第123話
『ポプリの小瓶』
(挿絵:ブルー隊員)
『いつでも...夢を、夢を、夢を追いかけて...つらい時も...涙なんか見せないの...』
昔から、新しいスタートを切るとき、私はいつも、無意識にこの歌を口ずさんでしまう。
松田聖子の『Precious Heart』。彼女自身が作詞を担当し、そして24作連続1位の記録が途切れた初めての歌。
ここを最後に、彼女のアイドル人生は、じりじりと下り坂へ向ってゆく。時は平成元年。新しい時代が訪れてようとしていた。
『Woo...きっと...きっと...』
窓の向こうの並木道が走り抜けてゆくのを見ると、なんだか時間の流れを可視化しているみたいで、
『あ、そっか、私ももう24なんだ』……なんて事を考えてしまうのだ。そんなに急がなくてもいいのに、スピードはますます上げられて。
私の視線はそんな目まぐるしい速度に耐えられなくなり、手元の携帯で、書きかけのブログの続きを再び考え始める。
こんにちぱ(○・ω・○)!!!
実は今……
新しい引越し先にみんなで向ってまーす☆ヽ(・∀・)ノ wktk!!
はい、そーですね。この前のブログ読んでくれた人はもうご存知ですよね!
いよいよ、私の新たなスタートが
新しいスタート──。
私はこれまでいくつのスタートラインについてきたのだろう。
これまで私は、何度もラインを引きなおす度、だんだん増えてゆく足取りの重さに気づいてきていた。
そのまま見ないふりを続けていたら、その重みは決して減らされることは無く、むしろ増える一方で……。
『きっと...夢が叶う日を...』
気が付けば、私はもう、振り出しに戻るには抱えきれないほどの荷物が増えてきている。
この場所から再び動かなければならなくなっても、私はもうこの荷物を抱えて、昔のようにどこか新しいラインには行けない。
そうすれば、きっとこの荷物に私の体はいとも容易く潰されてしまう。
「………………」
だから、その時、私はきっと……動くことを諦めてしまうだろう。
「(……次の歌詞なんだっけなぁ……)」
並木道を抜けると、車窓の向こうに赤や青、緑や白の鮮やかな屋根をしたミニチュアみたいな家やお店が並んでいた。
あの黄色と白の縞模様の店は、パン屋だろうか。仔犬を連れた少年が横切った。遠くのベンチに座る老夫婦の後姿も見える。
華やかな街は好きだ。街が華やかなら、人々も活気に溢れているから、その分、喜びがたくさん転がっているような気がするから。
……ここなら、ここが最後なら……悔いなんて、ないかもしれない……。
「順子ちゃん、もうすぐ着くよ」
運転席のマネージャーが軽々ハンドルを切りながら、私の名前を呼んだ。
……センチメンタルを邪魔する無粋な彼の方へ私はムッとした顔を向ける。
「……本名は辞めてください」
「あ、ごめんごめん。えーと、レミちゃんだっけ」
「それは二つ前の奴です」
「純情天使……」
「それは4年前」
「……ごめん。今度の名前なんだっけ?」
「もぉ……」
拗ねたようにプイとそっぽを向くと、既に車は大通りを走っていた。
フェンス越しに見える木々の生い茂る公園。その向こうに、白い大きなマンションが見える。
……思っていたよりも大きい。家賃がすごく安いって聞いたからもっと粗末なのも覚悟していたんだけど。
「あ、そうそう。あれが今日から順子ちゃんの住むマンション」
そう言って、マネージャーは軽い調子で、窓の向こうを指差す。
その軽さというか無神経さに、私の広い心を持ってしても我慢できず、少し声を荒げて返答する。
「だ・か・ら。芸名で呼んでください」
「だから、僕まだ聞いてないんだって~」
「……もぉ。えーと確か……」
だんだん目前に迫ってくる新しい住居を見上げながら、私は呟いた。
「……ポプリ」
──これが、今日から私の名前だ。……25番目であり、そして、私の最後の名前だ。
──きっと誰かが、いつか世界を変えてくれる。そんな気でいたの。
懐メロ番組で流れた相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」の歌詞に、中学生だった私はショックを受けた。
人生は卵を温める事に似ている。必死に暖めようと気を遣い、そして極度に割れることを恐れ、冷える事を恐れ、何も身動きできない。
昔の私もそうだった。一人しゃがみこんで卵を必死に暖めていた。その卵はただの石ころかもしれないのに……。
「はーい。どちら様ですか?」
「……本日こちらの702号室に引っ越してきた者です。ちょっとご挨拶に伺わせていただきました」
世界を変えるのは、私しかいない。このチャンスを逃さない。私は深呼吸をして前を見据えた。
私は逃げない。負けない。後悔しない。一人で戦うしか、私の世界を変える術なんてないから。
「あ、どうもわざわざすみません。えっと、どこのお部屋ですっけ?」
鍵の外れる音がして、707号室の扉が開くと緑の少年が現れた。
見た感じ、12、3歳。いくらなんでもこんな子供に挨拶してもしょうがない。
「お父さん、お母さんはいらっしゃいますか?」
「……えっと、まぁ、そういう類はここには住んでないんですよ」
一人暮らしなのかしら。こんな小さい子供がまさか、きっと居留守を使ってるのかも。
心象は当然悪くなるけど、まぁ呼び出しておいて挨拶しないまま帰るのも仕方ない。
「えっと、今日から702号室に……」
「うわっ、すっげー美人じゃん!」
「おい、グリーン。この人誰だよ!」
私が口を開いて間も無く、部屋の奥から現れた青や橙の少年。青の子に至っては、頭の上に黒い子供を乗せている。
「なんか、今日から702号室に住まわれる方だそうですよ」
「すごいなーモデルみたい!」
「ま、シオンさんと良い勝負だな」
ジロジロとこちらを眺めながら、勝手に好き放題言う住人達……子供とはいえ、やっぱり男……あぁヤダヤダ。
……なんだか変な部屋に挨拶に来てしまったと、私は少し後悔した。さっさと挨拶して切り上げよう、私は顔を上げて仕切りなおす。
「今日から、こちらの702号室に住むことになりました……」
言いかけて、ふと考えた。どっちの名前を名乗ろう。
大して付き合いはしないだろうし、わざわざ本名なんて言う必要もない。……芸名でいいか。
「……ポプリです」
「可愛い! この辺の生まれですか?」
「あの、おいくつですか?」
「……ご近所ということで、今後ご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします」
めんどくさい質問に答えない意志をハッキリ露わにして、私はそう言い切るなり頭を下げた。
本来なら、こういう挨拶なんてしないタチだけど、立場が、立場だからしかたがない。これも仕事のうちだ。
「では、私はこれで」
頭を上げ、戸惑った顔の男達をそのままに、私はつかつかとその部屋を後にしようとした。
しかし、聞こうと思っていた事があったのをすっかり忘れたことに気づき、足を止めた。
「どうかしましたー?」
振り返ると、扉から顔を出してこちらを見ている男達の姿があった。
あのまま見送るつもりだったのか。あぁ、ヤダヤダ。……とはいえ、こうなってはしかたがない。
形だけ愛想は良く、私は口を開いた。
「すみません。……この辺で日用雑貨、買えるお店あったら教えていただけませんか」
『I want you! I need you! I love you!♪』
「あっ、AKB!」
買い物の途中な事をすっかり忘れていたみたいで、私は手にしていたシャンプーボトルを床に落としてしまった。
いきなり店内に流れたAKB48の「ヘビーローテーション」。やっぱり曲がきゃぴきゃぴしてて可愛い。
やっぱり好きな曲が流れると、テンションが上がるよね!
「へびーぃーろーぉーてーえーしょん♪」
思わず口ずさみながら、ボトルを拾うと、どこからかクスクスと笑い声が聞こえて、我に帰った。
そ、そうだ。ここは山崎さんちのお店じゃないんだ。と、都会の、おっきいお店なんだ。
「……い、いげね。つい悪い癖が出ちまったべさ……」
改めて回りを見渡すと、雑誌から飛び出してきたみたいな人達でいっぱい。私より綺麗な服、可愛い髪形、素敵なメイク……。
楽しく見て回っていた興奮がすっかり冷めてしまって、なんだか一人だけすっごくアウェーな気分でいっぱいになる。
そう思ってしまったら、こんなに大勢いるのに、なんだかすっごく寂しくなっちゃって……。早く帰らなくちゃ……。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
一歩踏み出したら誰かとぶつかって、また私はシャンプーを落としてしまった。
ぶつかった人は何も言わずにハイヒールをツカツカ言わせて、通り過ぎて行く。
私から見て、斜めの場所には大人の女性が入浴剤を見ている。二人横に並んだらもういっぱいな狭いスペースだ。
こんな所へ強引に入ってくるなんて、信じられない。言ってくれれば道をあけるのに……。こ、これが都会の洗礼って奴……?
