第115話

『友達は悪魔!?』

(挿絵:ピンク隊員)

「そっ、そんなの無理だよっ……!」

出掛けようとする姉の後姿に、自分が出せる精一杯の声でティオが叫んだ。

「ぼっ、ボク困るよ……ねーさまも一緒にいてよ……」
「だーかーらぁー、今日は撮影があるんだから無理だっつってんでしょ」

大汗をかきながらオドオド状態の弟の姿に、姉シオンが振り向くと、
彼女は面倒そうな顔で、真っ赤なリボンで両サイドを縛った長い髪の毛をかきあげた。

「私だって雑誌モデルの仕事、別に遊びであってるわけじゃないんだから。お金も稼がなきゃいけないし、
それに人間達の生活習慣も調べなきゃいけないし、その合間に悪の種を持つ人間だって私は私で探す必要があるでしょ」
「で、でも……」
「別に怪物が来る訳でもないじゃない。私達と同じ魔界の者なんだからむしろ人間が来るよりかは安心でしょ?」
「で、でも……ボク、無理だよ……ねーさま、お、お願い……今日、仕事休んでよ……」
「……あんたねぇ」

挿絵


眉間に皺を寄せ、明らかに機嫌が悪くなった姉の姿に、ティオは目を逸らし、ビクビクと小動物の様に身体を震わせた。

「元はと言えば、人間界に来て早数ヶ月経つってのにあんたが少しも悪のエナジーを集めていないから、
じいやがわざわざ私達のために気を回して、こういう事になったんでしょ? あんたがちゃんとしてれば、ハナから助っ人なんてよこさない訳」
「そ、れは……」
「むしろ、エナジー集めに協力してくれるんだから大助かりじゃない。まぁ、どんなのが来るかは知らないけど……
じいやの事だから、気弱なあんたが魔界の王に相応しくなれるよう、ビシビシ教育してくれるようなのかもね。ディチェルト族とか」
「そんな……」

魔物の中でも一際体育会系かつスパルタで名高い種族の名前を聞き、ティオは足が震えた。彼にとって一番苦手なタイプであった。
しかし、そんな弟の怯えた様子を意に介さず、シオンは腕に巻いた時計に目をやると、

「いけない。こんな時間。んじゃ、何時になるか判んないけど、来たらちゃんと部屋に入れて、しっかり応対してあげんのよ」
「ね、ねーさま、待ってよ……!」
「言っとくけど、居留守なんて使ったらタダじゃ置かないからね。……じゃ、行ってきまーす♪ 夕方くらいには帰るから!」

魔物ですら裸足で逃げ出す凄みのある表情から一転、彼女は外出用のとびきりキュートな笑顔を見せ、さっさと部屋を出て行った。
重々しく閉ざされたドアを前に、全身汗でびっしょり濡れたティオは、へなへなとその場にへたり込む。

「……ど、ど、どうしよう……」

話は本日の早朝に遡る。備え付けの魔界直通電話に、彼女達の面倒を見ていたじいやからコールが入った。
内容は、人間界の悪の心でいっぱいにすると言う彼らの使命の停滞振りが心配で、寝ることも出来ないということ、
そして、一刻も早く二人が魔界に帰って来られるように、助っ人を今日そちらに送り込むことになったということだった。

「どうしよう……どうしよう……」

しかし問題なのは、ティオが魔界の王の息子(すなわち王子)でありながら、極度の人見知りであり、対人恐怖症ということだった。
知らない人が来て、それを一人で相手しなければならない。そんな事は彼にとって並大抵の事ではなかった。
万が一、自分の苦手なタイプが来るかもしれないとなれば、悪魔の心臓といえ、落ち着いてなどいられない。

「どうしよう……」

しかし、刻一刻と時間は過ぎ去っていく。時計が彼を追い詰めるように、部屋全体に大きく響き渡る。
そんな中、彼に出来る事は“怖いのが来ませんように”神にそう祈る事だけであった。……一応、彼は悪魔なのだけれど。
















「みんな、あぁ言うけど、やっぱり焦げ臭いよ。この辺」
「近隣に工場とかがあるわけじゃないですし、一体なんなんでしょうねぇ」

外の廊下の壁にもたれながら、缶ジュース片手にのんびりと談笑しているオレンジとグリーン。
その会話を端で聞きながら、帰宅した706号室の住人ジュノは、部屋の鍵を開けている最中、大きなマスクの奥でほくそ笑んでいた。

「あっ、おかえりなさい。ジュノさん」

ガチャンと鍵の開いた音に、二人はジュノの方を振り向いて軽く会釈した。
ジュノも同じように会釈しつつ、「どうも」などと当たり障りの無い言葉を返した。

「あ、そうだ。ジュノくんにも聞いてみたら?」
「えっ、なんの事ですか?」

オレンジがグリーンの肩を小突く様子を見ながら、ジュノは不思議そうに首をかしげた。
無論、何を聞かれるか判っている。白々しいといえば白々しい。

「あのですね、ここ2、3日なんかこのマンション周辺で焦げ臭い匂いがするなぁって話をしていたんですよ」
「でも、他の子はそんな匂いしないって言うもんだから。ボクとグリーンだけが気づいてるみたいなんだよね」
「……さぁ、僕もそんな匂いがしているなんて全然気づきませんでしたけど。ホントに全然」

ジュノは顔の前で手を振ってみせた。

「そうですか……。やっぱり気のせいなんですかねぇ……なんかすみませんね。変な事言っちゃって」
「いえ。僕の方でも、何か匂いの事で気づいたら確認してみますね。それじゃ」

もう一度頭を下げ、ジュノはそのまま部屋の中へと入った。ガチャンと鍵を閉め、チェーンをかける。

「ん~。耳鼻科行った方がいいのかなぁ」

ドアの向こうから漏れ聞こえるオレンジの声を聞きながら、ジュノはドアにもたれ掛かり、

「ククク……愚かな奴らだ」

帽子とマスク、そしてサングラスを外すと、彼は薄暗い部屋の中でニヤリと笑った。
その足で洗面台に向かい、迷彩服に着替え、顔と耳を迷彩色で彩り、彼本来の姿に戻ると、
いつもの様に洋服ダンスの中に入り、隠し戸を開け、無数の銃器が並んだ秘密の部屋へと帰ってくる。

