第116話
『ミステリー・オブ・705』
(挿絵:ワルベニウスト隊員)
◇ 8/18 AM:06:17 ◇
G.G.G.G.G.G.G.G.G.G.G.G.G.G.G.G........
茹だるような暑さの中の蝉時雨。簡素なベッドの上で男は目を覚ました。
ぼんやりとした視界。カーテンを閉め切った薄暗い部屋。時間は6時17分。
男は呟く。
「Hi John....What's up?」
◇ 8/18 AM:08:32 ◇
その日、朝っぱらからクーラーでキンキンに冷えた室内に、OFFレン隊員達は集められていた。
「やっぱり、そうとしか考えられません」
温くなった麦茶を飲み干したグリーンは、そう言って至極真剣な眼差しで一同を見渡す。
軽い朝ごはんを取ってすぐにテレビを消し、珍しくちゃんとした会議がここ、リビングルームで行われていた。
隊員達の表情も真面目そのもの、アクビをする者さえいない。何故ならば議題がOFFレンにとって重要な物であるからだ。
「……越してきた早々のタオル事件、親睦会最中の乱入者事件、植え込みのサザンカ事件、塩ラーメン事件などなど……
このマンションや、その近辺で発生する不可解な事件が、ここの所後を絶ちません……」
グリーンは口の前で両手を組むと、思案するようにふーっと息を吐き、瞳を閉じた。
「その全てに共通しているのは、犯人に犯行時の記憶がなく、気がついたらそんな事をしていたと言うもの……。
突発的な精神病の一種、心神喪失状態を狙った愉快犯、フリーメーソンの仕業、これまで我々の間にも色々な疑惑が出ました」
ゆっくりと瞼を開けたグリーンは、右の壁にぶら下げられた小さなホワイトボードに目をやった。
同じようにして、隊員達もボードの方へ視線を向ける。そこには、大きくある一つの模様が描かれていた。
「……さて、我々が倒した全ての犯人達の額には、このマークが浮かび上がっていました」

角が上を向いた三日月マーク、それを囲むように、左右にはイトノコギリの様な模様が上部に向って曲線を描き配置されていた。
それらが組み合わさる事で、そのマークは翼を上に広げたコウモリのシルエットを表現している事が判るのだった。
「そして犯人が倒された直後にこのマークが消失し、犯人の体から謎の黒い物体が飛び出して行くのを我々はもう何度も目撃しています。
……これはもう明らかに、これまでの事件は全て同一犯の仕業と結論付けて良いんじゃないかと、私は思いますねぇ」
グリーンの意見に、隊員達も『最早それしかないな』という風に頷いた。
「アニメとかじゃ、何か邪悪な存在が人間に取り憑いて、悪さをさせるってのがあるけど……やっぱそれなのかな」
「……多分ね」
隊員の中で唯一、謎の存在に取り憑かれたグレーが仰々しく、腕を組んで大きく胸を反らせた。
必死のアピールが功を奏したおかげで、隊員達が自分に視線を集中させたのを確認し、
「俺があんな事になる直前、何か身体の中が熱くなって、物凄い悪い事したくなったんだよな。だから俺が思うに電磁波の」
「どっちにしろ、首謀者がいる以上、そいつを捕まえないことには、どうしようもないですね」
クリームの言葉に隊員達は一様に唸り声を上げた。首謀者と言えど、何の手がかりもない。
全ての裏で糸を引く存在が居る事は恐らく確実なのだが、現時点では隊員達にもそれだけしか判らない。
「それなんですけどね……」
だが、そんな中一人だけ、グリーン隊員が重々しくその口を開いた。
「……私、ちょっと心当たりがあるんです」
◇ 8/18 AM:08:56 ◇
食料を買い込んだレジ袋を下げた706号室の住人、ジュノ。
端から見れば彼の足取りはごくごく普通のゆったりとしたものであったが、その内側にはとてつもない焦燥が渦巻いていた。
「(くそっ……! くそっ……! まさか、こんなに早くやって来るとは!)」
廊下の向こうで雑談している隊員とシオンにも目もくれず、彼はすぐさま部屋に入り、扉を閉めた。
中に卵が入っているのもお構いなしに、彼は袋を放り投げ、ドアレンズを覗く。当然その向こうには自分の部屋の前しか見えないが、
彼はやがてこの視界の中に入ってくるかもしれない存在に対して、かなりの緊張を強いられている最中であった。
「(俺としたことが……革命戦士として最も注意を払わねばならん奴らに気づかれてしまうなど……くそっ……!)」
苛立たしげにサングラスを外し、床に叩きつける。身体の震えは怒りとも動揺とも区別が付かない。
ここはやはりシラを切り通すべきか、それとも極限まで抵抗するか…。親指の爪を齧りながら彼の脳内はフル回転していた。
「(何故ここがわかった。俺の隠密行動は完璧のはず……もしや我が組織の誰かが捕えられたのか……!?)」
いつも通り買い物を済ませたジュノは、その帰り道、夏だと言うのに厚着した怪しい男が背後を付いてきている事に気が付いた。
テロリストとして日本に潜伏している以上、その辺りは彼が最も過敏になっている部分である。
だからこそ思い切り遠回りして、まず人の通らないような細道も突っ切った。それでも男は自分の後を付いてきた。尾行に違いなかった。
「(……やはり、公安か……!!)」
最終的に上手く巻いたから良い物の、彼は自分を尾行してきた男の正体が“公安警察”に違いないだろうと確信していた。
公安が捜査対象にしているのは、極左・極右団体、思想犯、スパイ、そして国際テロリストである。
警察内部でも特に優秀な人材が結集しているという公安警察、ジュノら組織の面々が最も警戒すべき存在のNo.1であった。
「(踏み込まれでもしたら全てがお終いだ……どうする……どうすればいいんだ……!)」
外で誰かの足音がし、ジュノは慌ててドアレンズに顔を押し付ける。だが、そこには男の姿はなかった。
部屋の前で隣室のOFFレンジャー隊員が手すり壁に持たれながら、何やら駐車場の方を指差して会話しているようだった。
「(くそっ!……ビックリさせやがって!)」
こうなってしまっては、誰にも助けは求められないし、文句一つ言うために外に出ることもできない。
この苛立ちを何処にぶつければいいのかわからず、ジュノはとうとう爪を噛み切ってしまった。
◇ 8/18 AM:09:02 ◇
その時、ブルー、ブラック、オレンジの3人は駐車場のフェンスの向こうで携帯片手にこちらを見上げている怪しい人影を注視していた。
ジュノが帰宅するよりもずっと前、シオンの話によると朝っぱらからあそこに立っているらしい。
「見るからに怪しい奴っすね」
「前科三……いや、五犯くらいはやらかしていると断定して間違いねぇな!」
「一昨日から、変な手紙が入れられたり、無言電話も……弟帰って来ないし、もう私どうしたらいいのかわからなくて……」
「か弱い姉のピンチをまるきり無視なんて、あの弟のヤロー……。でも、俺がいればもう大丈夫です」
今にも泣き出しそうな顔をするシオンの肩を、ブルーの頭上にいるブラックが優しく叩いた。
「シオンさん。あんなストーカー野郎、俺らにかかれば秒殺ですから!」
「ありがとうございます、良いお隣さんがいて、私とっても心強いです……」

シオンのか弱い笑みに、散弾銃を浴びせられたブラックだったが、すんでの所でブルーの頭皮に爪を立て、事なきを得た。
遥か下界の方で叫び声をあげるブルーをよそに、ブラックは精一杯のキメ顔をシオンに向け、
「シオンさん、後はこの俺に任せて安心してお部屋で休んでいてください。な、オレンジ!」
「え、うん……」
一人だけ張り切っているブラックを冷ややかに見つめながら、オレンジが頷くと、
シオンは潤んだ瞳を拭いながら、安心した様に表情をほころばせた。
