──今では誰も思い出そうとしないあの事件を、まさかこうしてあなたに語る事になるとは……妙な気分です。

いえ、構いません。私も、もう仲間内だけであの事件の事を封印し続ける事に耐えられなくなってきたんです。

……お話しましょう。私達が体験した、世にも恐ろしく、哀しみに満ちた、あの惨劇の、すべてを……。





木漏れ日が眩しい木立の間を一時間ほどかけてようやく抜けた隊員達の前に、大きなつり橋が現れた。
ロープの黒ずんでいる様見るだけで、この橋がどれほど年代物であるのか、瞬時に察知できた彼らの表情は一気に曇る。

「こ、これを渡るの……?」

下を覗き込めば、切り立った崖に挟まれた中央にちょろちょろと流れる細い線が認められた。
これはもしかして、つい2時間ほど前、昼食休みの時に見たあの大きな川の一部なのであろうか。皆の間に不穏な空気が流れた。

「大丈夫。ここを渡りきれば、我々の目指す洋館まで5分とかかりません」

グリーンが橋の向こうを指差すと、確かに生い茂った木々の中に、茶色がかった屋根らしきものが窺えた。

「さっさと行こうぜ。オレもう疲れちまったしよー」

列の後ろでポリポリと頭を掻きながらタイガは言った。
その隣には、彼の分の荷物まで背負い込んだエコが、息を切らせながら、その顔に疲労の色を表していた。

当初は長期休暇の際に集まれた7人だけの旅行だったはずが、一体どこから噂を聞きつけたのか、タイガは『オレも行かせろ!』と、誰も許可していないにも関わらず、エコまで引っ張ってきて強引に付いて来たのであった。
当然、彼の目的は隊員らも気が付いている。女子隊員らとあわよくばそんな関係になろうとしているに決まっているのだ。

勝手についてきたくせに偉そうな態度のタイガに、若干ムカつきつつも、せっかくの楽しい旅行。グリーンは笑顔を作り、

「ささ、行きましょ行きましょう!」

率先してつり橋を渡り始めたグリーンに促され、他の隊員も恐る恐る橋板に足を乗せ、渡って行った。

「お、おい! オレを置いてくんじゃねーよ!」
「えっ、す、すいませーん!」

中腹まで来た所で、後方からタイガやエコの騒々しい声が聞こえてきた。
面倒なのでグリーンはいちいち振り向かなかったが、聞こえてくる会話の端々から推測して、どうやら思った以上につり橋が怖かったらしく、タイガはかなりのスローペースで渡っているらしい。

「だから、またオレを置いてってるじゃねーかー!」
「ふぇっ!?」

そのせいで、普通に渡っているエコにどんどん置いてかれる形になってしまい、苛立っているようだった。
これでは彼が渡り終えるまで、自分達も待ってやらなければならなくなりそうである。だから連れて来るのは嫌だったのだ。

「(……渡りきった後に、タイガごとつり橋が落ちてくれませんかねぇ、まったく……)」




──私はあの時、そんな事を冗談でも考えてしまった事を、今でも少しだけ後悔しています。

そんな事を考えなければ、もしかすると、彼があの様な目に合わなくて済んだのではないか、と。

……もっとも、今更そんな事を悔やんだところで、今となってはもうどうしようもないのですが。

私達は、このとき愚かにも信じていたのです。

平穏な日常が、これまでと同じように、永遠に続いていくのだと──








第117話

『真・タイガ様殺人事件』

(挿絵:パープル隊員)










「さぁ、ここが我々の泊まる洋館ですよ」

グリーンの声で、隊員達は目の前にそびえる茶色いレンガ造りの古めかしい洋館を、呆然と見上げた。
三階建ては在ろうかと思われるその洋館は、グリーンの話によれば明治時代にドイツ人の貿易商の別荘として建てられた物で、現在では、グリーンの知り合いの知り合いの家が買取ったお陰で、こうして自分達がやって来る事が出来たと言うことであった。
洋館と聞くと、隊員らには汚らしいイメージがあったが、壁面にはツタの一つも這っておらず、思っていた以上に外観は小奇麗な物だった。

「オイ、早く入れよ。オレ疲れてんだぞっ!」
「……はいはい」

後ろでブツクサ文句を垂れるタイガに不機嫌そうな目線をくれてやったグリーンは、
ライオンの顔を模したドアノックを掴むと、トントンと小気味良い音を立てるようにして扉に打ち付けた。
しばらくして、大きな木製の扉が軋む音を立てながら、ゆっくりと開かれる。

「やぁ、グリーン。いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ってたんだ」

出て来たのは、今風な太い黒縁フレームの眼鏡をかけ、にこやかな笑みを浮かべている青年だった。
グリーンは早速、青年に自分達を招いてくれた事の感謝を述べると、

「皆さん、こちらが前にも話しました、私が少年サッカー時代からお世話になっている首切さんです。家も近所で、よく練習とかに付き合ってもらった事もあって、とっても良い人なんですよ」
「おいおい、持ち上げすぎだって」

首切と言う青年は、グリーンの頭を人差し指で小突くと、隊員達に向き直り軽く会釈をした。

「どうも、首切一(くびきり はじめ)です。こいつとは5歳も歳が離れてるんですけど、昔っから本当の弟みたいに可愛いがってやってて。ほら、よく見りゃなかなか可愛い顔してるでしょ」
「ちょ、ちょっと、辞めてくださいよ、もう」
「ハハハ、まぁまぁ、久々に会うんだから中でじっくり話そう。ささ、お友達も中へどうぞ」

中へ通された隊員達は、玄関ホールに入るなり「おぉっ」と声をあげた。
一面に敷かれた真っ赤な絨毯、壁に掛けられた年代物らしき油絵達、小さいながらもどこか気品を漂わせるシャンデリア……。
まるで映画のセットか何かにでも入り込んでしまったかの様な動揺と興奮で、隊員達の口の開きも大いに緩みっぱなしである。

「ちょ、ちょっと皆さん、はしたないですよ。田舎者みたいに何から何までジロジロと……」

知り合いの前のせいか、珍しくグリーンが恥ずかしそうに顔を赤らめ、苦言を呈すと首切は笑って、

「いいよいいよ。俺達だって最初似たような反応だったし……あ、そうだ。皆に軽く館内の説明をしておかないとね」

そう言って首切はまず、正面にある大きな階段を指差した。

「あれが、二階へ向う階段。俺達や君らが泊まる居住スペースはみんな二階にある」

首切の指はそのまま二階の方へと向けられた。
上部は吹き抜けになっていてホールから二階の廊下、二階の廊下からホール、どちらも見渡せる様になっていた。
首切によれば、全ての面に、三つずつ部屋が備えられてあり、ちょうど全員分の12部屋があるということだった。

「トイレは階段の右手、古いけど水洗だから女の子は安心してね。あと、食堂兼娯楽室は左手。ビリヤード台があるよ」
「すみません、あの部屋は何なんすか?」

ブルーはホール右側のドアを指差した。その扉だけ、木の感じがやけに古びていて不気味な印象を与えていた。

「あぁ、あれは地下室の階段だね。昔は食料庫とかにしていたらしいけど、すぐに使われなくなったらしくて。あそこだけ補修も何もしてないそうだから、立ち入りは厳禁だよ。くれぐれも肝試しとかやらないようにね」
「了解っす」
「その反対側は応接間。こっちも今じゃあんまり使われないけど、油絵とか装飾品があるから興味ある子は覗いたりすればいいと思うよ」
「シェンナ、部活で油絵やってるですー!」
「はいはい、後で見に行きましょうね」

騒ぐシェンナをクリームが抑えつけると、首切はうーんと周囲を見渡し、

「……説明はこんなもんかな。じゃぁ荷物を置いてきてもらって、食堂に集合してもらえるかな。うちの部員を紹介するよ」
「部員?」
「嫌ですねぇ、忘れたんですかホワイト。首切さんは高校で演劇部の部長をされてるって言ったじゃないですか。その演劇部の合宿にわざわざ付き添いとして招待してくれたおかげで、我々も夏休み最後のバカンスを過ごせるんですよ」
「そういうこと」

首切は悪戯っ子の様にニヤッと笑った。

「君らに見られていると思えば、我が演劇部の練習もはかどるってもんだ!」
「たはは、上手いこと我々を利用されるわけですね……」

グリーンは苦笑いをしながらも、どこか表情に楽しげなものを浮かべて一同の方へと向き直った。

「それじゃぁ皆さん。荷物を置いて、すぐさま食堂へ集合しましょう」

















食堂に向う際にタイガやエコを連れて行こうとしたが、疲れているだなんだと、うだうだするばかりだったので、
隊員らは二人を部屋に残したまま、すぐさま食堂に集合し、首切を含めた、5人の部員達へ軽く自己紹介を行った。
残るタイガとエコは、ちょっと体調が悪いと言う事を伝え、ほぼ全員の紹介を終えると、