「……こ、こげん所で、やってけるんじゃろか……」
思わず口に出した方言に、入浴剤を見てた人がこちらへ振り向く。
この時、私は完全に顔が真っ赤になってたハズ。全身が熱くなって、いてもたってもいられなくなっちゃって……。
気がつけばシャンプーを棚に戻すなり、私は店から飛び出していた。
店を出ても外じゃなくて、なんか広場みたいな所に出て、どこもかしこもお店だらけ。
はじめて見るショッピングモールの広さと、人の多さで、私は出口を探すので精一杯。
「キミ可愛いね。俺達とゲーセン行かない?」
道の真ん中に立って辺りを見回していると、明らかに不良っぽい男の子達に声をかけられてしまった。
どうしよう。田舎者目当てに悪い人が寄ってくるから、行動には気をつけろって、あれだけ婆っちゃんから言われたのに……!
「どっから来たの? キミ一人?」
「ひ、一人じゃないです! き、近所の近くに引越して来てっ」
「へぇ、そうなんだ。じゃぁ俺達がこの辺案内してあげようか?」
男の子がニヤニヤしながら私の手を掴むと、私の身体に緊張が走った。が……外国に売り飛ばされる……!
私の足はすっかりガクガクして、逃げることもできなくなって、今にも泣き出しそうになって……。
「わぁぁぁぁーーん!」
その場にしゃがみこんで、思わず私は大きな声で泣いちゃった。その場にいた人達が一斉に振り向くほど。
さっき飲んだレモンティー。あんまり美味しいから大事に飲んでたのに、今じゃ目からポロポロ零れて、すっごくもったいない……。
「どうしたの。大丈夫!?」
「ほぇ…」
側で女の人の声がして、私はぐしゃぐしゃになった顔を上げた。いつの間にか男の子達はいなくなってた。
代わりに白と、ピンクと、紫の女の子が一緒にしゃがみ込んで、私の事を心配そうな顔で見つめてた。
「どうかしたの?」
優しい言葉に、私はさらに涙が零れてきた。
全員が冷たい人ばっかりな気分だったから、同い年くらいの女の子だと余計に安心して、私は鼻を啜って答えた。
「わ、わたし……お家に帰りたいんですぅ……」
「お家?」
「今日引越して来たばっかでっ……買い物来たんですけど、でも、ここの出口わかんなくてっ」
「お家どこ?」
「め、めぞん……なんとか……」
「ひょっとして、メゾンぐるてん?」
紫の女の子に頷いて、私は目元を拭った。
そういえば、マネージャーさんが言ってた名前と同じだ。
「はい……めぞんぐるぐるです」
「“ぐるてん”ね。じゃぁ、私達と一緒のマンションだから、一緒に行かない?」
「えっ、同じマンションの人なんですかぁ?」
「そう707号室。あなたは?」
「わ、わだす、702号です……」
「じゃぁ、すんごいご近所さんじゃん!」
嬉しそうな白い子の言葉に、私はすっごく嬉しくなってしまった。
マンションのあの冷たい感じが怖かったけど、こんな優しい人がご近所さんだなんて、安心してまた泣けてきちゃうよ……。
「大丈夫大丈夫。私達がいれば怖いことないから。ほら、立って立って」
熊のぬいぐるみを抱いたピンクの子もニッコリ笑って、私の手を取ってくれた。
都会に来て不安だったけど、なんとかやっていけそうかもしれない。婆っちゃん。私、大丈夫みたいだよっ。
「私はピンク。あとパープルとホワイト。よろしくね」
「は、はい。よ、よろしくおねげします……」
「あなたの名前は?」
「な、名前ですか、名前は……ぽ、ポプリって呼んで下さい」
「ポプリちゃん? 可愛い名前!」
「げ、芸名なんです」
「じゃぁ、ポプリちゃんってタレントさん?」
「た、タレントとはちっとばかし、違うかもしれねぇなゃ……」
「じゃぁモデルさん?」
「も、モデルでもねです……」
「じゃぁ何やってるの?」
「あ、あの……わ、私……」
涙を拭って、姿勢を正すと、私は精一杯の笑顔を作った。
キラキラパワーをいっぱい見にまとって、ご挨拶しなきゃいけないんだもん。何故なら……。
「私……アイドルなんです!」
やっぱりアイドルは第一印象が大事だから!
「やっぱりー。モデルの仕事って華やかそうに見えるんですけどー。結構大変で苦労も多いんです~」
台詞とは裏腹に、まったく苦労を感じてない表情でシオンは焼きたてのクッキーを齧る。
すると、周りに集う男どもは、彼女がまるでこの世の全ての苦労を背負っているかのように、同情する様な表情で重々しく相槌を打った。
「でも、アタシ思うんです。苦労した分、それをバネにするからこそ、誰かを笑顔に出来るんじゃないかって!」
「くっ……シオンさん……健気すぎるぜ……」
「もぉー褒めすぎですよ、ブラックさん」
うっすらと浮かんだ涙をぬぐうブラックをよそに、シオンはカップの紅茶に口をつけた。
情報収集を暇つぶしでここ、707号室で開かれているお茶会に参加したはいいものの、シオンはその笑顔とは裏腹に、内心退屈していた。
「(さーてと、なんか暇だから、他に誰か……)」
シオンはさりげなく周囲に目を配り、隅っこの人間に焦点を定めた。その人物は、さっきから一言も発言せず下を向いていた。
ニット帽、サングラスに顔半分を覆う大きなマスクで武装し、『春一番』とでっかくプリントされた水色Tシャツを着た少年……。
「ジュノさんどうかしたんですか? クッキー嫌いなんですか?」
「い、いえ……あんまり食欲がなくて……」
「どうかしたんですか~??」
「ちょ、ちょっと、風邪、気味で……」
「えぇっ、大丈夫ですか」
シオンはここぞとばかりに立ち上がると、ジュノの側に歩み寄ると、コツンと自分の額をジュノの額に当てた。
「なっ……!」
「……う~んと。熱は無いみたいですねー」
「なななななな……」
「あれ、なんか急に熱が出てきた……?」
男子隊員の驚きの視線を一斉に感じながら、シオンは固まったまま動かないジュノの反応を見てほくそ笑んだ。
やっぱり男は単純。ちょーっとこうすればすぐに落ちちゃう。これも私の特別な能力の一つなわけだ。
「(ん? この子、悪のエネルギーの匂いがする……?)」
鼻をひくひくしながら、シオンはジュノから悪の匂いを感じ取った。
大人しそうな少年だが、実際は胸のうちに何やら積もり積もった物があるのかとも思ったが、
そういうのとはまたちょっと違った感じが、かすかにシオンの悪魔センサーに反応する。
「ねぇ、ジュノさ……」
「たっだいまー!」
言いかけた所で、リビングのドアから買い物帰りのホワイトやパープルが現れ、シオンは額から顔を離した。
「あれーっ、もうお茶会始めてた? ごめんごめん。ちょっと新しい入居者の子と会ってさー」
ホワイトが苦笑しながら、エコバックをソファに置くと、グリーンが「あぁ」と思い出したように声をあげた。
「それって702号室の子ですね」
「そうそう、女の子。もう会ってた?」
「ええ、先にこちらへご挨拶に来てくれてたんですよ」
「あ、それなら、ここに来る前に私の所にも挨拶しに来てくれましたよ」
席に座りなおしながら、シオンはにっこり笑った。
「可愛いし、スタイルも良いから、私一瞬、事務所の先輩が遊びに来たのかと思っちゃいました」
「確かにシオンさんと良い勝負の美人だったなー。ちょっとクールでツンツンしてる感じがそそるっつーか……」
ブラックが腕組みをしながらニヤッと口元を緩めると、パープルは眉を寄せた。
「えー、そう? なんか素直そうで、素朴な感じの子だったけど」
「えーっ。なんでだよ。終始クールビューティーって感じだったぜ」
ブラックも同じように不可解な顔をしたかと思うと、どうやらそれはシオンも同じであった。
「私は、もっと、凛とした感じで、ストレートヘアが似合ってて……」
「えっ、あれはポニーテールでしょう?」
グリーンが身を乗り出すと、クッキーを手にしていたピンクが激しく首を振った。
「違うよ。あれはどう見てもツーサイドアップだった」
「えーっ、702号室のポプリさんですよね?」
グリーンの問いに、皆は確信した表情で一斉に頷いた。
「ま、まさかこれはドッペルゲンガー!?」
「んなバカな」
ブルーが突っ込むが、場はまったく和もうとはしなかった。
「これはまた奇怪ですね……同じ名前の同じ女性を見てもそれが三者三様だなんて……」
「一体どういうこと???」
一段飛ばしで階段を駆け上がると、7階まではとてもじゃないけどもたなかった。
だから、エレベーターを使うのを辞めた事は後悔しないとして、私はゆっくりと階段を昇る事にする。
「あなたのその香りダーリーン♪ ずっと忘れないわそぉーっと♪ ポプリの小瓶に詰めたい~♪」
2階や3階はともかく、7階までくると誰ともすれ違うことは無いから、歌を口ずさむ癖も堂々とやれる。
石原真理子の『ポプリの小瓶』。ポプリと聞けばやっぱりこの曲を思い出す。歌いたくてもカラオケには無いんだよね……。
「さて7階です。っと」
最後の段はぴょんと両足で飛び越えた。もう引越しの人達はいないみたいだった。
マネージャーさんから降ろされて、日用品やら何やらの買い物に出かけて1,2時間……さすが仕事が速いね。
部屋は702号室。鍵がかかってなかったみたいだから、少し緊張。
いっつも緊張するんだ。これで25回目なんですけどね~……。ホントに慣れなくて困ってるんだこれが。
でも、やっぱり最初が肝心だからね。大きく息を吸って、ドアを開ける。笑顔笑顔っ。
「こんにちは~。もう来ちゃってます~?」
「あ、おかえりなさいでーすっ!」
廊下の向こうから、ぴょこんとうさぎみたいに跳ね出して来た女の子の笑顔に幾分か気持ちが和らいだ。
二重の大きな瞳に、小さく柔らかそうな唇、チョコレートボールみたいな丸い鼻、左右に垂れ下がるツインテール……。
よかったぁ~! 良い子そう! っていうか、顔小さっ! お人形さんみたい!……こりゃ萌えるわ!
