第119話
『11月の雨』
(挿絵:レッド隊長)
──Hey, ジョン。What's up?
俺は今日もこの狂騒(イカ)れちまった世界(レイヴ)にうんざりしているよ。
早くどうにかしなきゃって。焦るばかりで飛躍(ステップ)踏めずに立ち止まってる。
今日も今日とて 韻(ライム)踏めずに、躊躇(ニノアシ)踏んだ俺。....Fuck.
Sucker? Yes. I'm Sucker.
音楽(ヴァイナル)でかき消すことも、出来なくなってるさ。
OK.お前の言い分(キック)はわかってる。
泥酔(ドランク)したまま交尾(アッパー)してりゃ、全く世話がねえ。
All right! 俺が降参(ルーズ)だ。貴殿(テメエ)の臀部(ケツ)に接吻(クチヅケ)を。
今なら尺八(ストロー)も付けてやる。挙手(ノ)るなら今だぜ。締切(ヤ)るのも一瞬(いま)だ。HeHe...
そんな顔するなよ、Men? 悪い酒(アソビ)が残ってる。一夜の乱痴気(ハナビ)は消えるのに。
小言(パロール)聞くのは苦手でね。大事な用事(センズリ)堪能(カンジ)れない。萎え(バーンアウト)じゃ味気ない。
紙(スコア)なら、どっかにあるだろう。俺が寝(グダ)るその間、すべて記帳(カキツケ)といてくれ。
腑抜け(アンプラグド)な人間(ヤロー)にも、安穏(チル)したい時はあるモンさ……笑っちまうだろ。
一物(コック)が、早く寝かせろと急かしてる。“一晩中働き通し(オーバーワーク)”。そんな戦士(ムスコ)にゃ謝意(オレイ)が必要。
Okey。……判ってる。お前との取決(ヤクソク)、忘れてなんかないさ。
今は11月。時間は有限。俺の有言、果たして当然。お前と邂逅(出逢)って、お前と俺は塊(ヒトツ)になった。
お前だけじゃなく、俺だって、心(ハーツ)は同じさ。杞憂(シンパイ)すんな。
だから、今はただ、まどろみの中へ沈ませてくれよ……
なぁ、ジョン、最後の頼みさ。
──そうさ。今日は、お前と出会えた、雨じゃねえか。
「おう、おかえり!」
コンビニ帰りのグリーンとオレンジは、ドアの前で仁王立ちしているブラックから実に爽やかな挨拶をされた。
その後ろには彼の背丈ほどある真っ黒い箱型のスピーカーが堂々とそびえ立っており、二人は「またか…」とゲンナリした。
「……今度は一体、何をする気なんですか、ブラック」
「いやー。発想の転換だったんだよ……俺ってば、防御ばかりを考えていたんだなってさ。そればっかりじゃダメなんだよ」
質問に答えずにブラックは腕を組みながらしみじみとそう語ると、背後にあるスピーカーの側面をポンと叩いた。
「この前みたいなボヤ騒ぎみたいなの、ホント勘弁してよね。何故かボクが代表して謝りに行かされたんだからさ」
「安心しろオレンジ。今度こそシオンさんを憎きストーカーから守るスーパーメカが完成したぜ!」
自信たっぷりのブラックの前で、グリーンとオレンジはお互いにアイコンタクトを取ってから深い深い溜息をついた。
先のストーカー勘違い事件以来、ブラックは“今度いつ本物の変質者が現れるか判らない”と、勝手にストーカー対策マシンを作り続けていた。
自動投網機(誰彼構わず捕獲して失敗)だの、通報装置(誤作動で警察にしこたまおこられて失敗)だの、色々作ってはそのつど失敗して、
隊員達に多大な迷惑を被らせ続けており、今では彼のメカ製作はある意味ストーカーよりもタチの悪い物になっていた。
「モスキート音ってあるだろ、キーンって音。一定の周波数を流して、公園とかにタムロする若者を追い払う奴」
「……それって若者にしか効果ないんじゃなかったですっけ」
「そ。だから俺の場合は、若者だろうが年寄りだろうが関係なく嫌な音を出すわけだよ」
「いやいや、近所迷惑ですよそんなの。辞めてください」
「ンなことは俺にだって判ってんだよ。だから、スピーカーを改造して、一直線にしか音が進まない様にしてる。
ここで言えば、まぁ、この廊下にいる奴しか聞こえない。そこにストーカーも尻尾まいて逃げ出す音を流せばいいわけだ!」
「それってどんな音なの?」
オレンジの問いに、ブラックは待ってましたとばかりにフフンと鼻を鳴らし、ニヤリとしてみせた。
「あぁ、俺が見つけた。発泡スチロールを擦る音、黒板やガラスを引っ掻く音、食器をカチャカチャ言わす音、砂嵐に各種不協和音……。
それらを絶妙な配分で組み合わせて創り上げた、まさに最強の音楽兵器だ! これを聞いた奴は、下手すりゃ二度と社会復帰できねえかもな」
ブラックはニヒルな笑みを浮かべながら、再びスピーカーの側面を叩いた。二人は板の上部が少し歪んだような気がした。
「じゃぁ、さっそくお披露目だ。くらえ!」
「“くらえ”って……」
ブラックが勢い良くグレーのダイヤルを捻ると、しばらくしてスピーカーからはざわざわしたノイズらしき物が聞こえてきた。
だが、グリーンにもオレンジにも、ただ色々な音を一斉に流しているだけにしか聞こえず、ハッキリ言ってただの雑音であった。
しかも、それぞれの不快な長所をそれぞれが打ち消しているだけでなく、とても変質者が尻尾を巻いて逃げ出すような音にはとても聞こえない。
「どうだ。なかなかクレイジーなメロディだろ?」
「……まぁ、うるさいかと言われれば……まぁ……」
「部屋でずっと鳴ってたら、気にはなる、かな」
「そうだろそうだろ! これならストーカー対策もバッチリだぜ!」
二人はもう少しだけ真剣にスピーカーから流れる音に耳を傾けてみるが、やはりブラックの言う様な効果が得られるとは露ほども思えなかった。
こんな事をしているよりも、さっさと部屋に入って買ってきたおにぎりでもパクついた方がマシだと二人が気づき始めた時、
「おっ…!」
ブラックが二人の背後の方を見て声を漏らした。振り返ると、二つ隣の705号室の扉がゆっくりと開いていた。
そして、中から全身タトゥーを彫り込み、顔にタヌキみたいな寝不足によるクマみたいな模様がある、この部屋に住む男が現れた。
男は耳を上から押さえ、額にはじわっと汗が浮かんでいた。どう見てもこの音の不快さに飛び出てきたと言う感じであった。
「…………」
男が廊下に出るなり、グリーンらは彼と目が合った。彼はこちらに気づいた瞬間、少しだけビクッとすると、
耳を抑えていた手をゆっくりと離し、気だるそうな瞳をブラックとスピーカーに向け、
「………」
男は三人に向けて、すっと中指を立てて見せた。
これはどう考えても“くたばりやがれ”だとか“クソ野郎”という意味の、たいそうお下品なジェスチャーである事に間違いなかった。
男は汗が滲みながらも、涼しげな顔をしてみせていたが、突然そんな事をされたグリーン達は、ただ茫然と男の顔と中指を交互に見続けるばかり。
「……Fuck」
しばらくして、男はこれまたお下品な英単語を呟くと、三人に背を向け、いつもより少し早足な感じでエレベーターに向って行った。
男の姿が見えなくなってからも、三人は一体何が起こったのかと、白昼夢を見ている様な妙な気分が周囲を支配していた。
暴言や苦言を吐くわけでもなく、ただ中指を立てられ、ファックと言われれば、そのあまりの非現実感にぽかんとしてしまうのも無理はなかった。
「……な……な!? 一応、効果あるだろ?」