「貴様らがそんな風にのんびりしていられるのも今の内だ」

彼は座布団の上にどかっと座ると、ポケットの中から小さな葉巻の様な物を取り出した。

「奴らめ……まさかこの俺が爆弾を製造しているとは夢にも思うまい!」

彼は再びクククと笑みを漏らし、テーブルに敷かれた油紙の上に葉巻を置いた。
そして、胸ポケットから折りたたみのサバイバルナイフを手に取り、慎重に葉巻に切れ目を入れる。
それを二つに開くと、中に入っていた真っ黒な粉がその姿を露わにする。火薬であった。

「花火や爆竹などを大量に買えば怪しまれるが、まさか俺がこの様な方法で火薬を入手しているなど……。
フッ、革命戦士としてそんじょそこらの奴らとは頭の出来が違うのだ。ハーッハッハッハッハ!」

ひとしきり高笑いをした後、ジュノは油紙に火薬を落としきるとそのまま部屋の隅にある茶筒を開け、
中に収められている鉄製の信管の中にそれらを注ぎ込む。これだけでも人を殺傷出来るには十分な威力が保てる。
その後は、しっかりと頭に叩き込んだ製造法に従いながら慎重に作業を進め、

「よし、完成だ……」

汗を拭きながら、ジュノはホッと息をつく。机の上には小型のパイプ爆弾が鎮座している。
彼はここ数日の間、試作品を作っては駐車場の植え込みの中に埋めたり、深夜に公園の砂場に埋めたりして実験を繰り返し、
爆弾足り得るものがこの部屋で作る事が出来るかどうかを確かめてきていたのであった。

「この実験が成功すれば大量に生産し、そのまま駅やショッピングモールに仕掛ける!
……ククク、日本人どもをたっぷりと苦しめつつ、我が革命戦士団の実力を知らしめてやるのだ! ハーッハッハッハ!」

再びひとしきり大声をあげて笑った後、ジュノは爆弾を布で包み込むと、そのまま部屋の奥に隠した。

「……そろそろ、か」

そうして、壁の時計に目をやる。時間は11時25分。そういえば早朝から出ていたから朝飯もまだだ。
腹が減っては戦は出来ぬ。ジュノはいそいそとコンビニに向う準備を始めたのだった。



















──ピンポーン

小気味良いチャイムの音が、今日に限って重苦しい響きを持ってティオの耳に飛び込んだ。

「き、きたっ……」

とうとう、この瞬間が来てしまったという緊張と恐怖で、全身がぶるっと大きく震えた。
彼は、恐る恐る、先ほどから止まらない大汗と、腹の底からこみあげる吐き気の中、玄関に向った。
リビングから徒歩30秒で行ける距離にあるのだが、彼の潜在意識が抵抗したせいで今回は3分もかかってしまった。

「……は……は、い」

蚊の鳴く様な声で、ティオはドアの向こうにいる訪問者に声をかけたが、当然ながら聞こえなかったらしく、再びチャイムが鳴った。
今度はもう少し大きな声で言わなければと、ティオはもう一度口を開こうとしたが、

──ドンドンドンッ!

突然のドアを叩く大きな音に、彼はビクッと身を縮こませ後ずさった。
姉の言う通り、怖いのが来てしまったのだ。恐怖と緊張と絶望で、悪魔の目から大粒の涙が溢れて来る。
に、逃げなきゃ。逃げなきゃ。ティオはじりじりと後退し始めた。

「すみませーん! いますかぁー!」

すると、三度目のチャイムの音のすぐ後に、間延びした少年の声が聞こえ、彼の緊張は少しだけ溶けた。
もっと野太い声や、冷たい声を想像していたティオは、同い年くらいに聞こえる訪問者の声を聞いて少しだけ安心した。

「(で、でも、声で油断させる、魔物だって、いることだし……)」

緩めかけた警戒を思いなおし、バクバク音を立てる心臓を胸の上で押さえながら、ティオはレンズから外を覗いた。
そこにいたのは、筋肉隆々の魔物でもなければ、強面の魔物でもなく、ごく普通の少年であった。
頭に変なギザギザ模様があるが、くりくりとした大きな瞳に、幼さの残る丸い顔、緩んだ口元は優しげな印象を与える。
一点だけ、アンバランスな刺繍の入った革ジャンという服装は怖い人の様だが、別段気にはならなかった。

「(……この人、なのかな……)」

ティオは少しだけ震えが治まった指先で鍵を開けると、おずおずとドアを開けた。

「は、はい……」

かけたままのドアチェーンにより、僅かに開いた隙間から少年が顔をのぞかせる。
知らない人と間近で顔を合わせる緊張で、ティオは顔を強張らせながら、小さく会釈をした。

「あの、すいません。ここ、708号室ですよねぇー?」

気さくな感じで尋ねる少年に、ティオはぎこちなく頷くと、彼は安心した様に顔を綻ばせた。

「よかったぁー。オレ、この辺来たの初めてだから間違えてたらどうしようかと思った」
「あ、あの……もしかしたら……今日、来る予定の……人、ですか……?」

万が一人違いだったら大変なので、件の訪問者であるか確認してみると、少年はこくこくと頷いて、
手にしているメモをティオに見せてきた。そこには酷く汚い字だったが、ここのマンション名と708号室と書かれていた。

「あ、あの、それじゃ、き、キミが、その、悪魔……の……子?」
「えっ、うん。そうだよ。誰かに聞いたの?」
「う、ううん……ボクも、そうだから……」
「なんだ、そうだったんだ。知らなかったー。じゃぁ、仲間なのかぁ」

となるとどうやらこの少年は、じいやが魔界から送り込んできた助っ人なのだろう。ティオはチェーンを外し、少年を中に招き入れた。
中に入っても少年が恐ろしい怪物の本性を現さないのを確認し、ティオはとりあえず一安心した。