「もう全員揃ってる?」
「はい! 今、荷物開けてる所です。ささ、センパイも来て下さいっ!」
そう言うなり、ちっちゃな手で私の手を掴む女の子……。
お姉さん今までそんなことされたことないよぉぉぉっ! 肌柔らかっ! 若さが刺さる! 存分に突き刺さってるよ!
……って、興奮してる場合じゃない。私の悪い癖出ちゃったなー。仕事と趣味は分けないと。
「順子センパイ来ましたよーっ!」
リビングに入ると、机やある程度の家具は既に設置されている中に、一人の女の子の後姿が見えた。
地面に付くくらいの長いポニーテールに、ロシアンブルーの毛並み。振り返ると、そこにはイメージ通りの女の子がいた。
切れ長の青く透き通った瞳に、きゅっとしまった口元。パーツの全てがシャープで、マネキンみたいに整っている。……び、美少女だ。
まさにクールビューティーってこういうことを言うのかな。欧州とか、そっちのハーフか何かってくらい、日本人離れしてる。
「は、初めましてー」
思わず見惚れそうになるのを我慢して、とりあえず型どおりの挨拶から入った……んだけど、
「…………」
彼女はじっと私の顔を見たまま微動だにしない。表情一つ変えないどころか、返事をする素振りもない。
こ、これって……まさかとは思うんだけどさ。まさかなんだけどさ……宣戦布告って奴だったら、やだなーっ!
「な、なんか、付いてます?」
とりあえずベッタベタな問いで相手の反応を探る。
何か付いてる訳がないんだけどねぇー。女の子ですからぁーっ。悲しいかな、こういう言い方が一番なのよねん。
「……いえ……何も」
そりゃそうだよね。そうですよね。今時、女の子が顔面におかしなモンくっつけてお天道様の下歩かないよね……。
情けなさで心が折れそうになる前に、彼女は軽く頭を下げ始めた。
「こんにちは。今回、このグループに所属する事になりました……」
「あぁ、待って待って!」
いきなり挨拶が始まったので私は慌てて止めに入ると、そのクールビューティーは不思議そうな顔で顔を上げた。
「堅苦しい挨拶は辞めよっ。あ、お昼まだでしょ? パン買ってきたから食べながら自己紹介してかない?」
「……は、はい」
「そっちの子もね」
「わーい! ありがとございまーすっ!」
3人が集まる真っ白なテーブルの上に、買って来たパンを片っ端から広げる。
カレーパン、アップルパイ、チョコクリームにエクレアまで。ちょっとお財布は厳しいけど、ま、引っ越し祝いってヤツよ!
「今日から3人でアイドルやってくんだから、ご飯はちゃんと食べておかないとね!」
黄色の子も、青色の子も、みんな可愛い。それに、みんな良い子そうで。ほんとによかった。
これが最後のメンバーなら、何の悔いもないよね。
……うん。
うん。
「じゃっ、まずは私からね」
アップルパイの欠片が落ちたのも気にせずに、私は目線を上げた。
四角いテーブルの3面のうち、私の席から見て90度の位置。ピンクの毛並みのその人は立ち上がった。
ツヤのある長い黒髪、パッチリ開いた瞳に、カールしたマツゲ、整った目鼻立ちは、凛として……眩しい。
私よりも年上のはずなのに、同年代でも通用しそう。
「えーと、私は……」
「はいっ!山下順子センパイですよね」
向かい側に座る黄色い毛並みの少女が手を上げて、答えた。
でも、山下さんは判りやすい苦笑いで、彼女に手を下ろすように手で示す。
「うん、まぁ、そうなんだけど、本名で呼ぶの辞めてね。芸名にしようね」
「はーいっ!」
また手を上げて彼女は答えた。これじゃまるで教師に答える子供みたい。
……この子は幾つなんだろう。ここは教室じゃないのに。……ちょっと呆れるわ。
「えっと、センパイ。芸名は何ですか? 私まだ聞いてないですっ」
「あ、そっか。私のことは、ポプリって呼んでね」
「えっ? 私もポプリですよっ」
「……私もです」
同じ様に私も答えると、山下さんはえっと声をあげて自分の携帯を開いた。
文面を見るなり、私達に社長から来たメールの文面も見せるように言われたので、既に開いてあった画面を見せた。
「えーっ。全員“アイドル名はポプリ”になってる」
「……多分、グループ名って事じゃないんでしょうか」
「そうか。もーっ。あの社長、ホントいい加減なんだからっ!」
山下さんは、両手で荒々しく携帯を閉じると、ふてくされた顔でカーペットの上に座り込んだ。
「……芸名が無いなら自分達で考えるしかないわね」
「センパイ、勝手にやっちゃっていいんですかーっ?」
「いいのいいの。こういうこと、何度もあったから」
山下さんは、女の子に悪戯を思いついた子供の様に笑った。
さっきから表情がくるくる変わって、なんだかとても可愛らしい。本当に、素敵な人だと、思う。
「んーとね。じゃぁ私はローズ……だとちょっとオバサンくさいから……ロゼにするね」
「ろぜ?」
「フランス語でバラのこと。ポプリにもよく使われるんだー。ちょっと安直だけど、可愛いでしょ」
私の方を向いてロゼさんはそう尋ねた。
明るい毛並みの色と、バラのイメージはよく似合ってると思い、口を開こうとしたけど……
「はーい、ロゼセンパイですねっ!」
……また小学校の教室になってしまった。
この子、本当に人前に出る仕事に就こうとしているのかしら。ホントにわからない……。
私は視界から彼女を追い出すように、ロゼさんの方へ体をひねる。
「えーっと、それじゃみなさん初めまして!」
「初めましてーっ!」
手を挙げたロゼさんに、小学生が答える。私は何も答えなかった。
…………だって、初めてじゃなかったから。
「今日からこのポプリのリーダー……ま、年長者だしね。やらせてもらいます、ロゼでーす!