「じゃぁ、次は我が紅髑髏(べにどくろ)高校演劇部の部員たちを紹介しようかな。美幸」

首切に促され、後ろにいた髪の長い、穏やかな顔つきの女性が前に出て会釈をした。

「鬼殺美幸(おにごろし みゆき)です、はじめちゃんとは幼馴染で、グリーン君の事は時々聞いているよ」
「おい、ちゃん付けは辞めてくれって言ってるだろ」
「ふふ、ごめんね」

首切と目配せする様子と良い、仲睦まじい雰囲気と良い、『この二人デキてるな』と誰もが気づいたが、
一同はなるべくそんな下世話な感情を表に出さぬように努めつつ、「よろしくお願いします」と型通りの挨拶を述べた。

「次は、うちの主演俳優。おい、涼」
「……はいはい」

一人だけ離れた席に座った男が、いかにもめんどくさそうな声を出して立ち上がった。
男は、すらりとした手足、切れ長の瞳に、キリッとした顔つき。一見、高校生にはとても見えない役者然とした風貌であった。

「……どうも。目潰涼(めつぶし りょう)です」

男はそれだけを酷くぶっきらぼうに言い放つと、すぐさま席に戻り始めた。

「おい、待て」

そんな目潰の腕を首切が掴み、彼を制止した。

「もうちょっと他にいう事あるだろ」
「……舞台に一切関わらないただの泊り客へ俺の名前の他に何を言えば良いんだ? 生年月日か? 血液型か?」
「近々、ゲネプロにも招待しようと思ってるんだ。よろしくとか、それくらい言ってもいいだろう」

睨み合う目潰と首切は、お互い険悪な雰囲気を醸し出していた。『犬猿の仲』という奴だと誰もが察知する。
するとそんな二人の間に突如、美幸が割って入っていった。

「ねぇ、目潰君。せっかくはじめちゃんのお友達が遊びに来てくれたんだから、もうちょっと穏やかに行こうよ」

美幸の言葉に、目潰の目が一瞬泳ぎ、彼の視線はテーブルクロスの方へと向けられた。

「ね、目潰君。一期一会でしょ。みんなで楽しくやろうよ」
「…………」

すると、目潰は渋々隊員達の方に向き直り、「よろしく」とわずかに頭を下げ、そそくさと席に戻っていった。
それから美幸は、首切にも同じように接し、彼の機嫌も直した所で、ようやく部員紹介が続けられた。
次に出てきたのは、小柄な体格のにこやかな男性で、彼の腰元にはカナヅチやガムテープといった道具を収納するベルトが巻かれていた。

「どもっ、俺は臓物明(ぞうもつ あきら)。チビだけど、大道具とか照明とか裏方全般担当。結構ハードワーク」

臓物と言う男は見た目そのままに、まさしくムードメーカーといった元気の良さと笑顔で隊員達に挨拶した。

「明は手先が器用で、こう見えて体力もあって肉体派なんだ。こいつ、腕相撲とか結構強いよ」
「へへ、確かに、紅髑髏高校の生徒で俺に腕相撲で勝てる奴は居ないね」
「で、最後は……エリカ」

首切に呼びかけられ、最後の一人である彫りの深い日本人離れした顔つきの女性が隊員らの前に出た。

「……初めまして。エリカ・フランシタインです」

エリカはそう言って、指先まで計ったかのように整った所作で隊員らに頭を下げた。
彼女のブロンドの髪の毛と、ガラス玉のように青い瞳は、まるで人形の様な秀麗さを隊員達に感じさせた。

「エリカは、日本人とドイツ人のハーフなんだ。今回の舞台でもヒロインを務めるよ」
「……ヒロインは美幸さんで、私はサブですけれどね」

フッと微笑むエリカだったが、その言葉にはどこか刺々しいものがあった。

「いやいや、エリカもメイン。二大ヒロインだよ」
「あら。これまでずっと美幸さんがメインを勤められているから、てっきり今回もそうだとばかり」
「ハハハ、手厳しいなこれは。参ったね」

苦い顔をしながら首切は隊員達の方を向いた。隊員らには彼の胸中がなんとなく伝わっていた。
初対面の人間達を前にこの人間関係の凸凹さ。いやがおうにも、感じてしまうと言う物だ。
さすがに首切も、隊員達にこんな気まずい状況にいらせるのは気の毒だと思ったのか、パンと手を打ち、

「あっ、そうだ。この洋館はね。エリカの曽祖父が建てたもので、だから俺も君達もここに泊まれるというわけなんだよ。
だから宿泊料はタダ、みんなもお礼を言っておいたほうがいいよ。俺もエリカには頭が上がらないよホントに」
「だったら次の舞台、楽しみにしていますわよ、部長。美幸さんをご贔屓されるのは勝手ですけどね」
「構想も出来てるからバッチリだよ。ハハハ……」

完全に首切の劣勢の色が濃厚になって来たその瞬間、一同の耳を物凄い轟音が貫いた。
屋敷が真っ二つに割れたのではないかと錯覚する様なその音が雷だと気づいたのは、その直後に激しい雨粒が窓を叩き出してからだった。

「嫌だわ、さっきはあんなに晴れてたのに……」
「山の天気は変わりやすいって言うからね」

美幸ら部員たちが窓の方に目をやる。
外の木々も激しい雨風に揺らされ、枝が、葉が、まるで蠢いているかのように荒れ狂っていた。

「ねぇ、お、OFFレン、ちょっとさぁー」

隊員達は声のした入り口の方を見た。エコが立っていた。
その顔はどこか不安そうに曇っていて、食堂の中を何かを探す様にキョロキョロと見回していた。

「どうしました。雷で怖くなって逃げてきましたか?」
「違うよっ!」

グリーンのからかう様な口調に、エコは明らかにムッとした顔で叫んだ。

「じゃぁ、一体なんですか」
「お……オレ、タイガ先輩探してるんだけど、誰か見なかったー?」
「いないんですか?」
「トイレ行くって言って、でも遅かったからドア開けてもいなくて、全部の部屋も見たけどいなくてー……」

エコは俯きがちに表情をしょんぼりとさせながら、すがる様な目を隊員達に向けた。

「我々は全然見てませんよ。というより、来てたら気づきます。目立つ毛色してんですから」
「ねぇ、一緒にタイガ先輩探してよー!」
「なんで我々が無理やり付いてきたタイガを探さなきゃいけないんですか。大体この嵐の中、他に行く所なんか……」
「ちょっと! あ、あれ何!?」

突然の美幸の大声に、グリーンは言いかけた言葉を飲み込んだ。隊員らと共に視線をそちらへ向ける。
そこでは、窓辺に立った首切や美幸達がただならぬ様子で向こうの景色に目を凝らしていた。

「どうかしたんですかっ!?」

慌ててグリーンが窓の方へと走り寄り、部員たちの間を掻き分け窓の前に立った。
雨粒の張り付いたガラスの向こうでは、激しい雨風を前に、木々達が荒々しくもがいていた。
そのうねりは、まるで生きているかのように、今にもこちらに襲い掛かってくる機会を虎視眈々と狙っている怪物であるかのように。

「……!?」

グリーンはその蠢きの中に、“それ”を見つけた。
枝と枝の間に、細い糸に吊るされて、黄と黒で彩られた身体が揺れる。

「せ、せんぱぁぁいっ!!」

エコの悲痛な叫びが響いた。
あんなに明るかったタイガの顔が、今では酷く生気を失って、その瞳を閉じて、首に巻かれた1本のロープを頼りに、寂しく揺れていた。

「そんな……」

一同はしばらくの間、見えない何者かに押さえつけられているかのように、その場を動くことが出来なかった。
怪物がこちらを恐ろしい眼で睨みつけているようで。その眼が、新たな生贄を見つけようとしているようで……。














雨合羽を羽織った首切達が、ようやくタイガの亡骸を玄関ホールに運び込んだのは、発見から10分ほど経過してからだった。
あの時、誰もが目の前の状況をにわかには信じることは出来なかった。それは、楽しい夏休みに決してあってはならない出来事……。

「せんぱいっ、せんぱいっ、うぁぁぁぁぁぁん! せんぱぁぁぁい! せんぱぁぁぁぁい!」

ブルーシートの被せられた、今は亡き尊敬する者の側で泣きついたまま、エコは離れようとはしなかった。
それを少し離れたところから、隊員、そして首切ら部員達は皆一様に青白い顔をして、事態を内外の両面で処理しようと努めていた。

「と、とにかく、警察を呼ばないと……」

携帯を取り出し始めるブルーの言葉で、ようやく一同の間に、この状況が紛れも無い事実であるという事がひしひしと感じられ始めた。
一人の人間が死んだ。言葉に出せば容易でも、それはとてつもなく重々しく、目を逸らすことの出来ないほど大きな事実。

