第120話

『初めて雪を見た日』

(挿絵:ワルベニウスト隊員)

「シオン、お願いだから泣かないでおくれ……」

テーブルの向こうにいる父親の哀願に応えず、幼いシオンは顔を覆ったまま首を振った。
目の前の豪勢な料理も、部屋中、山のように積まれた贈り物も、今の彼女を慰めはしなかった。

「シオン、わかっておくれ。お父様はね。魔界を統べる地位にあるんだ。お父様は魔物達の頂点に立つ者として、
彼らの気持ちを逆撫でするような事は出来ないのだ。いくら魔王の娘でも、快く思わん魔物だって当然、いるのだよ」
「そんな魔物なんか追い出しちゃえばいいじゃない!」
「そうはいかないんだ……シオン。もちろん、お前には何の関係も無いことかもしれんが、お父様は色々な者の事を考えなければならんのだよ。
まだまだ魔物達の中には、その日を忌み嫌う者が多い。先の戦いの遺した物もまだ根強く彼らの心に残っている。だから、今はまだ無理なんだ」
「…………」

娘が何も言わず再び首を振ったのを見て、父はゆっくりと立ち上がり彼女の側へと寄り添う。

「シオン」

父の呼びかけに、シオンはいきなりその胸にしがみ付いた。
痛いくらいに抱きしめてやりながら、父はすすり泣く娘の頭をそっと優しく撫でてやる。

「……じゃぁ、こうしよう。もしその時が来たら、お父様がね、シオンの為に特別なプレゼントをしてあげよう」
「プレゼント?」

顔を上げたシオンは、涙に潤んだ瞳で父親を見つめた。その様子に、父親は安心した様に頷いた。

「そう、いずれ魔界にもそんな時が来る可能性は多いにある。それまでシオンが我慢出来たらとっておきのご褒美をあげるよ」
「それっていつ?」
「それはお父様にもわからん。だからその分、シオンがそのプレゼントの為にいっぱい我慢できる物をお父様はあげようと思うんだ。どうだい?」
「……ホント? お父様」
「あぁ、本当だとも。魔族の誇りに賭けて誓おう。シオンは何が欲しいんだい、言ってごらん」
「……あ、あのね、シオンね……」

シオンは恥ずかしそうに、そっと大きな父の耳に囁くと、再び大きな手がくしゃくしゃと彼女の頭を撫でた。

「ハハハ…それはまた随分と大きなお願いだな……わかった、約束しよう」
「絶対よ、お父様。嘘付いちゃだめよ」
「あぁ、絶対だとも……だから、今日はお父様の為にもう泣かないでくれるね?」
「うん、もうシオン泣かないわ」

シオンは大きく頷いて、花が咲いた様に明るく表情を綻ばせる。
明々と灯る蝋燭。ほんのりと暖かい腕の中。父の声。それら全てはもう、今では全て遠い記憶……。













「シオンちゃん、今晩空いてるでしょ?」
「えっ?」

ポスター用の写真撮りを終え、更衣室へ向うシオンに声をかけたのは馴染みのカメラマンであった。
黒縁メガネに乱れた茶髪、常に口元がにやついている、絵に描いた様なチャラ男然とした男だ。

「空いてるよね。マネージャーさんに聞いちゃったんだから。嘘ついてもダメだからね」
「え~、私ウソなんてつきませんよ~」

いつも通りの営業スマイルを浮かべながらシオンが答えると、「またまた~」と男は馴れ馴れしく肩に触れた。
ここ最近仕事でよく一緒になるせいか、向こうは既に友達気取りでいるらしいが、シオン自身はそんな気はさらさらない。

「あのさぁ、今晩あれでしょ。ウチでスタッフとか集めてパーティするんだ。マイちゃんとか、シホちゃんも来るよ。シオンちゃんもどう?」

自分と仲の良いモデル仲間を2名も揃えているのを見ると、どうやら本命は自分の様だと女の感が働く。
彼女は、いかにも困った顔で右斜めの方へしばし目線を泳がすと、

「ごめんなさい。今晩は家で弟と過ごすって決めてて」
「だったら弟さんも一緒に連れてくればいいじゃん。二人よりさぁ、もっと大勢とパーティやった方が楽しいよ?」
「ごめんなさい。ずっと前から決まってるんです」

シオンの表情は穏やかだったが、今度の返答にはキッパリと拒否の意思を込めた。
すると男もさすがに豊富な経験から鑑みてその辺の事を即座に察知したのか、急に素っ気無い感じになると、

「じゃぁ、もし来れそうだったら来てよ。シオンちゃんなら、いつでも大歓迎しちゃうから」

そして住所や携帯の番号を書いたメモを渡し、男はあっけなく引き下がって行った。

「わかりました。でも、あんまり期待しないでくださいね~?」

外見ばっかりで、仕事の出来もいつも不満に感じさせられている三流男の背中に向って、
シオンは「あんたといるくらいなら、まだその辺の魔物のがマシだわ」と胸の中で舌を出した。

「(……ったく、今日は、あんたみたいな人間の出る幕じゃないっつーの)」















一方その頃。
メゾンぐるてんの正面に横たわる大道路に、コンビニ袋を提げているエコの姿があった。

「ふんふふん♪ ふふふん♪ ふんふーん♪」

呑気に鼻歌なんか歌っちゃったりして、エコはついつい羽根を出して空を飛びたいほどの幸福感に包まれていた。
その原因はコンビニでレジを通した際、キャンペーンでやっていたクジ引きで4等の『肉まん2個』を当てたことだった。
大好きな食べ物で、しかもそれは大きな肉まん。せっかくだからティオと一緒に食べようと、心は浮き足立っていた。

挿絵

駐車場に入ると、その足取りはますます軽くなる。ティオはどんな顔をするだろうか、もしかしたら全部エコが食べなよって言われるかも。
脳内にて試写されている素敵な未来のシーンを鑑賞しながら、エコの表情はだらしなく緩んで行く。

「ちょっと! そこのあなた!」
「ふぇ?」

突然背後から呼び止められ、声のした方へ振り向く。
そこには、隣に住む707号室の住人が、それぞれホウキを手に立っていた。
声をかけたのは、ちょくちょくエコに口うるさく話しかけてくる緑色の奴らしい。

「……なんか用?」

あまり関わりあいたくない相手に、めんどくさそうに尋ねると、
緑の少年の眉間に、これまで何度も小言をいわれた際に目にしてきた多数の皺が、一瞬にして現れた。

「『なんか用?』じゃありません。この状況をどうしてくれるんですか」
「へ?」

エコは、緑色が指差している自分の足元を見る。彼はアスファルトの上に、小さく盛られた枯葉の上にいた。
そして不思議な事に、それらの前方にはまるで誰かが巻き散らかしたかの様に、パラパラと不自然に散らばった葉があった。

「あっ、ここも葉っぱが散らかってるよ」
「あなたですよあなた! 我々が掃除していた分をあなたが蹴飛ばしたんですよ!」
「えぇっ!」

言われてみれば、さっき何かのカサカサした物を蹴り上げた様な気がして、へへへと笑って誤魔化してみるが、
相変わらず緑の少年の眉間にある皺は、ますます細かく刻まれていくばかりだった。

「どうしてそういう事をするんですかねぇ全く。第二次反抗期になると、悪いことをするのがカッコイイと思っちゃうんでしょうかねぇ」
「わ、わざとじゃないよー!」
「いいえ、そんなの信じられません! 大体、あなたはお隣のティオさんのお仲間なのでしょう」
「だからなんだよー」
「シオンさんから全部聞いてますよ、家出してティオさんの部屋に居候しては、毎日毎日、夜遊びに出掛けて、
飲酒喫煙や暴力事件やらを起こしては意気揚々と帰ってくる、はぁ…情けない。日本人の美徳は一体どこに行ったんでしょうかね」
「お、オレそんなことしてないよ」
「だまらっしゃい!!」

ビリビリとヒゲが震えるほどの大声で怒鳴られた。
そこまでヒステリックに言われると、さすがのエコの方もムッとした。人間の分際で何様のつもりだ。
エコは、足元の落葉を何度も何度も蹴り上げ、アスファルトの上いっぱいに散らばらせると、

「フン! だったら、もっかい掃除すればいいだろー! べー!」

緑の少年に向っておもいっきりアカンベーをし、エコは玄関の方へ駆け出す。
後方で余計にがなり立てる少年の声がするが、お構いなしに中へ入ろうとすると、

「そんな事じゃ、サンタさんにプレゼントもらえませんよ!」
「えっ?」

エコは思わず振り返った。見ると少年は鼻息荒くしながらこちらへホウキの先を向けていた。

「今日はクリスマスイブなんですからね! あなたみたいなワルガキにはプレゼントどころかお灸が据えられちゃいますよ!」
















メゾンぐるてん708号室は平和な空気に満ちていた。
ほんのりとした暖かさがリビングをゆっくりと包み込み、快眠に最適な空間を作り出していた。
きっと絵にすれば、全てがパステルカラーで彩られているに違いない。