「わぁー! すっごい広いね、この部屋。一人で住んでんの?」
「ううん……ねーさまとボクと……二人で住んでるんだ」
「へぇー。いいなぁー。オレもこんな所住んでみたいなぁー」

キョロキョロと周囲を見渡しながら、無邪気な笑みを浮かべる少年に、ティオは不思議な気持ちを感じていた。
同じ悪魔だから、どこか親近感が沸いたのだろうかとも思う。いや、多分そうではない。魔界にいた時は、こんな悪魔は居なかった。

「ねぇ、きみは歳いくつ?」
「……こっちで言う所の、14歳、かな……」
「ホント!? じゃぁ、オレと同じだ。オレよりも年上かと思ったらタメだったのかー」

明るく肩をポンと叩いてくる少年に、ティオは僅かに口元を綻ばせ、頷いた。

「(……良い人、そうだな……)」

赤ん坊の頃から自分を世話してきたじいやだから、こんな子をこっちに送ってきてくれたのだとティオは思った。
厳しくも、しっかりとしたじいやの事だから、ティオの性格だってしっかり把握して考慮してくれているに決まっている。
とんだ取り越し苦労だったのだ。なんだか、あんなに緊張していたのがバカバカしくなってきて、ティオはフッと笑った。

「あ、そうだ。名前教えてよ。まだ聞いてなかったしさぁー」
「……え、ボクの名前、知らないの?」
「当たり前じゃん。だって、今日初めて会ったんだもん」

魔界の大王候補であるティオの事を魔界の者が知らないはずは無いのだが、
多分魔界は魔界でも、少年はかなり田舎の方の子なのだろうかと思い直し、

「ぼ、ボク、ティオ……」
「ティオかぁ。カッコイイね」
「……き、キミの、名前は?」

ティオの問いかけに、少年はニッコリ笑って答えた。

「オレは、エコって言うんだ!」























「えぇっ! これ全部ティオが作ったの!?」

用意しておいたお茶とお菓子を出すなり、エコが大声をあげたので、
何かマズイ事でもあるのだろうかと、ティオは不安そうに目を泳がせながら頷くだけで精一杯だった。

「すごいなぁー! これ、お店で売ってるやつみたいじゃん!」
「そ、そう、かな……」
「これ、何てケーキ?」
「よ……洋梨のタルト……」

それは、お客をもてなすというのと、怖い人が来ても少しは落ち着くかもしれないと言う考えで、朝から作り置きしていた物だ。

「よーなしかぁ、よーなしなんて、オレ食べたことないや」
「……ねーさまが、この前、貰ってきたのが、あったから……」

お盆を胸元で抱えながら、ティオはちらと上目遣いにエコの方に目をやった。エコの目は輝いていた。

「ティオって、お菓子作り上手いんだねー。いつも作ってんの?」
「う、うん……ボクのねーさま、料理とか、全然しない、から……」

俯きがちにティオは答えた。昔から姉の面倒くさがりな性格とワガママぶりにより、料理や菓子を作らされ続けた結果、
現在では、唯一の取り柄と言っても良いほど、その腕前はかなり上達していた。
無論ここまで上達したのは、少しでも姉の舌に合わないと酷い目に合わされてきた恐怖心のお陰なのだが。

「うん、味もすごく美味しい!」

タルトを齧って、エコはへらへらと能天気な笑みを浮かべた。

「オレ、これすごく気に入ったよ。ティオってお菓子作りの名人だねー」
「えっ……」

その言葉にティオはひどくビックリした。そんな事を言われたのは、生まれて初めての事だった。
姉からでさえ、生まれてこの方「うん。ま、これならいいわ」といった様な反応しか貰っていない。胸の奥がざわざわした。

「こんなに美味しいケーキ作れるんだから、ティオは将来ケーキ屋さんになれるよ」
「や、やめてよ……」

頭を垂れたティオは、お盆を抱いたままもじもじと指を絡ませた。
褒められる事には慣れていないせいで、居心地の悪さが全身に駆け巡っていた。

「なんでー? オレ、お世辞じゃなくて本当にそう思うけどなー」
「……あ、悪魔が、ケーキ屋に、なるなんて……おかしいよ……」
「そうかなぁー?」
「……え、エコも、悪魔なら、判るでしょ……ボクら悪魔は、悪いこと、するんだし……」
「んー。オレは別にいいと思うけどなー」

紅茶を飲むエコを見て、ティオは思った。“エコは同じ悪魔なのに、変わってる”
なんだか、あんまり悪魔らしくないというか、良い意味で魔界の住人ぽくない雰囲気だった。

「あ、あの……ちょっと、良い、かな……」
「ん? なに?」
「エコは、どこの、種族なの……? バイドラ族とか……ディチェルト族とか……色々あるでしょ……」
「ん、族? オレの族はねー。ワイルドキャットだよ」
「わ、わいるど……?」
「ワイルドキャットだよ。知らないの?」
「き、聞いたことないなぁ……」

将来は魔界を治める様になるため、大抵の種族の事は勉強しているティオだったが、ワイルドキャットなる魔族は初耳であった。
かなり珍しい種族であるらしい事から、やっぱりエコは想像通り田舎の出で間違いないのだろうと納得する。

「結構有名なんだけどなー。かなりのワルが集まった凄い族なんだよ?」
「じゃぁ、エコも、その……」
「うん。ワルだよ! オレ、そこの族長に気に入られたくらいだからね。笹山さんって言うんだけど知ってる?」
「し、知らないなぁ……」

ニコニコしながら話すエコを見て、ティオは少し怖気づいた。
やっぱりじいやが送り込んできただけあって、エコはこんな見た目でもかなりの悪魔であるらしい。
おまけに、種族の長である『ササヤ・マサン』と言う魔物に認められているほどの存在。やっぱり怖い人なのかも。背筋に緊張が走った。

「ごちそうさまー。あー美味しかった!」

エコは口の周りをベロンと舐めて、お腹をポンポンと叩いた。
彼のこんな呑気な仕草も、ティオには何だか一流の悪魔らしい余裕たっぷりの行動に見えて来てしまう。

「よし。ご飯も食べた事だし、で、何をするの?」
「えっ……知らないの?」
「だって、オレはここに来いって言われただけで、何すればいいのか全然知らないもん」
「え……」

