第113話

『OFFレンジャーのお引越し』

(挿絵:パープル隊員)

正午を過ぎても晴天吉日。OFFレンジャー本部から東へ3駅向こうの、少し開けた場所。

「さーこっちですよこっち。衣類はタンスの側へ。あ、食器は彼女の方へお願いします」

次々と運び込まれてくるダンボールを業者さんから手渡され、部屋に積んでいっては開封してゆく隊員達。
そして、それを俯瞰的に見ながら各々に指示を出すグリーン隊員。彼らはちょうど引越しの真っ最中だった。

OFFレン本部が随分前の戦いで崩壊してしまってから、活動は休止され、隊員達もそれぞれの生活を営んでいた。
しかし、先日の同窓会で隊員らが集まった際、グリーンによってOFFレンジャーの復活が提案され、
彼がホランから誕生日に貰って個人でひっそり運営していたというマンション「メゾンぐるてん」を一時的に本部として利用する事が決まり、
そうして本日、とりあえず連絡がついた隊員達が集まって、新指令本部への引越しをお手伝いしているのだった。

「グリーン、このソファはどこへ置いたらいいすか?」
「あー、そうですね。とりあえず奥の部屋に一旦置いといてください」

グリーンはソファを担いだホワイトとブルーの二人を、リビングを出て廊下まで誘導した。
全ての部屋に通じる長い廊下を出れば、そこがかなり豪勢な間取りであることがわかる。
玄関から入って正面右のドアを開ければキッチン付きの20畳のリビング。左側にはそれぞれ10畳の洋室が3つ続いている。
少し進めば、右手には8畳の和室。その奥にはバス、トイレと大変充実した5LDKのお部屋である。

「とりあえず、荷解きが済むまでは、大きいのはこの部屋に放り込んどいてください」

それらの中から、3つ並んだうち一番奥に位置する洋室のドアを開けて、グリーンは二人を中へ入れた。
ピカピカのフローリングに目が眩みそうになりながら、ソファを置いたブルー達が出て行く。
グリーンは首から下げたタオルで汗を拭きながら、やれやれといった様子で玄関を出た。目の前に広がるビルの群れ。
少し下に目線を下げれば、駐車場と道路を挟んでフェンスの向こう、緑に囲まれた公園。そこはしゃいでいる子供達の姿。ここは7階にある。

「うおっ、なんかこっちはちょっと狭いな」

声がして、グリーンはちらと通路の方へと顔を向けた。
自分達の部屋から右二つ向こうの705号室に、先ほど自分達の所へ荷物を運びに来た業者が出入りしていたのだった。

「あれ、あそこの人も今日が引越しなんだね」

背後からピンクの声がしたが、グリーンは振り向かず705号室の方を見つめたまま小さく頷いた。

「ま、立地と広さの割りに家賃安いですしね」
「安いって……」

グリーンと同じようにピンクも手すりにもたれた。

「グリーンが決めたくせに」

彼女の言葉にグリーンは苦々しく笑った。
このマンションは25階建ての新築。隣は市民公園。前方はコンビニ。少し歩けばスーパーもある。徒歩5分で駅に。
こんな恵まれた立地だからこそ、儲けようと思えばいくらでも儲けられるのだが、あくまで正義の味方だという建前があるため、
グリーンは、若干もったいないと言う思いを抱きつつも、相場の3分の1と言う超低価格で部屋を貸していた。
喜んで入居してくる者もいるにはいたが、そのあまりの安さに「幽霊が出る」だとか「住人が次々と謎の死を遂げた」などと妙な噂が囁かれ、
全部で200戸ある部屋たちは、現在その半分程度しか埋まっていなかった。しかし、住人達からは住めば実に快適だと評判である。

「まぁ、それでも結構貯まってて、家財道具も色々買い揃えられたから良いけど」
「……特にこの階は安いですからね」
「そうなの?」
「我々の部屋を広くするために、他の部屋のスペースを削ってるんですよ」
「あぁ……だからわざわざこの部屋にしたんだ」

「きっと、ホランの計らいによる物なんだろう」と言う顔をしたピンクを見て、グリーンは胸の中で「大正解です」と付け加えた。
しかし、一番割を食っているのは右隣の部屋、706号室である。自分達が左方向に広くスペースを取ったりしたのと、
他の部屋の坪数の確保のしわ寄せが一気にここへ集まっており、玄関と8畳の部屋が2部屋前と奥繋がっている団子状の奇妙な間取り。
だが、月1000円と言う超怪しげな値段にも関わらず、既に一人入居していた。後で顔を見るついでに挨拶に行かないと。グリーンは再び汗を拭いた。

「さてと、休憩はここらで終えましょう。そろそろ荷解きも終わった頃合ですね」
「あ、そうだ。私、それでグリーン呼びに来たんだった」

恥ずかしそうに照れ笑いするピンクに微笑み返して、グリーンは自分達の新たな指令本部である707号室の扉を開けた。

「じゃ、急がないとですね」













「では、いいですか?」

打ったばかりのホカホカおソバを前にして、グリーン以下、10名は静かに手を合わせた。

「いただきます!」
「いただきまーす!」

一斉に割り箸をパチンと両側に開いた音を合図に、新本部にて行う最初の食事が始まった。
彼らが食べているのは“引越し蕎麦”。引越しの三日前から近所のソバ屋に予約しておいたものだ。

「引越しソバなんて私初めて食べたかも」
「俺も俺も。今時珍しいっすよね」
「グリーンはそういう所やけに律儀だから」
「何言ってんですか。引越しと来れば引越しソバなのは当たり前です」
「グリーンは若いのに立派だねえ」
「ホントホント」

ソバを一口一口すするたび、隊員達の表情にあの頃と同じ様な笑顔が甦ってくる。
例え、しばらくの間離れ離れになっていたとしても、一瞬で仲間に戻れるのはやはり素晴らしい。
……と、ついつい柄にもなく恥ずかしいことを考えてしまったなと思いつつ、グリーンは再び暖かいソバをすすった。

「でも、全員揃わなかったのはちょっと残念かも」
「ねー」

やはりこの話になったかあ、とソバを噛みながらグリーンは内心チクリとした。やはり皆同じ考えの様だ。

「まずレッドっすね」
「シェンナとクリームでしょ」
「ライトブルーと」
「あと、ガーネットも」

グリーンは全員に連絡を取ろうとしていたが、上手く連絡がついて集まれたのは全部で10人。
16名のうち5名だけメルアドが変わっていたりして音信不通。どうしても今日に間に合わなかったのだった。

「シェンナがいないと寂しいね。クリームとは相変わらずくっついてるだろうけど」
「ガーネットは、多分どこかでまたアルバイトしてるんじゃないかな?」
「台湾に帰っちゃってたら探すのは困難ですからねえ……」
「レッドとかどうしてるんだろうね」
「以前のタイガの時みたいに悪のボスとかになってなきゃいいんすけどねー」
「いや~。わかんないよ。もしかしたら誰か一人くらい悪に染まっちゃったかも」
「案外、ライトブルーとかね」

一同はそれが冗談である事を理解していたが、隊員達には、誰かがくしゃみをしたような声が聞こえたような気がした。

「ま、大丈夫ですよ。そのうち、我々が活動していけば、再結成に気がついて連絡を寄こして来ますって」
「そうっすね。突然だったっすもん」
「期待して待とうか」

そんなこんな話しているうちに、皆は再びソバを掴もうと丼に箸を入れたが、既にソバはなくなっていた。
おしゃべりしていると食事があっという間なのも、なんだか懐かしい気分で、皆は顔を見合わせて笑いあった。

「じゃ、食器片付けたらあれやりますか」

箸を置いたグリーンは何やらキリリとした表情を作ると、グッと拳を握った。

「あれって?」
「なるほど地鎮祭ですか」
「シルバー……もうマンション建ってるって」
「引越しパーティーに決まってるでしょ」
「えっ? ちょっと皆さん。本気と書いてマジで言ってるんですか?」

グリーンは「それは何かのボケなの?」と言うような顔をして一同の顔を見回した。
そして、彼らのぽかんとした表情の端々から、それが本気の発言なのだと悟ると、彼はやれやれと首を振った。

「常識的に考えれば、引越しソバの後は引越しのご挨拶と相場が決まってるじゃないですか!」
「そ、そうなの?」
「孤独が重く支配し、他人を思いやることも出来なくなった、ご近所との繋がり、人間同士の繋がりが弱まっているこの現代。
だからこそ大事にしていかなければいけない超重要イベントじゃないですか! 持ちつ持たれつ I need you! GO-BANG'Sだってそのように……」
「はぁ……」

次第に熱を帯びるグリーンの言葉に、ただただぽかーんと見ている隊員達。
だが、徐々に彼らの中にも懐かしさが湧き上がってきたようで、真剣なグリーンを前に一人、また一人と笑みを零し始めるのだった。
