「ZZZZZ.....」

そんな中、ソファに寝転がっていたのは、このホンワカとした空気とは不似合いな、ギザギザで真っ黒な存在だった。
コウモリの羽に、鈍い光を放つ角、下半身を覆う野獣の様なボサボサとした毛並み……。本来のティオの姿であった。
しかし、そんな姿であっても、温かい部屋でぐっすり眠るのは気持ちが良いらしく、寝顔には幸せそうな微笑みを湛えていた。

「ただいまー」

リビングのドアが開いて、誰かが入ってきた気配を感じ、ティオはうっすらと目を開けた。
テーブルの上に袋を置くエコの姿があった。向こうもこちらが目を覚ました事に気づいたらしく、眼が合う。

「あれ、ティオさま、帰ってたんですか?」
「ん……エコ。おかえり……」
「悪のエナジー集まりましたかー?」
「ううん……全然ダメ……」

ティオは今まで枕にしていたクッションに、力なく顔の右半分を埋めた。
年末に近いというのに、悪のエナジー集めの成果が目標を遥かに下回っているせいで、これではさすがに魔界に顔向けできないとシオンが危惧し、
何としてでも今年中にメーターの半分以上のパワーを集めろと尻を叩かれ、ここ数日、彼は年末調整に追われていたのだった。

「あっ、そだそだ。オレ、肉まん貰ってきたんです。ティオさまも1つどうですかー?」
「ううん。今食欲ないんだ」
「そ、そですかぁ? じゃぁオレ貰っちゃいますね」
「うん、そうしてよ。……あ、そうだ。エコ、今何時?」
「ふぇ?」

ホクホク顔で肉まんを取り出していたエコは、ひょいと首を伸ばして部屋の時計に眼をやった。

「えーとえーと、5時ちょっと過ぎです」
「うー……もう、そんな時間かぁ……」

ティオはゆっくり起き上がると、ソファの上に座り直し、大きくアクビをした。

「あ、そのままで良いです。ここの所、悪の種探しでずーっと飛び回ってたじゃないですか、ゆっくり休んでください」
「……でも、そろそろねーさまの夕飯作らないといけないから……」

ティオは眠い眼を擦りながら、悪魔の姿から世を忍ぶ仮の姿へと変身する。
そんな彼をエコは心配そうに見つめていた。どことなくティオの表情に元気が無い。

「お、オレが作りましょうかー? オレ、この前たまごかけご飯の作り方テレビで覚えたんですよ」
「大丈夫。ぱぱっと作って、また休むから」

エコの気遣いを断って、無理に微笑んで見せたティオはキッチンの方へ向う。
流し台に手を付き、ふーっと溜息を付く所をエコは見逃さなかった。が、あえて見ないことにしておいた。

「うーん、今日は何にしようかなぁ……」

冷蔵庫に向い、ガサゴソと中を漁るティオ。
ここの所ずっと働きどおしで疲労が重くのしかっている次期魔王の寂しい後姿だ。
そんな姿がなんだか可哀相に思えてきて、エコは「あっ、そうだ!」とわざとらしく手を打った。

「そういえばティオさまー。今日最悪ですよー」
「え、な、なにが?」
「さっきそこで人間から聞いたんですけど、今日ってクリスマスイブらしいんですよー」
「……えっ?」

振り向いたティオの手からジャガイモがぽろりと落ちた。

「ホント最悪ですよねー。オレ達みたいな悪魔にとって一番不吉な日ですもん。考えただけで嫌になっちゃいますよ」
「そ、それ、本当なの……?」

ティオはさっと顔色を変える。
その色は、単に今日が不吉な日であるという事では説明できないほど真っ青であった。
エコが訝しげに頷くと、彼は慌ててキッチンを飛び出し、部屋の隅にかけてあったカレンダーに走り寄った。
それを眺めていた彼の身体は突如、まるで痙攣でも起こしているかのように、激しく震え始めた。

「ど、ど、ど、どう、し、よう……」

ティオは急に力が抜けた様に、弱弱しくその場へ座り込んだ。

「ティオさま、どうしたんですかー!」

慌ててエコが近寄り、肩を触ると暖房の効いた部屋にいるにも関わらず、ティオの身体は冷たく、汗に濡れていた。

「ご、ごめんなさい。お、オレ、ティオさまがそんなにクリスマスの話が嫌いだって知らなくて……!」
「……そ、そうじゃないんだ……そんなこと、じゃ、ないんだ……」
「ふぇ?」
「こ、殺される……か、完全に、殺される……」
「どうしたんですか。ティオさま、何かあったんですか」
「た、大変だっ……!」

ティオは突然立ち上がると机に向い、チラシの裏にペンで何かを書き付け始めた。
後ろからこっそり覗くと、それは野菜に肉に果物、果ては折り紙まで、あまりにも膨大な数の品目リストであった。

「ティオさま、それなんですかー?」

ティオは重々しい表情で振り向くと、ぽかんとしているエコにリストを突きつけ、

「エコ! いますぐここに書いてるものを全部買ってきて!」
「えぇっ?」
「いいから! じゃないと、このままじゃボク殺されちゃうよ!」
「い、一体なんの事ですかぁ?」

ティオは目の端に涙を貯めながら、訝しげなエコの肩を掴んだ。

「きょ、今日は、ねーさまの誕生日なんだよ……!」

挿絵

















「ふふふん♪ ふふふん♪ ふふふん♪」

スキップのような軽やかな足取りで、シオンは鼻歌交じりにエレベーターから飛び出した。
いつもの廊下も、いつもの白い壁も、彼女にとって今日は一段と輝いて見えていた。

「あ~、なんかすんごいドキドキする!」

部屋の前に立ち、大きく深呼吸をすると、シオンはコウモリの羽のキーホルダーのついた部屋の鍵を取り出し、ゆっくりと鍵穴に差し込む。
去年はインド魔界風、一昨年は中華魔界風、その前は……色々ありすぎて忘れてしまったが、どれも楽しい趣向だった。

「ただいまー」

ドアを開けると、そこにはいつも通り、出かけた時のままと何も変わっていない玄関の姿があった。
一瞬「ん」と思うシオンだったが、今年は人間界で迎えるわけだから多少規模がしょぼくなるのは仕方ないかと気づく。
今年もティオが仕切るとはいえ、出来る事は限られているのだ。無理は言えない。問題は内容なのだから。

「たっだいまー。今日も寒いわねー」

弾んだ声でリビングの扉を開けると、これまたリビングはいつもと変わらぬ平凡な光景だった。
ますます妙な気分になるシオンだが、遂にこの簡素な室内の様子の意味に彼女は気付いてしまった。

「(……ははーん……なるほど。人間達に配慮してサプライズに重点を置いたわけね)」

例年通りシオンは「誕生日である事に全く気づいてない」という様に、そ知らぬ顔でソファに座る。
だが、テレビや携帯も見ずに、時折チラチラと辺りを見回しているので、全くその意味を成していない。

「ね、ねーさま……お、お、おかえり、な、さい」

しばらくして音も無くドアが開くと、怯えた仔犬の様なティオが顔を覗かせた。
シオンはようやく事が始まった事に気づき、「ん、なに?」と努めて簡素(しかし表情は緩やか)に答える。

「あ、あ、あの……」
「なぁに? なんか言いたい事あるんだったらさっさと言いなさいよ~。ほんっとアンタってば根暗なんだから」
「そ、その……」
「シオンさまー! お誕生日おめでとうございまーす!」

勢い良くドアを開けて、中へ飛び込んできたエコがクラッカーの紐を勢い良く引いた。
しかし、紐はするりと抜けて、肝心のクラッカーはうんともすんとも言わない。

「あ、え、えと。おめでとうございます。シオンさまー!」

ポイと不発のクラッカーを投げ捨てて、エコは先ほどの失敗を取り消すかの様に、万歳までして大袈裟に声をあげた。
一方シオンも「プロローグはこんなもんか」と思いつつ、実際より過剰に表情を綻ばせ「えーっ! そうだっけ!」とこれまた大袈裟に振舞った。

「ね、ねーさま……お、おめでとう」
「え~、やだ~、そっか。今日誕生日か~。ぜんっぜんっ、これっぽっちも気がつかなかったー! うわー! どうしよー!」

ティオの目配せにエコはこっくり頷くと、シオンの手を取り、ドアの方へと手を差し伸べた。

「別室でお食事の用意が出来てますよ、ささ、どうぞシオンさま!」
「え~!! よかったー! 今日ね。スタッフさんに誘われたんだけど、偶然、ホントに偶然にね。家で食べたいなって気分だったんだも~ん!!」

