聖獣どもに封印されてから、ずっと我らは辛酸を嘗め続けてきた。
そんな我らが、ようやく奴らに復讐出来る機会がやって来るのだ。興奮しないわけがないだろう……?」
「フフフ、それもそうね」

闇雀は、闇龍と同じように玉の側にやって来て、ぼんやりと闇の気を放つその表皮に触れた。

「……美しいわ……邪悪な気が溢れて、はち切れそうに……素敵な闇聖獣になれるわね、この子……」
「あぁ、素晴らしい闇聖獣になるはずだ……」

闇龍は、うっとりと玉の中を見つめている闇雀の頬に、そっと手を当てた。

「……それもこれも、全てはお前のおかげだ。礼を言うぞ」
「あら、それはどうもありがとう。でも、ワタクシだけの手柄じゃなくってよ」
「シシシシシ。闇雀の言う通り!」

玉の裏側から、ひょっこりと顔を出したのは、三匹目の闇聖獣、闇亀だった。

「ボクだって、協力したはずだよ!」

感情の無い丸い瞳で闇龍を見ながら、闇亀はニンマリと笑った。

「それは済まなかったな……闇亀。お前にも礼を言おう」
「シシシ。そんなのいらないけど、一応受け取っといてあげるよ。シシシシシ!」

不気味に笑う闇亀をよそに、闇雀はすーっと闇龍の方に寄り添って、彼の肩に腕を回した。

「自ら封印されている石像を破壊し、その隙に別な石像に3匹で乗り移り、闇虎救出の機会を待つ……ここまではワタクシ」
「しかし、いつまで経っても、聖獣どもは闇虎から目を離さない……」
「フフ、そう。だから、残っている最後の力で、ブラックキャットを創造し、器の確保を……ここまでが闇亀」
「シシシシシ!」
「……でも、実質的に指揮をしたのは、闇龍。あなたですわよ」
「フフ、そうだったな……」

闇龍は目を細めながら、足元に広がる地上の世界を眺めた。
人間達は既に寝静まり、灯りはほとんど消え、ようやく闇の深さが広まって来ているように感じた。

「……まさか、闇虎が消滅するとは思わなかったが……」
「闇虎救出の為の力が回復するまでの間に合わせのつもりでしたのにね」
「シシシ。でも、時間をかけただけあって、ピッタリな器が手に入ったじゃない! 完璧だよ。完璧。シシ、シシシシシ!」
「完璧か……そうだな」

三匹は、穏やかに闇の中で眠りについている闇虎の姿に自然を注いだ。額と頬に刻まれた赤と黄色の三角形。
それらは、こうしている間にも、怪しい光を放ちながら、ゆっくりと彼の体の中へ、闇の気を吸収させていくのだった……。

「……ではそろそろ、我らも闇虎の誕生記念式典の準備に取り掛かるとしよう」

闇龍はニヤリと笑った。

















「……ウィック、ウィック、大丈夫なの!」

ウィックの視界に、カスミの姿がぼんやりと現れた。彼の頭はカスミに抱きかかえられていた。

「悪い夢でも見たの? 物凄くうなされていて……」

ウィックは、荒く息を吐きながら、周囲を見渡した。タイガーアイの姿はどこにもなかった。
夢だったのか。頬に汗の粒が流れていくのを感じた。

「辛いなら、私が朝まで側に……」
「……その必要は無い」

ウィックはカスミの腕を払いのけ、彼女から離れた。
彼は彼女に背を向け、額に手をやった。汗で冷たく濡れていた。

「……私が一緒だと、辛い……?」

カスミの言葉は、あまりにも弱弱しかった。
ウィックにはどうにも答えられない質問であった。

「今までほったらかしにしておいて、今更なに母親面してるんだって……」
「…………」
「……もう、一人で大丈夫だ。出て行け」

カスミの方に目もくれないまま、ウィックは彼女に背を向けたまま布団に入った。
だが、彼女はその場を動かないまま、畳みの網目に目を落としているばかりだった。

「……ごめんね。さっき色々なこと聞いたから、ちょっと頭が混乱してるのかもしれない」
「…………」
「きっと、ウィックも同じなのよね」

ウィックは強く目を閉じた。もう自分は眠っているのだ、そう言い聞かせていた。

「……実はね。お店、移転しないかって誘われてるの。知り合いの人で、ウチの評判聞きつけてね」
「…………」
「私は、ウィックと一緒に生活したい気持ちは当然あるの。あなた次第で良いと思ってる。
でも、貴方が私と居て辛いなら、あなたはここに一人残って、何か仕事でも探せば…。家賃くらいなら私」
「…………」
「ウィック、あなたが、決めていいの」
「……そんなの、わかるわけがないだろう」

擦れた声であったが、彼の声は苛立ちに満ちていた。

「でも、私、あなたの意思の通りにしてやるのが一番じゃないかって……」
「容易く言うな!」

体を起こし、ウィックはカスミをにらみつけた。彼の瞳には苦悩の色がありありと浮かんでいた。

「貴様と暮らして、どうなる。俺はまだ貴様を許したわけじゃない。貴様は俺を捨てたんだ。
だからと言って、たった一人、今更何もかも振り出しに戻されて、何をどうしろっていうんだ!」
「ウィック……」

ウィックは力なく、拳を床の上にたたきつけた。

「……俺なんかに、居場所など、最初からなかったんだ」

カスミは何かを言おうとしたが、彼の苦悶に満ちた表情を前にして、何も言葉が出なかった。
今の彼を引き取って、自分と暮らしても苦しむばかり。一人で何の目的もなく生きてゆくのもきっと苦しい。
どうすれば良い、何をしてやれば良い。彼女の胸の中でずっと悩み続けてきた思いがまたも大きく突き刺さっていた。

その時だった。ドンと言う音と共に地面が大きく揺らぎ、カスミはバランスを崩し、畳の上に倒れた。
続けて大きな縦揺れが起こり、ウィックまでもが布団の上に背中から倒れた。

「ウィック!」

地響きの中で、カスミの声が聞こえた。

























「なななななななな、何事ですかっ!」

揺れ動く地面の上で七転八倒しながら、グリーンは他の隊員達同様にリビングへと飛び込んできた。
彼は突然の地震によほど慌てていたらしく、ホランの等身大フィギュアを背中に担ぎながら、手には急須を持っていた。
しかし、他の隊員も同様にパニックだったらしく、カーテンやペットボトルを手にしてやって来ている者や、
どこでどう判断すればそうなるのかはわからないが、何故か奥のキッチンでカップやきそばの湯切りをやっている者までいた。

「み、みんな、大丈夫!? 怪我してる人いない?」

ヘルメット代わりなのだろう、洗面器を頭に被ったレッド隊長が駆け込んでくる頃には、揺れは完全に収まっていた。
本部が地下なだけあって、そこまで揺れは少なく見た所、室内に大した被害はなかったようだ。
皆が周囲を見渡す。隊員は全員揃っているし、聖獣達もいる。

「あっ、ウィックとカスミさんは!?」
「平気だ……」

開けっ放しのドアから、ウィックとカスミが入ってくると、隊員達はホッと安心したように息を付いた。
二人を部屋の中央の集まりに招き入れると、レッドは隊長としてやるべき事を考えるように、忙しく周囲を見回し、

「あ、そうだ。NHKつけなきゃ、NHK!」

と、すぐさまテレビのスイッチを入れた。時間は深夜3時だったが、緊急事態なだけあって、
テレビではすぐさまスタジオに切り替わり、アナウンサーが発表されたばかりの震度を読み上げていた。
画面には、地図が映し出され、震度を表す数字が表示されている。が、その範囲はあまりにも広かった。