「何かあったら警察呼びますから、気をつけてくださいね。迷惑かけてごめんなさい」
「いえいえ! 大事なお隣さんですから!」
部屋に帰ってゆく彼女を夢見心地で見送ったブラックは、突然だらしなく立っているオレンジの頭を引っぱたいた。
「もっとシャッキリしろよ。そんなんじゃ、シオンさんを余計心配させちまうだろ」
「そんなこと言ったって、ボク低血圧だから朝弱いんだよぉ……」
「テメェ、それでも正義の味方OFFレンジャーか! 市民を守るのは正義の味方の義務だろうがあああ!!」
完全に目が据わっているブラックに、オレンジが髪の毛を引っ張りまくられるその最中、
「あっ! あなた方こんな所にいたんですか。大事な会議にも出ないで。ちゃんと召集メール送ったでしょう?」
本部からぞろぞろと出て来た隊員達。そのの先頭に立つグリーンが、3人に冷ややかな目を向けた。
「俺達、会議どころじゃなかったんだよ、緊急事態だから会議出るどころじゃ、な? そうだよな?」
「え、ま、まぁ……うん……」
ブルーとオレンジは歯切れ悪く答えた。本当は無理やりブラックに引き止められたのだが……。
「緊急事態ですか?」
「あぁ、聞いて驚けよ。なんと一昨日からシオンさんにストーカーが付きまとってるらしい」
「まっさかー」
「ホントだよ、ほら、あそこ見てみろって!」
身を乗り出して駐車場の方を指差すブラックだったが、さっきまで怪しい人影がいた場所には、
蟻んこ一匹の姿も見受けられなかった。……もちろん比喩なので蟻一匹くらいはいるかもしれないが、
ストーカーと呼べる存在が見受けられないことは事実だった為、グリーンの視線が一層に冷ややかに向けられた。
「……ははぁ、透明人間のストーカーとは奇妙奇天烈な事件ですねぇ」
「んなわけねーだろ! 俺達の鉄壁の守りにビビッて、今日の所は尻尾巻いて退散したに違いねえ!」
力説するブラックの唾が顔面に飛び、グリーンは目を閉じたままぷるぷると顔を振ると、
「……ま、ストーカーの件は脇に置いときまして、こっちの事態もかなり緊急なのですよ」
「シオンさんの悲しみよりも緊急なことって何だよ」
「前々からぽつぽつと話していた、例の黒幕の容疑者が浮上したんです」
その言葉に、ブルーとオレンジは「えっ!」と驚く表情を見せた。
「だ、誰なんすか!?」
「……705号室の刺青男ですよ」
隊員達の視線は、左へ二つ隣の705号室のドアに集中した。
全身にタトゥーやピアスやら、アブナイ身なりをしたタヌキ顔の男性がその部屋の住人である。
一同は何度か彼の外出風景を目にした事があるが、話しかけてもチラとこちらと横目で見るだけで、返事どころかニコリともしないので、
隊員達の間では見た目も相まって、“感じの悪い奴”という印象でほぼ固まっている人物であった。
「根拠は何すか?」
「彼が全身に彫りまくっている刺青です」
「……あれ刺青っていうか、タトゥーじゃないの?」
オレンジの問いかけを無視し、グリーンは言葉を続けた。
「……事件の犯人の額にあった翼を広げたコウモリの様なマーク。恐らくBC団の様に組織の共通のマークなのでしょう。
となれば、黒幕にも同じ様な物、もしくは少し異なった地位のあるマークが付いている可能性が高いと踏んだのです」
「じゃぁ、その男にも同じマークが?」
「ええ、私は見てしまったのです。あの男の胸に、デカデカとコウモリが大きく翼を広げている刺青が彫りこまれているのを!」
グリーンの発言で、ブルーとオレンジは覚えている限りのタトゥー男の姿を思い浮かべた。
そのイメージの中の彼には、確かに胸の辺りに、大きく翼を広げたコウモリの羽のタトゥーがあった。
……しかし、例のマークが羽根が上に向って大きく反っているのに比べ、彼の羽根は左右に大きく広がっているのだが。
「事件が起こったのは我々が越してきた当日……同じ日にここへ越してきたのはあの刺青男だけです」
「……そうっすよ。それに、荷物取りに行ったときも、なんか怪しい感じだったすもんね」
「ええ、私の推理ではあの時の大音量は何かマズイ物をかき消すためのミスリードだと思うのです」
「マズイもの?」
「例えば、その、悪事を働かせる為に人々に取り憑かせる魔物的なものとか、小松菜をお湯で」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!!!」
最後までグリーンが言い終わらないうちに、ブラックが突然の絶叫を残してブルーの頭上から消失した。
いや、実際には飛び上がっていた。思い切り踏ん張った彼の足はブルーを後方にぶっ飛ばし、
「てめええええこんにゃろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
小柄なその体格のおかげで、ブラックは2メートル先に立つサングラスを掛けた男性へ見事に飛び掛った。
その男は、ブラック達が目撃していたストーカーとまったく同じ風貌をしていたのだ。
「この変態野郎!! 俺がいながら突入してくるとは上等じゃねえか!!」
ブラックの倍はある体格のその男は、突然の不意打ちにより仰向けのまま地面に倒され、パンチの雨霰を一手に浴びた。
「イタタタ、や、やめてください!」
「ストーカーなんてする奴は最低なんだぞ、いいかげんわかんねえのかコラ!!」
「ひ、ひぇぇーーっ!」
男は馬乗りになったブラックの鉄拳を必死にガードするので精一杯という風に情け無い声をあげた。
ブラックの本気さに、若干隊員達の間に苦々しい空気が流れるが、彼はそんなことにお構いなしであった。
「いいか、シオンさんにはこの俺が付いてんだから、諦めて分相応の女を追っかけんだな!」
「さ、さっきから一体なんの話なんですかっ!!」
「しらばっくれんな! お前がシオンさんをここ最近付け回しているストーカーだって事は判りきってんだ!」
「ひ、人違いですっ! 私はストーカーなんて、してませんっ!」
「テメェ、この期に及んでまだそんな事を……!」
「ひぃっ!! ほ、ホントなんですぅぅぅ……!!」
男の顔面に向けて振り下ろそうとしたブラックの硬拳を、グリーンは慌てて掴んだ。
「ま、待ってくださいブラック! ホントに人違いだったらどうするんですか」
「あン? そんなの嘘に決まってるだろ! いくらシオンさんが美人で素晴らしい人だからってストーカーなんざ……」
「ホントなんです。ストーカーじゃないんです!」
隊員達は男からブラックの身体を引き離し、
「ブラック、この人の話を聞いてから判断しましょう。それからでも遅くは無いでしょう」
「……もしストーカーだったら俺の好きにさせてくれるな?」
「ええ、ええ、唐揚げだろうが磯辺揚げにしようが何でもしてやってください。……さ、そこのあなた、弁解をどうぞ」
グリーンに促され、男は鼻水をすすりながら、土ぼこりに塗れた身体を起こした。
「……私はある人を探していましてね。その人がこのマンションに住んでいるというので……あ、男です。男ですよ!」
拳を振り上げかけたブラックを懸命に宥めながら、男は続けた。
「どうしてもその人を見つけないと、私にとって一大事なんです。情報があったのでここに駆けつけたと言う訳で……。
ストーカーは知りません。私がここを見つけたのは昨日の晩なんですから」
「で、その探してる男って誰だよ」
「それは……」
男は困った様な顔を一瞬浮かべたが、すぐにそれを悟られぬように表情を消し、右側に佇む、一枚のドアに目をやった。
それは、隊員達も会おうとしていた人物が住む部屋の扉であった。
「……ここの、705号室の方です」
◇ 8/18 AM:09:21 ◇
その頃、ティオとその付き添いのエコは、マンションから徒歩5分のショッピングモールにやって来ていた。