「仕方ないじゃないですかー」
「変な人だったらどうするんすか。ここは女子の方が適任すよ」
「もし女子にとってヤバイ人だったらどうするんですか」
「男がヤバくなるような人だったらどうするんすか!」

隊員達は廊下でもみくちゃになりながら、じりじりと左二つ隣の705号室へと向っていた。
グリーンが引越しの挨拶用に用意しておいたタオルがどこにも見当たらず困っていたところ、
イエローがふと「そう言えば我々と同じく今日に引っ越してきた人いましたよね」と言い出したので、
一同はお引越し仲間さんのお部屋へ、間違ってウチの荷物が混ざっていないか尋ねに行こうとしていたのだった。

「じゃんけんにしましょう。それが一番公平っす!」
「いいから、アンタが行けば丸く収まるんでしょーが!」

こういう時に限って、副隊長であり、OFFレンの何でも屋であるブルーが任務を押し付けられたのだが、
何やら部屋からキケンなオーラを本能的に察知したとやらで、彼は必死に抵抗を続けていた。

「もう、わかりました。私が一緒に行きます」

とうとう、根負けしたグリーンが名乗りを上げ、二人で705号室を訪ねる事になった。
残った8名は廊下で見守ることとして、少し頭の感じがおかしいブルーがグリーンの後ろにピタリと付き、部屋へ向う。

「うっ……」

部屋まであと2歩と言う所で、グリーン自身も何かを感じたらしく不安そうな顔で隊員達の方を振り返った。
ピンクから頑張ってと言う応援の声がかかるが、何を頑張ればいいのか。喉をゴクリと鳴らして、グリーンはチャイムを押した。

「…………」

反応が無い。再びチャイムを押してみたが、いくら待っても中の住人がドアの方へやって来る気配は無かった。

「留守なんじゃないすか。日を改めてにしましょうよ」

ブルーはそう言ったが、グリーンはこのただならぬオーラから、住人が在宅中である事を漠然と悟っていた。
念のため、ドアノブに手をかけてみる。少しだけ引いて見ると鍵は開いているようだった。グリーンはブルーと顔を見合わせ、

「お邪魔しま~す……」

二人が中に入ると、室内からは何の返答も無かった。電気は消えたままになっており、少し薄暗い。
おまけに部屋からはどことなく甘ったるいお香の様な匂いが漂っていて、やけに鼻腔の奥を突っついた。

「グリーン、奥の部屋じゃないっすかね」

薄暗さに目が慣れてくると、ブルーは廊下の奥を指差した。僅かだが、廊下にほんのりと光が映っているのがわかる。
二人は廊下を進み、奥の部屋へと進んだ。微かに何やら音楽の様な物が聞こえてくる。どうやらHIP-HOPの様だった。
部屋の前に来ると、強いビートに腹の底まで振動が伝わってくる。ノックしてみる。返事は無い。聞こえないようだった。

「す、すいません……入りますよ?」

無駄だと思いつつも、そう言ってグリーンは扉を開けた。

Bury me smilin' with G's in my pocket♪

「わっ!」

思っていたよりも大きな音の洪水にグリーンは耳を押さえた。
ずいぶんしっかりした防音壁だったようだ。感心しながらグリーンは部屋の中を見回す。

have a party at my funeral let every rapper rock it♪

床には散らばったCDケースと、そのまま地べたに置かれているCDコンポ。そこからは相変わらず軽快なラップが垂れ流されていた。
その脇に乱れた配置のダンボールが数個。どうやらここの住人は、コンポとCDを出す以外、何も手をつけていないらしかった。

let tha hoes that I usta know from way before ♪

部屋の隅には何やらアングラ系の雑貨屋でよく見かける、エログロ系のシールにまみれたベッドがマットレスむき出しのまま置いてあった。
一体この部屋の住人はどこに……と周囲を見渡す。と、ダンボールの影に、床に座り込み、ベッドの側面にもたれかかっている男の姿が。

kiss me from my head to my toe♪

男は口にタバコを咥えたまま、目を閉じ、部屋中に響く大音量に合わせて小さく頭を前後に振っていた。
歳は若く見える。大学生か、それより少し上くらい。同じ猫科で、シェンナより濃い茶色の毛並み。目の下に酷いクマがある。

give me a paper and a pen so I can write about my life of sin♪

そして一際目を引くのは十数個はあろうかと思われる金のピアスと、それらが耳から足まで全身を多い尽くしているトライバルのタトゥー。
あぁ、マッドなラッパーとかってこんな感じだよな。と言うイメージをそのまま絵に写したような、そんな人物だった。

「あ、あの……」

一向に自分たちに気づく様子の無いこの部屋の主に、グリーンは恐る恐る声をかけた。
しばらくして首の振りが止まると、彼はうっすらと目を開け、二人の訪問者を見つめた。
3色混じった不思議な色合いをした男の瞳は、二人に不思議な印象を与えたが、その眼差しはどこか眠たげで、気だるいものだった。

「…………」

男は無言のままゆっくりと右手を上げ、咥えタバコをつまんだ。ふーっと白い煙が口から吐かれる。
グリーンはその時、今まで寝不足か何かのクマだと思っていたのが、こうしてよく見てみると実は目の周りの模様である事に気づいた。
毛並みの色や、タトゥーが黒い事も相まって、遠くから見ればタヌキそのもの。なんだか滑稽だった。

「……あ、あの?……」

男が口を開くのを待っていた二人だったが、タバコの煙を吐き終えた後も、彼は相変わらず黙り込んでいた。
とうとう無言を貫いたまま、再び男がタバコを咥えるのを見て、このままでは終わらないと判断し、グリーンは一歩前に出た。

「えっと、あの、今日同じくこちらに越してきました707号室の者なのですが、荷物がですね。一箱見当たらなくて。
それで、お宅の物の荷物に混じっているんじゃないかと思って、その、チャイムとかも押したんですが……」

説明が終わった後も、男は相変わらず黙り込んだまま、ぼんやりとグリーンを見つめていた。
グリーンは男の態度に不気味さを感じるよりも、何だか自分の内面を見透かされているようでドギマギした。

「……な、何ですか……?」

グリーンの言葉に答えないまま男が再び白煙を吐くと、一呼吸置いた後、彼はひどくゆったりとした動作で左の方に顔を向けた。
その視線の先には一箱のダンボール。側面に書かれた『その他5』の文字。紛れも無くグリーンの筆跡だった。

「あ、これですこれ! すいません、なんか、ご迷惑おかけしまして……」

二人はすぐさまダンボールに駆け寄って、中にタオルがある事を確かめると、上の一つを手にして丁寧に男に差し出した。

「改めまして707号室の者です。同じ日に入居した者同士、今後もよろしくお願いしますね」

タオルを差し出すグリーンを、男は少しだけ上向き加減に見つめたまま、やっぱりその気だるそうな目で眺めていた。
その表情からは、彼が照れているのか、怒っているのか、それともタオル以外の物を催促しているのか、全く掴むことが出来ない。
ハッキリわかったことは、彼の口から再びタバコの煙が吐かれたということだけ。このままでは埒が明かないので、

「あの、失礼ですが、じゃぁここに置いておきますね。ではあの、引越し早々お疲れでしょうから、我々はこれで、ねぇ?」
「そう、そうっすね。じゃ、えーと、失礼しまっすー」

二人がダンボールを抱えながら部屋を出ようとした時、彼らは何故かふと男の様子が気になって、後ろを振り返ってみた。

「…………」

そこでも、男は相変わらず眠たげな目でグリーン達を見つめながら、ぷかぷかとタバコをふかしているばかり。
今にもぽつりと何かを言い出しそうでありながら、やっぱり何も言い出すことは無く、男は目を閉じた。
そうして、彼はグリーン達がやって来る前と何も変わらなかったかのように、BGMに合わせて首を揺すり始めたのだった。

グリーンとブルーはお互いに顔を見合わせた。互いに何も言葉を交わすことはなかったが、確実にこの時、
二人は自分たちが感じていた妙なオーラの意味を、ハッキリと理解していたのだった。………変人!
