「……日本全域だ!」

北は北海道から南は沖縄まで、四国、九州、中国、近畿、中部、関東、東北……。
震源地が各地に別れ、それらが上手く作用した事で同時多発で地震が起こっている旨がTVからは伝えられていた。
しかし、規模としては震度4~5弱ということで、全国的に目立って大きな被害はまだ出ていないようだったが、
あまりにもの広範囲にて発生したせいか、アナウンサーは、険しい表情で視聴者に今後の余震や津波の注意を呼びかけていた。

「俺ん家、大丈夫かな……。パソコン買ったばかりなんだよな」
「部屋滅茶苦茶になったりしてないといいけど……」
「シェ、シェンナ……シェンナ、……ですー!」

隊員達は皆、不安そうに顔を見合わせて、自分達の家や友達の心配をしていた。
自然災害が相手では、さすがの正義の味方でも、太刀打ちは出来ない。
大震災とまでは行かなかったものの、日本全土を巻き込んだ地震を前に、不安になるのは仕方が無かった。

「……わ、わ、わっ!!」

突然大声をあげて、ソファから転げ落ちたのは、聖獣の一人、玄武だった。
余震がやって来たのだろうかと、皆は緊張の面持ちで周囲の様子を窺ったが、少しも揺れた様子は無かった。

「ちょっと、玄武さん。びっくりさせるようなことはやめてくださいよ」
「人騒がせな」

隊員らが眉をひそめて、玄武に文句を言う。
しかし、身体を起こした玄武の顔を見、一同は息を呑んだ。青ざめている彼の顔は汗でびっしょり濡れていた。

「玄武、大丈夫か!」

走り寄った白虎が、ふら付く彼の身体を支えた。白虎の腕の中で、玄武は無言で力なく頷いた。
尻尾のへびくんは、何かを威嚇する様に、しゃーしゃー喚きながら、ぶんぶんとその身を振り回している。

「どうやら、奴らみたいね……」
「奴ら!?」

朱雀の言葉にレッドが問いかけた時、すぐさま隊長は聖獣らの異変に気づいた。
聖獣達の首輪に付けられた勾玉が眩い光を放ち始めたのだ。

『……気象庁……で……は……っ……の……警戒……』

その途端、テレビ画面には、激しくノイズが混じりだしていた。
初老に差し掛かるアナウンサーの顔が崩れ、砂嵐の中に消えてゆき、もはや何も見えなくなった。
すると、その砂嵐をバックにすーっと、何かの影が現れ、徐々にその表面に凹凸を作り出して行った。
邪悪な瞳、冷たく突き放すかのようなその笑み、そして只ならぬオーラ、そして、頬と額の三角模様……。

『……我が名は闇龍、再び現世に甦った闇聖獣の一員なり』

闇龍と名乗る闇聖獣は、そう言って怪しく光る青い瞳をふっと細めた。
隊員達は、赤と黄色の模様を持つ背後の人間に目をやった。彼は、目を見開き、怒りとも驚きとも付かない表情で、闇龍を見つめていた。

『……聖獣諸君に告ぐ。今から3時間後、朝6時頃、我らの新たな一員である闇虎が誕生する。
既に器は力を蓄え、ほぼ闇そのものとなっている。4匹が揃いつつあるおかげで、我らの力も十分強まった。
ところで、先ほどの余興は楽しんでいただけたかな……? あれだけ揺らしても、ビクともしなくてこっちは少々退屈だったが』
「ちょっと、まさかさっきの地震はあなた方の仕業ですか!?」

グリーンがテレビに向って叫ぶが、青龍は力なく首を振った。

「これは闇聖獣が私たちの勾玉を通して通じてきたテレパシーの様なものです。向こうには通じません」

青龍の言葉が通じているかのように、画面の中の闇龍は、ニヤニヤと顔を歪めて笑った。

『……では、本題に入ろう。闇虎誕生の瞬間、我々は先の物とは比べ物にならない程の超巨大地震を発生させる』
「なんだって!?」
『北から南まで、安全地帯などほとんど存在せず、人間どもはただただ絶望の前に打ちひしがれるだろう』
「闇龍っ! 貴様という奴は…!」

白虎は咆哮にも似た声で、テレビに向って叫んだ。
聖獣としての対面を守る彼も、怒りの前では、これが単なる通信だと判っていても叫ばずに入られなかったのだろう。

『……だが、我らとしても、ただ何もかもを破壊するだけの様な下品な真似はしたくはない。我らとて“聖獣”だからな。
そこで、聖獣諸君が、この超巨大地震を阻止する唯一の方法をお教えしよう』

闇龍の瞳が邪悪な色を放った。

『……貴様達の持つ、聖獣の証である“勾玉”を全てこちらに引き渡す。ただ、それだけだ』
「断る…!」
『闇虎の誕生する朝6時までにこちらへ引き渡していただけない時は、先ほどお話したとおり、この国は巨大地震で壊滅する。
その後、元通り強大な力を手に入れた我ら4匹の闇聖獣が、聖獣諸君から直接、勾玉を戴きに参上する。
勾玉を渡してとりあえず破壊を食い止めるか、何もかも破壊しつくした後に奪われるか…例え愚か者であろうと答えを出すのは容易いはずだ』
「汚いぞ、闇龍!」

とうとう、白虎は抱えていた玄武を床の上に放り投げてテレビに掴みかかった。
テレビを壊されそうな勢いだったため、後ろから隊員達が必死に抑えかかった。聖獣の前では、男5人で引き離すのが精一杯だった。

『なお、引き渡す際には条件を付けさせてもらう。勾玉は外して、聖獣諸君以外の誰かが尾布公園の噴水前まで持ってくる。
そうだな……ウィック、貴様に頼んでもいいかな?』

画面の中にいる闇龍は、まるでウィックと対峙しているかのようにフッと目を細めた。
ウィックはそんな彼の視線から思わず目を逸らした。

『……言っておくが、勾玉の偽者を用意してもこちらはすぐにわかる。その際には有無を言わさずこの国を破壊!』
「何をバカなことを言っているんだ! おいっ、闇龍!」
『そうそう、ウチの闇亀は相変わらず玄武の事を好きらしい、さっきから小うるさい雑音を念にして彼に送り込んでいてな、
もうしばらく遊んでほしいようだから、よろしく言ってやってくれ。…では、また後ほどお逢いしよう。ハハハハハハ!』

高笑いと共に画面は再び砂嵐になったのもつかの間、無音の画面にはカラーバーが映し出されていた。
室内には、その場に固まる者。床に目をやる者、床の上でうなされている者……。皆、この状況にただ困惑し、理解するのに精一杯だった。

「クソッ……!」

静寂を破ったのは、テレビ台にこぶしを打ちつけた白虎だった。
雑音で苦しんでいる玄武は置いておいて、そんな白虎を見つめていた青龍がゆっくりと口を開いた。

「白虎」
「……すまん、俺としたことが……聖獣らしからぬ言葉遣いをしてしまった」
「バカね。そんな事、ハナから誰も気にして無いわよ」

うんざりしたように呟いた朱雀の言葉に、白虎は目を伏せた。

「ど、どうすればいいんですか。今、3時半ですよ。あと、2時間半しか時間が!」

慌てふためくレッドの言葉に、青龍は、小さな溜息だけで返した。

「彼らに勾玉を渡せば、闇聖獣は強大な力を手に入れる事が出来ます。そして、この世は闇が支配する様になる。
掟として、それは絶対禁止事項。そんな要求を呑むことは出来ません。ですが、黙ってこの国を破壊させるのは……」
「じゃぁ、どうすれば」
「……一つだけ疑問があります」