じいやは一体どういうつもりなんだろう。ど、どうすれば良いのか。無言の中、ティオはまた汗をかき始めた。

「ねぇ、ティオが何かオレにやらせるんじゃないの? 違うのかなー?」
「え、と……ぼ、ボクが、立派な、悪魔になるために、色々、してくれるって、聞いたけど……」
「えっ、そうなの? じゃぁ、オレ、ティオのコーチってこと?」
「……た、多分」
「………………」

返答するなり突然エコは急に黙り込み、ジロジロとティオの体を舐めるように眺め出した。
何を見られているのか、何のつもりでそんなに見つめているのか、脈拍が大きく波打ち破裂しそうだ。

「うん、ティオなら結構なワルになれると思うなー」
「え……?」
「見た目もワルそうだし、目付もオレよりワルな感じだし。ティオなら大丈夫! 立派なワルになれる!」
「そ、そう……かな……」
「うん。友達として、ビシバシコーチしてあげるよ!」
「と、友達……?」

悪魔らしからぬ言葉の登場に、ティオは狼狽した。友達なんて、魔界じゃ有り得ない言葉なのに。
それが、エコのような一流悪魔の口からいとも簡単に飛び出した驚きは大きかった。

「お、おかしいよ……あ、悪魔が友達なんて……」
「なんで? オレはティオと友達になりたいけどなぁー」
「えっ……」
「ティオの作るお菓子美味しいからまた食べたいし、それにタメだし、同じワルだし……もっと仲良くなりたいけどなー」

エコの顔を、これ以上ティオはまともに見る事が出来なかった。悪魔が友達なんて作ったら大恥も良い所。
なのに、エコの言葉がティオの胸の中を、とても、とても、おかしくさせていた。頭がごちゃごちゃとして、汗が背中を濡らした。

「オレが友達じゃダメー?」
「……っ!」

顔を赤らめたまま、ティオはぷるぷる震える唇をぎゅっと結び、激しく首を振った。
悪魔なのに。友達なんておかしいのに。でも、ティオ自身も、エコと仲良くなりたかった。もっと色々と話をしてみたかった。
自分の事を馬鹿にしたり、王族だからと変に媚を売ってくるような者はたくさんいたけど、こんな子と出会ったのは初めてだった。
ティオは首を振り続けていた。それを辞めてしまえば、もうエコと会えなくなる様な気がしてティオは懸命に振り続けた。

「へへ、そんなにしなくても、もう判ったよー」

怯えた目でエコを見上げると、彼は照れたように後頭部を掻いていた。

「そ、それじゃ……ぼ、ボクと、と、友達に、なって、くれるの……?」
「うん!」

ティオは、いつの間にか、生まれて初めて出来た友達と微笑み合っていた。
それでも、しばらくするとまた途端に恥ずかしくなって、赤面したまま俯いてしまった。

「じゃ、早速ビシバシやろっか!」

ティオはガチガチに緊張してしまい、彼は最早、エコの言う事にに頷く事しか出来なくなってしまったが、
彼の心の中には、上手く言い表せない不思議で、暖かな、初めて感じた気持ちがいっぱいに膨らんでいた。




















その頃、

「あああああああああ! 遅いいいいいいいいいいいいい!!!」

ジュノは、ただでさえ蒸し暑い室内を余計に怒りの炎で気温を上昇させながら、
食べ終えたのり弁についていた割り箸をへし折っていた。

「一体どうなっている! 予定時間から大分ずれているじゃないか!! これだから日本人などダメなのだっ!!」

一度怒りに火が付くとすぐには収まらない彼は、手にした割り箸を壁に投げつけ、どかっと床の上に座り込んだ。

「……ただでさえα計画を遂行できてないというのに……! これでは遂行どころの話ではないじゃないか!!!
おのれ日本人ども……! どいつもこいつも根性が足らんのだ根性がああああああっ!!!」

散々机に拳を打ち続けていたかと思うと、突然ジュノは顔を伏せ、その動きを止めた。

「……ククク……ククククク……ハーッハッハッハッハッハ!!!!」

そして、突然高々と笑い出したかと思うと、いきなりテーブルを蹴飛ばし、懐から取り出した愛器を両手に構えた。

「そうだ、そうなのだ……俺の様な偉大なる革命戦士が、日本人などを教育しようなど、それこそが間違いだったのだ!
ククク……俺にはα計画など必要ない!俺は、素人を教育しなくとも、一人で何十人、いや何百人もの活躍が出来るそういう男なのだ!!」

彼の釣りあがった瞳と、ニヤリとした口元は、もはや頭のどこかがポンと弾け、完全に吹っ切れた戦士の表情であった。

「そうと決まれば、すぐにでも行動に移さなければ……見ていろ日本人ども……!」





















その頃、ティオはようやく15回目の腕立て伏せを済ませた。
ぷるぷる震える細い腕を思い切り突っ張って身体を上げる度、額の汗がポタリポタリと滴る。

「こ、こんなことで、本当に、訓練に、な、なるの?」
「なるよ! 強くなるには、筋肉を鍛えるのが一番だって、オレの先輩も言ってたもん。あと5回だよ」
「……う、うん……」

エコに励まされ、ティオは16回目を終える。腕立て伏せなんて生まれてこの方やった事などないティオにとって、
この時間はとても辛く苦しいものだったが、だからこそ効果もありそうな気は確かにした。
だが、つい様々な事から逃げ出してしまう性格であるティオを、ここまで懸命に向き合わせているのは、エコの存在があったからだ。

「に、にじゅっ……」

20回目を済ませた所で、ティオの身体は糸が切れたように床の上に投げ出された。
グレーの毛並みは大量の汗で。真っ黒になっていた。その身体にふわりと何かが被さる。タオルだった。

「お疲れー! ティオ、頑張ったね」

タオルで汗を拭きながら、エコがポンポンと背中を叩いた。とても苦しかったけれど、ティオは全身に爽快感を感じていた。

「や、やったよ、エコ……」

息を切らせながら、ティオの顔は活き活きとした喜びに綻んでいた。
腕が震えて力が入らなかったので、エコに起こしてもらい、そのままキンキンに冷えたコーラの缶を手渡された。