「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? っけんなよッ!!!」

せっかく妙な体験までして帰還してきたと言うのに、
ダンボール箱に挨拶用のタオルが2つしか入ってなかったのだから、
グリーンがキャラに似合わずそんなお下品な声をあげてしまうのは当然と言えば当然だった。

「せっかく用意したって言うのに、なんですかこれは!」
「他は全部、シャワー室とかで使ってたバスタオルとかですね……」
「挨拶用のタオル、何百個も注文したんですよ何百個も! なんで3つしか無いことになってんですか!」
「ちょ、何百個って、そんなに配ってまわるつもりだったの?」
「当然です。正義の味方として、ご近所に挨拶をすることは礼儀ですからね」

グリーンはフンと鼻息を鳴らして胸を張った。

「それに、住人に顔を売っておけば何かと役立つかもしれませんしね」
「だ、打算的だ……」
「だからこそ、前もって準備しておいたんですよ。ったくもー。後2つでどうしろってんですか」

グリーンは、めんどくさそうにしゃがみ込んで箱の中のタオルを取り出した。
とりあえず両隣の分はあるから良い物の、他の部屋へあまり遅れてあいさつ回りするのは……。

「あっ! グリーン!」

突然、向い側にいたオレンジが驚愕の眼差しでタオルを指差した。

「なんですってオレンジ。その銀髪に、これを入れたら倍に増やしてもらえるんですか。やったあね」
「そうじゃなくて、裏!」
「裏?」

グリーンが手首をくるりと返してタオルの裏を見た。ごく普通の白地に赤のラインが入っためでたい袋じゃないか。
……と思っていると、左下に『仲村酒店』の文字がグリーンの目にハッキリと映った。

挿絵

「ぎょ、ぎょえっ! これ、酒屋の粗品じゃないですか!」
「……単に未開封の粗品のタオルを入れてただけみたいっすね」
「じゃぁ、どうするんですか。既に配っちゃいましたよ。あのタトゥー男に」
「もう袋から出しちゃって、それお隣さんに配っちゃったら?」

隊員達の間に最早そうするしかないなと言うムードが広がり始めていた。
しかし、さすがに裸のままで渡すのも忍びない。かと言って百貨店の紙袋とかに入れても、安いタオルだから嫌味っぽい。

「……よし、こうしましょう。たった今から我々は『仲村酒店』に改名ということで」
「いやいやいやいや!」

当然ながら隊員から一斉にツッコミが入る。
しかし、削るにも薄いビニールだからすぐ破れるし、シールで隠してもバレないとも限らない。マジックで塗りつぶせば見栄えが……。

「そうだ! 『仲村酒店』におふれんじゃーと言うルビを振ると言うのは?」
「だ、ダサッ!」
「横に矢印で『なんちゃって☆』という茶目っ気溢れる文句を添えるとか」
「ウザッ!」
「ぐぬぬぬぬ……」

『仲村酒店』の文字を穴が空くほど見つめ、獣の如き唸り声を上げる元隊長。
何が何でも現状のまま良い方向に持って行きたいと見えるそんな几帳面グリーンに、
隊員達は呆れつつも、ある種の尊敬の意を込め、深い深い溜息を捧げるのだった。

















≪安心の高品質タオルで創業80年『仲村酒店』≫

グリーンがさらに1時間考えた末、横に老舗タオルメーカー風の文句を添えた事で両隣への挨拶は開始された。
これならば、「えっ…あ…タオル…も…作ってるんだ?」と思ってくれるだろうと言うグリーンの熱意と、
隊員達の「もう何でも良い」と言う諦観の気持ちが一体になったことによる円満解決であった。

「で、どっちから始めんの?」
「そうですね。既に705号室に挨拶したんで、706号室からにしましょうか」

グリーンは颯爽と、このマンションで一番狭く、一番安い部屋である706号室のチャイムを押した。
今度はさすがにちゃんと聞こえているようで、ドアの向こうで何やらバタバタと慌しい音が聞こえた。
突然の来客に何か片付けているのか、それとも化粧でもしているのか、5分ほど待たされ、ようやく扉が開いた。

「…………はい?」

顔を出したのは、もうだいぶ暖かくなっていると言うのに、ニット帽を目深に被り、サングラスと大きなマスク、
オマケにぶ厚いジャンパーを着た男であった。見るからに怪しげなスタイルだ。

「……どちらさまですか?」

住人は、声の感じからして比較的若かった。高校生くらいだろうかとグリーンは判断した。
同じ猫科なのも耳を見れば判る。グレーの耳に、黄系の毛並み。どことなく、既視感を覚えるカラーリングだ。

「どうも、こんにちは」
「……あ、ど、どうも」

隣人は明るく声をかけるグリーンを怪しんでいるのか、ぎこちなく頭を下げた。
まぁ、10名ぐらいの少年少女が突然現れたのだから、妙な宗教の勧誘か募金集めの一種かと思われるのは仕方ない。

「今日隣の707号室に引っ越してきた者ですー」
「あ、そ、そうですか」
「よろしければこれ、つまらない物ですが、どうぞ」
「ど、どうもありがとうございます」

少年は慌しくタオルを受け取ると、せっかく細工した裏面を見る事も無くそれを小脇に抱えた。

「今後、何かとご迷惑かけるかもしれませんが、お隣同士、よろしくお願いしますね」
「は……そ、そうですね」

何度もコクコクと頷く少年の姿に、グリーンは彼を気弱な人物だと判断させた。
こんな中学生の小遣いで住める様な部屋にいるのだから何かしら事情があるのかもしれない。
それに何だかビクビクしている。ひょっとすると、家族に不幸があったとか、夜逃げしてきたとか。苦労人かもしれない。

「お一人で住まわれてるんですか?」
「え、あ、ま、まぁ……そうです……ね」
「何か困った事があれば、我々が力になりますよ」
「……あ、ど、どうも……こ、この人たち」

少年は奥にいる隊員達を見渡すと、首を傾げながらグリーンの顔に再び目を向けた。

「ぜ、全員で部屋に住むんですか?」
「え? そうですけど」
「せ……狭くて、大変ですね。あんな小さい部屋で」
「ぶっ!」

グリーンは少年の言葉に思わず噴出してしまい、下を向いて苦しそうに肩を震わせた。
どうやらこの人は、全部の部屋が自分と同じ様な間取りなのだと思っているらしい。
そんな少年の無邪気さとおバカさはグリーンにとってメガトン級であった。

「な、なんですか?」
「い、いえ、何でもありません。はー。うん、素敵なお隣さんで我々も安心しました」

目の端に涙を貯めながら、少年の肩をそっと叩くグリーンを彼は不思議そうな様子で見つめていた。

「わざわざすみませんでした。今後もよろしくお願いします」
「は、はい。それじゃ……どうも……」

結局少年は扉が閉まる寸前までペコペコしていた。気弱そうだが、純粋な良い人かもしれない。
さっきの件があるだけに、グリーンの中で住人に対する安心感がちょっぴり生まれた。

「なんか、親近感がある人だったすね」
「うーん……そうだねぇ……なんかねぇ」

隊員達も同じ思いだったらしく、少なくとも例のタトゥー男よりかは好感触な反応だった。
とりあえず左隣が終わったならば、次は右隣、708号室へと隊員達は向う。
各階は8部屋なのでここは一番隅の角部屋ということになる。NHKのシールが貼ってあるので人が住んでいるのは確かだ。

「今度はどんな人だろうね」
「カッコイイ人だったらいいなー。アーティストとかしてそうな」

古い少女漫画的な発想のピーターは置いておくとして、現実的に考えてみると平凡な核家族が妥当だろうとグリーンは思う。
他の隊員達は、若い女子大生だとかそんな妄想を抱いている者もいるが、そんな上手い話などある訳が無い。
仮に女の一人暮らしだとして、せいぜい、お水のお姉さんだとかそんな所がオチであろう。

「おれおれ!ここは俺にチャイム押させてくれよ!」

突然ブルーの頭上で元気良く手を挙げるブラック。彼が女子大生説の発端者である。
とりあえずグリーンは彼の甘い幻想をぶち壊すべく、妄想とブラックを頭に乗せたブルーを前に進ませた。

「もうちょい下、下、行き過ぎ、そこ」

ブルーにしゃがませて、ようやく良い位置になった頃、ブラックは木炭の様に黒く丸っこい指をボタンへと伸ばした。
……反応は無い。もう一度押して見る。もう一度。やっぱり反応は無い。……ダメ押しもやはりダメだった。

「外出中みたいですね。日を改めましょう」
「チクショー……女子大生、女子大生!」

ブラックは悔しそうにブルーの髪を鷲掴みにする。「痛いっす」というブルーの間の抜けた声を聞いて余計歯がゆそうだ。
そのまま隊員達が部屋へと引き返そうとしたその時、

「ちょっと、ウチに何か用?」

廊下の向こうから歩いてくるその声の主の姿に、隊員達は目を奪われた。
すらりと伸びた細い手足、しなやかな体つき、凛とした口元、人形の様に整った目鼻立ちをした美女であった。
美人と言うのは本当にその周囲が光っているものなのだろうか、一同は彼女の歩く空間だけ、特殊に見えた。

「……こんな大勢集まって。何か変なもん売りつける気じゃないでしょうね?」
「い、いえ、違います」

やって来た女性が、警戒の眼差しで隊員達を眺めると、思わず「気をつけ」してグリーンは答えた。
吸い込まれそうな深い瞳。妙にドギマギした。

「じゃぁ一体何の用なのよ」
「あっ!……もしかして、シオン……さん?」

突然信じられないと言う顔で口元を押さえたのはピーターだった。
その目はどこか感動しているかのように潤んでいる。

「……そうだけど?」
「ピーター、知り合いですか?」
「知らないの。モデル。最近になって、雑誌とかによく出る様になった……」
「ホントですか!?」

グリーン含め男子一同は、女子隊員の方へ一斉に目をやった。
しかし、哀しいことにピーター以外の女子達は皆一様に目を逸らしていた。
特殊な女性ばかり集まってしまった事は、幸か、それとも不幸なのか。