当然彼らはショッピングに来ているわけではなく、次の標的探しのためにやって来ていた。
「ティオさまー。なかなか悪の種を持つ人間っていないもんですねー」
「そ、そうだね……」
ティオは汗を拭いながら、キョロキョロと辺りを見回しているエコの方へ振り返った。
いや、正しくは使い魔エキオンプス。エコに正体がバレ、オマケにティオが彼を気に入っていたせいで、
魔力やら何やらでエコは現在、悪魔としてティオのお目付け役と言う事になっているのだった。
「あっ、ティオさま。あいつなんてどうですかー?」
「ねぇ、エコ……あ、あのね、“様”っていうの、辞めてほしいな……」
「えぇっ、どうしてですかぁ」
「ぼ、ボクら、同い年でしょ……だ、だから、普通に話して、いいんだよ」
「そんなぁ、ティオさまは魔界での次期魔王になられるお方ですよー? オレ、そんな失礼な事出来ないです」
「う、うーん……で、でも、ボクからの、お願じゃ、だ、だめかな……」
「……ど、努力してみます」
エコは表情を曇らせながらも渋々頷いて見せると、ティオはホッと安心した様に口元に笑みを浮かべた。
悪魔にしたとはいえ、エコにはやっぱりエコで居てほしいのだった。
「あっ、ティオさま! デビルカプセルに反応がありますよー!」
エコが手にしたデビルカプセルを見ながら大声をあげた。ティオもカプセルを覗き込む。
魔界の王子である自分が気づかないほど、微弱なものであったが、モニターは確かな反応を示していた。
「アイツです!」
ティオは、エコが指差した先にいる人間に目をやった。
そこにいたのは、悪魔である自分でさえも怖気づいてしまいそうなパンクな風貌の男であった。
「あ、あの人……」
ティオはその男を見るなり、ごくりと唾を飲み込んだ。
彼は刺青だらけで、ピアスだらけで、タヌキみたいな模様をした、同じマンションの、同じ階に住む、705号室の……。
「ティオさま、早速あいつの悪の種を咲かせましょう!」
「ちょ、ちょっと待って……!」
一目散に駆け出そうとしたエコを、ティオは慌てて引き止めた。
振り向きながら不満げな瞳を向けるエコに、ティオは目を伏せたまま激しく首を振った。
「ま、まだダメだよ……ぼ、ボクでも気づかないくらいだから、まだ種が完全に出来てない、はず、だし……」
「えぇっ、そ、そうなんですかぁ?」
「う、うん……」
「じゃぁ、種が出来るまで、あの人間を見張りましょう!」
「えっ……」
「魔界の為にも、早くデビイルパワーを集めないといけないですしねー。さ、ティオさま、行きましょう!」
エコに手を引かれて、ティオは705号室の住人である刺青男の後へ続いた。
だが、意気揚々と歩き出すお目付け役と比べ、集めるべき王子の方がはあまり乗り気ではなかった。
その理由は簡単。何故なら男の外見がティオの苦手な、怖い風貌であるから……。
◇ 8/18 AM:11:48 ◇
「さっきから長々と話されてますけど、結局ここの住人に会いたいって事以外何も伝わってきてませんがねぇ」
グリーンにそうチクリと刺されても、謎の男はペコペコ頭を下げるだけで言葉を濁すばかりだった。
ここの住人に何の用か聞いても大事な用件がある、大事な用件とはと尋ねても私の今後に関わる事というだけで、
後はやけに豊富なボギャブラリーを駆使して、のらりくらりと隊員らの追及を交わし続けていた。
「他人には言えないような用件なんですか?」
「コンプライアンスに触れますので」
「誰にも言いませんからぁ~」
「多くの関係者に迷惑が掛かってしまいますので……!」
再三の尋問の前にも男の口はダイヤモンド並みに固かった。
このままでは無駄に時間を浪費していくだけということが隊員らの間にハッキリと感じられ始めてきた頃、
「……わかりました。我々も他人の事情にどうこう言う様な浅ましい人間じゃないですからね。もう聞きません。
あなたの熱意には参りました。ここの住人の方に会わせて差し上げましょう」
「えっ!?」
グリーンの言葉に、男だけでなく隊員らまでもが驚きの声をあげた。
「ということは、やはりあの人はこのマンションにいたんですね……」
「ええ……詳しくは聞いていませんが、我々が個人的に外の方々から匿ってあげていたのですよ……」
「それはこちらとしても助かります。いやぁ、良かった。では、早速会わせて下さい!」
「わかりました。我々が説得して、責任を持って連れて行きますから、一階の玄関でお待ちいただけますか」
「ええ、ええ、そりゃぁもう。はァー。良かった。これで首の皮一枚繋がった……! 出来るだけ、早めにお願いしますね!」
男はそう言うとウキウキと、スキップをしているような軽い足取りで、エベレーターの方が早いのに、非常階段を降りていった。
隊員達は、カン、カンと言う小気味よい足音をBGMに、グリーンに怪訝な眼差しを向けると、彼はあっけらかんとした顔で、
「ええ、ハッタリです。こっちの用件の方が先なんですからね。もうああ言うしかないでしょう」
「でも、それじゃどうするのこの後……」
ピンクの不安そうな表情をグリーンは一笑に付した。
「容疑が確定すればとっとと倒しちゃって、違うと判れば後は放っておけばいいんですよ。
我々としては、とにかくあの刺青男をたっぷり問い詰めなければならないのですからね。では、早速」
グリーンは、ドアチャイムを強く押し込んだ。しばし耳を澄ます。誰かが玄関にやって来る気配は無い。
再び押す。もう一度。ダメ押しのダメ押しもやはりダメであった。
「このパターンだと……」
若干デジャヴを感じつつ、グリーンはドアノブに手を掛け、そっと扉を引いた。
それは呆気ないほど容易く開いた。7階にあるとはいえ、無用心にも程があるというものだ。
「か、勝手に入っちゃっていいの?」
「いいんですよ。前にも同じようにしてダンボール貰って来たんですから、それに、鍵を掛けて無いって事は、
中にいるってことでしょう。……じゃ、お邪魔しますよー」
ずかずかと部屋の中にあがるグリーンの後へ隊員達は続いた。
部屋の中は、電気が付いておらず薄暗くて、どこかじめじめとしていた。
周囲には、お香でも炊いているのか、甘ったるい様なふわふわするような妙な匂いが染み付いていて、やけに鼻腔を突いた。
「ホントにいるんすかね……」
「多分、また音楽でも聴いているんでしょう、皆さん、耳を塞いでください、大音量ですから」
皆が耳を上から押さえ込むと、自分自身も片耳を塞ぎながらグリーンはドアノブを握った。
「せーのっ!」
勢い良くドアを開いたグリーンだったが、中からは音の洪水どころか、音符一つも流れてこなかった。
室内は静かだった。あまりにも静か過ぎて、グリーンは住人の姿を捕えるよりもいち早く、その事実を察知した。
「……留守のようですね」
◇ 8/18 PM:12:31 ◇
「ティオさまー。あの人間、なかなか悪の種が完成しませんねー」
「うん……そ、そうだね……」
その頃、エコとティオは、近くのお店で買ったソフトクリームを食べながら、ターゲットである刺青男の尾行を続けていた。
尾行と言っても、男はさっきからずっと噴水があるショッピングモールの中央広場のベンチに気だるく寝そべったまま、
寝ている様な起きている様な、そんなぼんやりとした瞳で、遥か頭上に広がるステンドグラスの天井を眺めていた。
「あ、ねぇねぇ、ティオさまー。そういえば、オレ、まだ詳しく聞いてなかったんですけどー」
カプッとソフトクリームにかぶりついて、エコはちらとティオの方に目を向けた。
「あの、悪の種って結局何なんですかー?」
「う、うーん……ボクも詳しく知らないんだけど……」
ティオはゴクンと唾を飲み込んでから、再び言葉を続けた。
