第125話

『モンスター・ナイト』

(挿絵:パープル隊員)

「……?」

エコは首をかしげて、階数パネルの前に立つ少年を見つめていた。
ティオから頼まれた買い物の帰り際、ギリギリの所で駆け込んだエレベーターの中にその姿はあった。

「……何階でしょうか?」
「あっ、な、7階です」

エコの返事に、その少年は表情ひとつ変えないまま、すっと伸ばした人差し指で『7』のボタンを押す。
ゆっくりとエレベーターが上昇する間も、エコはパネルの方を向いたまま微動だにしない少年の横顔をじっと窺っていた。

「(どこかで……会ったことあるような……ないような……)」

エコは一目彼の姿を見た瞬間から、ずっとそんな気分が胸のあたりをくすぐっていた。
しかし、いくら考えてもこの乗り合わせた少年の記憶は出てこない。住人ではないはずだし、テレビで見た覚えもない。
それでも、何か少年に向かって話しかけられそうな、そんな言葉がエコの喉まで出かかっている。だが、結局出てこない。

「(……でもこの人……悪のエナジーの匂いがするなぁ……)」

そうこうしていると、いつの間にかエコの意識は、少年が誰かという所から、少年の持つ悪の匂いに移りはじめた。
小さな鼻をヒクヒクさせて嗅いでみる。まだハッキリはしていないが、その奥にはどろりとした甘ったるい“悪の香り”が確かにあった。

「(この人、結構悪い人なのかなぁ……)」

再びエコは少年の顔を見上げた。彼の表情には相変わらず感情は無い。
すると、ゆっくりとその顔に光が射す。……エレベーターは目的の階に着いていた。

ドアが完全に開くと、さっさとその少年は廊下を歩き出す。エコも慌ててその後を追いかける。
少年は廊下をまっすぐ突き進み、その先にはエコ達の住む708号室のドアが待ち構えている。

「(あっ、もしかしてティオさまの知り合いかなー? じゃぁやっぱりあの人も悪魔……?)」

同じ悪魔だったら安心だと、エコが走り寄ろうとすると、突然少年はぴたりと足を止めた。エコも足を止める。
すると、そのまま少年は綺麗に90度左に向きを変え、708号室ではなく、隣の707号室のドアをじっと見つめた。
そのまま彼は鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。鍵を捻り、開錠し、鍵をしまう。全て機械の様に整った動作でそれらを行うと、

「……失礼いたします」

少年はそう呟くなり、ゆっくりとドアを開いて中へと入っていった。
一連の様子を目をパチパチさせながら見ていたエコは、ふーっとため息をつく。

「なーんだ。やっぱり人間かぁ……」

エコは、あの少年が知り合いじゃなかったことが何故か無性に残念に思えてならなかった。




















「ティオさまー。ただいま帰りましたー」

帰宅したエコがリビングにやってくると、留守番していたティオは電話の最中だった。
額に滲む汗の量から見て、エコはその相手がシオンであることに瞬時に気がついた。

「掃除……? ちゃんと、したよ……う、うん……わ、わかってるよ……」

シオンは昨日から仕事で家を留守にしているのだが、鬼の居ぬ間の洗濯とは、なかなか行かないのが現実だった。
なにせ、出発の前にティオは姉から2つの重大な命令を下されていたのである。
まず一つは、家事をサボらず、隅々まで綺麗にしておくこと。そして二つ目は……

「ほ、ほんとだよ……! い、今から悪のエナジー集めに、行こうかな、って……」

“姉が帰ってくるまでに悪のエナジーをメーターの半分以上集めること”これが最も重要かつ、恐ろしい命令だった。
これまで集めたエナジーなど微々たるもの。それを姉が帰ってくる明日の朝までに目盛りの半分以上集めろというのだからあまりにも無茶な命令だ。
それもこれも「アタシの世話しない分、たっぷり時間取れるでしょ?」という姉の無茶な理屈から発生しているのだからどうしようもない。

「そ、それはわかんないけど……で、でも、ボク、一応がんばってみるから……。あ、ご、ごめんなさい、ちゃんと、がんばります……!」

情けないサラリーマンのように、壁に向かってペコペコ頭を下げるティオにエコは胸が締め付けられる思いがした。
いずれ魔界の王となる人物がこうも哀れな境遇に置かれているのを見ると、お目付け役としてはなんとかしたいとつくづく思う。

「……き、切られた……」

不通音の流れる受話器を置くと、ティオは世界で一番悲しげなため息をついた。
エナジーが集められないと、姉からのとてつもないお仕置きが待っている。しかも現時点でほぼお仕置き確実。もう1ミリの意欲さえ沸いて来ない。

「ティオさま、元気出してください! お、オレ、ティオさまに言われたごま油買って来ましたよ、あとパセリと、えぇと、粉チーズと……」
「う、うん……ありがとうエコ……」

エコの健気な気遣いに、ティオは心の底から感謝の言葉を述べた。エコがいるおかげで少しは不安と恐怖も紛れる。
怯えていても仕方が無い、やるだけやってみれば姉も多少は手加減してくれるかもしれない。ティオは少しだけ元気を取り戻し、ソファの上に腰を下ろした。
テーブルの上ではエコが買ってきた品物を一通り並べていた。と、それらに混じっている四つ折りにされたチラシがティオの目に留まった。

「あれ、こ、これは……?」
「あっ、それは帰り道でもらったんです。なんか今日お祭りやるそうですよー。公園の方でも何か準備してました」
「ふーん……」

チラシを手に取り開いてみると、そこには黒いバックにオレンジの文字で『第1回 大ハロウィンパレード!』と書かれていた。

「なぁ、はろうぃんって何だ?」

突如耳元で聞こえてきた謎の声に恐怖し、ティオは「わぁぁー」と情けない声を上げてソファから滑り落ちた。
しばらくして、お尻にじわじわと痛みがやってきた頃、小馬鹿にした様な笑みを浮かべてこちらを見下ろす従兄弟の顔が視界の中に現れる。

「おいおい、さすがにビビりすぎだろ~?」
「か、カルマ……! 」

蛇の様に釣りあがった真っ赤な瞳いっぱいに侮蔑の色を明らかにした従兄弟、カルマに腕を掴まれて、ティオはソファの上に引き上げられる。

「別に驚くほどのことでもねーだろ? 人間界に残るってお前に言ってたじゃねーかよ」
「そ、そう、だけど……」

魔界に帰らず、人間界に留まる宣言をしてから早数ヶ月ぶりの再会。嫌な嫌な嫌な魔界の従兄弟。
間違いなく正真正銘の本物……。最低最悪の来客に、ティオの顔からは血の気が引き、足がガクガク震えた。

「しっかりしろよ。お前さ、俺としてもこんなのが親戚じゃ、あまりにも情けなくなってくるだろ」
「そ、それよりカルマ、いったどこから……」
「あぁ、ベランダの窓が開いていたからな」

まだ小さな心臓がバクバクいっている傍で、なんでもないといった風にカルマは答えた。

「で……この“はろうぃん”って奴は一体何なんだ?」
「に、人間のお祭りだって……」

拾い上げたチラシを怪訝そうに見つめるカルマに、ティオがおずおずと答えると、

「人間が魔物の格好をして街を歩くそうですよ。後で行ってみませんかー?」

続けざまにそう言ってエコがテーブルに身を乗り出した。既に彼はお菓子をたくさん貰っているかのように満面の笑みを浮かべている。
だが、カルマはいつものような小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、机の上にチラシを放り投げた。

「……馬鹿馬鹿しい。俺はそんなくだらん祭りに参加するためにわざわざ来たわけじゃない」
「そんなぁ、カルマさまも行きましょうよー」

眉を八の字にして、さも悲しげにエコが訴えるが、カルマは既に祭りの興味を一切失っていた。
彼の興味は最初から別なとこにあったらしく、急にそわそわし始めると、

「……ところで、シオン姉様はまだお帰りになっていないのか?」
「えっ……ね、ねーさまは、明日の朝まで……帰らない、けど……」
「ハァ!? じゃぁ俺がわざわざ来た意味がないじゃねーか!」

そう答えるなり、カルマの形相は一瞬で険しくなり、ティオは一瞬にして蛇に睨まれたカエル状態。
おまけに腹立たしそうに肩の辺りを小突かれ、ティオは体の震えが止まらなくなってくる。

「そ、そんなこと……言われ、たって……いないんじゃ、仕方、ない、よ……」
「……それもそうだな」

ティオの返答に、カルマはあっさりと納得した。

「父様も“想定外の自体が起こった際の対処にこそ一流悪魔としての真価が問われる”とおっしゃっているし、
むしろシオン姉様を物にするために準備する時間がたっぷりできたと考えれば、それほど悪い状況というわけでもない……」

口元を緩めるカルマの姿を見て、ティオは「まだ諦めてないのか……」と内心呆れていた。
姉の外面は確かに弟から見ても感心するほど出来た女性に見える。だが実際はとんでもない暴君だし、恐らく年下は興味ないだろう。
そんなこととは露知らず、姉へのアプローチを続けようとするカルマがなんだか哀れで……ちょっぴり、ざまーみろと思ったりもする。

「……おい、お前俺のことざまーみろとか思ってんじゃねーだろうなぁ?」

悪魔級に勘の良いカルマの一言に、ティオはすぐさま脳内の感情を打ち消し、慌てて頭を振った。
表に出さないように眉一つすら動かしていないというのに、この鋭さはもはや才能の域だ。

「それより、カルマさまー。シオンさまのための準備って、何するんですかー?」

胸倉を掴まれかけた所で、ティオに助け舟を出したのはエコだった。普段はぼけーっとしていても、こういう機転はさすが使い魔。
カルマはすぐさまティオから手を離し、腕組みをしながらニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「フフ、よく聞いてくれた。一流の悪魔に限らず、男というものの度量を示す指針は何だと思う?」
「ど……どりょーってなんですかぁ?」
「ったく、学の無い奴だな……要は贈り物だ贈り物。シオン姉様に相応しい物をこの俺が贈ってさしあげるということだ。
男というものは、どれだけの物を手に入れられる力を持っているかですべてが決まるからな」
「プレゼントですかー! シオンさますっごく喜ぶと思いますよ、カルマさまー!」

フンと鼻で笑って「当然だ」といった風にカルマは胸を張る。
大げさにいっているが、そんなこと誰でも思いつく様なことだとティオは思っ……思いかけたが辞めておいた。

「そういうわけだ、ティオ。シオン姉様が欲しがっているもの何か知らないか?」
「えっ……ねーさまの、欲しい物……?」

突然言われても、姉が欲しがる物などティオには何も思いつかなかった。
あれしろこれしろとは常日頃言われているが、あれが欲しいこれが欲しいと言われたことは滅多に無い。
もともとお金には困ってないし、仕事関係で男から服もカバンも化粧品も贈られ続けているのだから、今更そういう物に喜んだりしないだろう。