「最初なのに、なかなか20回出来ないよ。オレなんか、最初1回も出来なかったんだもん」
「う……うん」

チビチビとコーラを飲みながら、ティオは恥ずかしそうに目を伏せた。
自分でさえ、ちゃんと出来るなんて思っていなかったのだ。その達成感と驚きでティオは上手く言葉を紡げなかった。

「あ、ありがとう……エコ……」

何と言えばいいのかわからなくて、ティオはただ純粋に、心の中に浮かんだままの言葉を口に出していた。
悪魔がありがとうなんて、おかしいのはわかっていたが、嘘偽りの無い彼の正直な気持ちだった。

「やだなぁ、お礼なんていいよ。オレ、こんな事ぐらいしか出来ないしさぁー」
「……ううん。ぼ、ボク……」

ぎゅっと缶を握り締め、ティオは大きく息を吐いた。

「ボク……こんな風に、楽しかった、こと、今まで、なかった、から……
え、エコみたいな子、どこにもいなかったし、だ、だから……エコが、ボクの所に、き、来てくれて、良かった、って……」

最後まで言い切らないまま、ティオは余計に下を向いて黙り込んでしまった。

「ううん。オレもそうだよー」
「え……」

上目遣いに、ティオはエコを見上げた。エコはニッコリ微笑んでいた。

「オレも、どんな事するのかちょっと不安だったけど、ティオみたいな子で安心したんだ」
「ほ、本当……?」
「うん。最初、ここに来る前は怖い人だったら嫌だなぁって思ってたりとかしたしね」
「…………」
「オレ、仲良かった先輩とかと離れ離れになっちゃって、ちょっと寂しかったから、
ティオみたいな同い年の友達出来て、良かったなぁーって思ってるよ」
「え、エコ……」

ティオの瞳には大粒の涙が浮かんでいた。でも、今までとはちょっと違ってじんわりと温もりがあった。

「あ、あれっ? ティオ、どうしたの?」
「ボク、エコみたいな子と、友達になれて……嬉しい……」
「え、や、やだなぁー。大げさだよティオは」
「ご、ごめんね……ボク……こんなの、は、初めてだったから……」

ティオは目元を拭うと、顔を上げてこわごわとエコを見つめた。

「こ、これからも、ぼ、ボクと友達で、いてくれる……?」
「うん。いいよ! へへ、そんな事言われるとなんか変な感じだけどさぁー」

エコも何だか恥ずかしそうに、笑った。

「あ、ありがとう、エコ……」
「ううん。で、でも、こんなんで、オレお金貰っちゃっていいの?」
「……えっ? お、お金って……?」

エコは伏し目がちにぽりぽりと頬を掻いていた。

「オレ、元々アルバイトで来たからさぁー。言う通りに色々やったら、バイト代もらえるって」
「そ、そんな話は聞いて無いけど……」
「えぇっ、そうなの!? 先輩からそう聞いてここに来たんだけどなぁ……オレ、お金なくて……」
「な、何か欲しい物が、あるの?」
「ううん。オレ家出しててさぁ、ずっと先輩の所とか泊めてもらってるんだ。だから、お金くらい稼ごうかなーって」

そんな契約になっていたのだろうかと、ティオは少し不思議に思ったが、
エコのちょっと残念そうな顔を見て、彼の心中に不安が忍び寄った。

「ご、ごめん。ボク全然知らなくて……で、でも、今度用意しておいてあげるよ。いくら欲しい?」
「えぇっ、そんなの悪いよ。先輩の勘違いだったかもしれないしさー」
「ううん。お、お金ならいくらでもあげるから……ぼ、ボクと……ずっと友達でいて欲しいな」
「え、ホント!?」

エコの表情が明るくなったのを見て、ティオはホッとした。

「だ、だから、訓練、続けようよ。ぼ、ボク、エコともっと、色々、したいから」
「いいよ。じゃぁ、やろっか」

──ピンポーン

チャイムが鳴って、ティオはすぐさま時計に目をやった。時間は15時11分。姉が帰ってくるには随分と早い。
誰だろう。宅配便だろうか、それでも一苦労なのに。心配になって、エコの顔を見る。

「大丈夫だよ。オレ、ここで待ってるから」
「う、うん……」

ティオはこわごわと玄関の方に向い、レンズを覗いた。
頭からフードをすっぽり被った、どう見ても怪しい全身黒尽くめの男が立っていた。

「どっ、どちら様、ですか……」
「……ティオ様ですね。執事の方からのご紹介で、魔界からやって参りました」

息苦しそうな低い声で男は答えた。

「も、もう、来てます、けど……」
「そんな訳がありません。俺…いや、私一人のみのはずですが」
「えっ……」

ティオの背筋に汗が流れた。

「執事の方のお言いつけどおり、ティオ様が立派な魔王になれますよう、教育の為やって参ったのです。
鍵をお開け下さい。人間達に見られてしまっては問題になります」
「ちょ、ちょっと、待って」

ティオは慌てて引き返し、エコの待つリビングへと向った。
そこではコーラを飲み干しているエコの姿があった。彼は顔を強張らせているティオの方を怪訝な様子で見つめている。

「どうかしたの? ティオ」
「え、エコは今日、ここに来る様に言われたんでしょ?」
「うん。そうだよ」
「そ、それで、え、エコは悪魔なんだよね?」
「うん。ティオもそうなんでしょ?」

嘘をついていないらしいエコの様子にティオは安心した様に大きく息を付いた。

「今、変な人が来てたから、ちょ、ちょっと怖かっただけだよ」
「え、大丈夫? オレが追い返してあげようか?」
「ううん。大丈夫……そ、そうだ。エコ、せっかくだから、一緒にどこか行こうよ」
「え、ど、どこかって?」
「二人でちょっと空を散歩しようよ……その間に、変な人も、きっと帰ってるよ」
「そ、空?」