シオンは夢見心地でリビングを出ると、普段は物置にしている部屋へと向った。
いよいよ、この中に自分の為だけに作られた素敵な空間と対面できる。シオンは逸る気持ちを抑えるように深く息を吐いた。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと夢の扉を開く。そこに待つのは夢の世界……。

「……え゛」

シオンは思わず、美人らしからぬ濁った声を出してしまった。
彼女の眼前に広がる光景は、彼女が思い描いていた一万分の一にも程遠いしょぼくれたものだった。

「……なにこれ」

室内は片付いてはいるが、壁にはヘタクソな字で「シオンさまおたんじょうびおめでとう」と描かれた厚紙が貼られ、
その周りには、これまたいびつな形の折り紙の輪っかや、星型の切抜きが、申し訳なさそうに2つ、3つ飾られていた。
そして肝心の料理も、真っ白なテーブルクロスを敷いた上に、フライドチキンやポテトサラダやサンドイッチといった簡単な料理が、
普段使っているダイニングテーブルの上に点々と並べられているだけで、誕生日に付き物の、ケーキの姿も見当たらなかった。

「なんなのこれ」

淡々とした口調で尋ねるシオンの顔をまともに見れないらしく、ティオはビクビクと目を泳がせていた。

「シオンさま、お誕生日おめでとうございまーす!」
「アンタは黙って」

状況を察知して発言したエコの言葉を一瞬で切り捨て、シオンはティオに詰め寄る。
ティオの身体はますますぶるぶると震え、ぐっと縮こまる。

「なんなのこれ。ケーキは?」
「あ、あの……今、焼いてる途中で……そ、その……パーティの最後には……」
「パーティー? まさかアンタ、これ、こんな冗談みたいなのをパーティーって言ってるんじゃないでしょうね?」
「こ、これは」
「これのどこがパーティーなんだっつーの!!」
「ご、ごめんなさいっ!!」

とうとう怒りを露わにした姉に、ティオは頭を抱えてその場にうずくまった。

「どういうこと。お金ならたっぷりあるし、無けりゃ無いでじいやに頼めば魔界から何でも取り寄せられるでしょ」
「うぅっ、ねーさま、ごめんなさい、ごめんなさい……うぅ……」
「悪魔のクセに泣くんじゃない!! ちゃんと!! 説明を!! しろっ!!」
「ごめんなさいっ!」

シオンは、うずくまりすぎて丸まってしまってしまったティオを無理やり引っ張り上げると、
ガシッと顎を掴み、顔をこちらへと向ける。ティオの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「ティオちゃん。ちゃんと、お姉さまに、説明してね」
「ね゛ー゛さ゛ま゛こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛い゛い゛」
「だから説明しろっつってんのよ!!! 何度言えば気が済むわけ!? えぇっ!?」

シオンは、鼻水まで出始めたティオの頬をパシンと引っ叩き、激しく揺さぶった。
さすがに肉体的苦痛を与えられると、ティオも骨身に染み付いた習性から観念して、シオンに事の成り行きをたどたどしく話した。
彼女は弟が話し終えるまで静かに聴いていたが、全てを話し終えるなり、シオンは弟の身体を部屋の中へと突き飛ばした。
ゴロゴロと床の上を転がるティオ。痛みか、精神的ショックのせいなのか、彼の身体は倒れこんだまま微動だにしなかった。

「私の誕生日を忘れてたって事……? アンタ、私の誕生日を、忘れるなんて、何やってんのよ!!!!」

怒りが収まらないシオンは、なおもティオの方へ向おうとした。

「ま、待ってください、シオンさまー!」

さすがにこの状況を放っては置けないと、二人の間にエコが割って入った。

「ティオさまは、シオンさまのお言いつけどおりに、ここの所ずっと寝る暇も惜しんで、悪のエナジー集めで飛び回っていたんです。
一生懸命やってたから、シオンさまのお誕生日を準備する時間がなかったんです。だ、だからもう怒らないで下さい」
「そんなのは関係ないの!!!」

シオンはエコの横っ面を張り倒すと、倒れたままのティオをにらみ付けた。

「なんで、あんたってそうなわけ!? 悪のエナジーも集められない、次期魔王にならなきゃっていうのにビクビクオドオド、
悪魔として恥ずかしいと思わないわけ! だからアンタってダメなのよ! お姉さまの誕生日も満足に祝えないなんて、一体何が出来るわけ!」
「うぅっ……」

シオンはすすり泣くティオの頭を掴み、引っ張り上げた。

「なんとか言ってみなさいよ!! 悪魔のクズ!! クズ悪魔!!」
「うぅぅ……っ!」

シオンの手を払いのけ、ティオは床の上にうずくまった。

「ぼ、ボクっ、ねーさまに、い、言われたとおり、人間達、ず、ずっと探しまわって、寒いし、くたくた、なのにっ、
それでも、ご飯作って、そ、掃除もして、ね、寝ようとしても、そんな時間あったら、探せって言われて、もっと、くたくたになってっ……
それなのに、た、た、誕生日パーティまで、で、出来るわけ、ないよっ……ボク一人だけで、そんなの出来ないよっ……!」
「なんですってえ!?」
「こ、今年はこれで我慢してよ……っ! 来年もあるんだからっ……!」
「はぁ!?」
「嫌なら、ねーさまだけ魔界に帰ればいいじゃないかっ……ねーさまが来る必要なんて、なかったんだから……っ!」

ティオがそう言い切ると、姉は口をつぐんだ。部屋には震えたティオの呼吸だけが響く。

「…………」
「…………」

興奮が冷め、落ち着いて来ると、ようやくティオは「しまった」と思った。
俯いたまま、肩を震わせている姉の姿に、とんでもない報復をされるに違いないと、思わず身構える。

「……もういい」

顔を上げたシオンは目を潤ませていた。

「もういい! もういい! そんならいいわよ! アンタみたいなのに誰が祝ってもらうもんですか!!」

ティオを押しのけ、彼女は料理ごとテーブルをひっくり返す。部屋中に響く割音。

「もうこれで最悪の誕生日になった!! こんなの信じられない!! アンタのせいだから!! 絶対許してやんないから!!」

壁に貼られた厚紙や飾りを引っぺがし、次々に怯えているティオに向って投げつける。
そして、とうとう部屋の中に投げつける物が無くなると、シオンは荒々しく息を付きながら、涙いっぱいの瞳でティオをにらみつけた。

「シオンさま、落ち着いてくださぁーい!」
「アンタは引っ込んでなさいよっ!!」

再び間に入ろうとしたエコを、シオンは思い切り蹴飛ばし、じりじりと怯える弟の下へと近づいてゆく。
肝心のティオはさっきの反抗で全ての気力を使い果たしたらしく、腰が抜けてしまい、再び頭を抱えその場に丸まっているばかり。

「ね、ねーさま……ねーさま、ごめんなさいごめんなさい……」

しかし、シオンはそんな彼の横を通り過ぎ、そのまま部屋を後にした。
ティオは『何か凶器を持ってくるのでは』と、恐る恐る入り口の方を注視していた。
何も物音は聞こえない。緊張が高まる中、しばらくして、バタンと玄関の方からドアが閉まる音がした。

「ね、ねーさま……?」

ティオは部屋を出て、玄関に向うと、ドアのチェーンは外れていた。鍵も閉められていないままだった。
どうやら、シオンは部屋から出て行ってしまったらしい。

「ど、どうしますか、ティオさまー」

両頬を真っ赤に腫らしたエコが駆け寄ってくる。
しかし、ティオは部屋の外を見ながら、ただじっと目を伏せるばかりだった。
















「あれっ、シオンちゃん? 来てくれたんだ!」

早くこの寒々とした惨めさから抜け出したくて、シオンは強張っていた表情を無理やり緩めて、微笑みを顔に映した。
彼女は、ハナから来るつもりのなかったくだらないパーティの為に、カメラマンのマンションにやって来ていた。

「うん。やっぱりせっかくだから来ようかなって。もう、パーティ終わっちゃいました?」
「全然オッケー。入って入って! おーい、みんな! シオンちゃんが来てくれたよー!」

部屋に入ると、じんと鼻先に暖かい空気が触れ、シオンは少しだけ気分が落ち着いた。
腕前には不釣合いな、大きな窓ガラスから街の夜景が見下ろせるデザイナーズマンションの一室。
ティオの用意した料理に毛が生えた程度の雑多なメニュー達と、シャンパンと、ケーキ。そして平凡な人間達が5、6人。
少しでも自分が今置かれている状況を忘れさせてくれるには、十分な場所だった。

「シオンちゃんいらっしゃい!」
「やった! パーティーがますます楽しくなるね」
「それどういう意味ですか?」
「私達だっているのにね~」
「大勢の方が楽しいって意味だよ。ホントホント」