「う……うーん……」
「ったく使えねーなぁ! もっと日頃からシオン姉様のこと見とけよ!」
「そ、そんなこと言われたって……」
「どうすりゃいいんだよ、シオン姉様に相応しい贈り物がないことにはどうしようも無いんだぜ?」
「あ、ご、ご馳走用意しておくとか……」
「バカかお前、ふざけてんじゃねーぞ」

ぐっと蛇の目に睨み付けられ、ティオは思わず目を伏せる。こういう時に、またエコに助け舟を出してもらおうとするが、
我が使い魔は腕組みをして真剣に贈り物を何にするか考えているようで、主人のピンチにまったく気づいていない様子だった。
な、何か良い物はないか、小刻みに揺れる瞳が部屋中を探りだす。天井、テレビ、カーペット、壁の時計、テーブル、チラシ……

「そ、そうだ、は、は、ハワイはどう!?」
「はぁ?」

怪訝な顔の蛇から開放された隙に、ティオは慌てて、テーブルの上に置かれたままのハロウィンのチラシを手に取ると、
カルマに見えるように、下部に書かれた『ハロウィン仮装コンテスト!』の文字を指差した。

「ほら、ここ、優勝商品に、ハ、ハワイ旅行ペアご招待って書いてあるでしょ! ね、ねーさま旅行好きだし……!」
「で、そのはわいっつーのは何だ?」
「オレ知ってますよー!」

エコが右手を高く上げながら口を挟んだ。

「なんかあったかくて、海があって、美味しい物とか楽しい事がいっぱいある島です!」
「要はリゾート地って奴だな。ちょっとそれよこせ」

カルマはティオの手からチラシを奪い取るなり、さきほどの様子が嘘のように真剣な眼差しで内容に目を通した。

「……最も優れた魔物の仮装をした者を決めるコンテスト……なわけか」

読み進めていくうち、彼の表情はどんどん邪悪さを帯びて行った。何か良からぬことを企んでいる顔だと誰が見ても判る。
徐々にその口からは徐々に笑みが漏れ、もう間もなく高らかと勝利を確信した笑い声を上げるのが容易に想像できる。

「シオン姉様に俺がいかに優れた悪魔か人間どもに証明させ、シオン姉様と二人で過ごせるチャンスだ。やはり俺は運がいいぞ! はーはははは!」

大口をあげて一人盛り上がっている従兄弟の傍で、ティオは下手に巻き込まれないよう、誰に言うでもなく呟いた。

「ぼ、ボクは悪のエナジー集めしなきゃいけないから、ひ、一人で、がんばろーっと……」



















「ちょっとちょっと! 皆さんそんなザマで本当にコンテストで優勝できると思ってるんですかァーーッ!!!」

その頃、隣の707号室ではグリーンが激しく手を叩いて隊員たちを叱り飛ばしていた。

「はいはい! もっと腹の底から声を出して! 感情込めて! 指の先まで意識を集中させてくださいよ! あと、目を血走らせて!」

指示を飛ばすグリーンの前には、西洋らしき墓場の絵が書かれたダンボール製のカキワリと、かぼちゃ。
それらを背景に、ゾンビの格好をした男子隊員たちと魔女の格好をした女子隊員たちがピンクを取り囲んで呻いている。
だが、一ヶ月前からこの劇のために練習に練習を重ねてきた隊員たちは、疲労感を露にしながら、だんだんと声も小さくなり、だるさばかりが目立っていく。

「ちょっとゾンビ! かったるそうな顔とけだるい顔は全く違うんですよ! メリハリをつけてくださいメリハリを!」

丸めた台本を振り上げて、監督の激と唾が飛ぶ。何度も声を張り上げているせいか、さすがにグリーンの少年ボイスも若干かすれ気味だ。

「あ、あのぉ……」

ブルーがおずおずと手を上げる。いつもの彼とは違い、その頭上には深く斧が刺さり、顔面は真っ赤に染まっていた。

「そこまで、根詰めなくてやんなくてもいいんじゃないっすかねぇ? もうここ数日、朝っぱらから同じことを何度も何度も……」
「甘ぁぁーーーーいッ! 私を糖尿病にする気ですかってくらい激甘ですよブルーーー!」
「いやでも、たかが市の主催するイベントじゃないっすか」
「た、たかが!? あなたまったく私の考えをわかっていないようですね!」

監督はそういうなり、怪物達の輪に入るとパチンと指を鳴らすと、たちまち部屋の中にマイケルジャクソンの「スリラー」が流れ始めた。

「いいですか! ゾンビ出てきーの、魔女出てきーの、私とピンク襲われるからの、なんやかんやあって、最後はみんなでスリラーを踊る! このド定番! 少年少女がマイケルのパロディを頑張って踊るという、素人審査員やマスコミが好きそうなベッタベタなコンセプト! だからこそ真剣にやる必要があるんです! 何よりもそういうコンテストなんぞを開いてみようなんて考える輩が求めているのは、真剣に取り組んでいる姿勢! 最早これ以外何も求めていないと言ってもいいでしょう! ハロウィンなんてまだまだ参加人口が少ないイベントです。もうあからさまなまでに子供をダシにしたお遊戯をするファミリー陣が集まってお茶を濁すのがオチ! ……そんな中に、こんなくだらないイベントに真剣に取り組む少年少女たちが現れます! はい、みなさん、踊って踊って!」

グリーンの声に、ゾンビと魔女はもう何百回も踊らされてきたた左右交互に両腕を振り上げるダンスを始める。

「さぁ、どうでしょう。審査員はきっと思いますね。何て茶番! こんなくだらないイベントに真剣に取り組むなんて……! 彼らは我々を小馬鹿にするところでしょう! しかし、我々の真剣さは小石を投げた水面に現れる波紋の如く、審査員に、観客に、マイケルの歌声に乗せて伝ってゆくのです! これぞ純粋と言わずして何というか! 最近の若者も捨てたもんじゃない! これからの日本を担う若き少年少女の理想とする姿が確かに今ここにある! 心が動きます! もう感動で胸がいっぱいです! ちびっこは思います。ぼくも一緒に踊りたい! ヤンキーの兄ちゃんも思いますよ~! 何だかわかんねぇけどすげーかっけぇぱねぇ、と! 感動と興奮は会場を巻き込んで、 徐々に広がり、街全体を覆い、そして日本、果ては全世界にまで広がり、まさに世界が一つになる瞬間を味あわせるのです! We are the World! We are the children! 極限にまで増大したエントロピーは留まるところを知りません! もう宇宙の果てにまでそれは届いていきます、そして、はい、皆さんハケてハケて!」

曲も終盤に差し掛かり、怪物達はグリーンたちからゆっくりと離れ、そのままダンスをしつつ退場してゆく。
そのまま曲が終わると、ごそごそとピンクが腰のあたりを探り始め、

「あっ、財布がない! も、もしかして今のは………“スリだー!?”」
「はい、出ましたね。出ましたよ。この“恥ずかしいまでにくだらないオチを真剣にやってる若者”という構図! ファミリーとシニア層からの好感度もいだたきです! いやぁ素晴らしい。寸分の狂いもなく緻密な計算で作り上げられた腕時計みたいに完璧じゃありませんか! 優勝商品のハワイ旅行も余裕シャクシャクで我々がイタダキですね!」

満足といった風に監督はガッツポーズをする。何がそこまで満足出来る要素があるのか。彼自身の他、誰にもわからない。

「そこまでしてハワイに行かなくても良いのに……」

すっかり呆れ顔のゾンビオレンジが呟くと、隊員たちも小さく頷いた。
正直、最初はハワイ旅行に興味津々であった彼らも、今ではこんなしょうもない劇の練習に付き合わされる時間の浪費の方が由々しき問題であった。

「何を言ってるんですか皆さん、もうすぐメルマガで結成10周年記念号が出るっていうのにそこでハワイに行かなくてどうするんです! 箔がつかないでしょう! あのサザエさん一家だって、ハワイに行ったのは30周年記念でのことですからね、負けてられますかあんな一家に!」
「どこに対抗意識燃やしてるんすか……」
「とにかく! 本番まであと数時間しかないんですから、最後まで気を抜かずに完璧にこなせるようにやってきますよー!」

一人燃え上がっているグリーンが、気合たっぷりに頭の上でぐるんぐるんと丸めた台本を回す。
それは、ついつい勢い余って彼の手から離れ、後方のドアの方まで飛んでゆく。

「あぁ、もう!」

せっかくの勢いを止めてしまったようで、軽い苛立ちを感じつつグリーンはリビングのドアに駆け寄り、台本を拾い上げる。
と、目を上げた時、ドアにはめ込まれているすりガラスの向こうに、何やらぼんやりと白い物があるのが見えた。

「……あっ、そうだ! すっかり忘れてました!」

跳ねるように立ち上がると、グリーンはすぐさまドアを開き、忘れられた来客を部屋の中に招く。
その人物の登場に、隊員たちは「あっ」と声をあげ、まじまじとその姿を見つめた。
眩しい程の白い毛並み、そこへ描かれた黒い縞模様。涼しい眼差し、琥珀色の瞳、まるで少女漫画に出てくる様な端正な顔立ちの少年。そんな彼の名は……。

「うわー! ホランくんに会うのすごい久しぶりー! 元気だった?」

白い毛並み仲間のホワイトが声をあげると、ホランは会釈し、

「……お久しぶりです」

と、ひどく簡素に挨拶した。あまりにも事務的な応対に、ホワイトだけでなく、他の隊員たちも激しい違和感を覚えていた。
そもそもこれまで彼は女子隊員に対して、敬語で喋った事なんかないはず。それに、よく考えれば最もおかしな状況が現在進行で続いているではないか。

「フフフ、皆さんお気づきになったようですね」

もったいぶった笑みを浮かべながらグリーンがいうと、ホワイトは大きく頷き、

「あのホランくんがグリーンを目の前にして、こんなに平然としていられるはずがない!」
「そのとおり、試しに私がこんなことをしてみても……!」

突然、グリーンは大胆にもホランに抱きついた。あまりにも無謀、自殺行為以外の何者でもない。
しかし、愛しの人に抱きつかれているというのに、本人はそれがなんでもないことであるかのようにまったく微動だにしない。

「「「う、ウソ……!」」」

悲鳴にも似た声をあげる隊員達をよそに、グリーンは含み笑いをしながらホランに声をかけた。

「もういいでしょう、変身を解いてください」
「……はい」

ホランが頷くなり、彼の体は一瞬のうちに激しい紫色の炎に包まれたかと思うと、それは一瞬で吹き飛ぶ。
そのあとに、先ほどまでのホランの姿はなかった。漆黒の毛並みに映える直線型の赤模様。冷たい紫色の瞳をした邪悪な笑み。
そして、誰もが見覚えのある額の赤と黄色の逆三角模様……隊員達はその姿にまたしても声をあげた。