えーっと、一応事務所は11歳からなんで、もうアイドル暦十……ン年になりますけどっ! 心はいつまでも17歳で……」
「じゃぁ、ロゼセンパイって、大学生くらいなんですか?」
「えっ?」
一瞬空気が止まった。ロゼさんの口の端がピクっと震えた。
「一応、短大は、出てるかなー。アハハ……」
「じゃぁ二十歳くらいですか?」
「も、もうちょっと上、かなー」
「21歳ですか?」
「ちょっと……あなたしつこいんじゃないの。少しはロゼさんの気持ちを考えなさいよ」
我慢できずに、私は小学生にそう言い放った。
この子のデリカシーの無さと、相手への配慮の無さに苛立っていた私は、彼女を睨み付けていた。
そこまでやると、さすがに彼女も耳を垂れさせながら、俯き、
「……す、すみません……」
「あ、ううん! 大丈夫大丈夫。大丈夫だよーっ!」
今にも泣き出しそうな小学生の肩に手を触れて、ロゼさんはそう言った。
「ほら、いきなり年齢とか言っちゃうと、とっつきにくいかなーってね。私って年上だしさー。ね、泣いちゃダメだよ~っ」
「は、はい……す、すみませんでした」
目元を拭う彼女に、ロゼさんはニッコリ微笑んで頷いた。
……この子に、そこまでしてやる事ないと思う。でも、まぁいい。ロゼさんって優しい人だから。
「じゃぁ、改めまして。ロゼ、2…4歳です! 一応事務所の女性の中じゃ古参、かなっ! これまで色々なグループを転々としてきて、
ポプリでちょうど25個目のグループになります。だから、今度こそバーンと売れるアイドルグループにしたいと思ってます!
目指すは紅白! そして東京ドームコンサート! そしてワールドツアー!……なんてね。夢は大きくって事で」
「CDは……」
「えっ?」
私の言葉に、ロゼさんがこっちを向いた。
無意識にそんな事を私は尋ねていたので、自分自身で少し戸惑いながら、言葉を継ぐ。
「……ポプリで、どういう歌を出したいですか?」
「え? そうだねー。今はアイドル戦国時代だからみんな結構色んなことやってるけど、やっぱ萌え系がカタいかな。
思い切って、メイド喫茶みたいにしてもいいし。あ、ももクロみたいにパワフルなライブの出来る曲が売れるかもねー」
「……そうですか」
思ってたような返事じゃなくて、私のどこかが溜息を付いた気がした。
ロゼさんは、そのまま自己紹介を続ける。
「で、趣味はアイドル。私結構なアイドルマニアで、マイナーからメジャーまで結構詳しいんだ~。
と、好きな食べ物はグラタン。嫌いな食べ物は特になし! ん~。こんなもんかな。よろしくお願いしまーす」
軽く頭を下げて、ロゼさんの自己紹介は終わった。小学生が拍手をする。なんだかうんざり……。
そのままロゼさんは、彼女の方を見て、
「じゃぁ、次あなた行ってみようか?」
「は、はい……」
さっきまであんなに笑顔だった小学生は、教卓で発表する子供みたいに、強張った表情をして立ち上がった。
……なんでこの子が次なの。
簡単な自己紹介なのに、心臓がバクバクして、足が震えてどうしようもない……。
「え、えと……えと……えと……わっ、わだす……いやっ、私……」
ふぇーん。あんなに練習したのに。第一印象からダメダメだ。どうしよーっ……!
ロゼさんは、じっとこっち見てるし、もう一人の人は、怖い顔で見てるし。
っていうか、それ以前に……。
「あ、あの……名前が、思いつかない、です……」
「『ポプリ』に因める果物とかハーブの名前なら何でも良いよ」
は、ハーブって何があんだろなぁ……よく知らないから果物にしよっ。
「じゃ、じゃぁ、さくらんぼにしますっ」
「さ、さくらんぼはちょっと違うかな……」
「……す、すみません……」
第一印象、遂に失敗……。この時点でもう田舎に帰りたくなってきちゃった。
やっぱり私になんか、アイドルは無理なんだ……。勉強だってそんなに出来ないから、早速バカしちゃったし……
「あ、そ、そうだ。レモンちゃんってどう?」
「ほぇ…」
「ポプリにもよく使われるし、あなたの毛並み黄色いし、若くてフレッシュなイメージだし、可愛くてピッタリじゃない?」
て、天才だこの人……! 私は大きく息を吸い込んで、ロゼさんを顔をじっと見つめた。
だって、あんなちょびっとの時間で、私の毛並みの色とか、可愛さとか、いろーんな事を一緒にした名前を思いつくんだもん。
レモンはすっぱくて、味はあんまり好きじゃないけど……。でも、ツルツルしてて、みずみずしくて、そう言うところは好きだなっ!
「わ、私、レモンにします!」
「そう? よかったよかった。じゃ、自己紹介、始めちゃおう!」
「はーいっ!」
ロゼさんにニッコリ笑ってそう言われたら、私の緊張もどっかのお山の向こうに飛んで行っちゃったみたい。
大きく深呼吸して、ロゼさんみたいに、手を挙げて。
「は、初めまして。えっと、レモンです。ず、ずっと田舎の方に住んでて、都会来てちょっと緊張してますっ。
だから、変な方言とか、変な事しちゃうかもしれませんけど、なるべく、気をつけますっ……。
えっと、じ、事務所の人にスカウトされて、レッスンとかボイトレとかもちょっとしかしてないですけど、
センパイたちのあす……あ、足を、引っ張らないように頑張ります! よ、よろすくお願いします……」
なんとか無事に自己紹介言えて、ちょっとホッとした。ばっちゃんに見せてあげたいな……!
「レモンちゃんは、中学生?」
「いえ、16歳ですっ」
「えっ!?」
ロゼセンパイの質問に答えたら、青い人が大きな声を出すからちょっとビックリした。
私、背もちょっと低いし、子供顔だから、この人にも中学生に思われてたかな……?
「高校生か~。こっちの学校に入学するの?」
「はい。だから、ドキドキばっかりで、すっごく不安ですけど、頑張りますっ」
そう言えば、年齢とか色んな事とか自己紹介で言えてなかった……。
ロゼセンパイが聞いてくれたから、思い出せたけど、やっぱり私ダメダメだ……。
「あ、ねぇねぇレモンちゃんは、アイドルだと誰が好き? やっぱりAKB?」
「は、はい。大好きですっ」
「推しメンいるの?」
「はいっ。私、渡辺麻友さんに凄くあこがれてて、この前の総選挙も全部まゆゆに入れたんですっ!」
ロゼセンパイといきなり始まったAKBトークに、さっきまでのしょんぼりも吹き飛んじゃったみたい。
私が悲しい顔をすると、センパイはすぐに元気にしてくれるみたい。だから、ロゼセンパイって、素敵だなーって思ったんだ。
「そうなんだー。まゆゆ可愛いよねー。」
「まゆゆは可愛すぎてホントに、やびゃあですっ! この前のソロシングルも全タイプ買って、あと、渡り廊下のシングルも!」
「ワロタもいいよね、可愛い歌ばっかりで」
「なんで笑うんですか?」
「笑うって?」
「センパイ、さっき笑ろたって……」
ロゼセンパイは、きょとんとした顔で私のことを見つめた。
「もしかして、ワロタって知らない?」
「……は、はい……」
「渡り廊下走り隊の略だよ略。『ワ』たり『ロ』うかはしり『タ』いで、ワロタ。え、知らない?」
「はい……」
「あの、AKB好きなんなら当然知ってるって、思い込んじゃってたみたい。ご、ごめんね! マニアな言葉使っちゃって」
「いいんです……私、AKB大好きって言いながら、そんなことも知らなくて、うぅっ、ごめんなさいっ……」
ロゼセンパイに嫌われちゃったかも……。AKBとかまゆゆとか、大好きって言ったのに、全然そういう事しらなくて、
バカな子だって思われちゃったかもっ。もう私とアイドルの話してくれないかもっ。田舎者って思われたかもっ。
だって、だって私、可愛くないし、ダンスも下手だし、歌もそんなに上手くないし、勉強も苦手だし、おしゃべりも下手だし……。
そんな事を考えたら、もう我慢できなくなっちゃって、涙がいっぱい出て……。
「ちょっともう、なーかーなーいーのー! ごめーん。大丈夫だよーぅ! 泣かないでー」
ロゼセンパイは、そう言いながら私にハグして背中を撫でてくれた。
そんなことされたらますます泣けてきちゃって、センパイにぎゅーって抱きついちゃったんだ。
「……はぁーっ」
そんな時、どこから溜息が聞こえた気がしたけど、私はもうなにがなんだかわかんなくなってて、
それが青い人のかどうかはわかんなかった。あの人、ちょっと怖そうだなっ……。
ようやくレモンちゃんが泣き止んで、落ち着くと、いよいよ自己紹介も最後の一人の番。
随分待たせちゃったせいか、それともただそういう見た目だけなのか、どことなく表情は不機嫌そう。
……ま、でもそういうツンツンな女の子は結構可愛いよね。ウフフ。
「……あの……」
立ち上がって、口を開いた彼女は私の方をじっと見下ろした。
綺麗な目にじっと見つめられると、ちょっと照れくさいのは何でなんだろっ。
「どうかしたの?」
「……私も、名前が思いつかなくて……ロゼさんに、付けてもらいたいんです」
「えっ、でも。自分の芸名だから出来れば自分で付けた方が……私なんかで良いの?」
「……お願いします」
穏やかだったけど、何だか強い意志が感じられた彼女の言葉に、返す言葉はなかった。
そうは言っても命名って結構責任重大なんだよね~。まっ、本人が良いなら、良いか!