「……圏外っすね」

携帯を開いたブルーが力無く笑った。

「……ここら辺は電波は通じないんだ。食堂に固定電話があるから、それで連絡すると良いよ」

首切も何でもないかのような口調でそう言った。ブルーもそれに呼応するかの様に「はぁ」と呟いて一人食堂に向った。
それからしばらく経って、

「ダメっす。何度やっても通じないみたいす。プーって音すらしないみたいで」
「えっ? ちょっと待ってくれよ」

続けて首切も食堂に向かい、そして電話のダイヤルを回す音が何度か聞こえた後、二人は戻ってきた。

「……どうやら、この嵐で電話線が切れてしまったみたいだ」
「えっ!?」
「こうなったら、俺と誰かが麓まで降りて電話を借りてくるか……」
「この天候の中、危険じゃないですか?」
「せめて嵐が治まってからにでもしたらどうですか」
「だからって、ここに彼をずっと置いておくわけにもいかないだろ」

隊員らの制止を首切はそう打ち消し、彼は再び雨合羽のボタンを留め始めた。

「待ってください。私も一緒に行きます!」

グリーンは側の目潰が脱いだ雨合羽を掴み取ると、素早くそれを着込みだした。

「グリーン。お前は俺が呼んだんだ。ここでみんなといてくれ」
「私の知人です。一緒にいかせてください」
「……仕方ないな」

首切はそれ以上何も言わず「なるべく早く戻る」と皆に言い残し、グリーンと二人で屋敷を出て行った。
残されたメンバーは、未だ泣きじゃくっているエコを残したまま、食堂の方へと向った。
椅子に腰を下ろすなり、隊員、部員達は重々しい空気に押し潰されようとしているかの様に、苦々しい表情でうな垂れていた。

「……タイガくん、なんで自殺なんか……」

眼の端に涙を溜めながら、微かな吐息の様にパープルは呟いた。
隊員達の誰もが彼女と同じ気持ちだった。あれだけ明るいのが唯一取り得のタイガが……自殺をする。
タイガの人となりを知る者にとっては、にわかには信じられない出来事だった。そんな素振り、一度だって。

「……自殺じゃないのかも」

そう、ぽつりと漏らしたのは、怖がるシェンナを抱いて、優しく背中を撫でていたクリーム隊員であった。

「自殺じゃないって、どういうこと」
「……それは、つまり……」
「まさか。いや、でも、あの時、アタシ達はちゃんとここに集まってたじゃん」
「そうだよ。まさか、そんな事あるわけないじゃん」

クリームの投げた小石が、徐々に波紋を広げ食堂内をざわつかせ始めた。
それは部員らの間にも及び、猜疑心の目が四方八方に飛び交う。

「大変だ!」

突然、玄関から慌しい様子で青い合羽を着込んだ首切達が慌しい様子で食堂内に舞い戻ってきた。
まだ5分ほどしか経過していないにもかかわらず、息を切らせて帰ってきた二人の表情には、混乱の色が垣間見えた。

「どうしたの、はじめちゃん」
「……つ、つり橋が、落ちてる……」
「えぇっ!?」
「どうも、さっきの雷が橋に落ちて、それで縄が焼き切れてしまったらしくて……」

グリーンは不安そうに隣の首切を見た。彼の身体は信じがたい状況が続くこの状況を前に震えていた。

「で、でも大丈夫なんでしょ? いくら何でも、この洋館にずっと閉じ込められるなんて事ないだろうし」

パニックにならぬよう、努めて冷静にホワイトは首切に尋ねたが、彼は首を横に振る事で、そんな彼女の気遣いを虚しく打ち消した。

「……ダメだよ。この山一体は、地元の人でも滅多に足を踏み入れたがらないし、
普段この屋敷を管理してくれている人も都合とかが色々あって、次に見回りに来てくれるのは十年後なんだ……」
「でも、さすがに家族が不審に思って警察とかに……」

首切は再び首を振った。

「……家族には内緒で来たんだ」
「ど、どうして!」
「……高校生って、親に内緒って言うドキドキを感じたいことが時々あるだろ……あの時、皆そんな心境だったんだ」
「そんな……」
「周りは谷で囲まれてるし、橋が落ちてしまった今、どこかから下山する事も不可能……電話線だって切れてるし、
ここら一体は全て毒草と、毒液が満たされた樹木で覆われているから、用意してある食料以外何も食べるものは無い……」

隊員達は、絶望的な状況に次の言葉が出てこなかった。死体、閉鎖された空間、限られた食料と水……
一同からは現実感が乖離し、もはや遠い世界の出来事を見ているかのような感覚を覚え始めていた。

「ね、ねぇ……」

そんな彼らをかろうじて、現実側に引き止めたのは、目を真っ赤に晴らしたエコであった。

「せ、先輩の口に、変なのが、はさまってて、そ、それで……」

彼は手にした細長い紙切れを、皆に見える様に微かに振って見せた。
側にいたグリーンは何も言わず、エコから雨が染み込みんで柔らかくなった紙切れを受け取った。
……そこには、わずかに滲んだ赤いインクであるメッセージが書き込まれていた。

「こ、これは……!?」

グリーンは怪訝そうにこちらを見つめてくる一同の方へ、そのメッセージが見えるように、
一同を決して絶望の淵から救い出そうとはしない、残酷な文字のある面を向けた。



殺人ゲーム ガ ハジマリマシタ


















「どういう事なの、何なのよ、殺人ゲームって! ふざけてる、本当にふざけてるわ……!」

エリカのヒステリックな叫び声は、一同の緊張をよりいっそう刺激していた。
自殺かと思われたタイガの口に挟まっていたメモの『殺人ゲームが始まりました』というメッセージ。
ここから導き出せる結論は、きっと100人中100人が出すことの出来る、目の逸らしようが無い結論。

「……食堂に集まるように俺が大声で呼びかけた時、部員の皆はどこにいたんだ?」

首切の言葉に、一同はハッと彼の方へ驚愕と怯えがない交ぜになった表情を向けた。

「何だよ、おい首切。お前、まさか俺達の中に犯人がいるって言いたいんじゃないだろうな」

目潰がひときわ冷ややかな、しかしどこか怒気を含んでいるような口調で言った。

「違うよ目潰。俺はあくまでアリバイの確認として言ってみただけだ……念のためだ。可能性がゼロとは言えないだろう」
「首切! お前って奴は!」
「やめてよ! はじめちゃんも、目潰君も、ケンカしている場合じゃないでしょう!」

涙を目に浮かべながら、悲痛な声で美幸が叫ぶと、二人は腑に落ちない表情を浮かべつつも、黙って互いから視線を逸らした。

「……しかし、一応確認しておく事には越したことは無いと思いますよ」

一呼吸置いた後、端の席に座るクリームがぽつりと漏らした。そして、部員達から怪訝な視線が彼女へ送られるよりも早く、

「我々はそれぞれの部屋で荷物の整理をしていて、グリーンの呼びかけで皆一様に部屋を出てそのまま食堂に向かいました。
私とシェンナ、タイガ君とエコ君の相部屋以外は全て個室ですから、その他はアリバイを証明する手段は無いと言えば無いですね」
「なんだ、首切。ゲストの方々だってずいぶんと怪しいじゃないか」
「そうよ、第一、殺されたのは部長のお客様のご友人なのでしょう。私達はあの殺された方とは初対面なんですのよ!」

目潰だけでなくエリカまで加わり、二人は少しでもこの異常な状況下におけるストレスと懐疑の目を隊員達に向けようとしていた。
だが、冷静に事実を述べようとしたクリームに賛同したのか、すくっと美幸が立ち上がり、一同を見渡した。

「……私達も、それぞれ劇の練習用に台本を読んだり、セットの修繕をしたり、散歩したり……みんな自由行動をしていたわ。
はじめちゃんの呼ぶ声で、全員集まるまで、確か10分程度。私も一人部屋で台本を読んでた。だから、私達も同じような物よ」

クリーム、そして美幸の言葉の後に、一同は、ピンと張り詰めた甲高くも重苦しい緊張の音を確かに聞いた。

「じょ、冗談じゃねーぞっ! じゃぁ、この中に殺人犯がいるかもしれないって事じゃねーか!」

突然、椅子から立ち上がり叫んだのはタイガだった。
彼のいつもの強がった表情の端々には、恐怖がにじみ出ていた。

「それでも、こんな危ない所にいられるかよ! オレは部屋に戻るからな!」
「ちょ、ちょっと!」
「あっ、先輩、待ってください。お、オレも行きますー!」

隊員達の制止も聞かず、食堂を出て行くタイガの後を慌ててエコが追った。
困った奴だと、グリーンが溜息をつきかけた、その時……。


──ガシャァァァァァァァァン!