「あれ、でもあの人室内にいたんじゃありませんでしたっけ。廊下にいる人にしか聞こえないのでは……」
「こ、細かい事はいいんだよ!」
なんとか現実感を取り戻そうと、三人はお互い変に苦笑しながらも二言三言交わしていると、
今度は非常階段の方から大きなサイレンが辺りに響き渡った。
「な、なんですかこの音は」
「フフン。俺のもう1つの仕掛けに、犯人が掛かったみたいだな!」
耳を抑えて、ただただ困惑顔のグリーンらをよそに、ブラックは意気揚々と非常階段の方へと駆け出す。
取り残された二人はお互いに顔を見合わせていると、
「バッチリかかってる!」
と、大きな網を引きずりながら親指を立てたブラックが顔を出した。
中で暴れるストーカーをあちこちにぶつけながら、小柄とはいえ力のある彼が、すぐさまこちらへ戻って来る。
そうして、ピンと伸ばした爪で網の口を切ると、中からどこかで見た覚えのある男の姿が現れた。それは……
「あっ、てめえ、この前のストーカー男! やっぱりシオンさんを狙ってたんだな!!」
中にいたのは、以前705号室の刺青男の件で大騒ぎになった主犯格の男だった。
しかし、全身黒尽くめのその男はいきなりブラックに飛びつくと、
「そんな事より、さっき、さっきの、男の人、部屋にいますか、部屋にいますね!?」
「残念ながら行き違いですよ。今しがたエレベーターで降りていかれたので」
「そんなァ!?」
グリーンの言葉に、705号室の前まで必死に駆け出していた男の体は音も無く崩れ落ちた。
「ま、またしても……逃げられた……」
「まぁ、今回の場合逃げたわけではないと思いますけども……一体何の御用ですか」
「……それは……」
「プライベートな用事にしては、いささか不審すぎますよね」
男の挙動不審な態度に、管理人であるグリーンはキラリと目を光らせた。
「さすがにこう何度もマンション内で不審な事されると警察を呼ぶ事になりますが、いかがなさいますか」
「警察だなんて、そんな!」
「実は私、尾布警察署に知り合いがおりましてね。我々はそことも協力して、まぁ民間の警備的な物とか、犯罪の撲滅だとか、
そんな感じの、なんかこう、つまり、そういう事をやっている団体でしてね、あなたをこのまま拘束しても良いんですよ」
グリーンは少しだけハッタリを加えながら、男を追い詰めるようにじりじりと迫った。
いつのまにか正座しながら大量の冷や汗を流す男は、臨時隊長の迫力に圧されたのか、観念したらしく、
「……仕方ありません……お話します……」
「わかればよろしい」
「その代わり、あなた方の団体の方々にもご協力していただけませんか! もう時間がないんです!」
「OK……何やら複雑な事情がありそうですね」
グリーンは重々しい感じに頷いて見せたが、内心のワクワクが口の端にハッキリと表れていた。
「ま、外だと何ですから中へどうぞ。ちょうど今しがた三ツ矢サイダーを買ってきた所です」
「はぁ、恐縮です」
ずいぶんと腰が低くなった男を中へ通そうとグリーンが707号室の扉を開けた時、玄関にはいつの間にか隊員達が集まっていた。
そして、皆はグリーンと同じように好奇心いっぱいの瞳でこちらを見て、一斉に口を開いた。
「「「何々? なんかあったの?」」」
……そう、ここ数日の間、OFFレンジャーはずっと暇だったのだ。
──落着(ドロップ)すれば、皮肉な(オカシナ)もんだね。
あれだけ欲情(サワ)いだ対価(ツリ)なんて、気が付きゃいつも微細(チッポケ)さ。
残されてるのは毎度(オキマリ)の、吸殻(シケモク)、避妊具(チリガミ)、退屈な(メンドクセェ)後始末……。
あぁ、そうさ。こんな晩餐(シメ)、俺らしいだろ、ジョン(MEN)?
俺に似合いな俗悪(イル)の情事(オアソビ)。せめて最後(シメ)まで後味(ヨイン)くらいは、楽しませてもらいたいね。
「さっきから、何呟いてんの?」
女(プッシー)がやって来る。汚ねぇ体にシャワーを這わせて 清潔(キレイ)なつもりになってる whoops!
俺もお前も愚か者(バスター)。汚れて乱れて死ぬまでHugか? Wackな奴にはお似合いだ。
「ねぇ、もっかいやろうか、時間あるんでしょ?」
「……団欒(アソビ)は、終わりだぜ……失せなBitch」
「そんな事言わないでよぉ。ん~、別に私はお金取るわけじゃないんだしさぁ~」
売女(ネコ)みたくすり寄ったって、俺の身体(コック)は寝ちまった。
最高(ギア)なHATを身に着けて、前(フロント)、後(バック)に行ったり来たり。疲れちまうのも当然さ。
吐精(トリップ)一瞬。平生(チル)一生。そいつが世界(ヤロー)の常識(スティーロ)。お前は一つ賢くなった。テストに出るかもしれねぇぜ。
「ふーん。話に聞いた通り。あんたって変な男だね」
「………?」
「アタシらの界隈じゃ、噂になっててね。全身タトゥーの変な男。時々色んなライブハウスに現れて、
適当に声をかけてきた女と一発ヤってすぐにおさらば。淡々と、金だけ置いて、はい、さよならみたいな。そういう奴」
「俺だけじゃ、無いさ……」
煙草(スィグ)の煙を吐き出して、俺は答える。男なんて二つだけ。刹那のSEX or 永遠のSEX。
俺は刹那だけ。永遠なんて無い。望んでも人が寿命(シヌ)のはもうじき。But 身体は正直。本能に逆らえない。Fuck'in SEX!(クソ食らえ!)
「そうね。そういう奴。世間には山ほどいる。でもね、アンタ、どっかそういう奴らと違う。
イキがって刺青彫って、身体が穴だらけになるほどピアス開けてるソイツらとは違う雰囲気、あるよ」
当たり前だ。俺はSucker、WackなSucker。
言うより早く、俺の唇(リップ)を塞ぐ女(プッシー)。瞳孔がゆっくり絞られていく。.....Fuck。
「ねぇ、名前、名前教えてよ」
「……失せろ、Bitch」
「名前くらいいいでしょ……? どうせ、アンタはもうアタシに会う気は無い」
「…………」
「なら、せめて置き土産に」
立てた中指(ファック)を女は握る。Fuck....Fuck! 厄介(メンドウ)は、御免だ。
「大丈夫? 汗すごいよ……」
Bull shit! 俺は女(プッシー)を突き飛ばした。これだからビッチは嫌いだ。
テメェはただ、俺のPenisから本能を搾り取れば良いだけだ。それ以外はいらねえ。余計な事はいらねえ。ンなもんは全てFuckだ。
俺は、金を投げ置き、ドア(ゲート)へ向う。気分が悪い。だんだん、世界(ヴァイヴス)が崩れて見るも無残。壊れる前に俺は退散。
「ちょっと待って。アンタ、結局何なの。何でこんな事してるの」
「…………」
俺は、ふと足を止めちまった。
女(プッシー)からの、馬鹿げた質問(クエスチョン)、骨の髄まで、俺はすっかり呆れちまったのさ。
「アンタ、誰なの……」
「俺には……名前なんてないぜ……」
俺は振り向いて、そう答えてやった。
そうさ、俺には名前なんてない。あるのは薄汚ねぇ塊と、抗えない獣じみた本能(コア)だけさ。
hum? 凡人(アバズレ)には難しいかい? この感情が身上。それが俺の信条で心境。See ya?
「じゃぁ、もしこの先、あんたの事思い出したとき、何て呼べばいいのかな」
「……知らねぇよ」
嫌になるぜ。コイツも忘れさせてはくれないよ。俺はあと何発ヤれば良い?