「どうです、元ブラックキャット団改造猫、悪猫ですよ。懐かしいでしょう」

悪猫の肩にポンと手を起き、グリーンも同じように不敵な笑みを浮かべた。

「まだ元に戻してあげてなかったの?」

呆れたようにピンクが尋ねると、グリーンの顔は険しくなった

「元に戻す必要はないでしょう! 平和的な解決方法がこれだったんですから!」

彼は拳を振り上げ、大声で叫ぶ。相変わらず悪猫の方は機械の如く直立不動を保っている。
以前ホランを狙うBC団の企みを察したグリーンは、変身用のBC団マークシールを貼り、悪猫として改造された風に仕立てあげ、
見事、BC団の計画を阻止することができたという出来事があったが、つまり、今の今ままでずっと彼はグリーンの命令に従う改造猫のままだったということになる。

「こうしておけば、妙なことをしでかす事もないし、何より会社の業績に専念できるというものではありませんか、ねぇ悪猫?」
「……はい」

悪猫はひどく無感情に答えた。

「ほらどうです! この従順ぶり! ホランより100万倍も出来た人物になっていますよ。素晴らしい!」
「でも、これじゃホランくんが可哀想じゃん」

ホワイトの言葉にさすがの隊員達も同意するしかなかった。いくらなんでも隊長代理のやる事ではない。
しかし、その隊長代理はカッと目を見開き、わなわなと震えだしたかと思うと、

「あなた方は第三者だからそういうことが言えるんですよ!! 夜中、ベッドシーツの中に潜んでいた時のあの恐ろしさを知らないでしょうが!! それと、どのおまじない本で読んだのか知りませんが、バレンタインチョコの中にぎっしり体毛が詰められていた仕打ちを知っているんですかあなた方は!! おまけにホランの体毛から抽出したオリジナル香水なんぞを送られてきた時の私の顔! あれをもうフルハイビジョンで見せつけてやりたいくらいですよ!」

足を踏み鳴らしながら激高する“マジ”なグリーンに、隊員はドン引きしてしまっていた。
最初に苦言を呈したホワイトでさえ、苦笑いを浮かべて「な、なら別にいいけど……」と答えるしかなかった。

「わかればよろしい! さ、無駄話は終わりにして。悪猫、例の手配はちゃんとできましたか?」
「……はい、確かに」

ホランは静かに頷くと、グリーンは満足したように彼の肩を叩くと、訝しげな顔の隊員達に向かって勝利を確信した笑みを浮かべた。

「皆さん、これで我々の優勝は100%決定です!」



















黄昏時とは、あの世とこの世が繋がる時だと言う話があるが、知らない人がこの光景を見たならば確実に別世界に来たと錯覚することだろう。
駅前通りからOFFレン達の住む“メゾンぐるてん”前の道を通り過ぎたその先の先まで……街全体がハロウィン一色に染まっていた。

全ての街灯にはジャックオーランタンのカバーが覆い被され、人魂みたいな橙色の灯りがぼんやりと照らす下を、思い思いに仮装した老若男女が歩いてゆく。
通りに面した橙色に飾り付けられている店々も、ケーキ屋にはカボチャケーキ、服屋には仮装したマネキン。それぞれ店舗独特のハロウィン商品が並べられ、
イベントをたっぷり楽しむノリの良さと、イベントに応じてしっかり稼ごうとする商魂の逞しさとを両立させていた。

「なんか、人間界なのに魔界にいるみたいですねー」
「う、うん……」

そんな街中を、居心地悪そうにティオとエコの二人は歩いていた。
いつもは眩しい街も今夜ばかりは妖しく、遠くに聞こえる雑踏もどこか魔物の遠吠えのように聞こえてくる。

「でも、人間がいっぱいいるってことは、悪のエナジーを集めるにはぴったりですよ。がんばりましょー!」
「そうだね……は、半分までいかなくても、ちょっとくらいは、集めておかないとね……」

しばらくしてイベントのメインステージである公園に到着すると、人の多い所が大の苦手なティオは、激しい緊張に目眩がしそうになった。
いつもは人がまばらにいる公園の広場も、今日ばかりは仮装した人々でごったがえしていた。

布をかぶっただけのお化けから狼男にミイラ男、気合の入った特殊メイクを施したゾンビ、さらにそれを通り越してただの怪我人にしか見えないもの、
果てはメイドさん、ゴスロリ、果ては全身タイツから血のついたフードパーカーを着ただけの人まで、なんとも大勢の人間が集まっている。

「……なんかこのお祭り、あんまり面白くないですね」
「うん……ちょっと、居心地悪いし、ね……」

この群衆の中では誰よりもお化けに近い存在であるのに、普段着のまま歩いている二人はとにかく周囲から浮きまくっていた。
大きな特設ステージが組まれたその上でタキシードを着た吸血鬼がマジックショーを行っているくらいで、あとは仮装した人、人、人。それしかない。
大して化物の姿が珍しくもなんともない魔界の住人からすれば、こんな場所はただ人ごみの中を歩いているようにしか感じられない。

とりあえずその一団から抜け出すと、ティオとエコはドリンクコーナーのほか、貸衣装にメーキャップといった“らしい”ブースが並んでいる区画に出ていた。
先ほどの老若男女勢ぞろいだったステージ付近に比べ、こちらはずいぶんと子供達の姿が多く見られる。

「あっ、ティオさまー、あそこでお菓子くばってますよ!」

エコが指差す先には、数メートル先で、黒いマントにに身を包んだかぼちゃ男がかごいっぱいのお菓子を子供達に配っていた。
それを目ざとく見つけた彼は、ティオのことをほっぽらかして一人走り出すと、そのまま男に群がる子供達を押しのけて、

「すいませーん! オレにもお菓子くださーい!」

大声で、エコはかぼちゃ男に向かって手を差し出した。後からティオも追いつき、「この人にもください!」と続けてお願いする。
だが、男はお菓子を配る素振りをまったく見せず、ただ首を振り、

「うーん、それじゃぁあげられないな」
「ふぇ?」
「トリック・オア・トリートぉぉぉぉ!」

突然ティオの隣で海賊の格好をした子供が叫んだ。思わず条件反射で「ごっ、ごめんなさいっ!」とティオが頭を抱える。
しかし、どうやらその言葉はティオに向けられたものではなかったようだ。

「はい、じゃぁ君にはお菓子をあげようね」
「やったー!」

かぼちゃ男は、かごの中から赤と白の縞模様が入ったキャンディーを子供に手渡した。それは先ほど謎の言葉を叫んだ子供だった。
その光景をぽかんと口を半開きにしながらエコは見ていると、次から次へと子供達が同じような言葉をかぼちゃ男に叫んで、お菓子を手にしている。
どうやら、子供らが口々に叫んでいるのは、かぼちゃ男からお菓子を貰える呪文らしいと、さすがのエコにもはっきりと理解できた。

「ちょっと、ねぇ、ねってば。なに、今の呪文。 それ言えばお菓子もらえるのー? ねーオレにも教えてよ」

恥を忍んで、エコは自分よりも遥かに年下そうな傍にいたパンダメイクの男の子に訪ねてみた。

「トリック・オア・トリート知らねーの? うわー!ばっかでー!」
「えっ、なになに? とっとりのえりーと?」
「トリック・オア・トリート! お菓子くれなきゃイタズラするぞってことだよ。ほら!」

パンダの男の子は手にしたビニール袋の中身をエコに見せた。
キャンディー、グミ、チョコレートまでありとあらゆる種類、色とりどりのお菓子がぎっしり詰め込まれていた。

「いたずらされたくないから、みーんなお菓子くれるんだ。おれ、もう100個くらいもらったんだぜ!」
「へぇー、いいなぁー! どうやったらそんなに貰えるの?」
「だからお前もトリック・オア・トリートって言えばいいんだって。何度も言わせるなよな」
「あ、そっかー! えぇとえぇと、とりっくおあとりーとでいいの?」
「そうそう。じゃ、おれ次は200個目指すから、もう違うとこ行くな。あばよ」

パンダっ子はそういうと、お菓子の袋をジャラジャラいわせながら、人ごみから飛び出していった。
エコは良い情報を教えてもらった男の子に感謝して、早速かぼちゃ男に魔法の呪文を唱えてみる。

「と、と、とりっくおあとりーとー!」
「はいはい、じゃぁお菓子ね」

男の手からコウモリをかたどった棒キャンディーが差し出される。エコは初めての獲物に目をキラキラさせながらそれを受け取った。
ティオと共に人ごみから離れると、さっそく被せられたビニールを取って、キャンディーをまるごと口に入れてみる。
形が形なのでちょっとイガイガするが、香ばしいキャラメルの味が口いっぱいに広がり、その甘味に思わず頬の筋肉が緩んでゆく。

「よかったね、エコ」

ニコニコしながら飴を咥えるエコに、思わずティオも微笑んでいた。

「はい! オレ、このお祭り好きになりましたー!……あ、そだ。ティオさまの分ももらいましょっかー?」
「ううん、ボクはいいよ……食べるより、見てるほうが楽しいし」
「そですかぁー。じゃぁオレ、シオンさまの分までいっぱいお菓子もらいますねー!」
「そんなことより、お前ら悪のエナジー集めはしなくていいのか?」

突然背後からカルマの声がした。あれからコンテストに出ると一人飛び出していったきり戻ってこなかったが、どうやら本当に参加していたらしい。
一体どんな仮装をしているのか、ちょっぴり期待しながらティオが振り返ってみると、

「あ…あぁっ!」

人目もはばからず、ティオは普段滅多に出すことのない大きな声で叫んだ。
長く伸びた二本の角、骨の太い蝙蝠の翼、そして下半身を覆う真っ黒な毛並みに、額の紋章。……どこからどう見ても本来の悪魔としてのカルマの姿だった。

「かっ、かっ、カルマ……! な、なん、で、変装は……!?」
「どうだ? なかなか良いアイディアだろ?」

慌てふためくティオとは反対に、あっけらかんとカルマは答えた。

「そ、そうじゃなく、て……! に、人間に気づかれたら……!」
「平気平気。見てみろよ、人間のヤロー誰も俺のこと気にしてないだろ」

カルマに言われて恐る恐る辺りを伺ってみる。確かに、通る誰もが平然とカルマの横を通り過ぎて行く。幼稚園児とおぼしき子供でさえもだ。
彼本来の悪魔としての姿は、完全に周囲に溶け込んでいた。せいぜいちょっと気合の入った仮装と思われる程度だろう。

「で、でも……なにも、その格好じゃ、なくても……」
「何言ってんだよ。そもそも、この中じゃ誰より魔族らしい奴のはこの俺だけだろ? なにせ仮装じゃなくて正真正銘、本物の悪魔だからな。
だから、格好を真似てるだけの人間どもに、この俺が負けるわけがない。 勝負する前から俺が勝つのは見えている、楽勝にもほどがあるぜ! はーははははは!」