一瞬、雷と聞き間違えるかのような割れんばかりの激しい音が一同の耳を劈いた。
何の音だ、どこからあんな音が、皆の疑問はその直後に聞こえたエコの泣き叫ぶ声で判明した。

「せんぱぁぁぁい! ふぁぁぁぁぁん! せんぱぁぁぁぁぁい!!」

一同は食堂を飛び出し、玄関ホールへやって来ると、その凄惨な光景に息を呑んだ。
床一面に飛び散るガラス片が、鮮血と交じり合い、深紅の輝きを怪しく放つ中に、
天井に吊り下げられていたはずのシャンデリアが、かつてタイガであった者を押し潰していた。

「た、タイガ……」

まるでその行為を誇るかのように、シャンデリアの灯りは、明々と薄暗いホールの中を照らしていた。
グリーンは目の前に広がる、その眩い残酷さをとても直視することはできず、

「何が起こったんですっ、一体何が!」

泣き崩れているエコの肩を揺さぶって、グリーンは問い詰めた。

「先輩の上から、い、いきなり、あれが落ちてきて……」

エコは真っ赤に晴らした目を向けながら、決してそちらを向こうとせず、震える指でシャンデリアを差した。
黒ずんだ鎖は根本の少し上の部分から切れていた。微かに横へ垂れているそれは、無邪気な子供が首をかしげている様に見えた。

「ねぇ、あれ何?……花?」

グリーンの背後から怯えたような声で美幸が言った。
目を凝らすと、切断している鎖の先に何か淡いピンク色の物が咲いていた。
近づいて見ると、それは細糸の様な物で結び付けられた桜の花であった。

「桜の花……ですね」
「……さ、桜だっ!」

臓物が悲鳴にも似た甲高い声をあげた。彼の表情からは血の気が無くなっていた。

「桜の呪いだっ……! あいつ、や、やっぱり俺達の事を……!」
「桜?」

問いかけようとしたグリーンを遮るように、首切が錯乱している臓物の肩を抑え、

「落ち着け臓物! 桜の花なんて、どこにでも咲くじゃないか。シャンデリアにだって咲かせようと思えばいくらでも咲く」
「でも、細糸で結び付けられていたじゃないか!」
「……そういう偶然だって、ある」
「そ、それもそうだな」

首切の言葉に臓物は納得した様で、落ち着きを取り戻し食堂の方へと戻ろうとしたが、
桜の花びらを手にしていたグリーンは、力なく首を振った。

「……残念ですが、偶然では無いみたいです」

彼は花と共に結び付けられていた小さな紙切れを、彼らに向けた。
そこには、真っ赤な細い字で……。



頭上ニ キヲツケテ

















「……考えたんだけどさ、俺達の他に、何者かが屋敷内に潜んでいる可能性もあるんじゃないか?」
「そうよ、そうだわ! 頭のおかしな殺人鬼がやって来た事だって十分考えられるんじゃありません!?」

既に二人が殺されてしまった異常事態の中、皆が懸命に冷静を保とうとする中、
目潰とエリカの取り乱しぶりは、一同の気力を大幅に削ぐには十分すぎるほど激しいものだった。

「いいかげんにしろ二人とも。この中に犯人がいても、部外者だとしても、自衛しなければならない事には変わり無いんだ!」

首切が声を荒げて怒鳴った。グリーンはそんな感情を露わにする彼を初めて見た。はじめだけに。

「みんな、どっちにしても俺達がここに集まっていると、殺人ゲームとやらを仕掛けたい犯人達の思う壺だ。
もしここで毒ガスを巻かれたりでもしたら、ひとたまりも無い。だからここは各自部屋で待機することにしよう」
「そうですね。部屋に篭って、鍵をかけておいた方が犯人はまったく手出しできないでしょうし」

首切の提案、グリーン以下の面々の賛成により、それぞれは部屋に戻り、しっかりと鍵をかけて、室内に篭った。
シェンナとクリームの部屋で鍵が掛けられた時、時計の針は午後7時を指していた。一時間程前には、素敵な休暇が楽しめるはずだった……。

「怖いですー……」

クリームは怯えるシェンナを布団に寝かせ、上からポンポンと優しく叩いた。
バルコニーへ出る為の大きな窓。その向こうに目をやると、相変わらず雨足は留まるところを見せていなかった。
その途端、激しい雷光が差し込む。シェンナは布団を頭からすっぽりと被って「ですー」と声をあげた。

「オヘソ取られるですー!」
「大丈夫よ、シェンナ」

怖がるシェンナの身体を、クリームは布団の上から優しく撫でてやった。
再び雷が鳴り響く。唸り声の様な風の音。ガタガタと揺れるガラス窓。タイガの姿。

「……えっ! タイガくん!?」

窓の向こうに、タイガの姿があった。部屋に入ったはずなのに何故バルコニーにいるのか、
クリームは慌てて窓を開け、すっかり濡れてしまったタイガを中に入れた。

「にゃはw……来ちゃった♪」
「タイガくんですー!」
「来ちゃったって、一体どうやって……」
「ん、だってバルコニー全部繋がってるじゃん!」

荷物の整理とシェンナのお守りに気を取られてすっかり気づかなかったが、見れば確かにバルコニーは屋敷の周りを囲んでいた。
どこの部屋からもバルコニーに出られる。そして反対に、バルコニーに出ればどの部屋にも行く事が出来る事を意味していた。

「それで、なんの用なんですか?」
「あのさ、あのさ、オレ、シャンプー忘れちゃってさ。よかったらクリームちゃんかシェンナちゃんの借りたいなーって♪」
「シャンプー……?」
「じゃぁ、シェンナの貸してあげるですー! 泡がいっぱい出るんですよー!」

予想外の来訪者に嬉しくなったのか、雷を怖がっていた数分前とは打って変わって、シェンナはベッドからぴょんと飛び降り、
部屋の隅に置いたリュックサックの中をがさごそと探り始め、赤や緑の粒が入った透明なシャンプーのボトルを取り出した。

「フルーツシャンプーですー。フルーツの香りの粒がいっぱいですよー!」
「あっ、ありがと、シェンナちゃん♪ じゃ、早速借りるねー♪」

早速、タイガが用件を済ませてバルコニーに出ようとした時。


──オォァォァォァオオァァオォァアァォォオ……


突然、窓の外からこの世の物とは思えぬ、地を這う様な、呻き声が聞こえた。

「怖いですー!」

ようやく元気を取り戻したシェンナが慌ててベッドの方へと戻った。
声は何やらバルコニーの端の方から聞こえているようだったが、ここからは薄暗く、暴風雨も手伝って何も見えなかった。

「何かしら……気味の悪い……」
「じゃぁ、オレがちょっと見てきてあげるよ。どうせカエルか何かだろうし」

明らかに“怯える女子に良い所を見せようとしている頼りがいのある風な笑み”を浮かべながら、タイガは胸を張った。

「でも、危ないわよ……もし殺人鬼だったら……」
「へーきへーき! だってオレはつよーい虎なんだから。あっという間にボコボコにしてやるぜっ!」

タイガはそう言って、クリームに手を振ると、シャンプーボトルを手に、バルコニーの奥へと歩いていった。
雨風が入ってくるので、窓を閉めるが、クリームは既に見えなくなったタイガの向った方を心配げに見つめた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

その途端、タイガのただならぬ叫び声に、クリームはバルコニーを飛び出していた。
雨の中、タイガの向った場所を見回す。騒ぎを聞きつけて隊員達も来ていたが、タイガの姿はどこにも無かった。

「た、タイガ先輩! ふぁぁぁん!」

悲痛な声を発するエコの方をクリームは見た。彼はバルコニーの手すりに乗り出し、下を見つめて身体を震わせていた。
クリームは手すりに寄りかかり、真下を見た。そこには、タイガが力なく手足を投げ出し、頭から血を流して、倒れていた。
血に染まったシャンプーのボトル。それを使ったのか、彼の身体の側には、またも、忌まわしい文章が記されていた。



足元ニ キヲツケテ












「もう三人も殺されてしまった。とてもじゃないが、少しでも危険な行動を取らないよう警戒する必要がある。
すぐさま各自、部屋で待機だ。今度は何があっても絶対に部屋を出ないようにしてくれ……!」

首切の言葉に、一同はより一層部屋の中に閉じこもり、決して外へ出ないよう用心に用心を重ねていた。
そして、ここタイガとエコの部屋でも例外ではなく、男二人、部屋の外に出る事も出来ず、タイガの不満は募っていた。

「ちぇっ、せっかく女子達といっぱい遊べると思ったのに、つまんねーの」
「でも先輩。仕方ないですよー。お、オレはサイボーグだから大丈夫ですけど、もしタイガ先輩が死んじゃったら、
オレ、きっと物凄く悲しいし、辛いし、ずっと泣いちゃいます。だから、そんな事にならないように気をつけないと」
「女子達が一人で部屋にいるのに、じっとしてろって言うのか? お前、男としてそれで良いのかよ」
「で、でも……」
「そうだ!」

タイガはパチンと指を鳴らし、不思議そうな顔をしたエコを手招きし、そっと耳打ちした。

「えぇっ、お、オレがですかぁ……?」
「お前以外に誰がいるんだよ。サイボーグだから死なないだろ。だから、女子達と文通する為の運び役になれな」
「で、でも、外は雨降ってますよ」
「つべこべ言わず、とっとと女子達に手紙書いてもらって来い! にゃはw 上手くHに持ち込める様に、頑張らねーとな!
いいか、まずはパープルちゃんから手紙書いてもらってこい。書いて貰うまで帰ってくるんじゃねーぞ!」

そうして、タイガは無理やりエコをバルコニーへ追い出し、しっかり窓に鍵をかけた。
雨に濡れながら、トボトボとパープルの部屋へ向うエコを見送ると、タイガは早速荷物の中からタオルやシャンプーを取り出した。

「にゃははw 誰かとHする事になった時のために、ちゃんと清潔にしとかねーとな!」

備え付けのバスルームは、浴槽もシャワーも小さい規模であったが、それなりに清潔な物であった。
バスタブの中に入り、白みがかったカーテンを閉める。心配していたお湯もちゃんと出た。

「ろーっこーおろーしに~♪ さーあっそーおーとぉ~♪」

鼻歌交じりに、自慢の虎縞の毛並みを丁寧に洗っていく。
泡と共に、これまでの嫌な気分もすっかり洗い流せていく様で、タイガの心は徐々に晴れてきた。

ペタ....ペタ....ペタ....