「じゃぁ、アンタが決めて……」
「……?」
紳士(ポッパ)になるには遠すぎて、俺はまだまだ未熟者(トーイ)。だから俺はお前と親友(ホーミー)。
だからつい、こんな事を思いついちまったのかね。子供(ガキ)じゃあるまいし、おかしな話さ。
「アンタが、呼び名を決めて」
「…………」
扉を閉めてから、奴はもう追いかけてこなかった。俺にはわかるぜ、きっとジョン(オマエ)は驚いてる。俺が最後に残した一言(コトバ)。
残してもいいだろ、少しくらい。いつかは消えてく時限装置(クロック)。それくらいの楽しみ(タグ)くらい、最後(ラスト)に頼むよ。
俺もお前も長い付き合い。ずっと一緒に生きてきた。
『……俺は……』
──なぁ、ジョン。……お前なら、許してくれるだろ?
『……詩的殺害者(リリカルマダラー)さ』
ハンカチで汗を拭きながら、男はようやく口を開いた。
「……705号室にお住いの方は、実は“COM”と言います」
「コム?」
男は静かに頷いた。
「COM……それは20年以上前よりソ連にて特殊プログラムにより極秘裏に作られた戦闘用人間の総称……。
表向きは、IQの高い子供に英才教育を施し、各地に派遣しスパイ活動をさせる。彼らは総じて冷酷であり、まさに機械の如く……」
「ちょ、ちょっとちょっと! さっきから、何か勝手にブツブツ言われてますけど、そんな漫画みたいな話じゃありません」
「……なーんだ、つまんないの」
ツンと唇を尖らせながら、元凶のオレンジはソファに深く沈んだ。
「すみません、このC調男は後で丸坊主にさせますので。どうぞ話を続けてください」
「はぁ……」
グリーンが仕切りなおしたものの、男は何だか調子が狂うといった顔で咳払いを一つし、
「えーと、それで、その、705号室の方はコムさんと申します」
「外人さんなんですか?」
「いえ、まるっきり日本人……だと思います。何しろ、自分の事を全然語りませんので……」
そういえば、あの時言われた「ファック」も思い切り日本語発音だったなぁ、とグリーンは思った。
「で、そのCOMさんはあなたにとってどういう関係がおありなのですか??」
「まぁ、その、仕事仲間と言いますか……はぁ、いやはや、何と言いますか……」
「あ~もう。歯切れが悪いですねぇ!」
グリーンが威嚇がてらに、机をバンと両手で叩くと、男はより一層身を縮め、おずおずと視線を上げた。
「……あの、再三の確認で恐縮なのですが、これに関しては他言無用でお願いしたく……」
「その点は大丈夫ですから、早く言ってください!」
テーブルの上に身を乗り出してグリーンは男に迫った。
その姿は「他言しないから大丈夫」というより「そんな事より早く知りたい!」と言う野次馬根性があからさまに滲み出ていた。
「では……申し上げます」
男の唇が微かに震えた、グリーンでなくとも隊員達にまでこれから発表される衝撃の事実の発表を、固唾を飲んで見守っていた。
そして、再び男が咳払いをすると、意を決したようにグリーンの顔へしっかりと眼を見据えた。
「……先生です」
「先生?」
「……COM先生は、ウチで小説を書かれているんです」
この瞬間、この部屋の中にいる隊員たちは、ただ瞼を開閉するだけの人形に成り下がっていた。
てっきり、シンジケートだとか、クローン生命体だとか、ドンドンパチパチ極道の影とか、誰しも程度の差はあれど、そんな事を予想していたのだ。
それがまさかの小説家。ライター。ノベリスト。ぽかんとするのも無理は無かった。
「そ……そう言われれば聞いたことありますね。COMって小説家」
隊員一の読書家であるクリームが、未だ表情に戸惑いを引きずりながら呟いた。
「クリーム知ってるの!?」
「ええ、昨年くらいからぽつぽつと。コアな固定ファンが大勢いる作家みたいですけど」
「COM先生は、まだデビューして1年の新進気鋭の作家でございまして。純文学界ではじわじわ人気を高めております」
「純文学なの!?」
「純文学ですとも!」
男は大きく頷くと、懐から名刺入れを取り出し、中から一枚、グリーンに差し出した。
株式会社デフミュージック出版部、松井。それが男の素性であった。
「我が社は一昨年まで、年に5曲の売れないインディーズCDを作り、一冊の売れないHIP-HOP雑誌を発行する従業員6人の会社でした。
それが、たまたま取材先のクラブハウスでCOM先生と出会いまして、街角の即興ラップみたいなコーナーに参加してもらった所、
まぁ、長ったらしく喋ること喋ること。3ページ過ぎてもまだ喋っていて面白かったので、そのまま載せれば、ハイ、これが好評!
そこから、粘りに粘ってコラムの連載をお願いしたところ、まぁこれが全然コラムじゃない。小説みたいだってことで載せてみれば……」
「好評で、小説家デビューってことですね」
「出してみたら、とある作家さんの書評に取り上げられたおかげで、これがまた売れまして。おかげでうちの会社も急成長。
これまでキノコが生えるほど日陰者だった出版部も大きくなり、従業員も40名に増え、まさにCOM先生様々!!」
松井は、突然この場にいないCOMに祈るように手を合わせ、深々と頭を下げた。
確かに、小説家ならあんな成りでも食っていけるわけで、普段からフラフラ根無し草の様に暮らしていても問題は無い。
そうとわかれば、これまでの佇まいも、どことなく芸術家っぽい雰囲気が無いわけでもなかった……ような気もする。
「しかし、先生には問題が色々ありまして……」
「問題?」
「ええ、みなさんもお気づきだと思いますが、とにかく先生は見た目も中身も変わっていらっしゃいまして……」
男の発言に関して、当然ながら誰も異を唱えるものはいなかった。
むしろ、あのイカれた格好で誰にでも礼儀正しい好青年だという方が驚きである。
「編集者の私にも滅多に口を聞いてくれませんし、発言しても何を言ってるのか判らない時も多々……。
COMと言うお名前も、実はペンネームなんです。なんでも、真名がどうとかで、本名は編集部の誰一人知りません」
「でも、作家というか、芸術家肌の人ってみんな程度の差はあれ、そんな感じなんじゃないですかねぇ」
「ええ。それだけなら我々としても問題は無いのですが、先生の場合、蒸発癖がありましてね」
「蒸発癖?」
「我々に何も言わないまま、突然住んでた場所からいなくなってしまうんです。酷い時は、尋ねた半日後にいなくなってた事もあります。
その度に、あちこちに聞きまわって、興信所みたいに社員総出で探しまくると言う事をかれこれ10数回続けているのですよ……」
松井は頭が痛み出したのか、こめかみを押さえながら歯の間からスーッと息を吐いた。
「連載を既に半年以上も中断して部数も激減してる最中、こう何度も逃げ出されては、我々の生活にも大きく関わってきています。
しかし、先生は将来を期待されている作家。あぁいう方ですから、おおっぴらにする事もできません。だからこそ、このようにこそこそと…」