「人間の心に、怒りとか、恨みとか、嫌な気持ちとか、そんなのが、溜まった時に、悪の種が出来るんだ……
た、種はずっと放っておくと、枯れるんだけど、時々、自力で花が咲く事が合って、その時、凄い量の悪のエナジーが出るんだ」
「なんだ、人間が咲かせる事もあるんですかぁー」
「うん、で、でもそういうのは、1000人に一人とか、だから、悪のエナジーを注入して、悪魔化させて、
無理やり咲かせた花からパワーを集めるんだ……。そ、それが、ボクの役目だよ」
「頑張って、ティオさまが早く王様になれるといいですねー」
「うん……そ、そうだね……」
声のトーンが低くなったティオは、恐る恐る標的に目を向ける。
男はまだベンチの上に横たわっていて、垂れ下がった右腕だけが微かに動いていた。
天井のステンドグラスは、5人の天使が宙を舞い、今にも降りてきそうなそんな絵柄で、悪魔であるティオは少し気分が悪くなった。
「…………」
既にティオはソフトクリームの殆どを平らげていた、エコに至ってはコーンの部分をカリカリ齧っている。
精神を集中させる。未だ男の悪の種はその輪郭をぼんやりと浮かび上がらせながら、存在と非存在の間で揺らいでいた。
「(……変だなぁ……あそこまで来てたら、もういつ出来ても、良い頃なのに……)」
ティオは、不思議に思いながらソフトクリーム部分の無くなったコーンへ、ガブッと噛み付いた。
◇ 8/18 PM:14:55 ◇
ドアを開け、別室を捜索していたオレンジ達が帰って来たが、彼らはため息交じりに首を横に振った。
「換気扇まで開けて調べたけど、どこにもいないよ。やっぱり留守で間違いないんじゃないの」
「うーむ、そうですか……」」
腕組みをしながら、グリーンは改めて刺青男の部屋を見渡した。
マリファナの葉やちょっとアダルトなガールズボディがプリントされたシールによって彩られた鉄製のベッド、
地べたに置かれたままのCDコンポ。引っ越してきてから大分経つと言うのに未だ未開封なダンボールが数箱。
「……となると、ここはちょっとガサ入れさせてもらいましょうか」
「えっ?」
グリーンはふと、部屋の隅にある机に目をやった。恐らく組み立て式の安物で、引き出しが一つも無かった。
そんな机の上には多くのCDが乱雑に積み上げられ、その数はざっと100数枚を超えているように見えた。
「こういう所に、重大な秘密が隠されているということが往々にしてありますからね」
そう言って、グリーンは机の上のCDを手に取り、ケースを開いた。
そうしてパラパラと歌詞カードを開き、入念に中身をチェックして行く。さながら捜査員の様だった。
「勝手にそんな事しちゃって良いの? プライバシーとか」
「何を言ってるんですか、私はこのマンションの所有者ですよ。それに、我々は覗きをしているわけでも、
他人のプライバシーを侵害しているわけでもありません。公共の平和の為に、涙を呑んでこの様な事をしているんですよ。
刺青男の容疑が晴れれば、我々としても安心ですしね。さ、皆さん。何か怪しげな物が無いか調べてください」
ペラペラともっともらしいことを語るグリーンに、若干呆れつつも隊員達はアチコチに散っていった。
事件解決のためにはあまり正義の味方としてよろしい行動ではないが、調べない事には容疑はいつまでも晴れそうにない。
ここの住人をこれまで見てきた限り、問い詰めたところで無言と無表情を貫き、気だるそうにしている事は容易に想像がつく。
「全部、HIP-HOPですね……2PAC、Eminem、3rd Bass、The ROOTS、Dalek……はァ~全然知らない人ばかりですね」
「グリーン、こういうの興味ないもんねぇ」
「ええ、こういう軽薄な音楽はどうも。肌に合わなくて」
一緒にCDをチェックして行くピンクの方へ、ため息交じりにグリーンは答えた。
「輸入盤が多いようですが、音楽好きとなると、あの男はDJでもしてるんでしょうかね……」
「多分ね。あの格好じゃ、コンビニでアルバイトとか出来ないだろうし」
「あそこまで素性が垣間見えない人も珍しいですね……これもダメです」
グリーンは調査済みの手前のCD束を抱え、床に置いた。ピンクもちょうど手前の分を見終えたらしく、
彼は再び同じようにして机からCD約50枚をどけた。よくこれだけ集めた物だと二人が感心していると、
「グリーン、こっちにも大量にCDがあるようです……」
後方でダンボール箱を探っていたクリームとシェンナの方へ振り返るなり、二人はぎょっとした。
積み上げられたダンボール3箱のうち、3箱ともCDがみっちりと詰め込まれていたのである。
「ど、どれだけ集めてるんですかあの人は……」
「シェンナわかったですー。きっとあの人CD屋さんですー!」
「どうしますか、これ全部調べますか?」
クリームの問いに、グリーンは力なく手を振った。
「手をつけてないって事は、多分大丈夫なんでしょう。ガムテでもっかい塞いでおいて下さい」
「了解です」
グリーンはCDを降ろした後の机に目を向けた。まだCDは半分ほど積み上がっていた。
多分、これら一枚一枚を見て行ったとしても、骨折り損になるであろう事はなんとなく予想がつく。
「……ん?」
そんな時、ふとCDとCDの間に何やら古びた文庫本サイズの本が数冊挟まっているのにグリーンは気が付いた。
もしや邪悪な存在を呼び出す魔術書か何かでは! 高まる期待を抑えつつ、本を抜き取る。
「これは……」
「なになに、何の本?」
興味津々に覗き込むピンクにグリーンは表紙を見せた。
カバーも取れ、端々にはコーヒーか何かの茶色いシミが残っていて、年季が入っているのがひしひしと伝わってきた。
「11月の雨……聞いた事無いタイトルですね」
「マクイウェンですね」
クリームがぽつりと口を挟んだ。
「私が読んだのは『レイニー・ノーヴェンバー』って題名の時ですけど」
「へぇ、面白いんですか?」
「……私向きの本じゃ、無かったですね。かなりマイナーな作家ですし」
クリームの苦笑いに、だいたいの内容が想像出来、グリーンは本を元のCDの間に差し込む。
他にも挟まっている本を調べてみたが、『海外幻想文学集7』『欧米ミステリー傑作選5』など、
中途半端な巻数のアンソロジー本がいくつかあるくらいで、単に読書好きと言うより、
暇つぶしに買った本がそのまま溜まっているといった印象をグリーンらに与えた。
「ねぇねぇ、なんか、冷蔵庫の中に変な包みがあるよ!!」
突如、オレンジが血相を変えて部屋の中に駆け込んできた。
その緊迫した様子にグリーン達も急いで現場に急行すると、キッチンに備え付けられた小さな冷蔵庫の扉が開かれていた。
庫内には飲料や食料、マヨネーズ等の調味料すら見当たらず、唯一、布で丁寧に包まれた厚さ10センチ程の長方形型の物体があるだけだった
「な、なんすかね、これ……」
「触らない方がいいですよ」
手を伸ばそうとしたブルーを制止して、グリーンは冷蔵庫の中に頭を突っ込み、まじまじと謎の包みを舐めるように見回す。
「もしや、これは……」
グリーンはふうっと息を吐くと、冷蔵庫の扉を閉めた。
「グリーン、それが何かわかったの?」
「ええ。どうもあの刺青男や、さっきのストーカー風の男の様子を見ていて妙な胸騒ぎを感じていたのですよ」
「?」
「……麻薬の一種に、冷蔵庫で保存するタイプの物があると聞いたことがあります」
「麻薬!?」
隊員達の顔色がみるみるうちに青くなった。
「仮に考えて見ましょう。あの刺青男が麻薬の売人だとします」
「何で売人?」
「親から貰った大事な身体に墨を入れたり、穴を空ける様な親不孝者など、昔から麻薬の売人かヤクザ者と相場が決まっています!