私が花で、レモンちゃんが果物なら、やっぱりハーブから取るに限る……!
「じゃ、ミントってどう? 花と果実とハーブでバランスも良いし」
「……はい。では、それにします」
あんまり納得してないのか、それとも喜んでるのかよくわからないけど、
ま、そういうわけでミントは、姿勢を綺麗に正して、自己紹介を始めた。
「ミントです……歳は18。これからよろしくお願いします……」
簡潔な自己紹介を終えると、私はそのあまりの簡潔さに面食らって、何も質問が思い浮かばなかった。
レモンちゃんも同じ様な気持ちだったみたいで、戸惑いがちに小さく手を叩いていた。
うーん……なかなか今度のメンバーは個性派揃いみたいだぞこりゃぁ!
「あ、そうだ。ミントの好きなアイドルは誰なの?」
そう尋ねるなり、突然ミントは目を伏せた。
「……アイドルのことはあまり……」
「じゃぁ、どうしてポプリに?」
「……歌が好きなのと……」
「と?」
ミントはチラと私の方を見た。
「以前、ロゼさんのライブを見かけたことがあって……」
「えっ、そうなの!?」
「……楽しそうだな、と。思ったんです」
うむ、良い子! 良い子だ! お姉さん泣けてきちゃうよーっ!!!
お姉さんこれまで憧れられたことないからぁーっ! やってきてよかったよおかあさぁぁん!
「そう! やっぱりライブって楽しいよ。ミントも後悔はさせないから一緒に頑張ろうね!」
「は……はい……」
思わず私が手を握ると、彼女の口元がうっすらと微笑む。
クールなムッツリさんかと思ったけど、ちょっと奥手なだけかもしれない。そう思うと可愛さも上がるね。
うーむ。なかなか今度のメンバーは可愛い子揃ってるぞこりゃあ!
「あ、あの……」
もじもじとしながら困ったように腕を振るミントの表情で、私はいつの間にか彼女の手を思いっきり握りしめていた事に気づく。
ハッ、これじゃぁなんか、変態だよ。
「あぁーっごめんごめん。つい気合が入っちゃって」
「……いえ、大丈夫です……」
「と、とにかくね。今日から3人でがんばろーってことで!」
「はい」
「はーいっ!」
レモンちゃんの元気な声が気持ち良い。こういう妹みたいな子って大好き。
だから、ついつい頭撫でちゃうんだ。よしよし……めんこいめんこい。
「んじゃっ、ご飯も食べたことだし! ライブ本番の日に備えてちょっと練習でもしちゃおっか」
「センパイ、練習って今からですかーっ?」
ふっふっふ。そう言う声が出ると思っていたのだよ私は!
「ライブは小規模でマイナーからのスタート。基本一発勝負! だから、コンセプトとインパクトが大事なわけよ。
こう、一発でバシーッとね。お客さんの脳天をぶち割るくらい印象付けないと。まず知名度を上げてナンボよナンボ」
「はぁ……」
「ちょっと、二人ともこっち来てみて」
部屋の真ん中のテーブルを隅っこに追いやって、ちょうど8畳くらいのスペースが出来上がる。
私を中心に、レモンちゃんは左、ミントは右に立たせる。ま、三人組の基本位置はこんなもんでしょっ!
「大体ポジションはこんな感じ。ま、振り付けは各々やるとして、覚えといてね」
「はいっ」
「はい……」
聞き分けの良いメンバーに私は大きくうなづいた。
「……さて、ここからが問題。ポプリのコンセプトなんだけど、どうしよっか?」
「センパイっ、こんせぷとって何ですかっ?」
「どういうアイドルグループにするかってこと。レモンちゃんはねぇ、もっとこう萌え系を狙っていった方がいいかも」
「もえけーですかっ?」
「レモンちゃん童顔だし、アニメ声だし、もうそういうのがピタッとハマると思うな~!」
「そっ、そうですよねっ。私も、そういうキャラとか付けた方がいいなーって思ってたんです! がんばりますっ!」
目をキラキラさせ、握りこぶしまで作って、レモンちゃんは私を見上げた。
ホントにどこまで可愛いのこの子は。キャラなんか付けんでも、素のままで可愛いよ。よしよし……。
「……あの」
ミントのつぶやきに、私はハッと我に返った。まずまずい。これじゃぁロリコン趣味の女だよ。マズイよ、初っ端からそういうイメージ植えつけるのは!
レモンちゃんの可愛さに惑わされているせいか、ミントの表情まで私にヤキモチ焼いてるみたいに見えちゃうよ。アハハ……。
「えっと、ミントはね。レモンちゃんに合わせて、ツンデレ系で行こう。男の人の食いつきいいと思う」
「ツンデレ……ですか?」
「そうそう。“あ、アンタの為に歌うんじゃないんだからねっ!“からの“きょ、今日は特別だからねっ!”で行こう!」
「…………」
言い切った後の、ミントのこっちを見る冷めた表情が、私の気持ち悪いほどのテンションの高さをいやがおうにでも辱めてくれる。
だ、だって。だって、可愛い女の子好きなんだもん! それに、そういうことをしなきゃさ……。
「どうしても、やらないとダメなんでしょうか……」
俯きがちな不安そうな顔で、チラと私を上目遣いに見つめるミントに、私はしっかり一度だけ頷いた。
「出来るだけコンセプトは統一したいし、そういうのが一番ウケが良いんだよ。やっぱりホラ、お客さんは男の人が多いから」
「……わかりました……」
全然納得がいってないみたいだけど、これも芸能界の試練。ミントには悪いけど我慢してもらうしかない。
「センパイっ! こんせぷとを決めた次は何するんですかっ?」
「おぉっ、レモンちゃんなんか張り切ってるね。よーしっ、じゃぁちょっと歌の練習でもやっちゃおうか!」
「はーいっ!」
うーん。ここまで明暗がクッキリ分かれてると何かちょっと不安な感じもするけれどっ!
まだ出会って数時間。ゆっくり理解しあっていけばいいよね。
「ポプリ用の歌はまだ無いから、私の前のグループのでよかったら、デモテープと歌詞カードのコピーが……ちょっと待っててね」
そのまま私は部屋の隅に積み上げられた私の荷物がみっちり入ったダンボールの前に立つ。
……ど、どれに入れたっけ。う、うーん……。まっ、どうせ荷解きしなきゃいけないんだし、ついでよね。ついでついで!