『六甲おろし』が2番に差し掛かった時、彼の耳に誰かの足音の様な物が聞こえ、すぐさま口をつぐんだ。

「エコか? もう帰ってきたのか?」

しばらくの間耳を澄ましてみたが、返事は無くシャワーの音だけが響いていた。

「……気のせいか」

タイガは再びシャワーの方へと向き直り、中断していた歌の2番目を歌いだそうとしたが、

──シャァァァァァァッ!!

シャワーカーテンが勢い良く開かれた。
その時、タイガは無防備な背中を曝け出していた……。


















「先輩っ……ぐすっ……お、オレ、ちゃんと手紙書いてもらって、来たん、ですよ……せんぱぁい……」

ポロポロと涙を零すエコを、部屋の外へ女子達に連れ出してもらい、
残った男子達は30分かけてようやく発見した、タイガの無残な姿に目をやった。
この応接間に飾られた甲冑や油絵達を従えて、部屋の中央にどんと“死の作品”は鎮座していた。
それは、皆が部屋を開けた時、そのあまりにもの非日常性に、しばし見入ってしまった程、異常な死体であった。

真っ白なシーツが幾重にも、まるで繭の様に椅子へもたれ掛かる彼の身体を包み込んでいた。
シーツの繭の中から現れているのは彼の端整な顔。深紅の彼の瞳は見開かれ、その首は右に傾いていた。
そしてそれは、まるで大切な人へのバーステープレゼントであるかの様に、胸元へ真っ赤なリボンが結ばれていた。

「……また、桜の花だ」

彼の力なく開かれた口内には、大量の桜の花びらが詰め込まれていた。
そしてやはり、ここにもメッセージが残されていた。『ウシロニ キヲツケテ』

「や、やっぱり、桜の呪いだっ……! お、俺達、桜に殺されるっ! 殺されちまうよ」
「落ち着け、臓物! とりあえずここは、各自部屋で待機を……」
『キャァァァァァァァァァァッ!!』

突如、二階から、ただ事とは思えぬ悲鳴が玄関ホールに向って響いた。

「あ、あれはホワイトの声っす!」

青い顔を余計に真っ青にして、ブルーは応接室をすぐさま飛び出し、階段を駆け上がった。
隊員や首切達がホワイトの部屋へ駆けつけると、ドアの前では先に騒ぎを聞きつけた女子達も集まり、必死に扉を叩いていた。

「一体どうしたんですか!」
「わかんない。鍵がかかってて、中からも返事がしないの!」
「どいてくださいっす。ここは俺が!」

ドアの周囲から隊員らを遠ざけると、ブルーは扉に向って激しく体当たりした。
古びた木目から受ける印象とは異なって、しっかりとした材木の堅さがブルーを押し返す。
もう一度。もう一度。何度もホワイトの名を呼びながら、ブルーは扉に身体を打ち付けるが、ビクともしない。

「ホワイトちゃんのピンチに何やってんだよ! どけ! オレに任せろ!」

周囲の面々の間を掻き分けてやって来たのはタイガだった。
タイガはブルーを押しのけ、三歩ほど下がる。と、すぐさま駆け出し、肩から扉にタックルした。
何かがひしゃげる様な音がした瞬間、扉は勢い良くタイガの体ごと部屋の中に向って飛んでいった。

「大丈夫っすか、ホワイト!」

タイガに続き、真っ先にブルーが部屋に駆け込んだ。
室内はタオルや衣類が散乱し、そしてベッドの上にはうずくまった様な布団の膨らみ……。

「そんな……ホワイt」
「ゴキブリ出た。ゴキブリっ!」

悲痛な声で、膨らみの中からホワイトの声がした。

「ほわ……ごき……えっ?」
「何か凄いデカイ、さすがにあのサイズは無理! ベッドの下入った! ブルー、なんとかして!」

布団の隙間から、ムスッとしつつも弱気な顔をしたホワイトの表情が覗く。
すわ5人目の被害者かと思えば……。ブルーはどっと疲れを感じながらも、ベッドの下を覗くと、確かに一匹の大きな虫の姿を認めた。

「……あれ。なんだ、カブトムシのメスじゃないすか」
「えっ?」

ブルーがベッドの下へ手を伸ばし、中から50センチほどの雌カブトムシを取り出した。
確かにゴキブリにしては大きいが、角が生えていないし、間違えてしまうのも無理は無い。

「なんだ、どおりでゴキブリにしては大きすぎると思った……」
「山の中っすからね。栄養が豊富なんすよ」

ブルーが窓を開けてメスカブトムシを逃がすと、一同の方にもどっと疲れが出始めたらしく、
どこからか、呆れかえった様な、そして安心したような笑い声が漏れ出した。

「あー、もうマジで何か恥ずかしい……」
「にゃははw でも、よかったよ、ホワイトちゃんが無事で!」

ブルーを差し置いて、タイガは颯爽とベッドに腰掛け、ホワイトの肩をポンポン叩いた。

「うーん、タイガくんも何かごめんね。肩痛くない?」
「へーきへーき。……でも、なんかオレ、急いで走ってきたから喉渇いちゃった。これ貰うねー♪」

そう言って、タイガはベッドの脇に転がっている、赤いペンキで乱雑に塗りたくられた飲み物らしき缶を拾い上げた。
プルタブを外し、ゴクゴクと美味しそうにそれを飲み干す。

「あれ、そんなの、アタシ持ってきたかな……」

ホワイトが問いかけようとした瞬間、タイガの手からするりと缶が落下した。
タイガの顔色が土気色になった。そして、彼は首元を押さえ、飛び出さんばかりに目を剥き、悶え苦しみ始めた。

「ぐっ……! あ゛……あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!」

タイガの手が、宙を数回掻き毟るようにしたかと思うと、突然彼の身体は糸が切れたかのように地面に崩れ落ちた。
クリームがタイガの首元を押さえ、脈を見る。しかし、彼女は力なく首を振って、もう手遅れである事を皆に伝えた。

「せ、先輩っ! う、ウソですよねっ! そんな……先輩……」

前に塞がる隊員達を突き飛ばして前に出たエコは、身体を震わせながら茫然とタイガの亡骸を見つめ続けた。
誰よりも尊敬する者を失った悲しみのあまり、彼はもはや涙すら出ない様子であった。

「どうやら、してやられたみたいですね……」

足元に転がっている空き缶を拾い上げたクリームは、ぽんとそれをグリーンの方に投げた。
缶の塗装は全て赤ペンキで塗りたくられていたと思っていたが、よく見れば桜の花びらが貼り付けられ、
そして、『ノミモノ ニ キヲツケテ』の文字が、刃物の様なもので、小さく塗料の上から彫られていた。

「ホワイト、これをどこで……」
「ううん……アタシ、さっきまでこの部屋にいたけど、こんな目立つ缶、絶対なかった」

ベッドの上のホワイトは、死体から目を逸らす様にしながら、そう断言した。

「となると、ホワイトの部屋に突入した時、この中の何者かがこっそり毒入りジュースを置いたという可能性が考えられますね」

グリーンはチラとエコを見た。見られたエコはビクッとして、

「お、オレじゃないよ! 何でオレが先輩を殺さなきゃいけないんだよー! オレのいっちばん尊敬する人なのに!」
「……本当は、あなた悪エコなんじゃないんですか? ずっとタイガにくっついてますし、犯行に及びやすいですよね」
「そんな訳ないだろー! それに、先輩との旅行を悪エコに邪魔されないように、オオカミにプロテクター付けてもらったんだから!」

そう言って、エコは尻尾の先を覆っているプラスチック製のカバーを皆に向けた。何十個ものビスで固定されており、
ここまでガチガチにプロテクトされていれば、むやみやたらに取り外す事もまず不可能だと思える。

「となると……」

グリーンの視線がホワイトの横に座って彼女を宥めているタイガへと向かった。

「はぁぁ!? 何でオレがコイツを殺さなきゃいけねーんだよ!」
「そうよ、これまで殺された人の現場には必ずこの子がいたじゃない! 最初の殺人の時も彼だけ行方不明だったし、
シャンデリアが落ちた時も彼が玄関へ向った時。さっきの件だって、この部屋に最初に入ったのは彼じゃない!」

エリカはさらにヒステリックに叫びながらタイガに人差し指を突きつけた。
すると、彼女の緊迫した雰囲気に引きずられるように一同の瞳にも疑惑の色が浮かび始め、タイガは明らかにムッとした顔をした。