青龍は口元に手をやり、小さく唸った。

「いくら闇聖獣でも、勾玉を持たぬ者が、日本全域を一度に壊滅させるほどの力を持っているとは到底思えないのです。
そこまで強大な力を、闇聖獣が何故発揮できるのか……」
「でも、さっき現にああして地震が……」
「多分BC団の装置じゃないかなあー?」

コソッと顔を出したのは、隊員の誰もが見覚えある姿だった。
水色の体に、目元から飛び出した紫のシャープなライン、首元の鈴が、どこか子供っぽい印象を与えている。

「あなた、エコじゃないですか。なんですかその格好は」
「えぇと、えぇと……。さっきの地震で、スイッチ入っちゃって」
「は?」
「……こいつもBC団に入っていたんだ。改造猫、名前は子猫」

ウィックの言葉に、子猫は苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。

「そうなんだよ。あ、でも悪エコの頭脳と接続してるだけだから、本当に改造されたわけじゃないよ?」
「それよりも、さっきの言葉はどういう意味なの?」

レッドが問いかけると子猫の目が少しだけ真剣な目付になった。
普段のエコとはどこか違う聡明さが少しだけ感じられ、隊員達も思わず緊張してしまった。

「俺も設計を手伝っただけなんだけど、ブラックキャット団は昔から人工巨大地震計画ってのを立ち上げてたんだって。
地下に幾つか、プレートに働きかける装置を設置して、それで、日本全域におっきな地震を起こして壊滅させちゃおうって作戦」
「なにー!?」
「で、それが完成したのがつい最近。でも、色々あって装置が壊れちゃって、使い物にならなくなったはずなんだけどなぁ」
「……地震を起こすよりも、壊れた発生装置を稼動させるくらいなら、彼らにとっては容易でしょう」

青龍は血の気が引いた様な顔でそう言った。
そこまで闇聖獣が耽々と、この時のために様々な策を実行してきたという事実に、畏怖を感じている様だった。

「……俺の目的までも、奴らの意思に沿うように誘導させられていたと言う訳か」

ウィックははき捨てる様に呟き、歯を食いしばった。
何もかもが、自分を操り人形として動いていただけに過ぎなかった事実を前に、怒りを隠しきれなかった。

「恐ろしい奴らです。……しかし、それがわかったおかげで、こちらとしても対抗策が見えてきました」
「対抗策?」
「ええ。ただ、これには皆さんと、そしてBC団の方々の協力が必要です」

青龍は強い眼差しを皆に向け、頷いた。






















午前5時。まだ夜明け前の薄暗さが降りていて、地震の余韻にまだ怯えているのか、人の姿はなかった。
そんな中、尾布公園の中にウィックは立っていた。彼は掌をゆっくりと開く。小石を転がす様な音を立てて、
赤青白緑、4つの勾玉が現れた。それぞれは、それぞれの色をした淡い光をほんのりと放っていた。


──引き渡す瞬間、あなたは出来るだけ奴らを自分の近くまで接近させてください。近くに白虎を待機させます。
無論、気づかれないよう防御層を張って。そして、あなたは闇聖獣を引きつけた時、説明した通り、勾玉の力を解放してください。


青龍の説明を何度も頭の中に繰り返しながら、ウィックは公園の中を進んだ。
上手くいくのだろうか、疑問が頭をもたげる。だが、すぐにそんな事を考えても意味は無いのだとすぐさま打ち消す。


──勾玉の力の解放された中であれば、白虎一人でも誰か一匹を封印するには十分です。闇虎が復活するとはいえ、まだ赤子の状態。
闇龍、闇雀、闇亀の3匹のうち、誰か1匹でも封印できれば、奴らのパワーは大きく削がれる事になる。
その際、奴らが装置を起動させようとしたら、装置の側に待機している我々が、発動をしばらくの間押さえ込みます。
子猫さんの説明によれば、中継装置は3箇所。そこを抑えておけば、地震の発生は食い止められるでしょう。


闇聖獣を引き付けると言ってもどうすれば良いのか、何を言えば良いのか、考えをめぐらしてみる。……何も思いつかない。
それ以前に、ブラックキャットの真の正体である者を前に、ウィックは平然と予定通りに動けるのだろうか。


──といっても、食い止められるのは、上手く一匹を封印し、奴らのパワーが削がれ、弱体化すればの話です。
万が一失敗すれば、我々の押さえ込んだパワーが力尽き、装置が発動する可能性があります。
装置自体を破壊しようにも、きっと用心深い奴らの事です。何か細工をしている可能性が高い。一か八かの作戦です。
だからこそ、ウィックさん、全てはあなたにかかっています。


そこまで考えて、ドクンと鼓動が跳ねる。あの時、画面の中と目が合った時、血が凍るような感覚を彼は覚えていた。
なるほど、こいつならば何をやっても、俺を操り人形にした事も、容易であろうと直感的に感じる事が出来た。
だが、それも今までの話。彼の心は、既に決まっていた。ここまでコケにされて、黙っているわけには行かない。


──ウィック……。


カスミの言葉を追い払うように、首を振って、歩みを進める。くだらん心配をする女だ。俺をガキだと思っているのか。
側のベンチの上に、誰かの忘れたミニカーが裏返っていた。この道なりに進めば、円形状の広場に出、そこに噴水がある。
そこに行って、聖獣言われたようにやって、そして……。


──……お前、変な事考えてるんじゃねえだろうな?


ケンジの言葉が脳裏を掠める。半ば苛立つように、彼は頭を掻きむしった。
変な事などではない。これが一番良い解決法じゃないか。まだ俺に口出しをするのか。


──いや、それならいいんだけどさ……。お前、見てるとなんかな。


貴様に口出しされる筋合いなどない。居場所だなんだと言っておきながら、結局そんなもの無いのだ。
くだらん幻想に振り回されて、俺をこれ以上撹乱するのは辞めろ。
ウィックは手に力を混め、さらに歩みを進めた。噴水が見えてくる。早朝のせいか、水は流れてはいなかった。


──でもさ、お前、本当は自分でもわかってんじゃないのか。本当は、どうしたいのか。


「……それはもう決めていることだ」


ウィックは、そう呟くと、表情を強張らせながら噴水の側に近づいた。
周囲を見渡す、闇聖獣の姿はなかった。気づかれないよう、背後の茂みの方にも目をやる。
恐らくあそこに白虎が待機しているのだろう。聖獣と言う仰々しい名前なだけあって、まったく気配を感じさせないのは流石だ。

視線を噴水に戻す。乾いた石造りの上に、木の葉のクズ。噴水の奥に見える立てられた時計、その針は4時15分。
耳を澄ますと、鳥の声さえも聞こえないほど、周囲はあまりにも閑散としていた。

「…………」

本当に、闇聖獣は現れるのか。そうして、一歩踏み出そうとした時だった。彼の足下から紫色の光が昇った。

「!」

足下から腰まで、その光は物凄い速度でウィックの身体を駆け上がった。
そして、それがとうとう頭を多い尽くした時、

「しまった!!」

背後から誰かの叫び声が聞こえたのを最後に、ウィックの視界は暗黒に包まれていった。

「青龍、やられた! あいつら、ウィックの奴をワープさせやがった!」

















ゆっくりと、泥の中に落ちて行く様にウィックの身体は闇の中へと吸い込まれていた。
胸のざわつきが押さえきれないが、どこか心地よくもあった。そのせいで、彼はしばらくの間、頭の中に響く声に気づかなかった。