──その頃。
「いっ、いや、だからっ……本当に大丈夫ですよ……っ……」
「でも、風邪はマンビョー?の元?とかって言葉があるじゃないですか」
「本当に大丈夫なんですってば……っ……」
そう言って嫌がるジュノの手を引っ張りながらシオンは自分の部屋のドアを開けた。
お茶会もほどほどの所で、彼女は物凄い熱(自分が原因とは気づかず)が出ているジュノのために、
風邪に効く『レモンのハチミツ漬け』を渡すという口実で、隊員らのいる部屋から引っ張り出したのだった。
「あの、僕、レモン苦手なんですよ……」
「ほんとにすぐ効くんですよー。ジュノさん学生さんなんだから長引いたら大変です」
「で、でもっ……」
「ジュノさんに、もしものことがあったら……私、辛いですからっ」
「なっ!?」
潤んだ瞳でシオンにそんな事を言われると、ジュノの体温は5度上昇した。
心臓もバクバクするし、なんだか足元もふら付く。確かにこれは相当な風邪だと彼は直感した。
ただでさえ、風邪気味だったところを『風邪など精神力で吹き飛ばす!』と称して、
夜明けまで延々と、屋上の冷たいコンクリートの上で腹筋をやり続けていただけに実際酷くなっていたのも事実だった。
「でででで……では、ちょっとだけ……お、お邪魔します……」
「どーぞどーぞ!」
緊張の面持ちで部屋に上がりこんだジュノは悶々としながらリビングに通され、そのままソファに座り込んだ。
ほんわかとした甘い花の匂いが彼の敏感な嗅覚を捉えた。芳香剤は見当たらない。つまりこれはシオンの香りということなのか。
そう思えてくると、このソファも、隣のミニテーブルも、スタンドライトも、このゴミ箱の中のティッシュペーパーも……
「(……おっ、俺は一体何を考えているのだ……! たかが女の部屋じゃないかっ! 俺は偉大なる革命戦士……!
戦いと使命こそが、お、俺の全てだっ! だからこそ、こんなものに惑わされん!惑わされんぞ日本人どもぉぉぉぉぉっ!!!)」
かぶりを振って、脳裏に浮かぶ妙な想像を打ち消すと、ジュノは握りこぶしを自分の膝に打ち下ろした。
「(そ、そうだ。この部屋には弟とかその連れなんかも住んでいるはずだっ……! ククク、俺がそこに気づかないと思ったか!
あの小生意気な不良のガキが二人……い、いや、待て……そんな奴らがあの女と共同生活をすると、それはやはり……
ハッ! 俺はまた何を考えているのだ……! 落ち着け。やはり風邪が俺の精神まで蝕んでいるようだ。落ち着け、落ちつっ……!)」
その時、ジュノの体の中で突如何か熱い物が弾けた感覚が走った。
それの破片は、瞬く間に体中に広がり、彼の肉体だけでなく、心まで覆い尽くし始めていた。
「……ごめんね、ジュノさん。今日ティオが買い物で留守だから~、ちょっと協力してね」
いつの間にか彼の背後に立っていたシオンの言葉が聞こえた時、既に彼は彼ではなくなっていた。
「……すみません」
突然ミントが手を挙げて、音楽を止める様に合図した。
デモテープの入ったラジカセの停止ボタンを押し、ロゼは彼女の言葉を待った。
だが、ミントの視線はロゼではなく、隣で楽譜を持つ腕をピンと伸ばし、まるで小学校の発表会の様な格好のレモンに向けられていた。
「……ちょっとあなた」
「ほぇっ…?」
楽譜を持つ手をそのままに、レモンはポカンと口を開けて彼女の顔を見上げた。
「練習でも、人前に出る為の大事な練習なの。ちゃんと真面目にやりなさいよ」
「えっ?」
怒気を含んだミントの言葉に、レモンは訳が判らないという面食らった顔で彼女の冷ややかな目を見つめていた。
「……練習だからって、ふざけないでちょうだい。ハッキリ言って不愉快なの」
「わ、私っ、ふざけてなんか…」
「ふざけてるじゃない!」
ようやく言い返したレモンの言葉に覆いかぶさって、ミントは恫喝とも言えるほどの激しさで怒鳴った。
次第に、レモンの小さな鼻がピクピクと震え、その大きな瞳に徐々に潮が満ちてきそうになると、
「ちょ、ちょっとミント、どうしたの。私、見てたけどレモンちゃんふざけてなんかいなかったよ?」
二人の間に割って入ったロゼが尋ねると、ミントは目を吊り上げたまま、楽譜に顔を埋めるレモンを指差した。
「この子が、真面目に歌わなかったんです。練習だからって、ずっとふざけて歌ってたんです!」
「レモンちゃん、そんなことしたの?」
「してないですっ。ちゃんと、真面目にっ、ぐすっ……」
顔にぴったりと楽譜を貼り付けたまま、レモンは激しく首を振った。
レモンの言うとおり、あんなに真面目な態度で歌っていたのはロゼも承知していた。
「そんな事ありません。現に今さっき、歌い方に抑揚も付けないし、音だって所々わざと外してたんです!」
「えっ、そ、それって……」
「私、こういう子とは、一緒にやりたくありません!」
ミントが人差し指をレモンに向けると、彼女はビクッと体を震わせ、とうとう瞳の噴水は溢れ始めてしまった。
しかし、ミントは先ほどまでとは人が変わったように、声を張り上げて、レモンに怒鳴り続けていた。
「そういう事をする子が、人前に出て、お客さんに歌を聞かせるなんて失礼にもほどがあるっ!
そういう態度でここにいてほしくないんですっ! そういう仕事を邪魔をするんだったら、出て行きなさいよ!」
「ま、待ってミント。ち、違う。違う!」
ミントの腕を引っ張ると、その勢いで二人はカーペットの上に倒れこんだ。
「ち、違うのよ、ミントっ」
ロゼはまだ起き上がろうとする彼女の肩を掴み、
「レモンちゃんは、歌い方がまだ素人なだけなのっ!」
「えっ?」
「レモンちゃん、まだボイトレもちょっとしかしてないし、そういうレッスンも大して受けてないからっ。
でも、でもね。アイドルっていうか、一般的に見たら、全然音痴じゃないし、ちょっと歌い方に変なクセがあるだけだからっ」
ロゼの言葉に、ミントは目を見開いて、レモンの方へ目を見やった。
レモンは楽譜をくしゃくしゃにしたまま、真っ赤に腫らした目を伏せて、鼻水を啜った。
「わ、私、そういう人の歌声、初めて聞いたので……」
「うんうん。勘違いしちゃったんだよね。でもさ、ミント、レモンちゃんにちゃんと謝ろ?」
「いいんですっ……!」
ミントが顔を上げようとしたよりも早く、レモンが叫んだ。
彼女はくしゃくしゃになった赤い顔で、真珠みたいな大粒の涙をぽろぽろと零していた。
「わ、わだすなんかっ、歌が下手なのに、アイドルになろうとしたのが間違いだったんですっ!」
「レモンちゃん、そんなことない。そんなことないよっ!」
「い、田舎っ、けえりますからっ、も、もう辞めますからっ、あ、ありがどごぜえますただぁぁっ。うわぁぁぁぁぁぁん!」
「ちょ、ちょっと待って!」
レモンは楽譜を握ったまま、大きな声で泣き叫びながら部屋を飛び出して行った。
そのまま、玄関を飛び出して行った後も、外からは彼女の大きな泣き声が部屋の中に聞こえた。
「ミント、と、とりあえず一緒に来て。レモンちゃん連れ戻さないと!」
ロゼがミントの手を取って駆け出そうとしたその時、レモンの鳴き声が突然途切れた。
そして、それと入れ替わりに聞こえてきたのは、レモンの悲鳴であった。
ロゼとミントが外へ飛び出すと、レモンが宙に浮かんでいた。
いや、正しく言えば、飛んでいる何者かに抱きかかえられていたといった方が正しかった。
「うわぁぁぁぁぁん! 誰かたすけてくんろぉぉぉぉっ!」
「レモンちゃん!」
身を乗り出そうとするが、手すり壁の向こうは地面から数十メートル差の空間。
いきなりの不可解な出来事を前に、二人は泣き叫ぶレモンを見ることしか出来なくなっていた。
「どうかしたんですかっ!」
そんな時、左奥の部屋の扉が開き、中からわらわらと少年少女が飛び出し、こちらへ駆け寄ってきた。
ロゼは上手く言葉に出来ず、レモンの方を指差した。彼らのうち青色の少年が『またあのマークが!』と声をあげた。
レモンを抱えたまま、漆黒の翼を羽ばたかせている者を見た。そいつの額には、コウモリマークが見えた。
「あなたは一体何をするつもりですかっ!」
飛行するそれはニヤリと笑みを浮かべ、両手持ちから、レモンの上半身を右腕だけで抱え、その姿がハッキリした。