毎度お馴染みの高笑いをあげるカルマに内心うんざりしながら、ティオはすぐにでもこの場を離れようと思った。
何気ない素振りで、キャンディーを咥えるエコの手をそっと引き、

「じゃ、じゃぁ、がんばってね……エコ、いこっか」
「待てよ」

エコが歩き出すより早く、カルマの手がティオの肩を掴んだ。嫌な予感がしつつも、振り返らないわけにはいかない。

「……ちょっとお前に話があるんだよなぁ」

振り向くなり目に飛び込んだのは、やはりあの真っ赤な蛇の目だった。
爛々と妖しく輝くその瞳。……何か不吉な、よからぬ出来事が起こる前触れに違いないと悟る。

「な、なにか、用……?」

声を振り絞って尋ねると、カルマはニッと片頬を上げて微笑んだ。

「今さっき、コンテストのエントリーに行ったんだけどな。出場するには、二人以上じゃないと受付けられないって言われたんだよな~?」
「そ、そうなんだ……」
「困ってるんだよな~。さすがの俺でも、人間に知り合いはいねーしなぁ? これじゃぁシオン姉様に旅行プレゼントできねーよなぁ?」
「……だ、だね……」

ティオの心臓が早鐘の如く打ち鳴らされた。ありとあらゆる汗腺から冷や汗が吹き出し、胸の当たりから何かこみ上げてくる。吐きそうだ!
もうそのあとはわかっている。何を言われるかわかってる。いまこの現場に悪魔らしい悪魔の姿になれるのなんて、あと一人しかしないのだ。

「で、でっ、でもっ、ぼ、ボク、ねーさまに……あ、悪のエナジーを……」
「そんなもん、エコにやらせときゃいーんだよ。じゃぁ、決まりだな?」
「そ、そんな……」
「決まりで、いいよな?」

ティオの肩を掴む手にぐっと力が入った。そんなわずかな力で、ティオの気持ちはあっという間にへし折られてしまう。
──そうして、ティオは今にも泣きそうな顔で、首を縦に振らされたのであった。






















「とりっくおあとりーと!」
「あぁ、なんじゃコラァ!? なめとんのかワレェ!」

強面のオジサンに突き飛ばされて、エコのお菓子貰い放題大作戦はこれで二十連敗目を記録した。
道行く人にいくら呪文を唱えても、お菓子を貰えるどころか、怒鳴られるわ、殴られるわ、変な目で見られるわで散々だ。これでは全然話が違う。

「……やっぱりこのお祭り全然面白くないや」

ぶすっと不貞腐れながら、エコはポケットの中からデビルカプセルを取り出す。
カルマにティオを取られ、たった一人で悪のエナジー集めを任されているエコだったが、お菓子と同じくこちらもまったく不作であった。
これだけの人間が集まっているならば一人くらい悪の種を持っている奴がいそうなものだが、イベントを楽しんでいる者しかいないためか、
その辺のストレスやイライラといったことがすっかり解消されているらしい。健全な精神の持ち主には悪の種なんてあるわけがない。

「あーあ……やっぱりティオさま怒られちゃうのかなぁ……使い魔のオレがなんとかしなきゃいけないのになぁー」

主人にまったく尽くせない不甲斐なさと、期待はずれとなったお菓子の収穫率のせいで、エコからはため息しか出てこなかった。
このまま時間がくるまで闇雲にウロウロして、エナジーもお菓子も収穫ゼロで、明日の朝シオンから怒られる未来しか見えない。当然やる気も出ない。

「……はぁ。おなかすいたなぁー……」

とうとう道端に座り込んで、エコは大通りを歩くお化け達の一団をぼんやりと眺めた。
もうすっかり日も沈み、薄紫色の空の下、かぼちゃの街灯に照らされた彼らは本当の怪物に見えてくる。
中身もしっかり怪物だといいのだが、やっぱり嗅いでみても悪のカケラすら感じ取れない。

「んっ?」

その時、ふと、エコの鼻がある香りを捉えた。
それは前に嗅いだことのある、濃厚なチョコレートの如き、甘く粘っこい“悪の香り”だった。
思わず立ち上がり、彼は半ば興奮したように無我夢中でその匂いを追った。

「(あっ、あの人……! )」

視界に飛び込んできたのは、今朝方マンションで出会ったホワイトタイガーの少年だった。
何故だか心臓がとくんと跳ねて、エコの目はじっとその少年を捉える。……何だか無性に気になってしょうがない。

──この人にしよう!

エコの脳裏にすぐさまその考えが浮かんだ。
そうと決まると何だか嬉しい様な、照れくさいような、そんな気分がしてきて、すぐさま彼の元へ歩みを進めた。

「あ、あのっ……ちょっと、いいですか?」

声をかけるなり、黄色い瞳と目が合った。少年は何も言わなかった。
何だかじっと見られていると、胸がぞわぞわして、何か思い出しそうな、もやもやとした変な気分になってくる。お腹も空いてきた気がする。

「ちょ、ちょっとこっち来てください!」

目を合わせられないまま、エコは少年の手を引っ張り、路地裏へ走った。抵抗するそぶりさえ見せないまま、彼は大人しく着いてきていた。
それは目的地に到着しても同じで、エコの言葉を待つかのようにじっとこちらを見つめたまま、ただ黄色い瞳だけが光っていた。
そして、辺りに漂う甘い甘い悪の匂い……。きっと彼の持つ悪の種は、素敵な花を咲かせるに違いない。

「あー! あれ何だろー!」

エコが上空を指差すと、少年の目も同じように空へと向けられた。
──今だ! エコはポケットの中で掴んでいたデビルカプセルを取り出し、それを目の前の彼に思い切り投げつけた。

カプセルが少年の体に触れた瞬間、それは彼の体内に吸い込まれるようにして吸収される。
その直後、彼の全身は漆黒の闇に包まれた。悪の種に悪の力を存分に注ぎ込まれ、いよいよ悪魔化が完了する。

「(何かすごいエナジーだ……。これだけでたくさんのエナジーを集められるかも)」

エコが思わずほくそ笑んでいると、辺りを覆う闇の中にぼんやりとシルエットが浮かんだ。
蝙蝠の翼を羽ばたかせて、それはゆっくりと中に浮かぶ。悪魔化は成功だ。

「やったー! えっとー、悪魔になって早速だけど、オレの言う通りにしてもらってもいいかなぁー?」

無事ターゲットを悪魔化させた嬉しさに、満面の笑みでエコが話しかけると、闇の中に浮かぶ紫の瞳が、きらりと怪しい光を放った。

「……i……r……t?」

突然、少年はひどく小さな声で何やらぼそぼそと呟いた。

「ふぇ……? なにか言った?」

何気なくエコが聞き返すと、シルエットは大きく翼を広げた。
なにかおかしい。エコがそう思うより早く、その“悪魔”は、突風のようにエコに向かってきたのだった。

「えっ、えっ、ちょ、ちょっと!……うわぁぁーーーーーーーっ!!

ハロウィンに沸く大通りでは、その悲鳴に気づいた者は誰一人としていなかった。
一人の少年による絶叫の響きが途切れて間もなく、路地裏から一匹の蝙蝠が、夜空に向かって飛び立っていった事さえも……。
















──血の様に鮮やかな真紅の月が、この夜を魔物達のために、世界を妖しく染めていた。
獣の吐息のような生温い風が、街を、人を、まとわりつくように撫ぜてゆく。

「へへー。大漁大漁!」

通りから外れた住宅街の中を、パンダに仮装した子供が、今にも宙に浮きそうなほど軽やかな足取りで歩いていた。
手にはたっぷりのお菓子が詰まった袋。そのうちチョコレートボールだけは、もう片方の手で彼の口元へと運ばれているようだ。

「お、これうまっ! 残しとけばよかったな~」

無邪気に戦利品を食べながら帰路につくその姿は、もうすっかり外の世界の事を忘れ、ごく普通の子供そのものだった。
だが、それはあまりにも無防備だということを、あまりにも愚かな油断だということを、彼自身はちっとも気づいていない。
──彼はまだ魔物の世界から、尻尾の先ほども出てはいないのだ。

「んー、次は何食おっかな~」

その子供は袋の中に手を突っ込んで、次のお菓子を探る……と、その手元が急に暗くなった。
思わず彼は空を見上げた。さっきまで出ていた月が雲に遮られて、辺りはいちだんと不気味に変わる。
……イベントででかけているのだろうか、傍の家々の灯りさえ一つもない。彼は怯えたように、恐る恐る足を踏み出す。

「…c……a…?」

風に乗って、何者かの囁きが途切れ途切れに聞こえ、子供はハッと足を止めた。
じっと息を潜めて辺りを伺う。……物音一つしない。誰かがやってくる気配もない。

「…………」

雲が通り過ぎたのか、数メートル向こうにじんわりと月明かりが広がってゆくのが見えた。あそこまで。あそこまで。
少年は袋を抱え込むと、目を伏せたまま早足で歩みを進めた。怖くない。怖くない。お化けなんていない。

「……あっ」

彼はぎゅっと身を縮こませて、ごくりと喉を鳴らした。
ゆっくりと闇を削る月明かりが、道路の上に不可解な影を浮かび上がらせていた。
そのシルエットは、大きな翼を生やし、自分のいるすぐそばの、塀の上、木の枝に立ったまま、微動だにしない……。

「…………」

彼は、好奇心に負けた。
家の明かりを見るまで、家族に暖かく迎え入れてもらうまで、決して上げないと決めた目を、彼はゆっくりと塀の上に上げたのである。
塀の上から、その向こうに伸びた、木の上へ、ゆっくり、ゆっくり昇らせてゆく……

「!!!」

魔物を前に、子供は悲鳴もあげられないまま、信じられない表情でそれを見つめていた。
紫色の邪悪な瞳。吸い込まれそうな漆黒の翼。風になびいて、生き物の様に揺れる漆黒のマント。そして、口元で妖しく光る二本の鋭い牙……。


「……Trick or Treat?」


──それは、紛れもない“ヴァンパイア”の姿であった。




















「まさかあのあと8組もスリラー踊ってくるとは思わなかったよな」

公園の出口に向かう隊員達の中で、最初に口を開いたのはブラックだった。

「もうその話は終わったことで関係ありませんただ方向性を見誤っただけで独自路線をより強く押し出せなかっただけです」

ぶすっとした顔で一気にまくしたてると、ブラックの開けようとした風穴は一瞬で塞がり、再び気まずい空気が淀み始める。
ベタ中のベタを狙ったせいもあって、他の出場者とかぶりまくった末、ようやく隊員達の出番になった時には既に遅かった。

審査員もギャラリーもイントロが流れた瞬間、皆一様に死んだ魚の様な目をしていれば、勝機など見込めるはずもなかった。
当然、採点結果も58点という微妙な点数で収まり、グリーンはすぐさま隊員達を引き連れて無言の帰路についていたのだった。