『ウィックよ……貴様はこの世のもの全てを憎み……そして、破壊を望む究極の悪となるべく、私に仕えてきた……』

その声はブラックキャットの物であった。生気の感じられないほど冷たく響く首領の言葉は、どこか懐かしかった。

『我が無き後も、お前はよくブラックキャット団を守り、そしてその使命を受け継ぎ、立派に果たしてくれた……褒めてやろう』

ウィックの中に安心感が広がる。はい、ブラックキャット様……貴方のおっしゃられた通り、俺はやってきました。
あなたから、何度も何度も何度も……言い聞かされたお言葉を、守り、遂行するのが俺の使命だと、教えていただきました。

『さぁ、ウィック……。お前がさらなる悪へと昇華するために必要な、最後の命令だ……』

……はい、なんなりとお申し付け下さい。俺の全ては、ブラックキャット様のために存在するのです。
ウィックは、自分の中にゆっくりと何かが流れ込んでくる様な感覚を覚えていた。頬や額は、なにやら熱を帯びていた。
しかし、すぐさまそれは自分にとって良いことなのだと思い、それを受け入れ始めていた。

『勾玉を渡せ……』

はい、ブラックキャット様……。あなたのご命令を、俺は必ず聞かなければならないのでしたね……。
ブラックキャット様はいつも俺にそう教えてくださいました……そうすれば、究極の悪として生まれ変われると……。
もし、あなたに何か問題が起これば、俺が別な者に同じようにこのことを教えてやらねばならないと……。

『さぁ、早く渡せ……!』

ウィックは虚ろな瞳で、ゆっくりと頷いた。
これを渡せばブラックキャット様はお喜びになる。これこそが俺の使命……。
手と伸ばし、ゆっくりと手の平を開けた。中には4つの勾玉。

『!?』

突然、勾玉の光がウィックの瞳を貫いた。それは心に忍び込んだ何者かまでをも貫いていた。
周囲に立ち込めていた赤黒い靄は吹き飛び、紫色の空の下、ごつごつとした岩肌の上に彼はいた。
生暖かい、まとわり付くような風を浴びる中で、彼の身体がふら付き、彼は氷の様に冷たい地面に手を付いた。

「フン、とっとと勾玉を渡せばよかったものを……」

前方から聞き覚えのある声がし、ウィックは顔をあげた。
そこには、テレビ画面の中にいた闇龍、そして赤や緑の仲間。恐らくあれが闇雀と闇亀だろうと判断した。
そしてその奥に、闇色に光る玉の中で、邪悪なオーラを放っている黒い虎猫……タイガーアイの姿があった。

挿絵

「貴様らが……闇聖獣だな……」
「いかにも……我らは闇聖獣。この世の闇を司る霊獣なり……」

闇龍がニヤリと微笑みかけた。自分と同じ、額と頬に刻まれている三角形の紋章。
こうして実際に目の当たりにしたウィックの心中は、酷く動揺を感じていた。

「ブラックキャットの正体は、貴様達だったんだな!?」
「シシシシシ。だったらどーする?」

闇亀が、憎たらしく口元を歪めて笑った。

「よくも、俺を利用してくれたな……」
「まぁ、行くあての無いあなたを拾って長い間面倒を見て差し上げた恩人達に対して、随分と酷い言い方ですわね……」

闇雀の瞳が怪しくこちらを見つめる。

彼ら三人と対峙しているだけで、ウィックはやはりそれぞれにブラックキャットの片鱗の様な物を感じ、
自分が本当に騙されていたこと、そして、やはり自分は操り人形に過ぎなかったことを知り、怒りに震えた。

「ふざけるな……!」
「ふざけてなどいない。貴様の様な人間を利用して何が悪い」

青龍は目を細め、吐き捨てる様に言った。

「我らが目的を達成するために、貴様を使ってやったのだ。むしろ感謝してくれないか? ウィックよ……ハハハ」
「なんだと!」
「まぁ、さすがにお前が我々に反旗を翻した時は流石に肝を冷やしたが……」

闇龍は背後の闇虎を一瞥して、再びウィックに向き直った。

「こうして立派な器を用意してくれた事は、素直に感謝してやろう」
「…………」
「……後は、勾玉を渡せばお前の仕事は全て終わりだ」

闇虎はゆっくりと手を差し出すが、ウィックは勾玉を握った手を覆うようにして、後ずさった。

「……断る」
「うふふ、そうは言っても、それは貴方が持っている所で、何の役にもたたない代物ですのよ」
「……だが、貴様らの邪魔は出来る」
「あぁら……」

闇雀の妖艶な眼差しが、刃物の如く鋭くなったのをウィックは見逃さなかった。
聖獣の話では、これがある限りこちらが有利である事には変わり無い。勾玉をぐっと強く握り締める。

「……俺は、ここまで小馬鹿にされて、じっとしていられる性分じゃないんでな」
「…………」

闇聖獣の三匹は誰も口を開かず、ただこちら側をその冷たい瞳で見つめていた。
そんな最中でも、恐ろしいまでのそのオーラと威圧感で、ウィックの精神はじわじわと疲弊していた。

『……コロ……セ……! コロ……セ……!!』

空気全体を震わせるような低く荒々しい声が、静寂を打ち破った。
闇聖獣の奥に鎮座する、玉の中でタイガーアイ……闇虎の物だった。

「ハハハ……闇虎の言う通りだな。さっさと殺してしまえば良いことだ」

闇龍はこちらへと手を伸ばした瞬間、ウィックはすぐさま身構えた。
その直後、息も出来ないほどの突風が彼の身体を後方へ吹き飛ばした。遥か後方の突出した石柱に、彼は激しく背中を打ちつけた。
胃の中から何かが飛び出しそうな吐き気を覚えつつも、彼は手の中の勾玉を離さない様、両手でしっかりと抱え込んでいた。

「シシシシシ。闇龍、もうそろそろ良いんじゃないの?」
「闇亀の言う通り、ワタクシもこんな退屈なお遊びを続けるのはあまり感心しませんわ」
「さっさと殺して勾玉を手に入れようよ。 シシシ!」

闇虎だけでなく他の二人にまでもせっつかれ、闇龍は面倒そうに仲間達へ冷ややかな視線を送った。

「……フン。この私の力を持ってすれば、アヤツなど容易く殺せるからこそ、こうしているのが判らないのか」
「シ?」
「闇龍、遠まわしじゃなくて、ハッキリと判りやすくおっしゃってくださいませんこと?」
「……死ぬつもりで来ている者を簡単に殺しても、つまらないだろう?」

闇龍は、石柱の下に崩れ落ちてもなお、こちらを睨みつけているウィックに向い、笑みを浮かべた。

「……そうだな、ウィックよ……我らへの報復……まず生きては帰れまい……その覚悟は賢明な判断だ……。
だが、この世界を守る、正義を守るなどというくだらん物のためでは勿論無い……貴様はただ、絶望の淵に立ち、
生きて帰ったとしても、自分の前には何も無いことをわかっている……我らの事を知り、かろうじて“復讐”と言う柵の前で、
踏みとどまっているに過ぎない……我らへの報復さえ果たせば……もう、どうなっても良いと思っている……そうなのだろう?」

ウィックは闇龍を睨みつけ、こめかみに意識を集中した。改造手術で埋め込まれた超能力の発動チップが入っていた。
耳の中に甲高い音が響く、地面の砂埃が舞う。その時、衝撃波が一気に闇聖獣に向って放たれた。

「……だから、貴様は愚かなのだ」

衝撃波が到達する直前、闇龍の指がパチンと鳴らされた。
彼らの周囲に薄いバリヤが張られ、ウィックの渾身の攻撃はいとも簡単に弾き飛ばされ、雲散した。

「クソッ……!」

ウィックは、再び精神を集中させた。今度はさらなる攻撃を。
しかし、闇龍はそんな彼に向って苦笑しながら、すっと腕を前に出した。

「……くだらんオモチャだな」

闇龍の指から青白い火花が走ったのが見えた瞬間、ウィックのこめかみに激痛が走った。
中で何かが燃えているような熱さと、刺す様な痺れ。彼の身体は痙攣しながら床に倒れこんだ。