松井は机の上に、強く握り締めた拳をたたきつけ、身を乗り出す。
「皆様には、我社のため、そして社員の家族、先生の新作を待つ読者の方々、果ては日本文学界の未来の為に、是非とも内密にご協力していただきたい!」
「……ま、お話はよくわかりました」
グリーンが顎に手を当て、貫禄たっぷりといった風に答えた。
「では、とりあえず我々はどうすればいいでしょう。COMさんを縛り付けて新作を描かせるとか?」
「いえいえ、気難しい方ですから、そんな事をしてヘソを曲げられてしまっては我々が困ります」
「では、どういう協力をお望みで?」
「ズバリ! COM先生をこれ以上、行方不明にしないようにしていただきたいのです!」
松井の血走った目が眼前に迫り、鼻息が顔に掛かる。
そのサマを見ただけでこの言葉がどれほど切実なものなのかが、グリーンは一瞬で理解できた。
「し、しかし、蒸発癖がある人を押さえつけるなら、やっぱり縛りつけでもしない限り無理なのでは?」
「ごもっともです!」
「……なんか、納得されてしまいましたよ」
「ですがね。私、先生の失踪には何かしらの出来事が関係しているのではないかと睨んでもいるのですよ」
「その根拠は」
「はい!」
松井はピンと人差し指を立てた。
「引越し業者を見つけるたび、必ず"突然だった”という言葉が返ってくるのです」
「んー、でもそういう人って、脈絡も無く突然フラッとどこかへ行きたくなるものなのでは?」
「これまでのマンションの大家さんや、隣人の聞き込みでも、大抵"逃げるように急いで出て行った”という証言を得ています。
何者かに追われているのか、それとも締め切りから逃げているのか、わかりませんが、何か理由がある可能性は高いのではないかと」
「ふーむ……調べてみる価値はありそうですね」
「調べていただけますか!」
「ま、やってみましょう」
グリーンは腕を組みながら余裕げに答えた。気分はまるで私立探偵。
そんな最中、松井は黒いビジネスバッグから電話帳ほどの厚さの書類の束を取り出し、机の上に広げた。
どれも細かな字で、中にはどこかの街の地図やら、マンションやアパートの写真やらがプリントされている物もあった。
「これは?」
「はい、とりあえずこれまでウチの社員やコネを使って調べた、先生の居住先の大家さんや、近隣の方、引越し業者や不動産屋、銀行などなど、
これまでの先生が蒸発する前に関わった可能性のある方々の証言などをすべてまとめてある資料でございます」
「……ほほぉ」
グリーンはとりあえず手元の紙を一枚取ってみた。
書かれていたのはコムが住んでいた7件目のマンションの一階にあるクリーニング店の地図と店員の証言だった。
その内容は『さぁ、そういう人は知りませんけどねぇ』。……もはやこれは紙の無駄遣いではないのだろうか。
「これがあれば、わざわざ余計なご足労をおかけする必要も無いと思いますので。どうかご参考になさってみてください」
「ええ、わかりました。とりあえずはお預かりさせてもらいますね」
「お願いします。では、私は一度社に帰ってやる事がありますので」
「えっ、帰っちゃうんですか?」
「はい。一応、私もサラリーマンなものですから。もし、何か良い方法を見つけましたら、名刺にある携帯の方へかけていただければ、すぐに飛んで参りますので!」
そう言って松井は膨大な書類が無くなってすっかり軽くなったカバンを手に、足取りまで軽く出て行ってしまった。
グリーンは改めて机の上の書類に目を落とすと、肩の上にずっしりと何かが圧し掛かっている様な気分がした。
「これは、結構荷が重い依頼かもしれないですね……」
「──っ……」
射精(イ)っちまえば、蝋燭みたく。男(ヤロー)なんて悲惨(ミジメ)なもんさ。
あれだけ乱(ヨガ)ったその表情(カオ)も、強(ハゲ)しく擦(ニギ)ったその指も、糸の切れた操り人形(デクノボウ)。
乱れた息が部屋中を、あちらこちらと耳障り。hey 何をそんなに探してる? AY YO 俺はここにいるぜ。
「あ……あの……ありがとう、ございました……」
何を言うかと思いきや、まさか礼を言われるなんてね。波打つ角膜(ヒトミ)は感謝の態度(ツモリ)かい。
まぁ、いい。だったら俺も対応(ヘンジ)をしよう。OK.“もう一発ヤって差しあげようか(ドウイタシマシテ)?”
「は、初めて、だったんです……こういうの……」
「そりゃぁ、よかったな……」
「…………」
儀式(コト)が終われば、後は退室(オサラバ)。金を置いたら即座(サッサ)とBye-Bye。
第二回(シキリナオシ)は簡素(キレイ)に収める。そうさ、それが俺の考え(スティーロ)さ。ジョン、なんだいその苦い顔。
あぁ、そうだな。この信念(シミ)は、どうも頑固(シツコ)い奴で、俺の軸(カラダ)にぶら下がる。
「あ、の、待ってください」
Fuck...。俺はそう口に出しちまったよ。今日は一体どうしたのかね。どいつもこいつも俺を止めるよ。
相手(コイツ)は俺の右腕(アイボウ)を、掴みやがって離さない。どうした、往復(ツキ)が足りなかったかい?
「あの……」
「悪いが……俺は、二度目の種(ミルク)はくれてやらないって、決めてるんでね」
「知ってます」
「hum?」
「一度、こういうことをした人とは、もう、会わない事……会話はせずに淡々と事だけ終えて、お金だけ置いて別れる事……」
「よくご存知で、教授(センセイ)。……それなら用事(ハナシ)は無いはずだ」
「ま、待ってください……」
俺は、振りほどこうとしたのさ。青二才(ガキ)にゃ、そうでもしなきゃわからない。なのに笑ってくれよ。
奴はなおさら強く、俺の腕を掴むのさ。Fuck...俺はまた呟いていたよ。
「い、行かないで下さい……」
「…………」
「……お、お願いします……」
どうせ最後の晩餐(シメ)なら、いっその事。俺は決意(カクゴ)を決めたのさ。
左手(コウサン)上げて、OK. 答えたよ。こういう人間(ヤロー)に会うときは謙(シタテ)に出ても意味が無い。
どっかの偉人(オイボレ)言っただろ“押してダメなら引いてみろ(イレテ ダメナラ ナメテミナ)!!!”
「All right. わかった。テメェだけ特別だぜ」
「えっ……」
俺はベッド(ステージ)へ向っていった。
すっかり萎びちまった野郎(コイツ)の局所(コック)を口内(オクチ)に含む。hehe...味は悪くねぇ。
「あっ……ちょっ……」
目を閉じてても鳴き声(サエズリ)で判る。男(ヤロー)だって同じさ。
どっちも上が出てるか、下が出てるかの違いしかねぇ、そうだろ。ジョン(MEN)?
「違うん、です……」
「hum?」
なかなか良い屹立(オオキサ)になって、一体何が違うんだかね。
後(ノコリ)数秒(ワズカ)で、この対応(アソビ)、到達(イカ)せる自信はちゃんとある。
Hey,Boy...摂取(ノミコ)みゃしないが、試飲(アジミ)くらいはしてやるぜ?