シオンは窓際の、真っ白なソファに座った。撮影スタッフの一人がシャンパングラスを手渡す。彼の名前はよく覚えていない。
隣にモデル仲間の女の子が座る。女子談義に花を咲かせ、時にははしゃぎ声をあげる。相変わらず心とは裏腹。
カメラマンの男がショートケーキを勧めてくる、迷ったフリをして「全部!」なんて冗談混じりに言って、皆を笑わせてみせたりする。

「シオンちゃんっていつでも明るくて良いね」

──今は全然明るくなんかない。

「シオンちゃんが来るとなんかパーティがぱぁっと楽しくなっちゃうね」

──全然楽しくなんかない。

「最高のクリスマスパーティーだよ」

──そんなイベント。悪魔の私にはどーでもいいわ。

『おとうさま、どうして。どうしてシオンだけ、お城の中でしかお祝いしてくれないの』

昔の事をつい思い出してしまう。追い出せば追い出すほどどうしてこういう気持ちは擦り寄ってくるのだろう。
そんな事、もう判りきってる事なのに。私だってバカじゃないからよくわかってるのに。

『テルラやゾラの誕生日には、おじさまやおばさまだけじゃなくて、魔物達もいっぱい集まって、花火も上げたんだって。
どうして、シオンにはおっきなお祝いしてくれないの。シオン、お姫様なんでしょ。どうして? ねえ、おとうさま。どうして!』

つまんない。私が主役なのに。あぁ、つまんないつまんない。もっと私の事楽しませて欲しい。もっと私を騒いで欲しい。

「どうかした、シオンちゃん」
「ん……?」

いつの間にか隣に男が座っていた。ちょっとチャラチャラとした、いけ好かないスタイリスト。
シオンを心配しているような表情の影で下心が見え見えだ。今日は私が何かしてあげる様な日じゃない。

「ちょっと、寒くなってきちゃったなぁ……」

彼女の中に悪戯心が顔を出す。甘えた声で男の肩に手を回しじっと見つめる。平然を装っていても瞳は正直。胸の内でほくそ笑む。
ふーっと薄紫の息を吹きかける。男の虚ろな表情は、既に彼が自分の物になった事の合図。シオンはそっと耳に囁く。

「ねぇ……このパーティつまんない。何か楽しいことやって」

男は立ち上がる。バカ騒ぎしている皆は、誰一人彼の事には誰も目もくれない。
シオンが飲みかけのシャンパンに口を付けた頃、男は部屋の真ん中でくねくねと妙な踊りを始めた。

「おい、何やってんだよ」
「コイツ、酔っ払ったのか」
「つまんねーぞー」

ホントに。わざわざ魔力を使わせておいてこれじゃ無駄骨だ。シオンは男から目を逸らした。
いっそ、とことん暴れさせちゃおうか。何もかも滅茶苦茶にしちゃえばスッキリするかも。
でも……それでは、また惨めになるだけだ。夜はまだ長い。誰でも砂のお城は長持ちさせたいものだ。

「すみませーん、シャンパンおかわり欲しいなー」

シオンは空のグラスを頭上で振った。
男はまだ変な踊りを続けている。もう誰も彼を見ていなかった。


















「ティオさまー、ゴミ袋全部出してきましたー」
「うん、ありがとうエコ……」

絞り終えた雑巾をバケツに入れると、ティオは大きな溜息をつきながら立ち上がった。
姉の残していったゴミの山をようやく片付け終えても、やっぱり彼の気持ちは重いままだった。

「シオンさま、まだ帰って来ないですねー」
「た、多分……あの感じだと……今日は帰ってこない、かも……ど、どうしよう……」
「で、でもティオさまは悪くないです! シオンさまも、せっかくティオさまが一生懸命準備したのにあそこまで怒ることないですよ」

ぷりぷりとエコが愚痴るが、ティオは既に達観した様子で小さく首を振った。

「ねーさまの誕生日は、とことん豪華に派手にやるのが、定番だから、し、仕方ないよ……」
「王女ですもんねー。じゃぁ、次期魔王になるティオさまのお誕生日も、きっと豪華なんでしょうねー」
「ううん……ねーさまのより豪華にすると、ね、ねーさまが不機嫌になるから、そこまでじゃないよ……」
「えーっ、じゃぁティオさますっごくつらいですねー」
「べ、別に……。ボクは誕生日なんて、めんどくさいだけだし、ケーキ食べるぐらいで……興味無いよ……」
「そですかぁ。んー、確かにオレ、魔界で全然お誕生日の話、聞いたことないですねー」
「え?」

ティオは思わず聞き返したが、エコは彼の意図した所とはまったく違った答えをした。

「だって、普通ティオさまやシオンさまみたいなお方の誕生日は、魔界中を巻き込んで派手にやってもいいくらいじゃないですか。
それなのに、今まで魔界じゃ全然そんな事しなかったですし。ルシフェル族の長からだって、そんな話一度も聞いてませんよ」
「……ちょ、ちょっと待って。エコ……」

続けかけた言葉は、突然の甲高いベルの音でかき消された。
ティオは急いで部屋を出、リビングにある魔界直通電話の受話器を取った。

「も、もしもし……」
『ティオさまですか。じいでございます』

自分達の世話係であったじいやの言葉を聞いて、ティオは少しだけホッとした気分になった。

『悪のエナジー集めは順調でございますか』
「う、うん……そ、それよりどうしたの。こんな時間に」

今日は月一の定期連絡の日でもないし、時間も午後11時過ぎと、普段より結構遅めだ。

『はい、本日はシオン様のお誕生日でございますので。今年はお二人とも人間界へ行かれてしまった為、
城の者達は何も出来ませんでしたので、ワタクシが代表してお祝いのお言葉を差し上げようと思った次第でございます』
「……そ、そう」
『シオン様に代わっていただけますか。じいからお祝いの言葉があるとお伝え下さい』
「そ……それが……」
『……何か、あったのでございますか?』

ティオのか細い声で何かを悟ったのか、じいやの語調が少しだけ強くなった。
そういう事をされると、メンタルがとことん弱いティオはすっかり参ってしまい、事の成り行きを全てじいやに話した。

「ど、どうしよう。ねーさま、すごく怒って出て行っちゃって……ぼ、ボク、どうしたら……」
『フム……前もっておっしゃってくだされば、こちらで色々とご用意出来たのですが……』
「今からどうにかならないの」
『それは無理でございます』
「で、でも、城からの命令だ、って魔物達を集めて急がせれば……」
『ティオさま、それは出来ません』
「ど、どうして。いつもやらせてるのに……」
『……シオン様のお誕生日は我々魔族にとって忌み日でございます。その様な日に魔界に呼びかけて祝い事を手伝わせると大問題になります』

じいの口調は険しかった。いつも叱られる時の顔がありありと目に浮かびそうだった。

「……でも……」
『これは大魔王様のお考えでもあるのですよ』
「と、父さまが……?」

ティオはぎゅっと受話器を握り締めた。

『シオン様のお生まれになった日が魔族にとって忌み日であるせいで、魔界全体を巻き込んでの祝日にしようにもそれは不可能。
大魔王様は、シオン様のお誕生日に城の一室の中だけで、城中の者達だけを集めてお祝いをされ続けてきたのです』
「で、でも、それはボクだって同じじゃ……」
『いいえ。本来ならば次期魔王になられるティオ様のお誕生日は、魔界全体を挙げてお祝いせねばならないのです。
しかし、そうしないのは、大魔王様がシオン様を気遣っての事。親類の王族やそれに類する方々も同様の処置を取る様、大魔王様じきじきに命じられた為』
「…………」
『だからこそシオン様にとって、お誕生日はたった一室とはいえども、豪華絢爛に、シオンさまの為だけに催される特別な日であると共に……』
「……?」
『シオン様が唯一、大魔王様と一日中、一緒に過ごせる特別な日だったのでございますよ』


















『ねぇ、お父様。シオンの事大好き?』
『あぁ』
『シオンもね。お父様大好き!』

……お父様は、私のためだけに色んな事をして楽しませてくれたわ。
見た事無いような綺麗な飾りや美味しそうなお料理をたくさん用意して、膝の上に私を乗せてずっと一緒にいたわ。
でも、そんなお父様はもういないわ。私のお誕生日をお祝いなんてしてくれないわ。いなくなってしまったんだもの……