エコの妙な表情の後ろでドアを激しく叩く音が聞こえた。

「ホラ、なんかうるさいから、ね、いいでしょ、エコ」
「で、でも、オレ、空なんて飛べないし……」
「や、ヤだな、エコも悪魔なら、翼くらい持ってるはずだよ」

ティオはそう言うと帽子を脱ぎ、額の悪魔の紋章を光らせた。
一瞬の閃光の後、ティオの身体は真っ黒な体毛で覆われ、角や牙が生え、そして背中から漆黒の翼が広がった。
彼は、自分の本当の姿を露わにし、エコに微笑みかけた。

「わぁっ!」

しかし、彼が微笑みかけた相手は、ソファから転げ落ち、その表情は何か怖い物でも見ているかの様に怯えていた。

「ど、どうしたの?」
「てぃ、ティオ……な、何、そのカッコ?」
「お、おかしいかな……? 普通に悪魔の姿だと、思うけど……」
「ティオって、ホントに悪魔だったの……」
「変な事言わないでよエコ。当たり前じゃないか」

エコに向って刺し伸ばした手から延びた真っ赤な爪がキラリと光った。
顔を強張らせてじりじりと後ずさるエコ。ティオの表情までも曇る。

「……な、何で。エコ、どうしてそんなに怖がるの……エコも、悪魔なのに……」
「ち、違うよ……」
「何が違うの? 悪魔は悪魔でしょ……?」

歩み寄るティオを拒絶するように、エコはぶんぶんと頭を振った。

「お、オレ、人間だもん! あ、悪魔じゃないもん!」
「えっ!?」

一瞬、時間が止まった様だった。心臓が飛び上がり、全身が衝撃に震えた。

「だ、だって、エコは、エコは、じ、自分で悪魔だって言ったじゃないか!」
「違うよ。お、オレ、家出してから悪魔猫って不良グループに入って……そこの先輩にお世話になってて。だから、悪魔ってその事だって思って……」
「そっ、そんな……!」

ティオの胸の中にざわざわした物がこみ上げてきた。

「じゃ、じゃぁ、どうしてウチに来たんだよ!」
「せ、先輩の知り合いの知り合いが、不良集めてるっていうから、そ、そんで、バイトくれるっていうから……」

ティオはテーブルの上に置かれた、エコの持っていたメモに目をやった。
急いで書いた為か、乱れた字であり、よく見ると『8』の上の部分が、繋がっている様に見えるが微妙に切れている。
『8』のようでもあるが『6』の様に見えなくも無い。それじゃぁ、エコは……。

「え、エコは、ボクが、魔王になるために、やって来てくれたんじゃないの……?」
「ち、違うよ。お、オレ、そんなんじゃないよっ……」
「そんな……」

ティオの脳裏の奥で何かが瞬く感覚が沸いて来る。

「エコが、あ、悪魔じゃ、ないなんて……」
「…………」

エコは怯えたように部屋の隅に後ずさって行く。そこにはつい数分前まであった穏やかな笑顔は無い。

「……え、エコ、せ、せっかく友達に、なれたのに……」
「……」

部屋の隅で震えるエコの姿に、ティオの胸の中で何かが壊れる様な音が聞こえた。

「い、嫌だ。い、嫌だ、嫌だ、嫌だ……エコが人間だなんて、え、エコが、ボクの友達じゃ、無くなるなんて……!」
「お、オレ、帰る!」

狼狽しているティオの隙を見て、エコは慌てて、部屋を飛び出していった。

「嫌だ……嫌だ……」

逃げていくエコの後姿を見つめるティオの新緑の瞳の中に、どろりとした闇色の光が流れ込んだ。
エコと離れるなんて嫌だ。エコじゃない、あんな怖い悪魔と一緒に暮らしていくなんて嫌だ。友達なのに。友達なのに。

気が付くと、ティオはエコの後を追うため駆け出していた。
ドアの前で、チェーンを外すエコの手はもたついていた。ダメだ。行かないで。嫌だ。嫌だ。ティオの中で何かが弾けた。
ティオの口は、無意識に呪文を唱えていた。ドアが開き、その前に立つ黒ずくめの男に、エコは立ち止まる。

「……っ!」

ティオが右手を突き出すなり、黒尽くめの男の姿は一瞬にして青い炎と化した。
その衝撃に、エコの身体は後方へと倒れる。自然とドアが閉ざされ、鍵とチェーンがひとりでに閉まった。

「……エコは……エコは、ボクの、友達なのに……」

ゾクッとするほど冷たい響きを持ったその声に、エコは振り返った。
真っ黒な闇の中にただ爛々と、緑色の瞳が自分を見下ろしていた。エコは恐怖で声が出ず、口をパクパクとさせるばかりだった。

「……エコが、ボクから、逃げるんなら……」

エコの足下が紫色に光ったかと思うと、その周囲を青色の炎が覆った。
その青色の光が紫の光を交わりあい、目まぐるしいスピードで彼の真下に奇妙な模様を描き出していく。

「……エコが人間だからいけないんだ……エコが人間だから、ボクから逃げるんだ」
「てぃ、ティオ……」
「それなら……」

エコの震える声を意にも介さず、漆黒の闇と化したティオの瞳は怪しく輝いた。
その瞬間、奇妙な模様の光が垂直に飛び出し、エコの身体を次々と貫き、彼の姿は青紫の光の中へと消えていった。

「……エコも悪魔になっちゃえばいいんだ……」






















午後7時。

「ただいまー。ちょっと遅くなっちゃったー」

軽い足取りでシオンが帰ってくると、リビングの方から何やら賑やかな声が聞こえて来た。
それがティオの物であると気づくなり、彼女は珍しい事もあるもんだ、とそろりそろりと部屋に向った。

「ティオ? 誰か来てんの?」

ドアを開け、部屋の中を覗き込んだシオンは、ソファに座るティオと、その向い側に座る見知らぬ少年の姿を認めた。
ちょうどこちらを向いているティオは、目を合わせるなり、口元を綻ばせて、