「あの、この前のTeens-Jの特集すごく可愛かったです」
「あなた読者さん? どうもありがとう。これからも応援よろしくね」

シオンはさきほどまでの強い口調から一転、小鳥のさえずりの如く、柔らかく透き通った声音でピーターにお礼を述べた。
モデルらしからぬ可愛らしい笑顔に、一同はついつい見とれてしまう。隣のブルーなど口がぽかんと開いてしまっているではないか。

「ところで、結局用件がわかんないんだけど、もしかしてサイン?」
「あ、いや、違います。私達、今日からこっちの707号室に越してきた者で」
「ヤダー。お隣さんだったんですか?」

シオンはハッと口元に手をやり、恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「ごめんなさい、たまに変な人とかが来るから勘違いしちゃって」
「いっ、いえ、そんな!」

シオンはニッコリと微笑むと、恐縮しきりの隊員達に軽く頭を下げ、

「じゃ遅ればせながら、はじめまして。シオンです。モデルなんてやってますけど、スカウトで、まだ二ヶ月程度のド新人。
年上に見られがちですけど、まだ18歳で、あ、サバは読んでませんからね。本当に18ですから。証拠見ます?」

ブランド物の小さなバックに手を入れようとした彼女の仕草に、隊員達は一様に首を振って制止した。

「じゃぁ、よかった。私もここへ越してきてまだ日が浅いんですけど、私にわかることだったら何でも聞いてください」
「はい! 色々教えてください」

一際大きく声を張り上げたのは当然、ブラック兄貴だったが、シオンは声の本人がブルーだと思ったらしく、
クスッと笑って、小さなえくぼを見せた。ブルーも思わず顔を赤らめて、照れた様に鼻をかく。
背後から誰かの咳払いが聞こえたが、多分気のせいだろう。

「あの、せっかくだから、やっぱサインもらえますか。お隣のよしみと言うかなんと言うか」

オレンジが勇敢にも手をあげて、シオンにそう言い放った。隊員達の嫉妬と顰蹙の視線が一気に彼に注がれる。

「オレンジ、あなた何を言ってるんですか、そんな天下のモデルさんが、気安く我々なんかにサインなど」
「いえ、別に良いですよ」

シオンは嫌な素振り一つ見せずに、オレンジの無茶なお願いに快諾し、優しく手招きをしてくれた。
緊張で顔を赤らめながらオレンジが前に出ると、彼女はバッグからサインペンを取り出し、

「えっと、この頭上の銀のオブジェでいいですか?」
「背中にしてください」

彼女は、サラサラと慣れた手つきでオレンジの背中にサインを描いた。
雑誌モデルにしては明るく真面目な娘さんじゃないか。モデルなんてチャラチャラしてて、頭が悪くて、下品で、
金と男のことしか考えておらず、化粧を落とせばシミだらけで、いつも風邪っぴき、なんてグリーンが持っていたヒドイ偏見もいっぺんに吹っ飛ぶ。

「じゃぁ、これ。つまらないものですけど、よかったら」
「あっ。わざわざありがとうございます」

差し出したタオルも、まるで美しい花を貰った少女の如き笑みではないか。
後ろの仲村酒店を見てちょっと不思議そうな顔をしたが、セーフなようだし、一同はますます好感を持った。

「それじゃ、私これで失礼しますね」
「あっ、そ、そうですね。それじゃご近所同士、よろしくお願いします」
「はい~。今後ともよろしくお願いしますね」

ドアが閉まるその瞬間まで彼女はOFFレンジャーに手を振っていた。
なんとも気持ちが良い挨拶だったと男女問わず隊員達は思った。
明るく、ハキハキとした今まで出会ったことの無いタイプの女性。
これまでを思い返して見ると、いかに変で悪い男どもとばかり交流してきたことか。

「なんだか、新生活が楽しくなること間違いなしって気がしてくるね」
「何言ってんだよオレンジ」

その時、ブラックの見せた爽やかな笑顔を、隊員達はこれからも決して忘れはしないだろう。

「……すごく楽しくなること間違いなしだぜ!」























既に日も暮れ始め、空に夕やけ色のカーテンが掛かり始めている。
今日OFFレンジャーが越してきたこの「メゾンぐるてん」の外壁も赤く照らされていた。
その上ではカラスたちが誰かへ向けて、マヌケな鳴き声を挙げている。
と、カラスとは違う黒い物体がゆっくりと降下して行く。徐々にその姿がハッキリと捉えられる。
それには真っ黒な羽根が生えているが、カラスよりも大きく、そして邪悪な姿をしていた。

「…………」

“それ”はマンションの屋上のフェンスに音も無く止まった。
その影の中で輝く瞳は、獲物を探しているように、ギラギラと、そして鋭く光を放っていた。
そしてどうやら“それ”の新たな獲物は早くも決まった様であった。

マンションの側を歩く、ダンボールを抱えた灰色の少年。
彼を見て目を細めたのは、“それ”が微笑んだからなのか、それとも獲物に対する哀れみなのか。
漆黒の翼が開くと、“それ”は前のめりになったまま落ちて行った。

「クソッ、グリーンの奴。俺にタオル準備させといてこれだもんな……クソッまた俺ばっかり」

“それ”は徐々に少年へと近づく。彼の手の平から闇色の玉が生み出される。

「……あーあ。ホントに悪の組織入っちまおうかな~。割とマジで」

目と鼻の先にまで互いが近づいた時、“それ”は、少年に向ってその玉を、放った。

「っ!?」

周囲の人間が少年の異変に気が付いた時、既に少年は少年ではなくなっていた……。

──やっと、相応しい者を見つけた。

間も無く空から降りてくる暗黒へと急上昇しながら“それ”はニヤリと口元を緩めた。



















「もっと良い物食いたいなぁ……」

まだ調理器具の整理が終わっていなかったのもあって、
隊員達はせっかくの引越し初日の夕飯を“カップヌードルごはん”で過ごしていた。

「何言ってるんですか、あなた方がカップラーメンは嫌だ、連続で麺は嫌だと言うから、機転を利かせてこれにしたんですよ?」
「でもさぁ、味はカップヌードルまんまだよね」
「そこが粋なんでしょうが。いやはや、若輩者の私だけなんですかねぇ、この商品の心意気がわかるのは…」

グリーンはぷりぷりしながら、シーフド味のご飯を口に運びこれ見よがしに咀嚼して見せた。

「あぁ、美味しい。あぁ、凄い。さすが日清食品ですねぇ、いやはや発想が素晴らしい、トレビアン。
なんてったってカップヌードルをご飯にしちゃうんですもんねぇ。一体何食べたらこんなの思いつくのか、はァ~斬新!」
「やっぱラーメンも食いたくなってきた。確か“うまかっちゃん”あっただろ。袋麺の。俺にちょーだい」
「ブラック、まだ食べるんすか?」
「育ち盛りは腹が減るんだよ。パープル、お湯沸かして」
「もぉー……」

スプーンを置いてめんどくさそうに立ち上がるパープルがアルミ鍋でお湯を沸かすのを横目に、隊員達の談笑は続いていた。
食べ物はシンプルだが、こうしてご飯中にワイワイできるスパイスがあれば少しは楽しい。
つい口元が緩んでしまい、隣のピンクに怪訝な顔をされたが、それ自体も何だか久しぶりな気がする。

「ご飯終わったらどうしましょう? さすがに各々の部屋はありませんし、部屋割りを決めたほうが」
「自由で良いんじゃない? ザコ寝で」
「それいいっすね。色んな部屋で寝泊りできるのは結構面白いっすよ」
「ふーむ……」

グリーンはスプーンを口に咥え、黒目を上にやった。男女を分けずともなんとかなるだろうか。
いや、自然にその辺は隊員達で配慮してくれるだろうし……。とりあえずはそうしよう。と、スプーンを口から離そうとした瞬間……。

「うわあああああああああっ!!!!」
「たすけてえええええ!」

突如、外から聞こえてきた男女の悲鳴。そしてそれに混じって大勢の人達が逃げ惑う様な足音。
隊員達はちょうどその時ご飯を飲み込もうとして、咽てしまったブルーを除き、一斉に立ち上がった。

「火事かな」
「いえ、火事だったら既に火災報知機が鳴ってます。消防法とかで今時その辺はうるさいですから」
「さすが裏の管理人……」
「とりあえず、様子を見てみましょう」

グリーンは隊員達を引き連れて廊下を出、玄関のドアの前へと急ぐ。
レンズの向こうを覗くと何やら白い物が宙を舞っている様な光景が見えるが何かはわからない。
この部屋は端に位置し、階段やエレベーターから離れているから、人々が何の原因で騒いでいるのか全くつかめなかった。