「……シオンちゃん、起きて」
「え……」

いつの間にか寝ていた事にシオンは気づいた。また昔の事を思い出してしまったみたいだ。
息を吐きながら目元を拭うと、少し湿っていた。

「シャンパン飲みすぎたんじゃないの。まだ未成年なんだし、ほどほどにしとかなきゃダメだよ」
「……ごめんなさい」

口だけで謝る。本当はこれっぽちも悪気なんて無い。

「クリスマスイブだからって浮かれちゃったのかな、ハハハ」

能天気な笑い声が耳障りで思わずそっぽを向いた。。
そんな日なんてどうでもいい。今日はそんな事よりもっともっと大切な日なのだ。

「どうしたの、シオンちゃん。気分悪い? お水持って来ようか?」
「大丈夫です……ありがとう」

水なんて欲しくはない。そんなものよりもっと欲しいものがあるのに。唇を噛む。
既に場の賑やかさは落ち着いていて、皆も夜の深みにゆっくりと浸かり始めていた。
時計は11時55分。もう、日付が変わってしまう。

「これからどうする? 帰りたい人いたら送ってあげるけど、女の子たちどうする?
大丈夫なら、みんなで映画で一緒に見るつもりでツタヤでDVD借りてきてるんだけど」

カメラマンの男の言葉にモデル仲間らは首を振る。

「どうせ明日休みだし、朝までいっても平気」
「あたしもー。シオンちゃんは?」

時計の針は56分になる。あと4分。
せっかくの誕生日。こんな終わり方をしてしまうのか。

「どうかしたの? シオンちゃん」
「やっぱ気分悪い?」
「ううん……」

57分。シオンは顔を上げてニッコリと笑った。

「実はね。今思い出したんだけど。今日、私の誕生日だった」
「えぇっ、マジで!?」
「言ってくれればプレゼントくらい用意しておいたのに」
「すっかり忘れてて。ほら、うち両親と離れて暮らしてるからつい忘れがちになっちゃうんだよねー」

皆の注目は一斉にシオンに集まる。

「そっか、じゃぁもう後2分しかないけど。おめでとう」
「うん」
「おめでとー」
「ありがとう」
「今度時間あったら改めてお祝いしようね」
「ありがとう」
「私達、今度プレゼント持ってくるね」
「うん」
「欲しい物あったら言ってね」
「プレゼントなら何でも嬉しいよ」

ささやかなお祝いの言葉。今だけは、今だけはこの場の主役になってる。
こんな誕生日だって、あって良いのかもしれない。一度くらい、そう、唯一度くらいは……。

「所で、映画は何見る? ゴーストバスターズとジュラシックパークとアバターあるけど」

59分。シオンの奥の奥から、糸がぷつりと切れる音がした。まだ、ダメだ。踏みとどまる。

「あーあ、あと1分切っちゃった……私の誕生日」

じっと待つ。カメラマンの男と目が合う。あと10秒。

「あっ、そうだ」
「──!」
「なんか誕生日っぽいし、ゴーストバスターズにしようか。ね。コメディで明るく見れるし。シオンちゃんそれでいい?」
「え……」

秒針は、12の文字を横切っていた。もうダメだ。ダメだ。シオンの中から色んな物がこみ上げてくる。
両手で顔を覆った。もう抑え切れなかった。

「あれ、どうしたのシオンちゃん」
「ゴーストっつっても、全然怖くないんだよこれ。大丈夫大丈夫」

ついに、感情は嗚咽となって外へ漏れてゆく。
──誕生日なのに! 私の一番大切な日なのに。どうして。どうして。そんな事しか言ってくれないの。
その時、シオンはとうとう、人間達の前で始めて感情を露わに、激しく泣き崩れてしまった。



















「ふぁ~……」

大きなアクビをするエコのノドチンコを見て、ティオは忘れかけていた眠気の重みを感じた。
時間はもう深夜1時前。いくら悪魔といえど、生活習慣は全うでなければとてもじゃないがやっていけない。

「ティオさまぁー。もうシオンさまは朝まで帰ってこないですよ。もう寝ちゃいましょーよ」
「で、でも……もし、ねーさま、帰って、ぼ、ボクが寝てたら、何されるかわかんない、し……」
「むぅー……」

使い魔という立場では、主人がNOといえばそれに従わざるを得ないの現状。一人だけ寝るわけにもいかない。
つまり、いくら眠くても付き合うしかない事に、エコは半ばヤケクソ気味に机の上にうつ伏せになった。

「でも、シオンさまも可哀相ですよね。誕生日ぐらいしか大魔王様とゆっくり会えなかったんですもんね」
「うん……父さまは魔界のトップで、ずっと忙しかったらしいから……」
「オレ、大魔王様のこと全然知らないです。どんな人だったんですか? やっぱり大きいんですかー?」
「……わかんない。ぼ、ボクが生まれてすぐ、あぁいう事になっちゃったから……父さまの事はよく覚えてないんだ」
「じゃぁ、寂しいですねー」
「……うーん……わかんない……ほとんど父さまがいないまま、過ごしてきたから……」
「そんなもんですかー」

ティオは静かに頷くと、目を伏せて絡めた両手の指をじっと見つめた。

「……で、でも、ねーさまは……寂しかっただろうな……」
「ふぇ?」
「ねーさま、今でも……父さまがしてくれたみたいに、して欲しいんだろうな、って……」

──ピンポーン

訪れかけた静寂を打ち破ったのは、玄関のチャイムだった。
姉だろうか、ティオは急いで立ち上がると、玄関へ向い、ドアを開ける。

「どうも……」

目の前に立つ見知らぬ男達に、ティオの緊張がMAXに跳ね上がり、足がすくんだ。

「あの、シオンちゃんの弟さん、だよね?」
「…………………………」

ぎゅーっと何者かに喉を締め付けられているかのようで、声が出ない。
落ち着いていた対人恐怖が一気に全身を包み、意図せず目付きはギンギンに鋭くなってゆき、いつもの誤解のガン飛ばしが完成する。

「そんなに睨まなくても大丈夫大丈夫、お姉さんの仕事仲間。ホラ、これお姉さん」

ティオが苦手なチャラ男風の男の背中に負われているシオンの姿があった。
眠っているらしく、静かに寝息を立てていた。

「あ…………」
「お姉さんとケンカでもしたの? なんか今日いつもと様子おかしかったけど」
「…………は……はい……」

なんとか搾り出したティオの言葉に、男達は「やっぱり」という顔をした。

「何が原因かわからないけど、弟くん。こんな素敵なお姉さんを誕生日に泣かせたらバチが当たるよ」
「な、泣いたん、ですか」
「今日、大切な日だから弟と過ごすんだって、お姉さん僕らのパーティ断ってたんだよ。反抗するのもほどほどにね」
「…………す……すみません…………」

男達はティオの背中にシオンを乗せ、私物のバッグを手渡すと、足早にぞろぞろと帰って行った。
ドアを閉め、ティオが部屋に戻ろうとすると、エコがひょっこりとリビングのドアから顔を覗かせていた。

「あっ、シオンさま! おかえりなさーい。よかったー。オレ寝ちゃう所でしたよ」
「しーっ……ねーさま、寝てるみたいだから……ベッドに連れて行くよ」
「じゃぁオレ、ティオさまの布団も敷いときますから、一足先に寝ちゃいますね。おやすみなさい!」
「え、う、うん……」

ちゃっかりしてるなと半ば感心しつつエコを見送って、ティオはシオンを背負ったまま彼女の部屋へと向った。
もともと華奢な姉だが、思っていたよりも軽いのは、プロポーション維持の成果か、それとも……。

「……お父様……」

ドアノブを掴もうとして、ティオは後ろから囁かれた言葉にハッと手を止めた。
振り向くと、彼女からは再び小さな寝息が聞こえてきていた。寝言、だったみたいだ。

「……ね、ねーさま……」

この時。ティオは、これまで恐怖と義務感だけでしか彼女の誕生日を勤めてこなかった自分を、少しだけ責めた。
















──翌朝。
まだ6時という朝っぱらから起こされたエコに、ティオは布団の中でずっと考えていた計画を打ち明けた。

「えぇっ!?」
「ね……ねーさま、このままじゃ、あんまり、だし、機嫌も、な、治らないだろうし……」
「でも。きょ、今日って25日ですよ? クリスマスって、結構ヤバくないですかぁ……?」
「だ、だからやるんだ……」
「でも、オレ達悪魔なんですよ。良いんですか」
「こ、ここは人間界だから……関係ないよ」
「で、でもぉ……」
「大丈夫」

不安げなエコの肩をポンと叩き、ティオはフッと表情を緩めた。

「ぼ、ボク、こんなだけど、一応大魔王の、息子なんだから」
「……わ、わかりました。それなら、オレも協力します」

たじろいでいたエコは決心を固め、いつもの調子を取り戻す。
ティオは『これではいつもと逆だ』と、変な気分になってしまった。

それから、二人はシオンがまだ寝ている事を確認するとこっそりと家を出た。
朝冷えのする寒々とした無人の廊下は、緊張感を高めるには十分すぎて、ティオの心臓はバクバクと高まる。