「あ、ねーさま、お帰りなさい」
「だ、誰、その子」
「やだな、ねーさま、忘れたの? 今日じいやがこっちに送り込んできてくれた子だよ」

ティオが言うなり、背を向けていた少年はゆっくりと立ち上がり、シオンの方を振り返った。

「初めまして、シオンさま。今日からティオ様の教育係としてやって参りました。使い魔のエキオンプスです」

エキオンプスと名乗る少年はぺこりと頭を下げると、丸々としつつも邪悪な色を秘めた紅い瞳でじっとシオンを見つめた。
肩や膝の所に切れ目の入った黒い服、首元の黄色い鈴、頬に浮かぶ青い模様、青紫の光とぼんやりと放つ三角の尻尾。

「……ホントに悪魔? もっとこう悪そうな顔とか出来ないの?」
「こ、こんな感じですか……?」

挿絵


キリッとしてみると、まぁ悪そうな感じには見えるが、やっぱりどこか抜けきれて無いように見えた。
そんなどこか悪魔らしくない少年の顔つきに、シオンは彼の言う事をにわかには信じられなかったが、

「へぇ、めずらしー。あんた、ルシフェル族なんだ?」

彼の右手の甲に浮かぶ、二本足で経つ紫色のコウモリを象った紋章をシオンは指差した。

「魔界じゃ滅多にいないわよね。とっくに絶滅したもんだと思ってたけど」
「はい。魔界でもよく言われます」
「ふーん……」

シオンは口元に手を当てながら、じろじろとエキオンプスの身体を見回し始めると、
そのまま彼の額に刻まれた悪魔の紋章をじっと食い入るように見つめた。

「ね、ねーさま、そんなに見なくても、大丈夫だよ……ほ、ホントに魔界から来た悪魔なんだよ……」
「……どうやら、そうみたいね」

ぼんやり紫色に光を放つ額の紋章を指先でなぞりながら、シオンは何度も頷いてみせた。

「うん、ちゃんと私の魔力に反応するし、確かに魔界の者だわ」
「そ、そうでしょ……」

ティオは姉に悟られぬように、ふうと息をついた。
姉の方が魔力も、感覚も弟以上であるため、バレるのではないかと気が気でなかったのだ。

「だから、ねーさま……」
「あ、そうだそうだ。じいやに電話しとかなきゃ」
「えっ……!」

いそいそと魔界直通電話に向う姉の姿に、ティオの背中にじんわりと汗が滲み出した。
ど、どうしよう。ティオは半ば祈るように手を合わせると、微かに震えながら胸元に組んだ。

「もしもし、じいや? うんうん、私。ううん、別に問題があるわけじゃないって、そうそう、ただの連絡」

ちらと薄目を開け、シオンの方を見る。何とか早く会話が終わらないものか、またもティオは神に祈っていた。

「うん、来たわ。使い魔の、えーと……あんた、名前なんだっけ?」
「はい、エキオンプスです」
「そうそう、エキオンプス。ルシフェル族の子呼んだんでしょ。大丈夫なの? え? へぇー、見た目に寄らないわね」

硬く目を閉じるティオの心臓は破裂しそうだった。

「え、そうなんだ。ティオと同い年なんだ。通りでティオが珍しく楽しそうだと思った。ううん、こっちのはなしー。
……OKOK。ティオも気に入ってるようだから、私は文句無いわよ。うん、はいはい、大丈夫大丈夫。じゃぁね」

ガチャンと、茨を模した金色の台座に受話器が置かれる音を聞き、ティオは大きく息を吐いた。
どうやら核心な所には触れずに済んだらしい。シオンの表情も明るかった。

「エキオプス、あんた、結構凄いらしいじゃない。ビシビシ弟の奴、しごいてちょうだいね」
「はい、任せてください!」

エキオンプスはニッコリと、口元の牙を光らせながら頷いた。

「ところでさぁ、エキオンプスって、なんか名前長くて言いづらいわね。エキオンとかって呼んで良い?」
「だ、ダメだよ、ねーさま。も、もう呼び方は決まってるんだ」
「ふーん。何てーの?」

ティオはエキオンプスと顔を見合わせ、フッと微笑んだ。

「エコだよ。覚えやすいでしょ」
「エコ……? “エ”しか合って無いじゃない」
「で、でも、EKIOMPSに、EとKとOがあるから」
「だったらKじゃなくてCじゃないの?」
「いいんだよ、もう、決まってるんだから。ね、そうでしょ、エコ」

エキオンプス…エコがこくりと頷くと、シオンも呆れた顔を見せながら、髪をかきあげた。

「ま、あんたがそこまで真剣に言うんなら、別にいいけど、確かに覚えやすいし」
「あ、あとね……ねーさま、今からエコと一緒に外出てもいいかな?」
「こんな時間に?」
「う、うん……エコが来たから、散歩でもしながら色々と教えてもらおうと思って……」

ティオはエコと目を合わせながら、もじもじと胸の前で指を絡ませた。

「珍しくあんたがそこまでやる気になってんなら、まぁ私は反対しないけど、私お腹空いてるのよね。晩御飯作ってから…」
「もう、作ってあるから……大丈夫」
「えっ!?」

シオンはキッチンの方に目をやった。コンロの上に真っ白な鍋が乗っていた。

「び、ビーフシチュー……ねーさま、好きでしょ……?」
「ま、まぁ、好きだけど」
「だ、だったら、もう行っても良い?」
「……いいわよ……」

今まで見た事ないほど、目を輝かせて訴えてくるティオに気圧され、シオンは渋々頷いた。
許可を与えるなり、満面の笑みを浮かべてティオはいそいそとエコと一緒に玄関を飛び出して行った。
一体どういう風の吹き回しなのか、別人みたくなった弟の様子にしばし彼女は放心状態だった。

「ティオが、あんな風になるってことは、……や、やっぱり、じいの言う通り、凄い奴なのかも……アイツ」















「やったね、エコ。ねーさまも上手く誤魔化せたみたいだし」
「はい、オレもティオさまと同じですっごく嬉しいです」
「やだな。様なんて辞めてよ。呼び捨てにして良いんだ」