「どう、何が見える?」

不安そうな隊員の声に、グリーンは険しい顔をして振り返った。

「……オレンジ、ちょっと見てきてもらえますか」
「なんでボク!?」
「レッド不在のため、暫定的に私が指揮権を取ります。いいですね」
「いや、それは良いけどなんでボク!?」

グリーンはコクリと頷くと、静かにチェーンとロックを外し、
「いや、なんで? だからなんで?」と言う勇敢なオレンジ隊員を扉の隙間からそっと出させた。
外のレンズを覗くと、周囲に謎の白い物体が舞う中、ドアを必死に叩くオレンジの姿が大きく写る。

「ちょっ、なんか変なのが! ヤバイ、これなんかヤバ……もがっ!」

途端、オレンジの顔に巨大な湿布の様なものがぺったりと張り付くのが見えた。
するとそれが合図だったかのように、周囲を漂っていたソレらは、彼の身体に次々とまとわりついて行く。

「もがっ!……んっ…………ん……!…………!!!!!」

オレンジは白い湿布らしき物に巻きつかれながらも、必死に抵抗を続けながらドアを叩いていたが、
とうとう彼は声すら発せられなくなり、雪だるまの如く丸々と白くなったその身体は、静かに後方へ倒れていった。

「どうやら、これはただの事件じゃないようです。皆さん、気をつけましょう!」

グリーンの言葉に次々と武器を取り出して隊員達は臨戦態勢を取る。オレンジと言う犠牲を無駄にしてはいけない。

「久しぶりの戦いです。人数は少ないですが、とりあえず皆さん無理はしないように」
「了解!」

ドアノブをひねってグリーンはゴクリと喉を鳴らす。隊長になるのも久しぶりだ。
上手く出来るだろうか、少し心配になる。しかし、新生OFFレンジャーとしてはここは無事白星を飾りたい。

「では行きます!」

ドアを開けて、グリーンが外へ飛び出していくと、隊員達もそれに次々と続き、廊下へと飛び出す。
まず目に入ったのは上から謎の白い物体がひらひらと階下へと落ちて行く光景。生き物ではないようだ。
足下には既に動かなくなった元オレンジが、何かの現代アートかのような様相を成して横たわっている。

「あっ、これ……タオルじゃない!?」

オレンジの側にしゃがみ込んでいたパープルが声をあげた。
よく見ると、確かにオレンジの身体に巻きついていたそれは安物の真っ白なタオルであった。
剥そうにも、まるで包帯の様にキツく巻きつけているかのごとく、接着剤か何かで貼り付けてあるかのように、びくともしない。

「キャーーーッ!!!」

真下から声がして、グリーンが下にある駐車場に目をやった。
そこには、既にオレンジ同様にタオルだるまになったいくつかの犠牲者と、住人と思われる女性がタオルから逃げ惑っている光景だった。

「みなさん、急ぎましょう!」

グリーンは腕の携帯型PCを皆に向けると、すぐさま一同は携帯型PCによる転送装置で一階駐車場へと移動した。
しかし女性の姿は既に無く、まだかすかにもがいているタオルだるまが側に転がっているだけであった。

「一体だれがこんな事を……」
「フフフ……貴様らもコイツらと同じようにしてやろうか」

駐車場の奥から現れたのは、全身にタオルを巻きつけたミイラのような猫であった。
真っ赤に光る三白眼、そして額にはコウモリの翼をモチーフにしたような模様。どうやら騒ぎの原因はコイツらしい。

「だっ、誰ですかあなたはっ!」
「フフフ……俺はお前達の代わりに、ここの住人どもにタオルを配ってやっているだけだが?」
「なんですとっ!?」

いきなり相手から予想外の発言をされたため、グリーンは思わず素っ頓狂な声をあげた。
引越し業者の独創的なサービスか?と言う思いが一瞬脳裏を過ぎる。が、現状を鑑みれば、そんなわけがなかった。
と言うか、そもそもタオルはこちらで用意したはず。確かグリーンが事前に誰かに頼んで……確かあれは……
いや、待て。ということは、ということは……

「ま、まさかこれ全部、ウチで発注したタオルじゃないでしょーねっ!!」
「フッ……だったらどうする」
「こ、これだけ頼むのに私がわざわざポケットマネーで支払ったというのに……っ! どれだけ私が…くっ!! 私のお金っ!!」

グリーンは何故か涙ぐんでいる表情で、キッと後ろの隊員達に目をやると、

「みなさん、構うことありません、私の想いを踏みにじったこの無法者を取っちめてやりましょう! 行きますよ!!」

と、隊員達の了解を聞かないまま一人でタオル男に突進して行った。慌てて隊員も追う。
一方、対するタオル男は悪者特有の含み笑いをしたかと思うと、両腕を前方に伸ばし、掌から次々と身体からタオルを発射していった。

「その手には乗りませんよっ!」

先頭を切るグリーンは、上手い具合にそれらをかわし、次々とレーザーで打ち抜いて行く。
続く隊員達もグリーンのおこぼれを悠々と対処する。しかし、こんな状況でもタオル男は余裕の笑みを浮かべたまま腕を組んでいる。

「……フフ、頭上に注意しな」
「えっ!?」

上に目をやる間も無く、グリーンの姿は突如空から降ってきたタオル豪雨にかき消された。
慌ててそこへ突っ込みそうになる隊員が停止するが、気づいた時には前方に特大のタオルだるまがそこに鎮座しているばかりであった。

「グリーン!!」
「フハハハハ! 誰も俺を止めることなど出来ない! くだらん引越しの慣習ごときに振り回される人間どもをこの俺様が根絶やしにしてやる!」

タオル男はでっかく口を開けて、高笑いをする。大層くだらない理由だが、かと言って悪事には変わり無い。
隊員達はぐっと手にした武器を握り締めた。グリーンとオレンジの弔い合戦(?)だ。副隊長のブルーがすっと前に出る。

「フフフ、さぁ来い! 全員俺様のタオルの餌食にしてやる」
「俺たちOFFレンジャーを舐めてもらっちゃ困るっすよ……!」

ブルーが走り出す。隊員もそれに続く。相変わらず余裕のタオル男。すっと手を前に伸ばす。
身体からしゅるりとタオルが剥がれ始める。来る……! そう思ったときだ。

パンッ──!

突然の破裂音にタオル男の身体が大きく揺らいだ。

「誰だあああああ!!!」

それが銃声だとわかったのは、タオル男がマンションの方をにらみつけた際に見えた、眉間の黒い弾痕であった。

「よくも俺のタオルに傷をつけたなああああああ!!!!!」

ぶ厚いタオルに阻まれて、銃弾は途中で止まったせいか、本体は無傷であったようだが、見事に致命的な部分に撃ち込んでいた。
一体誰が? 隊員らが目をやった時は既に遅く、屋上の上でタオルの大群が降り注いでいるのが見えるばかりだった。
タオル男の意識は完全に屋上の方へと向いていた。謎の狙撃手に対する怒りで完全にこちらの事を忘れているようだ。

「(今しかない……!)」

ブルーはBOXを取り出すと、一気にタオル男に向って突っ走る。
男はまだ気づかない。タオルと言えば、タオルと言えば……!

「出でよ、大浴場!」

ブルーがBOXを地面に投げつけると、一気に白煙が周囲に広がった。そしてそれは徐々に暖かさを帯びる湯気へと変化する。
あっという間に駐車場は、泡の出る設備を整えた大浴場に早変わり。既に入浴中のおじいちゃんまでいて、女子は慌てて目を背ける。

「あっ、こんな所にお風呂がある!」
「粋だ!」

外は人通りが多いだけあって、フェンスの向こうから突如現れた都会の大浴場に野次馬が一斉に集まる。

「どうぞ皆さん入ってってください。今日一日限定。無料っすよー!」
「最近、リウマチに悩んでたんだよなあ!」
「ちょっと入っていこうか」

さすがにお風呂に弱い日本人だけあって、次々に風呂場には人が並び始める。
一応混浴にも関わらず、この機を逃す手は無いとばかりにおばちゃんや家族連れまで現れる。

「タオルはあちらからどうぞ。あっちも無料っす」

ブルーの言葉に客は次々に周囲に散らばるダルマから、熱でふやけ、柔らかくなったタオルを剥し始める。
そして見る見るうちに人々は救出。そして残されたタオル男も徐々にそのシルエットが痩せ始めてきた。
グリーンも無事助け出されたが、タオルの中にいたせいで相当暑かったらしく、全身汗だくになっていた。

「や、やめろ! やめろおおおお!」

苦悩しているタオル男を前にしても、今から入浴できる嬉しさに顔をほころばせてタオルをひっぺがす人々。
彼は何度も遠くにいたタオルを召還して防いでいたが、とうとう、中にいる正体が露わになってきた。灰色の腕。足、顔……。