「ティオさま、がんばってくださーい!」
「う、うん……」

震える指で隣室のドアチャイムを鳴らす。しばしの間。向こうから足音が聞こえてくる。
息を呑み、頭の中では次に言うために準備している言葉を繰り返す。ドアが開いた。

「……どちらさまですか」

眠たげなグリーンが顔を出した。三角帽子に、鼻眼鏡までかけているのが昨日の騒ぎっぷりを物語っている。
こういうひょうきんな格好で出て来てくれたおかげで、少しだけティオの気持ちは落ち着いた。

「あ……あの……」
「あなたはお隣の……何の用ですか」

ひょうきんな外見とは不釣合いなキツめなグリーンの言い方に、せっかく落ち着いてきた緊張がぶり返し、
ティオは、頭の中で控えていた次の言葉をすぽーんとどこかへ吹っ飛ばしてしまった。

「あ…………う…………あ…………」
「てぃ、ティオさま、がんばってください」

しどろもどろとするティオにエコが駆け寄る。
突然横から現れたエコに、グリーンの眉間にぴぴっと皺が刻まれた。

「あっ、あなたは昨日の!」
「ふぇっ」
「なるほど、わかりましたよ。昨日の事をまだ根に持っていて、朝から善良な一市民の所へ殴りこみに来たというわけですね!」
「ち……ちが……」

おかしな方向に話が進み、ティオは慌てて首を振ったが、

「だまらっしゃぁぁぁい!」

突然の恫喝に、ティオは完全に固まってしまい、焦りと同様でお決まりの目付きの悪さがますます目立って行く。

「なんですかその目は。わ、私にはそんな脅し通用しませんからね。大体、そっちが悪いんじゃないですか」
「だから、違うって言ってるだろー! 今日は脅しに来たんじゃないんだよー。さ、ティオさま、言っちゃいましょう」

横からエコがフォローし、ティオの肩を優しくさすってくれた。少し落ち着く……。

「ほほぉ、じゃぁなんですか一体」

やっぱり落ち着かず、ティオの足はぷるぷると震えた。も、もうダメだ。怖い。
既に彼の頭の中は、いつもの逃げ腰になっていた。しかし、ここで逃げるわけにもいかない

「あ……の……ちょ、ちょっと……」

ティオは恐る恐る一歩前に出ると、ドア横の消火器に足が触れ、コテンと倒してしまった。

「あぁっ、何やってるんですか! 口じゃダメだからって、そーゆーことをするわけですねあなた方は!」
「ご、ごめ……」

ティオが慌てて倒れた消火器の取っ手を掴んで起こそうとすると、グリーンは血相を変え、

「ちょ、ちょっと、や、やめてください! 暴力では何も解決しません! そ、そんな事してもあなたが苦しむだけですよ!!」
「ち、違う……んです……」
「や、ちょ、こ、来ないでください!」

慌てて誤解を解こうとして。消火器を引きずったままグリーンに近づくと、彼はその場に腰を抜かし、悲鳴を上げた。

「だ、誰かーっ! 未来へ繋ぐべき大切な生命の灯火がたった今一人の愚かな少年によって消されようとしています誰かーーーっ!!」
「だから……違う……のに……」
「しかも消される道具が消火器ということでアイロニーが効き過ぎてます誰かぁぁぁーーーーッ!!」

まずい、このままでは、一歩目から計画がぶち壊しだ。
ティオはパニックでその場に立ち尽くしたまま、悲鳴をあげるグリーンを見ている事しかできなくなっていた。

「ティオさま、このままじゃダメです。お、オレ、もう行きます!」

エコはデビルカプセルを取り出すと、グリーンに向けて邪悪なオーラを発射した。
たちまち、赤黒い光がグリーンの体を包む。そして、再び彼の姿が現れた時、彼はさっきまでの彼ではなくなっていた。
黒地に赤の水玉模様の服、同じ色をした長い耳が垂れ下がった様な帽子、星や涙のフェイスメイク。その姿はさながらにピエロ。
だが、唯一他のピエロと違うのは、額にあのコウモリのマークがしっかりと刻まれているということであった。

「ちょっと違っちゃいましたけど……とりあえず第一段階完了ですね、ティオさま」
「う、うん……」





















瞼を開けると、見慣れたショッキングピンクの目覚まし時計の文字盤が目に入った。
体を起こし、再び見慣れた自分の部屋の光景にシオンは家に戻ってきていた事を悟った。

「今日は……」

携帯を開く。心のどこかで僅かな望み抱いていても、やはりそんな事は無く、日は12月25日を刻んでいた。
パタンと画面を閉じて、枕の上に倒れこむ。真っ白な天井には、柔らかい光が模様を描いている。

「今日は、クリスマスだっけ……ね」

意味もなく呟き、壁の方へと寝返りを打つ。
どうせ今日は仕事も無い。する事だって普段から特に無いんだから、起き上がる理由などない。

「お父様……誕生日パーティ、できなかったよー」

彼女の瞳は、壁にすっかりおぼろげになってしまった父の像を映しだす。
父はじっと動かないまま、昔あった肖像画の姿のままだった。

「……ティオのやつ、どうしてやろっかな」

父は何も答えない。

「……あいつ、今頃、機嫌取るために、なんかしてんのかな」

目を閉じ、ふっと溜息を漏らす。

「ほんと、お父様を見習って欲しいもんだわ。まったく」

眠りに付こうとしてみる。しかし、たっぷり寝たせいでただじっとしているばかり。退屈が募る。

「あーあ! 私の誕生日なのに!」

ベッドの中でおもいっきり伸びをする。

「ねぇお父様。お誕生日おめでとうって言って。一回でいいから、言って。
ここは人間界だもの。魔族とかクリスマスとか関係ないもの。ねぇ、一回ぐらい良いでしょ」

天井に向って呟く。しかし、誰も答えない。

「……あの事、きっと無理ね。きっと。だってお父様は……」
「し、しっ、シオンさまぁぁぁぁぁ!」

部屋中を包んでいた空気を粉々にするように、突然部屋へ飛び込んできたのはエコだった。

「ちょっと、あんた! いきなり……」

いくら居候でもエコの不躾な入室を怒鳴りつけようとしたが、シオンは入ってきた彼の姿を見るなり言葉を失った。
服はボロボロ、顔には殴られたようにあちこち赤く腫れ、涙だけでなく鼻水まで止め処なく流れ、
その姿はいかにも『命からがらここまで逃げてきました』というような有様だった。

「ど、どうしたのよ。アンタ」
「うぅっ、うぅっ、しおんさまぁぁ~!」
「何なの。泣いてないでちゃんと話しなさいよ」

泣き喚きながら寄って来たエコの鼻水をティッシュで拭いてなりながら、
改めてエコの受けた痛々しい傷跡を眺め、シオンは何だか嫌な予感がした。

「うぅっ、え、えぇと、えぇと、てぃ、ティオさまが、えと、大変なんですぅ……」
「ティオが?」
「えと、えと、し、シオンさまが怒ってるから、ってお詫びに、あ、悪のエナジーいっぱい集めようと、し、して、そ、そんで、ぐす……」
「それでどうしたの!」

シオンはエコの肩を揺さぶる。

「と、とりあえず隣の人間を悪魔化、さ、させて、たくさん取るために、あ、悪魔化する時の、パワーを、上げたら、
ぜ、全然言うこと聞かなくなって、うぅっ、か、勝手に、ぼ、ぼ、暴走して、ティオさまが、あ、慌てて、止めようとしたんですけどぉ……。
ティオさま、やられちゃって、ひ、人質に取られちゃってるんですよぉぉぉ、ふぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「人質!?」
「ま、魔界の支配権を、譲れって、言ってきてるんです。じゃないと、ティオさまの命は無いって。ふぁぁぁぁぁん!」
「はぁ!? なにやってんのよ!」

シオンは動揺と苛立ちでエコの一番腫れていた右頬を叩くと、彼は「ふぎゃっ」とこの瞬間地球上で最も情けない声を上げた。

「あんた使い魔でしょうが! あんたが捕まってきなさいよ!!」
「……だ、だって強かったんですもん、ふぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! ふぁぁぁぁぁぁぁん!」

余計に泣き喚くエコのうるささに耳を抑えながら、シオンはこれからどうするべきかを思案した。
とりあえずじいやに連絡して、何か悪魔化させた奴の力を抑える方法があるかどうか尋ねてみればいいだろうか、
それとも、腕っぷしの強い魔物を片っ端からこちらに呼び寄せてもらうのが確実だろうか。

「ふぁぁぁん。シオンさま、どうしたらいいですかぁぁー!」
「と、とりあえず、じいやに電話するわ。あんたはここにいなさい」
「フフフ……そうはいきません」

突然声のした方に目をやると、開け放たれていたドアの向こうに見慣れないピエロの姿があった。
なんだろう、そう思う前に彼の額に浮かぶコウモリ型の紋章に気づき、シオンはとっさに身構えた。