頭のてっぺんからつま先まで全身黒タイツ。頭の上や尻尾には細長い矢印がはえ、まるで絵本のバイキンみたいな姿であった。
「ククク……俺の名はデビルビールス。軟弱な人間どもに俺が風邪のビールスをうつしてやるのだっ!」
「ビールスってまたボキャブラリー古いなっ!」
橙色の少年が突っ込んだが、ロゼは今はそういう場合じゃないだろと言いたげに冷ややかな視線で彼を見やった。
「黙れ黙れっ!……まずはこの女にビールスをうつしてやろうと思ったが、もう許さん。お前らまとめて悪魔風邪にしてやる!」
「短気にもほどがあるでしょう!」
「黙れ黙れーっ!! 黙らんとこの女がどうなってもいいのかっ!」
ビールスが抱えたレモンの体を揺さぶり出した。彼女はまた火がついたように泣き出し、危険な状況であった。
「ちょ、ちょっと警察を呼んでください!」
側にいた青色の少年にしがみつくと、彼は「大丈夫っす!」と答え、どこからか赤いリボンのかかった真っ白な箱を取り出した。
「これで、ちょちょいとやっつけちゃうっすから」
「ふざけるのもいい加減にしてください!」
青い少年に向かって、ミントは大きな声で怒鳴った。
「今はどういう状況かわかってるんですか。プレゼント交換してる様な暇はないんです!」
「えっ、い、いやだからこれはOFFレンボックスと言って……」
「言い訳は結構!」
ミントは苛立ちながら少年から箱をぶんどると、そのまま呆然としている彼に平手打ちをかました。
ロゼや、後ろの少年があっ!と声を挙げた時には、既に彼の左頬には真っ赤なモミジ模様が出来上がっていた。
「ちょっと、アンタ何してんのよ!」
奥から白い少女が出てきて、ミントを睨み付けた。
対するミントも彼女の顔キッと睨み返し、しばらく火花が散ると、青の少年が慌てて少女の肩に触れ、
「ホワイト大丈夫っすから。ホワイトのいつものより、全然痛くなかったっすから」
「あァン? アンタ、もう片方もシバかれたいわけ?」
「えっ、い、いや、そういうわけでは……」
「だあああああっ!!! 俺を無視するなぁぁぁぁぁっ!!!!」
その時、ビールスは顔を真っ赤にして手を振り上げていた。よほど怒りっぽい性格であるらしい。
しかし、それと同時に、彼は怒ると周りが見えなくなる癖があるらしく、レモンを抱えていた右腕まで、一緒に振り上げてしまったのだった。
「キャーーーッ!」
気づいた時には、レモンの体はアスファルトに向かって落ちていた。
少年達の一斉に息を呑む声。そしてそれとほぼ同時に、
「レモンちゃん!」
ロゼは手すり壁から、身を乗り出していた。
そして、それは地面から両足が浮き、彼女の体はそのまま手すりの向こうへとずり落ちようとしていた。
「危ない!」
ロ手すりの下へ落ちてゆこうとするロゼの足へ、ミントが駆け寄る。
そのまま彼女の足先を追うように、彼女の体も手すりの向こうへと落ちてゆく。少年達が急いで駆け寄る。
しかし、一番先にたどり着いた青い少年が伸ばした手の、数センチ先に、ミントの足は既に進んでいた……。
──もうダメだ! ロゼがそう直感した時、視界を真っ白な白煙が覆った。
そのまま、彼女の体にかかっていた重力が、逆の方向へ働き出し、彼女の体は宙に浮かんだ。
まさかこんなに早く天国に来ちゃったのだろうか。そんな事を考えていると、
「ロゼセンパイっ!」
彼女が振り返ると、そこにはレモンイエローのフリフリ衣裳を着たレモンの姿があった。
その隣には、同じ様にライトブルーのアイドル然とした衣裳のミントが立っていた。
見れば、自分もいつの間にかピンクの衣裳を身に纏い、さらに耳元にもインカムが装着されていた。
「これって……」
「なっ、なんだキサマらはぁぁぁっ!!」
聞き覚えのある声にハッと顔を上げると、自分達の上空にあの黒タイツ野郎がいることにロゼは気づいた。
そのまま三人の体は上昇し、ビールスと、そして目が点になった少年少女達のいる7階にまでやってきたのだった。
「えぇいっ! よくわからんが、まずはキサマから悪魔風邪にしてやるっ!」
ビールスは大きく胸を膨らませると、そのまま紫色の息を吹き出した。
明らかに体に悪そうなその気体が、物凄い勢いでロゼ達に向かってくると、
「キャーーーーッ!」
レモンが頭を抑えながら叫んだその悲鳴、それが突然黄色の音符に変化した。
音符は紫の息にぶつかると破裂して、ビールスが大量に吐き出した紫の空気を消滅させた。
「なっ、なにっ!?」
謎の音符攻撃による悪魔風邪菌の消滅に、ビールスが怯んだ。
そんな一部始終を見ていたロゼは、ハッとこれが意味する事に気が付いた。
「歌よ歌!」
「歌?」
「なんだかよくわかんないけど、私達の歌声を音符にして、アイツをやっつけるのよ!」
「なるほどっ! さすがロゼセンパイっ」
「……ちょっと待ってください。私は全然理解が追いつかなくて……」
飲み込みの早いレモンと、まだ混乱しているらしいミント、それぞれの肩をロゼは叩いた。
「とにかく、やってみるっきゃない!」
その言葉に、レモンもミントもうなづいた。とにかく、やるっきゃない。目の前の事を、精一杯。
ロゼは大きく深呼吸して、前を見据え、口を開けた
「パウダースノーのときめきをー♪ あなーたーにあげるよー♪」
よく通る澄んだ歌声が、ピンク色の音符となってビールスに向かって飛んでいく。
その歌は、ロゼが3ヶ月前まで所属していたパウダースノーのオリジナル曲『パウダースノーのときめき』。
そしてそれは、先ほどまで、三人で練習曲にしていた歌だった。
「雪の窓にー描いた模様はー♪ 私の心を映したようにー♪」
ミントの力強い歌声が青い音符となり、ロゼの音符に続く。
「いっ、いまはまだぁー♪ つたないけれどぉーっ♪」
レモンの高く可愛らしい歌声が、二人の音符と混じって飛んでいく。
それはビールスの周りを囲み、その速さも徐々に早くなってゆく。
「なっ、なんだ、これはっ!」
音符はだんだんその数を増し、音符の輪は中心にいる彼に向かってゆっくりと収縮し始める。
「「「いつかあなーたーにー、届きますようにー♪」」」
そして、遂に音符の輪は彼の体に密着した。無数の音符が次々に破裂し、その光がビールスの全身を覆う。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
何か黒いオーラが彼の体から飛び出した瞬間、音符達は一斉に破裂し、耳障りの良い音階と共に、空へと消えていった。
ロゼ達は、光と共にゆっくりと下に沈んでゆくサングラスやニット棒で黒ずくめな少年を見つながら、ホッと息をついた。
「ミントも、レモンちゃんも、初めてだったけど、なんとか歌え……」
突如、わーっと下から歓声と、拍手があがった。
見ると、真下の駐車場や、フェンスの向こうの通行人、道路を挟んだ向こう側の人達がこちらに向かって拍手をしてくれていた。
3人とも、最初は彼らが何をしているのかわからなかったが、しばらくして、ようやくそれが自分達に向けられている物だと気づいた。
「…………」
ロゼはそんな人々を見ながら、何か胸の奥がざわざわとした。
これまでのライブでの歓声とも、拍手とも、声援とも違う何かが、今ここにはあるような気がした。
「あ、あのー……」
背後からの声に、ロゼはハッとして振り向いた。
宙に浮かんだ自分達の向こうに、少年少女達がこっちを呆然と見つめて立っている。
「あなた方は、一体どなたですか……?」
緑の少年の言葉に、ロゼは両隣のレモンやミントと顔を見合わせると、クスッと微笑んだ。
「「「初めまして。私たちアイドルグループ“ポプリ”です!」」」

みなさんこんにちは♪ヽ(^∀^)ノ♪
“あなたの心にふわり☆”『パウダースノー』のミカ改め、『ポプリ』のロゼです!
今日から、このブログも“パウダースノーのふわりふわふわ”改め、
“ポプリの小瓶”として新たにファンの皆さんに私達の情報をお伝えしたいなと思います(>ω<)
涙ナミダの解散ライブから、はや三ヶ月。コメントじゃ引退説なんかが出てるようですが(ォィ)、
ようやく、またまた皆さんに私の歌を届ける事ができるようになりました!