一ヶ月の練習が無駄になったショックよりも、隊員達はグリーンから漂うどす黒いオーラをどうにかしなければということでいっぱいになっていた。
このまま帰っても、部屋の空気が最悪になるだけでなく、そんな状態がしばらく続けば、隊員らの士気の大幅な低下を招くというもの。

「で、でも。何か騒いでくれてた人もいたんだし、良かったんじゃない?」

だからこそ、それに最適なピンクがそう声をかけてくれた時、皆は大きくうなづいて、彼女に力いっぱい賛同した。

「そうそう、確かに飽きてはいたかもしれないけど、確かに見てくれてた人がさ、何人かいたよね!」
「そうっすよ。あの人たちには俺らの頑張りがしっかり伝わったはずっす!」
「……あれはホランの資金で雇ったサクラです」

グリーンの言葉に、隊員達はハッと息を飲んで、黙り込んでしまった。

「本来ならば我々のパフォーマンスを見た観客たちの興奮を盛り上げるための起爆剤として用意していたものですけどねさすがにああなったらどうしようもないですよ
っていうか追加のサクラを雇うためにすぐ来いっていったのに全然来ないんですけどどうなってるんでしょうねこれだからビジネス人って嫌なんですよねだいたい……」

遠くを見つめながら、誰にいうでもなく長々とつぶやき続ける隊長代理の姿に、最低半月は楽しい生活とオサラバしなければならないことを皆が覚悟した。
それを何とか打開してくれたのは、シェンナ隊員であった。

「あっ、お化けがいっぱいですー!」

公園の出口に差し掛かる頃、彼女が指差す大通りの方では駅前から出発していたハロウィンパレードの一団が通りかかる所だった。
その行列は、ステージに出ていたお化けや、通りかかる怪物たちを吸い込み、増幅し、おかげで後ろの方は闇に紛れてさっぱりわからない。
ぽつぽつと見えるだけランタンの明かりを見ていると、道の向こうが魔界の入口と繋がっていて、そこから魔物達がやってきているような気がした。

「はぁ、一体どこからこれだけの人間が沸いてくるんですかねえ……歩いて何が楽しいんだか」

半ば八つ当たりのようなぼやきをして、グリーンが醒めた目でパレードを見やる。
確かにその通りなのだが、見ているとやりたくなっているのが性というもの。

「シェンナもやりたいですー!」

真っ先に手を挙げたのはシェンナだった。
そうなると、せっかくゾンビと魔女の一団がこうして揃っているのだからと皆もだんだんと乗り気になってくる。
だが、よくよく見ればまったく仮装なんてしていない人物がいる事を皆思い出す。

「……私とピンクは仮装なんてしてないんですから勝手にすればいいでしょう。帰りますよピンク」

ぶすっとしたのを、さらに上からぺちゃんこに潰したような顔付きで、グリーンは同じ“一般人役”のピンクの腕を引く。
だが、彼女はまったくグリーンについてくる素振りを見せず、むしろ彼の手をそっと腕から離す。

「めったにない機会だから、私も付き合おうかな」
「えっ! でもピンクは衣装なんて用意してないでしょう!?」
「じゃぁ、アタシの帽子貸したげる」

ホワイトが三角帽子をポンとピンクの頭に乗せた。
すると、続けてシェンナがマントを、パープルがホウキを渡し、あっという間に一般人だった彼女は魔女へと変貌してしまった。

「じゃぁ、次はグリーンっすね」

ブルーの問いかけに、グリーンはキッと眉を上げた。

「ジョーダンじゃありません! 私はそんなちんどん屋みたいな真似は絶対しませんよ!」
「拗ねなくてもいいのに」

オレンジが呆れた声で呟くと、グリーンは目を見開いて

「誰も拗ねてなんかいません! ピンクは衣装を貸せますが、衣装を着ただけじゃゾンビになんてなればいでしょう。大体ですね……」
「はいはい、わかりましたわかりました」

くどくど長台詞を吐こうとした時、突然横に割り込んできたイエローが、グリーンの頬にマジックで三本線を引き始めた。

「なっ、なにするんですか!」

グリーンは慌ててイエローから離れると、今度は反対側の頬からキュッキュッという音と共に、直線が引かれてゆく感触を感じた。
恐る恐るそちらの方へ目を向けてみると、これまたマジックを手にしたゾンビシルバーが、ニヤニヤしながら携帯の画面を向ける。
内側カメラモードを映し出すその画面には、なんとも雑に書かれた猫ヒゲが両頬にクッキリと映し出されていた。

「これでグリーンも立派な子猫ちゃんですね~。ははは」
「ちょ、ちょっと待ってください! こんな格好で私に歩けっていうんですかっ!?」
「なんなら、虎猫とかブチ猫にも出来ますけど、どうします?」
「お断りです!」

イエローがマジックペンを手に、満面の笑みでグリーンの肩に手を置いた。

「そんな顔で一人帰ると惨めですよね。私たちと変えればギリギリセーフですけどね!」
「ぬぐっ……!」

笑顔の裏に悪魔の顔を覗かせるイエローの言葉に、グリーンは渋々頷くしかなかった。
よかったよかったと喜ぶ隊員達を前に、グリーンは頬をゴシゴシとこすってみた……まったく滲まない。

「油性ですかぁ……」

大きな息を吐いて、グリーンは静かに肩を落とした。
……その時だった。通りの向こうで次々と悲鳴が巻き起こったのは。


















木陰にしゃがみこんで、ぐっと吐き気を堪えているティオの背中に、カルマは呆れた様に声をかけた。

「お前いつまで緊張してんだよ。たかが人間どもの茶番に出るだけだろ?」
「だ、だって……」

自分たちの番が近づくと共に、人見知りの激しいティオの精神もまたどんどん限界に近づいていた。
カルマは「何も喋らずただ俺に従えばいい」と言っているが、何をされるかも不安だし、人前も怖いし、人間にこの姿を見せるのも緊張する。

「どうせ、人間どもは俺らが本物の魔族だってことは気づくわけねーんだ。ドーンと行けよドーンと。父様も俺によくおっしゃってるんだが……」
「も、もういいよ……ちょっと、マシに、なったから」

木に手を付きながらよろよろと立ち上がり、ティオは改めてこのステージ裏の光景を見た。
終盤なだけあって出番を控えている参加者の数はめっきり減っているが、それでも皆からチラチラ見られている気がして妙に落ち着かない。

「あの子、なんか妙にリアルじゃない?」って言ってる様な気がする。「なんかあの子普通じゃないかも」って思われてる気がする。
……や、やっぱりダメだ。ティオは再びその場にしゃがみ込んでしまう。すると、すぐさまカルマは小馬鹿にしたようなため息を漏らした。

「お前、マジかよ? それでも魔王の息子なのか?」
「……うぅ……」

そう言われてもダメなものはダメなのだからしょうがない。ティオはこの時、イベントが中止になることを望んだ。

「ティオさまぁ~!」

……そんな彼の気持ちを神様が汲んでくれたのかは知らないが、
茂みの向こうからなんとも情けない声が漏れ聞こえた。それは間違いなくエコの声であった。

「……エコ?」

辺りを見回してみるが、エコの姿はどこにもない。
プレッシャーに晒されたあまり、とうとう幻聴まで聞こえてしまったのかと思いかけた次の瞬間

「ティオさまぁぁぁ~っ!」

茂みの中から橙色の塊がぴょこんと飛び出し、ティオは悲鳴にも似た声をあげて、大きく尻餅を付いた。
一瞬、バスケットボールが飛んできたのかと思ったが、よく見るとそれは、顔になるように側面に目や口の形くり抜かれたかぼちゃだった。
……そういえば、街のあちこちで見かけた気がする。なぜそれがこんな所に。そう思っていると、

「ふぁぁぁぁん。ティオさまぁ~っ」

かぼちゃの口から聞こえてきたのは、先ほどと同じ声だった。

「えっ、エコ!?」
「ふぁぁぁぁん! お、オレ、こんなんなっちゃいましたー。ふぁぁぁぁーん!」

泣きそうな目に変化したかぼちゃは、ポロポロと穴から涙を零しながら叫んだ。
よく見れば、どとことなくくり抜かれている頬模様や、口の感じがエコそのものだ。

「ど、どうしたの、エコ。誰にそんな姿に……?」
「お、オレっ、オレっ、悪の種を持ってる人間を見つけて、悪魔化させたら、オレに襲いかかってきて、こんな姿にぃー!」
「それで、その悪魔化させた人間は?」
「わ、わかりません……。飛んで逃げていっちゃって……ティオさまぁー! オレずっとこんなままなんて嫌ですよー! ふぁぁぁぁぁん!」

とめどなく溢れ出す涙に、エコかぼちゃの下には小さな水たまりが出来ていた。
悪魔化させた人間が命令を聞かずに勝手に行動するなんて、まず有り得ない事だった。ましてや、襲いかかるなんてことは……。

「ど、どうしよう、カルマ。……急いで探さなきゃ……」
「はぁ? ほっときゃいいだろ、んなもん」

大したことでもないという風にカルマは答えた。

「でっ、でも、このままほっといたら……何するかわかんないよ……!」
「何言ってんだよ。好き放題に暴れてもらった方がそいつに悪のエナジーがどんどん蓄積されて、回収する側にとっちゃ好都合じゃねーか」
「だ、だけど、言う事を聞かなくなってるんだよ……!」
「いいじゃねーか。悪魔化させたといっても人間は人間。それで困るのも人間。何か問題あるか?」

ティオの肩が鷲掴みにされ、再びあの蛇の目がキラリと光った。

「俺達はそんなことより、もっと大事なことがあるよな? ん? もう、今すぐにでもやる必要のあることが待ってるはずだよな?」

ギリギリまで寄せられた邪悪な従兄弟の顔。このとてつもない威圧感のせいで言葉はもう出てこない。
すぐにティオが根負けした事を察すると、カルマは足元に転がるかぼちゃに目を向け、

「……そういうわけだ、エコ。コンテストが終わるまではその姿のままで辛抱するんだ。終わったらなんとかしてやる」
「ホントですか。じゃ、じゃぁ今日中には元に戻りますかー?」

その言葉を聞いてエコに少しだけ笑顔が戻ってきた。
しかし、そんなカルマの表情が邪悪に歪むと、

「んなこと俺の知ったことか」
「ふぇっ!?」
「今日どころか今後元に戻るかどうかは保証できねーよ」
「そっ、そんなぁ~っ!」

吐き捨てるように放たれた冷たい言葉に、かぼちゃの目からは再び、果汁の様な涙が吹き出した。

挿絵














「いましたか!?」
「ダメ、完全に見失っちゃった」

交差点の向こう側から走ってきたホワイトは力なく首を振った。
グリーンはすぐさま腕時計型PCで各方面に散らばった幾人かの隊員にも聞いてみたが、返答はすべて同じであった。