「あぁーっ!」

タオル男の中にいたのは、今まですっかり忘れていた我らが仲間の……ぐ、ぐれ……グレー! そう、グレー隊員だった。
何故グレーがあんな事を。隊員達がそう思ったのもつかの間、彼の体から最後のタオルが引き剥がされる。
すると、額にあった妙な模様がスーッと消え失せ、そのまま彼は、崩れるようにぺちゃんと地面に座り込んでしまった。

「あなた、グレーじゃないですか!」
「ほ、ほえええ……?」
「ほえ~じゃないでしょうっ!」

間の抜けた顔で力なく顔をあげるグレーに、グリーンは噛付かんばかりの勢いで迫った。

「何やってたんですかあなた! よくも私の血肉の結晶であったタオルにあんなことを!」
「お、俺……グリーンから頼まれてたタオル届いたから、持って行こうとして……そしたら急になんか……」
「なんで私が頼んだタオルをあなたが持ってるんですか! 言い訳するにもほどがありますよ!」
「俺のマイミクにタオル工場の社長がいるって言ったら、じゃぁ発注してくれって、グリーンが、メールで……」

グリーンの顔が突然固まった。隊員達の冷ややかな視線が背中にチクチク刺さるのは、振り返らずとも判った。
徐々に事の真相を思い出してきたグリーンは、「もぉ~!」とわざとらしいリアクションをして、

「そうでしたそうでした。いやぁ、グレーの人脈は無駄に広いですからねぇ、そうそう。マイミクにいらっしゃってね。
いやぁ~、なるほど。私としたことが、すみませんねぇ。グレーから連絡無いから、まったくー!」
「っていうか。今日、俺連絡貰ってなかったよね……オレンジから、メール来て、慌ててさ……」
「それはジョークですジョーク。ライトジョーク! タオルと共にグレー登場って言うサプライズ&サプライズなんですよ!」

そう言ってわざとらしくグレーの背中をポンと叩くと、グリーンはクルリと隊員達の方へと笑顔を向けた。

「まぁ、何はともあれ、事件も無事解決したってことで、良しとしましょう。ねっ!」
「でも、まだグレーがあんなになった原因が……」
「あぁーっ!!」

突如パープルが大声をあげたので、隊員はおろか入浴中のオジサンまでもが好奇の目で彼女を見つめた。

「どうかしたんすか!?」
「お鍋、コンロにかけっぱなしだった!」

彼女の言葉に、グリーンの表情がサッと青ざめた。引越し早々ボヤ騒ぎなんて縁起でも無い。

「総員すぐさまきかああああああああん!」

隊長代理の掛け声で、一同は慌ててマンションへと駆け出していった。






















「あっ、みなさん大丈夫でした?」

7階に上がると、ドアの前に心配そうな顔をしていたシオンの姿があった。
さっきの出来事に怯えていたらしく、彼女は枕を抱えたまま出て来ていた。

「ええ、なんとか。大した出来事じゃなかったみたいで」

とりあえずパープルが部屋の中に駆け込み、コンロの様子が大したこと無かった事を確認すると、
一同はホッと息を付き、怪訝な顔をしているシオンに作り笑顔を見せた。

「……そうですかぁ。なら良いんですけど。なんか、出てきたら駐車場にお風呂が出来てるし」
「今日限定らしいですけどね」

シオンは不思議そうに首をかしげていたが、説明するのも面倒なのであえてそのままにしておいた。

「普段は静かで、こんな事ないんですけどねぇ……? 何があったんだろう?」
「でもまぁ、多分二度目は起こらないと思いますよ。案外ショボイのが犯人だったみたいで」
「えー、そうなんですかぁ?」
「解決したからもう安心ですよ。ええ」

そうは言っても女性の一人暮らし。心配なのには変わり無いのだろう。
彼女は腕の中の枕をぎゅっと抱きしめながら今にも泣きそうな表情を見せる。

「あの、もし今日不安だったらシオンさんも……一人だと、やっぱり色々と心配だろうし……」

その守ってあげたい様な彼女の切ない横顔に、ブラックの唇が動いた。
身体は小さくとも心は一人前の男のつもり。下心だってほとんど無い。珍しく頬が赤いが。

「ちょうど良かった!」
「えっ、シオンさんも同じ事を?」

パッと表情を明るくしたシオンに、ブラックは思わず身を乗り出し、ブルーの視界を奪う。
しかし、シオンはそんなブラックを通り過ぎ、廊下の向こうへと走っていった。

「どこ行ってたの? 遅かったじゃない」

一同はシオンの方に視線を向けた。彼女の側に立っていたのは、ニット帽を目深に被った中学生ぐらいのグレーの少年。
目のパッチリとした姉と比べ、弟の方は目付が悪くどこか無愛想、緑色の瞳もどこか鋭さを感じる。
彼の第一印象は、誰がどう見たところで、不良少年のそれであった。

「あ、そうだ。皆さんにも紹介しますね! 私の弟、ティオです」

挿絵

「あ、弟さん……いたんですか……」
「ええ。二人暮らしなんです」
「そう……ですか……」

せっかくのチャンスをふいにしたせいか、ブラックの声はトーンが3段階くらい落ちていた。
そんな彼は放っておいて、隊員達はティオに向って挨拶をする。が、彼は睨みつけるようにじっと隊員達を見ていた。
どうやら、見た目同様に中身はアウトロー真っ最中のようで、彼の瞳は『他人なんか信用しねえ』精神を剥き出しにしていた。

「こら、せっかくこれからお隣さんで一緒に生活していくんだから挨拶しなきゃダメでしょ?」
「…………」

ティオは姉にそう言われるなり、突然彼女の手を振りほどき、ドアを開けてさっさと部屋の中へと入っていった。

「ごめんなさい。弟、いま反抗期で。本当に、皆さんに失礼なことを……」

困ったと言う顔でシオンは頭を下げる。丁寧な姉の対応に隊員も先ほどのムッとした気持ちが和らいでいく。

「本当に、学校にも行かないで外でブラブラ、苦労が多くて……私のせいもあるのかもしれないんですけど」
「いえいえ、お姉さんの優しさにきっと彼もすぐに落ち着くようになりますよ」
「だと良いんですけど……。もし弟が何かご迷惑かけるようなことがあったら遠慮なく叱ってやってくださいね」
「お任せ下さい!」

拳を握って、ブラックは頷いて見せた。

「じゃぁ、私はこれで。弟に夕飯作ってあげないといけませんから、失礼しますね」

シオンは何度も頭を下げながら部屋の中へと入っていった。良く出来た姉なのに弟は不良。
なんとも可哀相な境遇ではないか。男たちの心に、ますます彼女への同情心があふれ出した。

「では、そろそろ暗くなってきましたし、我々も部屋に入りましょうか」
「そうっすね。後で風呂でも行きましょっか?」
「アタシは行かないけどね」

ワイワイと部屋に戻ろうとする隊員達。ちょうど反対のお隣さんである少年も帰宅したらしくバッタリと出くわす。
サングラスにマスク。今度はコートを着ているが、相変わらず怪しさ満点なのはどうしたものか。

「あ、こんばんはー」

隊員からの声にお隣さんはビクッとしてこちらを見た。

「大丈夫でした? さっきの騒ぎ」
「あ……は……はい……大丈夫……でした」
「お若そうですけど、高校生ですか?」
「えっ……!?」

またも彼はビクリとしてその動きが固まった。

「は、はい……まぁ……一応……その」
「大変でしょう。高校生で一人暮らしじゃ」
「……ええ、まぁ、田舎、から、出てきたんで……」
「よかったら、近々晩御飯でも一緒にどうですか?」

そう言うと彼はますますオドオドとしながら、見るからに動揺の素振りを見せていた。

「遠慮しなくても良いですよ。歳も近い者同士、色々と……」
「……い、いや、で、でも、大丈夫ですからっ」

少年はそう言って、グリーンの言葉を遮って慌しく部屋の中へと入って行った。
ずいぶん内気で引っ込み思案な性格らしい。あまり関わってあげないほうが良いのだろうか。そんな考えがふと頭を過ぎる。

「なんか変な奴っすね」
「一人暮らしだもん。きっと頼れる人もいなくて寂しいと思うよ」
「また今度声かけてみようか?」

なんとなく母性本能の様な物を感じるのか、妙に女子隊員達から同情の声があがる。
今度、是非晩御飯に誘ってあげよう。そんな意見がまとまりつつある中で、ブラックは一人つまらなさそうに呟くのだった。

「……どうせならシオンさん呼べっつーの」
















広いお風呂も終わってすっきりさっぱり。初めての新本部で過ごす夜は、新鮮な時間が流れていた。
髪を乾かす隊員、テレビを見て笑い転げる隊員、本を読む隊員、うたた寝している隊員。
久々なのも手伝って、前の本部と何も変わらない夜の過ごし方なのに、なんだかとっても楽しく感じる。

「ピーター、何やってるの?」

パープルがバスタオルで頭を拭きながら、なにやら隊員らが集まって賑やかなテーブルに向った。
そこではグリーンやブルーら男子も集まって、ピーターが机の上に広げた雑誌を眺めていた。