「わかったよ! じゃぁ、オレが犯人じゃないって証明すりゃいいんだろ!」

おもむろに立ち上がると、そのまま不機嫌そうにずかずかと一同を押しのけて、タイガは部屋を出た。
グリーン達は彼の後を追った。タイガは階段を降りると、そのまま地下倉庫の扉を開け始めた。

「ちょっと、そこは古いから危ないよ!」

そう忠告する首切を、タイガはキッと睨みつけた。

「オレ、今日一日ずっとここで閉じこもっとくからな。それでも誰かが殺されたらオレが犯人じゃないってわかるだろ!」
「それはそうだけど、地下倉庫は真っ暗で石壁に覆われているし、鍵をかければ誰も入る事が出来ない密室になるんだよ!?」
「だから良いんだよ。オレが入ったら、お前ここの鍵閉めとけよ。絶対だぞ」

そう言ってタイガはドアのノブをポンと叩き、ずかずか中へと入っていった。
首切はタイガを連れ出そうとしたが、エリカや目潰らによる懐疑派からはむしろその方が都合が良いと言う声が叫ばれ、
その場を収めるためにも、本人の希望通り、地下倉庫の扉にはしっかりと鍵が掛けられることとなった。

「じゃぁ、いつでも彼を出すことが出来る様に、この地下倉庫の鍵は食堂の戸棚の引き出しに入れておこう。
戸棚は冷蔵庫の陰でちょっと死角になっているけど、誰もこっそり鍵を外そうとしないだろうから、まず大丈夫だ」

首切の言葉に、一同はとりあえず安心した。容疑者が隔離されただけで、こうも心が穏やかになるのかと誰もが思った。
落ち着いた事だし、早速、遅めの夕食でも取ろうと、一同は席に付き始める。

「今日のメニューは何なの? パープル知ってる?」
「美幸さんが、せっかくドイツのお屋敷に来てるからジャーマンポテトにしようって言ってたよ」

食事と言うイベントの前に、強張っていた女子達の顔もようやく綻び始めて来ていた。
既に五人が殺されている事実もしばし忘れて、楽しい旅行のひと時が訪れ始めていた、のだが……。

「パープルちゃん危ないっ!」

壁に掛けられた絵画の隅が一瞬キラリと光った事にパープルが気が付いた瞬間、
彼女の身体は横から飛び出してきたタイガによって床に押し倒された。思い切り床に頭をぶつけてしまった。

「ちょっ、タイガくん、いきなり……キャァッ!」

痛む頭を押さえながら起き上がろうとしたパープルは、目の前で腕から血を流しているタイガの姿を目撃した。
彼の二の腕には、鉛筆ほどの太さのボーガンの矢が深く突き刺さっていた。

「タイガ先輩! だいじょ…はくしゅんっ!……うぁ……大丈夫ですか!」

グラスを抱えたエコが駆け寄ると、タイガは苦痛に顔を歪めて「ま、まぁな……」と答えた。
首切がすぐさまボーガンの矢を引き抜くと、タイガは激しく呻き声をあげ、傷口からは大量の血が噴出した。

「畜生! 犯人の奴はどこまで残酷な仕打ちをすれば気が済むんだ……!! 誰か救急箱を持って来てくれ!」
「ぱ、パープル……ちゃぁん……」
「しっかりして、タイガくん」
「救急箱を! 早く!」

パープルは震えるタイガの手をしっかりと握った。

「パープルちゃん……怪我、してない……?」
「うん、大丈夫だよ。タイガくんのおかげ」
「おいっ! 救急箱はまだか!」
「よか……った……パープルちゃんが……無事……で」
「おーい! 救急箱を早く!」

タイガはフッと微笑んだかと思うと、

「タイガくん、ダメ、しっかりして!!」
「だいじょうぶ……ちょっと休めば……すぐ……元気に……なる……か……ら……」
「ダメ! そう言って元気になった人、私見た事無いもん……!」

パープルの予想通り、タイガは最後まで元気になる事はなかった。
泣き叫ぶパープルだったが、一人の少女を救った安心感からか、彼の死に顔は安らかだった。

「畜生……!」

首切は矢に書かれた『正面ニ キヲツケテ』の文字を認めた。どこまで自分達を愚弄すれば気が済むんだ。
怒りのあまり、硬く握ったその拳を床に叩きつけ、叫んだ。

「だから、救急箱はどうしたんだ!!」















暗い食事を終え、隊員達はそれぞれの部屋へと戻っていった。
ある者は恐怖に苛まれて眠ることは出来ず、そしてまたある者は些細な物音に怯えて、皆苦しい夜を過ごしていた。
だがそんな中、ただ一人だけ、この恐怖から逃れようと懸命にバッグへ荷物を詰め込んでいる者がいた。エコであった。

『……実はさ、オレ昼間散歩してた時、こっからちょっと行った所に縄バシゴを見つけたんだ。
谷の下まで降りられるみたいだったぜ。多分、オレ達を皆殺しにした後で犯人が逃げる為に掛けたんだ』

部屋に戻るなり、タイガはエコにそう言っていた。
じゃぁ、皆にも知らせて逃げようとエコは言ったが、ポカンと殴られ、

『バカ! もし犯人に言ったら、真っ先にオレが殺されちまうだろ! 一度も女の子とHしないまま死ねるかよ!
お前だって、サイボーグだからって、オレが死ぬのは嫌だろ? だから、オレと一緒にとっとと逃げちまおうぜ』

エコは黙ったまま頷いた。タイガの死ぬ姿は絶対見たくなかった。

『オレの分も荷物まとめて、9時に屋敷の裏に集合な。誰にも言うんじゃねーぞ!』

荷造りを終え、エコはパンパンになったリュックサック二つを前と後ろにかけ、立ち上がった。
後は、先にタイガの待っている屋敷裏へと向うだけ……!















「……いい加減、教えてください。“桜の呪い”って一体何なんですか?」

その頃、グリーンは首切ら紅髑髏高校演劇部の面々に、疑問となっていた事を問い詰めていた。
部員達は目を逸らし、グリーンが察してくれるのを待っているかのようだったが、なおも言葉を続けた。

「“桜の呪い”桜の花びらを見た時、部員の方々の顔色が明らかに変わっていました。
臓物さんなんて、取り乱し方が尋常じゃなかった。もし、事件に関係がある事なら、我々にだって教えて貰いたいのです」
「……そうだな……」
「はじめちゃん!」
「美幸、こうなった以上、もう彼らも同じ仲間だ。隠している場合じゃない」
「本当に、良いんですの。部長」
「あぁ……」

隣で、膝の上に視線を向けたまま震えるエリカの肩を、首切は優しく叩いた。

「……我ら紅髑髏高校演劇部には、一年前まで、もう一人部員がいたんだ」
「えっ?」
「彼女の名前は虎南桜(こなん さくら)……。うちの看板女優だった」

首切は遠くを見つめるように、目を細めた。

「ちょうど一年前の夏……。紅髑髏高校演劇部の合宿でここにやって来た俺達は、新作『オリヲン座の怪人』の練習のため、
それはもう寝食を忘れて、厳しい稽古を行っていた。桜はその舞台のメインヒロイン。怪人に愛される映画館の受付嬢、柏木姫乃役だった」
「そんな方がどうしてお辞めになられたんですか?」
「……桜は死んだんだ。稽古中に。……事故だった」
「事故?」

首切は静かに頷いた。

「ラストシーンの、激昂した怪人が剣でスクリーンを切り裂こうとして、止めに入った姫乃を刺し殺してしまう場面だった。
普通はおもちゃの短剣を使う。だが、それではスクリーンを切り裂けない。だからその場面だけでも、刃物が必要だった……」

そう言って、首切は目線をずらし、壁にかけられた中世の物らしき、1メートルほどの柄がある巨大な斧へと目をやった。

「まさか……」
「そうだ。短剣も斧も名前が違うくらいで、基本的にほぼ同じ物だ。もちろん、スクリーンを切り裂くためだけに使って、
そして観客にわからない様に、すぐさまおもちゃの短剣と差し替えて、刺し殺す予定だった。だが、俺が浅はかだった……」

両手で顔を押さえながら、首切は息苦しそうな声で言った。

「……稽古中、斧と短剣をいっしょにしてしまい、どちらが本物か見分けがつかなくなってしまったんだ」
「それじゃぁ……」
「スクリーンを切り裂く体で、おもちゃの短剣を振りかざした直後、条件反射であの斧で桜を頭から……」
「あれは、間違えて俺に指示した臓物の責任だ!」

名前の挙がった目潰が臓物を指差した。涼しげだった眼は、怯えきった小心者の眼になっていた。

「ち、違う! 一緒にしたのはエリカさんだ!」
「何よ、そういう、美幸さんだってね。ここに置いておきますしか言わなかったじゃない!」
「そ、そんな……」
「責任の擦り付け合いはやめろ!!」