「……まったく、なんでこう嫌なことってこう次々かぶるんですかねー!」

乱暴にモニターを閉めながら、ため息混じりにグリーンはぼやく。
渋々パレードに参加しようと決心したのも束の間、事件が発生したのだ。
……被害者はパレードを見学していた二人の男女。

目撃者となった付近の男性によると、どこからか現れた子供が突然女性に噛み付き、手にしていたお菓子を奪ったという。
だが、まだ話は終わらない。子供に噛まれたその女性は突如コウモリに変身し、さらにその隣にいた別の男性に噛み付いた。
するとその男性もミイラ男の姿に変わり、通りがかった少年に襲いかかったのである。

隊員らが駆けつけた時には、ちょうどその狼男に変身したその少年が親子連れを襲う寸前であった。
武器を取り出すなり、その狼男は物凄いスピードで走り去ったので親子に被害はなかったものの、その狼男は完全に見失ってしまった。

「まさかオオカミ軍団の仕業、ってことはないですよね。ミイラやコウモリまでいるわけですし」
「どちらにしろ、感染していくパターンは厄介じゃん。早めにどうにかしないと、パレードの人らまでさ」
「……ですね」

グリーンは住宅街の向こうにぼんやりと見える暖色の灯りに目をやった。
大通りでは先ほどまでの隊員達もそうだったように、呑気に仮装行列を楽しんでいるのだろう。
もしも、あそこにいる人たちまで人々を襲う怪物になってしまえば、とてもじゃないが隊員らの手に負えない。……グリーンは思わず身震いをした。

「こうしちゃおれません、隊員達に連絡して……」

再び腕時計型PCのモニターを開こうとした時、ホワイトがあっと声をあげた。
正面の道から、誰がおぼつかない足取りで、こちらに向かってきていた。
よく見ると頭に斧が突き刺さって、顔面は血まみれ、どことなく血色も悪く真っ青……あの仮装はブルーに間違いない。

「ブルー! 化物たち見つかりましたか!?」

手を振って呼びかけてみるが、ブルーは一言も言葉を返さなかった。
怪訝そうにその様子を見つめていると、ブルーは突然歩みを早め、両手を振り上げた。

「ウガァァァァァァーッ!!!」

唸り声をあげながら駆け出してくるブルーの口元には、どう考えても成長しすぎな二本の犬歯が鋭く伸びていた。
それを見るなり、二人はすぐさまブルーが化物の手に落ちたことを悟った。……おまけに白目も剥いてる。これはもう間違いない!

「ホワイト、逃げましょう! 一時退却です!」

慌てふためきながらグリーンはホワイトの手を引いたが、彼女はそれを振りほどき、

「だいじょぶ、アタシ、ブルーの扱い方は慣れてるから!」
「んな無茶な!」
「……このままほっといても危険だし、任せて」

ブルーは大きく開いた口からヨダレを垂らしながら、食いつかんばかりにこちらへ向かってきている。
どう見ても、最早彼は爽やかな好青年だったブルーではない。血肉に飢えたゾンビそのものだ。

「ガァァァァァァァッ!!!」

とうとう、目の前までやって来たブルーが鋭い爪をホワイトに向け、飛びかかった。
その瞬間、ホワイトはぐっと腰を低くし、ゆっくり降りてくる彼の頬めがけて渾身のパンチを入れた。

「どっせい!」

ナイス右ストレート。クリティカルヒット。ブルーの顔面が大きくひしゃげると共に、その体は遥後方へ吹っ飛んでゆく。
地面に倒れたまま動かないブルーに、ひょっとしたら死んでいるのではないかとグリーンはヒヤヒヤしたが、

「ハッ……あ、あれ? 俺なんでこんなとこ……つか痛っ! なんかほっぺめっちゃ腫れてるんすけど!」

どうやら正気に戻ったらしく、片頬を真っ赤に腫らしながらブルーは半身を起こした。
しかし、まだ口からはみ出るほどの鋭い牙は消えていないようで、完全に元に戻ったというわけではなさそうだ。

「はいはい、早速で悪いんだけど。ブルー、アンタどこで化物にやられたのか教えてくれる?」

まだ混乱している最中というのに、ホワイトの言葉に、ブルーは「は、はい!」といつもの調子で答えた。
……どうやら本当に、ホワイトはブルーのことを熟知……いや、手懐けているのだろうか。ある意味彼女も化物だなとグリーンは思った。














ちゅー。ちゅー。ちゅー。
切れ掛かった電燈の下で、しゃがみ込むガーネットは何かを必死に吸っていた。
左右の手でしっかり、その両端を持ち、ぷよぷよとした柔らかい首筋に、鋭い牙を立てている。

「ぷはー!ブラックさんはとてもうまいのだ!」

ずぶ濡れの子犬の様に哀れなブラックの吸殻を、ぽとんと地面に落とすと、
ガーネットは吸血鬼とは似ても似つかない天真爛漫100%の笑みを浮かべ、血の付いた口元を身に着けたマントで拭った。

「そこまでですよ、ガーネット!」
「お?」

振り返った先には、こちらを指差すグリーン、そしてホワイトと縄で繋がれたゾンビブルーの姿があった。
かつての仲間との数十分ぶりの再会に、ガーネットはいつものように無邪気な笑みを返すが、

「いいところに来たのだ! グリーンさんもホワイトさんも、一緒に血を吸うようにしてあげるのだ!」

表情に反して、もはや完全に悪役の台詞を放つ。大きく開けた口には、ギラギラとした牙が光っていた。

「俺もガーネットに吸われてこうなったんすよ……」

血に飢えたガーネットを前にブルーがぽつりと零す。どうやら、ガーネットが隊員達の感染源になっていたようだ。
そうこうしていると地面に転がったまま微動だにしなかったブラックが、よろよろと立ち上がり出す。
背中には翼が生え、ガーネットらの3倍も長く牙が伸び、さらに顔にも黄色い模様が……何か、どこかで見たような気もする、とグリーンは思った。

「ホワイト、自衛しなきゃいけません。戦闘態勢を崩さないようにしてくださいよ」

厄介な存在が二名に増え、グリーンはレーザー銃を手にホワイトへ顔を向ける。
だが、彼女は大きなため息をつきながら、小さく首を振った。

「……ごめん、無理」

何かを吸う音がしていた。恐る恐る、彼女の腰の辺りへ目線を降ろす。

「ホワイトごめん、マジごめんって感じなんすけど……でも、我慢できなかったんす。ホントに我慢してたんすよ! してたんすけどね……!」

なんと、大人しく従っていたと思われていたゾンビブルーが、ホワイトの左腕に噛み付き、謝りながらも美味そうに血を吸っていたのである。

「この馬鹿のせいでそういうわけだから、グリーンは他の隊員と頑張って貰える?」
「そんな! ちょ、ちょっと待ってください。今から応援呼びますから、ホワイト、耐えてくださいよ! 頼みますよ!」

ホワイトに背を向けて、慌てて腕時計型PCのモニターを開いたグリーンだったが、電源をつけるより先に、その動きが固まる。
モニター越しに透けて見えるガーネットとブラックの後ろから、残りの隊員達の一団が、さっきまでとは違う怪物たちの姿で歩いてきている。
グリーンは、単なる仮装のお色直しであることを願っていたが、皆の口元に光る牙はそんな望みを一瞬で砕いた。

「……ごめん、訂正するわ。グリーン一人でなんとか頑張って」
「なんでですかぁーっ!」

まともに怒りをぶつける暇も無く、ホワイトは一瞬、身体をふらつかせたかと思うと、
その姿は、白銀に輝く毛並みを身にまとったオオカミ男(?)に変わっていた。

「ったく、だからなんでアタシが狼男なのよ。ほんとに!」

威嚇するように開いた彼女の口元には立派な犬歯が生えそろっていた。
ただ、その牙が向けられていたのはグリーンではなく、隣で怯えているブルーの方だったが。

「後はグリーンだけだよ」

魔女姿のピンクが恥ずかしそうに手で抑えていた牙を見せた。ピンクに似つかわしくない立派なもんだった。
複雑な気持ちでそれを見つめていると、グリーンの腕を誰かが掴んだ。

「副隊長の俺が吸ってあげるっすよ!」

ゾンビブルーが今にも涎が出そうなほど緩んだ笑みを浮かべ、左腕を掴んでいた。

「何言ってんのよ、あんたさっき吸ったくせに! アタシにも吸わせなさないよ!」

今度は、開いた右腕をオオカミ女のホワイトが掴んだ。
彼女は舌なめずりしながら、飢えた目付きでどこへ噛み付こうか目を凝らしているようだった。

「ずるいのだ! 俺にも吸わせて欲しいのです!」

今度は真正面からガーネットが飛びつき、首元をがっちりと掴む。
そうとなればと他の隊員らも、押しのけながらこちらに向かって駆け出してくる。
かつてここまで隊員人気が急上昇したことがあっただろうか。おまけに逃げようにも3人にガッチリ掴まれ、状況は絶望的。
こういう土壇場で謎の力を発揮して解決できればカッコイイのだが、悲しいことにいくら頑張っても情けない声しか出ない。

「だぁぁぁぁぁー! 頼みますから、吸うのは死なない程度にしてくださいよぉーっ!!!」

挿絵

ヤケクソになったグリーンが頭を振って叫ぶと、群がる隊員たちはそれを合図に一斉にその牙を向ける。
飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのこと。いや、全身を噛まれるのだからもっと酷い。グリーンは目を閉じ、グッと身体を強張らせた。

「「「……うっ!」」」

突然、隊員らが一斉にうめき声をあげた。……そんなに血が不味かったのだろうか、それはそれでかなりショックだ。
しかし、緊張が緩み、全身の五感がじわじわ蘇ってくると、どこにも痛みは感じない。そもそも噛まれた感覚すらない。

「……?」

恐る恐る薄目を開けると、あれほど襲い掛かろうとしていた牙たちは既にグリーンから離れ、ぼんやりと立ち尽くしていた。
何かあるのかと怪訝に皆の行動を待ってみるが、誰もが、時間が止まったかのようにピクリとも動かない。

「ま、まさか……ついに私の力が目覚めてしまったのですね」

そう呟いてみるものの、やはりそんな訳は無い。レッドじゃあるまいし、そこまで現実離れしてもいない。
唯一掴まれていない頭を動かし、改めて隊員らを観察すると、皆一様に額に紫色の模様がぼんやりと輝いているのに気づいた。
それは、コウモリを象った、かつて何度も目撃してきたお騒がせなあのマーク……!