「雑誌?」
「うん。ホラ、今月の雑誌。風水特集やってるから」
「風水? えー、結果どう?」
「待って待って。今、見てる所だから」

ピーターは、恐らくこの部屋の方位やら何やらを書き出したメモを手にページを捲っていく。
まだ乾ききってない頭にタオルを被ったまま、パープルも興味津々にピーターの横に座って覗き込む。

「仕事運は好調。仕事には不自由しません」
「とは言ってもみんな学生ですけどね」
「恋愛運は……あ、普通だ」

次々に運勢を言っていくピーター、まとめて見ても別に可も無く不可も無くといった所だ。
しかし、突然総合評価の部分になると、ふとピーターの口が止まった。

「どうしました? まさか不吉な部屋なんじゃないでしょうね」
「ううん……そういうわけじゃないんだけど」
「早く言ってくださいっすよー」
「うーんとね……この部屋の玄関の方位がちょっと良くないらしいんだ」

隊員達にえぇ~っと言う顔が広がる。よりにもよってどうしようも無い部分ではないか。

「病気になるとかそんな奴ですか?」
「んーと、近場の邪気を招き入れやすいんだって」
「近場?」
「“ご近所トラブルの危険があるかも”って書いてる」
「ご近所トラブルっすか……隣の高校生とか暗そうだし、下手すりゃ犯罪起こしそうっすもんね……」

ブルーの言葉に、隊員達の空気が張り詰める。

「突然、部屋に入ってきたと思ったらぶっ殺してやる!とか言いながら包丁振り回して……」
「そんな事言うもんじゃないですよ。ブルー」
「そーよそーよ。年がら年中マンガばっか読んでるアンタの方はどーなのよ」

ホワイトの発言にブルーもぐっと言葉を詰まらせる。
言い返そうにも相手が相手なので「マンガ読むのとは関係ないっすよ……」と独り言の様に呟くのが関の山だ。

「まぁまぁ。大人しくて気弱そうな人だから、どうこうって言うのは偏見だよ偏見!」
















「クソッ、あの野郎……ぶっ殺してやる!!!」

隣の706号室。
わなわなと怒りに震えながら、床に布袋を叩きつけたのは、紛れも無く例の少年であった。
蝋燭の明かりだけがぼんやりと周囲を照らす中に、数多くの黒く鈍い光りを放った品が並べられている。

「よりにもよって、こんなに早くっ……!!」

少年は頭を抱えながら地面に崩れ落ちると、床の上の布を睨み付けた。
そこには布に包まれている真っ黒な筒状の物が見えた。そしてそれも部屋に並べられている物達と共に鈍い光を放っている。

「いや、大丈夫だ。大丈夫。メンテナンスさえすれば……!」

少年は立ち上がると、暗闇の中でコートを脱ぎ、マスクとサングラスを取った。
そしてそのままポケットに入れていた物を手にして、顔や耳を覆う。息が荒くなっているのが自分でもわかっていた。
無理も無い。自分の愛機がこうも簡単に使い物にならなくなってしまったのだ。そう簡単に怒りは収まらない。

「大丈夫だ。大丈夫……」

少年は、布からその筒を掴み引き上げた。昔から愛用していたM40A1スナイパーライフル。
なかなか入手できない故に実績を認められた者のみに与えられる自慢の愛機であった。組織の仲間からも羨ましがられたものだった。
それがこうも簡単に、あんなタオルのせいで曲がってしまうなんて。信じられなかった。信じたくなかった。
タオルに襲われてカチンと来たために、屋上から指揮権のある人物を狙撃したは良い物の、集中攻撃を受けるとは。

「大丈夫だ……そんな軟な代物じゃぁない……!」

彼はいつもの様にそれを構え、銃身を壁へと向ける。そこには白地に赤い円が的として用いられていた。
少し派手な的ではあるが、見様によっては非常に有名なとある旗のようにも見える。
見慣れた的へと標準を定める。いつもと手の感覚が違う。いや、手にした時点で既に彼はわかっていた。…歪んでいる!

「……ダメだ。完全に、使い物にっ……! クソッ! クソッ!!」

かつての愛機を壁に投げつけると、側に立てかけてあった他の銃器がパラパラと音を立てて倒れていく。
どれも日々メンテナンスを欠かさない自慢の愛機達である。しかし、彼自身、そんな事に気づくほどの理性は保っていなかった。

「☆@▼#%◇*……!!!!」

少年は怒りで狂ったように叫んだ。彼が発している言葉は、日本の言葉ではなかった。
既に彼は、日本人に成りすます事を忘れ、我をも忘れ、迂闊にも母国の言葉で怒りを叫んでいたのである。

「ハァッ……ハァッ……」

散々周囲の物を蹴散らした後、彼は地面に伏せった。自分の不甲斐なさに腹が立つ。
そして何と言っても、腹が立つのは……。

「この俺が……革命戦士のこの俺が、日本人なんぞに、愛機を破壊されるとはっ……一生の不覚……!」

彼は顔を挙げた。怒りのその形相は、まるでどこかの軍隊かのように緑や茶色の絵具で彩られていた。

「……我らが長。ジュノは、ジュノは、革命戦士の何において、憎きこの国を、必ず制圧し、我らの物としてみせます……!」

彼は立ち上がると、ナイフを取り出し、壁に貼られた白と赤の旗を真っ二つに引き裂いた。

「ククク……日本人ども……せいぜい、呑気に暮らしているが良い……俺達が本気を出せばお前達など……!!」

少年のその瞳は、怒りと、憎しみ、そして、使命感に燃え、赤々と怪しく輝いていた。
















「いやいやいや、案外あぁ言う大人しい人の方が怖いんすよ。腹に何抱えてるかわかったもんじゃ」

完全にバカにした口調でヘラヘラと言い放つブルーに女子達は早くもうんざりし始めていた。

「もういいってその話は」
「正義の味方のくせに、犯罪を望んじゃってちゃダメだよね~」
「お隣のシオンさんこそ、どうなのよ」
「そーそー」

ブルーの頭上のブラックが明らかにムッとした顔で女子達を見た。
彼は完全に彼女のファンとなってしまっていたようだった。

「シオンさんは、良い人に決まってんだろ。弟の方がヤバイんじゃねーの!?」
「わかんないよ。美人は性格が悪いって言うしね」
「モデルさんだしねー。しかも雑誌とか出てるしねー。悪女のスリーカードが揃ってるよねー」
「おいおい、いくら彼女が美人だからって嫉妬するなよな!」
「今頃、アグラかいてハナクソほじってるかも」
「シオンさんはんなことしねえ」

珍しく熱を入れるブラックは怒鳴りながら前のめりになったが、今度は前にいきすぎたらしく、
ブルーの頭からするりと転落し、テーブルの上に顔面から着地した。

「ぶ、ブラック、大丈夫!?」
「……じ」
「じ?」
「ジオンざんば、ぞんなごどじねえ~!!」

鼻血を垂らしながらそう叫んだブラックの姿に、女子達はこれ以上何も言えなかった。

















ブラックから擁護を受けているとは露ほども知らないシオンが住む708号室。
彼女はアグラもかかず、ハナクソもほじらず、ソファでハーブティーを飲みながらテレビを観賞していた。
ティーカップを置くと、そのまま隣のクッキーに手を伸ばし、一口齧る。

「ティオ~。ちょっと来てもらえるー?」

開け放たれたリビングのドアの向こうへと弟を呼ぶシオン。
しかし、誰かがこちらへやって来る足音どころか、気配すら無い。

「ティオ~! ねぇ、ちょっと来てってばー!」

少し大きめに呼んでみるが、元来の甘い声が邪魔をして、迫力が無いせいか弟は相変わらずやって来ない。
彼女は溜息を付いて、ソファに身体を深く沈め、ポツリと呟く。

「……5秒前、4、3……」

途端、廊下の方からバタバタと駆け足で部屋に飛び込んできたのは、弟のティオだった。
猛スピードで走ったせいか、肩で息をしつつ、全身汗びっしょりだ。

「遅い!」

ぷりぷりと怒りながら姉は再びクッキーを手に取り、口に入れた。そんな最中の壁に片手を付いて、ぜぇぜぇと息を整えている。
シオンは、そんな弟をよそに、クッキーの乗った皿を不満そうに彼に突き出した。

「これ、おいしくない」
「え……」
「なんかおいしくないの!」

怒鳴る姉に、怯えながらティオはおずおずと姉の差し出したクッキーを手に取り、食べてみた。
噛んでいる間も、彼は上目遣いにシオンの様子を窺い続けていた。唇をへの字に曲げて明らかに不機嫌であった。

「……さ……砂糖、少なかった、かな……」

こわごわティオが切り出すと、姉の眉は急激に角度が付き始め、

「そんなの私にわかるわけないでしょ! おいしくないからおいしくないって言ってんの!」
「そ、そんなこと、言ったって……ボク、今日は、ちょっと、疲れてて……」
「……あっそ。疲れてたら、お姉さまにマズいクッキー出しても良いっての」