首切は机を激しく叩くと、彼は後悔と罪悪感に潤んだ瞳をグリーンに向けた。

「ビックリした俺は、部員達に指示して、桜の体をバラバラに解体し、血ヌキを済ませた後で谷底に投げた。
それくらい俺達は動揺していたんだ……。なんせ、あんな悲惨な姿、普通見る事なんてないからな……とにかくビックリしたんだ。とにかく…。ビックリを」
「首切さんは悪くないですよ。だって、だって話を聞いてみても、ただの不幸な事故じゃないですか」

グリーンは首切を宥めるように、優しい口調で言った。

「桜さんだって、感謝こそすれ、皆さんを恨むなんて事……大切な演劇部の仲間じゃないですか」
「……だと、良いんだがな」
「きっと、何者かが呪いに見せかけて、ミスリーディングをさせようと言う腹積もりなんでしょう。心配ありません」


コン、コン


その時、グリーンは誰かがどこかをノックする音を聞いた。
一瞬、それは空耳かとも思ったが、見ると、窓の向こうでエコが困った顔で窓ガラスを叩いていた。
リュックサックを前後に背負った彼の足元。そこには、頭から血を流して倒れているタイガの死体があった。

「な、なんか……先輩が死んでた……」
















「どういうことだ……」

七人目の犠牲者が出たと思ったのもつかの間……。
容疑が晴れたために、一同が慌てて地下倉庫へタイガを迎えにいくと、彼は既に事切れていた。
床には血文字で『暗闇ニ キヲツケテ』……絞殺だった。

「これで八人目だ……」
「ふぁぁ~……」

先輩の遺体を目にしたエコは、ショックのあまり、瞳に涙を浮かべながら大きくあくびをする事しか出来なくなっていた。

「馬鹿な! 鍵は確かにかけていた。石壁だからどこにも侵入する場所なんてない。紛れも無く密室だった!」

首切は苛立ちをぶつけるように、壁に拳を叩き付けた。

「畜生……このまま俺達全員、こんな風に殺されるのかよ……!」
「はじめちゃん、落ち着いて。とりあえず、食堂に戻る?」
「もう、こうなったら徹底抗戦だ。各自、部屋で待機しよう。鍵をかけて、絶対に部屋から出るな! 一人だけでいるんだ!」

目の前で次々に殺されて行く者達を目にし続けてきたせいか、首切は興奮状態にあった。
引き返していく一同と共に、彼は美幸に宥められながら、犯人への罵倒を繰り返していた。

「おい、エコ。もう行くぞ」
「はぁーい」

悲しみのあまり、眠そうに眼をこすりながら、エコは階段を昇って行った。
残されたタイガも、彼の後に続こうとした、その時、床の上で何かが光った様な気がして、足を止めた。

「……ん?」

それは青色をした丸い金属片であった。厚みも薄く、留める箇所は無いか、何かのピンバッチの様でもあった。
タイガの脳裏には「何だこれ?」と言う思いだけが浮かんだ。本来ならばそれだけで終わるはずだったのだが、
「何故、こんな物がここに」と言う考えがふと浮かんだ瞬間、

「もしかして……!?」

タイガはこの金属片の持ち主が誰であるかを、この時悟った。
そしてはそれは、もう一つの事実を彼に気づかせた。

「お、おい。エコ、すぐにみんな集めろ! 犯人がわかったぞ、犯人が……うっ!?」

立ち上がって叫んだタイガの身体は、あっと言う間に床に倒れこんだ。
頭からは、おびただしい量の血液が流れ、そしてその側にはバールの様な物を手にした一人の影が、立っていた。





















既に誰も居ない薄暗い食堂の暗闇に、何かを引きずる影が一つ。
相変わらず嵐は続いていた。激しい風雨は激しく呻き、そして夜は深かった。

「…………」

犯人であるその影は、どこからか鈍く光を放つピアノ線を取り出し、
足元に転がる、既に物体と化してしまったタイガの死体に、素早く括りつけはじめた。

「そこまでです!!」

突然グリーンの声と共に目の前を白光が覆い、慌ててその影は厨房の方へと身を隠す。
上を見上げると、換気扇の辺りを懐中電灯の丸い光が縦横無尽に自分の姿を捜していた。
既に顔を見られていた事は、承知の上、チッと小さく下を打ち、影はゆっくりと頭を振った。

「……まさか、あなたが犯人だったとは思いませんでしたよ」

グリーンがそう言うなり、食堂の蛍光灯が一斉に灯った。
そこには、部屋で待機していた隊員達、部員達、そしてエコがいた。
エコは倒れているタイガをチラと見たが、それよりも夜中で眠かったらしく、目を閉じて「ふぅぅ…」と唸った。

「私は最初、てっきりエコの仕業だとばかり思っていました。タイガと常に一緒に行動し、殺された際にはいつも側にいた。
悪エコが出られない以上、何かしらエコにとってタイガを殺す動機があるものだと、そう思っていました。しかし、それが視野を狭めていたのです」

隣の首切が悔しそうに唇を噛み、言った。

「グリーンから話を聞いた時、俺もまさかと思ったよ。誰も疑いやしない、そんなポジションをしっかり作ってしまうなんてな」
「さぁ、もう観念して正体を現したらどうですか……タイガ!」

ゆっくりと立ち上がったのは、黄色い毛並みに黒い虎縞。
見まごうことなく、タイガの姿がそこにあった。

「フン……バレちまったもんはしょーがねぇな」

タイガは異様に紅く冷たい瞳を足元に向け、横たわるタイガの死体を足先で突いた。

「……せっかくここの奴らを皆殺しに出来ると思ったのによ……」
「タイガくん……ウソでしょ」
「ウソじゃないよ……パープルちゃん」

パープルの震える声に、冷笑を浮かべながらタイガは答えた。

「オレはずっと前からこの機会を待っていたんだ。復讐のためにね」
「復讐だって!? 一体我々が何をしたって言うんだ!」
「そうよ! アンタなんか全然知らないわよ!!」

目潰とエリカが喚きたてていると、

「黙れ!! さもないとお前達からぶっ殺してやるぞ!」

タイガはブワッと毛並みを逆立て、鋭い爪を二人の方へと向けた。
彼の表情は、憎しみに満ちた悪魔の如きものであった。

「……オレはな、お前らが殺した虎南桜の弟なんだよ」
「なんだって!?」

ひとしきり大きな声で首切は叫んだ。

「でも、彼女は一人っ子だったはずだ」
「生き別れの弟って奴だ」
「なるほど。わかった。話を続けてくれ」

タイガは静かに頷き、言葉を続けた。

「……オレは幼い頃、ずっと一緒にいた優しかった姉貴を追い求めて、ようやくたどりつけたと思ったら既にこの世にはいなかった。
行方不明だなんて信じられない。演劇部が怪しい。そんな噂を聞いて、オレは自分で色々と調べさせてもらった。
そしたら、お前らがオレの姉貴を殺して、その証拠を隠滅したことをようやく突き止めた!」
「あれは事故なんだ。本当だ」
「事故ならば、何故姉貴の死体をバラす必要がある!」
「みんなパニックになっていたんだ。運が悪かったんだ。キミのお姉さんは。ただそれだけの事だ」
「だか、オレはそうは思わない。だからこの連続殺人計画を企てたわけだ」
「あ、あなたって人は……そんな……そんな事のために……」

グリーンの拳、そして言葉は怒りに震えていた。

「あなたはそんな事のために、タイガやタイガやタイガだけでなく、タイガとタイガ、さらにタイガ、タイガ、そしてタイガに、タイガまで殺したのですか!」
「そんな事だと!!」

タイガは牙を剥き出しにしながら怒号をあげた。

「オレは絶対にお前らを許さない。そのためにオオカミ軍団に入り、それらしい人物像を演じてきたんだ。
こうなった以上、お前ら全員、オレやこの洋館もろとも道連れにしてやる……!」

そう言って、タイガは厨房の方からポリタンクを取り出し、自分の周囲に液体を撒き散らした。
匂いですぐにその正体がガソリンであるとわかる。彼は、そうして阪神カラーのジッポーを取り出した。

「残念だが、全員ここで死んでもらうぜ……」

挿絵

「やめて、タイガ君」
「……ごめんね、パープルちゃん。でも、これでオレの復讐が終わるんだ……」
「バカな事を言うんじゃない!」

喉が張り裂けんばかりに激昂したのは首切だった。

「……人を殺してまで、罪を重ねると、お姉さんは草葉の陰で泣いてるし、それに迷惑だってかけてるし
それに、復讐した事をお姉さんは、それほどまでの恨みは無いからこそ……もっと生きて償うべきだ!」
「はじめちゃん……まとまってから喋って」

しかし、そんな首切の言葉にもタイガは動じず、ただただ冷笑を浮かべ、彼はジッポーに火をつけた。
炎は彼の顔をぼんやりと赤く照らし、一瞬だけ、哀しげな瞬間を浮かび上がらせた。

「やめろ!」

首切はタイガに飛びかかろうとして、一歩だけ前に踏みだす素振りを見せながら、
斜め右方向に立っていたグリーンの背中を強く、タイガの方に押し出した。
すると、タイガは、何が起こったのか判らないグリーンの首の前へ左手を回し、ガッチリを押さえつけ、
もう片方の手でライターを突き出しながら、一同を牽制する様にじりじり後退していった。