「これは……!」

その模様の正体に気づいた瞬間、グリーンの頭上で羽ばたきが聞こえた。
はっとそちらへ目を向ける。コウモリ? いや、もっと大きい。影が空中で弧を描き、Uターンしながら降下。こちらへ地面スレスレに飛んでくる。
電灯。闇。電灯。闇。急接近してくる影の上で繰り返される光の点滅。その存在の正体はハッキリとわからない。

「えっ!?」

見えた。そう思った瞬間、グリーンは声をあげていた。「まさか」でもあり「そうだったのか」でもあった。
影は数メートル手前で再び垂直に上昇し、そのままゆっくりと降りてきた。闇の中の浮かぶ妖しいその存在。

「あなたが、この騒動の元凶だったってわけですね……!」

そっと地面に足を着いたその影は、顔を上げる。その額には、コウモリの模様が、隊員らと異なる血のように紅い光を放ちながら確かに刻まれていた。

「どおりで、呼んでも来ないはずですよ! ったく、あなたって人はホント大事な時に役に立ちませんね!」

隊員らに押せつけられていながらも、グリーンは身体をくねらせて、わめき立てた。しかし、“彼”は何も答えなかった。
黒いマントをなびかせ、キラと牙が光らせながら、ハロウィンの夜を騒がすヴァンパイアの親玉……悪猫は、口を開いた。

「……Trick or Treat?』













『さて、いよいよこのコンテストも最後のエントリー! なんと14歳の中学生二人が本格的な仮装で登場です!』

ステージ裏へ漏れ聞こえてくる歓声と司会者の声が、ティオの胃のあちこちに突き刺さった。
続く発汗、動悸、息切れ、腹痛、眩暈に偏頭痛。よりにもよって一番緊張する最後とは。耳鳴りまでしてきた。

「いよいよだな。燃えて来たぜ!」

一方のカルマは、ぐっと拳を握って余裕の笑みを浮かべる。
何故こんな状況に燃えられるのか、ティオにはまったく理解できない。

「ティオさまがんばってくださいー! 終わったらすぐに戻してくださいね!」

足元でぴょんぴょん飛び跳ねるエコかぼちゃも、もはや何の慰めにもならない。
とりあえずカルマの言うとおりにしていればいい。しばらくの辛抱だ。たった数分だ。何度も何度も頭の中で自分を励まし続ける。

「おいティオ。ヘマしたら承知しねーからな、わかってんだろうな?」

カルマは鷲掴みにした手で肩を強く揺さぶった。
本番前の最終確認のつもりなのかはしらないが、どうせならもう少しやる気が出る事を言ってくれればいいのに。ティオの胃はキリキリ痛む。

「それでは登場してもらいましょう。カルマくんとティオくんの仲良し二人組です、どうぞー!」

司会者が盛り上げる会場の拍手の音にティオは一瞬たじろぐが、カルマにせっつかれ半ばやけくそでステージへと飛び出した。
人々の視線が一斉に自分たちに注がれる。ステージに置かれたライトがこちらを明々と照らしている。全身固まったまま、ティオは目を伏せた。

「おぉ、なかなか本格的な仮装ですね~。本物の悪魔がやってきているみたいです。ところで、トリを務める二人は何をやってくれるのかな?」

司会者の問いかけにカルマはフッと微笑んだ。

「今から手品を見せます」
「手品! はてさてどんなマジックが繰り広げられるのでしょうか、みなさんご注目です!」

会場が再び拍手に包まれる。ティオは何か嫌な予感がしたが、足が石になったように固まって逃げることさえ今は難しい。

「……じっとしてろよ?」

今までと打って変わって、カルマの手がティオの肩に優しく触れた。
……ヤバイ、とんでもないことが始まる! ティオの脳は激しいサイレンを鳴らしたが、既に遅かった。

「はぁ~~~~~~っ!」

カルマは両手を下から上へ、まるで見えない何かを持ち上げるかのようにその動作を繰り返す。
するとティオの足が地面からかすかに離れた。観客たちからおーっという声があがる。なかなか本格的な手品だと思っているらしい。
しかし、もったいぶった動きでごまかしているが、なんてことはない。魔力で宙に浮かせているだけだ。カルマの両手が微かに紫色に光っているのがその証拠。

「(……で、でも、カルマの協力がこれくらいのことだったら、大丈夫かな……)」

緊張で直立不動のまま浮かされてはいても、ティオは予想を遥かに下回る結果にただただ安堵していた。
……しかし、そんな心をまたも読まれてしまったのか、カルマの表情が邪悪に歪んだ。

「さぁ、それでは、ここからさらに凄いものをお見せしましょう!」

えっ、と声をあげる暇もなく、突然ティオの体はステージのセットのテッペン辺りまで急上昇した。
かと思えば、ティオの体はカルマの手の動きに呼応して、ゆっくりと円を描くように回転し始める。

「名づけて、悪魔の空中飛行! さぁ、どこまで回り続けるかご注目ください」

その速度は徐々に早くなり、もはやティオの姿はハッキリと認識できなくなって行った……。















「Trick or Treat?」

悪猫はグリーンの前で不敵な笑みを浮かべたまま、再びその言葉を呟いた。
最初何を言われたのかわからなかった。さすがに海外暮らしを経験しているため、発音は随分しっかりしているようだ。

──お菓子か、イタズラか。

グリーンはその言葉の意味を改めて脳内で復唱した。
と、同時にその言葉が目の前の男にとってどのような意味を持って放たれた言葉なのかということをすぐさま悟る。

……嫌だ。

グリーンは真っ先に結論を出した。彼はもう自分の命令に忠実に従っていた悪猫ではない。
血を下っ端に吸わせず、じきじきに自分に会いに来たのだから、彼はもうホランも同然であった。彼が欲しい“お菓子”なんて決まっているじゃないか。
となると“イタズラ”……を選んでも、こちらが部下として彼の命令に従う様になるわけだから……近道か回り道かの違いしかないではないか!

「うぁぁぁぁ! どちらにしろ地獄ではないですかぁーっ! イヤイヤイヤ! 絶対イヤですーーっ!!!!」

頭を振って、必死に抵抗するグリーンだったが、さすがに両手両足をしっかり押さえつけられては文字通り手も足もでない。

「いいかげん諦めたらどうっすか? そうするしか方法ないんすよ?」

左腕担当のブルーが苦笑しながら、暴れるグリーンに助言する。
悪猫が言わせているのか、彼自身が本心から言っているのかわからないが、なんとも無責任な発言。

「だったらあなたが行けばいいでしょうがぁぁぁうぉぉぉぉぉあぁあぁあああ!!!」

唾を飛ばしながら激怒するが、ブルーはやれやれといった顔で首を振る。
完全に隊員達は身も心も悪猫側についているということか。起死回生のチャンスがあれば……でもそんなの何も思いつかない!!

「Trick or Treat?」

悪猫は再びグリーンに尋ねる。こちらを見つめる紫色の瞳が映すのは嘲笑か、それとも恍惚か。

「どっちか決めろってことですか……ぐぬぅ……でもやっぱり選べないですってばぁぁぁぁ!」
「ったく男だったらキッパリ決めなさいよ!」

オオカミホワイトが吼える様に声を張り上げる。そうは言っても、ほぼ一択ではないか!
今度はその苛立ちをホワイトにぶつけようとする。だが、その声は突然発せられた謎の呻き声にかき消された。

──グゥォァァァァァァァァ!!!

腹の底まで響く地を這うような唸り声……それは悪猫の背後から聞こえていた。
ざっ、ざっ、ざっ、何十もの足音と、生暖かい異様な空気……なんと大群がこちらに向かって近づいてきているではないか!

「ひぃーっ! な、何をする気ですかーっ!」

心底怯えるグリーンをよそに、その大群は悪猫を境に二列に分かれると、わめき続ける“ボスの獲物”に目もくれずそのまま通り過ぎてゆく。

「あれ……?」

通り過ぎてゆく化け物達を怪訝そうに見ていると、今度は上空からアヒルを絞め殺すような不気味な声が響く。
見上げてみると、空を飛ぶ彼らもグリーンの真上を通過し、地上の化け物達と同じ、東の方向を目指していた。
あっちに何があるのだろうか、ふと考えてみる。あっちは確か……隊員のマンションがある。あと、コンビニ。公園。……公園!

「ほらほら、早くしないと公園やパレードにいる人らがみんな俺らみたいになっちゃうっすよ~?」

薄ら笑いを浮かべながらゾンビブルーがグリーンの腕を揺さぶった。
……これは要するに、市民を人質にするという事! その事実を突きつけられたグリーンの顔からはさっと血の気が引いた。

「みんな同じはすごいのだ! 次は違う街のみんなの血を吸うのことをするのだ!」

ガーネットが無邪気な笑みを浮かべながら恐ろしい言葉を放つ。
市内全員がヴァンパイアになれば、ねずみ算式に増えてゆく。止められない。地球は怪物の星になってしまう!

「卑怯者ーっ! どこまで下劣な人間ですかあなたって人はーっ!!!」

悪猫は、やはりじっとグリーンを見下ろしたままだった。不適な笑みを浮かべたまま決して何も答えない。

「(……外堀を埋めるこういうところは本当に、抜け目ない人ですねほんとに……)」

グリーンは再度、目の前に用意された選択肢を精査してみる。利己的になるか利他的になるのか……究極の選択だ。
そもそも自分を差し出しても市民が無事な保障は……いや、ホランはこういう人間な割りに、相手も決断すれば交換条件はちゃんと果たす男だ。
“お菓子”を与えれば、彼はその見返りに、人を襲わせない様にするはずだ……たぶん。

「Trick or Treat?」

悪猫は、4度目の問いをグリーンに投げかけた。グリーンにはそれが最後のチャンスだと言っているように聞こえた。
……グリーンは覚悟を決めた。

「……もう、もうっ、好きにすればいいでしょうがーーーっ!!! このクソ野郎がぁぁーーーー!!!!」

彼は両手両足を投げ出し、その首筋を悪猫にしかと見せ付けた。
……悪猫がゆっくりと近づいてくる。血を吸われたら何になるのか、グリーンは考えた。まさか今みたいに猫系にされるのだろうか。
あぁ、きっと悪猫といちゃいちゃするようにされてしまうんだろうな。……悪猫の顔が接近する。ぎゅっと目を閉じると、身体が微かに震えた。

「……Trick or Treat?」

その囁きに、グリーンはハッと目をあけた。……5度目の……問いかけ?