「シシシ! バカみたい!」
「そんな物でワタクシたちに傷一つも付ける事なんて、出来ませんのにね」

こめかみを押さえたまま、立つ事も出来ないウィックは、血走った瞳を闇聖獣に向けた。
声を出そうにも、唇が震え、声にもならない声が虚しく吐かれていくばかりだった。

「……わかったか、ウィック。貴様がどうしようと、我らにたてつく事などできん。
最早悪にも染まりきれず、器にもなれず、自ら絶望の中に身を置く貴様に出来る事は、勾玉を差し出し、そして……」

闇龍の、闇雀の、闇亀の、そして闇虎の眼が、鋭くウィックを捉えた。

「……虫けらの様に死ぬだけだ」

その直後、目を細めた闇龍の手の平から闇色の光が、放たれた。

















「……!」

ハッと目を開けた白虎が、青龍の方を見た。
彼は険しい眼差しを一旦閉じ、息を吐くとテーブルを挟んだソファに座るカスミに目をやった。
彼女は、その表情の端々から不安を隠し切れなくなっているようだったが、それでも唇だけは必死に固く結んでいた。

「大丈夫です。魔空間の中に引きずり込まれてしまっては、確かに我々としては手出しが出来ませんが、
勾玉を手にしている限り、彼の身の安全は保証されています。それに、万が一の時のためにすべきことも、お教えしています」
「ええ……大丈夫、ですよね」

カスミは膝の上に眼を落としたまま、半ば自分にも言い聞かせるように青龍に言われた言葉を繰り返した。

「青龍、OFFレンの人達は準備出来てるみたいよ」

地下から文字通り飛んで朱雀がやって来ると、少し遅れてブラックとシルバーを先頭に、男子隊員らがカラフルな土管らしき物を担いで来た。
テーブルの上に乗せられたそれは、よく見ると土管では無く、七色に彩られた筒状の上辺に猫耳を付けている、妙に派手な物体であった。

「それが、OFFレンバズーカですか?」

青龍の言葉に、ブラックはこくりと頷き、バズーカの側面をポンと叩いた。

「……まさか、こんな形で新兵器をお披露目するとは思わなかったけどな」
「起動に関しては問題ないかと思います」

手にしたスパナを振って、シルバーは言った。

「……あとはエコの方だな。玄武の奴、大丈夫なんだろうな」

白虎が苛立ちを隠せない様子で立ち上がると、

「お待たせ~!」

それを聞きつけたかの様に玄武が飛び込んできた。その後から子猫の姿のエコ、そしてボスオオカミ、研究員のオオカミ、
さらにBC団の改造猫達までやって来て、リビング内は何十人もの人々で溢れかえった。

「OFFレンジャー、話は全てエコから聞いた。BC団にも居たってことでちょっとこいつを叱ってやりたい所だが……」

ボスオオカミは子猫の頭を軽く小突くと、サングラスの奥の険しい目を隊員達に向けた。

「どうやら事態はそんな時間を作れないほど緊迫しているようだ……お前達の提案通り、一時休戦だ。俺達も協力させてもらう」
「大分前に作った有り物だが、中継点への搬入もオオカミ達に急いでもらっている」
「感謝しろよな!」
「ありがとう、オオカミ……」

レッドは感無量といった顔で敵であるオオカミ達に向って頭を下げた。
すると、改造猫達も自己主張するように前に出て、

「ボク達の方も任せるのさ。変猫の能力でワープホール作ったから中継点までオオカミ達をすぐに運べるしね」
「オレ様達はオレ様達で、ウィック様のためにやれることをやるだけニャ!」
「あ、うん、改造猫のみんなもありがとうね」

レッドのお礼の言葉に、猫猫は照れくさそうな顔をしてそっぽを向いた。
正義と悪が協力し、既に『最終計画』は動き出そうとしていた。

最終計画……。
ウィックが魔空間に引きずり込まれ、聖獣でさえも干渉する事が出来なくなってしまい、絶望的かと思われたが、
解決策が一つだけ残されていた。それはウィックの持つ“勾玉”を介して、聖獣らの霊力でエネルギーを送り、魔空間を崩壊させる事。
そうすれば、闇聖獣もウィックも現実世界に戻り、一網打尽に仕留めることが出来ると言う事であった。

しかし、そこまで巨大なエネルギーを聖獣達の持つ霊力だけで賄う事は、不可能。
そこで子猫が提案したのが、人工地震計画に使用されている「中継機」を使うと言う方法だった。

地震発生用のエネルギー装置を、各地に配置された中継機がそのエネルギーを増幅させながら次の中継機へ送り込む機能、
それを逆に利用し、始まりをオオカミ軍団の研究室に置かれたエネルギー装置に、終わりを聖獣のいるOFFレン本部へ繋ぎ、
そこから聖獣達によって勾玉へと巨大なエネルギーを送り込もうという作戦である。

聖獣達の予想通り、中継機を破壊しようにも闇聖獣達によりバリヤーが張られていたが、使用する際には何ら問題は無い。
機械は闇聖獣の力で発動中であるし、送り込むエネルギーも何ら地震を発生させる物と大して変わりは無い。
最初と最後の部分を、変猫の実体化能力による特殊空間で上手く繋ぐだけなので、中継機は己の仕事をただこなすだけ。

……しかし、一度中継機を通せば闇聖獣に気づかれてしまうであろう事から、この作戦は一発勝負。
不発に終われば、闇聖獣は中継機の活動を停止させてしまうか、下手すれば変な真似をした罰として、即大地震を発生させてしまうであろう。
そう、これは文字通り「最終計画」なのであった。

「……現在、5時20分。5時30分になったら、計画を実行します」

青龍はソファから立ち上がり、隊員、オオカミ、改造猫、皆を決意の表情で見渡した。
一同は、重々しく頷き、表情を強張らせた。この国の壊滅を防ぐという重圧を一様に感じているようだった。




















ここは、どこだ。また、闇聖獣が妙なことをしたのか……?

何も見えない、何も聞こえない、どこまでも深く続く暗黒の空間の中にウィックはいた。
何一つ、無い、虚無。
勾玉を握る手が何故か震えていた。何故かここにいる事がウィックにはとても恐ろしかった。

『なぁ、頼むよ!』

突然暗闇の中に大きく響いたのは、聞き覚えの無い若い男の声であった。

『ちゃんと金は払うよ! 父さんの会社ヤバイんだよ。婚約破棄なんて事になったら、それこそ…』

何の話をしているんだ。闇聖獣が何か惑わそうとしているのか。ウィックの頭は混乱していた。
しかし、鼓動は何故か異常なほどの高ぶりで、破裂してしまいそうであった。

『たかが子供堕ろすくらい、何だってんだよ!』

まさか。ウィックが気づいた瞬間、頭の中で闇龍の冷笑が邪悪な響きを持って流れ込んできた。

──そう、これが、貴様の父親の声。そして、貴様が捨てられた理由だ。
金持ちの男が看護婦の女をたぶらかし、子供を孕ませた。


これが、自分の父親の声……軽薄そうな男の姿が浮かんだ。母親以外にも、泣かされた女が多いのだろうと思った。

『……俺の人生滅茶苦茶にする気かよ! 』

──しかし、経営は上手く行かず、政略結婚紛いな事をして乗り切ろうとするが、それには貴様の存在が邪魔だった。

『それでも、私、産みたいの、あなたには、迷惑はかけないから……』
『絶対、認めないからな! 認知なんて、絶対しないぞ!』
『わかってる……』


カスミの声だと、ウィックは気づいた。今より若々しい声だった。

──こうしてお前は産まれた。が、貴様も可哀相な奴だな……。父親が製薬会社の息子なばかりに……。

『頼むよ。うちの会社から便宜を図るから、金も出すだから、子供は、突然死んだ事に……頼むよ……!』

──貴様の父親は、母親を信じなかった。必ず産まれた子供が自分に害を及ぼすと信じていた。
ハハハ……お前は生後間も無く、病院の裏口から孤児院に捨てられたというわけだ。