「そういう事で、引き止めたんじゃ、ないんです……」
「……あいにく、俺は過激な遊戯(プレイ)は、しないタチでね……」
「違います。あなたは、何もしなくて、良いんです」
「俺は挿入(ブチコ)まれるのは御免だぜ」
「だから、そうじゃなくて……ぼ、僕……あなたの事が、好きなんです……」
言った後で、3度目のFuckは、ちょっと俺らしくなかったかもしれねぇと思ったよ。
「僕、タトゥーとか入れてる、そういう、アウトローな人が好きで。初めて付き合うなら、あなたみたいな人が良いし、
女だけじゃなくて、時々、あなたが男と一緒に出て行くって話を聞いて、それなら、僕、声をかけようって……」
「…………」
「僕、あなたが、好きです。あ、愛してるんです……」
「…………」
嫌悪(トリハダ)がどうしようもなくて、俺は男を突き飛ばしたよ。
訳もわからず飛び出した廊下で、俺は硬く煙草(スィグ)を噛んだ。
なぁ、ジョン、今日は厄日かね。俺の嫌いなものばかりが擦り寄ってくるよ。
駐在費(カネ)は払った。なのにどいつもこいつも、こっちの方へと近づいてくるんだ。
テメェと俺は金での関係(ツナガリ)、絶対にそれを破ったら駄目(アウト)なんだ。俺は、それを許せない。
今日は諦めるかい。いいや、お前は痺れを切らしてるのはわかってる。11月の『雨』は今日しかない。
……安心しな。今度の相手は、慎重に選ぶさ……俺の最後のお相手は、大人しくって、気違い(マッド)がいいね……。
「うーーーーーーーーーーむ」
リビングのフローリングは、大量の書類で真っ白になっていた。
足の踏み場も無い中、皆はソファや机や椅子の上に乗って、手がかりが無いかくまなく探すが、膨大な資料の前では大変な作業だ。
この中じゃ一番脳細胞の若いグリーン隊員でさえ、腕を組みながら鼻の下に鉛筆を挟み、思案を巡らしているばかり。
「クリーム隊員、そちらの調査はどうですか」
「転居先の共通点は見当たらず、部屋番号等にも法則があるわけでもなし。数学的見地で考えてみましたが、成果なしです」
「では、ブルー隊員は、どうですか」
「これまでのマンションを順番に点で結んでみましたけど、何の形にもならないっすね」
「んじゃぁ、イエロー隊員はどんなもんですか」
「引越しした日時すべてに当てはまる誕生日のメンバーが揃っているジャニーズグループはありません。次はAKB関係で探してみます」
「ふぬぅぅ…………!!!!!!」
ワサワサと頭の毛を掻き毟りながら、グリーン隊員は我慢のリミットに達しようとしていた。
蒸発癖なんて、理由がハナからあるようなものじゃないのだから、やはり本人以外どうする事も出来ないのではないだろうか。
資料を何度読んでみても、何者かに追われている様な感じもないし、住んでる住居もバラバラで特にこだわりがあるワケでも無いみたいだし。
「あーっ! ダメです。これはいつまで経ってもダメですよ! やっぱりね。小説家なんて頭がどっかおかしい奴がなるもんなんですよ。
あんな身体に刺青みたいな反社会的なものを入れまくって、おまけに私のような善良な隣人に出会いがしら中指をおっ立てるような奴なら尚更です。
そんな人間の考えることなんて脈絡があるわけでもないし、常に突発的なんですよ。一般ピーポーには到底理解し得ない人種なんですよぉぉーっ!」
とうとう限界を迎え、手にしていた書類を頭上に投げて、グリーンはダイニングテーブルの上に大の字になった。
肝心の隊長代理がそうなってしまえば、他の隊員のモチベーションにも大きく影響し、これまで張り詰めていた空気にも、疲労や諦観の濃度が強くなり始める。
「こうなったら実力行使にでも出ちゃいますかね、ははー」
「そんな事したら、ますます松井さん困っちゃうんじゃないんすか」
「わかってますよそんな事! でもこんな不可解な行動パターンをどう分析すりゃいいっていうんですか!」
バシバシとテーブルの上を叩いて、グリーンは苛立ちを露わにする。かと思うと、
「ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ……」
突然、長い溜息をついたと思えば、ごろんと寝返りを打ち、隊員達に背を向けた。とうとう白旗を上げたらしい。
隊長代理の任務放棄に、ますます隊員達の士気も下がり、皆の背筋もどこか丸みを帯びてゆく……。
「まぁ、でもなんか、変な人っすよね。ざっと近所の人の証言を読んだだけでも」
ブルーの呟きに、皆も「まぁねぇ」といった顔を見合わせた。
イメージ通りというか、逆にイメージとは異なっているというか、とにかく奇行が多いというのが全体の印象であった。
「この5件目の。花壇の植え込みの上で泥だらけになってた話とか、なんだコイツって感じっすもんね」
「何それ」
「大家さんの証言っすよ」
隣に座るオレンジに、ブルーは手にしていた書類を手渡した。
「……ドシンという音がしたので、行ってると花壇の植え込みの上にその人が泥だらけのまま、青い顔で座り込んでいました。
声をかけようとすると、そそくさと逃げていきましたが、くじいたのか右足をひきずってました……ふーん変な奴」
「そういう話ならこっちにもありますよ」
椅子の上に座っていたイエローが、ぴらぴらと頭上で書類を振った。
「こっちは9件目の大家さんの証言ですね。えーと、廊下に倒れていたので、介抱しました。三日間何も食べてなかったようです。
卵雑炊を作ってあげました。終始何かごちゃごちゃ言ってましたが、最終的に全部食べて帰って行きました、と」
「可愛いんだか、可愛く無いんだか、変な状況っすね」
「そういうことならこっちも傑作ですよ」
部屋の隅のダンボール箱の上でうずくまっているシルバーも、話の輪に入ってきた。
「これは13件目のアパートの住人です。駐車場でタバコを吸っている所を、うちの4歳の子供が水鉄砲を発射した。
父親の禁煙のために仕込んでいたはずが、いつの間にかタバコを吸っているを見かけるたび、水をぶっ掛けるようになりました」
「変な子供に捕まったもんすね」
「ええ、このせいで転居したんじゃないか、ってこの主婦の方も回想されてますね」
「えっ? な、なんですって!?」
今まで涅槃を気取っていたグリーンが突然飛び起き、シルバーの方へその眼を向けた。
「今、何ておっしゃいました。シルバー」
「はぁ、パンツを頭に被っても、それはもはや帽子になったのであって何も恥ずべき行為ではないはずだ、と」
「……あなたのつまらない冗談聞いてる場合じゃないんですよ。こっちは真面目に聞いてるんです!」
「こっちも真面目なんですけどねぇ」
「もういいです。その、転居した理由がそれかもしれないって事ですけど」
「聞き直さなくてもしっかり聞いてるじゃないですか~」
ヘラヘラしながら突っ込むシルバーをよそに、グリーンはテーブルから降りると、
蜘蛛の様に地面に這いつくばりながら、辺りに散らばった書類を拾い始めた。
「……禁煙席で喫煙してスプリンクラー作動してしまい死ぬほど怒られた……えぇと、これはー……やっぱり!」
「どうかしたんすか?」
「ブルー隊員! その花壇の件は転居する何日前ですか!?」
キッと顔を上げたグリーンの真剣な表情に、ブルーは慌てて足元に捨てた書類を拾い上げる。
「っと……翌日引っ越してるみたいっすね」
「イエロー隊員、行き倒れ事件についてはどうですか?」
「……転居の前日の話みたいですね」
「シルバー隊員の水鉄砲も、同じですね?」
「イエッサー」
「……見えましたよこれは!」
グリーンはどこか興奮した様子で、目を爛々と輝かせながら右の拳をパァンと左手に叩きつけた。
「つまり、あの刺青男は“尋常じゃないカッコつけ野郎”なんですよ!」
「「「はぁ?」」」
「良いですか、あの男はとにかく自分のカッコ悪い所を見られるのが大嫌いなんですよ。ほぼ全部の証言を照らし合わせると、
転居前に何かしら妙な行動が目撃されてます。恐らく、ほとんどカッコつけようとしたか何かでドジ踏んだ瞬間なのでしょう。
それを他人に見られてしまった『あぁぁ恥ずかしい!』これがきっとあの男からしてみれば死ぬほどの屈辱に違いありません!