むしろ、あの外見で犯罪を犯してない方が、こりゃぁもう世の中どうかしてるってもんでしょう」
「そ、そうかなぁ……」
「そう考えると、男のあのフラフラ、フワフワした感じはクスリをキメキメでハイになっている状態と容易に想像が付きます。
さらにそんな刺青男を捜していた謎の男……人を探しているにしてはただならぬ様子だったと思いませんか……」
グリーンの顔つきが険しくなる最中、隊員達はゴクリと唾を飲んだ。
「これはあくまで私の推理ですが、刺青男が密売組織からヤクを持って蒸発した為に、組織のボスが激怒。
そして部下をあちこちに放って捜索させ、とうとうこのマンションに逃げ込んでいるのを発見したのでは」
「まさかぁ、そもそもその中身が本当に麻薬かどうかだって、目で見て確認したわけじゃ無いんでしょ」
「それはそうですが、少なくとも旧友を訪ねてきたって感じじゃないですよ、関係者に迷惑がどうのこうのとか、
まるで、自分が口を滑らせでもしたら、すぐさま組織から抹殺されんばかりの様子だったじゃありませんか」
「でも……」
──ピンポーン
そんな時、チャイムの音と共に、部屋のインターフォンのモニターが作動した。
画面には一階の玄関に待たせておいたはずの、ストーカー(疑惑)男の姿が映し出されていた。
『すみませーん。もう大分待ってるんですけどー、まだ説得終わっていないんでしょうか』
そんなに時間は経ってないはずだ、グリーンは壁にかかった時計に目をやった。
時間は6時17分……そんなはずは無い。一同が12時前に部屋に入ったのだから。どうやらこの時計は壊れているらしい。
「ったくもう!」
腕時計型PCを開き、確認すると、15時35分。待たせてから三時間以上が経っていた。
『あの~、私もお部屋に入らせていただいてもよろしいですかー』
「ちょ、ちょっと待ってください。もうすぐ終わりますから! 一階で待っててください。お願いします」
そう言ってグリーンは慌ててモニターを切ると、手で口元を押さえながら考え込むように眉間にしわを寄せた。
「うむむ……」
「どうするの、グリーン」
「逃げますか!?」
隊員達が慌てふためく最中、グリーンは覚悟を決めたように頷くと、
「……仕方ありません。私がこの身を挺して真相を究明してみましょう」
「究明って、どうやって」
「私には、特殊能力がありますからね」
「へ?」
グリーンは、どこからかクシャクシャに丸まった紙くずの様なものを取り出すと、
手の中で皺を伸ばし、そのままペタリとおでこに貼り付けた。
「あっ!」
隊員の目の前でグリーンの身体は見る見るうちに黄緑色に染まって行った。手や足からは黄色い爪が生え出し、
そして顔つきもどことなく正義からは程遠い性根の悪そうなものへと変わる。さながらその姿はカメレオン。
「……ケケケケケ……BC団改造猫スパイ、カオンとはおれっちの事…………なんちゃって♪」

ペロリと長い舌を出して、グリーンはけらけらと笑った。
過去にBC団に改造猫にされたと思いきや、実はフリをしているだけで逆スパイをしていたという事があり、
その際、グリーンはこの赤と黄色の三角模様こと、BC団マークを象ったシールによって、変身をしていたのであった。
「いやー。私って、結構物持ちが良いんですよね~。まさかこんな事に役に立つとは思いませんでしたけど」
「でも、その姿になったからって問題が解決したわけじゃ……」
「フフフ、無問題です。私…いや、おれっちを誰だと思ってんだOFFレンジャー、ハハハハ」
久々に悪者の格好をして浮き足立っているのか、グリーンは大層悪そうな顔をして隊員らを見渡した。とことん役者肌な隊員である。
「カオンはスパイ用改造猫なんですから、変装はお得意なんですよ。ちょーっと待ってくださいねー」
グリーンはそう言うと、ベルトのバックルをクルリと一回転させた。
すると一瞬の閃光と共に、グリーンの身体は、先ほどのカメレオンの姿からあの刺青男の姿に変わっていた。
「フッフッフ、いかがですかな……?」
不敵に笑みを浮かべるその表情に、グリーンとはいえ、隊員達はその時初めて刺青男の、表情らしい表情を目撃した気がした。
その悪人風の微笑みに、格好も相まって、男の“ヤクの売人説”にますます拍車が掛かってしまいそうになる一同であった……。
◇ 8/18 PM:16:24 ◇
「ティオさまぁー。なんかここうるさいですねー」
「え、な、なに? なんて言ったの?」
問題の刺青男を追いかけて、エコとティオは路地裏にひっそりと佇むライブハウスにやって来ていた。
眩しい照明や耳を劈く音楽に気分が悪くなったせいで、二人は場内にある薄暗いカウンタバーの隅っこに座り、
ちびちびとレモンティーを飲みつつ、視線はやはりターゲットをしっかりと捕えていた。
「(や、やだなぁ……早くあの人出てくれないかなぁ……)」
昼前だと言うのに、休日のせいか、場内には多くの人々が押し寄せていた。
とは言う物の、全てあまり積極的にお近づきになりたくない見た目の人達ばかりで、ティオの心中は穏やかでなかった。
場違いな子供が来ているせいで、時折おかしな人から絡まれるたびに、必死に謝り続け、身も心もくたくたになっていたのだった。
「ティオさま、あの人間まだ悪の種ができてないんですかー?」
「え、なに、き、聞こえないよ……?」
「え? な、なんですか、もっかい言ってくださーい」
「聞こえないって言ったんだよ」
「えっ、なんですかー?」
会話も満足に出来ず、ティオはほとほと困り顔でグラスの中に浮かんだ氷をストローで突いた。
ビィィィンだの、ジャァァァンだの轟音が響いている中をすり抜けたのか、氷たちの心地よい音はハッキリと聞こえた。
「(……他の人探したほうがいいのかなぁ……でも、見つからなかったら、またねーさまに怒られるし……)」
ティオはまた視線を男の方へ戻した。ここでも彼はのんびりと椅子に座り、じーっとグラスの中のカクテルを見つめていた。
下に緑色の、上に赤色のお酒が入っている、カラフルな見た目だった。男はそれに口を付けては、またグラスを見つめるのを繰り返していた。
一体こんなことをやって楽しいのか、どちらかと言うと一人好きなティオにもまったくわからなかった。
「ねぇねぇ、ティオさま。ジュースおかわりしてもいいですかー?」
「えっ、な、何? 聞こえないよ……」
◇ 8/18 PM:16:31 ◇
ドアを出るなり、705号室の住人の格好をしたグリーンは隊員達に視線を向けると、
「私があの男に成りすまして、一階へ行きます。そしてまぁ、色々聞き出して、
想像通り危ない奴らの様でしたら、そのままとっちめちゃって警察に突き出しちゃいましょう」
「気をつけてね。グリーン。危険な目にあったらすぐ駆けつけるからね」
刺青男の姿のまま、グリーンは不安そうなピンクに頷いた。
「じゃぁ、皆さんはそこで私の勇敢な姿を見ていてください。行って来ますよ」
そう言って、グリーンは意気揚々とエレベーターに乗り込み階下へ向った。
隊員達は不安げに手すり壁へ前のめりになって、右側の玄関の方を覗き込むと、入り口の前で待っている男の背中が見えた。
しばらくして、玄関から「あぁ!」と言う声が聞こえ、グリーンと会ったのであろう事がすぐに判った。
「……何を話しているのか、全然聞こえないっすね」
「当たり前でしょ」
ブルーとホワイトの漫才を聞きながら、隊員達は離れた視点で見ている安心感も手伝い、
夏の日差しに照らされる、男とグリーンの様子をぼんやりと窺っていた。
「……っ!……っっ!……!!!!!」
その時、マンションの側をトラックが通る音に混じってグリーンの微かな呻き声が聞こえた。
隊員達が慌てて落下せんばかりに身を乗り出すと、男がグリーンの口元に何やら布を押し付けていた。
「ぐ、ぐり……」
あまりにもショッキングな光景が隊員達の喉に詰まって、誰も声を出すことが出来なかった。
そうしている間に、グリーンの身体は糸が切れた人形の様に男の方へ倒れこんだ。
すると、兼ねてからそういう計画であったかの様に、側に止めてあった白のワゴンの中から二人組の男が飛び出し、
刺青男の姿のまま気を失っているグリーンの身体を抱え、テキパキと車内に詰め込み……走り去って行ったのであった。
「ぐ、ぐり、ぐり、ぐりいいいいいん!!!」