『そんな、何かの間違いです。私の赤ちゃんが、そんな、どうして、そんな……』

──おやおや、悲痛な母親の叫びか。貴様は「母親は自分を愛していたのか」そう思ったかな。
それとも、悪いのは自己保身に走った父親で、母親は無実であった、そう思うか……? いや、違う。
貴様の母親は、子供が死んだと聞かされたとき、心の中では微かな安心すら感じていたのだ。
夢であった看護婦の職に就けて間もない頃に、一人で貴様を産み、育ててゆく事を心の奥底では、ひどく恐れていた。


「やめろ!」

ウィックは耳を塞ぎ、叫んだ。

──貴様は、生まれながらにして、誰からも必要とされてはいなかったのだ。

「黙れ!」

──貴様がこの世に存在している事自体、間違いなのだ。

「黙れ黙れ黙れ!!」

──不必要な人間は、消え去るのみだ。ハハハ……

闇龍の高笑いは延々と、耳を塞ぎ、うずくまるウィックの頭の中で響き渡っていた。
胸の奥から、涙がこみ上げる。俺は、俺は、やっぱり、生きていても仕方が無いのか。
心の中に、何かが忍び込んでくる。それは、永遠に長く、暗く、冷たく、孤独を纏った……。












「何だって!?」

俯きがちに放った白虎の言葉に、青龍は掴みかかるかの様にして彼に迫った。

「勾玉にアクセス出来ないとは、どういうことだ。ウィックさんは無事なはずだ」
「それが、ある時を境に、徐々に霊力が途切れがちになっていて……」
「それってつまり、携帯の電波が入りにくいとかそんな感じですか?」

イエローの問いに、白虎は苛立ちを隠さないまま一度だけ頷いた。

「……これでは勾玉に、十分なエネルギーを送り込むには不十分だ」
「そんなぁ、何とかならないの!?」
「何か、方法は無いんですか!?」

緊迫した表情でを見せる、隊員達の様子も手伝って、聖獣達の焦燥はますます高まっていた。
時計は5時58分に差しかかっていた。もう時間は残されていなかった。

「……ま、マズイニャ……これは完全にバッドエンドだニャ……」

青い顔をした猫猫が力なく地面に座り込んだ。隊員やオオカミも声には出さなかったが、
最早、リビングには諦観のムードが広がり始めていた。秒針は残酷にも、その針を進めてゆく。

「……ちょっと待って! 違うわ」

そんな時、突如声をあげたのはクリーム隊員だった。
何が違うのか、そう尋ねるよりも早く、彼女は携帯電話の簡素な待ち受け画面を皆に見せた。
右上の時刻表示が《6:12》となっていた。部屋にかけてある時計を見る。6時ちょうど。遅れていた。

「どういうことだ。既に6時を過ぎたのに、何も起こる気配はないぞ。まさか勾玉は既に?」
「……奴ははまだ勾玉を手渡してない。まだ闇聖獣は勾玉を手に入れてもないし、闇虎も誕生してないはずだ」
「きっとめざまし見てて忘れて…もがっ!」

こんな時でも茶々を入れるシェンナの口を背後から押さえて、クリームは聖獣の人達に視線を向けた。

「……これは私の推理ですが、あくまで6時までという期限は、ウィックをおびき出すための建前だったのでは」
「どういうことですか?」
「それは……シェンナ、舐めるのやめなさい」

口を押さえられている手の向こうで、もごもご動いていたシェンナの口元がぴたりと止まると、
クリームは言いかけた言葉を続けた。

「例えば、闇虎の誕生は実は失敗していて、あくまで闇虎は交渉材料として用いられたにすぎないとか」
「いいえ、そんなはずは無いわ」

朱雀が語調を強くしながら、クリームの言葉を否定した。

「闇虎が偽者だとすれば、あそこまで闇聖獣達の力が強まるはずが無いもの」
「では、何か闇虎の誕生を妨げる出来事が起こったとか」
「奴らがそんなヘマをするとは思えないが……」

白虎がそう言いかけた時、ふと彼の目に部屋の隅でうな垂れている改造猫達の姿が映った。
赤と黄色の三角模様を額に付けた猫達……。頬の模様が入れば器となれる……。闇虎の器は……?

「おい、お前達! 闇虎の器に選ばれた人間は、どんな奴だ!」

改造猫達は、怪訝な顔をして白虎を見ると、お互いの顔を見合わせながら代表として写猫が前に出て来た。

「それは……幹部のタイガーアイ様って感じ?」
「タイガーアイが闇虎になる直前、いや、最後にソイツを見てからこうなるまでの間で何か知ってる事は無いか?」
「……それは……ウィック様が、タイガーアイ様を……」
「ウィックはタイガーアイに何かしたのか?」
「……ウィック様は、地震計画の失敗の罰としてタイガーアイ様を刺し殺そうとしました」

影猫がそうぽつりと呟くと、聖獣達の表情は一気に険しくなった。
玄武が声をかけた青龍の額から一筋の汗が流れ落ちていった。

「そういう事だったのか……」
「一体、何の事なんですか!? 我々には何が何だか……」
「……闇聖獣とするには、膨大な闇の力が必要です。しかし、人間と聖獣の境目を超えるのは容易い事ではありません。
闇の力の原動力は、憎しみ、怒り、妬み……闇虎がその力を覚醒させるためには膨大な憎しみの力を生み出さなければならないのです」
「それってまさか……」

青龍は、ツバを飲み込み静かに頷いた。

「闇聖獣は、その巨大な憎しみの力を、ウィックさんを殺す事で、闇虎に捧げるつもりです!」
「そんな!!」

口元を押さえて、カスミが立ち上がった。全身が震え、今にも倒れそうな彼女に隊員達が側についた。

「勾玉を持つ限り、ウィックさんの命は安全です……危険になれば、勾玉の力を大きく解放する方法もお教えしています」
「……でも、もし勾玉を渡したり、手放したりしたら?」

聖獣達はしばらく黙っていた。しばらくして、苦しい表情で白虎は口を開いた。

「……勾玉の霊力を押さえ込もうとして、闇龍たちは、魔空間よりもさらに奥深くにウィックを閉じ込めてしまった。
アクセスする力が弱い以上、下手に向こうへ攻撃を送り込めない。恐らく、闇聖獣はウィックの奴をあの手この手で、惑わしているはずだ」
「じゃぁ、一体我々はどうすれば」
「……信じるしかありません」

青龍は両手の拳を強く握り締めたまま、遠くを見つめた。

「……彼が、心の底からこの世界に戻って来たいと思ってくれる事を」












──改造猫は洗脳により、自分を慕っているだけで、本来ならば暴猫の様に自分を憎むはずだ。
ハハハ……なるほど。ウィック、貴様はずいぶんと孤独で弱い人間だからな……


ウィックは耳を塞いでも、自分の中に流れ込んでくる邪悪な物達を前に怯えていた。
闇聖獣達は、自分の心の奥底を覗き込み、そして嘲笑い、容赦なく目の前に突きつけてくる。
そうだ。そうなのだ。俺は、俺は……。

──その腹に残る傷は、決して消えはしない。貴様はこれから延々と苦しみ続けてゆくぞ。
悪人のお前が、これからどんな人生を歩める? 学歴も手に職も無い。お前を求める者もいない。