人はその時どのような行動を取るでしょうか。弁解なんてプライドが許しません。そう、逃げます! その場から逃げちゃうんですよ!!!」
グリーンの言葉に、皆は慌てて床に残った書類を集め始めた。
転居の前日に、他人がコムの妙ちくりんな瞬間を目撃した事例がかなり、いやほぼ9割方発見することが出来た。
ここまで共通性が見いだせられると、隊員達の表情にも『これに違いない』と言う確信めいた目の輝きが舞い戻ってくる。
「フッフッフ、どうですか! 伊達に隊長代理を長年やってませんよ私だって!」
「……あ、でもさ、要はカッコ悪い瞬間を見られなきゃ良いってわけなんでしょ? そんなのずっと監視する訳にも行かないし」
「むぐっ」
オレンジの素朴な疑問に、グリーンの頬がピクリと動いた。
原因が見つかったとはいえ、その解決策を出すとなるとこれまた大変な事には変わりないのだ。
せっかく浮上しかけた『光明』という名の船も、今では再びゆっくり沈んでいこうとしている。
「シェンナ、良い方法見つけたですよー! ここにヒントがあったんですー!」
そんな時、ぴょんと手を上げてシェンナが飛び跳ねた。
「さすがですシェンナ! その方法とは一体?」
さすが、腐っても女子隊員の年長組。グリーンも思わず顔を綻ばせて近づくと、
彼女はサッと書類を後ろに隠して、
「シェンナ、今日プリン二個食べたいですー!」
「ええ、いいですいいです。二個でも三個でも食べて構いませんから」
「それと、今日一日シェンナをシェンナ様って呼ぶですよー! シェンナが歩いてる時もみんな土下座するですー! あとー」
「増長するんじゃないの」
ペシンとシェンナの頭に手を載せて、クリームは彼女が手にしていた書類を奪い取った。
抵抗するシェンナを慣れた感じに押さえつけながら、彼女はそれに目を通すと何度も頷き、その目を隊員達へと向けた。
「ええ。確かに、これなら何とかなりそうですね」
「で、クリーム隊員、それはどんな方法なんですか?」
「先に、松井さんの名刺貸してもらえますか。ちょっと前もって準備が必要ですから、連絡しておかないと」
「え?」
クリームは書類をグリーン達に見えるように、前へと突き出した。
その文面を読み終えると、隊員達は皆、呆れたような苦笑いのような微妙な表情を浮かべ、互いに顔を見合わせるのだった。
「……やっぱカッコ悪い」
やっと見つけ(マッテ)た3人目。大人しい(ジンチクムガイ)な女(プッシー)さ。
白いお顔で寝転んで・まるで死人(カカシ)とファックしてるみたいだったよ。あぁ、気狂(イカ)れた俺にはお似合いさ。
興奮(ハップン)しちまい、疲(ダラケ)れもしちまい、頭(マッド)は爆発(パンク)。俺の一物(コック)も喘ぎ声。
「今夜、雨が降るんだってね……」
「……あぁ」
雨の前はいつもと空気(バイブス)が違う。今日も同じ。湿った匂いが鼻腔を突く。
それらが肺胞(エモーション)に染み込んで 胸の中(インスティンクト)が喚くんだ。
──Hey,Sucker!?!? テメェは自分でクソの始末も出来ねぇか!?!?!?!
Shut the fuck up!! 黙らせるには、まだ足りないね。
言われなくても、わかってる。俺の最後(ケジメ)は俺がつけるぜ。終わるまで黙ってな。
「……私、雨が降ると悲しくなる。あなたにも、そういうことってない?」
「俺は嬉しくなるね」
「そう……」
咥えようとした煙草(スィグ)を、女(プッシー)は取り上げちまう。
yuckkkkk! 嘔吐(エヅク)前に、目を逸らす。Hey,お嬢さん(ショーティ)? もう、俺は毒(ソイツ)を吸うのは御免だぜ。
「……キスしましょうか、ねぇ」
「あいにく俺は嫌いなんだ」
顔を背けて、俺は薄い掛布団(ウワガケ)に潜り込む。終(ダ)した後は、何もかもめんどくせぇんだ。
射精(イ)っちまったすぐ直後に、この部屋も女も全部消えてくれれば、どれだけ楽なんだろうな、ジョン。
「ふーん。なのにセックスはするのね」
「……するさ。ファックな仕組み(ギミック)、理解をしても、業(カルマ)にだけは逆らえない……」
「全然、何言ってるのかわかんない……」
「……奇遇だな。俺にも、さっぱりわからねぇんだ」
「バカみたい」
「Thanks...俺にはそれが勲章(ホメコトバ)さ」
俺は(ステージ)から降りて、そのまま金を取り出す。
「……お金なんて、いらないけど」
「だったらその辺に捨てときな。そのうち男(ダレカ)が拾って、女(ダレカ)に払うさ」
ちょっぴり豪勢(フンパツ)に、所持金(アリガネ)全てをデスクの上に投げた。
テメェは、最後の相手に相応しかった。hehe...ジョン、本当にバカみたいだろ。感謝(ファック)の気持ちさ。
「……ねぇ。あなたって友達いるの」
「いるさ……最高(ドープ)の親友(ホーミー)が」
「へぇ……いいわね。なんて名前?」
「……ジョン」
「それってまさかジョン・レノン?」
HA.HA! 聞いたかい、ジョン。
最愛の君(アクユウ)を、クソみてぇな音楽(ハナウタ)を垂れ流しながらおっ死んだ男(ヤロー)と間違えるとはね。
俺は即座に否定(ディス)するぜ。ジョン(テメェ)はあんな糞野郎(セルアウト)とは訳が違う。
「私は、友達いないの」
「俺もジョンに会うまではそうだった」
「……私は、多分そうならないと思う」
「そりゃ良い。友達(トーイ)なんて、元々いらねぇもんさ」
「……私は、欲しかったのよ」
女(プッシー)は、うな垂れて背を向けた。
くだらないね。そんなもんが何になる。多い、少ないに拘って、ファックな人生を過ごすのかい。
俺は、そんな奴が嫌だから、ジョン、そうさ、お前も俺と同じだった。見苦しい。吐きそうだ。俺も奴に背を向けるよ。
「あなた、死にたいって思った事ある?」
「…………」
「あるか、ないか、どうなの……答えて」
今日は、質問(クエスチョン)が随分多い。これはどんなクイズ・ショーだ? OK...俺は全てにFuckと答えよう。
いや……そうか、違うのか。これは俺への懺悔室か。なるほど、神父様(マザーファッカー)!……俺は正直に答えましょう。
「……俺は、もう死んでるよ」
「茶化すのは辞めて頂戴」
「本当さ、俺は……全ての瞬間、死んでるよ」
「そう……じゃあ、私は幽霊とセックスしたってわけね」
幽霊……。陳腐な解釈に、俺は軽く絶望を覚えたね。違うといえば、ゾンビになるのかい。滑稽(オワライ)だね。
死んだ人間が幽霊やゾンビにならずに歩きまわる事だって、この世の中(ヴァイブス)にはあるんだぜ、お嬢さん(ショーティ)?