今度のメンバーは、パウダースノーのユナちゃんとリンちゃんが大学進学で卒業してしまったので……
はい、また新しい子達と組みま~す(´▽`;) てへ
どっちも10代だよーorz ごめんね。お姉さん、お年が“にじゅうごにょごにょ歳”でごめんねOTZ
でも、若さとフレッシュさでは負けないぜっ!(*´∀`*) 目指せ永遠の17歳!
というわけで(?)、メンバーの二人は、自己紹介も兼ねて今後ブログを投稿すると思うので、
是非みなさん要チェケラッ☆ですよ~←
まだライブの日程や、細かい活動内容などは未定となっているんですけど、
その辺の事が決まり次第、随時ここでお知らせしますね♪
他の二人の記事も是非よろしくでーす♪ (・ω・)ノ
Rose.
下書きの終わったブログ記事を見ながら、なんとなく私はまだ何か書き足りない気分だった。
今日の事を思い返していると、なんだか、私にとって大切だったはずの何かを、忘れてたみたいで。
つい携帯のキーを打つ手がひとりでに動いて……
私、今度のポプリに賭けてます!
だから精一杯、悔いの無いように、歌います!
最後にそう付け加えた後、私の親指は投稿ボタンを押した。
その後、なんだか照れくさくなって、枕元のクッションに顔を埋めた。
「……らしくないね、順子ちゃん。今更こういうこと書いちゃさぁ~……」
でも良いんだ。良いんだ。こういうのも。
だって、最後なんだもん。もうこれで。決めたんだもんね。
だから良いんだ。これで!
「んだんだ。みんな良い人だぁ。だからばっちゃも安心してくんろよぉ……」
『ほうかいほうかい。んだどもええか。すかげな人に声かけられても、絶対ついていっちゃあかんど。山ン中連れてかれて、叩き殺されっけんな』
「んなもんわかってっぺよぉ。わだす、オコベでねえべ」
約束して電話をかけると、ばっちゃんはやっぱり私のこと心配してたんだ。
泣いてへんなんて言っちょるけんど、私にはわかるんだ。
「正月と盆にはちゃんとけえるだがやー……ほじゃから心配せんでよかとよぉ……」
『ほうかほうか……ほんなら婆ちゃんもう切るだでな。風邪引かんようにな、そちらさんに迷惑かけるんでねぇど』
「わかっとるよ。ばっちゃん、おやすみな。また手紙さ書くけんね」
携帯のボタンを押すと、なんだか我慢してた寂しい気持ちが溢れてきそうになったけど、
でも、ここは田舎じゃないから。夢の一歩を踏み出す場所だから。泣いてちゃダメだダメだ!
ロゼセンパイはいい人だし、ミントセンパイはちょっと怖いヒトだけど、私みたいな甘ちゃんを厳しく叱ってくれるし、多分良い人だ。
よーし。深呼吸して……ブログ投稿しておかなくっちゃ。私は携帯を開いて、書きかけのブログのメモを開く。
みなさんっ
こんにちわー(*>ω<*)!!!
ポプリのメンバーになったレモンですっ(・▽・)!
レモン大好きです! みなさんはどんなレモンが好きですかっ(?ω?)?
これからよろしくだれもん!ヽ(・ω・)ノ
また次のブログ書きますねっ!(^▽^)
よかったら次のも見てくださいね!(・v・)
次はレモンの自己紹介をしちゃいますよ(・o・)!!
質問があったら遠慮なくコメントくださいっ!(^o^)
それでは、せーのっ。
ばいれもぉーん(・ω・)ノシ
こんなんでいいかな……? 可愛く書けてるかなぁ……?
これくらいしなきゃ、私みたいな田舎っぺは、人気出ないよね……。
センパイも言ってたし、キャラが大事だよね。キャラが。
歌も下手だし、踊りも下手だし、ダメダメだからなぁ……。
でも、ばっちゃんと約束したし。頑張るんだ。
投稿ボタンを押して、コメントを待つ。そんなに早くはこないかな……。
もう夜中だしなーっ。今日はもう遅いから、明日の朝くらいにコメントくるかな?
レモンちゃんのブログ可愛いねって言ってもらえたら嬉しいなーっ。
翌朝。目覚めはとてもよかった。朝起きたとき、側に誰かいるって、とても素敵な事だ。
朝ごはんを早々と終えると、ロゼさんはレモンと買い物に出かける旨を私に伝えた。
「よかったらミントも来る?」
「……いえ、留守番しています」
まだ荷物の整理なんかがあったし、日用品は既に買い揃えてあったから、私は誘いを断った。
行きたい気持ちはやまやまだったが、なんとなく、あの小学生じみた16歳に引っ張りまわされることになりそうで、嫌な気がしたのも事実だ。
「あっ、そうだ。ミントはブログもう投稿した? マネージャーさんから早めにやっとくように言われたんだけど」
「はい……今朝方、投稿しておきました」
「そう? OKOK! じゃぁ、いってくるね」
「はい……いってらっしゃい」
ロゼさん達を見送って、私は自分の部屋に向かった。
一人になって、ようやく私は今のこの夢見た世界を手に入れた事を実感しつつあった。
匂いが、光が、音が、色が、時間が、未来が、何もかも眩しく見えた。
ブログ「ポプリの小瓶」をご覧の皆さん、こんにちは、そして初めまして。
このたび、アイドルグループ『ポプリ』のメンバーとして所属することになりました、ミントです。
私はアイドル活動はまったく未経験で、これからポプリとして活動していく中、多少の不安もありますが
歌を通してファンの方々と喜怒哀楽を共有するという活動は、とても意義のある事だと思いますし、
今から楽しみである事も事実です。未熟者ですが、精一杯頑張りますので、応援よろしくお願いします。
部屋はそれぞれのメンバーごとに割り当てられていた。家賃の割りに部屋数も多いし、坪数も広い。
少し妙な気分がしないでもないけれど、そんな事、今の私にはどうでも良いこと。
左に3つ並んだそれぞれの部屋のドア。
手前が、レモンの部屋、真ん中はロゼさん。一番奥が私の部屋。
最初のドアを通り過ぎ、2つ目のドアの所で私の鼓動が一瞬跳ねた。
足を止め、私はその扉を開けた。まだほとんど荷解きの終わっていない部屋。
開けられたダンボール箱から見えるのは、ぎっしり詰め込まれたCDやDVDのケース。
綺麗に整えられた、ベッドの掛け布団、枕元の小さなハート型のクッション、
机の上のブラシ、立て鏡、リップクリーム、化粧ポーチ、爪きり、ヘアピン。
「…………」
私は伸ばそうとした手をふと、止めた。
そんな事をする勇気なんて、私には初めからないのだ。
引っ込めた手を胸元に戻したまま、私はふと真っ白な壁に貼られた物に目をやった。
少し色あせた、宣材用のポスター。あの人が一人で微笑んでいる姿がそこにあった。
下部に『新ユニット、フルーツバスケット』の文字。いつの物かわからないが、あの人は今とほとんど変わらない。
これだけですと少し堅苦しいと思うので、最後に少しだけ。
私は歌が、大好きです。
ずっと、こうなることを夢見ていました。
そのために、努力してきました。だから、私は絶対半端な態度で臨みません
──綺麗だな。
頭のどこかでそんな声が聞こえた気がした。
本当に、眩しいくらいの笑顔が、このポスターを見る者に向かって弾けている。
──ロゼさんって、どうしてこんな……
私は吸い寄せられるように、そのポスターに歩み寄った。
澄んだ瞳、美しい毛並み。小さく可愛らしい鼻……。
色んな人に、私の歌を、私の気持ちを伝えていきたい。
幸せな人、寂しい人、不幸な人、孤独な人、努力する人、そして、
鼓動が激しく脈打った。
──私は……
こんなに近くに、あの人が。
──嗚呼、やっぱり、私は……
秘密で良い。秘密のままで良い。
だから、今この瞬間だけ、私だけの秘密を、そっと記しておきたい。
──やっぱり、私は……
私の、大切な人の、ために。
そのために、ここへ、来ました
つま先を少し持ち上げて、私はそこに、秘密を記した。
彼女の唇に、私の秘密をそっと重ね合わせた。
それは、とても、微かで、大きな秘密だった。
これが精一杯。これ以上は決して望まない。
私はそこまで自分勝手な人間じゃない。
だから、ここに記すんだ。
このままでいい。
秘密は明かしちゃいけない。
だって私は、
世界中の誰よりも私は、
ロゼさんが
好きなのだから。