「……誰にも邪魔はさせない。これがオレの唯一の生きる意味なんだ……!」
「た、タイガ……」

グリーンは息苦しい中、タイガに声をかけた。
しかし、彼は既に計画の最終段階を目前にし、興奮状態にあるようで、耳に入っていないようだった。

「ねぇ、何か焦げ臭く無い!?」

エリカが大声で騒いだ。目を凝らすと、食堂内にもうっすらと煙がかっていた。

「フン、既にあちこちに時限式の発火装置を仕掛けてたんだ。原始的な仕組みだが……効果はあったみたいだな」
「何だって!?」
「こんな所を焼いた所で、貴様らはいくらでも逃げる時間くらいあるだろ。本当は寝ている間に焼き殺してやるはずだったが……」

大きな破裂音と炎が玄関ホールの方からあがった。あれは恐らくバックドラフトという物に違いなかった。
逃げ場所も業火に遮られ、残るこの場所に火の手が迫るのも時間の問題だった。

「逃げられないわよ、一体どうすればいいの!」
「嫌だよォ……! まだ死にたく無い……!」
「好きなだけ、喚け……そして、自分の行いを後悔しろ。その無様な姿をオレの姉貴にたっぷりと見てもらうぜ……! ハハハハハ!」

タイガは泣き叫ぶ部員達を笑い飛ばしながら、手にしていたジッポーを床の上に落とした。
炎は床に撒かれたガソリンにすぐさま引火し、激しい炎が立ち上った。

「みんな逃げろ! 逃げるんだ!」

首切の言葉に一同は、火の回っていないテラスの方へ駆け寄り、ガラスを割って外へと無事脱出した。
幸い、タイガの周囲にだけガソリンが撒かれていたため、小規模の範囲だけで済んだのだった。
しかし、隊員達は逃げるのに夢中で、大事な事を思い出すまでに長い時間がかかってしまっていた。

「待って、グリーンが、グリーンがまだ!」

パープルが涙を浮かべて叫んだが、既に食堂のテラスの方にも火が回り、近寄るのも難しい状態になっていた。

「もうあの炎じゃ……無理だ。アイツは良い奴だった」

首切が悔しそうに唇を噛締めながら顔を俯けた。
しかし、そんな中、どこからかばしゃばしゃと水しぶきの音がし、一同はそっちに視線を向けた。
そこには、近くにある古い井戸からくみ上げた水を、頭から被っているタイガの姿があった。

「何してるの、タイガくん!」
「決まってんだろ。アイツを助けに行くんだよ」
「でも……」
「オレ、何か、アイツの事他人だと思えなくてさ……」

水もしたたる良い男は、ニコリと微笑んだ。

「それに、男がHできないまま死んだら、勿体無いしね!」
「……」
「オレが帰ってきたら……一日デート、約束してね。パープルちゃん!」
「タイガくん……」

パープルが返事をしようと唇を動かしかけた時は既に遅く、タイガは炎に向って駆け出していた。


















燃え盛るの炎の中で、タイガは一人静かにグランドピアノを弾いていた。曲名は『月光』
幼い頃、姉に教わったたった一つ自分が知っている曲を、繰り返し繰り返し引き続けていた。

「まさか、お前と最期を共にするなんて思わなかったぜ……」

ピアノの側に立つグリーンに、笑いかける。
最早、人質からあの世へ旅立つ仲間となった彼は既に解放され、ピアノの側で鼻や口を腕で抑えていた。
煙もずいぶんと、濃くなってきていた。タイガ自身も平然としてはいるが、既に煙を吸い続けていて、喉が焼けるような感覚を覚えていた。

「ホランだったら、きっと羨ましがっただろうな……ま、アイツもこの事を知ってすぐにオレらの所に来るかもしれねーけど」
「今からでも、間に合いま……ゲホッ……ゲホゲホッ!」
「おいおい、あんま喋ると……ンンッ!……オレもそろそろ喉がキツくなってきたな」
「だったら、早く外に出ろよ」

その声に、ふとタイガの鍵盤を滑る指が止まった。
炎の奥から、自慢の毛並みのあちこちをチリチリに焦がしたタイガがこっちに歩いてきていた。

「何しに来た」
「助けに来たに決まってんだろ。グリーンと、そんでお前をな」
「……バカだな」
「こういうのは“勇敢”って言うんだよ」

タイガの言葉にタイガは肩頬で笑い、すぐにまた鍵盤を弾き始めた。
タイガはタイガがタイガを助ける事にタイガはタイガの気持ちをどことなく理解している様な気がした。
そうして、タイガはタイガにタイガを助ける事をタイガに任せ、タイガはタイガがタイガとタイガのタイガでタイガは……。

「早く、こっちに来い。もうこの洋館も崩れちまうぜ!」
「……無駄だ」

テラスの方から激しいガラスの割れる音が雪崩の様に響きだした。このままでは、出入り口が無くなってしまう。
タイガは居ても立ってもいられず、グリーンの手と、そしてピアノを引き続けるタイガの手を取った。
しかし、タイガはその手を払いのけ、じっとタイガの顔を見つめた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「……オレは、帰れない」
「いますぐ行けば間に合う! 早く!」
「オレはホントはわかってたんだ。こんな事、復讐なんて、本当は姉貴が望んじゃいない事を……」

涙を拭いながら、タイガは鍵盤の上に目を落とした。

「オレはもうタイガじゃない……ただの醜い殺人鬼だ」
「そんな事ない。いまからでもやり直せる!」
「そ、うです。ゲホッ、償う方法はいくらでも、ゲホォッ……!」

既にグリーンは煙を吸いすぎ、足元もおぼつかなくなっていた。
タイガは無理やりタイガの手を掴もうとしたが、彼は後方に後ずさった。

「お前、どこかオレに似てるよ。なんとなく、初めて会った時からそんな気がしてた」
「…………」
「オレはもう、無理だ。だけど、お前なら、お前ならオレに出来なかった生き方が出来そうな気がする」
「タイガ……」

タイガはフッと微笑み、タイガの方へと歩み寄ってきた。

「お前は生きろ。オレの分まで清く正しく生きてくれよ、な」
「何言ってん……」

タイガの体がふわりと持ち上がった。タイガは、タイガとグリーンを軽々と持ち上げていた。
そしてタイガは少しずつテラスの方へと近づいていた。炎の奥に少しだけ、テラスへの窓、向こうの景色が透けて見えていた。

「……あばよ、タイガ」
「!?」

その言葉を最期に、タイガとグリーンの体は窓の方へ向って放り投げられていた。
窓を突き破って行く瞬間、タイガは炎の中にタイガの姿を認めた。彼は、微笑んでいた。


──ガシャァァァァァァァァァン!!


二人の体が地面を転がり出した時、炎に包まれた洋館は激しい音を立てて、まるで砂の城か何かの様にあっという間に崩れ落ちていった。
激しい風が炎を煽った、そのうねりは大きく乱れ、まるでこの中に潜む憎悪を全て焼き尽くそうとしているかのようであった。

「グリーン、大丈夫!」

抱き起こされたグリーンは、既に瓦礫と化して行く洋館の姿を見つめながら、この長い長い惨劇が終わった事を知った。
そして……。

「見て。臓物さんがのろしを上げて助けを呼んでくれたのよ。私達、助かったのよ!」

上空から轟音を響かせながらこちらへ降りてくるヘリの姿を、グリーンは確かに捉えた。
生きる喜びを知らせる鐘の音の様に、皆は心地よくそれを聞いていた。涙する者もいた。

「よかった……」

ふと隣を見るとボロボロになったタイガがすっかり伸びてしまっていた。
コゲて、転げて、勇敢な虎もこれでは惨めにも程がある。

「タイガ、しっかりしてください。なに伸びてるんですか?」

思わず苦笑いしながら、グリーンはタイガの体を揺すった。しかし、彼の体はまったく動かなかった。

「……タイガ?」

グリーンは彼をゴロンと仰向けにした。彼の顔は青ざめ、そして眠っているように穏やかだった。
彼はその時、ようやくタイガの左胸に、割れたガラス片が深々と突き刺さっていたのを見た。


「……死んでる」



















──これで私の話は以上です。いかがですか、きっとあなたも色々な思いが胸に渦巻いたのではないでしょうか。

私はただ、この惨劇により亡くなった11名の被害者の方々のご冥福を祈る事しかできません……。



「おーい。グリーン! 何変な奴と喋ってんだよ! なあ、これ見ろよ、すげーぞ!」


──過去は変えられない。

しかし、私達には未来をより良い物に変える事が、ほんの僅かでも可能性が残されている。



「にゃははーw オレってクジ運めちゃくちゃつえーぜ。 まぁまぁ、ピンクちゃんやホワイトちゃんも、そう焦らないでよ!」


──もし、いつかあなたの心に憎悪の種が生まれた時は、思い出してください。

あなたの笑顔を、そしてあなたの幸せを望む人が、きっとどこかに、必ずいる事を……。







「ジャジャーン! 豪華客船の旅が当たったぜー!!」









~Fin~