「Trick or Treat?」

続けて悪猫はグリーンの顔を覗き込むようにして、そう繰り返す。やはり間違いない。決断をまだ迫られている。
グリーンの身体を差し出せという意味ではないのか……? ならば一体、彼の求める“お菓子”とは一体何なのか。

「なっ、なんなんですかっ! 一体私にどうしろっていうんですか! 言いたいことがあればハッキリ言えばいいでしょう!」

悪猫の瞳がじっとグリーンを見つめる。

「いい加減にしてください! 頭おかしいんじゃないんですかっ! 身体の自由が利けばボコボコにすることろですよ本当にっ!」

じっとしたまま、悪猫は何も答えない。

「んもぉぉぉー!! だから私は悪猫のままにしてたんですよっ! あなたがいなければ私はどれだけ幸せかわからないんですかっ!」

瞳はまだグリーンを捉えている。

「この野郎ふざけるなーっ!!! てめぇなんざ消えちまえ馬鹿野郎がぁぁぁー! 私がデスノートを持ってたら真っ先にあなたの名前を……」

突然グリーンは、ハッとして口をつぐんだ。
──紫の瞳に、自分が映っていた。怒りで歪んだ自分の顔。正義の味方とは程遠い醜悪な顔だ。

「…………」

瞳の中のグリーンが一瞬、揺らぎグリーンの胸に後悔の念が浮かぶ。
……怒りに任せたとはいえ、何てひどい事を言ってしまったのか。自分だったら、傷ついてしまう。
そういえば、ホランがいなければいいと思って、悪猫の前でずっとそれを否定するような発言ばかりしてきた気がする。
悪の力に取り憑かれるまでの彼は、ずっとそれに傷ついてきたのだろうか。従順に従っていながらも、静かに静かに……。

「……Trick or Treat?」

悪猫がまた、尋ねる。
グリーンは一瞬目を伏せると、今度は恐る恐る悪猫の目を見つめた。

「……ご、ごめんなさい……ひどいこと言ってしまって……」

その一言に、悪猫の表情から笑みが消えた。身体を押さえていた隊員達の力が弱まる。
彼らの手から、自分の手足がするりと抜け、自由になった身体で、グリーンは改めてちゃんと悪猫に向き合う。

「わ、私は……ホランのこと、そこまで嫌いではないんですけど、ただ、感情的になってしまっただけで……」
「…………」
「ごめんなさい……。その……本当に、ごめんなさい……私、ちょっとは、あなたを好意的に感じる面もありますから。あ、当然LIKEの方ですよ?」
「…………」
「許して、くれますか……?」

悪猫は、ゆっくり顔を離すと、しばらく無言のままグリーンを見つめた。
表情は読めず、何をされても不思議ではないオーラがあった。唾を飲み込み、言葉を待つ。

「……OK」

……悪猫は小さな声でそう答えると、これまで見たことのない柔らかく、優しい微笑を浮かべた。
それは、紛れも無く、“お菓子”を受け入れた証拠だった。彼はふっと空を見つめると目を閉じた。

「See you……」

悪猫の額に浮かぶ蝙蝠の模様がひび割れて、そこから金色の光が次々に漏れてゆく。
そしてその光は模様から彼の全身を覆い、グリーン、隊員達、辺り一体まで広がってゆく。
目を開けていられないほどの眩しさに顔を手で覆いながら、グリーンは何かが砕け散る音を聞いた。

……再び目を開けると、足元で気を失っている化け物はゾンビと魔女だけになっていた。確認してみても皆の口元には、牙は見当たらない。
おそらく、地上、上空を覆いつくさんと増えていた他の化け物たちも、無事、元の人間に戻っていることだろう。
そして、このハロウィンイベントも大半の人たちは裏で起こっていた騒動を知らぬまま楽しく終えることだろう……。

「……さーてと」

グリーンはちらと、自分の足元に倒れている“ホラン”の姿を見ながら、ホッと息をついた。

「はてさて、どうやって起こしましょうかね……」
















──翌朝。
通りでは早くから街灯につけられたカボチャカバーの撤去が始まっていた。
集客・収益両面から見ても大成功に終わった昨夜のイベントの名残も徐々に消え、街は再び日常、人間の世界に帰っていく。

そしてここ、メゾンぐるてん708号でもいつも通り穏やかな日常が戻ってきていた。

「ティオさまー。ニンジンってこういう切り方でいいですか?」
「うん。大丈夫だよ」

不恰好に切られたニンジンを確認すると、キッチンでスープの味見をしながら、ティオは小さく頷いた。これならなんとか、姉も満足するだろう。
……結局、悪のエナジーも消滅してしまって収穫ゼロではあったが、その代わり辛い思いをしたぶん、思わぬ見返りがあったのはラッキーだ。

「一体何がダメだったんだ……? 俺の完璧だったはずだ……! クソッ、魔族以下の下等な種族どもが……」

冷蔵庫を開けながら、ティオは昨日からソファに腰を下ろしたまま、怖い顔でずっとブツブツ言っているカルマの方を盗み見た。
出し物は大成功だったが、結果は2位。惜しくもハワイ旅行を逃した事によるショックは相当なものだったようで、未だにそれを引きずっている。
しかし、ティオの方はそんな従兄弟の姿がなんとも溜飲を下す姿なのに加え、2位の賞品がこれまた最高であったことが幸せでしかたがなかった。

「そろそろシオンさまが帰ってくる時間ですねー。もう焼いちゃいますか?」

そわそわしながらティオの顔を見るエコに、ティオはクスッと笑みを浮かべながら首を振った。

「帰ってきてからでいいよ。ねーさま、熱いのが好きだから」
「そですかぁ……あーあ、シオンさま早く帰ってきませんかねー?」
「大丈夫、肉は逃げたりしないよ。もうすぐだから準備しておこうね」

そう言ってティオは冷蔵庫から昨夜の唯一の戦利品である“特上松阪牛 ステーキ肉 4人分”を取り出した。
貰った当初カルマは「肉が何になる!」と怒鳴りまくっていたが、姉のご機嫌を取るには最適だとティオはすぐさま思い立った。
姉の帰宅祝いと称してこれを出せば、嬉しさで悪のエナジーが集められなかったことなど、100%どうでもよくなるに違いない。

──ピンポーン

玄関のチャイムが鳴った。いよいよ姉の怒り発散大作戦の火蓋が切って落とされる。ティオはぐっと拳を握った。
すると、あれだけ不機嫌だったカルマも跳ねたように立ち上がり、急に落ち着きが無くなる。エコはお腹をグルグルと鳴らした。

ティオはインターホンの画面を確認すると、彼らに向かって小さく頷いた。
3人はすぐさま部屋を飛び出すと、ご機嫌取り、求愛、食欲、それぞれの思いを胸に玄関へと駆け出していった。

「ねーさま、おかえりなさい」
「おかえりなさーい!」
「シオン姉様、おかえりなさいませ!」













そしてその頃。
お隣に住む我らがOFFレンジャー隊員たちも、ようやく長期間の練習から開放され、久々の平穏な日々が戻ってきていた。
何でもない様に部屋の隅に置かれたダンボールの束や衣装小道具のゴミ袋が、余計に昨夜の非日常性を際立たせるように思える。

「なんだか気分が悪いの日だー……」

青い顔で呟くガーネットの言葉に、同じようにぐったりとした隊員達は返事代わりに小さく呻き声をあげた。まだ怪物になっているわけではない。
怪物となって血を吸いまくったせいか、それによる精神的な物かはわからないが、隊員たちは皆一様に元気を失っていたのだった。

「なんですかなんですか、あなた方は! そんなことでどうするんですか! 情けないですねー!」

唯一、怪物化しなかったグリーンは元気よく朝食のバナナを食べながら、萎れた隊員達に渇を飛ばす。
昨日の失敗など何もなかったかのように、活力に溢れる隊長代理の姿がそこにはあった。

「ほらみなさんも、“元気なヤングで賞”で頂いたバナナ一週間分、どんどん食べて元気を取り戻しましょう! ほらほら!」

ダンボール箱に大量に詰め込まれたバナナを机の上にドンと置いて、グリーンはもぎ取った実を無理やり隊員らに押し付ける。
受賞を逃したと思っていた隊員らだったが、よくわからない賞を貰えていた事を後で知り、獲得した賞品であった。

「はい、ブルー。顔が真っ青ですよ。バナナ食べてくださいね」
「ぐ、グリーンは、何でそんな元気なんすか……」
「そんなの決まっているでしょう! 来年への布石ができたからですよ! 来年こそ我々が優勝をいただく筋道が見えてきたからですとも!」

力を入れたせいでバナナの実が折れそうになっているのも構わず、グリーンは声を張り上げた。

「惜しくも今年は逃しましたが、来年は結成11周年でゴロも良いですしまだチャンスはあります! 今年で傾向と対策がしっかり掴めましたし、
無名の賞から一年を経て、優勝に輝くという素晴らしいストーリーも付随させることに成功しました! 来年こそハワイ旅行は貰ったも同然です!」

激しい決意の炎を背中にしょって、グリーンはとうとう折れたバナナを床に落とす。
そこまでハワイ旅行にこだわるグリーンに、隊員は呆れてため息をつくのすら面倒で、じっと無言を貫く。

「安心してくれグリーン! 来年はオレが全面的にサポートしてあげるからね!」

突然そう言って何者かが背後から抱きついてきた。だが、振り返らずとも声色で誰か判る。

「ちょっとホラン! あなたどこから入ってきたんですか! 合鍵は取り上げたはずですよ!」
「フフ……合鍵なんて使わなくても、オレのために素敵な能力をくれたじゃないか」
「え、えっ?」

恐る恐るグリーンは自分の腹部に回されているホランの腕に目をやった。
……く、黒い……! 全身の毛が一瞬にしてぞわりと立った。……そういえば、あのシールを、取り上げた記憶が……無い!

「何だか長い夢を見ていた気がしていたけれど、気づいてみればこんな能力を貸してくれていたとはね……
これならば一瞬でこちらに飛んでくる事が出来るし、ちょっとした時間に、いつでも会える。もう寂しい思いはさせないよグリーン!」
「い、いや、ちょ、ちょっと待ってください。ちょっと落ち着きましょう。一旦ちょっと落ち着きましょう!」
「あぁ、こんなにキミの温もりを感じられるのは何年ぶりって気がするよ……オレに対する愛が肌を通して伝わってくる……!」

グリーンは足元に何か柔らかい感触を感じた。見るのが怖い、見るのが怖いが見なければならない。
……足元には紫色の魔法陣らしきものが浮かび上がり、その中へグリーンのくるぶしまでがすっかり沈み込んでいた。

「ぎ、ぎゃぁぁーーーっ! なんか沈んでますけど! 沈んでますけどーっ!」
「あぁ、そうだね。今日は誰にも邪魔されず、たっぷりキミのことを愛してあげられる場所に行こうね」
「人の話を聞いてください! ホランさん! あなたまずは人の話を冷静に聞きましょう! そこからちょっと始めてみませんか、ねぇ!?」
「あぁ、わかってるよ……オレとキミの愛は永遠に失われることなんて無いということだね……」
「全然わかってないじゃないですかぁぁぁーーーーっ!!」

とうとう腰まで沈み込んでゆくグリーンと悪猫の姿を隊員達は何とも言えない表情で見つめていた。
動く気力さえ沸かない彼らは心の中で、喚き続ける隊長代理に向かい、「ご愁傷様です」と心の中で静かに手を合わせるのであった。





「結局今回もこういうオチですかぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!』