◇ 8/18 PM:17:00 ◇
「ティオさまぁー。ダメです。いくら言っても入れてくれませんでした」
ムスッとした顔で自動ドアから出てきたエコの言葉に、ティオは力なく肩を落とした。
ライブハウスで見張っていると、男が一人の女と何やら二言三言交わして、そのまま外へ出た…のは良かったものの、
この『ホテル ピンクパレス』なる建物の中に二人で入っていった為に、エコとティオは尾行を一時中断せざるを得なかったのだった。
「ちゃ、ちゃんと、お金払うって、言った?」
「はい。言いました。でも『ウチはそういうの断ってます』って言われちゃいましたー」
「うーん……困ったなぁ……」
「どうしますか、お、オレがやっつけちゃいましょっか」
「う、ううん……ダメなら、待とうよ……ボク、ちょっと休みたいし……」
側の植え込みに腰を下ろして、二人は目の前にそびえる古びた建物を見上げた。
ここが何をする場所なのか、エコはもちろんのことティオも当然知らなかった。魔界にも無いのだから。
「(ホテルって書いてるし、夜になっても出て来なかったらどうしよう……)
夜遅くなれば『夕飯の支度をしてない!』と姉が怒るだろうし、かと言って標的が見つからなければ怒られる。
どっちに転んでもまったくハッピーエンドにならない自分の身の上に、ティオは頭を垂れ、一人しょんぼりとした。
「ティオさまぁ……」
そんな彼を、エコは心配そうに見つめていると、
「お、オレに任せてください」
「……え?」
「あの人間を、外に出させればいいんですよね?」
ニッコリ笑うエコの牙がキラリと光った。
◇ 8/18 PM:17:10 ◇
刺青男にに扮装したグリーンを乗せた車は、国道沿いを制限速度ギリギリで走っていた。
「……なんとか捕まえられて良かった」
後部座席で涎を垂らしながら気絶している彼の横で、先ほどのサングラスの男は深く安堵のため息をつくと、
運転席に座っている男もハハハと安心した様に笑った。
「ホントに。良かったよな。見つかって。ボスも喜んでることだろうよ」
「へへへ、このまま見つからなかったら、大変な目に会うところでしたよね」
助手席に座る細めの男も、ハンカチで汗を拭きながら表情をほころばせた。
「本当に……なんせ“COM”ですからね」
「あぁ、こいつには大金が絡んでいるからな……うちとしては絶対に見過ごすわけにはいかねえよ。
こいつの仕事次第でようやく20人まで増やせた人員達の今後の人生がかかってんだ……」
運転手の男は、バックミラー越しに険しい瞳でグリーンの姿を見つめた。
「……今回は、黙って逃げ出した分、きっちりと責任は取ってもらわねえとな」
「でも、例の物がまだ……」
「まずはこいつを監禁しておくのが先だ。散々お灸を吸えてから、隠し場所を聞き出して後で取りに行けばいい」
「……そ、そうですね」
車内に再び沈黙が訪れた。車はどんどん都市部から離れようとしていた。
そんな最中にもこれからどうなるのかも知らずグリーンはただただ心地よく眠りに付いていた。
と、突然車がブレーキをかけ、男たちの体は大きく前のめりになった。グリーンの身体が座席の隙間にごとりと落ちた。
「……クソッ!」
「どうしたんですか!?」
「……検問だ!」
男たちの目の前には、10数台の車が並んでいた。そしてその先には警察官らしき男らの姿。
タイミングの悪い状況に、先ほどようやく赤みを取り戻してきた男たちの顔色も急速に青くなっていった。
「ど、どうしますか」
「さすがに、見つかったらマズイんじゃないですかっ!?」
「……仕方ない。別ルートで行くぞ」
運転手の男が苦い表情で大きく右にハンドルを切ると、車は元来た道を急いで引き返し始めた。
後方から警笛の音が聞こえたが、男たちの誰一人として意に介そうとはせず、笛の音も徐々に聞こえなくなって行った。
「うぅーん……」
その時、足下の隙間にハマったままのグリーンが小さく呻き声をあげた。
◇ 8/18 PM:17:20 ◇
「なにか手がかりになるような物はないのっ!」
瞳に涙を浮かべながら、珍しく声を荒げているピンクは、705号室の部屋中をかき回していた。
グリーンを乗せた車は男子隊員らが追ってくれているものの、あれだけ時間差が付けば恐らく見失っている事だろう。
「あそこまでの計画的な連れ去り方から考えて、そうとう危険な組織に関与している感じがありますね」
「どうしようどうしよう、グリーンが死んじゃったらどうしよう……」
「大丈夫だって。ブルー達を信じようよ」
ポンと肩を叩いたホワイトの手に、ピンクはハッと顔を上げ突然部屋を飛び出していった。
ホワイト達も後を追うと、彼女は冷蔵庫の扉を開け、謎の包みを取り出していた。
「なにしてんのよピンク!」
「これ。グリーンの話がもし本当なら、あの人達、これが狙いなんでしょ」
「そ、そりゃそうだろうけど……」
ピンクは包みを小脇に抱えると、腕時計型PCを開き、大声で呼びかけた。
「ブルー! 今どこ! グリーン見つかった!?」
『だ、ダメっす! なんか火事があったらしくて、たくさんの車や人で身動きが……!』
スピーカーから聞こえてきたブルーの緊迫した声に、ピンクは思わず荷物を床の上に落としてしまった。
何かがバリッと割れた音がして、側に居たクリームはすぐさま拾い上げようとすると、
「……?」
荷物の側に、新聞紙のどこかの隙間から飛び出したと思われる、白く小さな破片が飛び出していた。
そこから何やら薄い煙の様な物が出ているのを目にした時、クリームの表情がいっぺんに変わった。
「これは……」
◇ 8/18 PM:17:23 ◇
「危ないですから離れてください! 離れてください!」
『ホテル ピンクパレス』の建物全てを青白い炎が覆っていた。
消防車の懸命な作業も虚しく、その青い炎はどれだけ水をかけても弱まる事は無かった。
だが、不思議な事にこんなに激しい炎でも、煙一つ出ることが無かったため警報装置が作動せず、
10分以上経っていても、ゆっくりと部屋を出て非常階段で避難出来るほど、内部には何の異変も感じられる事はなかった。
「こんな感じでいいですかねー。ティオさま」
人ごみから離れ、向かい側の雑居ビルに挟まれた薄暗い隙間の仲でエコはフッと微笑んだ。
「す、すごい、え、エコって、頭良いんだね……」
「へへ、悪魔にとっちゃ朝飯前ですよー!」
エコの手からボワッと青白い炎が飛び出すのをティオは羨ましげに見つめた。
「ぼ、ボクも炎を出せるのに、そ、そんな考え、全然思いつかなかった……」
「大丈夫ですよ。そろそろ、あの人間も外に出て来ているはずです。オレ、ちょっと見てきますね」
パタパタと走り出したエコは、人ごみをかきわけ、未だ消えない火に悪戦苦闘中の消防士をよそに、
ターゲットである刺青男の姿を探した。消防車の脇で、固まっている客らしき男女らの姿があった。
その中に、ライブハウスであの男と一緒にこのホテルに入っていった、女を見つけた。
「(あっ、いたいた♪)」
化粧の濃いその女性に弾んだ足取りで近づくエコだったが、問題の男の姿が無いことに気づき、はたと足を止めた。
バタバタと避難した客らの周囲を探し回ってみても、尻尾の先すら確認する事は出来なかった。
「あ、あの、一緒に居た男の人どうしましたー?」
エコの問いに、同伴していた女は思い切り不機嫌そうに眉をしかめ「あぁン!?」とドスの聞いた声をあげた。
「知らねえよ!! アタシとヤるだけヤって、シャワー浴びてる隙に金だけ置いていなくなったよ!」
「えぇっ!? ど、どこにいったんですか?」
「知ってたらこんな所いるわけねえだろ! 火事ってくれたから良いものの、あいつの置いてった金、全然足りてなかったしよ!」
「あ、ありがとございましたっ……!」
あまりにもの剣幕でケバい女が詰め寄るので、エコは慌てて人ごみの中へと逃げ込んだ。
あんなに怖いのはきっと魔界にも居ないんだろうなと思いつつ、ターゲットを完全に見失ったショックがじわじわと遅れてやって来た。
ティオに説明したものの、お仕置きされる側にとってはかなりのショックだったらしく、
「も、もしかして、ボクらの、尾行、ば、ばれてたのかなぁ……ど、ど、どうしよう……。
ね、ねーさま、最近、変な電話かかってくるって、イライラしてたし、こ、こっぴどく怒られる……!」