「おやおや、下っ端の悪魔を追いかけてみれば、素敵なお方と出会えた様ですね……魔王の娘ですか、なるほど」

音も無く近づいてくるピエロ猫から溢れ出る妖気は、間違いなくそれも強力な悪魔のオーラであった。
表情は絵に描いた様に両目を閉じ、口はニッコリと口角を上げているピエロ。まったく読めないが、やはり不気味な物を感じた。
緑色の毛並みから考えて、やはり隣人のあの少年だと察知する。悪魔のオーラに魅入られてしまっているのか。よりにもよってお隣が……。

「あ、あんたが魔界を支配するなんて、出来るわけがないでしょ!」
「フフッ……それは、支配権を手に入れてみないとわかりません」

ピエロ猫はパチンと指を鳴らすと、彼の背後から同じピエロの格好をした二人の少年が現れる。
彼らもお隣に住む変な髪形のオレンジ色と、青色であった。こちらは操られているのか、白目を向いて一層不気味だ。

「抵抗ならさぬようにお願いしますよ」

二人はマリオネットの様なぎこちない動きで、「キキキ……」と妙な声を上げながらゆっくりとシオンに近づいてくる。
本来の姿に戻って戦うという手も考えたが、いくら悪魔でも非力な女。大体三対一じゃ分が悪い。

「ま、待て! し、シオンさまの前に、お、オレを倒してからにしろー!」

シオンの前にエコが飛び出し両手を広げた。そうか、三対二だったか。小柄なエコの背中だが、シオンはそれが少しだけ逞しく見えた。

「……抵抗なさらぬようにと言ったはずですよ」

ピエロ猫はすっとトランプを取り出すとエコにそれを投げつけた。
途端、彼の姿は白煙に包まれ、気が付けばエコは彼らと同じ様にピエロの姿になっていた。

「さぁ、あなたも一緒に彼女をお連れしなさい」
「あいあいさー!」

すっかり敵の手に堕ちたエコは元気良く手をあげて、シオンの手を掴んだ。

「な、なにすんのよっ!」

握った拳で殴ろうとするが、その腕も横からオレンジ色によって掴まれてしまう。
こうなったら、悪魔の姿になるしかない。額に意識を集中するが、

「ブルー君。力を出されたら厄介です。落ち着かせて差し上げてください」
「キキキッ」

シオンの額に浮かんだ悪魔の紋章、その上に青色は何かガムテープの様なものを貼り付けた。
途端に力が抜けて足元がおぼつかなくなり、シオンの身体は両脇の二人のおかげで何とか立てるまでに弱らされてしまった。

「……な、なに、すんのよっ……」
「ご安心下さい、ちょっと十字架付きのシールを貼らせていただいただけです。さぁ、お連れしなさい」
「キキーッ!」
「らじゃー!」

背を向けて歩いてゆくピエロ猫の後ろを手下に支えられながらシオンは後へ続く、
部屋を出て、マンションの廊下に出ると、その異様な光景に彼女は目を見開いた。
いつもの707号室の黒い扉は、毒々しい龍の鱗となって、ヘドロの様な紫色の粘着質の物体と一緒に壁に張り付いていた。

「な、なにこれ……」

扉を開けて中に入ると、中も同じように紫色のぶよぶよとした魔物の肌の様な壁で覆われていた。
かつての707号室の面影は全く存在しない。天井から、緑色の目玉がこちらを見つめ、シオンは目を逸らす。

「この部屋は私の魔力でどんどん広がって行きます。それでも私の魔力は満ち溢れている……いずれ建物全てを多い尽くし、城となるでしょう。
それもこれも、ティオさまが私に大量の悪のエナジーを与えて、悪魔として生まれ変わらせてくれたおかげですよ……フフッ」
「じょ、冗談じゃないわよっ! 悪魔だったらねぇ、悪魔の頂点に立つ魔王の、む、娘とか息子に敬意を払いなさいよっ!」

ピエロ猫はくるりとこちらに向き直り、その口元をニンマリをゆがめた。

「敬意を払っているからこそ、こうして必要以上に危害を加えずにお願いしているのですよ。魔界の支配権を私に下さいと、ね」
「ティオは、ティオはどうなったの! 変な事したら承知しないわよ!」
「ご心配なく、あなた方は重要な人質でもあるのです。奥の部屋でよぉく眠られておりますよ……」

そう言って、ピエロ猫は廊下の奥にあるドアを指した。

「ま、気絶しているという表現の方がピッタリでしょうが」
「まずここへティオをつれてきなさいよ」

ピエロ猫は真っ白な指を「チッチッチ」と振った。

「認識を間違えてはいけません。あなたは今、私の要求を呑むか否かを問われている立場であって、
私に何か要求をする立場では決して無いのですよ。もう一度尋ねます。魔界の支配権を私に渡すかどうか……」
「そんなの出来るわけないでしょ!」
「……では、お二人を人質に、私が直接他の王族筋の方々に交渉させていただく事にしましょう……おい、連れて行け!」
「らじゃー!」

ピエロ化したエコがビシッと敬礼をした。その瞬間彼女の左腕は自由になった。

──今だ。

シオンは左の拳を握りしめると、右腕を掴んでいたオレンジの頬に重いパンチを打ち込んだ。
たちまち吹っ飛ぶオレンジ、振り向きザマに背後のブルーにも一発。キキーッと奇声を挙げたまま気絶して動かない。
シオンは額のシールを剥すと、額の紋章がキラリと光った。おかげで、ふらついていた身体も徐々に感覚を取り戻してくる。

「……さて、残る手下は一人ね」

シオンはチラと横に立つエコピエロに目をやる。
彼はぷるぷると震えながら腰を抜かしてしまっていた。

「あわわわわわわ……ご、ごめんなさい!」
「……ま、あんたはいいわ」

ホッとしたようにエコピエロは息を付き、笑みを零した。

「……なワケないでしょおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「わぁぁーっ!」

エコピエロはシオンに腕を掴まれるなり、ブンブンと振り回され、そのまま逃げようとするボスの方へ投げ飛ばされた。
ピエロ猫はモロにエコの身体を受けて、その場に叩きつけられる。この隙にティオを救出しなければ。シオンは前方の扉を見据えた。

「フフフ……残念です」

一歩踏み出したシオンの背後でピエロ猫が不敵な笑みを漏らした。
その直後、部屋中が一度大きく横に揺れ、壁や屋根が激しく軋んだ。地震。いや、そうではない。
この部屋自体が外部から何かの力によって徐々に押し潰されようとしていたのだった。

「あんた、何したの!?」
「……こうなったら、あなた方共々、深遠なる暗黒の彼方に連れてゆくのみ……フフフ……お付き合いいただきますよ……“シオン様”」

シオンの脳裏に、ティオが危険だという事が掠める。まずい、このままではティオが。

「ティオーーーーーーーーーーーー!!!」

激しく揺れ動く廊下を駆けながら、シオンは奥に向う部屋の扉を開けた。
その瞬間、彼女の身体を真っ白な閃光が包んだ──






















「シオンさん、お誕生日おめでとーっ!」

ぱぱんという音と共にクラッカーから飛び出したいくつもの紙テープがシオンの頭上に覆いかぶさった。

「……え?」

目の前にいるのは、いつものOFFレンの面々、そしてやっぱりサングラスや帽子やコートで身を包んだ妖しげなジュノの姿まであった。
彼らの前のテーブルには、和洋中取り揃った料理と、盛り付けられたフルーツが並べられていて、さながらパーティの光景。

「え、ちょ、ちょっと待って。こ、これ、一体どういう……」
「ティオ君の発案なんですよ」
「へ?」

隊員達の後ろから、ティオがピンクチューリップの花束を抱え、おどおどとしながら、現れた。

「ね、ねーさ……じゃなくて……あ、あ、姉貴……た、誕生日、お、おめで、とう……」
「…………」

放心状態で花束を受け取るシオンに隊員達は惜しみない拍手で称える。

「……じゃ、じゃ、ぼ、ボク、違……お、オレは……これで」
「ちょっと待ってティオ」

ティオはそのまますごすごと戻っていこうとしたが、シオンは腕を掴みそれを留めた。
そのまま弟を部屋の隅へ連れて行くなり、シオンは恐ろしい形相でティオに迫った

「あんた……これどういうこと……」
「さ、サプライズ、パーティ……です……ご、ごめんなさい……」
「ピエロのヤツラちゃんと悪魔だったけど?」
「だ、だって、ねーさま、仮装だったら、そ、そういうの、気づいちゃうでしょ……
だ、だから、悪魔化だけさせて、演技に付き合うように、め、命令だけしておいたんだ……」
「人間達にバレちゃうでしょ!」
「だ、だいじょぶ……だよ……ねーさまが、飛び込むまでの流れは、人間には全然違う話にして、う、打ち合わせしたし、
そ、それに、あの人達に与えた悪のエナジーも、入った時に、無くしたから……」