「それなら、幽霊のあなたは死にたくなる事って、あるのかしら」
「……hum?」
「道端を歩いている時、通り魔が私を刺し殺してくれないかとか。寝ている時、心臓麻痺か何かで知らないまま死なないかとか、
なんか……なんかそういう……そういう、事ばっかり考えちゃって、生きてるのが怖くて、消えてしまいたい事って……。
で、でも、死ぬのはやっぱり、ちょっと怖いのよ。踏ん切りが、なんか付かないの。一歩前に踏み出すだけなのに……」
……ジョン、俺は何も言わなかったよ。Fuck.Fuck.Fuck....。
今すぐ逃げ出したくなっちまったんだ。俺は、こんな奴とは違う。舞踏会(ファッション)と勘違いしてる奴は、俺は嫌いだ。
「今日は、最後に良い思い出が出来たわ……」
「…………知るか。俺は帰るぜ」
「待って、わ、私、あなたにお願いがあるの」
……俺は振り返いたんだ。そしたらジョン、笑ってくれよ。
最初は、素敵な聖杯(カリス)でもいただけるのかと、思わず跪きそうになったよ。でも、違ったんだ。
「……ねぇ、私と一緒に、し、死んでくれないかな」
女(プッシー)は、何よりも眩い銀色のナイフをこっちに向けていたんだ。
──ジョン、本当に、馬鹿馬鹿しい話さ。
「えぇ、なんか凄い勢いでホテルを飛び出したらしくて、まぁ女は取り押さえたんですけどね。
路地裏のポリバケツの中で震えながら隠れていたのを発見しまして、事情聴取も済みましたしお連れしたわけなんですよ」
「ありがとうございます……」
ベージュ色のコートを着た刑事然とした男に、編集者である松井は何度もぺこぺこと頭を下げていた。
男の後ろで、コムは平然と煙草を吸っていて、まるでそ知らぬふりをしている様子だった。
……と言っても、これらの状況を隊員達は肉眼で見ているわけではない。
廊下に置いていた、ブラック製の雑音スピーカーに取り付けておいた監視カメラのおかげだった。
「では、我々はこれで」
「ありがとうございました……」
刑事が去っていくと、コムは少し控えめだった姿勢から、心持ち胸を張ったようにして、ふーっと煙を吐き出す。
「先生、あまりこういう事をされては困ります。相手の年齢が年齢だったら、買春で捕まるかもしれないんですからね」
見かねた松井からの忠告も、彼はまともに受け取ろうとしていないのか、
コムは手すり壁にもたれ掛かりながら、手元の煙草をじっと眺めていた。
「先生、やっとお会いできたんですから、これからは執筆の方に身を入れていただかないと困るんです。
女性遊びもよろしいですが、今回みたいに殺されそうになって、ゴミ箱の中へ逃げ込むなんて、読者が聞いたらどう思いますか」
「……言っとくが」
コムは煙草を咥えなおすと、松井の方へ顔を上げた。
「……あのファッキン男(ポリス)の話(ザレゴト)は全て、デタラメだ……狂った女(プッシー)が部屋を飛び出しただけで、
その間ずっと俺は煙草(スィグ)を手に、部屋でくつろいでたのさ……俺にファックされるために尋ねてくる、別な女を待つために……」
「そうですかそうですか、わかりました。お話は、中でゆっくり聞きます」
そのまま松井はコムを連れ、部屋の中へ行こうとすると、
「……言ったはずだぜ……俺はもう他人の為の詩(リリック)は綴らない……何度来ても同じ事だ」
「いいえ。先生はこれからの作家なんですから、読者のためにも是非」
「Non...」
「失礼ですが、もう生活費がありませんよね。消費者金融からお金借りられて一度も返されてないの知っているんですよ」
「…………」
「書いていただけるのでしたら、もうキャッシュで前金をお支払いする事も可能ですが、いかがでしょう」
コムはしばらく黙り込んでいた。
悩んでいると見えて、松井の表情にもどこか期待の色が浮かんでいたが、帰ってきた返事は、吹きかけられた煙だけであった。
「……もう金は必要ない。だから、俺には、承諾(ノ)る理由(イミ)がない」
「お金が必要無い事はないでしょう。返すアテだって、先生、ありませんでしょう?」
「今日でもう必要なくなったのさ……」
コムはそう言って、相変わらずの余裕げな笑みを浮かべ部屋のドアを開けた。
「先生、もっとわかりやすくおっしゃってください。私にはさっぱり、意味がわかりません!」
「……意味? 意味ねぇ……。そいつは……」
コムは肩越しに松井の方へ目をやった。
「……雨にでも聞いてみな」
そうして、705号室の扉は音も無く閉じられた。
空はそれを待っていたかのように、徐々に雨の色を帯びてきていた……。
──雨の音は、好きさ。
汚ねぇ芥(クラップ)、洗い流す。その音階(コード)=(は)RESET。
愚鈍(ファック)な庶民(ヤツラ)が吐き出す膿(スラング)、俺はもう沢山(ズイブン)参っちまってるんだ。
腹が立つなら、出直しな。
胸が痛けりゃ、目を閉じな。
何かが憎けりゃ、背を向けな。
放棄(デリート)さえすりゃ、楽になる。
どいつもこいつもうだうだと、退廃(アセ)た童話を携(カカエ)てる。
Yo Men? 貴方達(テメェラ)は気づいちゃいないのさ。
喜怒哀楽(アイダノコイダノ)何もかも、凡人(ジャンキー)どもへの甘味料(オナグサミ)……Fuckだね。
Hey,ジョン、切符(ジョイント)の期限は、まだあるかい?
素敵(チル)な雨(ベル)が降(ナ)り出した。窓(ゲート)を開けて、選民(サイファー)達に御辞儀(アイサツ)しよう。
『COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!! COM!!!!』
あぁ……聞こえるさ。ジョン、俺だけの為の呼び声(トラック)だ。
kick ass!! なんて音楽(ヒビキ)だ。鼓膜(ノウミソ)が痺れ(バイブ)しやがってるよ。
反響(エコー)が下から、立ち上り、俺を包んで行ってるぜ……。
俺の何もかもをかき消して、瓦礫(クラップ)と共に流れてゆくよ。
意識(コア)は細分(バラ)けて、天地(ルール)さえも、今では無意味(アンルール)
Hehe...俺はついに、自分の性器(コック)に接吻(クチヅケ)したぜ……。
幾何学模様(ビディオ・ドラッグ)の網目から、肉体(カラダ)と心(ハーツ)が分離(オサラバ)された。
どこもかしこも、俺だらけ……昇る俺、下る俺、ねじれる俺、割れる俺、広がる俺、潰れる俺、俺、俺……
あぁ……ジョン、このまま俺はどこへ行くんだい。
海へ行くなら、俺は全ての魚を犯(ファック)してやろう
山へ行くなら、それも良い。大自然を犯(ファック)してやるさ。
地下水道(スライダー)を巡りに巡り、旅(セルアウト)するのも、楽しいか。
なぁ……ジョン、心地良い(カイカン)ってこういうことを言うのかい?
何もかも、御誂え向き(タイト)な、天気(ステージ)。全てが落ち着くんだ。
あぁ……そうだなジョン、いよいよお前との取決(ヤクソク)、実行(カミナッチャ)してやれるぜ。
思えば、冗長(ダラダラ)行きすぎた。それが俺の未熟者(サッカー)たる所以な訳さ。
ジョン、お前はずっと俺の側にいた。テメェにゃ感謝(ビガップ)しきれねぇ。
お前が存在(イ)なけりゃ、俺もここに存在(イ)なかった。
結論(アンサー)は出ているよ。
“Fuck”……。ハナから変わるわけが、なかったな。hehe....
ま、そんな25年間。お前のおかげで灰色(アッシュ)くらいにゃなったかもしれねぇ。
そんな色(カラー)も、俺が全部吹っ飛ばして、雨と共に流れていくよ。
親愛なる、我が親友(ホーミー)、ジョン……
……こんな糞野郎(サッカー)と、つるんでくれて、ありがとよ。
……これからは、ずっと一緒(ドープ)だ。
皆様、御機嫌よう(テメェラ、クソクラエ)!!!!
──COM in da house……俺は、ここにいるぜ!