ガタガタと足が震えだしたティオ。それを前に、悔しそうな表情を浮かべていたエコの小さな鼻がピクピクと動いた。
「……ん?」
「ど、ど、どうしよう、ねーさま、最近ネットで、凄く硬そうなダイエット器具、買ってたし……」
「ティオさま、ちょっと待ってください」
「え? ど、どうしたの?」
「なんか、こっちの方に、凄い悪のエナジーを感じます……」
エコは鼻をヒクヒクとさせながら、徐々に大通りの方へと歩いていった。
「ほ、ホント!? じゃ、じゃぁ、別な悪の種を持ってる人間かも……!」
先ほどまでの表情から一転、パァッと(それなりに)明るい表情を取り戻したティオは、
警察犬の如く、辺りをかぎまわりながら歩いていくエコの後に、続いて行った。
「あっ、あれです。あの中から物凄い邪悪なオーラを感じます!」
野次馬を抜けて大通りにやって来ると、エコはこの騒ぎにより渋滞している車の中の一台を指差した。
その白いワゴン車は、後部の座席が黒ガラスでよく見えないものの、見た所普通の車にしか見えなかった。
だが、ティオのヒゲが少しだけ震えた。エコの言う通り、何かとてつもない怒りや苛立ちのオーラを感じ取れた。
間違いなく、急激な悪の感情が膨らんだことにより、悪の種がしっかり出来ている事に違いない。
「さ、ティオさま。さっそく悪の種を咲かせてください」
「う、うん。わかった!」
ティオはゴクリと息を呑むと、車に向って手をかざした。
◇ 8/18 PM:17:25 ◇
火事のホテルの向こう側の大通りにグリーンを乗せた車があった。
「もががががががががががが!!」
目を覚ましたグリーンの口元を、男は必死に押さえていた。
「何やってんだ! 早く眠らせろ!」
「それが、なんかもう薬剤が乾いちゃってるみたいで効きません!」
「クソッ、よりによって……クソッ!!」
運転手尾の男はハンドルに両拳を思い切り叩き付けた。
火事の騒ぎにより、この周辺はひどく混雑して身動きが取れなくなっていたのだ。
「次から次へとツイてねぇ。これ以上、なんかあったら、俺ぁ、ホントに泣くぞ」
「あぁぁぁっ! た、高柳さんっ!」
「今度はなんだ!?」
「な、なんか白石さんが身体を押さえつけようとしたら……急に、あ、あの……」
運転手の男が振り返るなり、彼の瞳は精一杯にまで見開かれた。
確かに捕まえたはずの、あの刺青男の姿はもうそこにはなく、緑色のカメレオンみたいな少年が、
男たちに押さえつけられたまま、もがいていたのだった。
「な、なんだこいつはっ!!!」
男がそう叫んだ瞬間、突然そのカメレオン少年の体が紫色に光った。
そして、みるみるうちに少年の目付が鋭くなると、物凄い力で自分を押さえつけていた男達の腕を振り払い、
「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ……!」
少年は、ギロリと光る黄色い瞳で男たちを見回すと、その右手で窓ガラスを突き破った。
「おれっちを、こんな目に合わせた分、覚悟は出来てんだろうなぁ、ケケケケケ……!!」
◇ 8/18 PM:17:27 ◇
「ゲ、ゲ、ゲ、ゲ、ゲ……!」
騒ぎを聞きつけた男子隊員達が、大通りの方へ駆けつけると、
そこには、ワゴン車の上で四つん這いになって、奇声をあげているカオンの姿があった。
「たすけてぇぇぇぇっ!!」
車の中には、恐怖で叫びまわっている、グリーンを連れ去った男たちがいた。
逃げれば良いとも思うのだが、それぞれ扉の部分はひしゃげており、出られないようになっていた。
さらによく見れば、車の天井部分には、無数にえぐれた跡があり、上から何度も攻撃をされているようだった。
「グリーン発見、グリーン発見。場所は、2丁目の大通り。いたけど、ちょっと様子がおかしいっす」
ブルーは腕時計型PCで、女子隊員との通信を切ると、男子隊員一同で固まり、そろりそろりと歩み寄っていった。
「シャーーーッ!!」
しかし、カオンとなっているグリーンは、大きな口と真っ赤な舌を伸ばして隊員らを威嚇し、
「ゲ・ゲ・ゲ……ゲゲゲゲゲ!!」
黄色い爪で再び、車の天井をガリガリと引っ掻いた。削りたての鰹節の様に、鉄片が大きく反り上げる。
「わぁぁぁぁーーーっ!!」
男たちの悲痛な悲鳴が辺りにこだまする。このままでは、隊員内から殺人者を出してしまうことになる。
隊員達に緊張が走る中、オレンジがあっと呑気な声を挙げ、カオンの方を指差した。
「あっ、みんな見て。グリーンのおでこ! BC団のマークじゃない!」
オレンジの言う通り、カオンの額には見慣れた赤と黄色の逆三角形の模様が無かった。
その代わり、こちらもひどく見慣れていた、あのコウモリマークが彼の額に堂々と現れていたのだった。
「こりゃぁ、グリーンまでも邪悪な存在の餌食になってしまったみたいっすね……」
「どうすんだ、ブルー」
「一応、仲間っすからね。女子もこっちに向ってるみたいだし、それまで説得を試みてみるとか……」
「じゃぁ、副隊長のブルーどうぞ」
シルバーに促され、ブルーは「えっ、俺一人?」と言う顔をしたが、他の隊員も同調しているようだった為、
「……じゃぁ、もしダメだった場合は……」
ブルーは隊員らに耳打ちをしてから、渋々カオンに近づいて行くと、再びカオンに威嚇され、とりあえずその場所で足を止めた。
「ぐ、グリーン。気を確かに持ってくださいっすよ。邪悪な存在に取り憑かれたらOFFレン隊員としても」
「ゲ、ゲゲ……ちがう……おれっちは、ブラックキャット団、カオン……ゲゲ……」
「それは、逆スパイだった時の話っすよ!」
「……ゲゲ、ウィック様に代わって、おれっちが、新BC団を作る……ゲゲ……」
「それじゃぁ、レッド不在のOFFレンはどうなるんすか!」
カオンは再び「シャァァァァ!」と奇声をあげ、抉れた鉄片を引きちぎるとブルーの足下に投げつけた。
「おれっち、ばっかり、嫌な目、合う……隊長、代理、面倒……悪になる方が、ゲゲゲ、楽だ、ゲゲゲゲゲ!!!」
「た、確かにちょっとグリーンに頼りすぎた所もあったっすけど」
「おれっちは、グリーンじゃなぁぁぁぁぁぁい!!!! ゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ…」
カオンは大きく口を開けたまま、空に向って、ゲーゲー叫び続けていた。
最早、完全に自我を失っているグリーンを前に、ブルーは仕方なく、パチパチとウィンクをした。
「ゲ、ゲゲ、ばれてるぜぇ……!」
カオンは素早い動作で反対車線の方に振り返ると、鉄片を、ブラックの持つOFFレンボックスに投げつけた。
白煙を噴出しながら、せっかくの必殺武器は真っ二つに割れ、虚しく地面に転がる。
「ゲゲゲ、おれっちは、ゲゲ、カメレオン……360度、見渡せる、ゲゲゲ……不意打ちは、ゲゲ、効かない!!」
ペロペロと長い舌を挑発するようにくねらせながら、カオンはニヤリと不敵に笑った。
「どうする、OFFレンジャー。ゲゲゲゲ……!」
「……そこまでよ!」
その時、どこからかホワイトの声が聞こえた。
隊員だけでなく、カオン、さらには近くの野次馬までその姿を捜すが、どこにも彼女は見当たらない。
「あ、あれは!?」
野次馬の誰かの叫びに、その場に居た人々は一斉に上空を見上げた。
空から、何か丸い物が複数落ちてきている。UFO、いやそんな物では無い。
「金ダライだ!」
隊員達が落下物を特定した瞬間、カオンの乗った車の周囲に次々と金ダライが落下し、
そこから噴出する白く濃い霧が、アッという間に辺りを覆い隠し、その場にいた全ての人々の視界を奪った。
「ハハハ、バカどもが……!」
カオンの目が辺りを懸命に見回した。濃い霧に覆われているが、攻撃しよう物ならどこからでもすぐに避けることくらいは出来る。
「ゲゲ……これで、目隠しをした、つもりか……ゲゲゲ……おれっちは、360度見渡せるんだぜ……!」
「……知ってます」
男子隊員、そしてカオンの耳に、今度はクリームの声が聞こえた。
強がりに決まっている。カオンは再び不敵に笑おうとしたその時、異変を感じた。
……手足に力が入らない。視界がぼやける。何だ。一体何だ。とうとう体が動かなくなってきた。
「我々は、カメレオンの事なら何でも知ってるんですよ」
カオンは、ハッと気がついた。この霧はただの霧じゃない。車の表面が……冷たい!