ティオが言うなり、部屋の中へピエロ姿のままのグリーン達が、寝ぼけた様な顔で入ってきた。

「……私は一体何を……」
「お帰り、グリーン。すごい妖しくて胡散臭い海外マフィアな感じ出てたよ!」
「は?」
「グリーン、ピエロ姿とっても似合ってるよ」
「うんうん。カッコイイカッコイイ」
「……何が何だかわかりませんが、悪い気はしないですね」

シオンは、わいわいと騒いでいる隊員達からティオの方へと視線を戻す。
ティオはびくびくとしながらも、シオンの方を恐る恐る見上げ、

「……ね、ねーさま、ぼ、ボク……ねーさまの誕生日、で、できなくて、やり直そうと思って、
ま、魔界にも頼めないから、人間界で出来る事、な、なんだろうって思って、ボク、いっぱい、考えて……」
「………………」

シオンは何も言わず、ティオに背を向けると、
隊員達のいるテーブルの方へと向き直り、手にした花束をぎゅっと握り締めた。

「皆さん、ありがとうございます……。私、今年は弟と二人きりのクリスマスだと思ってたから、
こんなにたくさんの人達にお祝いされるなんて、すっごく……う、嬉しいです……」

目を潤ませながらのスピーチに、男子達から大きな拍手が送られる。……当然、これはシオンの演技だが。

「さぁさぁ、せっかくですからパーティ始めちゃいましょう!」

パープルがパンと手を打ってから、シオンも隊員も、ジュノやティオやエコも混じって誕生日パーティは始まった。

「シオンさん! この俺がしっかり手配しておいたから料理はどれも最高ですよ!」
「ブラックさん、ありがとうございます。私、こんな素敵なお料理初めて見ました」
「し、シオンさん……つ、つまらない物ですが、ぷ、プレゼント……う、漆塗りの箸です」
「わぁ、ジュノさんもありがとうございます。私、ずーっと前から漆塗りのお箸が欲しいなぁ~って思ってたんですよぉ」
「そ、そ、そうですか、よ、良かった……」

美味しい料理に舌鼓を打ちながら、男達にチヤホヤとされるシオン。

「シオンさん、これアロマキャンドルです。リラックスできるんですよ」
「わぁ、素敵! 今度疲れた時に使ってみますね」
「ねぇシオンさん、服見に行った時、ポスターありましたよね。あれ、どこのブランドなんですか?」
「あ、ペチコートのですよね。 あれは、レモネードってお店の奴で……あ、今度一緒に行きましょうよ」
「ホントですか! やったー!」

女性たちからも称賛の言葉を浴びながら、シオンの笑顔はパァッと輝いていた。
外面の良さのせいもあるだろうが、彼女は何に対しても楽しげにイキイキとしていた。
そんな姿を遠くからみながら、ティオはホッと安心する。なんとか及第点くらいは取れたみたいだ。

「でも、感心ですね。とんだワルガキだと思っていたティオくんに、まさかそんな心遣いが出来る良心がちゃんとあったとは」
「やっぱり、シオンさんの弟さんなんですね。素敵だと思います」
「ええ、いつもこうなら、良いんですけどね」

ティオは、隊員達の言葉にほくそ笑むシオンと目が合い、ティオは慌てて目を伏せる。
そうして、一人ひっそり隅っこのソファで、間を持たせるにはとうに飲み飽きてしまったオレンジジュースに口をつけた。

「(……ねーさま、これで機嫌治るといいんだけど……)」


















「さぁ、いよいよケーキが焼き上がりましたよ。ささ、みなさんどいてどいて!」

何故かピエロ姿のままのグリーンがテーブルの周囲の人間達をどけながら、
それぞれ大きさの違うケーキを運ぶ3人の女子達を先導していく。

「ちょっとすいませんね。準備する時間が無くて。今からちゃちゃっと重ねちゃいますから。主役は向こうでゆっくり待っててくださいな」
「シオンさん!」

グリーンに促され立ち上がるシオンの脇からひょっこりをブラックが顔を出した。

「これ俺が提案したんですよ。3段重ね! これ俺が! もっと金があればね、5段、いや10段はやろうと思ってたんですけど!」
「私なんかの為に、こんなに大きなケーキ……初めて見てちょっとびっくりしてます。ブラックさん、ありがとうございますね」
「くっ……い、いじらしすぎるぜシオンさん……」
「ブラック何やってんですか、手伝ってくださいよ」

ブラックがようやく引っ込むと、シオンはケーキを組み立て始める隊員達のいるテーブルから離れ、
部屋の隅に追いやられたソファでじっとしているティオの方へと向った。

「ね、ねーさま……あ、あの……」
「あ~疲れた。めんどくさいことしてくれたわよねアンタも」

ティオが言い終わらないうちに、シオンは隊員らに聞こえない小さな声で呟きながら隣へ座った。

「言っとくけど、私は悪くないから。元はと言えば悪のエナジーを集めてないアンタが悪いんだからね。
それに、誕生日忘れてた事も悪いんだからね。今回は人間まで巻き込んでるから、特別に楽しんだぶりしてやってんだから」
「う、うん……」
「そ、れ、に。悪魔のクセにクリスマスにパーティするなんて、じいやが聞いたら卒倒するわよ。アンタ何考えてるわけ?」
「でも……ぼ、ボク……」
「そりゃまぁビックリしたけど、その割に料理はショボイし、たった3段のケーキなんて。あんな小さいケーキ信じらんない!
おまけに、どいつもこいつもろくなプレゼント持って来ないし……誰が漆塗りの箸なんか欲しがるかっつーの! アタシは老人か!」
「シオンさん、ケーキ出来ましたよ!」
「はーい♪」

ブラックの呼ぶ声に、職人技級の速さでシオンはニッコリ微笑み、ソファから立ち上がった。

「あ、ね、ねーさま……」

ティオが何かを言おうとするのをよそに、彼女は顔を挙げ、一歩踏み出そうとする。
と、ふと彼女の視界の中を小さな物が横切り、シオンは思わず足を止めた。

「ご、ごめんなさい……誕生日の……お、お祝い、一日……お、遅らせちゃって……」
「…………」
「こ、これだけ、謝りたくって……ね、ねーさま、許してくれないだろうけど……」

ティオは恐る恐る顔をあげ、姉の背中を見た。彼女は微動だにしないままじっと前方を見つめていた。

「ね、ねーさま……?」
「あっ、見て。外、雪降ってる!」

パープルの言葉に、隊員達はわっと窓辺に集まって、深々と降っている雪を眺めだす。
ティオもつられて、窓の向こうにちらちらと浮かぶ白い点々を見ていた。話に聞いていた雪。彼はこの時、初めて雪を見ていた。

「……一日遅れなんて、本当なら絶対絶対許さないけど……」

わいわいと騒ぐ隊員達の声に混じって、ぽつりとシオンは呟いた。
彼女の瞳は、じっと窓の向こうに降るものを見つめていた。


──シオンが、みんなにお誕生日をお祝いされる様になったら、お父様がプレゼントをあげようね。シオンは、何が欲しい?


シオンは、くるっとティオの方へと向き直った。
その瞳はキラキラと、ピンク色に頬を染めながら、子供の様に純真であった。

「今回は特別に、お父様に免じて勘弁してあげるわ」
「えっ、と、父さま……?」

シオンは、ティオに背を向けるとテーブルの方へと駆けだした。息が弾む。
ほんの一メートルも無いこの距離を、シオンは力一杯走った。

魔界には雪は降らない。地の下の魔界には、雪なんて降るわけがない。でも、綺麗だって聞いた。
だから私は、あの時、お父様に言ったの。


──お父様、シオン、雪が見てみたいわ!


幼い頃に約束した、ちっぽけで、だけど特別だった自分のお願いを父に伝えたのだ。
人間界に来て、初めて雪を見た。偶然なんかじゃない。だって、お父様は約束を絶対に破らないと誓ったから。
この雪は、父がずっと大事に暖めてくれていた贈り物。シオンは雪の一つ一つをキラキラした眼で眺めた。

「ささ、素敵なホワイトクリスマスになった事ですし……改めまして、皆さんいいですか?」

雪をバックに、明々と灯るキャンドルの刺さったケーキ。
その向こうには、人間達が微笑みながら、じっとこちらを見ている。
こんな誕生日パーティ、くだらないけど、みみっちいけど……今日は、初めてが2つあった特別な日になる。


「せーのっ……!」

「「「シオンさん、お誕生日おめでとーーーーーっ!」」」


そして、シオンはだんだん滲みだしてゆく炎へ、思い切り息を吹きかけた。