ドアの鍵をしめながら、ティオの心は弾んでいた。あの時は無我夢中で、細かい事は覚えていなかったが、
魔法でエコをデビルカプセルを一切使わずに悪魔化させる事に成功し、姉公認のお目付け役になった事がとても嬉しかったのだった。

「あれ、ティオくん、こんな時間にお出かけですか?」
「っ……!」

だが、突然かけられた知らない声に、ティオの表情は一気に強張った。
声の主はお隣の、大家族みたいな住人たちだった。緑のと、桃色のと、青いの。男の人は怖いから苦手だ。

「…………」

何か返事しようにも緊張で声が出ず、彼は目を伏せ、そのまま無言で彼らの横を通り過ぎていく。

「あんまり夜遊びはダメですよ。お姉さん、心配してますからね」
「なるべく早く帰ってくるんすよー」

お隣さんの声を背中に聞きながら、ようやくティオの緊張は緩和されて行く。
そろそろエレベーターだ。

「余計なお世話だよ。ティオさまにはオレが付いてるから大丈夫なの!」

背後からエコの声がし、ティオは慌てて振り返った。おせっかいにも、エコはお隣さんに向って注意をしているのだった。
お隣さんの表情も何やら困惑している。一緒についてきてくれればいいのに。

「……な、何やってるんだよ、エコ、いいから、いいから……」

顔を背けながらエコを担ぎ出し、ティオはそのまま、エレベーターを使わず階段を駆け足で降りていった。

「だ、ダメだよ。エコ、こういう時は、ボクみたいに黙って通り過ぎてよね……」
「は、はい。すみません……」

しゅんとするエコの様子に、ティオはなんだかおかしくなって来た。
悪魔になっても、おっちょこちょいな所は変わらないんだ。ティオはそっとエコの手を握った。

「エコ。ボクとエコはずっと一緒だからね。欲しい物も何でもあげるから、ね、ずっと一緒にいてね」
「はい!」

しばし、ティオとエコは見つめあった後、二人は悪魔の姿に変身し、階段の踊り場から、清々しい暗黒の空へと飛び立った。
月も隠れ、星影すら見えない。ティオにとっての初の友達との夜の散歩は、深夜になるまで終わる事は無く、
勿論、その後姉からこっぴどく叱られるのだが、そんな事は気にもせず、二人は手をつなぎながらどこまでも飛んでいくのだった。



















公園に降り立ったティオとエコは、何をするでもなく二人で散歩を始めた。
悪魔にとって夜の散歩はとても心が落ち着くのだった。

「クソッ……起爆装置がうまく作動せん……!」

そんな時、茂みの奥から何かの声が聞こえ、二人はそこへ向った。
そこにはジュノが、小型爆弾の実験をしている所だった。しかし、なんとか無事設置し終えると、

「出来た! ククク……これでこの公園は滅茶苦茶になるぞ……!!!」
「何してるの?」
「わっ!」

エコが声をかけ、驚いた顔で振り返ったジュノ。
こんな時間に誰も来ないと思っていたせいか、ひどく驚いていた。

「き、貴様ら、俺の姿を見たからには生きて返さんぞ!!」

テロリストである自分の姿、そして爆弾のテストをしている所など、
どちらも見られてはいけない光景ナンバー1と2だ。
ジュノはフトコロからライフル銃を取り出し、銃口を二人に向けた。

「え、エコ……ま、まずいよ……」

悪魔のくせに、ティオはびくびくしながらエコの肩を揺さぶった。
しかし、エコは赤い瞳をじっとジュノに向けたまま、表情一つ変えなかった。

「ちょっと、ティオさまに手出しすると、オレが許さないぞー!」
「な、何をバカな事を言ってるのだ! 貴様らそんなに撃たれたいのか!?」

その瞬間、エコの身体を邪悪なオーラが纏った。
漆黒の翼が生え、額には真っ赤な紋章が浮かび上がる。悪魔の姿に変身した。

「なっ!?」

驚くジュノの方へエコはすっと手を伸ばす。
すると、手の平から紫色の衝撃波が飛び出し、ジュノは手にした爆弾もろとも大爆発を起こした。

「ぎゃふっ!?」

黒コゲになりながら倒れるジュノを認めると、エコはティオに向き直りニコリと微笑んだ。

「ティオさま、もう大丈夫ですよ!」
「う、うん……ありがとエコ。助かったよ」

なんて心強いんだろう。ティオはエコがずっと側にいて欲しいと思った。
エコもティオを守れたことにホッとしているみたいで、赤々と瞳が輝いていた。

「ティオさまをお守りするのがオレの役目ですから! ルシフェル族の長からもしっかりやれよって言われましたしね!」
「……?」
「ティオさま、どーかしましたかぁ?」
「う、ううん……」

エコを悪魔に変えてやったのは確かだが、まるで元々悪魔だったみたいな事を言っているなぁとティオは不思議に思った。
でもその方がウソがバレなくて済むかもしれない! ティオはぎゅっとエコの手を握った。

「なんでもないよ。さ、散歩の続きやろ!」

















「あー、やれやれ。どっこらしょっと」

買い物袋を置いたグリーンは、疲れた身体をソファの上に倒した。
まさかこんな時間に電灯やらシャンプーやらが切れている事に気づくなんて思わなかった。

「お疲れ様グリーン。ごめんねこんな夜中に」

あまり気持ちの入っていないトーンで、ホワイトは袋の中から詰め替えシャンプーを手に取った。

「この時間は会社帰りのリーマンやら、人が多くてやんなっちゃいますね」
「まぁ、住宅やらマンションやらいっぱいあるからね」
「それに、お隣のティオ君とやらは、こんな時間から遊びに出かけていましたよ」
「あー、あの不良少年ね」

ホワイトに続き、パープルが袋からキッチンシートを取り出しながら眉を寄せた。

「今日は、連れがいましてね、いやービックリしましたよ」
「へー、どんな連れだったの?」
「真ん丸な目をした、あんまり不良っぽい顔じゃなくて。名前がエコ」
「エコ?」

パープルの後から、袋に残った最後の商品である電灯を取り出しながら、クリームはポツリと呟いた。

「……聞かない名前ですねぇ」