『ワンワンワンワンンワンワンワンワンワンワンワンワン!!!!!!』
「!?」
突然のけたたましい犬の鳴き声に、コムは手にしていたカプセルを落としてしまった。
赤と白の製剤は、木目の床にカチンと跳ねて、開け放たれたベランダへ飛び込んでゆく。
「あ……」
手を伸ばそうとした時には、もう後の祭りだった。
溝に落ちたカプセルは雨に流され、ゆらゆらと小船の様に浮かんだ後、隅の排水溝へ音も無く消えていってしまった。
『キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャン!!!!!』
後に残っていたのは、外から延々と響いてくる激しい犬の鳴き声だけであった。
「…………」
コムは思わず耳を抑えた。雨に似つかわしくない、雑音が鼓膜を響かせ、吐きそうになる。
苛立ちを抑えながら、彼の足はずかずかと玄関の方へと向う。ドアレンズの向こうを一匹の犬が横切ってゆく。
思わず彼は舌打ちをして、タバコを取り出そうとするが、はたと伸ばした手を止める。……そうだ。タバコはもう無いのだった。
「先生、開けていただけませんか。先生!」
「…………」
まだ外にいるらしい松井の声に、コムはチェーンをかけたままドアを開ける。
開けるなり、より一層激しい犬の鳴き声が響いてコムは思わず眉をしかめた。
「あぁっ、先生。よかった。もうこのまま開けてくださらないのかと思いましたよ」
「…………」
「先生、何とか、原稿の方をお願いいただけないでしょうか。先生、お願いしますよ」
「……狗(イヌコロ)がうるせぇ……何の騒ぎ(アッパー)だ」
「はい?」
イライラしているコムとは正反対に、松井はあっけらかんとした顔だった。
「はぁ、たしか、二つ向こうの住人さんが、たくさん捨てられていた犬を預かったらしくて飼う事に決めたみたいですね」
「……ここは、ペット禁止のはずだぜ」
「大家さんが特別にOKしてくれたらしいんですよ。廊下で放し飼いしようかって話を」
「……Fuck。辞めさせろよ」
「えぇっ、でも可愛らしいじゃありませんか」
「俺は、狗(イヌコロ)は嫌いで……」
言いかけた時、ドアの隙間からぴょこんと一匹のミニチュアシュナウザーが顔を出した。
「…………」
コムはピクっと口の端を歪める。
すると、まるでそれが入室許可の合図だったかのように、仔犬は目を輝かせながら玄関に身体を入れる。
「……っ!」
やってきた訪問者を前に、コムはビクッと大きく仰け反ると、床の上に尻餅を付いた。
表情こそ、いつもの余裕ぶった顔つきではあったが、額からは汗が流れていた。
「おやっ、これはミニチュアシュナウザーですね」
ハハハと笑いながら松井は足元の仔犬を拾い上げ、腕の中に抱えた。
仔犬はそうされていても、相変わらず息を荒くしながら、じっとコムの方を純粋な目で見つめていた。
「先生もオーバーな。ドーベルマンならともかく、こんな可愛い仔犬を怖がってらっしゃるんですか?」
「……冗談じゃねぇ……」
小バカにした様な顔をする松井を冷ややかな目で見返すと、コムはそのまま床の上に寝転がった。
「……くだらねぇ世の中(ヴァイブス)に嫌気が差して……すっかり眠たくなっちまったのさ……」
「はぁ、それなら私はお邪魔ですね。また明日、来させていただきます」
「……待て……帰るのか」
ドアを閉めようとした松井に、コムは慌てたように上体を起こした。
「ええ、帰りますが。何か」
「……煙草(スィグ)が……無いんだ……テメェで買ってきてくれれば……」
「お断りします」
松井は険しい表情で首を振った。
「その手に何度も引っ掛かるほど私もバカではありませんよ。そうやって逃げ回って今この状況でしょう」
「断るなら、俺はもう……」
「脅してもダメですよ。ご自分で買いに行けばよろしいじゃないですか」
「……俺が、どうやって……」
「外へ出てコンビニへ行けばいいじゃないですか」
「…………」
コムは外から響いてくる何十匹はいるであろう犬の声を聞いた。
足が棒の様になって、立ち上がる事もままならなくなっていた。もう、タバコの買い置きは無い。もう必要なかったのだから。
「そうだ。先生、この犬に買いにいかせますか」
「……ふざけるな」
笑いながら近づけられた仔犬に、コムの語調は強くなったが、
「でも、これからずっと犬は廊下に放し飼いされるかもしれないんですよ。犬が怖……いや、お嫌いでもこれは仕方ありませんよ」
「…………」
「引っ越されるにも、もう資金が無いご様子ですしねぇ。困った困った」
「……テメェ……」
「原稿をお約束していただけるなら、私がここの住人に貰われるかもしれない犬を引き取ってもいいんですよ」
「…………」
「親戚に、犬好きがいっぱいいるんです。でも、先生が原稿を書いてくれないなら私はもう諦めるしかないのでしょうか……」
「…………」
コムは何も言わないまま、じっと床の上に目を落としていた。
数分後、彼はようやく、チッと舌を鳴らすと、松井の方へ顔をあげた。
「……煙草(スィグ)を、買って来い……」
「それは、新作の連載をOKしていただけるって事ですか?」
「……もう一度くらいなら詩(リリック)を綴ってやっても良い……だから、狗(イヌコロ)をどかして……俺に煙草(スィグ)を寄こせ」
「今月中までにいただけますか?」
「………あぁ」
「本当に書いていただけますね?」
「……あぁ……」
「いただけない場合は、引き取った犬を全部連れてきて……」
「Fuck....何度も言わせんじゃねぇ……」
そっぽを向いたまま、吐き捨てるように言い放ったコムの言葉に、松井は目を潤ませながら深く頭を下げた。
「ありがとうございますっ!!!」
「本当に、皆さんにはなんとお礼を言えば良いか。これで文学界も安泰です!」
無事、確約を取り付けた松井は、ほくほく顔で隊員達に何度も何度も頭を下げては礼を述べた。
「これまで何をやってもダメだった所を、ホント皆さんの独創的なアイディアのおかげで、感謝のしようが……」
「いえいえ。まぁ、我々としても、まさかブラックの発明がこんな事に役に立つとは思いませんでしたけどね」
隊員達は、705号室の脇に置いたスピーカーに目をやった。
実際、連れて来た子犬はたった二匹の仔犬だけ。後はあらかじめ録音しておいた犬の声を流しただけだったのだ。
「だろ? 普通なら近所迷惑になる所が、これは一直線にしか音が聞こえないからな。俺の腕が良いおかげだぜ」
生みの親のブラックも、この時ばかりはブルーの上に乗らず、小さな体で精一杯胸を張った。
これでますます、調子に乗らせてしまうのではないかと不安に思う隊員もいたが、さすがに今は何も言えず、苦笑いするばかり。
「でもまさか、犬がとことん苦手とは思いませんでしたね」
「そうそう。隣が犬を飼ったり、大家さんの犬に懐かれた翌日に引っ越したりしてるんだもんね。相当だよ、あれは」
「犬に驚いて尻餅付いたのをさ、眠いからって誤魔化したのは、さすがに厳しかったけどな」
ドッと隊員達は笑い声をあげた。
「松井さん、もしまた勝手に引っ越しそうになった時は、いつでもスピーカー流しますんで言って下さいね」
「いえ、当分は放っておいても大丈夫ですよ」
グリーンの言葉に、松井はニッコリしたまま首を振った。
「あ、そうですね。あちこち引っ越しまわったせいでお金も使い果たしちゃったんですっけ」
「ええ、それもありますが……」
「が?」
「先生は、一度始めた連載は終わらせないと、気が済まない性格なので、すっぽかされる心配もありません。だから大丈夫です」
「はぁ、そういう所もプライド高いんですねぇ……」
「ホント、あの野郎ってカッコ良いんだか、カッコ悪いんだかわかんねぇよな」
ブラックの言葉に、隊員だけでなく松井まで「ははは…」と呆れたように乾いた声を漏らした。
「……………」
雨は止んで、肌寒い風だけが室内へと吹き込んでいた。
雲の切れ間から、うっすらと蒼い夜空の色が見え隠れしていた。
「……Fuck」
彼は乱暴に窓を閉めると、目を閉じ、ふーっと息を吐いた。
松井に買ってきてもらったタバコの箱を開け、彼は力なく口元を緩める。
「……まだ幕間(ショーアップ)ってかい?……随分な冗談(ワルフザケ)だ……」
1本咥えて、火をつける。
煙を胸いっぱいに吸い込み、中に溜まった何かと混ざった所で、外へ一気に吐き出す。
「…………」
消えてゆく白煙を、いとおしげに、そしてどこか羨ましげに見送りながら、彼は窓辺に置いたテーブルにもたれ掛かった。
簡素なそれは、頼りなさげにガタンと揺れて、机上に積まれたCDケースたちが乾いた音を立てた。
「……悪いなジョン……取決(ヤクソク)はもう少しだけ、待ってくれ……」
小さく呟いた彼の言葉は、白煙と共に消えた。
そして一冊の本が、彼を慰めるようにずり落ち、彼の背中をトンと突いた。
カバーも取れた、古びた文庫本。
側面の擦れた活字。タイトルは「11月の雨」。
著者の名前は──
──ジョン・マクイウェン