そうだ。そのとおりだ。悪から足を洗った俺が、この先どうやって居場所を見つける。
あの女と一緒にいても苦しいばかり。怯えて生きてゆくのか。金も無い。何も無い。

──ケンジか、貴様と同じ境遇の人間でこうも違う。ハハ、貴様に居場所などあるものか。
生まれつき、いや、ハナから、貴様など誰も求られて生まれたわけではないのだ。


俺は、誰からも必要とされていない。生まれたときから、それは変わらない。

──だから、貴様は“生”を諦めようとしている……。
怯えて、いじいじと、惨めに、孤独の中で、誰もが貴様を下に見ながら、長く、長く……


俺は、生きていても、仕方が無い。

──勾玉を渡せ……

勾玉を渡せばどうなる

──苦しむことなく、貴様の“生”を終えさせてやる

勾玉を渡す

──そう、それだけで……貴様の苦しみは終わる

俺は不必要な人間

──誰も悲しむ者などいない

不必要だから誰も悲しまない

──いてもいなくても、同じだ

苦しむのは俺だけか

──そう、一人で苦しみ、ただ死んでゆく

そんな物は嫌だ

──同意見だ

あれからずっと消えてしまいたかった

──消してやろう

生まれた意味などなかった

──意味などなかった

俺は何故生まれた

──理由など無い

それが俺か

──それが貴様だ

…………

──何故泣いている?

わからない

──わからないのか?

わからない

──自己憐憫?

違う

──では何故?

俺に、何も無いと思ったら、ただ無性に

──それを自己憐憫と言うのだ

そうなのか

──そうだ。貴様の存在が間違いである事を自身で哀れんでいるだけだ

そうなのか

──他に何がある?

俺は何も無いまま消えるのか

──何も無いから消えるべきなのだ

本当にそうか

──では、貴様は残ってどうする? 何が出来る?

わからない

──消えなければ、間違いは消えなければ

こうして俺が居るのに、間違いか

──その涙を止めろ

俺は何も無いまま消えるのか

──消えるべきなのだ。

何も無いまま、俺は消えるのか

──何を言っている。生きていて幸せになれる保証があるか?

無い

──では何故

わからない

──貴様は何を言っている

わからない

──わからないわけがないだろう!

このまま、消えたくない

──何だと

何も無いまま、消えたくない

──貴様はどうかしている

苦しいとわかっていても

──貴様は頭までおかしくなってしまった

俺には何も残っていなくても

──早く勾玉を渡せ

何か一つくらい、俺にも、何か、一つくらい

──勾玉を渡せ!

俺の事を、求めて欲しい

──早く渡すのだ!

俺がいることを判って欲しい

──勾玉を!

俺だって、

──勾玉を!

俺だって、居場所を、見つけたいっ……!


その時、ウィックの手の平から眩いばかりの4色の光が放たれた──。
















「皆さん、今ですっ!!」

聖獣達の体が淡く輝いた時、隊員達はバズーカのスイッチを入れた。
背後に置かれたエネルギー転送機がケーブルを通じて、オオカミ軍団のアジトから、中継機を通した莫大な量が入り込む。
その振動がトリガーを握るレッドの手にジンジンと伝わってくる。レッドは目を閉じる。皆の声が聞こえる。

「頼むぞ、OFFレンジャー!」
「ウィック様を助けてくれ!」
「OFFレンジャー!」
「OFFレンジャー!」

レッドは目を開けた。目の前には、聖獣達の霊力により開かれた眩い光の空間がその口を開けている。
真白に輝く視界の隅で、青龍の頷くシルエットが見えた。今だ。レッドはトリガーを力一杯引いた。

「OFFレンバズーカ、発射!」

バズーカから、激しい光が前方の空間に向って放たれた。レッドや周囲でバズーカを持つ隊員達の体が徐々に後ろへ押されてゆく。
既に視界は白一色。それでもレッドは懸命に引金を引き続けていた。地面が揺れる。縦に、横に。

『バカな、何故、これほどまでの力が……!』
『嫌、嫌ですわ。ここまで来て、どうして、どうして!』
『シ、シシ……魔空間が……』

遠くで誰かの声がする。しかし、それも耳を劈く爆音にかき消されてしまう。
バズーカから何か激しい音がする。地面が揺れる。上も下もわからない。ぐるぐる回る。

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」

レッドが叫んだ瞬間、手にしていたトリガーが、破裂音と共に後ろへと滑って行ったのを合図に、
部屋も、音も、レッド自身も全て、白い光の中へと、吸い込まれていった。

















「皆さん、このたびはどうも、ありがとうございました……」

頭を下げる聖獣達に、隊員達は照れたように笑って首を振った。
彼らの手には、3体の石像があった。それらは闇龍、闇雀、闇亀の封印された姿であった。

「そして、ウィックさん。あなたにもお礼を言わなければ」

隊員達の後方に立つウィックは、目を背けながら静かに「あぁ」と答えた。

「宜しければ、何か一つ願い事をかなえて差し上げますよ。何がいいですか」
「……願い事?」
「聖獣の特権です。そうだ。その顔の紋章を消しましょうか?」
「…………」

ウィックは、3メートルほど離れてこちらを窺っている改造猫の一団に目をやった。
首領の視線を受け、ビクビクしながらも皆はそこを動こうとはしなかった。

「……もし可能ならば、改造猫の奴らを、改造前の状態に戻してやって欲しい」
「えっ!? ウィック様!?」
「……あいつらに加えて、俺が始末した、雷猫や、炎猫たち、そして、暴猫も……」
「望みはそれでよろしいのですか?」

ウィックは、一度だけ頷き「……迷惑を、かけた」と、ぽつり漏らした。

「では、改造猫の皆さんを元の何もなかった状態に戻すということで」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

聖獣達が勾玉に手をかざそうとした時、改造猫達はいっぺんに走り寄ってきて、彼らを制止した。
すると、「何をする」と言いかけたウィックに、改造猫達はすがるような目で彼を見つめた。

「ウィック様、お、オレ様達、せ、洗脳されてるせいもあるけど、改造猫になって、よかったって思った事だってありますニャ!」
「周りから浮いてたり、嫌われたりしてた俺達にも、仲間が出来たって感じ。結構、充実してたって感じ!」
「俺も、催眠能力なんて素晴らしい能力貰えた訳だし、好きでなったからネ」
「ボクはそんなことないのさ? 元の真っ白でオシャレなボクに戻りたいよ!」

誰かに後ろから蹴飛ばされたらしく、化猫は顔面から派手に倒れた。

「ウィック様、俺達、改造猫になって、不自由なこともあるけど、良い出会いもいっぱいあったんです」
「俺、さいぼぐ、会えた」
「バンドだって、やってるし。楽しいし、それを無かったことにしちゃうのは、辛いです」
「ウィック様、俺達の事は心配しないで下さい」
「そうですよウィック様!」

挿絵

「……貴様ら……」

ウィックは改造猫達の言葉に、一瞬声を詰まらせるとすぐに目を逸らし「勝手にしろ」と言い放った。

「では、改造猫の方々の意見を尊重して、戻りたい人は戻る。戻りたくない人は戻らないという事で!」

聖獣達の勾玉が輝き、何やら呪文を唱え始めると、彼らの中央に、3つのシルエットが現れ始めた。
それは、雷猫、炎猫、光猫の3匹。幽霊ではなく、実体。しかし、彼らもまた改造猫スタイルのままであった。
改造猫達が、ワイワイと彼らに近寄り、話に花を咲かせる。笑顔がこぼれる。