シオンは皿を脇の机に叩きつける様に置き、腕を組んで弟を睨み付けた。

「せっかく楽しくテレビ見てたのに。あんたのせいでもう台無し。謝ってちょーだい」
「ご、ごめんなさい……」

頭を下げる弟だったが、シオンは首を横に振り、

「心が篭ってない」
「……ね、ねーさま、本当にごめんなさい……」

深々と頭を下げたティオを見て、ようやく姉も渋々と頷いた。

「まぁ、クッキーの件はもういいわ」
「う、うん……」

ホッとしかけたティオだったが、姉の眉の角度が依然として急斜面を保ったままである事に気づき、
何を言い出されるのか、不安でビクビクとしながらその目を伏せた。

「ところで、今日のアンタは一体何なの」
「……ご、ごめんなさい……」

一応謝まってみたものの、シオンはキッとティオを鋭い目で睨んだ。

「まず、お隣さんに会った時。私がフォローしたから良いものの、少しは不良っぽく反抗ぐらいしなさい」
「だ、だって……人がいっぱいいたから……こ、怖くて……」
「だからアンタはダメだって言ってんでしょ!!」

シオンはそう言って、脇に置いていた枕を思いっきりティオに投げつけた。
後ろへ避ければ良いのに、わざわざ当たる方へ逃げてしまったため彼の顔には枕がモロにヒットする。

「今度また誰かに会ったら、手のつけられないくらいって感じに悪ぶっておくのよ。いーい?」
「そ、そんなこと、ボクに、出来ないよ……」
「出来なくてどーすんのよ! アンタ、自分が誰だかちゃんと理解してんの!?」

ソファから立ち上がって余計に怒鳴る姉の姿に、弟は完全に萎縮してしまったらしく、とうとう頭を抱え、その場にうずくまった。
その光景に、姉自身すっかりあきれ返ってしまったようで、深い溜息を付きながら、ぼふんとソファに腰を下ろした。

「今日のあれだって。何なの。タオルって。何? あっさりやられちゃってんじゃないの」
「い……いいのが……いなくて……」
「で? よりによってあれなの? え? アンタ、本当にまじめに探したわけ? 朝から探してあれなの?」
「そ、それは……」
「お隣さんにさぁ、『大したのじゃなかった』『ショボイ』とか言われたんだけど。もう、私どんな顔して良いの?みたいな。ねぇ!」
「…………」
「黙ってどうすんのよ! 男だったらなんか言い返してみなさいよ!」
「だ、だって。ねーさまが、いきなり、探せって、言うから……」

うずくまったまま、ぷるぷると震えている弟。その目には、とうとう涙が貯まっていた。
しかし、それを見て姉がますます怒ると言う事も判っているようで、終いには壁の方へ背を向けて泣き出してしまった。

「だぁぁぁぁぁーーーっ!! 泣くんじゃないのっ!! ホントにもぉ~! イライラするぅぅぅぅ!!!!」

シオンは立ち上がって、弟の手を引っ張ると、部屋の隅に建てられた全身鏡へと連れて行く。
涙と鼻水で、見るも無残な顔になっている弟の顔を、彼女は軽くはたいて、鏡の方へ彼を向けた。

「アンタが生まれたとき、それはそれは邪悪な顔つきで、パパもママも大いに喜んだのよ。
それが、まぁ、どうしてこんなに意気地の無い弱虫になったのかしら。目付も穏やかになっちゃってさ」
「しっ、知らないよっ……そっ、そんなの……っ」
「だからこそ治さないと、ダメでしょっ!」

シオンは、そう言って弟のニット帽を取った。青い髪が露わになるが、彼女はそれさえ取り外す。カツラだった。
そうしてごく普通の頭が現れるが、彼の額には、通常の人間には無い印が付いていた。
コウモリの形をかたどった毒々しいほどの赤い紋章が、怪しい光を放っている。

「現に。こうして、アンタは紋章を消すほどの魔力だって持ってないわけでしょ?」
「……そ、それは……」
「私は、自由自在だからねっ」

シオンは髪を上げて、額を露わにした。まるでマジックのように弟と同じ模様が付いたり消えたりを繰り返す。

「ホラ、いつもの姿に戻ってみなさいよ」
「……え……」
「えーじゃない! 早く!」
「わ、わかったよ……」

ティオは、相変わらずビクついた目でチラと鏡を見た。そのまま目を閉じる。紫色のオーラが彼の身体を包む。
その途端、彼の頭上から金色の角が生える。漆黒の翼がゆっくりと背中から広がっていく。
手足を闇色をした毛並みが覆い始め、その中から真っ赤な爪が顔を覗かせ……。

「……よし。じゃぁ、鏡見なさい」

彼は変わり果てた自分を映す鏡をじっと見つめた。角に翼にキバ、おまけにとんがった尻尾。
ティオのその姿は、一般的に「悪魔」と呼ばれるものであった。一般的なイメージと相反して、若干情け無い顔をしてはいるが。

「アンタ、この姿見てどう思う? 立派な悪魔じゃない? 私が見たって惚れ惚れするくらいちゃんとした悪魔の姿なわけよ」
「……う、うん……」
「しかも、アンタは普通の悪魔じゃないのよ? 雑な仕事してるアイツらとは違うのよ? 魔界の王の息子よ息子。王子よ?」
「わ……判ってるよ……」
「アンタは今年からその王子になるために、人間界を悪や哀しみでいっぱいにしなきゃダメなわけでしょ? なのに、
ビクビクオドオドしてるばっかりでまったくダメ。じいやが嘆くはずだわ。私だって本当なら人間界なんて来なくてもよかったんだからね」
「えっ…ね、ねーさま、あの時、自分も、人間界に行きたいって……」
「今はあんたの話してんでしょ!……これ見なさい」

シオンはどこからか小さな卵状のカプセルを取り出し、鏡に映して見せた。
それには黒い翼が生え、下部には彼の額と同じ模様が付いており、さらにその下には何かのメーターらしき画面がはめ込まれていた。

「デビルカプセルさぁ、これ一ミリも進んで無いの。これいっぱいにしなきゃ魔界に帰れないのよね。わかってる?
これを! 人間の心に悪の種が! 現れたときに! 取り憑かせて! 悪魔化させて! 悪のエナジーを! 溜め込まないと! ダメなのよっ!」
「…………」
「アンタ、ずーっとこの人間界にいる気? みんなにダメ王子ってあんだけ言われたのが、さらに倍言われるのよ!?」
「…………」

ただただうな垂れている悪魔姿の弟に、情けなさが頂点に達したらしくシオンまでその瞳が潤み始めた。

「これじゃ、これじゃぁ、私、パパに、顔向けできないじゃない……アンタが、王になるの、ぱ、パパの、願いだったんだからっ……」
「ね、ねーさま……」

鏡の中で、とうとうポロポロと涙を零し始めた姉の姿に、ティオは困り果ててオロオロするばかり。
彼の見かけは恐ろしい悪魔だと言うのに、端から見ればなんとも情け無い姿であった。

「ご、ごめんなさい。ねーさま……泣かないで」
「あの時、私、パパと約束したんだからねっ……もう、アンタしかいないんだからねっ……」
「ご、ごめんよ……ぼ、ボク、魔界のために、頑張るから……ねーさまぁ……」
「ほ、ホントに……?」
「う、うん……ぼ、ボクだって、立派な、悪魔に、なりたい、から……」
「悪のエナジー集め……頑張ってくれる?」
「う、うん……こ、今晩も、パトロール、してみる、から……」

シオンはさっと顔を覆っていた手を離すと、そのままキッチンの方をビシッと指差した。

「じゃ、それまでにクッキー作りなおして」
「えっ……」
「料理できるのあんただけでしょ。当たり前じゃない」

目を点にしたティオに、シオンは冷ややかな視線を送った。

「で、でも、もう材料無いよ……」
「買いに行けばいいじゃない」
「チーズケーキじゃ……ダメ……?」
「今日はクッキーが食べたいの。今日の紅茶にはクッキーが一番合うから」

シオンはクッキーの皿を手に取り、そのままティオに手渡した。

「クッキー美味しく作ってから、悪の種を持つ人間探してちょうだいね」
「……ね、ねーさま……」
「悪のエナジー集めるまで家に入れないから」
「そ、そんな……」
「アンタさっき、エナジー集め頑張るって言ったわよね? 言ったはずよね?」
「…………」

こうして不良に見えて気弱な弟ティオは、悪魔でありながら、すごすごとクッキーの材料を買いに行くため、
既にテレビに視線を向けている姉の手前、溜息一つつけないまま、一人コンビニに向うのであった……。















何気ないように思えて、両端になにやら不穏な影が蠢いている707号室。
そんな事に隊員達は気づく事のないまま、新本部の最初の一日は更けて行ったのだった。