「……カメレオンが、寒さに弱いという事もね」
「く、くそ、お、OFFレンジャー……め……」
「いい加減、目を覚まして、グリーン!」
ピンクの声を聞くなり、カオンの視界に、上空から一際大きな金ダライが、自分の頭めがけて落ちてきている光景が映った。
◇ 8/18 PM:21:19 ◇
7階の廊下をゆっくりと歩いている一団は、紛れも泣くOFFレンジャーだった。
「……もう、勘弁してくださいよ……」
頭の大きなタンコブに絆創膏を貼ったグリーンは、恥ずかしそうに唇を噛締めていた。
「本当に、本心じゃないんですってば。無意識に、隊長代理を務めている事に対しての、
何がしかのフラストレーションの断片が、邪悪な存在によりそういう形で発露してしまっただけで、違うんですよ」
「新BC団を作るのだぁぁぁ」
「だから、それは、シールの中の、カオンとしての人格がそう強く出てしまっただけですってば!」
「あれ~? シールは姿と能力だけで、性格とかはグリーンの演技だったんじゃないの?」
「それはつまり、そういう事もあると言う事で……」
強く頭を打ったせいで、意識を取り戻したものの、ピンクに肩を貸してもらい、足取りもおぼつかない。
だからこそ、この辱めを前にして走り去ることも出来ない。彼にとっては生き地獄であった。
「でも、良かった」
「な、何がですか……」
「グリーンが事件起こしてくれなかったら、連れ去られたまま帰ってこなかったかもしれないんだもん」
ピンクの安心した様な笑顔に、グリーンはますます恥ずかしそうに顔を俯けながら、
「そっ、それよりも。よくあんな作戦を思いつきましたね。さすが女子隊員ならではの発想ですね!」
慌てて話題を変えようとするグリーンに、ホワイトはお互いに目配せをしながらフッと微笑んだ。
「ヒントがあったからね~」
「ヒントですか?」
「そ、あの謎の包みの中身をちょっと見てね」
「あっ、そうっすよ。あの包みは結局どうしたんすか!?」
ブルーの問いに、ホワイトは意地悪な笑みを浮かべながら、
「現場に置いてきた♪」
「警察に届けなくて、良かったんすか!? だって、あれは麻薬じゃ……」
「そんなんじゃなかったから、いーの」
「……へ?」
「何であんなのを欲しがってたのか、わからなかったけど、手に入れたわけだし、
それに、あれだけ酷い目にあえば、もうあの謎の男も現れないでしょ♪」
ホワイトの言葉に、男子隊員達はただただぽかんとするしかなかった。
◇ 8/18 PM:21:22 ◇
「おい、何だ、その包み! ちょっと開けてみろ!」
無事、悪者から解放された男達は、ボロボロになった車の中で目を覚ますなり、
後部座席に置かれた包みを手に取った。
「ま、まさか、例のあれじゃ……」
男達は顔をほころばせながら、包みを開き、新聞紙を破った。
「なんじゃこりゃ!!?」
包みの中の物を見て、男達は口をあんぐりと開けたまま固まった。
既に小さくはなっていたが、それは紛れもなく“ドライアイス”であった。
◇ 8/18 PM:21:30 ◇
『もうあんまり705号室の人とは関わらないほうが良いかもしれませんね』
『サングラスの怪しい男達に狙われてたってだけで、確かにちょっとね』
『今回ばかりは巻き込まれて腹が立ちました。今度あの男を見かけたら、警察に突き出しましょう!』
薄暗い部屋の中で8時間以上ドアに耳をくっつけながら、もう片方の手ではサブマシンガンを手にしていたジュノは、
廊下から聞こえてくる隊員らの言葉に、崩れ落ちる様にその場に座り込んだ。
「(な、なんだ……あの男は、公安じゃ、無かったのか……)」
大きな大きな溜息を付きながらジュノは足下に並べていた大量の銃器と弾薬に目をやった。
隊員らの話を総合すれば、あの男は705号室の住人を探っていただけであったという。
よくよく考えれば、公安があんなバレバレな尾行をしてくるはずがない。
「(革命戦士である俺としたことが、ちょっと疲れていたのだな……そうだ。
日本人などに、この俺の完璧な隠密行動が見破られるわけがないのだ……あぁ、良かった……)」
ジュノは安堵の笑みを漏らしながら、床の上に大の字に寝転んだ。
「そうだ……! せっかく公安ではないとわかったんだ。久々に、個人訓練でもやってやるか!」
浮かれきったジュノは、そうと決めるといそいそとコートを着込み、中にいくつか銃器を仕込んだ。
既に日も暮れているから、いつも通り、メガネとマスクをしておけば、迷彩ペイントをしたままでも大丈夫だろう。
どうせ、公園の茂みの中で、一人楽しく匍匐前進を5時間ほどやるだけなのだ。
「あーっ……気持ちいいな……」
外に出るなり夜風が涼しくジュノの顔の毛並みをそよがせた。
後は、余計な人間に出会わぬよう、非常階段で、降りて行き、そして向かい側の公園に向う。
中は既に人気も少なく、噴水を突っ切り、まず人目にもつかない茂みのあるベンチの方へ進もうとした時だった。
「見つけたぁ……やっと見つけたわよぉ……!」
背後から、不気味な声がし、ジュノの背筋に冷たい物が走った。
「き、貴様、やはり公安かっ……!」
コートの中に手を突っ込みつつ、ジュノは振り返るなり、
「ひ、ひぃぃっ!!」
そこにいたのは、筋肉質の男であった。しかし、ただの男ではなかった。
茶髪の髪の毛は腰元まで伸び、さらにマツゲが長く、青やピンクの濃い化粧、唇には鮮やかな黄色の口紅……。
「どうして、シャワー終わるまで、待ってくれなかったの……お金だけ置いて、逃げちゃうなんてっ!」
「な、なんの話だっ……!」
「しらばっくれてもダメよ。あのマンションにいるって、ちゃぁんと興信所に頼んで、調べてたんだからね……。
7階からコートを着た怪しい格好の男が何度も出入り……変装してアタシから逃げようとしたってダメよぉ~☆」
「だ、だから何の話だっ!」
「705号室! 住んでるんでしょ!」
オカマ風の男は、フーフー鼻息を荒くしながらジュノの肩をガシッと掴んだ。
「違う! お、俺は706……」
「……あ、アタシ、あんたみたいな危ない香りのするアウトローな男、タイプなの。
一度だけじゃなくて、何十回、いえ、何百回だって、あなたにあの時みたいに愛されたいのよっ!!!」
「や、やめろ、ば、化物っ!!」
ジュノはその岩の様にゴツゴツした男の手を払いのけた。だが、男は突然仁王像の如く怒りの表情を露わにし、
「何よっ、男でも良いって言ったのアンタじゃない……わかってンのよ。あのチャラチャラした若い女に誘惑されたんでしょ。
あんな女これまでどおり、無言電話や怪文書使って、たっぷり虐めてやってるんだから……! あんな女は相応しくない。
せっかく再会したんだもの……もう、もうっ、アタシしか見れなくしてあげるわよ……うふふ……♪」
男は舌なめずりしながら、ジュノに迫ってきた。彼はあまりもの迫力に腰が抜けて、武器さえも手にかける事が出来なくなっていた。
「(……こ、これが、団長の言っていた、よ、妖怪という奴か……こ、怖いじゃないかっ!! 怖いっ! 怖いよぉぉぉぉぉ!!!)」
脳内が完全にショートした瞬間、革命戦士ジュノは、白目を向いて後方へ倒れこんだ。
名誉の失禁をしたまま、彼は明け方まで発見されることは、なかった。もちろん、ちゃんと貞操の危機も回避されて……。
「……あら? よく見たら違うわ。何だ人違いかぁ……もっかい興信所に頼まなきゃ……」
◇ 8/18 PM:22:00 ◇
705号室の扉を開けて、男は帰宅した。
部屋の中は真っ暗だというのに、電気をつけないまま、男はリビングへ向う。
暗闇の中で、CDコンポのスイッチを入れた。深緑色のライトが床の上をぼんやり照らしていた。
次第に、ビートの効いた軽快なラップミュージックが男の体を揺さぶった。
「…………」
男は机の上のショートホープを手にし、火をつけた。暗闇の中でも白煙は何故かクッキリと見える。
2、3口吸った所で、男はシガーを灰皿に投げ捨てた。ふと、側にある文庫本に手を触れる。
「…………」
こんな所に置いただろうかとでも言いたそうに、男は目を細め、「11月の雨」の表紙を眺めた。
そうして彼はその本をベッドに放り投げてから、静かにキッチンへと向った。
棚の引き出しを開けると、中には新品である大型のゴミ袋が入っていた。
男は袋を2枚取ると、黙々と袋の上からもう一つの袋をかぶせ、その口をつまんだ。
「……COM in da house....!」
男はそう呟くなり、フッと口元を緩めた。
しばし、目を閉じ、再び瞼をあけると、男は冷蔵庫の扉を開けた。
「…………」
冷蔵庫の中は空っぽだった。
男は何度も庫内に目を凝らし、手を突っ込んであちこちに触れたりもしてみた。
それでも、中に何も無い事がわかると、
「………?」
男は不思議そうに首を傾げたまま、茫然とその場に立ち尽くしていた。

◇ 8/18 PM:23:59 ◇
708号室。
ティオは既に横で爆睡中のエコへ目をやった。何の心配も無く気持ち良さそうな顔だ。
ご飯も食べ終え、シャワーも済ませ、歯磨きもして、もう次の日を向ける準備は出来た。
あとは布団に入って眠るだけ。なのにティオはどうもかれこれ30分以上寝付くことは出来なかった。
悪のエナジーが何とか集まって姉からも淡白ではあったが、一応褒められた。
珍しく穏やかに終わると思える今日なのに、ティオには一つ気がかりなことがあったのだ。
「……結局あの人、何者なんだろう……」
時計は24:00。日付が変わった。
──まだまだティオは寝付けないままだ。