「……闇猫さんだけは、悪魔が何とかでキャンセル、暴猫さんも、全てを忘れて元の体のまま、目覚めるはずです」

改造猫達の騒ぎに気を引かれていく中、レッドは、ちらとウィックの顔を盗み見た。
聖獣の言葉を、静かに聞いていたウィックの表情は、少しだけ、初めて彼が見せた穏やかな表情だった。












「泣くな。タイガは、別に死んだ訳じゃないんだからな」
「……う、うん」

ボスオオカミとエコは、川原の土手に座り、穏やかな水面を見下ろしていた。
人間でも無い、聖獣でも無い不安定なままの状態となってしまった闇虎は、聖獣達の計らいで、
タイガは、レッドの体の中へと、初めからそうであったかのように戻っていったのだった。

「もしかしたら、またひょっこりレッドの奴と入れ替わったりするかもしれないだろ?」
「……うん」

ボスは手元に転がる小石を、川面へ放り投げた。
音も無く広がる波紋を見ながらボスは弱弱しく笑った。

「アジトが壊滅した以上、オオカミ軍団は活動を続けられん……俺も、もう40代だ。そろそろ潮時かもしれん」

オオカミ軍団のアジトも、エネルギーの逆流による大爆発で、OFFレン同様に大破していた。

「……オオカミ軍団は解散だ。だから、お前も、な」
「…………」
「BC団のチップも外して、あと、ちょっとくらいは小遣いもやる。お前も14だ。一人で、家族の所に帰られるよな?」

エコは、潤んだ目を眼をしばたかせながら、ボスに顔を向けた。

「そんなんじゃ、タイガが見たら、情け無えって言われちまうぞ?」

エコはごしごしと眼をこすって、すくっと立ち上がり、ボスに向って精一杯の笑みを作って見せた。

「お、オレ、タイガ先輩みたいな強い漢になるって、決めたもん! 平気だよ!」
「……そうか」
「オレ、大丈夫だよ……だってオレ、お、男だもん……」

涙を貯めながら、うずくまるエコの頭を、ボスオオカミは優しく撫でてやった。

「……そうだな、お前なら大丈夫だよな、エコ」

















「さ、て、と」

聖獣達が帰って行った後、隊員達は、全壊してしまった元指令本部の方へと改めて向き直った。
バズーカがエネルギーに耐えられず大爆発、壁と言う壁が付きぬかれ、見渡す限りコンクリート残骸の見本市。

「……こんな事になっちゃったわけですが、どうしましょ」
「ブラックキャット団は解散……それにオオカミ軍団も活動停止となると……」

レッドは隊員達を一通り見渡して、ゆっくりとその口を開いた

「僕らの出番は、もうないのかも」
「えぇっ!?」
「だって、誰も悪者いなくなっちゃったし、ダラダラ続けても……ね?」
「それはそうですけど……」
「それに、何だか、あの人見てたら、羨ましくなってきちゃってね」
「え?」

レッドはニッコリ笑った。

「僕らも、新しい居場所、見つけてみない?」
「レッド……」

隊長は、1回コホンと咳払いをして、隊員達に向って叫んだ。

「ぐるぐる戦隊OFFレンジャー、これにてお休み!」

























翌朝、まだ人通りの少ない道を、ウィックはまっすぐ進んでいた。

OFFレンもいなくなった、まだ店も開けていない弁当屋の正面で、
彼は後ろを振り返ることなく、静かに母親に別れを告げた。

ウィックの決意を、カスミは静かに聞き入れ、そして、暖かく送り出してくれた。
彼はこの日から、一人で歩き出す事を決めたのだった。

大通りを抜け、会社へ向うサラリーマンが、前方から後方へ流れて行く。
黙々と彼は、流れに逆らい、まっすぐ進み続けた。そっと頬に手を触れる。
結局この紋章は、消そうとはしなかった。決意の証として、一生付き合っていく、彼はそう心に誓っていた。

「……!」

前から、スーツに身を包み歩いてくるケンジの姿が視界に入った。
イキイキした表情で、口元には笑みを浮かべ、幸せそうな姿が朝日に照らされ輝いていた。

「ウィック」

こちらに気づいたケンジが、足を止め二人は向き合った。人並みはなおも流れてゆく。

「行くのか」
「…………」

ウィックは、ケンジの瞳をしっかり見つめ、一言呟いた。

「……俺は、やっぱり貴様が嫌いだ」
「…………」
「俺は、自分の居場所を必ず見つける。貴様よりも、幸せになってやる」
「……そうか」

ケンジは、笑みを浮かべた。ウィックの眼は、決意に満ちた力強い物であった事を喜んでいるかのようであった。

「……それじゃぁな」

ウィックは相変わらず素っ気無い口調で言った。

「あぁ」

ケンジも努めて同じように、返事をすると、二人は自分の歩むべき道を再び歩き始めた。
朝日の眩しさに目を細めながら、ウィックは前へ進む。

彼の脳裏には、カスミから貰った手紙の文面が思い返されていた。




──ウィックへ。
こうして手紙を書いている中で、あなたと過ごした日々、貴方と出会った時、罪悪感の日々、色々な事が思い返されます。
昨晩、あなたが私の話を静かに聞いてくれた事、とても嬉しかったです。でも、私はまだ話してなかったことがまだあります。


──あなたが死んだと聞かされた時、私は正直ホッとしていました。まだ私は若かったから。
でも、月日が経つにつれ、あなたがいたら、どうなっていたか、そんな後悔ばかりが募り、
勤務場所が小児病棟に移って間も無く、私は看護師を辞めていました。子供を見るのが辛かった。


──そして、あなたの父親は確かに、酷い人でした。でも、優しい人だったのも事実です。あなたは父親を許さないかもしれない。
でも、一つだけ確実なのは、あなたの父親は、あなたの施設の住所のメモ書きを、ずっと金庫の中にしまいこんでいました。
あなたを想っていたのか、それともやはり何か保身のために用心しての保管だったのか、私にはわかりません。
でも、あなたの父親は、最期までそれを持っていた。そして、あなたの名付け親であった事、それだけはわかっていて欲しいです。


──あなたの瞳に、私は良い母親として映ったでしょうか。それとも、悪い母親だったでしょうか。
20年経って現れた実の子を前に、突然母親になるのは、やっぱり、難しかったのも事実です。


──最初は、優しい母親を演じようと努めました。そうすれば、あなたも私に心を開いてくれると。
だけど、でも、あなたにとって、それはとても苦しいことだったんですね。
あなたが本当の息子だと判った時、親としてあなたに何かをしてやりたいと思った気持ちからでした。
私は、子供と一緒に暮らす事が幸せなのだと勘違いしていた。


──昨日の夜。あなたの決意を聞いた時、私はようやく、親としてあなたに出来る事を見つけました。


──あなたがこの先、苦しく、辛く、孤独に打ちのめされて、全てがどうにもならなくなった時、
そんな時、私はあなたの帰る場所を用意しておきます。暖かく、穏やかな、あなたがまた、元気に歩き出す為の場所です。


──もう二度とあなたとは会えないかもしれない。あなたはこの場所に永遠にやって来ないかもしれない。
でも、この場所がある事で、これまでの一人と、これからの一人は、同じ一人じゃないはずです。


──だから、きっと大丈夫ですね。あなたは、何十年も孤独に耐えて来たから、これから、たくさん幸せが訪れますね。


──....また逢う日まで。









「……ウィック、がんばれよ!」


ケンジの声に、彼は振り返ることなく、ただ右手を挙げ、小さく手を振った。

日の光が燦々と、彼の進む道を照らしていた。

人の流れに逆らいながら、何も持たず、ひたすらまっさらなまま、

彼は一歩一歩、未来に向って歩き出していた。

挿絵